ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

人生がむなしいです。


人生がむなしいです


質問者:awiudyfgha 投稿日時:2007/04/03 20:10


人生がむなしいです。
人は何のために生きるのか、考え込んでしまいます。
このようなむなしさに囚われている人に、どのようにすれば有意義な人生を送れると考えているか、聞いてみたいです。




【回答についての注意事項】



・この「むなしさ」を一度も体験したことの無い人には、いくら言葉を尽くしてもムダですので、始めからこの質問に参加しないでください。




・念のため付記しますが、この「むなしさ」とは、日常性に埋没し切ってて退屈だったけど、フランス語の勉強始めたら毎日が楽しくなったんだ! とかそういうのとは全然違います。誤解を招くかもしれませんが、もっと哲学的なものです。そして、「なぜ生きるか。なぜ必ず死ぬのに生きるのか」自分の全存在を賭けての問いです。
これが実感としてわからないなら、参加しないでください。




・「じゃあ死ねば」式の回答は不要です。




・このような質問の仕方をすると、私自身の人格を問うような「そもそも論」を得意げに披露する人があらわれることと思います。また「カテ違い」とか何だとか、不毛な脇道に導く人も出そうです。先に言っておきますが、そのような回答は不要です。質問に答えられる人のみ参加してください。




・確かに、膠着した議論において、「そもそもどこで間違えたんだ?」と問うことは有意義ですし、そこで鮮やかな切り口で議論を活性化させる知性には、誰もが憧れることと思います。よく見られることとして、そうした知性の担い手は私であり、そうした賞賛は私こそが受けるべきだと考える自己愛にまみれた人が、時に鼻息荒く「そもそも論」を展開することがあります。しかし、往々にして「そもそも質問者おかしくね?」式に、「だったらおまえはどうなんだ」っていう小学生みたいな切り口しか示せないことが多いですね。




・繰り返しますが、この「むなしさ」を知るものだけに問いかけているのです。あなたはむなしさを感じながら、どうやって生きているのか。場合によっては、どのようにそのむなしさをごまかしているのか?

・繰り返しますが、鼻息荒く的外れなおせっかい回答をするような人は不要です。参加しないでください。


というのを見つけてさ、gooなんだけど前にも「良いなぁー」と思って貼ったのってgooだった気がするな。Yahoo知恵袋との猿とホモサピエンス並の差は一体なんなんだろうか?まぁそれはともかくさ、「実存の耐えられない重さ」とでも言うべきこのむなしさだよね。この質問者の質問が本当に的確でさ、で、なおかつ面白いのがさ、質問自体は日付を見れば分かるように2007年にされてるんだけど、回答が閉め切られてなくてさ、んでたまに回答する人とかがいるんだよね。で、それが続いてもう100件以上回答があるっていうさ、これがなんか一つのコンテンツみたいになってるんだよね。


いや、コンテンツっつーと軽い感じがするけど、まぁこれは俺も長年こじらせているものなんだけどさ、特に最近は本当にこれを感じるよねっつーのがまぁ過度な余暇から来る実存の重さだよね。何にもしないで過ごすということが出来る人もいるかもしれないけど、俺は無理だし、かといってそれを意味の無い類の労働で埋めようとかって思わないしさ、基本的にそんなのただの逃げじゃん?それを誤摩化す為の人付き合いとか趣味とか労働とか運動とかっておかしいと思うんだよね。そこからの逃避じゃなくて共存してなきゃいけない気がして。


まぁいけないってことはないんだけどさ、なんて言ったらいいのかね?「あんま深く考えないようにしよっ」って感じってまぁ誰でも言うじゃん?恐らくこれは文化とか関係無くどこでもまぁあると思うんだよね。でもやっぱこれって逃げなんだよね。実存からの。生きるということの重みから逃げてるっていうかさ、で、まぁその一方で生きること自体に必死な人達がいっぱいいるとかさ、被災地の人達もそうだしさ、何を贅沢なことを言ってるんだ?的に言う人もいるかもしれないけど、これもまた違うよね。


