また新作14。


COLTEMONIKHA x Towa Tei - Meditative Scene Killer


COLTEMONIKHA「Scene Killer」 + Towa Tei「Meditation! (Instrumental Version)」


DJ Bold Mushroom, 2011




まりんのやつで一旦ラッシュが止まるかな?と思ったらそうでもなかった。それこそ何を思いつくか分からないからなんかができた後にはもうアイデアは無いわけだから「終わりかな?」って思うんだけどそこからまぁまた思いついてんでやって・・・ってのの繰り返しって感じだわ。


あ、んでやっぱさ、このようはなんつーかラッシュってさ、それこそ浮かんだらすぐ作れるっつー環境にあるから脳もそう動くんだよね。思いついても電車の中とかバイト中とかだったら多分飛んじゃうアイデアとかあとはもう帰った後に作ろうと思わないとかさ、まぁ疲れちゃったりしてね、だからまぁなんつーか余暇のパワーって凄いよね。効果的に使いこなせると凄く生産的になれる。まぁ別に生産的っつって金になるようなの作ってるわけじゃないんだけど、まぁ俺が言いたいのは人間的な活動って意味ね。


あとはここ三週間ぐらいのこの異様なラッシュって隔絶にあるんだよね。月初めとかは昼に寝て夜中に起きるみたいなサイクルでさ、家族と全然接しないし誰とも当然話さないしプロテイン生活が身に付いちゃったもんだからあんま食べなくても大丈夫になってるしさ、そういう状況の中でなんかまぁ異様な集中力って生まれるんだよね。読書もすげーはかどるわけ。前に今月の初めぐらいに病院行った時に書いたんだけどさ、俺にとってのまぁリアルっつーと変だけど、知覚していることが哲学のことだったり数学のことだったり音楽のことだったりっていうそれだけになるからさ、それが自分の主観の世界観みたいになるんだよね。


モロに閉じこもりなんだけど、でもこの閉じこもりがもたらすproductivityっつーか活動力って凄いんだよね。それこそ没頭するものっつーのはやっぱりずーっとそれだけやれるし誰とも会わなくていいみたいなさ、そういう環境によってはかどるっつーかさ、別に家族と話したくないわけじゃないんだけど、んでも夕飯とか一緒に食べながらテレビとか見てるみたいな時間が一切無いっていうことの浮世離れ間っつーか引き蘢り感っつーかさ、前にまぁベッドの上で全て事足りるって書いたけど、このベッドの上にいる時間が生活の大半を占めれば占めるほど何かが進むんだよね。


あと最近のことで言えばなんつーかさ、前って例えば具体的に2年後にはもう4年制大学行くからとかさ、なんか一応まぁ予定調和説的に予定があったから猶予みたいなのが決まっててさ、その中でどう読書を進めるか?みたいなさ、変な言い方になるけどまぁ焦りみたいなのはあったんだよね。それが多読を呼ぶわけだ。だからあまりにも時間がかかり過ぎるような本とかって読めなかったんだよね。必ず途中で挫折してたけど、今ってまぁ本当にそれこそずーっと時間使えるからさ、「時間がかかり過ぎて無理!」ってことを躊躇無くやれるっつーのかな?マッシュアップなんかもそうだよね。


学校行ってたらこんなペースで作れないし自由時間がたとえ多くても有限じゃん?宿題やる時間だの読書の時間だのっつーそういう配分があるけど、今はまぁ良い意味でグダグダなんだよね。それはダラダラということではなくて予定を決めてやっていくとかっていうよりかはもう思いついた行動をそのまま実行していれば時間が勝手に過ぎていくっていうそういう感じなんだよね。


ようは昔のまぁそれこそ学校行ってた頃の俺とかはその生活感というか環境からも時間に結局は束縛されてたような気がするんだけど、今って時間ってことが意味なくなってるからね。それこそ別に朝起きる必然性も無いし夜もまた然りだし、かといっても膨大にある時間をどう過ごすのか?って思うかもしれないけどやることだらけで全然時間が足りないぐらいなんだよね。佐藤優さんが獄中記で拡散しやすい知的好奇心を意図的にコントロールしないと色々なところに知識欲が散らばり過ぎて決まったものを体系的に出来なくなるみたいなことを言ってたじゃん?


