ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

虚数の情緒について。

ファンが多いのは何よりだね。なんつーか亡者的なのよね。自縛霊的というかなんというか、「お前も引き摺り下ろしてやる!」みたいな怨念だよね。自分がダメなのを悟るのはいいけど、人にも「お前はダメなんだよ。俺と同じだ!」って言うのって結局、自分が寂しいからだよね。もしくはなんつーかあまりに自分が惨めだからお前も道連れにしてやる!みたいなさっき書いた怨念的な感じね。そういう負の圧力みたいなのが同調圧力になったときにまぁ恐ろしい怨念の磁場みたいなのが発生するわけだよね。それがまぁ村社会的な足の引っ張り合いってことだね。あんま日本日本って言うのはアレなんだけど、なんで日本はそうなのか?っていうのが凄く気になるよね。自分がダメなのはまぁいいんだけども「お前もだよ」って言う神経がなんなのかが凄く気になるね。相当不幸なんだろうなとは思うけども。


相変わらずウォール伝には良くも悪くも根強いファンがいるのだなということに改めて気がついたので、あんま放置しないようにしようかなぁーとは思ったね。まぁ放置してるつもりはないんだけどね。生活が新しくなって、んでまぁウォール伝を書くってことが生活に組み込まれてないっつーのはあるよね。まぁウォール伝っつーかネット全般そうなんだけど。俺もブログ慣れしたよなぁー。もう煽りとかに何も感じなくなってる。これはこれで結構つまらないもんだよな。慣れって基本的につまらんよね。多分前だったら一行に対して1エントリーとか書いてたと思うんだけど、今は全然書こうと思わないっつーか煽りもワンパターンで、過去にガーッ!っと書いたことがあったんで書く事がもう無いのかもね。煽りなら煽りでもうちょっとおもしろいやつならいいんだけどね。今回のは前の「数学プロジェクトはどうなったんですか?」みたいなワンパターンな感じを受けるよね。見た目ちょっと調子悪そうだとそこに付け込んでくるパターン。まぁ実際は調子悪くないんだけど。


あと煽りっつーよりかは批判とかでもすんげーちゃんとした批判とかだったら対話が発生すると思うんだよね。なるほどーってまぁ批判されてるのにも関わらず、あまりに批判が的確すぎてそこから学んでしまうというかなんというか。俺が努力意味無いって言い切ったエントリーに対する受験生の怒りの書き込みとか凄く良かったんだよな。最初は俺の書き方もあってそれに怒ってて喧嘩腰だったんだけど、やりとりをしていく中でお互いの考え方とかが対話で分かるようになって、んで最終的に止揚されていくみたいなね、ああいうパターンは論争から良い帰結に向かうっていうなんか良い論争の典型例っていうと大げさだけども、まぁ最初は喧嘩っぽくても然るべき対話があるとお互い得られるものがあるっていうかさ、まぁ対話の醍醐味だよね。でも最初から不毛さが分かってしまうような書き込みだと先が見えてしまうんでもうスパム的なんだよね。「ハイハイ」って感じで。だからつまらんのよね。せっかく書き込みしてるわけだから、もうちょっと的確に何か書いてくれればいいのになぁーって残念に思っちゃう。まぁそこまで考えないで書いてるんだと思うんだけどねぇ。まぁでも良いカンフル剤になったってことで感謝してますよ。いや、皮肉ではなくマジで。ちょっと最近ウォール伝はかなり緩んでたかなって気はしてたからね。まぁ今日のは長いけども。


