ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

最近の心境の変化ってやつですかねー。

mimisemi2010-05-02

それにしても数学やろうとするやつって何を思って数学をやろうとするのかな?俺の場合、まぁ単純で目覚めたっつーか面白さが分かったからやりたい!ってだけだけどさ、例えばこれを専攻にしてこれでプロでやっていくとかさ、正直、まぁなんつーかやりたい!って思う時にキャリアとかって考えてないじゃん?それこそピュアな楽しみのためにやるって感じでしょ?まぁ俺は何でもそういう感じなんだな。まぁもちろんね、いつも書くようだけど政治学か哲学やるよりかは良いっつってもさ、どの道、なんつーかこじつけでしかないっていうか、最近は本当にそれがこじつけでしか無くなってきたのが本当に凄いなと思ってるんだよね。


変えたときはね、専攻をね、まぁ正直、チョイスが無かったっつーのと予定調和みたいなのをぶっ壊したかったってのはあるよね。知ってる学科のことで知ってることをやってもつまらないっつーかさ、だったら知らないことやったほうがいいでしょ?でもこう思う時って別に将来の事まで考えてないよね。数学でやっていくって一体なんなんだろう?って考えた時にさ、明らかに俺のマインドとしてはさ、前にも書いたようになんつーかどうでもいいようなさ、誰でも積み上げしていけば書けるようなのをやるつもりはないしさ、まぁそれがやれるだけでも凄いことなのかもしれないけど、なんつーか代替可能な何かになりたくないってのはあるよね。自惚れるな!って言われそうだけどこれは自惚れじゃなくてさ、客観的に見た時にさ、自分の人生をね、つまんなくね?っていう。


他の誰でも可能なことを自分がやるってつまんなくない?せっかく生まれてきてさ、で、人生はまぁ嫌な事だらけでさ、まぁ楽じゃないじゃん?楽な人もいるけどね。そんな中でさ、他の人と同じような感じで生きていくってただの人生の浪費だよね。まぁ安定を目指す人はそれでいいのかもしれないけど、今の世の中ってこういう安定を目指そうとするようなやつらがダメになっていく感じがあるよね。むしろちょっと無茶ぐたいのほうがいいみたいな。でもさ、俺にしかやれない事って何だろう?って考えた時にさ、それは使命感とかさ、過剰な自分への期待とかじゃなくて、それがようは漠然としたやりたいことなんだよね。でもそれって当たり前じゃん?他のやつでも放っておけばやるようなことをやりたい!って思わないじゃん?それはやりたいことにもよるけどさ、なんつーのかな?研究職についてとかさ、まぁちょっと色々とちょっと前に調べてたんだけど全然魅力的じゃないのね。テニュアトラックに乗るかどうか?とかさ、すげーくだらないっつーかさ、ようは学生の延長なんだよね。ポスドクでどうのとかさ、学問っつーのが専攻してなくて、仕事で安定を得られるか?ってのが学問をやる目的みたいになっちゃってるっていうかさ、まぁしょうがないのかもしれないけど、なんか色々調べれば調べるほどアカデミック系のものに興味がどんどん無くなってきてるね。


明らかに自分のやりたいことと乖離してるっつーかなんつーかようは俺は自由気ままに学問を楽しんでいたいっていうそれだけなんだよね。だからまぁある意味で今はそれが満たされてるわけだ。でもこれは職業になってないっつーか金にならないから生活をする方法を考えなきゃいけないっつーんで研究職か?ってことになるんだけど、なんかここで乖離が発生してるなって感じがしてきてて。最近。前はオートマティックに繋がってた気がするけどさ、今は違うのね。むしろそれは消極的な選択だなと。学問系でやっていくっつったら教職か研究職ぐらいしかないだろってことなんだけど、これってチョイスが無いからってことでさ、やりたいことと違うよね。それが本当にやりたいか?っていうと違うわけでさ、でもまぁ自分が好きな事と仕事を繋げるって意味だといいように思えるんだけど、これが意外な盲点だったなと最近気がついたわけね。