物理的に辛い人達がいるというのと俺の実存の重みってのは関係無いじゃん?むしろ例えば「被災してる人達がいるんだ!こんなこと言ってられるか!生きているということだけにありがたみを感じなくては!」ってすげー酷いと思うんだよね。言い方が悪いけど下と比べて的なことじゃん?劣悪な環境はもっとあるとかさ、それ言い始めたら被災地の人達ももっと下から見れば贅沢って言い方ができるよね。で、その下を見る感じってのは永遠に続いてまぁ結局アフリカとか北朝鮮まで行っちゃうわけよ。


そういう比較は意味ないよね。贅沢な悩みだとかって言うのは絶対おかしいよね。それは考えない人のロジックなんであってさ、それを考える人ってのがいてさ、環境が恵まれていようが社会的に成功していようが考えてしまう人達がいるんだよね。それは考えるというよりかは感覚がセンシティブなのか分からんけど、そういうのに気付いちゃう人達っていうか。


で、まぁこのさ、Q&Aで繰り広げられてるやりとりが面白くてっていうとアレなんだけどさ、いや、俺も当事者だからね、だから第三者的に見るとかじゃなくてまぁ参加してみようかな?とか思ってさ、ただまぁあそこに書き込む必要は無くてさ、なんか俺なりに思うことをコメンタリー的に色んなやりとりについて書いてみようかなー?とか思ったのね。そんぐらいまぁ俺も悩んでるわけだ。


今はまぁ明確な物語とか目標を失ったように見えて余計にむなしさが目立つと思うんだけどさ、でも結局はニューヨークにいる!ってのもただの虚偽意識だって分かったわけだしさ、まぁそれも誤摩化しじゃん?もちろんあっちでやっていくということのメリットはあったと思うけど、別にそれを言い出せばまた4大からやり直して大学院とかで渡米すればいいじゃん!ってことになるんだよね。だから別にコースを外れたってわけではなくて、それは気の持ち様なんだけど、やっぱり凄い断絶を感じるんだよね。


それはずーっと家に引き蘢ってるからだって言われそうだけど、それは別にあっちでも一緒だったしさ、特に日本なんて外に出た所で何にも無いわけだから外に出るメリットないよね。だからまぁコミュニケーションが生まれそうな場としての大学に通うってのが精神的にもある程度は健全になれるかな?とかって思ったりしてたんだけどさ、それもまぁいつになるか分からんしっつっても別に国立受ければいいんだけどさ、まぁその話はいいか。


まぁつまりは実存が剥き出しになるってことだよね。家族と接してはいるけど精神的にはやっぱりあっちにいたときと一緒で孤立してるわけでさ、いや、人と接しようがそれは変わらんのよね。まぁそんな中で少ないけど話が出来る友達とかいるからいいしさ、特にネット経由っつーかウォール伝経由で色んな人達とやりとりをしてきて・・・って話もまぁしたよね。


だからまぁ別に理解者が居ないとか友達が居ないってことではないんだけどさ、ただやっぱ日々ってところから考えていくと永遠と孤立してる感じでしょ?で、ずーっと答えが出ないようなことについて考えてたりさ、数学の本読んで興奮する時もあれば分からなくてすんげー鬱になったりさ、まぁそういう意味で知的活動はしてるわけだけどっつーかそれしかしてないけどさ、まぁ孤独な作業だよね。あとずーっと楽しいか?っていうとそうじゃないよね。でもそれぐらいしかやることがないしさ、それすらもやらなかったらなんか俺の存在理由みたいなのが無くなっちゃうんだよね。


いや、だからやるってことではないんだけどさ、やりたいからやってるし考えたいから考えてるんだけど、でもやっぱ実存を守るためって理由もあるのかな?とは今思ったよねっつーか前置きが長過ぎだな。もう1エントリーぐらいになろうとしてるよね。まぁいいか。続けよう。


