ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

楽しかった日記。

いや、ウォール伝は家族に秘密なのだよね。知られたら凄く嫌なわけだ。だからまぁファミリー用のパソコンで今はシークレットな感じで更新をしているわけだが、こないだ書いてたらちょうど家族が帰ってきたんで、大急ぎで書いてたやつをテキストにペーストして更新しなかったので。いつだったかな?一昨日だったか。ってことでまぁ今日はそのね、一昨日に書いてたやつをアップするわ。


昨日は楽しかったねぇー。たまたま集まりがあるっつーんで旧友達と再会したんだが、本当に結構偶然な感じで色々と会えたのでよかった。元相方とはまたまぁー色々話したんだが、やっぱり思ったのは、ある程度のレベルで話せる人と話すというのはとても価値があるということね。


まぁ俺は損得で人付き合いはしないんだけど、例えば教養がある人と話すと「こんな研究をしてる人がいて・・・」とか「こういう作家がいて・・・」とかっていう情報が入ってくるんでいいんだよね。まぁ堅い言い方になるけど勉学って意味でも凄く有用なのね。ましてや自分の場合、まぁなんつーかpersonal inclinationみたいなのがあるんで、自分でやってる分にはawarenessみたいなのが配られないものってのがあるわけね。まぁみんなそうだと思うんだけど。そこでまぁ他の人のアンテナから垣間見れる違った世界っつーのかな。まぁそういうのに接することができると凄く楽しいしためになることが多いよねっていう。ましてやその人が独自の哲学とか持ってたりするとそれこそまぁおもしろいし得られるものが大きいよね。


まぁそんな感じで久々に人と会ってあんなに話した感じなんだけど、元相方が俺の本とかDVDとかを買ってくれるっつーんでそれをあてにジュンク堂で本を大人買いしてきたんだよねっつってもね、まぁ大抵目星をつけてたものばかりなんだけど、んでもやっぱさ、立ち読みしてみるっつーか中身を見ると全然イメージと違うのが多いっつーかさ、まぁどれとは具体的に言わないけど、おもしろそうだなーと思ってたらまぁ単純に買うほどでもないものとかさ、あとは値段の割に文字数が少ないとかさ、情報に対するコストパフォーマンスが低いものに関してはもう買わないよね。やたらめったら本ばかり増えても置く場所がなくなるし、本を買うということに快楽を覚えてしまっては過去のレコードの二の舞になるし。


だからまぁ情報ってのを基準に買うんだよね。コレクターとかじゃダメなわけね。そうなると読む本とかなんてまぁ限られてくるわな。読むに値する本っつーかね、まぁ金銭的な余裕ができたとしたら、とにかくバンバン買うってことができるとは思うけど、まぁ今はそれができないよね。まぁそれは前もそうだけどね。


それにしても日本の本は高いなっていう。文庫とかになってるやつとかだと一気にコストパフォーマンスが良くなるんだけど、ハードカバーだとつくづく高いなっていう。新書ぐらいの分量のものとかも3000円とかしたりするともう立ち読みでいいやっつーレベルだもんね。


政治学系とかはもう読みたいのは買っちゃってて、あとは蔵書を読破するだけって感じで政治学のコーナーとかいかなかったし、哲学系とかも未読のが結構あるからいらないなってことでまぁ買ったのは主に数学と仏教関係のものばっかだったんだけどね。


特にコストパフォーマンスが最高な虚数の情緒って本が買えてよかったな。まぁ評判いいみたいで買うつもりではいたんだけど実際立ち読みしてみていいなぁーって思ったんで買えてよかったね。


あとまぁ元相方からハイエクの本を借りたりして、まぁしばらく本はいらねぇーなっつーか金あっても買う必要ないなって感じだよね。手元のを読むのでもう手一杯な感じ。時間が有り余ってても時間が足りないぐらいあるからね。


まぁそれはともかくさ、何を書きたかったか?ってさ、いやね、飲み屋っつーか雰囲気が割と良い焼き鳥屋みたいなところで飲んだんだけどさ、そこで扇子を忘れてきちゃったんだよね。しかも一番お気に入りの富士山のやつでさ、まぁ去年だか一昨年だかはジュンク堂で忘れてきてっつーかウィトゲンシュタインの棚のところに忘れてきて、んでそれを友達が次の日とかに偶然見つけてくれたっていう奇跡的な話があったけどさ、まぁ俺はつまりは扇子を忘れるってことなんだよ。しかも5000円とかするやつだから「また買えばいいか」みたいなノリにならないしね。