仏教で言う縁起ってつまりはそうだよね。仮に書き込みが悪口とか罵倒であったとしても、そこから生起する何かってのがある。それはもしかしたらきっかけかもしれないし刺激かもしれないんだけど、まぁ俺は割となんつーか全ての縁起を活かすことにはしてるよね。何らかの形で生起したものに間違いはないだろうっていうか、そこに正しさも間違いも無いわけだよね。変な話、感情とかも無いわけで。まぁナーガルジュナ的な空だよね。縁起しているものとは空であるっていう。まぁただ俺はそれを形而上学なemergenceだと捉えてるんだよね。だからまぁそれは何らかの生起なんだろうと捉えて活かすっていうかまぁ気づくんだよね。だからそこに憎悪とかは生まれないわけ。だってそれはただの現象だからね。憎い人とか憎い書き込みってのの憎さってのは心に顕在しているものなんであって、あくまでそれは心の作りものなんだよね。なのでまぁ書き込みってのを現象的に見てしまえばそれはまさしく縁起であり空でありまぁ俺の解釈で言えばなんらかが生起したものだと捉えられるわけで、んまぁ一瞬、脊髄反射的に「ドキッ!」っとはするけど、それはある意味での空の認知科学的に捉えてしまえば、結局、囚われているのは余計な心の起伏に躍らされている俺なんだよね。そういうのが自動的に分かるようになると、おそらくニルヴァーナへの道は近づく気がするね。まぁニルヴァーナでも悟りでもなんでもいいんだけども。


まぁ実際、こうやって何らかの縁起からこうやってエントリーが生まれてるわけじゃん?まぁ仏教でも何でも読むだけじゃなくて実践しなきゃいけないわけだけど、そういうのを実践する場でもあったってまぁ形而上学的に解釈できるよね。つまりは主観的に観れば精進という点から見てプラスのベクトルでしかない。だからこそ俺はどんな縁起でも大切にするわけね。


あとはまぁ知識欲をprovokeさせる何かでもあるよね。なぜそんなマインドセットになってしまうのか?とか、まぁ今回とは関係ないけど、メシウマというのはどういう感情か?とかさ、いじめの構造とも関係してくるとは思うんだけど、まぁそういう本あるから今度読んでみようとは思ってるんだけどね。なんでそんな風な人間になってしまうのか?っつーのはまぁ凄く昔から気になるところではあるよね。まぁ心理学とか社会心理学みたいな分野の話だとは思うんだけども。


すでになげぇーな。ってことで昨日の続きを。さっきも書いたけどこれもさらに長いです。


インプットってことで吉田武の虚数の情緒をゆっくり読んでるんだけどさ、いやね、読み終えてないんだけどあとがき読んだらさ、定価を下げるために出版以外の作業ってのは全部著者がやったらしいんだよね。まぁ編集とかまぁ色々なことだよね。あと数学者とかの写真がイラストなんだけどこれも写真を使うと使用料が発生するっつーんでイラストにしてあるらしいんだけど凄くない?


なんかさ、今後の日本とかまぁ教育ってのを憂いて自主的に数学の教科書を作ったって感じだよね。あとがき曰く著者は子供の頃の記憶とかが鮮明にビデオみたいに今でも再生できるらしいんだけど、まぁなんらかの形のギフテッドみたいな感じなんだろうなとは思ったね。もしかしたらこの本とかもさ、多い時は20時間とか一日に書いてたらしいんだけどね、一切の交際とかを断って一年ぐらいずーっと書き続けてたらしいんだけど、これもある意味でのまぁ過集中なのかな?とは思ったね。まぁ常人じゃないっつーのは凄く分かるね。憂いかたっていうと変だけど、「これではダメだ!」っていう危機感が岡潔とかに通じるものがあるんだよね。岡潔も当時の総理大臣だかにまぁ恐らく憂国系の手紙を書いた後に吐血したっつってたからね。胃潰瘍とかで胃の4/5を切除したとかなんとか。凄まじいよね。感情が明らかにOEだなっていう。


なんかまぁ虚数の情緒はね、まぁ吉田武の本はどれもそういう雰囲気があるんだけど、まぁ独自の文体とさ、昭和のじいさんが書いたような古い漢字の文体とか使うんだけどね、なんつーか情熱みたいなのを感じるんだよね。だから逆に冷めてる人には「なんだコイツ?勝手に熱くなりやがって」とかって思われるかもしれないってぐらいトーンが熱いんだよね。ニーチェみたいに激しいわけじゃなくて熱いのね。


