ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ご無沙汰です。

mimisemi2010-04-28

ご無沙汰だけど相変わらず入力に専念してて特に書く事無いっつーか。ところでさ、数学のテストなんだけど94点取ったんだよね。まぁレベル的に中学校とか高校の初等レベルなんでたいした事ないんだけど、ようは気がついたのはね、文系理系みたいな分け隔てみたいなのってやっぱ無くてさ、理系の脳とか文系の脳とかないんだよね。ようは意識のawarenessだなと。俺は今、数学が大好きになってるから数学っつーものに意識のawarenessが配られて、その結果、まぁ数学と脳がコネクトするわけだ。まぁ頭に入ってくるってことだね。頭のモードっつーかなんつーか。まぁでさ、一気に話は飛ぶけど宗教も一緒なんだよね。信じる!ってなった時にまぁある意味盲目的になるわけでさ、教義とかすげー頭に入ってくると思うのね。必死に理解しようとするっつーかさ、それもawarenessじゃん?で、それが行き過ぎてバランスを崩すと狂信者みたいになるんだけど、まぁ数学も同じようなもんだなと。皮肉で数学は宗教だみたいなことが言われるけどさ、まぁあってるよね。まぁそれは思想もそうだよね。ようはかぶれるってことがね、ようは宗教的なエッセンスを持ってるってことなんだよね。俺の昔で言えばまぁマルクスにどっぷりみたいな。まぁ実際は資本論一巻の半分ぐらいしか読んでないんだけどね。


で、なんかね、いや、マルクス主義も行き過ぎると頭がおかしい左翼みたいになるじゃん?まぁそれは右翼も同じなんだけどさ、数学もありえるんだよね。バランスが無いと結構狂う可能性があるものだなってのを凄く感じるね。マルクス主義もさ、頭がおかしいレベルになるともう全部マルクス的な構図で考えるようになるじゃん?全部基本的に搾取みたいな。で、そういうのが行動原理まで規定しちゃってさ、んで赤旗の勧誘とかする姿はもう創価学会のそれとあんまり変わらないっていう。こっちで言うとなぜかね、タイムズスクエアのね、黄色のラインとか赤が走ってる真ん中のラインと左側を走ってる青のラインの乗り換えをする時にね、まぁ駅の中に長い道っつーかさ、なんつーのかな?あるじゃん?新宿とかにも。あそこにさ、完全になんつーかもう居座ることを許可されたような狂ったパンフレットを配ってる連中がいるんだよね。999がどうのとかさ、ジーザスは復活する!みたいな感じのやつでさ、で、なんかそれが色んなのと混ざってる感じなんだよね。なんつーかオカルトとか数秘術みたいなのとかさ、あとは陰謀論的なやつとかさ、完全に電波系っつーのかな?ニューヨークに住んでる人ならみんな知ってると思うってぐらい有名だと思うんだけどね、他にもまぁ宗教のパンフレットとか配ってるやつら多いっつーかまぁ多いっつーのは語弊があるか、まぁいるんだけどね、でもまぁなんつーかさ、イデオロギーだよね。本当に。


行動原理をシェイプするドグマだよね。前にちょっと言及したさ、ファイヤアーベントみたいなのはさ、うろ覚えだけど、占星術と物理学も差は無いじゃん!みたいなことを言っててさ、まぁうろ覚えだから気になる人はググってほしいんだけど、ようはポイントとしてはね、まだ完璧じゃないっつーかさ、完全にそれが証明されてないっつーかまだ分からないところがあるって意味で原理がガタガタだから占星術みたいなのと結局変わらないじゃないか!みたいなことと、あとはまぁこれはシュトラウスとかも警告してたことだけど、科学万能主義みたいなのも一種の信仰なわけでさ、そういう意味でなんつーかアメリカである議論でさ、creationismってあるじゃん?神が人間を作ったっつーやつ。そんなの学校で教えないでちゃんと進化論ベースで教えろっつーのとさ、ようはcreationismは科学じゃないから宗教のクラスの時間には教えていいけど、科学として教えちゃダメだみたいな議論があるけど、ようはこれって結構重要だよね。ようは科学的って理由でcreationismを批判しきれないんだよねっつーのは科学もある意味で信仰みたいになっちゃうとそれってドグマ同士のぶつかり合いじゃん?まぁそりゃー当然進化論で教えるべきだけどね、ただcounter argumentとしては「科学だから」ってのは弱いんだよね。