変な話、自由が侵害されないような仕事があってさ、んで今の俺みたいなずーっと読書みたいな生活が続けられれば仕事って関係無いんだよね。それはお金を得るための方法なんであって、それを無理矢理好きなことと繋げる必要があるのか?ってのに最近疑問が出てきてるね。論文書かなきゃ!なんて思って書く論文ってなんなんだよ?っていう。ましてやなんつーかさ、仮に俺が数学でなんか書いたとしてもさ、仮にそれが専門的なことだったりしたらさ、読む人なんて限られてるじゃん?ただのインクのシミだよね。廣松渉が言ってたことだけどさ、読まれないものなんてただのインクのシミだっていう。そんなシミを残すことにどれだけの価値があるのか?ってことだよね。それが数学っつー業界のキャリアで言えば意味があることのように思えるかもしれないけど、でもそれってシステム的なことじゃん?そういうシステムに依拠してるから、そういうつまらないものを書く必要が出てくるわけで、仮にそれが何にもならなくても書くやつってどれだけいるのか?ってことだよね。


いや、分からんけど論文って自発的に書くもんなんじゃないのかな?ましてや数学なんてのだったらさ、説明したいってことをまぁフォーマルに説明するだけでしょ?なんかね、分からんけどね、数学系のアカデミアのことを色々調べてたらっつーかアカデミア全般そうなのかもしれないけどさ、論文を生産するってことが重要になるからさ、目的が生産になるんだよね。何かを思いついて書いたっつーよりかはさ、生産のためにそれにコミットして無理矢理生み出してる感じだよね。まぁ例えて言うならさ、ノルマがあるんでノルマ達成のために頑張るっていうそれだよね。サラリーマンの営業とかとあんま変わらないなっていう。それってクリエイティブじゃないよね。


システム内での要件を満たすための論文っていうかさ、そんな感じがするよね。なんか矛盾を感じるんだよなー。博士号を取るために論文っておかしいんだよな。考えてみたら。何かを書いたらそれが博士号ぐらいのものに値するんで授与されたとかなら分かるけどさ、そこに在籍して博士号を取るっていう理由で論文を書くっておかしいよね。逆じゃないの?っていう。自分で色々とやってきた結果が博士号に結びついたとかなら分かるけどさ、博士号プログラムみたいなのに在籍してさ、んでその要件を満たすために題目を決めて取りかかるってなんかバカバカしいよね。博士号って知性的に見えるけどやってることは全然知性的じゃないっていうか仕事的だよね。労働的というかなんというか、


そんなのを俺はやりたいのか?ってことだよね。今の気分としてはやりたくないね。ズバリ。逆になんかがあれば勝手に書いてるだろうし、無かったらまぁ無かったで色々読み続けてるだろうし。それは今の所分からないよね。そこがまぁギャンブルなわけだけど。数学は才能とか関係無いとかって言ってたのがまぁ例の先生だけどあれは大噓だよな。ようは俺は才能無い人もできるような数学なんてやろうと思わないんだよね。かといって俺に才能があるかとかセンスがあるかなんて分からない。でも興味があるからやってみたいってのはあってさ、結果なんてどうでもいいっていうか、ただの所産ぐらいでいいんじゃないかって思ってるのね。やりたいからやるで何が悪いって話だよね。動機としては十分でさ、博士号プログラムみたいなバカみたいなのよりよっぽど知的な動機だと思うのね、興味があるからやりたいっていう。んでも仕事とかは分からないっていう。それじゃまぁ社会人的にアウトなのかもしれないけど学問的には理想的だと思うのね。まぁナイーヴ過ぎるって批判されそうだけど。