いやさ、質問者が言っているフランス語の話って結局今の俺にとっての数学なのかな?って思ったよねっつーかまぁ2年前ぐらいからそうなのか。「今の所は数学が唯一の救いだね」とかってあっちで書いてたからさ、実存の危機ってかなり前からあったんだよね。もう意味とか意義を見出せることがなくなっちゃってるっていうさ、それはアパシーという意味ではなくて、やはりそれは実存の重さなんだと思うよね。その重さが全てを飲み込もうとしていてさ、だからこそそれに飲み込まれないように実存の理由付けなりなんなりをするために学問をやっていたりさ、学問を通じて社会にコントリビュートするということを一つの目標にしてたりさ、まぁそれはそれで社会的行為であるからいいとは思うんだけど、でもやっぱりそれも根本的な解決にはならんのだよね。


あ、もういいか。続きはコメンタリーで続けるか。んじゃあ回答No.1から始めるですね。んでも全部拾うつもりはなくてまとめサイト的な感じで恣意的にピックアップするんで。で、あとめちゃめちゃ長くなるだろうからさ、何回かに分けるねっつーか俺も一回でさすがに全部は書けないし。

No.1


回答者:gcat 回答日時:2007/04/03 20:24


むなしさの先にある楽しさを考えます。
もしくは今あるむなしさの以前に感じた楽しさを考えます。
むなしさというのは長い人生の中で時折訪れる人生のスパイスのひとつだと考えるようにしています。


この回答へのお礼


逆ではないでしょうか?

楽しさや多幸感は、長い人生で時折訪れる「シュガー」であるものの、楽しさの先に、あるいは、楽しさのさなかにも、待つものはむなしさではないでしょうか?
むなしさの先の楽しさで一時的に気を紛らわせても、その先の先でむなしさを感じるならば、それは浪費的な遠回りではないか、というのが私の感じる「むなしさ」であり。悩みです。


いや、本当にその通りですよねっていう。ニューヨークいいなぁ!ってのも一時的なシュガーでさ、あとは学校で可愛い子がいた!とかさ、シュガーの極みだよね。女の子はともかく場所は慣れてしまうとシュガーでもなんでもなくなるからさ、だからまぁ場所に何かを求めるということは出来ないなとあっちに行って分かったわけでさ、いや、あっちに居た頃も書いてたけど、ようは結局はついてくるのは実存なんだよね。ミラノに行こうがパリに行こうが俺という実存は常にそこにあり続けるわけで、外部的な刺激でそれを誤摩化すというか、多幸感を感じたり新鮮さを感じたりっていうのもドラッグみたいなもんでさ、パリも恐らく2年ぐらいで飽きるだろうし、まぁ他の場所もそうだよね。ただコスモポリタン気取れるほど金もないしさ、あと意味ないからやろうとも思わないしね、それがようは根本的な解決にならないでしょ?まぁ次行くか。

No.2


回答者:noname#49665 回答日時:2007/04/03 20:40


子供の頃から「むなしさ」はありますが
何か別の事をして意識を外してます。
「何のために生きる?」は恐らく死ぬまで、
自分からはがれる事のない疑問です。
「むなしいから死ぬ。」だと
結局自分の過去のすれ違った人々に失礼な気がするのです。
すれ違う人々は私の事なんて大して重要ではないかもしれないけれど
自分の中での疑問の答えにも近づけるようにも思えます。
知恵も技量も、何も持たない自分はむなしいままなのかもしれません。
あるいは結婚し、自分の家庭を持てば変わるのかもしれません。
この空洞が満たされる日が来れば、その時の自分はどう変化するのでしょうか。

この「むなしさ」というものを普段口に出せないので
私もこの質問の色んな方の回答を参考にしたいです。


この回答へのお礼


そうですね。
死ぬことは時に魅力的にうつらないでもないですが、私も避けています。
とりあえず、死ぬことが「むなしさ」の逃避にはなり得ても解決だとは思えないし、死んじゃうっていうのはどうも突飛な発想に思うからです。