まぁなんつーか学問全般に対するコミットメントについてとかさ、どんな人が向いてるのか?とかさ、なんつーか学問を志す人とか好きな人なら別に数学ってことだけじゃなくてもまぁ色々学べるところがあるっつーか最初の100ページぐらいは教育論みたいな感じなんだけどさ、ここだけでも文庫とかにして切り売りできるんでは?ってぐらいいいんだよね。学べる所っていうかまぁもうコミットしてる人でも「いいこと言うなぁー」って思えるっつーかさ、なんか熱いのよね。とにかく。凄くいいんだよ。そのトーンが。


俺が数学の本に求めるのってこういう熱さなんだよね。定理とか証明しか書いてないようなやつには全く興味無くてさ、そんなのネットで調べられるじゃん?俺が読みたいのはさ、数学解説と共に行われる著者の数学論とか数学観だよね。あとはまぁ著者のエピソードとかさ、まぁとにかく事実を羅列してるだけのものってまぁどんなものに限らずつまらんのよね。学術的にしっかりしたウィキペディアみたいなのができたらそういう本ってそういうのに代替されちゃうじゃん?だからこそまぁ著者のフィロソフィーっていうと大げさだけどさ、著書を書くっていう必然性があるようなものにしないとあえてそれを読む必要ってのが無くなっちゃうんだよね。なんつーかまぁジレンマだよね。


知識欲をprovokeさせるようなものっていうかさ、それがまぁ本の役割の一つだと思うのね。いやさ、事実の羅列だけなんてまぁさっきも書いたように他に代わるものがいっぱいあるしさ、逆にそんなのを読むようなやつなんてすでにコミットしてるやつじゃん?なんつーか俺が言いたいのはさ、知らない分野でも「この分野面白そうだな」って思わせてくれるような解説書みたいな感じだよね。別にそれは入門書である必要は無くてさ、高等なものにしてもそれはそういう構成でいいわけ。数学とかまぁ他の分野にしてもさ、説明されていることは高度過ぎて素人には分からないけど、でも文章が面白いからついつい読んじゃうとかさ、そんなのがあればいいよね。そういうのって少ない気がするんだよな。哲学は逆に多いんだよね。特に新書とかで面白く読めるやつってのがあるんだけど、やっぱ数学とかになるとどうしても事実の羅列だけになっちゃう感は否めないよね。それでいいっていう人も多いのかもしれないけど、なんかそういうのってつまらないって俺は思うんだよね。


で、まぁそんな俺の願いを叶えてくれたような本がこの虚数の情緒だよね。まぁそういう意味で言うと数学ガールもそうなんだけどね。楽しく読める数学書って意外と少ないって意味で貴重なんだよね。かといって面白さとかにバイアスを傾け過ぎるとさ、例えば実際は得るものが少なくなっちゃうとかさ、そういうのってあるじゃん?数学者の面白いエピソードとかまぁ悪く言えば余談が多くなっちゃって中身は少ないみたいなさ、そういうのはダメとは言わないけど、まぁ数学書とは言えないよね。だからなんつーか教科書を丸々一冊読むぐらいの知識が得られてなおかつつまらない教科書を読むっていう苦行がいらないどころか楽しく読めるっていうテキストっつーかまぁ解説書だよね。


ところで高木貞治の解析概論ってなんか伝説の本みたいになってるじゃん?で、こないだ立ち読みしたんだけどさ、別になんかあえて「良い」って言うほどのもんでもないよね。現代だったらもっと分かりやすい面白い解析系の本なんて他にあるんじゃない?っていう感じでまぁなんつーか高木貞治レガシーなんだろうなとは思うんだけど。まぁあとは単純に解析とか他のやつにしても当時あれだけ体系的に比較的分かりやすく解説している本ってのがあれしかなかったから、だからまぁ理系のバイブルみたいになったのかな?ってのは思ったよね。だから今読むとポチョムキンみたいな昔の映画を見てるような感じがしちゃうんだよね。


