ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

禁断の市場なんだけど面白いねっていう。

例のマンデルブロの本なんだがボリュームがあって読み応えがありつつもずーっと面白さが継続していてかなり希有な本だなと思ったね。なかなかここまで飽きがこないエキサイティングな本ってのもなかなか無いなと。最近学術書ばっか読んでたから余計にそう感じるのかもしれないけど、この本は数学者が書いた本なのにも関わらずなんつーか一般書としてのエンターテイメント性ってのがあって、彼自身のバイオグラフィ的なこととか数学史的なことも含めて色々と効果的な感じで語られててまぁとにかく凄いんだな。失礼ながら数学者が書いたと思えないぐらい面白い。数学エッセイストが書いたんじゃないか?ってぐらいエンタメ性が高いわけ。あと単純にまぁ今の俺のマイブームと一致してるから面白く感じるってのはあるかもしれないけど、んでもそれにしてもまぁかなりハイレベルな本だなと思って感心してるんだよね。


で、例のガウスのベルカーブの話なんだけど、恐らくまぁこれはブラックスワンにも続く話なんだろうけどさ、いや、ブラックスワンちょっと読んだんだけどまぁ面白そうっつーかタレブって哲学者だよなって思ったね。彼自身が若い頃に何よりも哲学者になりたかったって言ってるぐらいだし、俺的に言わせると哲学者と呼ばれているような通称な人達よりよっぽど哲学者だなって思ったね。俺が思う理想的な哲学者って意外と哲学の分野に少なくて、それこそ科学系に多いんだよね。アインシュタインとかエルデシュとかファインマンとかハイゼンベルグとかシュレーディンガーとかゲーデルとか彼らはまぁ俺的には哲学者だね。媒体が科学だっただけということでattitudeがモロに哲学者だよね。それに比べて20世紀の哲学者と呼ばれる人達はいつも批判してるけど言葉遊びをやり過ぎた感があって、なんかいかに哲学者っぽい語り口調で喋るかとか書くかってことに終始してた気がするんだよね。デリダとかドゥルーズとかラカンとかボードリヤールとか彼ら自身の哲学はたいしたことないとは思うんだけど、んでももっとクリアに書けば良かったと思うんだよね。そんなに悪くないとは思うわけよ。でもまぁ軽い語り口で書いたら重みがなくなるからまぁ哲学エッセイみたいな感じになっちゃうとは思うんだけどね。


そう思うとアーレントとかシュトラウスとかは言葉遊びに終始してないガチ感があるよね。素で難しくなっちゃってるっていう。それに比べてポストモダン系は概念がシンプルなのに文体とか語り口が異様に晦渋ってのがあるよね。日本で言えば廣松渉なんかが後者にあたるわけだ。彼の哲学を記述しようとすると難しくなってしまうっていう。西田幾多郎とかもそうかな。衒学的な理由でやってるポストモダン系とは違って天然な感じがあるよね。ポストモダン系ってみんな優等生だからつまんないんだよな。哲学者タイプが全然いない。そういう意味でもまぁ俺の中では哲学者って20世紀で言えば科学者に多いってい印象があるのね。


まぁそれはともかくマンデルブロもそうだったなって凄く読んでて思ったんだけど、話が逸れてたね。あ、ガウスのベルカーブの話なんだけど、ようはブラックスワンで散々批判されているであろう正規分布の話なんだけどさ、まぁ俺はプロじゃないから素人理解で書くとねっつーか数学系って書くの怖いんだよなぁー。まぁいいか。まぁこれは凄くシンプルな話なので。ようはね、ベルカーブっつーもんは射撃で言うならば的か的のあたりっていう統計の元になる範囲が決まってるものっていうイメージなのね。ダーツでも射撃でもいいけど、100人にやってもらったらまぁ大体このくらいの範囲でっつー平均値の分布ってのがあるじゃん?それはまぁ人数をいくら増やそうがまず的から外れないか的から多くは外れないよね。でもここで盲目って言い方するとアレだからまぁすげー天の邪鬼なやつがいたとしてさ、んでそいつがその統計のデータを取るってことに反発してダーツなり銃を的以外に向けて撃ったとするじゃん?