そして私も、sorairo-saさん同様、人との出会の中に、この「むなしさ」をやっつけるヒントがあるのではないかとも思っています。やや懐疑的ですが。

ちなみに、私自身は子どもはいませんが結婚しています。仕事もしており安定した収入もあり、趣味の楽しみもあります。

ですが、むなしいのです。

でも、子どもができたら変化しそうな予感はあります。


本当にこの回答者は悩んでるよね。死ぬ事が魅力的にうつらないでもないってマジで悩んでないと言えないことだよ。だからまぁ俺はすげー深みを感じたっつーか俺と同じような感じを見つけたわけだよね。あとさ、回答者が結婚してるし安定した収入もあり・・・って今の世の中で言えばかなり勝ち組側の人だよね。まぁ勝ち組ってあえて使う言葉なんだけどさ、俺も前に書いたよね。俺が仮に2億とか持っててさ、収入の心配とかしなくていいとかってなったとしてもんじゃあこのむなしさは消えるのか?っていうかこの実存の重みは無くなるのか?っていうと無くならないよね。今は食えるか分からないっていう悩みもあるけど、でもそれは考えててもしょうがないじゃん?食えるようにしていくしかないわけで。でもやっぱ根本の悩みっつーのはそこなんだよね。つまりは常についてまとう虚しさね。恐らくこの回答者が「懐疑的ですが」と言っているのもつまりはそれもシュガーじゃないか?ってことなんだと思うんだよね。それで言えば子供もシュガーだろうなぁ。次行くか。

No.3


回答者:qwert21 回答日時:2007/04/03 20:44


人は何のために生きるのか、必ず死ぬのに何故か?
死について考えるのは、「人間」である証拠です。考えるべきです。もっとみんな考えるべきことなんです。
人はお正月の準備や試験の為の準備はしても、一番確実に来る「死」の準備はしません。みんな、目をそらして生きてるんです。
「人間は生まれながらの死刑囚である」と言った人がいますが、その通りだと思います。死刑がいつくるかわからないだけです。
だから死について考える事は絶対に必要だし、どう死ぬか、を学ぶことが、どう生きるかを学ぶ事になると思います。



本当はこれが一番、前向きな生き方なんだと思います。

あなたが本気で有意義に生きたいと思っているなら、今眼前にある自分の課題を見つめなおし、人間として現実に勝利して下さい。
抽象的な言い方しかここではできませんが、一流の偉人たちの生き方に学ぶとか苦労されている方に学ぶとか、いろいろ方法はあるはずです。
本当に恐いのは死ではありません。むしろ生きながらの死のほうが恐いです。せっかく人間として生まれ自分にしか出来ない事があるはずなのに、何も成さず、一日一日を無駄に生きる。
その臆病のほうが、恐いことだと思います。


この回答へのお礼


現実への勝利とはなんでしょうか?
詳しく知りたいです。

私は、一流の偉人たちがこの「むなしさ」に勝利できていたとは到底思えません。
人のためになる仕事をして充実感を味わい、大きな名声を博する人生だって、身震いするほどにむなしくないですか?

私の悩みは、あらゆる人生があなたの言う「生きながらの死」と評価しうるのではないかという疑問に発しています。
歴史的に何かを「成し」ても、それがどうだっていうんだっていうのが私の感じる「むなしさ」です。


本当にそうだよね。それが俺の言いたいさ、2億あろうが虚しいってことなんだよね。名声なんてあったら忙しくなったりするからそんなの余計だよね。そんなもんでこのむなしさが誤摩化せるならそれは世俗的な成功で解消できる!ってことになるじゃん?そうするとまぁその辺で出回ってる自己啓発系の本とかと言うことが変わらなくなるよね。金持ちになればいいとか成功すればいいとかさ、まぁそれで悩みが解決できる人はそれでいいけど、俺は無理だと思うんだよね。あ、俺ってこの俺ね。俺は成功しようが金持ちになろうが全然変わらないと思うのね。家なんて今の家で十分だし欲しいものなんて本ぐらいしかないし別に今買えてないわけじゃないし、むしろ未読のやつが多いから逆に買わないほうがいいぐらいなもんで。物欲なり金とか名声だとかって結局は欲とかそれに付随する多幸感でむなしさを誤摩化すってことじゃん?でも結局それってなんつーかトニーモンタナみたいなもんだよね。The World is yoursとか言われても虚しいわけだよね。