いや、だからもう持ち歩くのやめようと思って。扇子忘れてないかな?っていつも思うのも面倒だし、忘れたときに今回みたいにあたふたするのも嫌だし、もういいやーと思って。あとはまぁ忘れそうなときは忘れてもいいようなものを持っていくとかさ、そういう使い分けが必要だよねっつーかそれでももうやめようかなって思うけどね。でもまぁ本屋に行くときとか定番だからさ、扇子がないと落ち着かないから必需品ではあるんだけど、飲み屋とかに入るときはどうせ冷房とか効いてるからむやみやたらに取り出さないほうがいいなーとか思ってっつーかどうしようかな?もう自分にムカつくんだよね。


いや、で、その日にさ、友達に連絡してっつーか友達がその店の番号教えてくれてさ、んでもまぁその日はもう閉まっててかからなかったから、今日電話したら見つかりませんでしたみたいな感じでさ、もうショックだよね。一番無くなってほしくない扇子がなくなるなんてねぇ!って感じで。


これはもう物欲っつーよりかは愛着だよね。扇子は好きだから無くなると凄まじく嫌なわけだ。仮に金に余裕があったとしてもそれは嫌だよね。5000円もしたのに!だったら金の問題だけどお気に入りだったのに!ってのは金の問題じゃないからね。また同じのを買えばいいって話でもないし。


もうすげー最悪なんだよね。気分が。なんでこんな毎年決まった時期に同じようなシチュエーションでなくすかねぇ?っていう。いや、無かったってことは誰かが持っていったってことでしょ。つくりが良いしデザインが良いからそりゃー持っていくよねっていう。twitter感覚でさ、「扇子なくしたんだけど探してくれない?」っつって現場にいってくれる人とかいないかね?まぁもう遅いか。地鶏や渋谷桜丘店のカウンター前のボックス席なんだけど。探しにいってくれた人には未発表曲とかあげちゃうよ!っていう。いらないか。awardが低すぎるか。


探しにいってくれたっつーか見つけた人だよね。探しにいっても無かったらご苦労様でしただからまぁ何にもできないんだけど。いや、隙間とかに落ちてると思うんだけどねぇー。クソゲーRPGでこういうお使いイベントあるよね。そうすれば洞窟の鍵をあげるよみたいな。


もうなんだかねぇー。寂しいね。お気に入りのものが自分の過失によってなくなるなんてね。渋谷っつってすぐ行ければいいけど遠いのはかまわんのだけど交通費が死ぬほど高いからね。往復2000円以上とかもう終わってるよな。一律200円とかにしてほしいね。もしくは小田急ぐらいの価格にしておしいね。だって電車って関係ないじゃん?乗っちゃえばそれまでなわけでさ、距離が遠いからって運賃が上がるのっておかしいよね。前にも書いたけどああいうのってすんげー生活に影響があるわけ。いや、モロに財布に打撃を与えるというのもあるけど、あとはまぁフットワークが重くなるじゃん?200円ぐらいだったら通えるけど、往復2000円とかかかってたら元が取れないからいけないみたいなさ、まぁ学校とかバイトとかなんでもいいんだけど、実験してみてほしいよね。交通費が安くなったら郊外から人がより多く頻繁に来るようになるのか?っていう。いや、なると思うんだけど。


あとゲロが困ったもんだなっつー。去年も帰ってきたときに駅で口から液を吐いてる女の子がいたし、昨日は電車の中でゲロってるやつとかいたりして、本当に公共性ゼロだなっていう。まぁもう関係ないけどね。俺はもうああいう集団に属してるっつー意識が無いから客観的に見てて「哀れなやつらだなぁー」って思うだけなんだけどね。俺の読書にああいうのって何の影響も無いからね。まぁゲロが臭かったから車両移動したけどね。


あの「ピチャチャチャ」って音嫌だよね。他人のゲロの音なんて聞きたくないよね。臭いはある意味で慣れてるっつーかニューヨークの地下鉄ってネズミが腐ったような臭いとか平気でするからさ、電車で凄まじい臭いがするってまぁ別にたいしたことないんだけど、まぁ現象的なことでね、他人がゲロってるっつーのは見たくないよねってジュンク堂で買ったばかりの岡潔の伝記を読みながら思ったね。さっき読破したけども。


ジュンク堂でもさ、「理工」とかって名札に書いている店員の子とかがすげー丁寧にさ、雨だからっつーんでビニールを袋にかぶせてくれたりなんかして、なんつーかいいね。ああいうなんか尽くす感じってアメリカ人にないからね。ああいう丁寧な感じっつーの?まぁブックオフとかと店員の質が違うからまぁ当然なのかもしれないけどね。でも特に本屋って店員の品格みたいなのってすげー重要だね。アホが店員やってちゃダメだね。あと宗教がかったやつらがいっせいに「いらっしゃいませー」って言うとか。