それは観測員を殺したとか後ろに投げたとかなんでもいいんだけど、言わば正規分布ってのはこういうのを想定してないんだよってことなんだよね。中心極限定理ってのがあって、色んな分布ってのを重ねあわせると正規分布が出来上がるからまぁ正規分布は信用できるっつーかまぁそれが理論的な根拠らしいんだけど、実際、正規分布が適用できるジャンルなんて限られてるってことだね。なのにも関わらず統計学ってのは全部正規分布っつーかさっき書いたガウスのベルカーブで説明できるように思ってるからダメなんだっていうのがマンデルブロの言い分だねっつーかタレブのネタ本ってこれじゃん!って気がするんだが。で、マンデルブロはマーケットっつーのはフラクタルなんだってことを言ってるわけだよね、で、その分布はpower law分布に従うんだとか。


アヴェレージってのはまぁ的を狙ってる限りそれは出るんだけど、んでもそのアヴェレージ自体の計り方がそもそも的を的にしない狂ったやつとか天の邪鬼なやつってのを想定してないってことだよね。タレブのブラックスワンで言いたいことも恐らくそんなことなんだろうってもう分かっちゃった気がするんだけど、んでもまぁ分かった気にならずに読んでみるけどね。んでもまぁすげーアイデアとしてはシンプルっつーか理にかなってるよね。それこそ全てが万事快調でも魔の一瞬は誰にでも訪れるっていうなんつーかギャスパー・ノエ的な魔の感じってまさしくブラックスワンなんじゃないかと。それが全ての崩壊をもたらす原因にもなるかもしれないけど、んでもそれは予測不可能であるっていう。事故で死ぬとか地震で建物が崩壊して死ぬとか予測できないもんね。まぁんでも投資系でも正規分布に従っていればある程度の予測はできるんだと思う。ようはブラック・ショールズの方程式っつーのも正規分布に依存しているものだからモデルがダメだ!ってことが言いたいわけでしょ?


でも別にそれは統計学とか経済学とかへの挑戦でもなんでもなくてようはメソッドが悪いんですよってことだよね。あたかもそれで全てのリスクが計れるとかって思っちゃうのがヤバいってことでさ、ただまぁそんな全てのリスクを予想できるものなんて無いですよってことだよね。フラクタルモデルだとようは予測とかはできないわけだよね。だからまぁあんま人気が出ないっつーか理論として使えないからね。いや、使えなくはないんだろうけどさ、んでもまぁ商売的にやるのであればまぁ正規分布を使ったやつでリスク計算とかしてるほうがいいっていう。ただそれが間違いか?っていうと完全にそうではないってことだよね。言わばまぁ近似値的なものが出る場合もあるってことなわけでまぁその蓋然性が高いかもしれないっていうだけでブラックスワン的なものには一切の配慮が配られてないからそれは危険だってことをタレブは言いたいんだよね。多分。いや、読む前から詮索し過ぎな気がするんだけど。


的の話でいえばクレージーなやつは滅多にいないから大抵の人は的を狙うからまぁそういう不確定なものは考慮しなくていいってことなんだよね。まぁでもクレージーなやつも入れないとそれは真の統計とは言えないんだけど、んでもそれで言うと真の統計なんて取れないからね。まぁ何人かをサンプリングした結果ってので出すしかないからさ、全てのものを考慮に入れた全能感溢れる統計なんて無理ってことだよね。そもそもそんなのは存在しないって意味であたかも統計は科学のように扱われているけど実際はかなり誤摩化しているところもあるみたいなことだよね。統計と言ってもそれは人々が思うような統計とは違ってまぁ近似値だと。コーシー分布ってのがそのクレージーも拾ってる分布らしいんだよね。で、ちなみにそのクレージーも考慮した分布ってのがさ、言わば上限とかが無いような値って1000人の統計取ったってさ、的を狙わないやつとかが出てきちゃったらすんげー平均値に影響を与えるじゃん?それが言わばまぁなんつーか比喩的に言うところの数値化できない数値っつーのかな?で、実際素直に正規分布に従う現象なんて全体から見れば少数でほとんどはべき分布に従うらしいんだよね。