No.4

回答者:kumabee 回答日時:2007/04/03 20:46


むなしいということは、じつに人間的だと思います。僕もずっとそのむなしさを抱えながら生きています。そもそも、そのむなしさというもものは大昔から哲学という部門で学問として考え続けられています。プラトンアリストテレスの時代の前から「人間がなぜ生きるのか?」という疑問を人間は持ち続け、悩み続けているわけです。あなたがいま、むなしさを感じるなら、生涯そのことを悩み続けた、優れた哲学者の本を片っ端から読んでみるといいのでしょう。一人くらいはあなたをむなしさから解放してくれる人がいるはずです。


この回答へのお礼


哲学書は好きで良く読みます^^
(難しいものも多く、解説書に頼ることもありますが。)


実は、私は高校くらいの時にこの「むなしさ」に囚われて、大学では哲学科行ってました。なにかヒントがあるだろうと。


私は哲学こそ、人間が根源的に問うべき領域を対象にする、最も興味深い学問だと思っています、ですが、過去の哲学者たちにも、「むなしさ」をやっつけた人はいないのではないですか?


いや、本当にいないと思いますね。あと哲学書にすくわれた事はないね。感化されたことはあってもこれが救いだ!みたいなことになったことはない。まぁ「むなしさ」をやっつけた人って恐らく仏陀ぐらいなんじゃないかな?あと哲学書って救いを求めて読むもんじゃないよね。考える為のヒントを得たりインスピレーションを得たりさ、あとはパラダイムを知ったりとかさ、まぁあとは教養って意味もあるけどさ、ただでもある程度読んじゃうと研究とかは別としても結局はあとはもう自分で考えるしかなくなるからさ、哲学書に答えなんて書いてないんだよね。まぁ少なくとも俺の経験ではそうだよね。

No.5


回答者:mizz 回答日時:2007/04/03 21:03

人は何のために生きるのか。なぜ必ず死ぬのに生きるのか。


私は、生きる事には意味がないと思っています。私ごとき、生まれてきても生まれてこなくても、世の中変わらないと思っています。そんな大層な存在ではないと思っています。


だからといって死にたいとかいうわけでなく、そんな大義名分なんて無くても、今私は生きているのだから、意味なんて無いけど、意味なんて無いからこそ、気楽に、好きな事をして生きていいんだと思っています。


好きな事=遊びほうける、でもOKと思います。私は遊びほうけた結果、自分が苦労するのは嫌なので、
勉強もし、大人になった今は仕事もしていますが、それは個人の自由かなと。


むなしく感じるのは意味を求めるからではないでしょうか?意味なんて最初から無いと思ったら、気が楽になりませんか。


お役に立て無かったらすみません。


この回答へのお礼


「バカになれ」的な回答ですよね。


バカまでいかなくても、趣味に熱中しているときとか、家族と楽しい時間を過ごしているときとか、「むなしさ」を忘れている時間はもちろん私にもあります。


しかし、そうした色々な「幸せな時間」「充実感を感じさてくれる体験」「ハラハラするような興奮」などなど、その全ての最後に待つものが「むなしさ」であることが、私の悩みなのです。


「意味が無い。ただ生きればいいのだ。」ということで本当にいいなら、私はすでに30年近く歳を重ねて「ただ生きて」きました。それでもむなしいのだから、やっぱりそんなわけにはいかないんだと思います。


全く、私の脳みそから言葉がなくなり、論理がなくなれば、こんなことは考えなくなる予感はします。
たしかに、「意味」から逃れることあたりにヒントがあるのかもしれません。


