ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

月ノヒカリさんとのやりとりプラス長い雑談。

mimisemi2010-03-23

月ノヒカリさんから良い書き込みをもらったので1エントリーにしますですっていうか学校行く前に返事書いてさ、んで遅刻したんだけど、なんつーかエントリーとして貼っておきたいなって思ったんでね、貼っておくわっていうか追加で何か書くかもしれない。


ってことでこのエントリー


http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20100321


に対するいただいた書き込みね。

月ノヒカリ 2010/03/22 21:26
こういうスピリチュアル系の話(と言っていいのでしょうか)、個人的にすごく心惹かれる話題です。


私は、「禅的生活」も苫米地さんも読んでないんですけど、前者が「足るを知る」系、後者が「願望実現」系、という分類でいいのでしょうか?私は、どちらの考え方にもそれぞれ共感する部分があるし、納得いかない部分もあるんですが……。


前者が奴隷思想につながる、というのは確かにその通りだと思います。「足るを知る」で奴隷状態に留まれ、というのは最悪ですよね。


ただ、願望実現系でも、それが本当に自分の心からの願望ならいいんですけど、誰かに植え付けられたニセの願望を信じ込んでしまったら、それも奴隷化につながる気がします。マルチや高額セミナーにハマる人って、「自己啓発」の奴隷になってる気がするんですけど。


自分の本当の願望を見極めるのって、難しいですよ・・・。って悩み相談みたいになってしまいました(笑)スミマセン。


あと、私はそんなに本読んでないので、コピペとか全く思わないです。コピペとか気にせず、突っ走ってください。ウォール伝、すごく面白いです。


mimisemi 2010/03/23 02:05


僕の場合、自己啓発系のメソッドにしても結局、色々なものから学んでいるというのは当然にしても結局は我流なところがあって、そういうところがスピリチュアル系に繋がったりするんだと思います。所謂、ドライでビジネス的な自己啓発メソッドというよりかは、僕の世界観や人生観などが介在しているので、それが時にはかなりスピリチュアルで精神世界的な場合もあるってことですね。まぁ世間で流行っているスピリチュアルとは違うものだとは思いますけど。


「足るを知る」は「風流さ」とワンセットじゃないと成立しない気がしますね。例えば月ノヒカリさんがご存知かは分かりませんが、ネット収入で自称ニート生活を続けているphaさんというニートの人がいますが、まぁ実際はニートでもなんでもなく賢い立ち回りをしている人なんですが、この人の質素ながらもストレスフリーの生活とか、まったりしている生活みたいなのが禅的生活と言えるかはともかくとして、まぁでも本質的に禅的生活に近いものだと思います。僕が前にニートを肯定したのもまぁこういう理由ですね。人がやりたくてまったりしたグータラ生活を続けたいなら、それがその人のwant toである限りは誰も口を挟む余地はないということですね。これが幸せだと言う人がいるなら、その人の幸せは誰にも犯すことが出来ないということです。やりたくてやってるグータラ生活ってのはまぁある意味で贅沢ですよね。マテリアリスティックな贅沢さではなく精神的な贅沢さっていうんですかね。これって足るを知るに近いものがあると思います。


禅とかを真剣に研究してる人とか禅のお坊さんとかはニートみたいなのを肯定したりしないでしょうけど、まぁ僕の印象だとかなり近いってことですね。なのでそれが奴隷思想として機能してしまうと最悪なんですが、まったり思想として機能すれば最高だということです。まったりがwant toの人にとっては最高のマインドセットかと思います。


一方で願望実現系に関しては月ノヒカリさんがおっしゃるように実際のwant toを見極めるのは難しいですよね。これは苫米地本にも書いてあったことですが、「やりたいこと」というのが他者から与えられたイメージだったり、メディアの産物だったりもするわけで、結局、こういった虚偽意識的な精神の中でwant toを求めても結局は奴隷になるというのは本当にあると思うんですね。創価学会とかってこういう感じがしますよね。池田大作とかってカルト的な自己啓発系の教祖様という感じがしなくもないです。学会員達は必死で色々とやってるんですけど、客観的に見るとカルトにしか見えないっていう。


