ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

リベラルアーツは栄養満点と思い込むことの重要さに関する秘かな覚書

mimisemi2007-12-06

ところでシャワー浴びながら思ったんだけど、哲学書とかって無駄に難しいのが多いじゃん?それって確かに概念も難しかったりするのが多いんだけど、何より書き言葉が難しいんだよね。あと書き方。遠まわしな言い方をしてみたり、メタファー使ってみたり、分かりづらい言葉を繋ぎ合わせてみたり・・・っていう俺が常に批判しているソーカルな書き方のことなんだけど、読むことに苦労することと概念を理解することって違うじゃん?例えば難しいと言われている哲学書なんかも、学者が分かりやすく説明している本なんかを読んでみると全然理解できたりするわけじゃん?原書で読まないとダメなんてのは幻想だね。相当な専門家とかじゃない限り、一般人は分かりやすい解説書とか哲学入門みたいなので十分だと思うね。で、もっと興味が湧いたらディグればいいんだけど、これってすでに良い理解のプロセスを経ていて、ようは入門書でこれから読む本についてかじってるわけじゃん?かじってて読むのとかじってないで読むのとじゃ理解力も違ってくるし、何よりさっき書いたように大抵の哲学書は無駄に難しい言葉で書かれてるんで、マジでしみみみ耳学問から入るのはオススメだね。というか俺なんて大半がそうだもん。哲学全般の知識は大抵が入門書とか、どうやって読むの?シリーズみたいなので分かりやすく解説されてるやつばっか。で、もっと知りたいとか理解を深めたいって思うものに関しては原書に挑戦って感じね。あ、原書っつっても元の言語でかかれた原本のやつってことじゃないからね。


ところでこの書かれていることと概念を理解することは違うってことだけど、インテリが得意とするのって書かれていることを理解するほうだと思うんだよね。オモニ。俺のインテリって概念が抽象的過ぎるのはもう許してくれ。ウォール伝に普遍性なんて求めないでくれ。俺節で行くよってことで、インテリはその難解に書かれたことを理解は出来るんだけど、本質的に吸収しているかどうかってのは相当怪しいもんで、それはインテリから新しい哲学や何かと何かをコンバインしたような新しい理論なりがポンポン生まれてこないのはっていうか、まぁポンポンは生まれてこないだろうけど、でもPOMPOMってKompaktだかから出てるけどかっこいいよ。誰かの変名らしいけど。ってことでインテリは歴史の年号を理解するような感じで哲学なりなんなりを理解しているだけで、本質的に理解しててめーの頭で考えられてるかっていうと相当怪しいんだよね。それこそただの教養として理解しているだけで本質は理解して無いっつー。逆を言えば本質を理解できるインテリが多かったら、ペダンティックなやつなんて全然いなくなると思うんだよね。なんかここがなんつーか教養の高さと人格の高さが釣りあわないインテリに矛盾を感じるんだよね。哲学読んだからって人格が良くなるわけじゃないけど、んでも少なからず人格に影響を及ぼすとは思うんだよね。なのにずーーっと身の保身ばっか考えてるインテリとか権威付けに難しい言葉を使いまくるインテリとかが多いのって、本質的に物事をさっぱり理解してねぇーんじゃねぇー
の?って思っちゃうんだよね。まぁ話を戻して、インテリってのは何かを読むとか解析することに長けてるってことは、ようは食物をよく噛んで消化する能力があるってことだよね。まぁ消化は分からないや。とりあえず物事を噛み砕く歯とでも言っておこうかな。ただんじゃあそういったインテリというかちゃんとしたインテリが哲学を分かりやすく一般向けに解説している本というのはインテリが咀嚼した物を一般向けに分かりやすく書き直してるものってことだよね。そこでまぁ望むべきことは書き手の主観的な判断や理解などが混入して無いってことなんだけど、んじゃあそういった本を読んで理解できる一般人ってのはどうなのか?っていうと、固すぎる食物を噛み砕ける能力、ようはそういった歯は持ってないんだけど消化する能力は持ってる人もいるってことだよね。ってことは上辺だけのインテリと一般人の違いって単純に歯の違いなんじゃん?ってことになって、別にんじゃあ違いなんてたいしてことねぇーじゃんってことになるわけだよね。一般人もそういった固いものを噛み砕けるだけの歯を持ってれば、難解そうな哲学も理解できるかもしれないってことだよね。ようはこの場合、良心的で両親的なインテリ(親)が固い食べ物を噛み砕いて一般人(子)が消化できるようにしてるってことなわけだよね。ってことは子も親みたく成長して立派な歯を持てるようになれば、親に食物を噛み砕いてもらわなくても自分で固い食べ物を噛み砕いて消化できることができるってことじゃんね。