バカになれってのは考えちゃう人には無理な話なんだよね。ましてや俺みたいに気分障害とかがある人間には物理的に不可能だということがあるよね。鬱ってのはむなしさをエンハンスするものでさ、ジェネレーターではないんだよね。だから鬱が治ればむなしさも無くなるのか?っていうと無くならないわけね。だから対症療法的に薬で誤摩化すとかさ、そんなのしかないわけよ。実存的なことは精神科医にもお手上げだからね。カウンセリングとかでどうにかなるような問題でもないし、これって表面化してないだけで哲学的な理由で鬱になってるとかさ、無気力から抜け出せないって人は結構いると思うんだよね。俺は物理的な気分の変調があるけどさ、まぁ結局は躁鬱なんだと思うんだけどさ、でもそれ以外でもなんつーかもうすでにむなしさを感じ続けてきたし、そこからは逃げられないんだよね。


あとはまぁ逃げたくないし向き合いたいわけね。Examined Lifeを送りたいわけだけど、でもそれは幸せな人生とは限らないよね。別に俺は幸せになりたいわけじゃないし、客観的に見れば十分幸せなんだと思うけどさ、やっぱむなしさに勝てないとなると幸せになんかなりきれないんだよね。あとはまぁ世界とか見たらすげーデプレッシヴじゃん?毎日が幸せです!ってある程度無知じゃないと無理だと思うんだよね。世界情勢にまで気を配ってたら精神的にやっていけないってのはあるけどさ、でも俺はそこから逃げたくないんだよね。現実を見つめないとそれはもう自分だけの主観というか世界に埋没するってことになるじゃん?かといっても線引きしないと精神的にキツいんだろうけど、でも俺は悲惨なものを見たりするしさ、それは闇に向かうということではなくて現実を見るってことじゃん?報道とかが覆い隠すわけでしょ?功利主義的な幸福感を狙ってるのか分からんけどさ、まぁそれって人々が現実を受け止められるほどタフな存在ではないってことだよね。それをもう明言しちゃってるようなもんだわな。


で、俺はまぁ世界情勢のこととかを一挙に受け止めることはできないけど知る事はできるよね。自分が知れる限りだけどさ、でもやっぱこれが関わり合いだと思うんだよね。意識の志向性が自分だけじゃなくて外にも向かっているっていうさ、でもそれは会社行って帰ってきて・・・みたいな生活をしていて何も考えてないサラリーマンとかって社会人とかって言われたりするけどまぁ俺の持論でいつも言ってるのはそういうやつほど非社会的なんだよね。一般的に社会人として認められるから本人も満足げだったりするんだけど、実際はただのロボットだったりするわけじゃん?あとは快楽に対して動物的というかさ、帰ったらとりあえずビールみたいなさ、そこに社会性はないと思うんだよね。まぁいいや。次行くか。

No.6


回答者:aleycross 回答日時:2007/04/03 21:11


哲学的なことが大好きな俺です


しょっちゅうむなしさにあいます。


今の自分は人生をこう思っています。


人生は一度っきり ただその後の人生は無限大


一度きりの人生というのは今の自分が死ぬまで ということ。


他人 親族 すべて人生のコマとしかおもっていません。こう動かせばこう進むだろう 


こんなことを考えているのは回りで俺だけかとおもいます。


なんでお前はそんなに情のない言葉をはくんだ とかいわれますが


しりません。むしろなぜそこで情のいい言葉をいうのか。


そんな人間です。だからといってもなんですが、いつも一人に感じます。この世界の主人公は自分ですから。


どうやれば有意義に過ごせるかですが、それはあなたが決めてください。どうせ死ぬとリセットされます。


質問文章にある じゃぁ死ねば系との勘違いはしないでくださいね。


だから今を楽しんでください。将来のことなんてかんがえないでいいんです。いつ事故にあって死ぬかもわからない すべてにおいて可能性0%は存在しない。 そんな世の中なんですから。


