老犬の世話をしてきたよ。

いや、家業の初手伝いだったんだが、まぁペットホテルなんだけどね、まぁ他にも色々やってるんだけど、とりあえずまぁ全然まだ繁盛しとらんのだが初の泊まりのお客さんが老犬でさ、歩けなくて目もあんまり見えないんだけど基本的に泊まりの場合、まぁうちの場合は誰かが一緒にその場所にいて世話をするって感じなんだよね。ペットホテルっつーとまぁ場所だけ提供するってところもあるんだろうけどウチの場合は誰かがいるのね。で、まぁ俺は8時過ぎ頃に店に行ってんで母親と交代して朝の9時過ぎぐらいまで一緒にいたんだけどさ、まぁ色々考えることがあったよねぇー。


あ、ここがうちの家業のページね。


http://pal-pet.com/


まずは犬の事だけどあんままぁプライベートなことは書かないけどさ、色々と考えたよね。老いについてとかさ、うちの犬も初老だけど本当に老いてくると大変だなって。犬って誰でもそうだけどさ、「かわいぃー!」っつって衝動みたいなので飼うと思うんだけどまぁベタな言い方になるけどそれは一生面倒を見るってことの責任を負うってことでもあるじゃん?それが家族ってもんだからね。


そんな中でまぁ犬はそりゃー人間に比べて老いが早いからさ、目に見えて老いていくでしょ?まぁ俺も最近ヒゲをそらないで頭ボサボサでいたりすると鏡みたりすると「誰や!このおっさん!」って思うぐらい劣化してるけどねっつーかアラサーの老いだよな。こりゃ。まぁちゃんとすればまだ若いんだけどちゃんとしてないとかなり老けて見えるってのが結構ショックだよね。20そこそこの頃はどうなろうが若いわけだからさすがに歳には敵わんなぁーとか思って育毛もいいけどアンチエイジング全般やらないと嫁さんとか言う前に俺が劣化して誰も近づかなくなるなぁーとかしみじみ思うよね。


まぁそれはともかくだな、まぁ老いというか生命全般について色々考えたよね。ホントに。ちなみにこの子は俺に慣れるまで2時間ぐらいかかったけどやっぱり元々可愛がられてた子だから慣れるのが早かったっつーか俺の愛が通じたのかな?対人関係では愛がこんがらがったり構造が複雑過ぎてやってられないけど動物全般の場合、こっちがちゃんと伝える努力をすれば伝わる場合もあるからいいよね。人間だとあんまりナイーヴ過ぎる人って逆に社会にいなかったりするじゃん?大抵は引き蘢りだと思うからさ、だからそういう意味で対人はダメだけど対犬は十八番かなと。


まぁそれでも問題犬とかだと大変なんだけどね。まぁ素人が変に自信つけてもダメだしビギナーズラックだとは思うけどさ、ただやっぱなんつーかさ、「ただいるだけ」っつーとまぁあんまり家では実は集中できてない数学の理論的な本を持っていって没頭しよう!とかって思うけどさ、特に老犬の場合、ずーっと気遣ってなきゃいけないし放置なんて当然できないんだよね。若い子ならまぁ「寝てるなぁー」ぐらいでいいかもしれないけど老犬の場合、常に気を配ってないといけないから意外と大変なんだよね。少なくとも俺が思い描いていたような「いるだけ」感はゼロで意外と労働感たっぷりだったのが凄かったね。結構疲れたしっつーか労働らしい労働したのは何年ぶりなんだか。


でもまぁ普通の大抵のバイトができない俺が家業って形で家族にコントリビュートできてなおかつ老犬を介護できるってのは本当に俺っつーある意味でどうしようもないやつが機能できてて凄く満たされる感じがするよね。役に立てたな!っていう嬉しさがある。所謂、労働力としてただ使われるだけじゃなくて、老犬をだっこしてあげて普段俺がうちの犬にやってるような超溺愛モードとかをやってみたりさ、とにかく愛って伝わるもんなんだよね。「泣かないでー。お願いだからー」みたいなのであやしてるのは犬には分かるんだよね。「ただこいつ泣き止ませたいだけなんじゃね?」っつーのが。もうさ「かわいー!ってとにかく愛のオーラを出すんだよね。実際可愛いわけだし相手にもよるけどこの子の場合はだっこされて安心するって聞いてたからさ、不安そうに鳴く時はだっこしてあげてさ、そうすると鳴きやむし安心するんだよね。で、だんだん慣れてくるんだよね。