それってようはまぁ佐藤さんはニートじゃないし囚人の頃も何年って決まってたわけだからさ、だからまぁそういうのを意図的にコントロールしなきゃいけなかったんだろうけど、俺の場合、特に今はそれをやる必要性が全く無いってことで勝手に知的好奇心とかやりたいことっていうのを実行してればそれだけでもう全てが上手く行くみたいなそんな感じになってるんだよね。凄く知識とかも頭の中に入ってくる感じがするし、まぁそりゃー毎日これだけ色々と読んでてたっぷり寝てれば嫌でも忘れないけどさ、これってまぁ脳を鍛える生活としてはかなり最強だよね。


帰国後すぐにまぁ別に実家にいてもニューヨーク時代の地下みたいな感じを保つことはできるって思ってたけど、今が一番それに近いね。それがようはまぁ極力家族と話さないとか接しないってことなんだよね。かといっても別に蟲する必要はないんだけどさ、んでも雑談すらしないっていうなんつーか意識の志向性が一切自分の物理的な外部に向かわないっていうさ、認識って意味での内面にしか志向性が向いていないということから来るなんつーかまぁ異常な集中力っていうかこの頭に入ってくる感じとかさ、ホワイトボード買おう!とかって思ったのもまぁこのビート感っつーかこういう雰囲気が生まれてきたら余計に思ったのかもなぁとは思ったね。


まぁでもやっぱり家族と話すとかっていうのはまぁそれはそれでいいもんだしあんまりやり過ぎないと家族とすらコミュニケーションできなくなったりする場合もあるんだけど、んでもなんかまぁどっちを取るか?って感じだよね。このなんつーか誰とも話さない中での認識にのみ意識の志向性が向くっていうのはまぁそれこそ本当にニューヨークの地下と同じでさ、やっぱこの時が一番調子良いんだよね。もちろんまぁそれは家族がいるからできることなんだけど、でもまぁなんつーか実務とか時間に追われないってことの凄さってやっぱあるよね。本当に。


読書量とかも自分としては全然はかどってない感じがしても世の中のペースから言えば異常なペースだろうしね。それはそれこそバイトとかコミュニケーションとか実務とか責務みたいな色んなのがある人にとっての一日と俺の一日って全然違うじゃん?俺は普通の人が一週間のうちの自由時間を全て足したぐらいの自由時間を一日で持っていて、まぁんでもそれは持ってるだけじゃダメでようはそれを使うっていうことだよね。持ってるだけだとそれこそニートとかなんだけど使うとまぁすげー有効っつーかさ、とてもじゃないけどやれそうになさそうなこととかの敷居が下がるんだよね。色々と大変なこととか時間が無いとかってことが無いんで無謀なことに挑戦できたりするっていうさ、なんつーか前にも書いたけど時間を有効に使うってことだよね。


なかなか普通では想像できないだろうけどんでもまぁ丸一日使い切れるっていうのが毎日続くって凄いことなんだよね。で、それは必ずしも万人に向いてるとは限らなくてさ、そこまで自由過ぎると何をやっていいか分からないとかさ、だらけちゃうとかある程度の拘束時間が無いと時間に対しての「自由」という概念が生まれてこないっていうさ、それはある意味で束縛ということがあるからこその自由っていうなんつーかfree fromっていう感じの自由だよね。occupationにoccupiedされないという意味での自由なんであって、まぁそれは有限だからこそ楽しめる自由っつー場合もあるじゃん?むしろそれが無いと感覚が狂っちゃうっていうさ、そこをなんつーかまぁ世界観を内面とか認識っていうのに持ってこれる人は何かに没頭するのに向いてるっていうかさ、それも一種の特性だよね。上手く使えば才能と言えなくもないと思う。


まぁ才能ってあくまで社会的な評価だからね。でも別に何かをやる前に社会的なものを意識しなくてもそれが社会的なものに結実すればいいのであってさ、それだけに行動の原理みたいなのが支配されるべきではないよね。それに支配されることでやれなくなったりやる意味がなくなったりするのっていっぱいあるでしょ。俺は凄く逆のほうが凄くあるなと思っていて。ようは行動原理が社会ってもんに先立ち過ぎていて反社会的になってるっていうかさ、ようはその人間が結果的に疎外されてしまうっていうか、人間的な生き方を出来なかったりするっていう場合にはそれは社会が個を縛り過ぎてるんだよね。