Bureaucraticっつーのかな?学歴ってのがお墨付きみたいなもんでさ、そのお墨付きをもらうために頑張るみたいなさ、でもそれって学問をやる動機としては俺は最悪だと思ってるんだけどね、まぁでもそんなこと言っちゃえば9割ぐらいの大学生とか学生全般を批判することになっちゃうんだけどさ、でも本当に好きなやつは勝手にやってるよねって思うわけ。つくづく大学ってのはいたるところで矛盾だらけだなっていう。死ぬほど宿題出されるとか気違いだとしか思えないね。個々の生活とかってあるわけじゃん?でも大学院生なんだからってことでバカみたいな量の宿題を出すってさ、それって研究者になるための試練なの?っていうさ、まぁそりゃーそれだけの課題をこなせば力はつくんだろうけど、そういうのってやらされてやるもんなのかな?っていうさ、知りたいからやるんじゃないの?っていうさ、知りたかったら勝手にやるじゃん?なんでそれをさ、学習のためにむしろ必要である睡眠時間みたいなのが不足するぐらいの量を出したりするのかな?って意味分からないんだよね。大学院入ってからの2年間なんて宿題だけやってる感じだみたいなのを読むとさ、凄く知性に悪そうっていうかただの悪影響だよね。これって。


インプットとか練習ってのも分かるけど考える時間とかゆとりが無くなっちゃうじゃん?元々考える事ができないやつに技術を叩き込む場としての大学院ってことなら分かるけどさ、自分で考えてやるやつにとっては地獄だよね。だって自分にとって一番大切な時間である思索の時間とかさ、読書の時間がそれによって割かれるわけじゃん?それってもうさ、宿題とか課題ってのがそいつの生活に侵略してきてるってことだよね。そんなことをやっていいものかね?アメリカの大学っつーと必ず言われる宿題の量だけど、なんだかこれ考えるとマジで嫌なんだよね。今は楽だけどね。でもまぁ仮に4大とか入って量が増えたりしたら本当に嫌だなっていう。


30分とか1時間ぐらいで片付けられるものならいいんだよね。数学ならそんぐらいの時間なら楽しい。でも3時間とかさ、ゲンナリするぐらいの量が出るとかってそんなの嫌じゃん?好きな本だとしても嫌だよね。2時間ぐらい読んでまぁ今日はもういっかー。続きは明日読むかーっつってまぁブログ書いたりさ、ネットやったりっていうさ、まぁそういう生活の中にあるものじゃん?でもさ、いつまでにここまで読んでこいとか言われてさ、それが凄まじいページ数でさ、とても3日とかじゃこなせないようなのをアサインしてくるって頭おかしいよね。そのためにあれなんだよね、大学だとね、対策として勉強サークルみたいなのを作ってさ、アサインメントが多過ぎるからチームを作ってね、んで例えばチャプター1は俺が担当して、2は彼で3は彼女で・・・みたいなんでさ、んで何日か後に会って個々が担当しているチャプターのサマリーを説明しあうみたいなさ、でもこれっておかしいよね?一人でやれないぐらいの量を出してくるってもうおかしいじゃん?いや、実際経験してないから分からないけど、色々読んでるとそういう話とか出てくるとさ、もう本当に本末転倒だなとか思って呆れちゃうんだよね。なんてバカバカしい事をやってるんだろうって。


学問ってこなすもんじゃないだろうっていうさ、まぁエンジニアのための数学とかならわかるよ。職業で必要だからみっちり仕込まれるとかさ、でもこれってテクネーじゃん?学問じゃないよね。でも純粋に学問としてやる何かならやっぱ自発性が無きゃダメだよね。で、凄まじい量の宿題って自発性なんて生まれないじゃん?受動的にこなすしかないよね。それに対する計算とかはできるようになるのかもしれないけど、それだけやって何年も過ぎて行くって逆に知性的に退化するよね。まぁそういう場にいないと勉強なんてできないって人はいいけど、普段から自然に学問をやってる人にとっては相性は最悪だと言わざるを得ないよね。まだ分からないけどさ、仮にそんなんだったらやりたくないんだよね。マゾみたいに数学の問題を解くなんてことをしたくないね。俺は。