それは科学ってのも一種のイデオロギーっつーか信仰だって言われるとそうとも言えなくもない部分があるから反論しきれないっつーかさ、いや、当然そりゃーcreationismとかを信じてるようなやつらはバカだと思うよ。そりゃ。そりゃファイヤアーベントだって分かってることだよね。でもファイヤアーベントのポイントってのは違うんだよねっつーのがようは科学も一種の信仰足りうるよねっていうさ、万能主義になり過ぎるとどうなの?ってことになるってことだよね。だから常になんつーか懐疑的な態度を持ち続けた方がいいっつーかさ、あとはまぁ科学っつー言葉を乱用してさ、例えば育毛剤の研究をしている研究所が出した結果でさ、何かに育毛の効果があるとかって論文出すじゃん?でもそれは育毛系の商品を開発してる会社の研究所だったとかさ、モロに繋がってる研究所とかでさ、ようは結果を操作してたりね、微々たる効果でも効果が若干認められれば「育毛効果あり!」って言えるっつーかさ、別にフサフサになるって言ってないからいいじゃん!みたいなさ、でも研究所の結果っつーのですぐみんな信じちゃうっていかにまぁ科学ってのが強力なものかってのを逆説的に示してるよね。まぁ育毛効果があるってのは事実にしても科学的エビデンスっつーお墨付きが付くと強烈なツールになるってことだよね。平気で人を騙せるっつーかそれこそスペシャリストぐらいしかディティールを突っ込めないってのって大体そうだよね。「そりゃ若干あるのは知られてるけど微々たるもんで育毛と言えるほどのもんじゃない」って言える人がどれだけこの世にいるか?ってことじゃん?ようは確かめられないんだよね。


これって数学もそうだよね。あまりに細かいさ、細分化され過ぎて専門化され過ぎたもんって分からないからさ、だから証明ですって言われても分からないんだよねっつーかだからまぁ審査とかに2年とかかかるんだろうけどさ、なかなか確かめられないものってのが増えてるのは事実だよねっつーか高度化し過ぎた結果、わけがわからなくなってるっつーのが科学の現状なんじゃないの?って思うよね。ようはそれがイデオロギーなのか客観的な事実なのかすら容易に確かめられないものってのが本当に多いってことだよね。これは別に情報化社会になったからって解決できるようなもんじゃなくてさ、ようはスペシャリストじゃないと分からないようなことが結構生活の中に関係してることがあったりするっていうのだとさ、まぁ前で言えばあるある大辞典とかのねつ造とかもさ、まぁ騙されるじゃん?そうなんですって言われたらそりゃー信じちゃうっつーかさ、そういうことだよね。数学の証明然りでさ、証明ですって言われたら「あーそうなんだ」って思っちゃうじゃん?で、それにツッコミを入れられるのはスペシャリストしかいないっていう。ようはこいつはここの計算の仕方をこれでいけると思ってやり続けてるから欠陥があるんだとかって言える人なんて滅多にいないじゃん?これって別に何にでも言えるってことなんだよね。


だから何が真実なんだかさっぱり分からなくなるっていうさ、まぁ相対主義だよね。過剰な。でもそりゃーいけないぜ!って言うのがまぁシュトラウスみたいな哲学者だよね。相対化できない絶対的な真実というのはあってさ、それは所謂プラトン的な善とかvirtueとかね、数値化できないしフォーミュラ化できないものだけどだからといって意味が無いっていうとそういうんじゃなくて、むしろ何が真実なんだか分からない時代にこそ必要なのっつーのはこういう相対主義に還元されないような真実なんだよね。で、最近読んださ、足立恒雄って人のさ、フェルマーの大定理って本の中でね、「哲学書というのは唐人の寝言を並べたようなもの、と見つけてる人が多い。私ももちろんその一人である。」って一説があるんだけど、これぞ悪しき科学万能主義的態度なんだよね。いや、本当に最悪だよね。こういう態度で数学をやるのははっきり言って最悪としか言いようが無い。ようはそれってさ、証明できないもの以外に価値を見いださないっつーかさ、そういうものなんて結局はオピニオンで終わるんだから意味無いじゃん!みたいな態度でしょ?分からんけど、でも分かるのね。所謂、数学とか科学みたいなのを志してる人がこういう態度を哲学に持つのはすげー分かる。でもそれは俺に言わせれば相当なアホなんだよね。トンマもいいところっていうか。


