ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ゴダールは映画の神なんかじゃありませぬ。

mimisemi2008-01-07

またしても報告せねばならぬことがあーる。東風だと思って買ったDVDがなななななんと軽蔑だったのだよ!!買ってきたDVDのバッケージ見ながら「ところでContemptってどういう意味だろう?」と思って辞書で調べたら「軽蔑」って書いてあって「なにぃ!!!」と思ってDVDの裏みたら書いてある説明文が軽蔑のやつだった。どこにも西部劇って書いて無いし、何よりブリジッド・バルドーが出てるんで軽蔑以外ありえないわけだ。何で俺はこれを東風だと勘違いしてたんだろう?しかも今、始まったことではなくて、半年ぐらいずーっと勘違いしていたというかパッケージが西部劇っぽいんだよねっていうか、西部劇っぽい色使いのバルドーの絵が表紙なんだけど、思えば東風の主演はアンヌ・なんたらスキーだし、バルドーは出てないはずなのになんで軽蔑だと思わなかったんだろう?それには色々理由があると思うんだが、一番大きいのは俺自身が軽蔑があんま好きじゃなくて、この程度のもんがわざわざクライテリオンのコレクションで出るわけないよなとか思い込んでたってのがあるんだよね。意味分からないでしょ?でも俺はそう思い込んでいたわけだ。それにしてもゴダールの映画の中でも特になんとも思わない対して愛情の無い軽蔑を買ってしまったのはこないだの死霊のはらわたと間違えて買ったハロウィンパーティーのやつよりショックだわ。軽蔑高かったしね。31ドルとか。まぁ二枚組みで特典が盛りだくさんっていうか、フリッツ・ラングゴダールの対談とかが入っててまぁ特典だけでも十分かって感じがしなくもないんだが、それにしてもどーせゴダールの映画買うんだったらウィークエンドとか出てないけど中国女とか俺のお気に入りが良かったのにな。俺が好きなゴダールのやつはなんだろう?簡単に思いついたのだと男性・女性・女は女である・勝手にしやがれ気狂いピエロ・男と女のいるなんとか・小さな兵隊っつーかまぁーあの一連の若者に人気がありそうなやつね。あとまぁ中国女とかつまんないけど万事快調は好きなんだな。で、嫌いなのが80年代のオナニーに磨きのかかったカルメンという名の女とか探偵とかリア王とか右側に気をつけろとかで、90年代のなんかは新ドイツ零年以外はほとんど好きじゃないっていうかクズだと思う。何よりつまらなすぎる。退屈な思想的な映画を見るぐらいだったら本を読んだほうがマシだからね。映像に斬新さがあればいいんだけど、基本的に映像も退屈なのが多いし、ゴダールってゴダール流のやり方があるのは分かるんだけど、別に毎回斬新があるわけでもないし、特にゴダールの初期みたいな映像の楽しさみたいなのがないと本当にクズだと思うんだよね。その点で難解でもパゾリーニのは自分に酔ってない感じがして好感が持てるんだよな。さすが詩人だけあってリリカルな描写が目立つし、メタファーなんかもちゃんと筋の通ったものになってるのが多いと思う。まぁ理解に大量の予備知識を必要とするのはゴダールと大差ないんだけど、なんか気取ってる感じが無いでしょ?パゾリーニのは。硬派なんだよな。それに比べてゴダールのはインテリのイカ臭いオナニー臭がプンプンするんだよな。サルトルとかデリダとかのあの辺のフランスの気取ったインテリが得意とする誇張やらインテリ気取りみたいなヴァイヴをすげー持ってるよね。ああいうのは国民性なのかしらね?俺もそうだったけど17とか18ぐらいのイカ臭い青年やらがゴダールに興味を持つのは他と何かが違ったり、何か知的な雰囲気を持っているからってことに惹かれるからなんだよね。「へへーん、俺は他とは違うぜ」的な気取りみたいなのがゴダール鑑賞への動機付けになるわけだ。で、ゴダールを見て理解している(ふり)をしている自分がかっこいいみたいな、青年期特有の青臭さがあるんだよな。そういう青年の青臭さから来る欲求ゴダール映画ってのは十分に満たしてくれるんだよね。それこそそれっぽい哲学書とか小説と一緒よ。青年病にかかった青年が読みそうな本とか聴きそうな音楽ってあるでしょ?ゴダール映画もそういうのと一緒なわけね。ゴダールが映画の神だなんていうのはまやかしだね。