まぁそんな中で慣れてきてあとはやっぱ空調ってのが特に老犬には重要だってのがよく分かってさ、結構涼しかったからクーラーつけてなかったんだけど犬がハァハァしてたから軽めの冷房入れたら結構落ち着いてきたりしてさ、特に老犬は凄く敏感なんだろうね。温度に。暑過ぎてもダメだし寒過ぎてもダメっていう。まぁ若い時は耐えられたけど体が老いてくると大変になってくるのは人間も同じだよね。かといってもキンキンじゃ当然ダメで適温だよね。ここはさすがに節電とかいってられないわけよ。サービス業なわけだし犬第一だからさ、犬のためのクーラーだよね。


そんな感じでこの子も慣れてきてさ、んで俺もまぁ読書がだんだん集中できるようになったっつーか前の日に徹夜の準備のつもりはなかったんだけど13時間ぐらい寝ちゃってさ、ちょうど時間が良かったんだよね。朝の10時ぐらいまで寝ないで付き添いってのにピッタリな時間になってたっつーか。でも寝過ぎてたから頭がボーっとしてたからペットボトルの緑茶をガバガバ飲んでたらカフェインが効きだしてさ、んでまぁそっから読書を始めたわけだが、一冊は森毅の「現代の古典解析」でもう一冊は高瀬正仁の「ガウスの数論」だったんだけどさ、森毅の本は途中まで読んでたんだけどさ、結構後半がえげつない積分とか出てきて相当落ち込んだよね。


ラプラス作用素とか出てくるあたりからあまり俺には馴染みが無い偏微分計算とかが出てきたりして、あと概念的にまだ完全に理解してない三角関数が出てくるからあんま掴めないんだよね。で、オイラー積分だのフレネルの積分だのってのが出てきて「やっぱ俺ダメかな」って一瞬で自殺を考えるようになったよね。いや、俺が言いたいのは何も邪魔が無いさ、老犬と本しか無い場所だったら普段みたいに息抜きにネットやったり出来ないじゃん?っつーか他の事ができないでしょ?思い出したのは飛行機の中だったんだけどね。13時間ぐらいあるわけでさ、んで手持ちの本を読むぐらいしかやることがないっていうさ、でもそれが分からねぇー!っていうか分からないというよりかは計算が煩雑過ぎて追う気がしないっつーか、こんなのやらなあかんのか?って唖然とするわけね。


スターリングの公式とかもまぁ今の俺のレベルじゃ難し過ぎるんだろうけど、やっぱ計算とかじゃない概念としての対数とか指数とか階乗とかを理解してないと話にならん感じだよね。そりゃ計算方法だけ知ってれば問題は解けるのかもしれないけど、ここまでくるとさすがに概念を理解してないともうやってる意味ないんじゃね?ってぐらい世界が違うね。一刀斎ってサボリ流だのええかげん数学だのって言ってるけどやっぱ半端ねぇよな。その辺の馬鹿みたいな大学講師が書いたような分かりづらい自分の学生に買わせるために作らせたような不親切な本とかに比べて俺みたいな初学者が見てもなんとなく雰囲気を掴めるようになってるのが凄いよね。


あとはまぁあのインフォーマルなユーモアある書き方と学術的にしっかりしている記述のバランスの良さなんだけどね。なんかでもカフェインで出る手汗で本がボロボロになっちゃったんだけど、ようはさ、1ページ1ページスラスラめくれないからさ、結果的に本を持っている時間が長くなるんだよね。あとは分からないところをグッ!と見るからなんか手に力が入っちゃって余計に本が傷む感じなんだよね。まぁこういうのを一般に熟読っていうのかもしれないけど、まぁ数学書は熟読して自分の血肉にしないと何にもならんわな。なんか一刀斎のちゃらんぽらんなんちゃって京都弁がうつっちゃいそうなんだけど。


でもまぁある程度やっぱ微積分の概念は理解してるから複雑なのも何が起こっているのか?ってのは分かるんだよね。でも基礎概念の理解の度合いが浅いからなんとなくしか分からないわけ。んでも前の俺の比べたらエラい進歩だよね。ちょうど一年とちょいぐらい前にあっちの紀伊国屋で一刀斎の位相のこころとかこの古典解析のやつとか立ち読みしたけど暗号にしか見えなかったからね。「ゲっ!このおっさんこんなまともな本書いてたの!」って心底驚いた記憶があるな。それまでは一般的なイメージしかなかったからね。秋山仁的なタレント数学者みたいな。でもここまでガチとはねぇー。ここまで詳しく書けるっていくら教授とは言えやっぱ凄いよね。


「んでもやっぱ俺はダメなんやろか?」とか思いつつガウスの数論を読み始めてさ、これもまぁ途中ぐらいまで読んでたんだけど結局なんかさ、数論ってなんやねん!っての最近すげーあってさ、微積分とか確率論とかにしてもそうだし、あとは位相とか解析にしてもやっぱビジュアルがあるよね。絵が浮かぶっていうか。数論はそれが無いんだよね。今の所。