自分の願望を見極めるのって確かに難しいんですが、だからこそまぁ僕は大人になるのは30歳からでいいって思ってるんですよね。まぁ社会的に受け入れられないでしょうが、はっきりいって月ノヒカリさんもそうだと思いますが、10代後半とか20代前半ぐらいの若造が自分の本当の願望を見極めるなんて無理なことだと思うんですね。まぁ成人は30になってからっていうのは言い過ぎにしても、んでも真剣に25ぐらいでいいと思っています。


例えばアメリカでよくありますが、高校出た後にフリーターやったりバックパッカーやって色々と模索しつつやりたいことを決めて大学に入るとか、大学を出た後にそれをやってもいいわけですね。まぁようは内観ですよね。ずーっとやらなきゃいけないことばっかやってたら自分と向き合う時間なんてないわけで、自分の願望を見極めるということは、ようは自分と向き合うということですよね。自分と対話して自分を見つめないとそれは自分でも分からないことなんですよね。だからこそ内観というのは必要なことなんです。こういうのって暇人の特権のように思われがちですが、実は教育と同じぐらい必要なことで、教育とワンセットじゃないとダメだと言えるぐらい重要なことなんですよね。


で、自分の願望なんですけど、「自分にできるかどうか分からない」とか「自信が無い」みたいな無駄な先入観を無くせば人間ってのは一つや二つぐらいやってみたいことってあるはずなんですね。まぁ色々なものを知ったりすればそれは自ずと見つかるものだと思うんです。まぁそれでも見つからない人もいますけどね。まぁそこで結局まぁゲームしかやりたいことがなかったらまぁ別にニートでもいいじゃん!ってことなんですけどね。自己願望実現!っていってバリバリ系の仕事人間になる必要は無いわけですし。ゲームとかアニメとかだってまぁやりたいことに入ると思うんですね。社会的な結実があるかはともかくとして、まぁwant toとしては十分だと思うんです。まぁやるっていうかまぁ見たりプレイするだけですけどね。


そこで何か仕事に繋がるものをwant toに出来ればベストですが、そうじゃない人もwant toがあればある程度は幸せにやっていけると思うんですけどね。自分で書いてて思ったんですが、これって何気に中庸ですよね。禅的生活と自己願望実現系の中間というかなんというか・・・。自分でもバランスがいいなぁーって思っちゃいました。


あとwant toなんですけど、まぁこれって教育の段階で生徒が見いだせないといけないんですよね。have toとかshouldばかりで動くことを強制させられるし、want toはいけないことだ!みたいな変な禁欲主義を植え付けられたりすると思うんですが、教育に必要なのは生徒のwant toを見いださせることとその願望を伸ばすことですよね。まぁある意味でソクラテス的産婆術と言ってもいいかもしれません。have toとshouldを美徳とするってのがまぁ最悪の奴隷思想なわけですよね。これに抗うには個々が徹底的にwant to玉砕で生きた方が良いってことです。これが僕の提案する一億総want to玉砕です。


ルパンとかってそうですよね?お宝を得るのが目的というよりかはそのドキドキハラハラのプロセスを楽しんでるっていう。賢者の石みたいな概念も一緒だと思いますね。永遠と得られないかもしれないけど、それを求めるというプロセスが極限に向かう小数点みたいなもので、そこに強度を見いだせれば、それが結果的に幸せに繋がるということですね。ただまぁそれをやるにはリスクは背負わないといけないということですね。でもそんなものは日本お得意のロジックの「自己責任」があるわけですし、自己責任を推奨するならむしろみんな自己責任でwant to玉砕したほうがいいってことですね。その自己責任にはニート生活も含まれるわけです。何も肉食系の実業家になるということが自己実現を意味するわけではないですからね。その自己実現の多様性ですよね。それで成り立つ社会というのがあればそれは最高です。国民のメンタリティは凄く健全で自殺率とか凄く低くなると思いますね。


