ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

数の概念についてシリーズの続編+雑談と愚痴って感じかしら?

mimisemi2010-03-16

昨日の続きみたいになるんだけどさ、空の思想っつーかまぁナーガルジュナのさ、interdependencyなんだけどね、まぁ概念をそのまま転用して考えてみたんだけどさ、数っつーのも結局は物質的なものに依存した概念なんじゃないかな?って思ったのね。アプリオリだといくら言ってもさっつーかね、前に書いたのと基本的に一緒なんだけど数って概念が物理的なものから抽象された属性の一つなんだよねってことだね。ようはね、変な思考実験になるけどさ、この世が全部流体で出来てたら個数なんて概念生まれないじゃん?それとは別にもちろん数という概念はあるけど、んでも流体しか存在しないところに数という概念が存在しないのはさ、3リットルの水ってのに個数が無いのと一緒だよね。それは量で計られるじゃん?まぁ3リットルっつー数の概念がここにもあるけど、計り方なんてのは恣意的だよね。寸だとかメーターだとか文だとかさ、文化によって全然違うわけで特に基準は無いよね。文ってのも一文の長さを一単位として考えた時に出てくる概念で文の連続性で長さっつー概念を考えるっていう文っていうコインっつー物質に対応した長さの概念だよね。


結局はまぁ数ってのも根本的にはこの文とかとあんま変わらないんじゃないかな?って思ったんだよね。あとは日本の場所っつーか部屋の尺度の坪とかもそうだね。何が言いたいのか?っていうとさ、まず人類ってのがあってさ、その人間が生きていく上でさ、例えばなんかの実でも人間でもなんでもいいんだけど、ようは個体としての個数っていう概念がそこから生まれてくるじゃん?ってことはさ、ナーガルジュナオントロジーと一緒でさ、人間っつーのがいないと数っつーのも成立しないし、数ってのも人間に規定されてるって意味で人間無しには存在できないっつーことだよね。で、まぁなんつーか俺が言いたいのはその数っつー概念と人間の相互依存の中で出てくるね、個体とか個数って概念がそのまま抽象されてそれだけで話が進んでいくってのが数学なんじゃないかな?ってことね。ズリネタで言えばさ、俺で言えばムラムラくるブロンドとか白人とか最近だとヒスパニックとかインド系も可愛いなって思うんだけど、まぁオカズにするのはもっぱら白人だけどさ、そのエロいアメリカンの白人を俺はズリネタとして頭に焼き付けるわけじゃん?


で、学校が終わって家に帰ってきてさ、んでオナニーする暇が無かったから溜まってるわけじゃん?で、抜こうと思った時にその昼間とか朝出会ったヌケる子ってのを抽象化するわけだよね。ようはその個体を勝手に頭の中に召還してフェラさせたりセックスしたりするわけでさ、まぁ俺はもっと変態的な妄想をするけどね、まぁ内容はともかくとしてこれが抽象ってことだよね。そのエロいヌケるアメリカンから抽象された概念っつーのが頭の中で勝手に展開するってのが俺のオナニーだよね。まぁ俺のオナニーはそれだけじゃないけど、誰かをオカズにする場合はまぁみんな一緒だよね。


こんなさ、みーんなやってるようなことが何気に数学だっていうさ、まぁこれは数じゃないけど、個体から概念を抽象化してきて勝手に頭の中で広げるって意味だと同じだよね。まぁオナニーの場合、完全に妄想で厳密さとかさ、rigorみたいなのは無いけどさ、でもまぁこれって物理的なエロいアメリカンありきじゃん?それが無いと成立しない妄想だよね?数も同じでさ、数っつーものを想起させる個体ってのがあってそこから数という概念だけが抽象できるんじゃないかな?って思ったのね。そういう意味で人間と数は相互依存関係にあるってことなんだけど、まぁこれがナーガルジュナオントロジーに似てるなって思ったんだけどね。


壮大だよね。数学は。そんな数っつー概念からスタートしてさ、代数だのさ、グラフだのさ、幾何学だの群論だの集合論だのってまぁ途方も無いよね。まぁそんだけ途方も無いだけあってすんげー体系化に時間がかかってるんだけどね。天才の仕事の積み重ねが数学ってわけだ。別の言い方をすれば天才のマスの積み重ねってことだね。どんだけティッシュが積み重なってるのやら。代数って中学か小学校の高学年ぐらいにやってさ、そっからさっぱりやってなくて、んで最近またまぁ学校で数学やってるってことでやってるんだけどこれって何気にすげー重要な概念だよね。何かをXと捉えてそれがvariableとして機能するって別に数学だけじゃなくても思考的なモデルとして使えるし、なんつーか思考のアーキタイプとして持ってていい概念だよね。代数的概念は普通に人生の中で使える概念だよね。