いや、高木貞治のエッセイは前にも書いたように俺は大好きだけどさ、ただまぁ解析概論に関して言えばまぁあれしか本がなかったってことで理系にまつわるエピソードが多いってことでまぁ半ば伝説化された本で現代的な価値ってのは「?」なところはあるよね。なんつーか昔の映画の名作みたいな趣だよね。昔はみんなあれに感動したんだとか涙したんだとかっていう、そういうレガシーね。ノスタルジックなレガシーだよね。


数学の本ってさ、まぁやけに高いってのは前にも書いたけどさ、なんかすんげー昔の人が書いたようなやつがまだ現役っぽくなんたら入門みたいな感じで売られてるじゃん?あれって俺みたいな素人から見たら分からないよね。現代でも通用するような解説書とか入門書なのかさ、時代遅れなのか分からないじゃん?あとはまぁそれに代わるような現代的な入門書ってのが意外にすくねぇーなーってところだよね。テキストとかは別として、まぁ市販のものとしてさ、まぁ教科書じゃない書籍って意味でなんかそういうのって少ない気がしたんだよね。こないだジュンク堂に行った時にね。アメリカだとバカそうなやつから何から色々あるんだけど、日本の出版系だとaccessibleなものが少ない気がしたね。


「これで分かる!」とかさ「決定版!」みたいなのが色々あったりするんだけど、どれもこれも同じような感じなんだよね。ただの事実の羅列でさ、特に詳しい解説が書いてあるわけでもなければ、目を引くようなコラムとかイラストがあったりするわけでもなければさ、まぁ数学にそんなもんはいらない!って言われるかもしれないけど、スイーツ脳の俺としてはイラストとか楽しいコラムが欲しいわけですよ。あと逆に秀和システムみたいな出版社が図解の分かりやすい微積分とかの本を出してたりしてさ、一見品が無さそうに見えるんだけど分かりやすかったりするんだよね。で、逆にどれとは言わないけど、立派な見た目でジャケとかも良さげな上品そうに見える本とかを見るとただの事実の羅列だけだったりしてさ、こんなの機械にでも書かせればいいじゃん!みたいなのが多いんだよね。


いや、少ないってホント、そうだと思うんだよね。畑村さんも確か直感でわかる数学だかでさ、いや、違ったかも。まぁなんかでさ、いや、恐らく直感で分かる数学だと思うんだけど、視覚的に分かりやすくて目から鱗みたいな解説本は物理数学で言えば長沼伸一郎の「物理数学の直感的方法」だけで純粋に数学ってだけで言えばそういうのに出会った事が無いみたいなことは書いてたよな。いや、虚数の情緒は凄いと思うしさ、分かりやすさも「物理数学の直感的方法」と並ぶっつーと変だけどまぁ比較はナンセンスだからまぁとにかく分かりやすいってことでね、まぁべた褒めしちゃうけど、まぁ本当に良い本だと思うんだけどね、でも虚数の情緒だけではカバーしきれないトピックって腐るほどあるじゃん?


いや、あれは入門書っつーかさ、中学生からの数学入門みたいな感じだからさ、そりゃートピックは広いにしても数学宇宙を見れば狭いわけでさ、だからまぁああいう調子で色んなトピックについて書いてほしいって思うのはまぁ俺だけじゃないはずだよね。あの分かりやすさとか細かさとかさ、読んでて楽しいっていうliteratureとしての完成度とかも含めた入門書ってもっとあっていいと思うんだよね。でもまぁしつこいようだけど本当に味気ないのが多いなぁーって思うわけね。もっと合間合間に冗談とか下ねたとか余談とかあっていいのになぁーって思うんだけどさ、定理とか証明だけ書いてあったりさ、「ここは間違えやすいので重点的に復習しておこう」とかさ、ああいうのを書くやつの気が知れないんだよね。いや、受験用のテキストっつって書いてるならいいけどさ、誰にでも開かれている教科書ではなく書籍で教科書的になってるのってどうかと思うね。なんでコイツとか出版社はこんな本を出そうと思ったんだろう?っていう印象を与えるよね。それはダメ本という意味ではなくて教科書との違いがほとんど無いってことで、あえてこんなまぁー独立した単品で出す必要があったのか?ってことだよね。