とにかくまぁこんな感じで凄まじく長くなってると思うのでやめますが、書き込みありがとうございました。お褒めの言葉があると本当に励みになります!それこそ無駄なことを気にしないでとにかく書きたいことだけ書いていこうっていうような確信が得られます。今後ともよろしくお願いします。


ってことなんだけどルパンと賢者の石については書こうと思ってたことでさ、んで返信の時にパッと出たんでなんか貼っておきたいなと思って。いや、でもさ、月ノヒカリさんのさ、「本当の願望」っていう問いはちょっと深過ぎて正直分からなくなったね。かなり形而上学的で一筋縄でいかないっていうかなんていうか・・・・。自己啓発セミナーっつってもアジられたらカルトと変わらないからね。俺が今やりたいことって思ってることも実際はまぁこっちに来てからさ、色んなことがあってのものなんであってさ、ある種のまぁ方法論的な帰結もあるじゃない?大学院とか行く場合に理数系のほうが面倒見がいいっつーのがあるしさ、まぁやっぱ大きいのは哲学とか政治学はもう自分でやってるからいいやってことでまぁどうせやるなら知らないことを始めたいっていうことでまぁ専攻を決めるっていうチャレンジっつーのもあるにしてもさ、こういう既存の大学っつーシステムっていうものとの兼ね合いの中で俺が見いだしてるってことでそれってかなり状況的だよね。俺が禅寺みたいなところで瞑想してて「数学やりたい!」って思ったわけじゃないわけで。


いや、俺の気持ちはピュアだしさ、いや、心がピュアって意味じゃなくて「やりたい!」っていう気持ちはピュアだけど、本当の願望なのか?って問われると正直微妙だよね。だってはっきり言っていまだに分からないからね。本当に何がやりたいのか。っていうかジャンルとして決まってないよね。ようは行動として知識欲を満たすということしかやってないっつーかそれがやりたいことなんであってさ、数学なんていう細分化されたものではないんだよね。まぁそれも一つであるっていうだけで。最近、ハイゼンベルグの本を読んでるんだけどかなり影響されててさ、物理もやれそうだったら真剣にやるかもしれないとかって思ってるんだけど、かといってこれで数学をやめるとか哲学やめるってことじゃなくてさ、増えるだけじゃん?で、まぁ学校の専攻としてっつーかまぁ副科は政治学って決めてたけど物理学にしようかな?とかってことになるわけだけど、これもまぁ状況的だよね。大学っつーものとの兼ね合いの中で出てきているところはあるよね。まぁそれとは別に純粋に物理学への興味も出てきてるんだけどさ、んでも俺のwant toはリアリスティックなベースで考えてるから、だからまぁ自ずと社会性っつーか社会的な帰結が得られそうなものってのをアプリオリに選んでるっていうのはあるよね。まぁようは「ゲームをやること」ってことには絶対ならないわけで。


でも本当にやりたいことがゲームをやることだったらさ、まぁそれがwant toならそれでいいんだけどさ、んでも俺のwant toは自分で操縦してるところもあるよね。学問って極めれば食えなくもないからやる価値があるっていうさ、そういう風に自己洗脳していったのがここ二年間ぐらいでさ、んで今は完全に洗脳されてるわけだよね。何よりも学問が面白くてさ、ゲームがつまらなく感じるようになったのも単純に学問が面白いからかもしれないね。鬼武者とか123一瞬で終えたけどまぁ面白かったけど当然学問にはかなわないよね。まぁ比べるもんじゃないんだけどさ。