ホワイトヘッドの引用をするとさ、「Algebra is the intellectual instrument which has been created for rendering clear the quantitative aspect of the world」ってことなんだけど、最後のthe worldってのがミソだね。俺が言いたいのはここでさ、世界のクリアな質的なアスペクトを抽出するってところなんだけどさ、ようは概念装置なんだよね。数学だけに留まらずようはいつも最近書いてるように数学っつーのを自然を記述する言語だと考えた時にさ、日常のことも代数的に考えたりすると思考の整理が出来たりさ、クリアに考えられたりできるじゃん?これって数学的概念を利用した思考法だよね。


意味無さそうな数学を学校でやらされる理由って恐らくこういうところにあるんだろうけど、子供じゃ理解不可能だよね。小平邦彦も書いてたけどさ、例えば中学ぐらいで集合論をやるとかいうことになるとさ、無限だのなんだのって概念を出してきても分からないから中学生が分かりそうなっつーか小学生だったかな?忘れたけど、まぁ無限っつー概念ありきのものが集合論なのにそれを端折って単純に理解できるところだけ教えるって完全に形骸化されたさ、エッセンスを損ねた集合論ってことになるよね。そうなんだーっていう事実しか分からなくて本質が分からない。でもこれって数学全般に言えるよね。特に教育者がクズだとさ、ただの仕事みたいなもんになるじゃん?計算ドリルとかって。


でも実際は物理空間とコネクトした抽象概念で概念装置としての数学ほど強いものは無いんだよっていうようなさ、数学の威力とか凄さってのが理解できなきゃいけないんだけど、まぁ教育者の力量不足があるとそういうエッセンスは教えられないだろうし、あとはまぁ仮に教師が優れてても子供が理解できるもんじゃないってのはあるよね。だからまぁ足し算引き算とかは当然やるとしても、概念装置としての数学というのを理解するのは難しいかもね。俺だって最近分かったことなわけだし。数学教育って矛盾だらけだね。ある意味で数学って哲学的過ぎるからさ、道具として教えるしか無くなるよね。形骸化させてとりあえずフォーミュラとかを覚えればいいっていうのがまぁ学校でやる数学じゃん?でもなんでそういうフォーミュラが成立するんだろう?ってことを考えるとすんげーディープなんだよね。それこそ分数ですら難しいぐらいなわけで。


ただ考え尽くして理解しちゃえばこれほど強いものは無くて、それって暗記じゃなくて理解だから忘れようが無いよね。make senseしてるから合点がいってるってことで忘れようが無い。ただこれをやるのは単純に時間がかかるし凄まじい脳力が必要なんで全ての人には不可能だね。そんな時間無いしね。数学だけやってられるわけじゃないからやっぱフォーミュラの暗記ぐらいで乗り切るしか無いってことになっちゃう。その辺を遠山啓みたいな人はさ、その哲学的な素養を活かしてナイスな「数学入門」っつー本を書いたわけじゃん?ただこの人は希有な人だよね。本当は全ての数学の先生が遠山啓みたいなマインドを持ってればいいんだけどまぁそれは無理だからね。遠山啓の「数学入門」を読んでると本当に思うのは俺が好きになった数学ってこういう数学なんだよね。メソッドと答えっていうドライなやつじゃなくて、それがなぜそうなるのか?っていう概念としての数学だよね。まぁより深い理解ってことなんだけど、でも数学を理解するってことはそういうことじゃん?つまりは深い理解が必要なんだよね。


あ、んでついでにさ、代数をさっきのオナニーみたいな感じで説明するとさ、xをズリネタとしてさ、んで俺が妄想するプレイの数々をyとするとさ、xが決まった時にプレイ妄想のyが決まるっていうことだよね。二つの変数って概念ってまぁ函数だし、まぁこの基盤を支えてるのって代数じゃん?マスって凄いよね。マスかくときにもマスやるときにもマス的概念が介在してるんだっていう。で、数のオリジンに戻るけどまぁ個数みたいな概念ありきってのはまぁそうだよね。そんなもの原始時代とかに戻れないからなんとも言えないけど、数っつー概念は生活の中から出てくる概念だよね。そういう意味で言葉と一緒だよね。だから自然を記述する言葉ってことになるんだよね。数学も。