で、思ったのはIQも恐らくそうだよね。あれは標準化されているテストで無理矢理出している数値っつーかさ、観測不可能な狂人とかを考慮に入れてないじゃん?それこそ想像力みたいな数値があったとして、それが原因でっつーかそれがハイパー過ぎて狂ってる人とかいるわけじゃん?でもそもそもIQテストを受けられるような状態に無い人とかって統計に入ってないわけじゃん?それであたかもIQというものが計れるなんて思ってるけどそんなの不可能ですよっていう。それこそ投資だのマーケットだのネットワークだの株だのっていうシステムかそれ以上に複雑なのが人間の脳なわけでIQテストなんつー安っぽい代物で人々のIQなんて計れないよってことだよね。んでもその無理矢理正規分布的なものに依拠できるようなpredictableなものに寄り添いがちじゃない?それで計れたらまぁ便利なこともあるからっつーかそこまで厳密性が無くても大体分かればいいからっつー意味で大雑把な意味でIQテストとか株とかのリスク予想だとかはあってもいいよってことだよね。


でもそれは常にまぁ仮説的なものに過ぎないっつーか厳密な科学足り得ないってことだよね。それはブラックスワン的なものであれ狂人のイマジネーションであれ、そういうものには対応してないって意味で完全なる観測や予想は出来てないわけだからね。それをあたかも予測できるかのように振る舞うっつーのが危険だっていうさ、「まぁーでも実際はフラクタルだから分からないよねぇー」っていう前提があって計算可能な正規分布モデルでやってるならいいんだけど正規分布系のモデルがあたかも真実のように思っちゃってるってのがマズいってことだよね。だからまぁ世の中ってのは正規分布じゃなくて実際は大半のものはべき分布に従っているっていう認識が必要ってことだよね。


俺的に言うとまぁ的の比喩もそうなんだけど、IQで考えると凄く分かりやすいなと思って。それこそ何考えてるか分からないようなやつの知能を調べるなんて無理じゃん?標準的な尺度で見れば凡人かそれ以下でもそれって標準の尺度でしかモノを見てないってことでさ、実際はそいつのクレージーなイマジネーションとかって数値化できないし、仮に「想像力」なんていう数値があったとしても無限なぐらい狂ってるものだったらアヴェレージにすんげー影響を及ぼすっつーかそいつ一人がいるだけでもモデルは成り立たなくなっちゃうよね。これはまぁブラックスワン的なものを狂人に置き換えた場合なんだけど、狂人の場合、ブラックスワンとかよりよっぽどありふれてるし、実際、タレブが比喩的に言っているブラックスワン的なものですらも実際はありふれたものかもしれないんだよね。


実際は結構あるんだけど可視化されていないとか認識不可能だとか。まぁ話が哲学的になってしまうけど、タレブのメインポイントとしては今目に見えているものとか可視化されているものだけで物事を全て把握したような気になるなんてとんでもない!ってことだと思うわけね。まぁ懐疑論的な態度だよね。「いやいや・・・そんなことを言ったらウチの学問成り立たなくなりますから・・・」っていうところが多過ぎてまぁこういう見解は受け入れられ辛いんだと思うんだよね。恐らくまぁ経済学とかってのは正規分布モデルみたいなのに基づいているものばかりだし、フラクタルなんて導入しようものならややこしくなりすぎてわけがわからなくなるから導入したくないっつー既得権的なものもあるんじゃないかと。でもまぁマンデルブロの本でも語られているようにパレートの法則とかは実はべき分布に基づく分析なんだよね。パレートってあんなに凄い人だとは思わなかったな。


うんまぁなんつーかフラクタルでしたとかべき分布でした。ちゃんちゃん・・・ってな分析はそれが起こった後にしか分からないんだよね。だから予測不可能でもその分布はべき分布に基づくっていう。自然の形成原理だよね。それはフラクタルですんげー元はシンプルでもそこから複雑性を生成することが出来るっていうさ、自然の形成原理ってのが自己相似性ってことなんだけど言わば不規則なカオスってことだよね。でもなぜか論理的に納得がいくよね。平均寿命だなんだって言われても長寿大国とか言われようが人間はいつ死ぬか分からないし、統計なんてまぁそんなものじゃん?まぁいやね、それも統計に含まれているんだけど、かといってそれを基準にして自分は80いくつまで生きられるんだ!って思うなんてナンセンスじゃん?