やりたいことっつーか願望ってなんだろうな?マジで。まぁ俺の場合、色々混ぜてるよね。学問ってのがトップにあって、んでステータス的に金に困らなくて奥さんが最高に美人でこっちで暮らしてて・・・みたいなさ、これはまぁ書けるレベルのビジョンでもっと大きなビジョンはとても書けるもんじゃないんだけど、自分で言えばwant toを上手いこと現在の自分に当てはめてそれでワークするwant toパラダイムを作り上げてるってのはあるよね。だからプリミティブな「やりたい!」っつー衝動よりかはかなり打算的なところもあるっていう。あとは正直これって結構怖い事でもあるんだけど、これ以外のやることないんだよね。もう本当に俺は趣味が無いなって最近思うわけ。趣味っぽくやってるのってミックス作りぐらいでさ、ウォール伝書くなんて生活の一部だし読書然りでしょ?だから毎日こればっかだよね。だから特に「楽しい!」ってこともないっつーか当たり前のことが毎日続いてるっていうかある意味でレジャーが無いなって。まぁこれでいいんだけどね。これが俺の求めてたファウスト博士生活モデルだからいいんだけどね。


ってことはまぁ俺の場合これでいいってことになるよね。んで当然夢は馬鹿でかくっていう。そういう意味で足るを知るなんて糞食らえなわけで。でも改めてさ、月ノヒカリさんから書き込みをもらって考えたんだけど、まぁデカイ夢はあれどある意味で俺もかなり足るを知ってるところはあるんだよねっつーのは今の生活が十分充実してるからこれが続ければいいっていうようなさ、まぁ最低限の収入を毎日働いたりしないでいかに稼ぐか?ってことなんだけどさ、まぁ求めるものはお金なんであってさ、生活自体はこれでオッケーなのよね。いや、もっと高めていってもいいんだけど、かなりこれで満足してるっつーか楽しいからね。ようはこれをタイムリミット無しでお金の不安とかしなくていい感じで勝手に続けられれば最高だなって思うんだよね。俺は勤務したり仕事したりするのが本当に嫌だからね。アカデミックな職につくとかいってさ、仮に先生とかになってもちゃんとしたところで教えれればいいけど、そんなに頭が良くない人達に教えるとかすげー大変じゃん?宿題を見なきゃいけないとかテスト作らなきゃいけないとか面倒臭過ぎてやりたくないんだよね。そもそも本質的に教えれることなんて全部ウォール伝に書くからそれを読んでくれってことなわけで。


でもこれって良いモデルでさ、勤務無しで生活に困らないぐらいの収入ってかなり敷居高いんだよね。まず普通にしてたら無理なわけでんじゃあ普通じゃダメだってことになるわけで。俺は頭の中で色々と作り上げてるから俺がやっていく道とかマインドセットってのがどう転んでも最善になるように出来てるんだよね。だから自分の方法論に頼れるっていう。あとはまぁ正直最上級のレベルの人達って垣間みたことが無いから井の中の蛙ではいられないんだけどね。当然。間接的には見てるけど実際の場ってどうなんだろうな?っていうのは凄く気になるよね。


何を書こうとしたんだっけ?俺。あ、自分の願望か。んー・・・・これもまぁ知識みたいなもんでさ、どこからが俺のもんで、どこからが所与のものから与えられた観念っつーか概念なのか分からないよね。この区分けは凄く難しいね。でもさ、俺なんかまぁ音楽だったわけだけどさ、前に考えてた願望ね。ただ今では変わったっつーか学問が面白くなり過ぎててさ、学問だろうってことは完全に決まってこれは天職だろうって思ってるけどさ、勝手にね、でもなんでこうなったか?ってのを考えるとまぁさっき書いた自己洗脳なんだよね。まぁ好きではあったけど、これ自体が社会性があって極めれば食えないこともないってこともあって、やる価値があるっていうか「これしかないぞ!」って自分に言い聞かせてたところもあってさ、んでそれは完全に脳に書き込まれてるってのが現在のところだと思うからさ、繰り返しになっちゃってるけど、まぁ本当の願望だったのか?っつーのは分からないよね。今はまぁ完全にそうだけど、でもなんつーかここまで生活化しちゃうと「やるもの」っていうさ、動詞にならなくなるんだよね。beingそのものになるっていうかさ、俺が俺であるということの同意義になるんだよね。だからあえてやりたいことです!とかさ、これが俺の願望です!っていうことでもないんだよね。当たり前にあり過ぎてコミットしてるっていう感覚も自然になり過ぎてなくなってるからさ、だからまぁ趣味に生きてるようなもんだよね。