あ、んで全然話が変わるんだけどさ、最近俺に興味津々なやつがいてさ、あ、中国語のクラスメートなんだけど、まぁ大学っつっても色々な年齢層がいるけどそれこそ18とか20とかのやつもいるわけでっつーかまぁそういうやつが多いのが普通だけどさ、すげー年齢差感じるよね。でもこっちって別に年齢差のヒエラルキーとかないからさ、普通にバリアフリーで話すんだけどさ、まぁ色々と端折るけどその俺に興味津々なね、見た目はまだ子供みたいなやつなんだけどさ、そいつが仏教が好きだっつーんだよね。ヒスパニックのやつなんだけどちょっと可愛いんだよね。男だけど。可愛いって感じる時にやっぱ俺はバイの気質が大ありでこれは認めるしか無いなっていつも思うんだけどさ、まぁそれはともかくね、色々と端折るとさ、まぁそいつとちょっと仲良くなってさ、んで音楽が好きだっつーんで俺のミックス渡したわけ。


そしたら例によって「すんげー良い!」みたいなレスポンスいただいてさ、んでまぁそっから色々と話題が広がっていったと思いきやそうでもなかったんだけど、まぁ仏教が好きだっつってたからさ、空の概念のイントロダクションみたいな本を持ってたから貸してあげたのね。まぁ戻ってこなくてもいいから別にあげてもいいんだけどさ、そいつはまぁ仏教っつーか禅が好きらしくてさ、ポッドキャストとかでも禅の講義とか聞いてるんだけど、中観っつー言葉を知ってるんだよね。若いのにすげーなって思っちゃうね。俺が彼ぐらいの時の頃はなにしてただろうな?ってひたすらノイズにコミットしてた気がするし、ケージかぶれだった気がするけどまぁ今思えば音楽に関しても常にメタ的だったよなと。「音って何なの?」っていうそんなのばっか考えてたからサウンドスケープとかに行ったんだろうけど、まぁメタフィジカルな音楽をやろうとしてたんだね。まぁしてたっつーか別に終わったつもりはないんだけど。


まぁそれはともかくさ、んでまぁその空の本を渡したんだけどさ、んで結局空とかmiddle wayって何なの?って聞かれた時にさ、ハッ!と思ったのがさ、俺の英語が難しい概念を説明するだけのcapabilityが無いんだけど、それにしても即答できないっつーかさ、即答できるような概念ではないんだけど、んでもそれにしても「困ったなぁー」って感じになったのには唖然としたね。一体俺は何を理解してるんだ?ってことになっちゃって。で、まぁそいつとは別のやつがね、まぁ俺とその可愛いヒスパニックのやつが色々と本の話をしてたからさ、割り込んできたっつーか入ってきたやつがいてさ、んでそいつがなぜかマキャベリの話とかしだしてさ、まぁディティールを端折ってるからさっぱり分からないと思うけど、まぁここでもさ、そいつがマキャベリの説明をしてるときにさ、俺は頭の中真っ白になったよね。


マキャベリなんて関連の本を色々と読んでるのにも関わらず俺は何を知ってるんだ?っていうさ、まぁ別に即答っつーと変だけどさ、それについて永遠といきなり喋れるぐらい何かがあるってことが別に理解してるってことではないにしても、んでもさ、なんかマキャベリにしてもこうやってウォール伝で書いてるっていうコンテキスト内からじゃないと出てこないよね。何も。それだけだとさっぱり出てこない。それこそプラトンについては?とか言われても説明できないもんな。ウォール伝では腐るほど書いてるのに。


一体俺は何を理解してるって言えるのかさっぱり分からなくなったね。ナーガルジュナにしても仏教にしても空にしてもマキャベリにしても俺は何を理解してるんだろう?っていう。実際は何も理解できてないんじゃないかな?とか思い始めたら結構鬱になってきたね。久々に鬱を感じたよ。別に彼らと話してるときにさ、饒舌にそれについて説明したら気分が良かっただろうなっつーそんなまぁどうでもいいレベルの話ではあるしさ、別に饒舌に説明しなくたってまぁ頭の中には何か入ってるだろうけど、でもなんか理解って何なのかな?結局。って思った時に色々と考えてしまったよね。マキャベリ雑談できることがマキャベリについて知ってるってことなのかさ、まぁそんなことじゃないと思うけど、ただまぁ俺って自分が喋ってるとか書いてるっつーコンテキストが無いとさっぱり何も説明できないなって思ったね。