で、アメリカに尻尾を振るわけじゃないけど、こないだまで続いていた寝たきり生活のなかで見た映画の中にワンスアポンアタイムインアメリカがあったんだけど、ああいうのを撮れる監督がやっぱ神なんじゃないかと思うね。もう文句のつけようがない展開に練りに練られたスクリプトに最高の俳優達ね。もちろん王道のアメリカ映画なんだけど、あれって二時間以上の長さを長いと感じさせないでしょ?それはなによりエンターテイメント性というか演出というか、映画力だよね。でも軽蔑とかってどうよ?もう開始20分ぐらいであくびが出てくるでしょ?あれで観客を惹きつける魅力があってしかも背後に深いプロットがあるっていうさ、ゴダール映画の真髄みたいなのがあれば最高なんだけど、ゴダール映画って基本的につまらないんだよね。ものによっては面白いのもあるけど、それは初期に限るよね。他のインテリ好きのしそうなやつは基本的にインテリが理解して自己満足に浸るようなものばっかでしょ?俺って本当に自己愛というかナルシシズムというのが大嫌いだから、自分に酔うという行為自体をそれこそ本当に軽蔑するわけ。だからそういった自分のインテリジェンスに酔っているような監督が作った映画を見ているインテリがそういう映画を理解しているということに酔っているというオナニーの俗悪な循環が大嫌いなんだよね。だからアメリカンエッセイの話じゃないけど、やっぱなんつーか難解と分かりづらいって違うと思うんだよね。難解なものを分かりやすく提供するのが映画の神の仕事なわけで、グダグダに分かりづらい映画を作っているゴダールは映画の神でもなんでもないわけだ。それだったら徹底的に分かりやすくて素晴らしいアメリカ映画を作る監督達のほうがよっぽど神だと思うね。だからレザボアドッグスとかパルプフィクションタランティーノは神と言えるし、スモークのワン監督も神だと思う。ただゴダールってどうよ?まぁある意味で凄いとは思うけどそれこそフランスの近代思想家達と同じようになんというか過大評価されすぎだと思うね。ましてや映画作りが上手いとはいえないわけよ。ゴダールなんて。ものにもよるけど、基本的に退屈なやつは本当に観客のこと考えてないし、あんなものを二時間近くも正気を保って見れないよね。それこそああいうのを喜んでみているインテリなんて浅田彰とか坂本龍一みたいな80年代左翼だけだろう。ホント、俺らの世代ってのはこういう感じの似非インテリを抹殺しなきゃいけないと思うね。「分かりづらいものは良いとは言えません」と言えなきゃダメ。「分かってるふりしないと頭が悪いと思われる」とか言ってると80年代の二の舞だから、今は「分かりづらいものは悪いものです」って言えなきゃダメね。例えばまぁカルネ・カノンを俺は過大評価しすぎだとは思う。ただあれは完全に面白いぐらい俺の周波数にあった映画なわけで理解する理解しないとか楽しい楽しくないの領域を超しちゃってるんだよね。俺の中で。ってことでつまらないようなゴダール映画の中でも人によっては完全に周波数があっているようなものがあるかもしれないし、そこまでシンクロしちゃった人はそれについて評価してもいいと思う。ただそこまで周波数があってないのに「思慮的だ」とか「深い」とか「斬新だ」ってことだけでゴダール映画を過大評価するのはどうかと思うんだよね。ああいうのって絶対インテリが評価して、それこそサルトルとかみたいにああいうのを読んだり見たりするのがクールみたいな、そんな一時期の時代の風潮も評価の後押ししてたと思うんだよね。でも今考えてみるとサルトルの本なんて普通の脳してれば全く読む気が起こらないような悪書だと思うし、内容が素晴らしくても分かりづらすぎるという意味だとゴダールの分かりづらい映画もサルトルのそれと同じだと思うんだよね。どうもフランス人っていうのは600ページとかかけて分かりづらいようなことを永遠と書くことに長けているらしいね。あれは完全に言語にナルシスティックな要素があると思うんだよな。で、それは日本語も割とそう。だから永遠と分かりづらい専門用語とか非日常的な言い回しをガンガン続けて頭が良さそうな文章を書くことに酔うような人がたくさんいるわけで、そういうのをなんとなく頭が良さそうってことで評価しちゃうというお国柄も日本とフランスに共通しているわけで、んだからフランス近代思想なんてのが日本に違和感無く広がったんだろうし、難解なゴダールの映画も受け入れられたんだと思うんだよね。そういえば俺のオールタイムフェイバリットのトップはイレイザーヘッド・カルネ・カノンを差し置いて一位なのが去年マリエンバードでなんだけど、これも分かりづらいといえば分かりづらいんだが、ゴダールのそれと違って分かりづらさに終始してないんだよね。あれは計算しつくされた分かりづらさなわけで、逆を言えば理解しちゃえば全然難しくない。まぁある意味で謎解きというか「そうだったのね!」ってのが分かればすげー分かりやすい映画なんだよな。まぁ羅生門がベースになっているわけだけど。でもゴダールのやつって映像の中から汲み取れるようなヒントが多いわけじゃないし、それこそ評論家とか専門家が書いたような評論なり解説を見ないとさっぱり理解できないものが多々あるわけで、それってどうなの?って感じだよね。サルトルの本を読むのに解説書が必要なのと一緒で解説書を必要する映画ってはたして良い映画なの?ってことでしょ?まぁ俺は絶対そんなもん良い映画だとは思わないわけだ。だからゴダールは映画の神でもなんでもないわけだ。まぁ作品によっては神がかったものはあるけど、それはほんの一部で、特に政治の時期とか商業映画復帰以降の映画なんでクズぞろいだと思うんだよね。それこそ何回も見ようと思うものがさっぱり無いでしょ?実験的でも映画自体に魅力があるデレクジャーマンとかタルコフスキーとかブニュエルのって面白くは無いけどたまに見たくなるけど、ゴダールの80年代90年代の映画なんてもう二度と見る気が起こらないものばっかでしょ?で、ああいうのを理解しているから頭がいいんだみたいな、見ていることのステータスみたいな欺瞞的な上辺だけの鑑賞なんて絶対やめたほうがいいと思うんだよね。ああいうのを過大評価しちゃダメよ。分かりづらいんだから。それにつまらないんだから。映画としてアウトでしょ?まぁただ万事快調みたいなクソつまらないんだけど個人的に好きってやつに関してはさっき書いた周波数の話で、すげー深い内面的なものが映画と繋がったことで面白いと感じられる映画に関してはまぁ個々に委ねられるというか、そういうのはまぁ勝手に心で思っておけばいいんだけど、まぁ一般的に高い評価を得ちゃダメよね。ああいうのは。だって映画自体はつまらないんだから。そういう意味だとブニュエルの映画も面白いものは一つもないといっていいかもね。大半が退屈。ただ俺の場合、物凄く周波数があったものが多いんで個人的に
好きなんだよね。ただそれだけでそれは極めて主観的な評価なんだよな。だからあんま声を大にして「もっと評価されなきゃダメだ!」とは言えないわけ。まぁ一般的な評価高いと思うけどね。ブニュエルは。