とりあえずまぁ気になった事を調べたり本を読むのが楽しくてそれを続けてるだけだからね。マジで。勉強っぽい勉強なんてさっぱりやってないからね。まぁ最近だと数学は勉強っつーか楽しいから宿題やるけどね。でも勉強と言えるのは本当にそれだけだな。あとは全部趣味だもんね。結局まぁ趣味と実益ってことになるよね。本当に。


ダメだ。頭の中でまとまってないからやめるわ。自己啓発の奴隷っていうのはまぁ本当に示唆的なツッコミだけど、まぁ俺みたいにさ、恐らくこれでしかやってけないだろうってことが見極められたらそこに自己啓発的なメソッドを利用して「俺は絶対できる!」って勝手に思い込んでガンガン突き進むっていうまぁ自己啓発的なメソッドはやりたい事ありきだよね。それを促すツールっていうかさ、それこそドリームキラーみたいなのは「学者になるとかいってできると思ってるの?キミが?」とかって言うじゃん?「お前じゃ無理だよ」とかいって。まぁ俺も正直学者らしい学者になれるとは思ってないけどさ、いや、あまりにフリースタイル過ぎて堅苦しい学者には絶対なれないと思うけど、でもまぁ別に学者らしい学者にならなくても学問でなんとかやってけねぇーかな?ってことをまぁ考えてるわけでさ、そこで「無理だよ」っていうドリームキラー的な声に抗うためにまぁ自己啓発メソッドを使うんだよね。まぁ前に進む為のメソッドだよね。だいぶ前に見たカリスマホストの密着取材みたいなのがあったけど、そのカリスマホストってさ、勤務前に風呂に入って自分で唱えてるんだよね。「俺はナンバーワンだ!ナンバーワンだ!」って。ナンバーワンですげー稼いでるのとかなりギャップがあるんが面白かったけど、まぁこれも自己啓発だよねっていうか多分すげーやつらってみんなそういうのやってるんじゃないかな?あとはまぁ元々能力が優れ過ぎていてそんなことしなくても当たり前のように「俺はやれる」って思ってるとかね。


なんか長く書いてるけどさ、まぁ自己啓発メソッドはやりたいことありきじゃないとまぁ奴隷になるよね。ヒルズ族になる!とかってまぁおかしな話でさ、本当になりたきゃーいいけどさ、その前に何をやりたいか?じゃん?そのwant toに自己啓発メソッドを走らせる感じなわけでさ、何も無いところで「あなたは出来る!」じゃまぁカルトになるってことだね。何が出来るわけ?って話なわけで。でもそれで言えばさ、俺って何かもうさ、何かを得たみたいなつもりでバリバリやってるように見えるかもしれないけどさ、あ、そんなことは無いかな?まぁでもね、学校の成績で言えば最悪だからね。中の下ぐらいなわけでさ、まぁ普通だったら絶望しなきゃいけないような成績なんだけどさ、んでもまぁ俺はそういうところで勝負するつもりはないっつーのは散々書いてるけどさ、まぁミニマムリクワイアメントを満たせばいいやっていうのがまぁ学校でやる勉強で、自分でやる勉強はそんなくだらないことはやらないっていうことなんだけどさ、中国語の授業で一緒になってるね、政治家になる!って言ってるインド人がいるんだけどさ、まぁもうこっちの市民権持ってるっつーか家族で移住してきたやつなんだけどね、こいつとかさ、モロになんつーかエリートコースをGPAを高めることで進もうとしてるんだよね。まぁこれについてはまぁ文句は言わないけどさ、んでも実力とGPAって関係無いじゃん?