何か説明してる中で「マキャベリは・・・」みたいな感じで始めるのは出来るけど、いきなり「マキャベリは・・・」っつーのは無理だねっていう。それがなぜなのかさっぱり分からなくて、だからまぁ自分の理解ってことについて疑問に思っちゃったんだけどさ、その辺ってどうなのかな?まぁ政治哲学とか哲学なんて何?って聞かれて答えるようなもんじゃないにしてもさ、でもなんか俺って何を理解してるっつーか何を基準に理解してるって思ってるのかな?ってすげー疑問になったね。何百冊本を読んでても実際は何も理解してないんじゃないか?とかさ、そんなことはないんだけど、んでもなんかすげー不安な気持ちになったね。自分の色々な分野の理解の深さというものに凄く疑問を持ってしまったね。まぁでもこれはずーっと何気に考えてないといけないことだよねっつーのがまぁソクラテスの言う無知の知だよね。俺は結局、何にも知らないってことを知ってないとダメなわけだ。例えばマキャベリ系の本は色々読んだからもう色々と知ってるなんて思うのは大間違いなわけで。


あとまた全然違う話でさ、先生とのプロジェクトなんだけどさっぱり連絡が無いんだよね。前にここのオススメで貼ったPh.D.の本にさ、とにかく先生を待たなきゃいけないってのがあってさ、スケジュールがどうだとか色々な理由をつけられて論文が出来上がってるのに見せにいけないとかね、先生が会ってくれないとかさ、そんなのって普通にあるみたいで。まぁ先生っつって別に論文監督してるだけじゃないからさ、色々と忙しいにしてもまぁその本の著者曰くまぁ監督っつーのも一つの仕事なんだから生徒を置き去りになんてするべきじゃないって書いてあったけどまぁその通りだと思うね。なんかさ、今の先生はさ、「今週は忙しいから来週ぐらいなら大丈夫そうだ」っつーメールが来てさ、んでその来週になってから「今週はいつ会えますか?」ってメールを出したら木曜まで返事が無くて、んで木曜に「来週の月曜か木曜はどうかな?どの日がいいか決めてくれ」ってメールが来てさ、んで俺は「月曜は12時から2時までは時間があって木曜はいつでもいいです。そちらの都合の良い日を教えてください」ってメール出して、んでそこからもう一週間以上連絡無いんだよね。


忙しいのは分かるし忘れてるんだろうけど、でもなんかさ、これって普通のメールのやり取りじゃないじゃん?いつ会うか?って話をしててさ、んでもう近々会う事になりそうだっていうときなのに音沙汰が無いって結構終わってるよね。いや、俺が勝手に判断し過ぎなのかな?まぁそんぐらい忙殺されてるのかもしれないけどさ、でもそれが長文のメールのやりとりならともかくとしてさ、「今週も忙しそうで無理だから、また日を改めて連絡するよ」ぐらいの一行ぐらいで済むようなことって書けないのかね?って思っちゃうね。


メールってだから嫌いなんだよね。だったら電話すればいいじゃんって話になるんだけど、メールって何で返事が来ないか?とかって理由が分からないんだよね。それがすげーストレスになるね。相手が忙しくていつも一週間おきぐらいにしか返事が書けないっていう前提がある人なら全然それでいいし理解できるんだけどさ、月曜か木曜はどうかな?って聞いてきててそれに返事を出してからそっから連絡が無いって何なんだろうな?って思っちゃうんだよね。「メール見ましたか?」って催促のメールを出してもいいんだけどさ、ただなんかさ、今後、まぁプロジェクトっつっても俺が何かを書いたのを見てもらうっていうだけにしても、連絡のやり取りがルーズな人とは出来ないよね。まぁ普通の学生ならチャンスだ!とばかりに食いつくんだろうけど、俺ってそこは変な自信があってさ、それこそレーベル感覚だよね。自分が本当に良いものを書けてればさ、まぁ先生なり誰かっつーのを媒介にして発表できるんだけど、別にそれって俺の書いた内容に依存してるわけであって先生との関係性とかじゃないじゃん?別に変な話凄いの書いちゃえばさ、音楽と一緒でまぁどこからでも出せるわけじゃん?ってまぁどこからでもってのは言い過ぎにしてもさ、まぁあんま先生って関係無いよね。