むしろ肝心なところは噛み砕くプロセスよりも消化のプロセスなわけで、より高い栄養を食物から吸収できたほうが本質的には秀でてるわけで、噛み砕くことにケイパブルではないにしても、消化に関しては物凄くケイパブルな人っているはずなんだよね。ってことはこういう人って立派な歯を持って物事を噛み砕く能力を得れば、その辺のありふれたインテリよりよっぽど優秀ってことになるよね。ただ一般的にはなぜか逆で、噛み砕ける人のほうが有能だっていう観念があるよね。でも実際はそんなことないと思うんだよな。マジで。消化できる人のほうか優秀だよ。もしくは大きい胃袋を持ってる人のほうが立派な歯を持っている人よりよっぽど優秀。立派な歯を持ってても小さい胃しかなかったり、ただ噛み砕いたものをそのままクソとして出しているような人より、デカイ胃袋で大量の食物を効率よく吸収できる人のほうが知能指数は高いわけよ。普通に考えて。ってことは知識人には、固い食物を立派な歯が無い人向けに噛み砕いてあげるっていう役割があるわな。少なくとも固いものをより固くして世の中に出したり、より複雑に噛み辛く、そして消化し辛く出すってことはまずないよね。まぁ実際はこれがあるから問題なんだけど。ってことで最終的には知識人に頼らない立派な歯を持つことも大事なんだけど、何よりまず大事なのは消化する胃と胃のキャパシティなわけで、この辺は歯を磨くというよりは、常に胃を大きくしておこうっていう食欲(知識欲)によって消化能力なりキャパってのは広くなると思うんだよ
ね。なぜか世の中では歯のほうが尊敬されて、学校なんかでも歯を磨くことに重点が置かれているような感じがするんだけど、実際大事なのは胃だよね。で、理想的な教育ってこの胃の消化能力とキャパを広げてくれるようなものだよね。でもさ、仮に歯が無くても食欲ってあると思うんだよね。だから歯が無いってことで食べ物を食べることを諦めることは無いと思うわけ。らっきりー、世の中には知識人の方々が噛み砕いてくれた流動食物みたいなのもあるわけだし、そこからだんだんと離乳食にステップアップして固形物を自分で噛めるようになればいいだけで、状況的には歯を研ぎ澄ますのは大変かもしれないけど、胃を大きくすることはそこまで難しいことじゃないと思うんだよね。ってことで簡単なしみみみ学問的な本でもいいから読むことが大事だね。それこそかっこよくない入門書とかでも全然いいと思うんだよね。それこそ80年代的な、浅田彰の本を片手にナンパするような時代は終わったんだから、今後は消化の時代よ。ましてや世の中なんて食物だらけでしょ。ネットに繋げばただで飯が食える時代。そんな時代にただ飯を食わない手は無いよね。流動食でも栄養があったりするのがあるんだからさ、それこそ便利よ。サプリみたいに簡単に飲み込んで栄養に出来るのもあるわけだし。ってーのを玄米から発芽米に移行して思ったわけね。これってすげー似てるなぁーと。とりあえずあれだよね、玄米を頑張って飲み込んだってことをリスペクトするような風潮をまずやめたほうがいいね。こういったことに対する権威が失墜するとどうしようもなくなる知識人って相当多いと思うんだよね。それよりもやっぱ消化と栄養の吸収率を評価しないとダメよね。もちろんそこでクソじゃないアウトプットが出力されれば最高なわけだけど、これに関してはまぁ本当に限られてると思う。なんというかこういうことができるのは本当に限られた知識人というか本当の意味でのインテリだけかもしれないけど、別に吸収するだけだったら今の世の中、そこまで難しいことじゃないわけだよね。ただアイロニカルなことにここまで栄養学みたいなのが世間にも広く認知されて、何を食べれば体に良いのか?もしくは悪いのか?ってのが分かりきっているのにも関わらず、しょーもないジャンクフードを食って体を壊したり栄養を取ったような気になっているやつってのが多いんだよな。カロリーと栄養を履き違えてるやつとか。それこそ知識というか情報といえばワイドショーレベルのもので、活字もくだらない雑誌ばっか。歴史的に栄養満点のものは噛みづらいということがあったけど、現代は意外とそうでもない、もしくは知識人が食べやすく加工してくれたような食料品がいっぱいあるのに、なぜかあえてジャンクフードを選ぶわけだよね。しかも悪い食物を噛まずに飲んだりするやつもいる。こういうことで健康を害するのと一緒で脳にもちゃんとした栄養を与えないといけないのに、ジャンクなもんばっか吸収してるんで、脳が腐っちゃうんだよね。