でもそれは社会側から権力者とかが個に服従を迫っているのではなくて、個が社会に服従しちゃってるんだよね。結果的に。自分から束縛されるように動いてるっていうかなんていうか。それで失われてるものって結構あるよね。だからやっぱ人間には根本的に自由が無いとダメだと思うのよ。そうじゃないと人間がダメになると思うんだよね。やたら命令だの拘束だのっていうまぁ態度が凄く受動的になるっていうかさ、積極性が無くなるっていうか自分で考える力が無くなるっていうか育めなくなるっていうかなんていうか。



あといきなり話が変わるんだけどさ、こないだマッシュアップの話をしたときに自己生成がどうのみたいな話をしたじゃん?autopoiesisみたいな概念でまぁミルプラトーの話とか出てたんだけどこないだYou TubeのアカウントにミルプラトーのMarcusさんから動画共有だかなんだかっていう「見てみてください」みたいなメールみたいなのが来ててビビったんだよね。すげースンクロ率だな!っていう。こないだちょうどミルプラトーの話してたら本拠地からメールが来たよ!みたいなさ、で、最初はスパムみたいなもんかと思ったんだけど調べたらちゃんとミルプラトーなんだよね。で、友達登録とかってやってみたらあっちが認証してくれてミルプラトーが友達になってるんだよね(笑)


っつーか驚いたのが見る人は見るんだなー!ってことなんだよね。こないだのダブステップのラップの人じゃないけど全然登録してすぐの時にもメッセージが来たじゃん?いや、YouTubeって本当にアクセス数が伸びないんだけどさ、それもまぁ当たり前なんだよね。あまりにも投稿動画が多過ぎるし、その中からあえて選んで見られるっていうのもさ、動画サイトが珍しい時代ならともかくとして今なんてまぁ結構なことだよね。だからまぁアクセス数が伸びないのなんて当たり前なんだよね。


それでもまぁ結構急に伸びたりする場合とかもあるんだけど、なんつーかその振る舞いが凄く面白くてさ、観測対象になってるっつーかなんつーかまぁブログと同じだけどね。凄いアクセス数なんてそれこそ有名人か素人なら度肝を抜くような何かってのを投稿しないと得られないからまぁそういう意味で最初から凄いアクセス数なんて無理だし得ようとはしてないんだけど、ようはその得ようとしないからこそできることってあるんだよね。別に大作とか作らなくても実験的なマッシュアップとかも思いつきで作ったらとりあえず投稿しちゃうみたいなさ、だからまぁクオリティにバラつきが出てきてるとは思うけど、まぁでも好みの問題もあるしね、まぁその気楽さというかなんというか。


最初はやっぱ気負いがあったんだよね。誰も知る由がないのになぜか世界を相手にしてるような緊張感があったりして(笑)かっこ笑い使わないほうがいい?いや、結構これって重要なんだなって中2の従姉妹とメールやってて思ったんだよね。メル友みたいなのってまぁ従姉妹ぐらいだけどなんつーかメールでの表現力が半端じゃないんだよね。


まぁ典型的な今の子供っつーか若い世代なんだろうけど凄く女の子らしくて可愛くて感情とかがめちゃくちゃ出てたりさりげなく質問したりとか感情を伝えるのとかがすげー上手いっつーかさ、まぁ本当にメール文章っていうかね、何かでも本当に今の世代なんだなぁーってのを感じると同時に俺がやっぱおっさんみたいになってきてるっつーかそれは精神的にってことじゃなくて世代的に不可避的に上っつーかまぁ中間ぐらいに来たのかな?って気がするよね。自分が10代後半とかなら年齢差もそんなに無いから世代間の差とか違いを感じないとは思うんだけどここまで離れてるとやっぱ感じるよねぇ。


若くいる秘訣は若者と接し続けることだっていうことの意味が分かるような気がしたね。それで確かホワイトヘッドだったか自宅をオープンにしてて常に生徒が出入りできるようになってたらしいね。それもまぁやっぱ生徒のためっていうよりかは自分のためだったんだろうね。それってすげー重要なことだよね。特に思想とかやるなら必要条件とも言えなくもないよね。本当にそうじゃないとカビが生えるよね。「ほう!そうなのか!」っていう驚きみたいなのはその前に書いたようなね、まぁクールな世代だって書いたような今の10代後半とかの人達ね。