なんかさ、アメリカの大学院でやってます!とかいました!みたいな人達が書いた文章を見るとさ、とても学問が好きでやってる感じがしない人達のが多いんだよね。博士号目指して!みたいなのが大半だよね。だからああいう事務的な作業にも耐えられるんだろうな。学問のために!だったら明らかに相反するからあんなのやらないもんな。そういう人達のブログを見ても学問やってて気がついて感動したこととかが一切書かれてなくてさ、まるで仕事を終わらせましたみたいな感じで今日は何々のレポートを終えて・・・みたいなさ、なんなの?って感じだよね。いや、それはそれでいいんだけどね、批判はしないけど、俺としては本当になんなんだろうな?って思っちゃう。日記なのよね。すんげー時間学問やってるはずなのにさ、学問に関することで「これは凄い!」みたいなのが無いのね。ルームメイトの誰々と食事に行った。タイカレーは辛い!みたいなさ、そんなことばっか書いてあったりして、なんつーかああいうのが普通の大学院生なのかな?とか思うと全く大学院ってものに興味が持てないよね。


あのなんつーか仕事を終わらすみたいな感覚で学問をやってるのに凄く疑問を感じるんだよね。それをやりきった結果、博士号がもらえて・・・みたいなのは分かるけど、でもそれって仕事を終えたから報酬として給料をもらえるってのとどういう違いがあるの?っていうさ、結局やってることサラリーマンと一緒じゃん!っていうさ、そんなのつまんないよね。まぁね、学科のことでね、これを身につけるためには練習問題やらなきゃいけないからっつってアサインされるのは分かるよ。でも量が多過ぎたらおかしいでしょっていうことだよね。だったらその量を分割するとかさ、ようは一回で生徒の生活を崩壊させるような量を出すなってことだよね。多分、教師も馬鹿なんだろうな。俺が教師だったら絶対そんなことしないもんな。


仮に俺がそんな場にいたらキレちゃいそうだな。「何でこんな量出すんですか?」って先生に文句を言っちゃうだろうな。これだけやらなきゃ理解できないからっつってもさ、人によるじゃん?そんなの。中にはクラスでやっただけで理解できるやつもいるわけでさ、全員にバカみたいな量をやらせるっておかしいよね。前にさ、お金さえあれば学校なんてやめたいって書いたけど、まぁでも数学は好きだからいいのね。基礎は全部やりたいと思ってるし、どれもこれも楽しそうだからいいんだけどさ、ただ大学院とかのレベルになると自分の時間が無くなるってどこを見ても書いてあるんですげーそれが嫌なんだよね。忙しくなるってのが思考力を削がれそうで凄く嫌になるね。仕事に追われてるサラリーマンに思考力なんて無いじゃん?それはサラリーマンが馬鹿なんじゃなくて忙し過ぎるからなんか考えてる暇もないってことだよね。そんなアンヘルシーな環境に身を置くって自殺行為だよね。


まぁ今は好きだからやってればいいしさ、まぁ基礎ばっかだから楽だし楽しいしさ、でも基礎が分かってくると前に基礎が無さ過ぎて分からなかったようなのが分かるようになったりして面白いんだよね。だから今はいいんだけどね。ただ先の事を考えるとどうなるのかな?ってのは分からないよね。ましてや俺が数学楽しんでるだけで何も出てこないってやつだったりしたらまぁそりゃー終わりだろうし。まぁ何か出てくるだろうなって漠然としたイメージはあるんだけどね。でもそんなのやってみなきゃ分からないからまぁだから今コミットしてるわけだよね。