そういった意味で自慢になるけど、自分の本・レコード・DVDなんかのコレクションは栄養満点のものばっかだし、食料のほうも惚れ惚れとするぐらい体に良い栄養のあるもんしか食べてないわけで、無駄なカロリーとか脂肪分とか糖分が無いんで全然太らないし、クソもよく出るわけ。まぁ食事に限っては粗食がいいわけだけど、脳への栄養に関しては基本的にアンリミテッドでいいと思うのね。食べるだけ食べればいいと思うわけ。もちろん太らないような、低コレステロール・低カロリー・低脂肪なものを選ぶべきだけどね。で、胃に負担をかけないようによく噛んで食べると。これこそまさしく咀嚼だよね。ただ咀嚼してれば自ずと食事に時間がかかるし、あんま量は食べられないと思うんだよな。相当な大食いじゃない限り。だから限られたものでもいいから栄養のあるものをよく噛んで食べればそれだけでも十分な栄養が取れるわけでさ、ポテチとかジャンクフードを食べる必要ってのは全く無いわけね。まぁたまにはいいとは思うけど、毎日は当然ダメだよね。もしくは「今、楽しみのためにジャンクフード食べてるんだ」的なホセ的マックエンジョイ法みたいなのが必要になるけど、そこまで高度な技術ではないよね。栄養に関して意識が行っていて、栄養学の知識があれば、それは自明のこととなるわけだからさ。ってことでこれって強引に結びつけると、メディアリテラシーの重要さってことにもなるし、くだらない情報ばかりを吸収するのがいかに危険なことかってのが分かるわけで、例えるなら、知識とか情報におけるジャンクフード的存在は2ちゃんねる・ワイドショー・ゴシップ雑誌・頭の悪そうな雑誌(オシャレを加速しちゃう?とかって書いてあるような類の雑誌)とかってことになるわけで、こういった情報をたまに楽しみとしてジャンクフード的に吸収するのはいいけど、メインフードになっちゃいけないよね。吸収する知識・情報もクソで、食べてるものもジャンクフードじゃもう人間的にアウトだよね。ただここで俺は「哲学が食事における納豆ご飯だ!」みたいな言い方は絶対したくないわけ。それは食事といっても人によって様々な好みがあるから好みに合わせた栄養のあるものをよく噛んで食べればいいってことなのね。「栄養のある食物という定義が曖昧」というツッコミはとりあえず無しにしてくれ。ややこしくなるから。そりゃ言えてるわけだけどね。栄養学にしたら数字でどの食物が栄養のあるもので体に良いものかってのが出るけど、知識とか情報ってのはそんな具体的な数字は出ないからね。ただでもここで重要なのが知識・情報に関しては栄養学的な明らかな基準となるものが無いからこそ、個々がそれを見分ける能力を持っている必要があるってことなわけで、そういった能力が無いと、いつのまにか主食がジャンクフードになってたりしちゃうわけで、そりゃ健康に悪いからシリアスに考えなきゃいけないよね。