それこそCを取るぐらいだったらこの教科を落とすみたいなさ、ゲームで言えばbest resultが出たときだけセーブして良い記録だけを残すみたいなことをしてるわけだけど、こんな狡いことしててもダメだよね。俺の勝手な予想だと高いレベルとかって学校の成績とかなんてどうでもいいっつー世界なんじゃないか?って勝手に思ってるんだよね。そいつがどういう知識を持っててどういうことが出来るのか?ってのが試されるわけで、それって所謂、普通の学校の勉強やっててもダメじゃん?普通の学校の勉強を良い成績を取る為に頑張るってすげー時間費やさなきゃいけないわけでさ、その時間を無駄に過ごすことになるじゃん?ようは自分の本質的な知識を磨く事とかってのが出来てないわけで、だからまぁ学校のことばっかやってるとアホになるってことなんだけどさ、まぁ俺はそういうのを分かっててやってるからいいんだけどね、でもまぁ逆を言えば能力が無くてもGPAが高いって印籠みたいなもんでさ、それだけで効果あるじゃん?だから何も無いやつがGPAを高めてそれを実力だって見せてまぁそういう記録に頼ろうとするんだと思うんだけどさ、まぁ俺はもうこの選択は無いわけじゃん?まぁやろうと思わないしね。実際やろうと思ったらそりゃー大変だよね。言われた事全部ちゃんとやんなきゃいけないなんてすげー時間かかるわけよ。簡単なのでも時間かかるもんね。


そんなの明らかに無駄だから落ちない程度に適当に調整してパスするってことだけでいいってのはいつも書いてるけどさ、まぁ数学は学校でやることと目的が直結してるから無駄が無いって意味で学校でやるのには良い教科だってのはいつも書いてるけど、んでもなんか俺が言う実力ってなんなの?ってのはあるよね。物知りであるってことと何かの分野に特化してるってことは関係無いからね。だからこそまぁ俺は自分がやってることなら全部特化させようと思ってるわけだけど、なんかさ、例の連絡をくれなくなった数学の先生とかもさ、連絡をくれないってことで悪口を言うんじゃなくてさ、連絡がこなくなったってことでまぁ思った事はなんでも書けるってことで書くとさ、ふつーに博士号取った感じってマジで薄っぺらいんだよね。大学院はNYUで博士号はCUNYで取ったらしいけど、なんか本当にただのシュトレーバーだなっていう。やることやってパスしましたって感じなんだよね。そういう意味だと全然興味ないんだよな。学位を取るってことについて。博士号取ったって先生色々と見てきたけど、まぁそんなに多くはないけどさ、本当にまぁ大学を卒業する為のお勉強をしてきましたねーっていう感じの人達ばっかなんだよねっていうかまぁ大抵そうだと思うけどさ、そう思うと博士号って何なの?って気がしてくるよね。ただのプロセスなの?っていう。プログラムに入って頑張れば取れる自動車免許みたいなもんなんじゃないかな?とかって思うんだよね。なんか全然魅力を感じないんだよね。


まぁ研究だけやれる研究所とかがあったとしてさ、そんなところに就職できたら最高だからさ、そういうののためにまぁ資格として持つってのが重要だから俺はやるけど、あくまで本当に免許取るようなもんだよね。いや、これって夢なのね。教師とかやらなくていいさ、100パーセント研究しかしないみたいな研究所で研究するってのが夢ね。まぁこれは達成できる夢だけどね。俺が自分を高めてる夢はもっとでかくてまぁそれは概念装置だから言いたくないんだけどさ、ようは今俺が家でやってるようなことをさ、どっかの場所で金もらいながらやるって感じだよね。これが出来れば最高なんだよね。別にこれは可能だよね。全然。だからまぁ博士号なんて当たり前に取っておかなきゃいけないんだけどね。でもこれがやりたいことか?っていうと微妙だよね。生活をしていく上で一番マシっつーか理想的だから選ぶっていうさ、不可能ではないから選択してるわけだけど、んでも正直、色々とやることが多くて面倒くさそうな博士号コースなんてやりたくないわけ。俺は自由に学問をやっていたいからさ、なんかが仕事みたいな感じでずーっとあるってのはすげー嫌だよねってまぁこういうこと言ってたら成り立たなくなるからアレなんだけどさ、まぁでも学問で生計を立てていくのに必要なことだったらやるしかないよね。でもこれがwant toなのか?って言われたら微妙だね。まぁwant toのための道だよね。今みたいな学問道楽生活を続けるための印籠を手に入れるためのプロセスって感じか。だからまぁ要約するとアレだな、want toを軸にやらなきゃいけないこともあったりするからそれはやるしかないってことだよね。