こういうことを考える人ってのはね、思うに相対主義に陥りやすい人達だと思うね。それこそポストモダン的な言説をサポートしちゃうような人っつーかさ、いや、この足立って人がどうかはともかくとしてさ、証明できないこと以外は寝言みたいに切り捨てるのってのが悪しき科学万能主義ってさっき書いたのはね、これもモロに宗教じゃん?それしか信じないっつー排他的な宗教だよね。これの場合、数学っていう宗教だよね。ウチの宗教の教祖様の言うことしか信じないとか、ウチの宗教の神様しか信じないみたいなさ、そういうことじゃん?まぁ本質的な宗教ってそうじゃないんだけどね、でも低レベルな宗教ってそうだよね。排他的なんだよね。まぁそれはそれでいいと思うけどね、まぁそういう態度で数学やるのもいいとは思うけどさ、でも俺が数学っつーかなんつーか数学をやってそうな人にありがちな俺が心底嫌だなって思う考えを持ってる人ってのがモロにいた!っつーか文章書いてるよ!ってことでまぁ感激したんで書きたかったんだけどね、ようはつまらない数学ってのがこれなんだよね。数学っつークローズドなフォーマットの中で完結してる数学なんてつまんないじゃん?まぁ俺は心底つまらんと思うんだけどね。で、俺が思うに優れた数学者とかって哲学者でもあったりさ、あとはまぁ物理学者にしても哲学的バックグランドっつーかまぁ哲学的な知識があったりさ、ようは抽象的な考え方をできるってことだよね。数字だけで終わってる人ってのがまぁ哲学とかを証明できない戯言だって切り捨てるわけで、こういうのはようは数学教の人達だよね。完全に宗教だよね。俺はそういうのに興味がなくて、んでなおかつアカデミアって全般そういうのが多そうだなって漠然としたイメージがあってさ、哲学とか政治学の研究者とかってつまらないのが多いのは事実だと思うけど数学はもっと酷いんじゃないか?とかって勝手に思っててさ、まぁだからすんげー高いレベルのところいかない限りダメだろうなって気がしてるんだよね。


まぁ俺の話はともかくとして言ってること分かったでしょ?この足立って人の懐の狭さってのがようはね、科学の懐の狭さでもあるのよ。科学なら議論無しにオッケーっていうさ、それはなんつーか科学的態度ってのを根拠にオカルトを否定するっていうこともようは同じなんだよね。苫米地さんがまぁそうだよね。まぁ苫米地さんのスピリチュアリズム批判はいいけど、ただだからといって霊全般の存在が否定できるか?っていうとそうじゃないわけでさ、それを全部科学で説明しようとするっつったって科学で説明できないこともあるわけだからさ、で、科学的なメソッドがアプライできないものに関してはそんなものあるわけないってこれもまぁ科学万能主義だよね。完全に宗教だと思うね。で、それは前に書いたように無いって言うならそれこそ科学的なメソッドでみんなが納得するような完全なエビデンスを見せるしかないよね。でもそれは無理なわけでしょ?やらないのか無理なのか分からないけどさ、でもオカルト批判ってあれなんだよね、creationism批判を科学っつー理由で批判するのと同じぐらい実はそこまで威力が無いってことなんだよね。まぁそりゃー当然俺もさ、オカルトなんて信じないっつーかまぁファンタジーとしては信じてるし、あとは霊とかはマジでいると思うけど、でもさ、creationismに関してもさ、神がいないとかさ、神が人間を作ったわけじゃないって言い切れないところがあるじゃない?それはもうメタフィジカル過ぎるレベルな話でさ、そんなの反証不可能だけど、そんなわけはないじゃん!ってみんな分かってるでしょ?っていうビリーフだよね。でも神が人間を作ったわけじゃないという証拠は無いわけでさ、だからまぁ違うとは言い切れないみたいなところがあるっつーかさ、なんつーのかな?書きたい事があんま上手く書けないな。今日は、久々だからかな?証拠無しでも無いって言えるものが多く存在するのも確かだけど、証拠があるからといってそれが確かと言えるものが全てというわけではないということだよね。