なんかさ、数学の成績はバリバリ良かったけど論文さっぱり書けなくてダメになった超優等生がいるとかさ、そういう話を聞くと数学ってすげー世界だなって思うんだよね。まさしく才能のレベルだとクリエイティビティが要求されるわけでさ、もうこれってセンスとか素質とかの世界じゃん?だからギャンブルだよね。本当に。数学の成績が良いってことがあんま関係無いってのもまた面白いところだよねってのがようは根本的に高次の数学だと抽象力とか独創力ってのが必要になるからさ、だからまぁすげー芸術と似てると思うのね。でも俺にそういう素質があるかはさっぱり分からないじゃん?今はただ楽しい!ってレベルだから。だからまぁ俺にとってもすげーギャンブルなんだよね。でもまぁ政治学と哲学学校でやってもしょうがないからやっぱ数学が一番いいんだけどね。


ってことでまぁ今日の要点としてはね、予想以上に俺が数学が好きになってしまった結果、アカデミアに興味が失せたってことだね。数学なら潰しが効くから仕事的にこなす部分もありつつ学歴を取れれば今よりかはマシになるだろうとかって打算的に思ってたのがさ、ある意味での愛によって完全にそれが無くなったってことだね。あいつと結婚すれば今よりかは生活が楽になるからまぁー結婚しておくかーぐらいの感じの予定で結婚前提で付き合い始めたらマジで好きになっちゃって生活が楽になるとかどうでもよくてただそいつのことが好きで好きでしょうがない!みたいな感じになっちゃったって感じだわな。


これは逆説的だよね。その科目が好きになればなるほどアカデミックなシステムとの相性が悪くなるっていう。まぁ俺の勝手な予想だけどね。ここもまぁやってみなきゃ分からなくて、まぁ意外とそうでもなかったなってこともあるんだろうけど、今の所は期待値ゼロだね。何も期待できない。だからただひたすら基礎を学び続けるだけって感じになるだろうね。それがまた楽しいからいいんだけどね。2時間半とかある授業の時間がさっぱりそんな長さに感じられないのよね。数学の授業ね。それは哲学と政治学の授業でもそうだったけど、やっぱそれは俺が好きだっていうことの証拠だよね。時の流れなんて忘れちゃうぐらい夢中になっちゃうっていう。まぁもっとも今はあまりに基礎的過ぎるレベルだからアレなんだけどね、でも高度になればもっと面白くなるだろうなってのはなんとなく感じてるんだよね。それは高度なのを分からないところは多いながらもすでにそういう本を読んでるんでそれが分かるのよね。絶対面白いな!これって。完全に理解して自家薬籠中のものにできたらどんだけいいだろうか!って想像するだけでウキウキしてくるのね。結局まぁ知識欲が爆発してるってことだね。かといって全然生活は数学一色じゃなくて相変わらず雑多に色んな本読んでるんだけど。


ってことでした。なんかさ、大変過ぎたから絶対大学院生時代には戻りたくない!とか言ってる人がいると何なんだろうな?大学院ってって思っちゃうよね。その人は全然悪くないよ。その人にそんなトラウマを残すぐらいの過酷なことをしてる大学院ってのが一体なんなんだ?って話なわけで。学問を楽しむ場にしちゃいけないわけ?ノルマとかありえねーよな。デッドラインだのさ、辛い試験だのさ、こんなの学問の乱用だよね。先生って生徒に対するテロリストなんだよね。これやってこないとグレードが落ちるぞーって脅して生徒は逆らえないからやってくるしかないっていうさ、でも睡眠時間とかが削られちゃって遊ぶ時間もなくて心身共に疲れ果てちゃったりしてさ、こんなのただのアカハラだよね。テロリズムによる過労じゃん?こんなことが教育っつー名の下で行われてていいのかな?まぁ結果的に色々と学べて知識が身に付くのは分かるけど、ここまでクタクタにさせるっつーのもどうかと思うね。だったらクタクタにさせないぐらいクリアな授業をやってさ、誰でも理解できるような素晴らしいレクチャーをすればいいじゃん!って思っちゃうんだよね。ホント、宿題が多いとか馬鹿げてるよ。マジで。適切な量ってもんがあるじゃない?