アメリカ人とか西洋人みたいなのにオブセッシヴになってたからこそ日本人の女の子のよさみたいなのが分かってきた気がしなくもないな。意外とヒエラルキー無いなっていう。ニューヨークはまぁやっぱおかずだよな。で、まぁ銀行とかも行ってきたんだけど、日本人の対応の丁寧な若い女の子とかのよさっておかずじゃないよね。なんか女の子のやさしさだよね。まぁあれが仕事だからプライベートでは分からないんだけど。


まぁおかず感ではニューヨークの抜ける連中にかなうものはいないよねー。やっぱり。でもだからといって日本人の女の子がダメなわけじゃないっつーのは最近すげー分かったね。


目的がある程度定められてるからこそ生活にブレが無いよね。だから環境とかに過度な影響は受けない。だからゲロとか俺の目標にとっては関係ないわけで。俺は俺の道を歩めばいいわけで、ゲロとか人ごみとか満員電車とか関係ないもんね。相変わらず本とか読んでればいいわけで。組織に属さなければ日本のすんげー嫌なところって感じないよね。だからまぁそういう意味で俺は安全圏にいるわけだからっつってもここがコンフォートゾーンというわけでもなくて、まぁ前と同じく目標に向かうベースになる場所とか生活だよね。無駄なことをやらない生活っつーか。贅沢でゴメンネ。独学の情緒ですな。まさしくって意味分からないか。


「俺、数学に目覚めちゃってさぁー」って久々に会った友達に話したら「いや、でも向いてるかもね」とかって言ってくれてさ、ようは俺は哲学でも音楽でもいいんだけど、もともと不安定な情緒のバランスを取ってくれているというのがこういうものなんだよね。まぁそれが哲学とか音楽とか数学なわけで。まぁ本当にそうだよねぇーっていう。


・・・・ってーのをまぁ書いてたときに家族が帰ってきたわけだけど、まぁあとね、あれなんだわ、親父にさ、とんかつ屋でね、まぁ俺が学問をやるのはいいんだけど、今の俺は頭脳を一番使えているときだからまぁ良いかもしれないけど、今後は何十年単位で見てみると脳の衰えってのが来るから脳を最高に使えるときにちょうど活躍できるように人生設計しなきゃダメだぞみたいなことは言われたんだよね。まぁつまりはピークはあるぞっていう。まぁ医学的っつーかまぁ脳のことだよね。でもまぁこれってさ、まぁある程度は事実にしても俗説だと思うっつーのがまぁ脳って筋肉と一緒で使えば鍛えられるし、使わなきゃ退化するじゃん?だからまぁ年齢関係なくずーっと筋トレとかやってる人はおっさんでも若者に負けないぐらいの体力とか筋力があったりするわけでさ、まぁそりゃー何でも若いときにやっておいたほうがいいけど、でもまぁ若いときってフレームワーク作りだと思うんだよね。畑村さんが書いてるようなフレームワークって意味なんだけど、まぁつまりはこれはさ、まぁ数学なり哲学なりなんでもいいんだが思考のパラダイムを作るってことだよね。数学なら代数的構造とか幾何的構造とかさ、そういうのをまぁ言語にしても行動にしても思考にしても形成する時期がまぁ若年期だと思うのね。


で、俺的にはそれさえ上手く形成されてしまえばあとはもうcultivateするだけっつーかさ、阿頼耶識に種子されたものを薫習していく感じ?まぁ何事も始めるのに遅いということは無いと思うけど、でもまぁフレームワークという意味での種子に良い時期はあるよね。まぁ大地が一番活き活きしている時期っていうか。


まぁそんな感じでさ、「まぁ別にそれは大丈夫だよ」とかっていえるんだけど、親父の場合、俺を説教しようとしてるわけじゃなくて、本当に優しさで言ってくれてるんだよね。親父の難点はその奥深い優しさが表面からは理解できない事が多いんだけど、まぁそれが親父の不器用なところなんだけど、でもそれは警告ではなくて優しさなんであってさ、直に受け止めるべき言葉なんだよね。こんな歳になってこんだけ金使ってまだ大学に行かせてくれるってまぁ尋常なことじゃないしさ、なんていえばいいのか分からんけどさ、反論するようなことじゃないよね。医学的事実はあるけども俺には関係ないだろうというリアルな部分と、そうではない言葉の裏に隠された優しさってことがあるわけでさ、だから俺はその優しさを受け取らなきゃいけないんだよね。医学的事実という情報はだからまぁある意味でどうでもいいわけだ。親父の俺に対するawarenessだよね。まぁ凄く尊いものだよね。それは。だからそれにロジックで反論するとかっておかしいことなわけだよね。俺はなんでも理詰めで言い尽くすところがあるからさ、そういうのがまぁたまに悪く作用することもあったりするのね。


まぁそんな感じだわっつーか中途半端だけど今日はこの辺で。また家族が帰ってくるかもしれないんで。早くネット環境作らないとな。このキーボード打ちにくいしガチャガチャうるさいし。