まぁあと数学書なんて売れないからまぁ誰もやりたがらないってのはあるのかなぁー。いや、すんげー色んなトピックとかさ、高度な数学とかも載っててんでなおかつ読み物として面白いなんて本があったら俺は絶対買うけどね。まぁそういう意味で数学ガールは理想に近いんだよね。まぁこないだジュンク堂行ったら便乗商品っぽいのをいくつか見かけたけど。萌えとかいってさ、哲学にしても数学にしてもさ、哲学者とかキャラクターを萌え系にすれば萌えか?っていうとそうじゃないわけよ。まぁ俺は萌えって言葉が激しく嫌いだけどさ、それって上辺の萌えってことでしょ?それに対して数学ガールは内面の萌えなんだよね。それは数学に対する萌えとか数学を通した恋愛とかロマンとかって意味での萌えなんであって視覚的な萌えじゃないわけよ。


目が巨大な女の子とかね、かわいらしい仕草をする美少女キャラとかそういう表面的なことじゃないってことね。その内面的な萌えがつまりは理系の萌えってことなわけでしょ?まぁ理系ロマンって言い方をすればビューティフルマインドとかはまぁ理系ロマンだわな。つまりはそういうことよ。上辺とかじゃないってことね。まぁ仏教とかでもよく上辺とか表面的なことで何かを判断したりさ、そういったものに固執するのがいかにダメなことなのか?ってのが色んなところで説かれてると思うんだけど、良いliterature的なフレーバーが内在された数学書ってそれって内在化されたもんであってさ、いやね、数学は内容なんだから内容が書いてあればいいじゃないかって言われそうっていうかスキゾな頭がそんなことを言ってるように聞こえたけどさ、数学を解説する文章ってそれはもう数学だと思うのね。数式だけが文章じゃないわけよ。


だからといって数式を無くして言葉だけで数学を解説すればいいのか?っていうとそうじゃないわけでさ、まぁ俺が言いたいのはliterature的なフレーバーとか上品さってのはね、まぁ凄くその数学的内容とか学術的な内容に響き渡って内在されるものであるから、定理とか証明だけ書いてあればいいか?っつーとそうじゃないんだぜってことね。逆にまぁなんつーか内容だけ書いてあればいいやって思うようなやつがいたとしたらそいつとは友達になれないなぁーって思うよね。所謂、ティピカルな数学の乾いた冷たいイメージそのまんまの数学好きのやつっていうかさ、まぁ数式とか数学そのものが面白いから文章とかどうでもいいのかもしれないけど、定理とか証明を歪曲させないで理解をエンハンスさせる文章ってまぁつまりはもう定理とか証明とかと同族のものなわけよ。だからまぁ天才とかはともかくとしてさ、凡人には絶対ね、literature的フレーバーがある数学書ってのが絶対いいと思うのね。まぁそれを言い出すとどんな教科書でもそうなんだけどね。


でも政治学とか社会学とかまぁ所謂人文系っつーのかな?ああいうのって事実の羅列だけでも乾いた感じにならないよね。っつーのはまぁ扱ってるのが例えば思想だったりするからまぁそこに人間臭さがあって、だからまぁそれを羅列していくだけでも思想が持っている熱さみたいなのが少しは出てきて退屈しないのかもしれないね。それに比べて数学はっていうとまぁそれだけだとまぁ冷たいイメージがあるよね。これは事実ですってロボットが言ってるみたいな。でもその背後には色んなエピソードがあったりさ、その証明に至るまでの道とかがあったりしてさ、まぁつまりはそれをも含めた数学教育ってのはつまりはliteratureと一体の数学ってことだと思うのね。まぁある意味で数学史的なものが数学とセットになっている数学教育ね。まぁ別にそれは学校でやる数学に限らず数学を学ぶ上でのカリキュラムとしての数学教育って意味で言ってるんだけどね。