やっぱそれはもうジェネレーションギャップなんだろうなっていうさ、やっぱ俺にも自分の世代特有の思い込みみたいなのがあって、そういうのが無いかもしくは世代の違いによって同じく存在してるような思い込みの種類が違ってきたりして、んでまぁそれでなんつーか感化されるというと大げさなんだけど、考え方っつーかなんつーかまぁ振る舞い方っつーかなんつーかさ、それはなんつーか地頭がどうのとか知識がどうのって話じゃないんだよね。で、なんかまぁそれで基本的に大人がつまらなくなるってそういうことなのかな?ってすげー思うんだよね。俺なんかホントに俺の親みたいな世代の人達に全然興味無いしさ、つまんない人多いなぁーっていつも思うしさ、あとはそれよりちょっと下ぐらいの世代だと面白い人がいるんだけど、でもまぁお馴染みの面白さなんだよね。


まぁ芸人とかでも同じかもね。中堅ぐらいは面白いけどでもまぁお馴染みの笑いになってるっていう。でも20そこいらみたいな世代の人達は「こんなのやっちゃうの?」みたいなことを平気でやるみたいなのがあったりするじゃん?それがまぁ目新しい意味での面白さになるんだろうね。まぁ目新しさだけではしょうがないんだけどさ、んでもまぁこういうのってあるよね。基本的にやっぱ色んな意味でファニーって意味じゃなくてinterestingって意味で面白いのってやっぱ若い人達なんだなっていうさ、なんかまぁ俺は勝手に期待しちゃうよね。いや、おっさん世代がつまらないのって世界共通なんだろうな。


いや、んで彼らの若い頃もあるから彼らが時代を作り上げてきたんだけど、んでももう作り上げる世代とかじゃなくなってるっていうさ、まぁそれでもリーダーみたいな人はいるけど、そういう人はまぁ特別にしても、んでもなんかまぁおっさん化っていうか年齢を重ねるっていうのはそういうことなのかな?って凄く感じるよね。観念の固定化っていうか柔軟性が無くなるのかまぁ定型なことの組み合わせばかりになっちゃうのか分からんけどさ、それこそ一昔前に若かった人達でも今では40過ぎ独特の雰囲気がでてるっていうさ、それがやっぱまぁ歳には敵わないってことなのかな?って思ったんだけど、俺はそういう意味で身体的に歳を取るのはしょうがないとしても精神的に歳は絶対取りたくないなって思うよね。


まぁ年長者が持てる積み重ねとか経験知みたいなさ、あとはまぁある種の落ち着きみたいなね、そういうのがありつつもんでも若い人特有の特性ってのは常に残しておくっていうかキープすることを意識的にやるみたいなね、それってすげー重要だなって思ったね。それを知らず知らずのうちにやらないっつーか意識しないまま時代が自分の中で止まっちゃってる人がやっぱおっさん化していくんだろうなって凄く思うよね。だからまぁ成功してる人っつーかまぁおっさんでもめちゃめちゃ活躍してる人って基本的にやっぱ若いんだよね。


それは若者特有の若さ故の特性ってのをキープし続けてるからこそやれることっていうかまぁ保てる感性っていうかさ、好きな事やってる人って大抵みんな若いもんね。で、やさぐれる人ってまぁ大抵がhave to原理ばっかで動いてきていて不満ばっか言ってるみたいな人達だよね。凄まじく醜くて哀れな歳の取り方をしてるんだよね。それって接しててすげー分かるんだよな。逆にまぁ若くてもすでにそんな風になってる人もいるけどね。


結局まぁ分からんけどアンチエイジングとかいってさ、皮膚がどうのとかっていう物理的なことも結局はまぁ内面的なところから来るんじゃない?ってことだよね。まぁ内面が若くあればその若々しさが雰囲気とか見た目で出るってベタな感じで言われてることだけど今回書いてることに照らし合わせて言えばまぁすげー言えてるっつーかまぁそれってすげーあるだろうなって思うよね。


って感じで今日はこのへんで。