ようは証拠の白黒だけで物事を判断するなんてアホの極みってことなのよ。そこがバランスじゃん?俺で言えばすげーバランスいいと思うわけ。いい感じで霊とか守護霊とか信じてるしさ、あとはまぁ神道っぽいやつとかね、んでも基本はまぁ当然科学的態度が優先なんだけど、んでもそれが全てじゃないんだよね。それは数学然り。哲学もそうだよね。そういうのが混在しているっていうのがつまりは個人の考えじゃない?俺の場合、何かに依拠してないでしょ?でも例えば哲学は唐人の寝言だって言うようなのは完全に数学主義みたいなのがあるじゃん?霊なんていない!って言うのを科学を根拠に言うのもまぁ科学主義だよね。ようは偏り過ぎてるわけよ。つまりはその偏りが宗教性を帯びてるってことなのよ。だからといって相対主義になり過ぎるとニヒリズムとかになるから、だからこそある種ナイーヴに見えるようなvirtueとかhuman excellenceみたいなのがすげー重要になるわけよ。それは合理性とかね、証明とか証拠とかエビデンスとかそんなのを越えた次元のものなんだよね。


だからこそ根本的に善いってどういうこと?みたいなことを問い続けたりね、人生って何なんだろう?って自問自答を繰り返すとかさ、内観を繰り返すとかね、これがつまりは魂への配慮ってことだよね。その魂の配慮のためのツールが学問であったりするわけよ。学問的知識がそれに凄く役に立つ場合があるってことね。まぁ俺の場合、結果論だけどね。好きでやってて結果的に学問的知識が魂への配慮に役に立っててなんか哲学が凄くプラクティカルなものになってるってことなんだけど、でもそれはなんつーか色々読んだ結果、んでも結果重要なのってベーシックなことなんだよねってことなのね。色々とややこしい議論はあるけど、結局はvirtueって何?とか善いってどういうこと?とかさ、悪く言えば青年哲学病みたいなレベルの議論に退行するわけ。でもそれは色々な知識があった上で戻るベーシックなところだからさ、それっていうのはなんつーかRPGとかの初期装備の武器がさ、なぜか買い取りとかしてくれなくてさ、んで最後のほうのイベントでそれが最強の剣になるみたいなさ、それみたいなもんね。


結構長くなったなっつーかもう寝たいんだけどね。もうちょっと書きたかったけどまぁ今日はこれでいいか。まぁ俺は数学は好きになったけど数学が最強!とか思ってるやつらは大嫌いってことだね。そういう意味で大抵のそこら辺の哲学無き数学をやってるようなやつらとは全然合わないかもしれないね。チャイティンとかってバランスが良くていいんだよね。完璧ではないし、彼の哲学的議論が洗練されてるとは到底思わないけど、でもああいう態度ってのは数学者として理想的な姿だと思うわけね。そういう意味で例えばラッセルとかホワイトヘッドとかさ、ああいう哲学者/数学者みたいな人達も理想的だよね。ライプニッツとかデカルト然り。デカルトはちょっと微妙か。そこまで数学にマジじゃなかったらしいからね。まぁでもそれは俺が思う理想的な数学者の姿なんであって、まぁあくまで俺のオピニオンだからね、それ以外はクソだとは言わないけど、ただまぁ何もかも宗教化したら終わりだねってことだよね。