定理にしたって前後関係とか時代的コンテキストを踏まえた上で理解するのとしないのとでは雲泥の差があると思うのね。まぁ歴史なんてどうでもいいって言われそうだけど、むしろ数学史とか数学的読み物から色々読み始めた俺としてはそういうのを踏まえた上で知る数学ってのはよりいっそう面白く感じるんだよね。「なるほどね!だからこうなったのか!すげぇぇぇぇ!!」っていう感動が増すっていうかなんていうか。「時代遅れな定理だなぁー」とかって現代的な目で見たら終わりそうなものを歴史的コンテキストを知った上でそれを知ると「こんななーんも基盤が無い時代にすげぇ!これがあれに繋がっていくんだぁ!!すげぇぇぇぇ!!!」っていう感動が半端じゃないわけね。そういうプロセスとか感動を通じて数学の熱さとかロマンとか美しさみたいなのを感じていくわけだよね。


これはまぁ今の所の俺なりの数学の情緒だよね。数式だけではない数式の背後にある数学史とか数学ロマンとかを踏まえた上でのストーリー的な感動とかエピソード的な感動とかさコンテキスト的感動とかさ、まぁそういうことだよね。単純に数学ってだけで見れば無駄とか剰余に見えるようなものが実はまぁすげー数学教育において必要なことなんじゃないか?ってのはまぁ凄く思うよね。いや、むしろそれがあってこその数学でしょっていう。数式だけ引き出してきてツールとして学ぶ数学なんて面白くもなんともないじゃん?だからまぁ数学つまらなくなっちゃうわけよ。でもそうじゃないんだよってことは色んな数学的剰余から学べる気がするのね。まぁこれは数学好きの押しつけになるのかもしれないけど、10代以降なんてエピソード型の記憶が強くなっていく時期なんだから、それだからこそエピソード的に数学を学んだほうが頭に入ると思うんだよね。


様々な歴史がある数学の中でさ、前後関係とかを一切無視したブロック的な数学を暗記したって分からないしつまらないじゃん?だからまぁそんなに詳しくやらなくてもいいけどさ、バビロニア数学とかギリシャ数学から始めてもいいと思うんだよね。それは数学史っつって独立してやるものではなく数学の授業に組み込まれるってことね。古代の人は数をどういう風に考えていたか?とかさ、数ってなぁに?っていうある意味での超数学的なフレーバーを最初からにおわせておくんだよね。それって数覚が養われるような気がするし、何より数学に興味を持つやつらが増えるかもしれないからいいと思うんだよね。結果、そのほうが理解が深まるし時間はまぁかかるかもしれないけど結果的な効率はいいかもしれないよね。まぁ教養に無駄なんてことはないわけで。


まぁだからといって高校で微積分やるとかさ、理系しか使わないような数学もやらせるっつーのには俺は反対だけどね。そこはまさしく畑村さんが言うようにただの理系のエゴだと思うからね、そんなもんは大学に入ってからでいいと思うんだけどね。それだったらエレメンタリーな数学を数学史込みでみっちりやったほうがいいと思うのね。無理に色々とあり過ぎるものを大急ぎで暗記でやらせるよりよっぽどそっちのほうがいいと思うわけよ。あと三角関数ね。あんなもん理解できないと思うんだよね。だから暗記になるわけでしょ?逆にあれを理解するなんてことは一気にオイラーの例の公式とかにも繋がるわけでさ、まぁようは大学でやれっつー話なんだよね。まぁ関数とかっていう概念は普通に概念装置として使えるからまぁやってもいいと思うけど、なんだかグチャグチャのわけが分からないから暗記でやるしかないようなものに関してはただの時間の無駄だからやめたほうがいいね。