ルジャンドルの相互法則だとか何が面白いんだかさっぱり分からねぇーなーとか思いつつさ、加藤先生のフェルマーの本とか類体論とかの本も全然分からなくて読んでないんだけどさ、やっぱ数論あかんなぁー俺とか思っててさ、んでも読むのはこれしかないし、他と言えば恐ろしい積分が待っている一刀斎の古典解析の本しかないぢゃん!ってことで仕方なくガウスの数論を読み進めていったんだけどさ、もう朝になってたかな。この時点でもうかなりどっぷりハマっててさ、犬は前と違って安らかに寝てるしたまに撫でてあげたりしつつさ、ずーっと読んでてね、んでまぁ6時頃になってたかな?もうザッと8時間読書してたことになるよね。まぁ色々と生命についてとか人生についてとか考えてた時間もあるからまぁ正味8時間ではないけどね。


でもなんかさ、それしかやることがないってすんげー集中力高まるよね。家だとさ、読書っつっても色々と本があるから他の本とかをパラパラ見てはまた他の本をパラパラ見ては・・・って感じでintenceな感じの集中力が一個にいかないダラダラした読書が続くことが多いんだよね。そんな中でのあのペットホテルスペースは超ストイックなんだよね。意図的にパソコンを持っていってないという意味でニューヨーク時代の地下室以上だよね。だからもう数の世界にどっぷり浸かってる感じだよね。そんな中でガウスの数論を読み進めていくうちにさ、まぁ理論的なディティールを書くと間違ってたりしたら嫌だから書かないけど、まぁガウス整数域の凄さってのがそれまでの歴史を見てきてすげー分かるようになってるのよ。


DJで言うとピークタイムにガウス整数域が登場して「うわー!すげー!」ってなるわけ。その存在自体は別に知ってたけど数論の順をガウスを軸に追っていってさ、んで歴史的な流れからのガウス整数域ってのが出てきた時の感動といったらまぁそりゃー凄いわな。もう感動しちゃって死ぬかと思ったね。あんだけクソだと思ってた数論の見方が一気に変わってしまったね。類体論とか諦めてたけど研究してみようかなって気になってきたよね。まぁもちろん数論の基礎をみっちりやってからだけど。「2は数理整数域では素数ですが、ガウス整数域ではもはや素数ではないことになります。このあたりが、数域の拡大に伴って発生する新しい現象です」て本からの引用だけど、これを歴史の流れから知ると感動が全然違うぜ。マジで。そういうもんだよねって所与の理論として知ってるのと歴史を知って凄さを知るのとでは感動が違い過ぎるよね。


正直、この本の著者も書いてるけど数論の歴史って凄いもんがあるね。他の数学の分野とはちょっと違うような迫力がある発展と大団円がある感じなんだよね。っつーかもう寝るか。まぁとにかくなんつーかまぁ集中できる場所で数学書読むってなかなかのもんだよってのは言えるよね。それこそなんつーか感覚的に俺は小説読まないからなんとも言えんのだけど小説の世界にそのまま入っちゃうって感じが数学でも数の世界に入っちゃうって感じがあるんだよね。これは哲学では味わえないなかなか凄いところなんだよね。でも家ではやっぱそれは結構難しいよね。あんな集中力が家で続くわけじゃないし。だったらまぁ用がなくてもペットホテルの部屋で夜中にペンライトで読書ってのもありなんだけどね、なんかでも凄い世界を味わった感じがあってさ、普通に買って読んでた本なのに環境が違うとあそこまで違うかね!っていうぐらいまぁ違うね。


で、たまに犬を撫でてあげたり・・・っていうこのバランスというかハーモニーが凄かった。犬と数学って「純粋」というキーワードで繋がると思うね。そんな純粋な世界が俺は心底好きなんだと思うってなんか妙なトーンの終わり方になりそうだけどさ、んー!!でもやっぱ知りたいわけよ!!分からないんだよねぇ。分からないことだらけで楽じゃないんだけどやっぱ数学について知りたいしやりたい!ってのはすげーあるね。


で、またたっぷり寝ると日内変動特有の寝起きの悪さでさ、寝る前の数学への情熱はどこへ?って感じになるんだけどさ、そこでまぁまた数学に行ければいいんだけどあれってある意味でかなりトリップしてハマらなきゃいけない世界なんだよね。ドラッギーな音楽と似ているところがあってさ、「さぁー読むかー」っつって進むような感じじゃなくて世界をあっちに持っていかないと集中できないっつーかただ式を追うだけとか覚えるだけみたいなドライな感じの学習になっちゃうんだよね。だからこそ毎日今日みたいなトリッピーなハマり方ができればなんとかなりそうな気がするっつーかまぁあのトリップしてる時間に不安とか絶望とかも感じるんだけどそれも含めてやっぱ凄い楽しいね。なんだろうね?哲学とかとはまた違った感じの知的刺激なんだよねぇ。凄く不思議なんだよな。もう俺はすでに数学というよりかは数に魅せられてるのかもしれないね。