ってことで今日はこのへんで。



参考程度に。なんかさ、この本さ、こんなこと言うのは悪いけど中途半端だね。この本の編集者曰く「本物の難しさは迫力があるんです!」とかなんだとかってことで難しいまま出したらしいんだけどさ、やたら既存の証明とか定理にページが割かれてる部分が多いんだけど、こういうのだったら別に論文でいいじゃん?なんで本になるか?ってやっぱ一般読者向けに書いてるわけでしょ?まぁどの道、俺はこの本の内容は今のレベルではさっぱり理解ができなかったけどさ、一般向けにするんだったらなんつーかもっとやり方があるだろうっていう。ただ普通に証明載せてるだけじゃ全然普通の論文と変わらないと思うんだよね。日本の数学関係の本ってどれもこれも本当に英米のと比べて見劣りするのが本当に多いねっつーか月とスッポンぐらい差がある。逆にまぁ英米系の数学関係の本が充実し過ぎてるのかもしれないけど、なんで日本人で楽しい感じで高度なことを数学史とか数学者のバイオグラフィーとかも混ぜつつドラマティックに元の数学のレベルを落とさずに書くみたいなことができる人が皆無なんだろうか?はっきり言ってすげーつまんないんだよね。この本。歴史とかバイオグラフィーとかの部分も中途半端で全然面白くないし、やっぱ専門書じゃない限りさ、楽しませるってのが基本だと思うんだよね。ちくま学芸文庫って専門書扱いになるのかな?まぁ分からんけどさ、これじゃー数学誰も好きにならないよね。本当に。教師もこういうのが多いからダメなんだろうなって思ったね。数学ってめちゃくちゃ楽しいわけでさ、実際はね、それをもっとパブリケーションとかで伝えていかないといけないよね。それに大成功したのが数学ガールだと言えるよね。だから俺は学園モノとか萌えとかが大嫌いでも数学ガールを高く評価するわけね。





もちろん内容が良いってのもあるけど、んでもやっぱ俺が高く評価する理由はこのフォーマットね。嫌われてる数学ってのを実は面白いんだよってのを気づかせてくれるような数学系のパブリケーションが担うべき役割を結城さんが一人でやってる感じなんだよね。で、もちろん萌えとか学園モノではないが、エンターテイメント性が高い数学系の本が欧米系の出版で多いってことなのね。なんで日本はこんなに少ないの?ってことなのよ。


で、例えば今日買ってきたやつなんだけどこれとかね。



読んでないで貼るのもあれだけど立ち読みで面白いって思ったのでもう十分でしょう。買ったって時点ですでにオススメに貼れるわけだよね。まぁ必ずしもそうではないけども。で、邦題が大ミスね。邦題って映画も本もダメなのが多いんだけどさ、これなんて本当のその極みだよねっつーのはさ、「ポアンカレ予想を解いた数学者」ってタイトルにしちゃったらさ、そりゃーペレルマン関係を期待するじゃない?でもね、現代はズバリ「The Poincare Conjecture」で、表紙にはりんごと宇宙とポアンカレの写真が載ってるわけね。ようはポアンカレ予想に関する本なわけよ。それをペレルマン伝みたいなタイトルに変えちゃーダメでしょーっていう。そりゃーニュースになってさ(最近のやつじゃなくて昔のやつね)エキセントリックでセンセーショナルだからまぁ売れるだろうと思ってペレルマンフレーバーを全面に出そうとするのも分かるけど、んでもそんなことしたらダメだよね。不当にタイトルのおかげで本の評価を下げることになっちゃうじゃん?実際、アマゾンのレビューにもある通りペレルマンを期待して買ったらモロに数学的過ぎる内容でペレルマンが最後のほうにちょこっとだけ出てきただけだった・・・みたいなさ、そりゃーそうなるよね。邦題みたらサイモン・シンの本みたいな数学難問に関するストーリーみたいなのを期待しちゃうじゃない?出版社何やってるんだかって感じだよね。ホント、変な邦題だけは絶対つけないほうがいいよね。映画もだけど。


で、そのタイトルつけるならこれでしょって本がこれね。読んでないけど。まぁそのうち読むと思うけどね。




原題は「Perfect Rigor」で邦題は「完全なる証明」なんだけど、これは本当に元のタイトルに忠実でいいよね。こうじゃなきゃ。やっぱり。変なタイトルで勘違いさせたら絶対ダメよ。


で、参考程度に今日買ってきた元のやつを貼っておくね。



ペレルマン臭ゼロっていう。


あとあれだ、ファイヤアーベントの占星術がどうのって話が出てくるやつってのがこの本なんだけどこれまた一応貼っておくです。面白いとは言い難いけども。