金持ちのブロンドのヒモみたいになってさ、「やることだけやってていいのよん」とか言われたらまぁ本買いまくってずーっと読んでるだろうね。これがやりたいことだもんね。研究所とか博士号とかって生計のための手段でしかないわけでwant toではないよね。まぁ一番want toに近いことっていうことなだけだね。そう思うともっと俺はビジョンを変えていく必要があるのかな?もっともっとデカイプランを立てていいかもしれないな。研究所とか博士号とかって視野が狭過ぎる気がしてきたな。まぁいいや。もう眠いから寝るね。



これすげー面白い!これが本文で言及してた本ね。っつーかやっぱ物理学者とかもさ、レベルが高い人って教養あるよねっていう。カントとかプラトンとかウィトゲンシュタインとかさ、どんどんそういう名前が出てくるからね。物理学者ってもっと科学科学しい感じなのかと思ったら全然マインドがフィロソファーじゃん!っていうこの驚きと感動ね。やはり数学と物理学と哲学の親和性って半端じゃないな。むしろ俺がこういうフィールドに挑戦するにあたって哲学的教養みたいなのがすげー役に立つわけだもんね。むしろ哲学と繋がってるんじゃん!っていう。そう思うとまぁ例の数学の先生もそうだけど、哲学知らない数学の人ってクソつまらねぇーよな。マジで。何の魅力も感じない。哲学の話しても適当に誤摩化されるだけだし。哲学よりも数学をやろう!って言われたんだけど、それって哲学の事知らないから自分がなんとも言えないからじゃんね?俺は哲学的なタームで数学をやろうとしてたのにさ、それが数学らしくないってことでスルーされるとかマジでありえねぇーよな。なんか俺は数学っつーよりかは数学業界っつーのに凄い不信感を感じてるんだよね。純粋数学者とかの幼稚な感じって結構聞く話だけどさ、こんな連中がいる世界でやっていきたくないもんな。物理学とかやってるやつのほうがもっと哲学的マインドを持ってるやつが多いってことだったら人間関係っつーか業界って意味で物理学の方がいいかもなーとかって真剣に思い始めてるね。いや、例の数学の先生だけを見て一般化してるわけじゃないんだけどね、でもまぁ哲学について無知だったり数学しか知らないやつが多かったりって色んなところで数学者についての文章みたいなので散見されるんだよね。まぁ業界とかは抜きにして数学自体は面白いから極めるけどね。極めるってことに関しては哲学も政治学も今まで通りね。時間はそりゃーかかるだろうけど。



PS


ちょっと辛辣に書き過ぎたから補足をしておくとね、まぁ結局は辛辣になるっつーかもっと辛辣になると思うけど、まぁ数学者が哲学について知らなくてもいいのよ。だってそれは専門の違いってことでいいんだけどさ、ただね、俺が言いたいのはさ、抽象度が低いようなさ、ただの計算の結果みたいなのをやってる数学者って何なの?ってことだよね。いや、応用数学はいいんだよ。たださ、哲学的なマインドのつもりでやってる純粋数学とかいって抽象度がゼロなんじゃ終わりじゃないの?っていう気がするのね。そういう人はつまらん!ってことね。ああいうのって何が良くて数学やってるのかさっぱり分からないね。だから結局俺がいつも言うようにたまたま数学が得意だったからそのまま惰性で博士号取っちゃったからなんじゃないかな?っていうことに行き着くわけね。だから話してみるとすんげー引き出しが少なかったりするわけ。まぁーこればかりはもっと色んな数学教師に会ってみないと分からないな。学歴とか専門とかいちいち聞いて自分なりのsurveyを取っておくのがいいね。いや、コミカレだけじゃなくてもっと先の話も含めてってことね。