今後の数学の学習についてはまぁもっと考えなアカンなってのは思いましたね。家でゴロゴロじゃダメでトリップしないとダメだなって。それをどうするか?ってことなんだけどさ、まぁ単純にパソコン禁止にすればいいだけの話なんだけどね。あとはまぁ哲学禁止とか数学でも読み物系禁止みたいなそういう縛りを作らないとなかなか進むもんじゃないね。でも今日経験したハマった時のトリップ感って本当に凄かったな。本当の数の世界にどっぷりだった気がする。特に犬が熟睡してからはどっぷりだったね。俺に慣れてなおかつ空調もしっかりしているおかげでゆっくり寝れているワンちゃんの姿を見ると本当に癒されると同時にまた数の世界に吸い込まれてたまに拷問みたいな感じを受ければ感動もあったりして、結構危ない学問やね。あれ。


精神的にはハイを経験したりどん底を経験したり躁鬱っぽくなるよね。でもなんかまぁ数学との出会いは本当に良かったなぁー。数学と出会えてよかった。学ぶというよりかはあの数の世界に入っていけるかどうか?ってところだね。数の世界に入っちゃうと余計なことを考えなくて済むし、前にも書いたけど最高の俺にとっての精神安定剤になるんだよね。まぁそんな中で躁鬱的な経験もするわけだが「あー俺はどうすればいいんだ!」的な不毛な絶望感とかを感じている余地がないのがいいね。やっぱりそれだけハマれることがあるってのは幸せだね。でもそれはコンディションと環境に左右されるからさ、いつもハマれるってわけじゃないからいつもハマれるようなマインドセットにしていきたいなって思った次第ですね。


なんかでもあれだよね、数学を学習する時って結局はもう常に五里霧中みたいなところはあるかもしれないよね。明確なのはせいぜい高校数学とか大学数学レベルまででそれ以上になると本当に五里霧中になるんだろうなって気がするよね。抽象度が上がるってつまりはそういうことだよね。具体的過ぎてつまらないのが高校数学じゃん?で、抽象的になればなるほど面白くはなるんだけど完全に理解している感ってのが得られ辛くなってきたりしてさ、それこそ自然数が森の中の林だとすれば、実数ってのは森の中の霧だよね。その粒子が実数みたいな。


でも研究によってそれがブロッケン現象によるものだっていうさ、なんかの写像で説明できるとかね、あとはまぁキングスフィールドの泉の水みたいにさ、普通のガラスとかではすくえないんだけど特殊な成分で作られた瓶にならその水が入るみたいなさ、そういう世界だよね。雲を掴むような話なんだけど、でもその掴み方を研究するのが数学者みたいなさ、まぁそういう掴むだけではないにせよ、まぁなんつーかそんぐらい抽象的な学問なんだってことね。


俺はまずその霧が立ちこめる森にまで行かなきゃいけないわけだ。それが数学に集中するということだよね。で、五里霧中の中でウロウロしながらも朧げながらディレクションが見えてくるみたいなさ、まずそっちの世界にいかないとダメって意味でなんつーか今までの学問とは明らかに違うなってのは感じたよね。まぁ哲学とか思想にハマるときも独特のハマり方とトリッピーな感じはあるけど数学はかなり異質だね。本当に異質感が半端じゃない。まるで他の世界に旅してるような感じになるんだよね。特に今日みたいな状況だと。そんな状況を人為的に作り出すしかないなっていう気がしてますね。はい。


で、最後の今日の老犬なんだけどさ、朝になって店がオープンになったからまぁ家族が来て俺が帰るときになったんだけど、この子は俺と居た時間が一番長いからさ、俺がいなくなった後に鳴いてたらしいんだよね。帰るときもなかなか帰れなくてさ、可愛いから離れるのが寂しいしっつってもまぁうちの犬じゃないからあれなんだけどさ、だから家族がこの子に朝のご飯をあげている隙に俺はササっと出たんだよね。「また来てねぇ!」とか別れ際にやるのはよくないらしいので。まぁそれにしても所謂「世話」じゃないわな。もう家族みたいに接してるからさ、ワンちゃんの安心度は高いとは思うけど、でも仕事とかじゃない本当の愛情を注ぐから別れ際が死ぬほど辛くなるんだよね。まぁまた来てくれるといいなぁーとか思いつつ。


ってことで今日はこの辺で。