人が何を食べようが自由だろ!ってのはごもっとも。ただその自由によって将来的に健康を害して悩まされることになるんだったら、最初からそんな健康を害すようなものは摂らなきゃいいわけで、やっぱ栄養のある食事をバランスよく取るって、まぁ陳腐なクリシェだけど凄まじく重要なわけね。恐らく情報を見分ける能力がある人とそうじゃない人って何十年単位で物凄い差が出てくると思うのね。何十年後かに病気に悩まされてる人と健康で幸せな人っていう感じで、くだらない情報に踊らされ続ける人は、そのスパイラルから抜け出せていなくて苦悩し続けていて、選別する能力がある人は、そういった情報から解放されていて自分の質の高い生活を維持できているっていうね。まぁどっちが幸せか?とかって言われるとまた微妙なんだけどね。体に悪かろうが先のことを考えないで好きなもんばっか食ってればいいじゃん!っていう刹那的生き方も当然ありだし、必ずしもジャンクフードを食ってる人が不幸せになるってわけじゃないし、逆にそんな心配をしてるほうがしんどいってのもあるとは思うけど、その辺は最近の俺の方法論を使えば若干マシなのが、好きなものの標準を半ば強制的に意識的に栄養のあるものに向けちゃうわけね。俺だってそりゃー毎日ハンバーガーとステーキを食べていたいけど、毎日発芽玄米食ってるのは、それが健康にいいからで、コストも安くて栄養があるからってことなわけで、発芽米が旨かろうがまずかろうが、発芽米を軸に献立を考えるわけよ。それがチャーハンであったり麻婆定食であ
ったり納豆ご飯であったりするわけだけど、情報や知識にも同じようなことが言えて、基本的に自分の好きなものしか食べないんだけど、その好きなものをそうじゃないものよりかは若干未来への見通しがありそうなアカデミックなものに標準を合わせてみるってことで、より栄養を摂ってみるっていうね。社会は偏食の人より標準的な栄養を摂っている人をまともな人とみなすから、んだったらちょっとは社会の標準に合わせてみるか?ってことなわけで、そういう意味でリベラルアーツってのは栄養満点なわけだ。若干美味しくないのがあっても「栄養があるから」とか「体にいいから」ってことで我慢して食えるし、シェフ(プロフェッサー)の腕が悪くても、より旨い栄養のある食事を摂るためにはこのシェフの作った料理を食わなきゃいけないってことで、それは義務的にこなせる動機が出てくるわけね。俺と大学を繋ぎとめている理由の大半がこれなわけね。ただリベラルアーツの中には元々の好物もあるんで、別にそこまで食べることが苦じゃないっていうね。そんな大食を要求されているわけでもないし。英語という言語で食物を吸収するために面倒な歯磨きをやらなきゃいけなかったり、英語という媒体で出力するためにライティングをやらなきゃいけなかったりするわけだけど、これもまぁ栄養を吸収するとか出力するっていう総合的な見地から言えば全然合理的というか、その作業自体が面倒でも決して無駄なことではないんだよね。で、やっぱ俺に必要なことは、その面倒な歯磨き自体に楽しみを見出しちゃうとか
さ、全部必要な栄養だと思ってあんま味が好きじゃなくても食べる努力が必要で、その結果、その食べ物を好きになっちゃえばそれに越した事は無いってなわけだ。世の中からも「栄養満点の人だ」って言われて、そんなことを言われても、自分としては「好きなものしか食べてない」っていう感覚しかないっていう、もはやイモータルな境地だけど、まぁこれは達する必要があるなとセメスターも終わりかけた今ぐらいに改めて思ったことであります。ってことで今日はこの辺で。

PS

peroさんのご指摘により、レイアウトを変えてみようと思って色々探したんだけど、結局、これになっちゃったわけね。まぁ文字のレイアウト戻しただけなんだけど。時間あるときに、もうちょっとディグってみるわっつーかスタイルシートって奥深いのね。知らなかった。

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