まぁいいや。今は楽しいから続けるっていうそれだけでいいな。あんまり先のことを想像して考え過ぎて鬱になったりしても意味ないからね。まずは知識を身につけることだよね。逆に知識さえあれば学校に依存しなくたってやっていけるようになるわけだから、まぁ俺はそれを目指したいね。学校に寄生しないとやっていけないような中途半端なやつには絶対なりたくないな。博士号だけがそいつをアカデミアにいさせることを許している理由であるみたいなさ、最高に惨めだよね。アメリカの教育がダメだとは言わないよ。そりゃー日本よりかは優れてる。でも俺がその中でやっていきたいのか?っつーのは全く別問題だなってことね。学問なんて楽しめなきゃ終わりだからね。苦痛を感じながら数学をやるなんて最悪だよ。本当に。


あと追加でね、あれなのね、学問のことを好きになればなるほど大学への興味が薄れていくってことね。


ってことで今日はこの辺で。


PS


例のね、中国語のクラスのブディストのやつなんだけどね、最近親しくて色々話してるんだけど、彼は奨学金をもらってるらしいんだけどね、彼は奨学金なんて誰でももらえるっていうわけ。で、そんなわけないじゃん?あんなの競争でしょ?って聞いたらさ、驚いたことにね、奨学金を得る代わりに有事の時は兵士として出頭しますっつーのを書かされるらしいんだよね。ようはなんたら戦争みたいなのが起こったら彼は戦争に行かなきゃいけなくなるってことね。まぁイラク戦争とかの規模じゃなくて世界大戦とかのレベルらしいからまぁそんなのは起こらないだろうってことでまぁ実質的にその書類にサインしちゃえばもらえるからいいらしいけど、でも凄いシステムだよね。命を担保に奨学金をもらうってアメリカ恐るべし!だよね。まぁ相当の有事の時だから命ってのは言い過ぎだけど、でもまぁ軍関係の書類にサインするって凄い事だよね。なんか彼の話っぷりだとそんなの当たり前だぜみたいな感じだったんで余計にビビったよね。へぇーそうなんだー・・・ってちょっと俺は唖然としてたっつーか。



情報量が半端じゃないっすってまだ読んでないけど、数学の理論的なことをオミットすることなくテクニカルなまま分かりやすく説明しつつ、ドラマティックな素数にまつわる数学史が繰り広げられていて、なんていうか最高な感じです。



これは81年に出たマスターピース。前にオリジナルを貼ったけど邦訳を見つけたんで貼っておくね。かなり高いけどまぁ情報量を考えれば全然妥当だと思う。なにより内容が素晴らしいので。で、ルーベン・ハーシュっつーこの本の著者の一人であるWhat is Mathematics Really?っていう数学哲学に関する本があって、まぁ買ってあってまだ読んでないんだけど、これもなかなかいい感じなのよね。



で、


http://www.amazon.com/Loving-Hating-Mathematics-Challenging-Mathematical/dp/0691142475/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1272785243&sr=8-1


が待ちきれない感じで。ちょー読みたい。



これはまぁまぁ。この人のは淡々とし過ぎていて文体がつまらんのが難点なんだよね。



不確定性原理のハイゼンベルグの本なんだけどポイントはPhysics and Philosophyってところね。ハイゼンベルグの哲学の造詣の深さに感動したね。物理学者っつって別に物理学やってるだけじゃないんだなっていう。やっぱ凄い人には共通しているところがあって、狭い視野で専門分野に取り組んでないってことね。総合知があるんだよね。それがある上で専門分野を極めてるっつーか総合知的なものがあるからこそ極められるのが専門分野だとも言えるわけね。ちなみに2007年に出たペーパーバック版のデザインが取っ付きやすい感じでなかなか笑えるのよね。見た目が割と取っ付きやすそうな本で中身が難しいってなかなか笑えるよね。



10ドルちょいだもんな。これ。しょうがないことだけどやっぱ日本の翻訳本は高いよね。