理系離れとかっていうけどさ、そもそもみんな理系離れでしょ?っていう。そもそも理系に関係するやつなんてそんなに多くないわけでさ、そんな特殊な分野のことを全員にやらせるってどうなの?って気がするよね。それも込みで学力とかが決まっちゃうって意味でも苦手なやつにとってそれはGPAとかを下げるような要素にもなるからさ、だからまぁなんつーか英語とか国語とか社会とか倫理とかもっとやったほうがいいようなのっていっぱいあるわけじゃん?だからそんな理系しか縁がないようなものをやらせるのはただの無駄なんじゃないか?って思うわけね。それで理系離れとかっていうのはお門違いなんじゃないかと。さっきも書いたようにそもそも大半の人は理系のことになんか興味無いし、逆に理系に進むやつなんて勝手に進むわけでさ、カリキュラムが緩くなってるから理系が少なくなってるってそういう量とか学科の問題じゃないと思うんだよね。


それこそさっき書いたような知識欲とか興味をprovokeさせるような授業をしてなかったり教えかたがつまらなさすぎたりするから理系離れするんであってさ、それは科学系なり数学みたいなものの面白さってのを教育が伝えられてないってことじゃん?それが問題なわけよ。だからこそ数学史を含めたロマン溢れる数学の授業をやるとかさ、ドライな教科書を一掃するとかね、そういうもっと抜本的な改革をしないと変わらないと思うね。現状のままで数学系のカリキュラムをハードにしたところで余計に理系離れが加速するだけだと思うんだけど。理系の成績が下がっていることと理系離れって全然関係無いと思うね。俺は。別に理系の点数が高くたってそれは受験的に暗記的にやってるやつとかだったら魂なんて無いようなもんじゃん?風俗嬢のセックスみたいなもんで愛は無いよね。ただの利益上の仕事っていうかなんていうか。だからまぁそういうやつの理科系の点数が高くたってそこに情熱が無ければそいつも理系離れの一人なわけよ。だって理系に関して言えば心ここにあらずなわけだから。


まぁようは離れてるかどうか?ってのは点数じゃ分からないってことね。仮面夫婦みたいなもんでさ、円満を装ってるだけかもしれないわけじゃん?そこに愛が無ければ優秀そうに見えたって実際は暗記とかね、受験用にやってるだけかもしれないわけだからってまぁ大半の場合、そうだと思うんだけど、そんなもん理系好きでもなんでもないよね。ただ理系の点数が高い生徒ってだけじゃん?んじゃあ何が「離れ」とやらを規定するか?っていうとまぁさっきも書いたけど愛だよね。もうそれにちょー興味があって大学でその勉強がしたい!ってぐらいの愛があったときにそいつはその学科と一体になってるってことだよね。つまりは離れてないってことよ。で、それは別に必ずしもテストの点数とかに反映されるわけじゃないと思うのね。すげー好きでもテストの点が悪いやつはいるかもしれないわけで。発想力はあるけど計算がダメとかさ、そんなやついっぱいいるでしょ。計算がダメだからっつって数学を諦めるなんてナンセンスだからね。


いや、愛の無いカラカラな授業ばっかやってたらそりゃー理系離れは進みますよ。暗記学科使いして暗記科目としてやらされるなんて苦痛以外のなんでもないからそりゃー離れるのも当然。だからこそ虚数の情緒みたいな知識欲をprovokeさせるような数学への情熱に溢れたようなものをテキストにするだとか、虚数の情緒的なliterature的フレーバーがある楽しい授業をやるとかさ、そういうことをしない限り理系離れなんて永遠に続くよね。人材が足りない!とかになってるのか分からんけど人材を育成したいならもっと面白い授業をやれってことだよね。うん。本当にこれに尽きるね。