明日には死んでいる可能性が無くもないわけだからあくまで統計ってのは参考の一つにしか過ぎないわけだよね。まぁこれは比喩的な理解で厳密な理解とは違うけどね。タレブも恐らく悪く言えば比喩的なことを書き過ぎているっていうかつまりはあれは一般書でコンセプトを伝えるストーリーを語っているnarrativeなんであって厳密な科学ではないってことだよね。タレブのメインポイントはブラックスワンによって展開されているけど理論的なことは展開されていないんだろうし展開したって素人には理解できっこないから専門的な批判なりなんなりは自分の論文を読んでからそれに対して批判してくれってことなんだよね。そりゃ確かにそうだよな。専門家が専門家の一般書に対して理論的な批判をしてもしょうがないよね。それは専門家なんだから専門の分野で理論的な批判をしろってことでしょ。


ブラックスワンに関して言えばポイントは大意を理解することで理論的な理解は専門書を読むしかないよね。「いや、学問が成り立たなくなりますけど・・・」的な批判もようはさ、恐らくタレブは統計学の全てが間違いだ!なんて言ってないと思うんだよね。まぁ派手にそう言っている節はあるにせよ万能の科学みたいに扱うのは間違ってるってことだよね。だからまぁやたらベルカーブの話を出すんだと思うんだけど、それはタレブのメインポイントを述べるコアの部分なわけだから頻繁に登場するのは頷けるよね。所謂、正規分布に基づくモデルを批判するのも、そもそも間違ったフレームワークフラクタルを取り入れて改良しても元々のモデルが間違ってるんだから意味無い的なさ、これってマンデルブロの主張のように思えるんだけど、ようは正規分布のモデル側としては人間がhandyでusefulな感じで使える正規分布モデルに改良を加えているっていうだけでまぁただの人間のツールなんだよね。それは。厳密な科学ではない。


かといってusefulでhandyな理論が完全に使えないものか?っていうとそうじゃないわけでさ、それは大抵においてまぁ大体ワークするっていう適当なところでやってるもんだと思うんだよね。言わばまぁ最適化みたいな感じかな?完璧ではないけどまぁ8割ぐらい大丈夫ですよってのが分かるものっつーかなんつーか。それでもまぁ場合によっては理論的に100パーセント大丈夫なものもフラクタルモデルでそもそも構築していないモデルの上で出ている100パーセントという数値だからそれは厳密に言えば100パーセントではないってことだよね。「このモデルによれば」ってことだよね。なのでまぁモデルによってAAAランクをつけられていた金融商品なんかも実際は一瞬の狂いによって全て安全性が崩壊する場合もあるってことだよね。なのでまぁそれは理論上でのAAAランクにしか過ぎないってことなんだよね。


まぁそのさ、言わば「一瞬の狂い」ってのを予測できないのがモデルの限界じゃん?で、予測はできないけどフラクタルであると言えるのがフラクタルモデルだからマンデルブロの分析をそのまま敷衍すれば言わばフラクタルモデルが科学なんであって人間が使いやすいように扱われている正規分布モデルは厳密な意味では科学ではないってことだよね。かといってもまぁサプリメントみたいなもんで実際唱われている効果はないけどハーブなんでまぁなんらかのプラスの効果がある的なさ、サプリメントがあくまでサプリメントである所以がここじゃん?それが科学になると医薬品になるんだよね。臨床によって立証された効果という意味で。ちょっと違うかな?でもまぁ言ってる事分かるでしょ?


メラトニンよりかは睡眠薬のほうが睡眠薬なんだよねってことだよね。あ、んで臨床にしたってそれは統計であるから厳密な意味での安全性って分からないよねって実際そうなのか分からないけどでもそれによって死んだりビルから飛び降りたりする人が出てくるってのも頷けるよねっつーのが臨床には限界があるじゃん?世界の人々に配って効果をサンプリングするわけにはいかないからだからまぁ治験の場でやるしかないわけだよね。で、それが1000人を対象にして安全性が立証されたものでも1億人に配られたらいくつかの例外は絶対出てくるじゃん?で、それは大抵の人においては安全だけどたまにビルから飛び降りたりする人も出てくるっていう結構ギャンブル性の高いものになるよね。で、まぁ投資も言わばそういうことなんじゃないか?ってことだよね。


そう思ってタレブはクオンツだかトレーダー時代にちゃめちゃ保守的になってまず考えられる全てのデータにおいて安全であると一応はまぁ暫定的に言えるっていうぐらい安全なものにしか手を出さなくて成功をしていたわけだよね。まぁようは危ない橋を渡らないっていう当たり前のことなんだけどね。俺もそれは思ったんだめよね。すんげー金持ってるならめっちゃめちゃギャンブル性が高い投資をして生活費+娯楽費ぐらい稼いでればいいじゃん!っていう、ある種のブディスト的な感じっつーのかな?それは欲というよりかは生きていくというかとりあえず食っていくって意味で確実なものを手に入れる為に投資するってことだよね。欲丸出しでギャンブルのためにやるわけじゃないっていう。