ところでウディアレンのセックスのやつとブルジョワジーの最初にシーンって似てるよね。トランスベタイトの話だったと思うんだけど、外に逃げるでしょあれ。ブニュエルのやつもセックスがばれるのが嫌で外に逃げるんだよね。で、雰囲気も似てるんだよね。ウディアレンといえばうろ覚えなんだけど、デコンストラクトハリーだかデコンストラクテッドだか忘れだけど、あれの最後ってエヴァだよね。エヴァがウディアレンパクったんだなって思ったもん。分からん。デリダ脱構築を映像化したのか分からんけど、それにしても終わりが全く一緒なんだよな。ハリーの場合、うろ覚えだけど、最後はウディアレン扮する主人公の作家がなんか勝手にデコンストラクションだ!とか気がついた途端、その作家が書いている物語の登場人物が回りにいきなり現れて作家に向かって拍手をしているってやつで、エヴァも最後そうでしょ?シンジが勝手に何か思いついて物語の登場人物がシンジに拍手をするわけ。まぁ典型的なダメダメ世界系の話なんだけど、ウディアレンのエヴァの大きな違いは、ウディアレンの場合、元々世界系的な世界観で生きている内面的な、それこそウディアレンそのものみたいな作家が自分の葛藤を脱構築だかなんだかっていう認識によって一気に解決して全てが開けるっていうことなのにたいして、エヴァの場合、それまではもちろんシンジの主観的な世界もあったんだけど、基本的に色々な人が出てくるストーリーだったのに終わり方が世界系な終わり方をしているというか、シンジの主観っていうので終わっちゃってるのが最悪なんだよね。あれは本当にアニメ史上でトップレベルの終わりのダメさだよね。もう本当にダメで呆れちゃう。他が悪くないので余計に最後のダメさが際立っちゃうね。まぁいいや。