人文系は事実の羅列だけでもまぁまぁ楽しめるから興味が湧く率もそんなに数学ほど低くはないって意味でまぁ暗記科目としてやらされる数学ってのは苦痛以外でもなんでもないから理系離れとかを促してるのはむしろ現状の教育にあるわけだよね。つまらねぇーカラカラの授業をやってるから離れるわけで。難しい要望かもしれないけど、まぁようは愛知だよね。もしくは知愛か。そういう意味でのフィロソフィーだよね。そういう知への愛みたいなのを教育がprovokeさせないと学問なんてジレッタントのおしゃべりツールに成り下がるよね。その成れの果てが哲学のような気がするんだけど。


あとはもうなんつーか時代っつーか社会のニーズに合わせて専攻する学科とかを選ぶんだったらもう大学は職業訓練施設に成り下がるしかないよね。今もとっくに成り下がってるんだろうけど、まぁつまりはそんなものは自明だから別に職業訓練施設であることに恥を感じないってぐらいのノリってことだよね。世の中を渡っていくためのテクネーを身につけたり開発する場としての大学ね。まぁもっともビジネスとかってなんで学校でやるのか分からないんだけどさ、まぁビジネスやる上で学歴とかがユーズフルになったりするならまぁそれもいいんじゃない?ってぐらいのシニカルなことになっちゃうよね。大学三年から就活するとかさ、面接用の塾があるとかもう終わってるよな。マジで。日本は大衆の衆愚化が恐ろしいどころかもうおぞましいっつーレベルのペースで進んでるよね。だからもう学問なんて時代遅れもいいところなわけだよね。まぁそれはアメリカでも似たような雰囲気を感じたけどね。だからまぁどこも同じなんだろうなぁーってのはなんとなく思ったっつーのは前にも何回も書いたことだけどもね。


なんつーかまぁさ、学力が落ちているとかって嘆く前にてめぇー達の教育カリキュラムを見直せよって俺はいいたいよね。つまんねぇーことばっかやってるから「意味ねぇー」っつってやらなくなるやつとかが増えるわけでさ、それは色んな学問的な知を促すようなフックを教育側が生徒達に対して仕掛けられてないってことなんだと思うんだよね。だって楽しけりゃ自主的にやるわけだから。まぁやらないやつは多いけどね、そもそも学問に興味を持つやつなんてちょーマイノリティだけどさ、それでもなんつーかなんでもかんでも学力の低下を生徒達の責任にするのってどうなの?って感じだよね。ああいう結果って教育システムの所産なんじゃないの?って気がするわけね。つまりは教師がクソだとかカリキュラムがクソだとか、まぁそういう結果が学力の結果を促してるんじゃないの?ってことだよね。まぁこれといったエビデンスは無いけども、まぁ俺の憶測ではそう思いますわね。凄まじいほどに。


ってことでまぁ虚数の情緒って本は一つの理想的な数学教育アーキタイプだって言えるわけですよ。まぁもっと補強して増補することもできるけどさ、まぁあくまでアーキタイプだからね。ちょっと読んでみたいなぁーとかって思ったらアフィっとくからそっから買ってくれると金銭的にありがたいってのはあるわな。まぁアフィるために書いたんじゃなくて、読んでて色々思ったことがあったから書いたらまぁ例によってこんなに長くなったわけだけど、なんかでもやっぱ書き始めると長くなるね。ちょっと今日は書いてて安心したかな。日本に帰ってきて、家族と接したりして、犬が可愛かったりして家庭内リア充になっちゃってウォール伝に向かわなくなるかな?って思ってたりしたんだけど、まぁ言いたいことはあるよね。そりゃ。色々読んでたら思う事はあるよね。


でもこういうことを書こう!と思って書き始めるわけじゃなくて、まぁ今は虚数の情緒を読んでますよーぐらいのことを書こうと思ったらそれにまつわることがどんどん出てきて長文化するっていうさ、いや、書いてたら出てくるのよ。書きたい事が。


まぁそんな感じですわ。まぁ今日は調子が良かったんでっつーか帰国してからは一番ウォール伝らしいウォール伝が書けたなってことでちょっと良かったね。ってことで今日はこの辺で。