そういう意味で別に先生はそこまで俺の監督をやる気が無いなら別に俺はいいですよって感じなんだよね。俺は俺で勝手にやりますからって感じ?ただまぁ必要なのはさ、デモテープ作りだよね。いつでもまぁ初歩的なものでも研究論文みたいなのをいくつか勝手に書くっていう必要はあるっつーかさ、まぁそれで発表する機会があればいくらでも書き溜めてたのから出せるじゃん?まぁ本当に音楽作りと一緒だよね。だから別に先生とのプロジェクトがお流れになったからっつって論文を書くってことをやめる必要は無くてさ、なんか書く事があれば論文っぽいのを自己流に書いててもいいんだよね。機会があったらいくらでも発表できるだけの何かを持ってればいいわけで。そういう意味で別にまぁどうでもいいんだよね。全ては俺にかかってるでしょ?だから先生から連絡が無いなんてことは全然問題じゃなくて、問題は俺が今後も論文を書き続けられるのか?ってところだよね。処女作はまぁ論文とは言えないもんだけど、まぁ一応あるとして、まぁ他のマックス博士のやつを書いていく必要があるんだけど、まぁそんなコンスタントにウォール伝みたいに書いていけるのかな?ってのはあるよね。それがまぁ俺の問題ってことね。仮に書いていくことが出来たら全然オッケーだね。いくらでも世に出せるテープの山が出来てればいいわけで。


まぁ今の先生からはまたいきなりメールが来るかもしれないし来ないかもしれないけどまぁ全然期待しないで半ば放置みたいな感じでいるのが一番いいね。そんなに期待してませんよってぐらいのレベルで。人に依存すると辛いよね。俺が仮にこの先生に依存しまくってたら今はすげー辛いと思うけど、辛くないのはそうじゃないからだね。まぁ「なんで一行のメールすらも出せないかなー?」とは思っちゃうけどね。まぁこの先生がどういう理由でメールを出してこないのかは分からないけどさ、ただまぁさっきも書いた博士号の本とか読んでてもさ、さっぱり会ってくれないとかさ、行き過ぎな批判しかしてこないとかさ、いや、アドバイザーからね、なんかこういうの読むと本当にやる気失せるよね。結局は会社の上司と部下みたいな関係のことを学問でもやらなきゃいけないのかよって。ああいうの読んじゃうと本当に大学ってバカバカしいなって思っちゃうよね。


学問っつーピュアなものをやるのにある意味で一番適してないのが現代的な大学かもね。それは場所を問わずに。先生とのコネとか人間関係とかが重要とかってバカみたいな話だよね。それで大学院に入りやすくなるとかさ、アホみたいな世界だなって。正直、行かなくても済むような方法があったら学校行きたくないんだよね。数学やるのはいいんだけど、そういうくだらない人間付き合いみたいなのは絶対やりたくない。だからそういう意味でも大学以外のオルタナティヴってのも考えていっても悪くはないよね。むしろ大学に依存し過ぎてるとすげーストレス溜まりそうだからねっつーのが今回の先生との一連のやり取りで見える気がしたね。


「先生お願いします!」って言うのって自分の実力が無いからだよね。その先生に見てもらって推薦とか書いてもらわないとどうにもならないペーパーとか生徒って基本的にクソじゃん?そんなのしか書けないんだったら最初からやる意味が無い。俺は普通の研究者みたいなベクトルでやるつもりは一切無いから、だからまぁ自分次第だよね。自分で勉強して何か提出できそうなものが出来たら出せばいいし、出なかったら出ないでまぁしょうがないなと。必要に迫られてやるようになるっていうまぁ強制力としての大学っつーのもあるけどさ、ただまぁ数学に関して言えば始めたばっかだからさっぱり分からないよね。俺に何が書けるのかさっぱり分からない。まぁとりあえずいつでも論文が書けるぐらいの英語力は身につけておかないといけないから、そういう意味でもデモ論文を書くっていうプロセスは大事なんだよね。それでまぁ論文を書くっていうことに慣れるっていうかなんていうかさ、それは前に散々色々と本を買ってきたからリファレンスはあるわけで、あとはまぁ自分次第だもんね。


まぁ書くのはそこまで酷くないんだけど喋ると最近酷いなっつーのは俺の英語が悪いっつーよりかは喋ってないからダメなのね。だから日本語ですら出ない時があるよね。喋らないとまぁ英語って上達しないけど、今は喋る機会がさっぱり無くなったからまた英語力が落ちてる気がするな。サイモンに騙され続けてたときは凄かったな。すげー喋ったよな。あんなに俺喋れるんだ!ってぐらい喋れたもんなぁー。サイモンはともかくとしてやっぱ俺って話し相手が必要なのかな。こっちでの友人が必要だなとは思うよね。だって全然英語喋る機会無いんだもん。これは本当に困ったな。たまに口を開くとブロークン英語しか出てこないっていう結構まぁスピーキングで言えば悪循環だよね。