いや、手持ちの金額が二倍になっても使い道無いんですけど・・・っていうさ、月20万ぐらい稼ぐなんて金あれば余裕な気がするんだよね。まぁそれなりの知識があれば超保守的に投資やってれば恐らく儲かるんでしょうっつーかそれこそ銀行の利子みたいなもんだよね。銀行が倒産しないとも限らないけど、200パーセントみたいなギャンブル性が高いものよりも2〜5パーセントぐらいの間でいいよね。それこそ元の額が大きければ低い利率だけでも生活ぐらいはできるでしょっていう、ようはいかに元本を無くさないか?ってことだよね。凄く当たり前のようなことに思えて意外とやられてないことっていうかさ、それこそ欲丸出しでやってたらダメなんだよね。資本主義的なシステムで言えばこれが一番合理的な金の稼ぎ方って気がするよね。労働なんか糞食らえ!な俺としては是非ともこんな感じで食っていきたいと思うけどまぁ元本がないとな。まぁ俺が言ってるのって投資!とかって言われるようなギャンブル性が高いものっつーよりかはただの資産運営だよね。でもこれが一番合理的で安全だよね。まぁモデル上の話で言えばね。


んでもそれこそそれってただの数値的な問題なんであってさ、俺の気が狂うとか欲を出すとかって計算されてないもんね。モデルって人間が合理的な選択をするっていう暗黙の了解があるけど投資なんて今なんて素人の奥さんとかがやってるようなパチンコみたいな世界なんだからさ、到底全ての投資を担うエージェントが合理的か?なんてまずありえないよねっつーかそんな想定の上には立てないよね。それこそトンデモ理論の上で投資してるような人もいるだろうし、素人の奥さんが素人に毛が生えたようなレベルのやつがやっているセミナー講師の言っていることを鵜呑みにして投資してる人もいるだろうし、それこそ未知数だよね。


素人の奥さんなんて何考えるか分からないからモデルでそんなの予測不可能だし所謂「動き」として可視化することも困難だろうね。それこそ素人の奥さんの脳なんてカオスみたいなもんだろうからね。まぁすげー馬鹿にしたような言い方でアレなんだけど、ようは俺が批判しているのはニート以下みたいなパラサイトレベルの人間なのにも関わらず「専業主婦」って言い切って余裕で街を歩けるような馬鹿奥様のことを言ってるんだけどね。あとは結婚の基準が相手の年収だとかさ、モロにパラサイトだよね。俺が言うのもなんだけど自分で金をなんとかするっつー発想がないのにも関わらずなんでそれが女にだけ許されるのかさっぱり分からないよね。


それで言えば逆があってこそ成立するもんだろうと思う。ようはヒモも別に格別ヒモつか言われずに夫が専業主婦とかやれるようになったらいいと思うんだよね。それも一つの生き方だと思う。ただ女にしか許されていないみたいなのって女性が社会進出できなかった昔の名残じゃん?差別されていたから旦那が大黒柱になっていたっていうさ、そういう意味で奥さんも旦那さんを敬っていたっていうさ、そういうヒエラルキーがあったけど今はそれって崩壊しているのにも関わらず女にだけは適当な生き方も許されているような気がするんだよね。女のニートって多分みんな家事手伝いとかって言えるから問題視されないんだよね。


それは東のエデンとか見てても分かるけどニートのイメージって「働いたら負けかなと思ってる」って街頭インタビューに答えてた坊主頭の青年みたいなイメージだよね。まぁそうじゃない平澤とか板津とかもいるわけだけどまぁなんつーか女性がいないんだな。それにしてもみっちょんは可愛いよなぁ。ジブリ系と萌え系の間みたいな絶妙なバランスがあってさすがだなって気がするね。で、あれなんだ、東のエデンについて書く事もないかなぁーと思って色々書いてたら話が別の方向で長くなったからそれは明日に分けるです。ちょっと量があまりに多過ぎるので。あと話題も違うしね。ってことでまた明日に続くです。