それにしても抗鬱剤の効果は凄いね。全く苦労なくウォール伝が書ける。このぐらいの勢いで上手くなくてもいいから英文で大量に書ければもう俺の亡命生活が完璧に近づくんだけどなぁー。ホント、英文で書くのって大変で嫌になるよ。絶望的に書けない自分に相当なストレスを感じるね。まぁいいや。まぁただね、いいんだよね。前にも書いたように俺ってデフォルトだと廃人だから薬を飲んでないと本当にダメなんだよね。だから今が普通って思ったほうがいいんだよね。薬を飲んでないときは異常だから、飲んでないときが無気力で不安定で常に抑鬱状態で・・・ってのはある意味で普通なんだよね。飲んでればそういうのが無くなって普通なんだから、んじゃあ自分で飲んでるときが普通だって定義しちゃえばいいわけでってことは飲んでないときは書く気も起こらないというのは異常で飲んでれば書けるというのが普通なわけだから、飲んでれば普通に書けると考えたほうがいいんだよね。飲んでれば普通に生きられると。フーコーじゃないけど、普通って感覚は異常を通して定義できるわけだからさ、まぁんじゃあ普通って何よ?ってことだよね。異常じゃないってことが普通なら俺の場合、飲んでないときのほうが異常だから飲んでるときが普通なわけだよね。長生きできなくてもいいから、とりあえず精神的にまともでいたいよね。だからもういくらでも薬飲んで生きていこうと思うんだよね。で、将来的に肝臓がダメになってもそれってずーっと飲まないで苦しんで生きるよりよっぽどマシだからね。まぁだから最近思うのは自分にとって薬を飲むということは社会的なコミットメントなんだよね。普通でいることが必要なんだから飲まなきゃっていうことでさ。まぁいいや、そんな感じで難解と分かりづらいは違うってことを肝に銘じつつ童貞でも見て寝よう。どうでもいいけど寝る前に見るホラー映画は格別だよね。あ、そういえばアナーキーコンバース手に入れたんだよ!もうマジでかっこいいね。オールスターなんて買ったの生まれて初めてだけどこれって意外と悪くないね。ナイキも飽きてきたかな。こうやってどんどん自分の固定観念を変えていくのって重要だよね。だからあえて「ナイキは飽きた」とかって思うのもありなんだよね。まぁいいや、股の臭いが限界だからシャワー浴びるわ。

ヒミズ 1 (ヤンマガKC)

ヒミズ 1 (ヤンマガKC)

ラップトップでノリノリライブって不毛でいいですね。見てて恥ずかしいや。ところで恐らく右側にあるのはミキサーで、ライブでやってることいったら、まぁほとんど何もやっていないわけですね。シーケンサーを走らせて自分はノリノリでたまにミキサーをいじる真似をするだけという意味だと歌謡曲バンドの後ろでDJやってるふりをしているDJと同じなんです。もし貴方がそういう不毛なDJのふりをしているDJをライブで見かけたら最近流行の拳銃でそいつの頭をぶち抜いちゃってください。ラップトップの場合、↑の動画みたいにノリノリだったらビールでも奢ってあげてほしいんだけど、デザイナーズブランドっぽいメガネをかけつつ微動だにせずクールなままラップトップに向かって演奏をしているように見せかけているラップトッパーがいたら同じく今流行の拳銃でそいつの頭をぶち抜いてやってください。貴方は当然捕まって死刑とかになると思いますが、少なくとも通り魔よりかは感謝されるでしょう。外見に酔っているやつも馬鹿だけど、もっと馬鹿なのはこのメガネラップトッパーみたいなインテリ気取りのやつらなんですよ。自分の中途半端な知性に酔うことほど愚かなことはありません。それだったらまだ中途半端な美貌に酔っているほうがマシに思えますね。