あーもう寝るかな。大学院入るって時になったぐらいの時に俺はなんかしらの体系的な何かってのを完全に身につけてないといけないよね。逆にそれがあれば淫乱に肉棒だけどさ、まぁ意外と時間無いよね。なんかさ、前からそうなんだけどさ、佐藤優が獄中にいた時にさ、出獄したら博士論文を提出しようって思ってた時期があったんだけど、ずーっと牢獄で学問ばっかやるのが続いて、そういうのがどうでもよくなったってところがあったじゃん?あれすげー分かるんだよね。学問ってやる事自体がある意味で目的でさ、論文書いて認められて学位をもらうってことが学問じゃないからね。あれはまぁただのプロセスなだけで本質的な学問というわけではないよね。


佐藤優の知り合いだったかの科学者だったか忘れたけど学者の話が出てくるよね。色々とやってるうちに論文とかどうでもよくなっちゃって自分の好きなことばっか勉強してるような高等遊民になった教授だか学者の話が出てくるけど、俺が学術的にそういうレベルかはともかくとして、メンタリティとしては同じだよね。本当に論文とかどうでもいいんだよね。でもまぁデモ論文は作っておくに超した事ないからさ、何があるか分からないからさ、だからまぁ書けるものならまぁ別にそこまでフォーマルなものを書かなくてもそれこそマックス博士の論文なんだからさ、面白おかしく論文っぽいのを書くっつー習慣はつけたほうがいいね。何か書けそうなトピックがあったらそれをマックス博士の論文として書いていくっていうね。


仮に俺が金に困ってなかったらやっぱ大学行かないだろうなって思うよね。まぁ数学をやる場所という意味ではまぁいいんだけど、大学院とかでさ、仮に入れたとしてもアシスタントだのなんだのっていう無駄なのがいっぱい入るじゃん?ああいうのが本当にイヤだね。研究だけしていきたいのに無理なんだよね。研究だけする人ってなんでいちゃいけないのかな?やっぱ俺ってなんとしてでも高等遊民に自立しながらならなきゃダメだね。最近アカデミアへのコミットがちょっと薄らいできたな。本当に大学をただ数学をやる場としてしか考えてないね。あとはまぁ可愛い子と会う場っていうか。それ以上でもそれ以下でもない。だから面倒なことは一切やりたくないんだよね。


先生とのプロジェクトだー!っつって燃えててさ、んで連絡がさっぱり無くて肩すかし食らって「まぁいっか」ってなったっていう気分的なものはあるにしてもさ、なんかでもさ、歴史的でもなんでもない論文発表するとかってかなりどうでもいい話だよね。そう思うとやっぱ歴史的っつーのは言い過ぎにしても数学界にコントリビュートできるぐらいの何かを書けないとダメだな。普通の研究者みたいな感じでやっていくつもりがないならハードルは高いけどそういうベクトルでやっていくしかないね。チマチマとその辺の学生が書いてそうな論文とか書いても本当に意味ないからね。自分で読んで「すげー!」って思えるようなものが書けなきゃアウトだな。それは俺の音楽とかミックスと一緒だよね。俺が客観的なリスナーとしてそれを聞いて良い!って思えないとそのミックスはクソだっていう。まぁ俺のミックスにも当たり外れは多少あるけどさ、でも大半は良いやつばっかりだからまぁこうやってアップしてるわけだけど、それは俺が書く論文にしても同じだよね。普通の学生のレポートレベルのさ、それこそ田母神論文みたいなレベルの論文書いてもしょうがないわけだからね。


ってことでもう寝るわ。結局まぁ読書しかないね。あとは学校の数学演習。で、とにかく俺の中の哲学とお見合いをさせながら数学を愛するしかない。



これ最近読んでるナーガルジュナのやつなんだけどかなりオススメ。



しつこいようだけど本文に出てきたんで貼るけど、これが何が凄いか?って所謂、愛知という意味でのフィロソフィア的態度が環境的なものによって特にエンハンスされたっていう記録の良い例なんだよね。俺は常にこの監獄にいたときの佐藤優みたいな感じでずーっといたいわけ。これって愛知者という意味での哲学者の理想的な姿だよね。そういうのが記録として残ってるのが凄い。