この回答へのお礼
>人生は一度っきり ただその後の人生は無限大


私は、違う考えを持っています。哲学者でいえば、バークリーのような発想です。つまり、私の感覚器官からの情報こそがこの「世界」であり、私の自意識だけが無のただ中にポツンとあって、夢のようなものを見ているという世界観です。だから、私は自分の人生の終わりとともに、世界も消滅するのではないかとなんとなく考えています。


そんなことはいいながらも、普通の人なりに他人に気を遣ったりしてますから、心底そう思っているのかどうかは怪しいですけど。


それはともかく、「今を楽しむ」というのがダメなんです。だから、その「今の楽しさ」を追い求める人生。そういう死ぬまでの暇つぶし的な、死ぬまでの(仮)的な繰り返しが「むなしい」と言っているんです。このむなしさを消し去ってくれるくらいの「楽しさ」とやらがあるのなら、今すぐ教えて欲しいです。


でもやっぱりさ、むなしさって消すものじゃなくて克服するものだと思うんだよね。そういう意味で今の俺は相当ダメなんだよね。むなしいから学問やってるみたいなところが無いこともないからね。残念ながら楽しくてしょうがない!みたいなレベルじゃないんだよね。そこがまたすげー鬱になる要素なんだけどさ、まぁ最近で言えばマッシュアップラッシュだよね。あの時の多幸感といったらありえない感じだったけどやっぱまぁ当然ある程度終わってみると残るのはむなしさだよね。もう作っちゃうとそれに対してどうでもよくなるしさ、まぁでもよく自分のチャンネルに聞きに行くけどさ、で、またなんか面白いのを作りたいなぁーって思うけどそんなにポンポン作れるようなもんでもないしってまぁ作ってたんだけどね、ただまぁあれが死ぬまで続くことはないじゃん?たまにそういうのがあったとしても永遠にあの状態が続くってことはないし、あとはまぁあれはかなり生活的には破綻してるからね。


金にならないようなことを永遠とやってるわけだからさ、まぁ俺はそれはいいと思うけど、没頭して生活も破綻しないってなるとやっぱそれで収入得るしかないんだよね。で、マッシュアップじゃ当然無理だから他の没頭できそうなことを探すしかないってことで今は数学がそれかな?って思ってるけどマッシュアップほどじゃないし一時期の哲学ほどでもないんだよね。なんつーかすげー中途半端なんだよね。数学にハマり倒してさ、それ以外考えることが無くなるぐらいになったらそれってもうむなしさを感じてる暇もなくなるってことだから憧れるんだけど今の俺には全然無理なんだよね。好きな事ではあるけどマッシュアップみたいにあそこまでのレベルで没頭できるものじゃないよねっつってもまぁ読んでると結構な時間経ってたりはするんだけどね。


やっぱだから俺の中では「これだ!」ってのがあれば存在意義とさ、それ極めることで恐らくついてきたらいいなぁーと思っている収入とかさ、それで全部解決できたら凄いよね。これは自分なりの社会へのコミットメントと収入ってのと好きな事をやるっていうさ、むなしさが介在できない生活をするってのが一つかな?とは思うんだけど、でもまぁそれも誤摩化しだもんな。あえて向き合う必要はないのかもしれないけどさ、いやね、そんなに上手く行ってるんだったらね。まぁいいや。次行こう。

No.7


回答者:noname#43126 回答日時:2007/04/03 21:14


こんにちは。私が個人的に思っていることを書きます。的外れでしたらお気になさらないでください。


確かに人生はむなしいですよね。「明日を生きる意味」、現代人風に言えば、「(まだ寝足りないのに)明日の朝にわざわざ起きる意味」なんて本当はありません。


ではいかにして生きているのか。それは「神話」にすがることによって生きているのだと思います。
「神話」とは「今ここに自分がこのようにして存在してもいい」ことの理由です。例えば予備校に行くのは「いい大学に行くため」よい会社を目指すのは「いい給料をもらうため」恋人を作るのは「そっちのほうが幸せだから」もしも「」の部分の「神話」が嘘であると証明されたのなら、一体だれがそうするでしょうか。同時にそれら「神話」は100%必ずそうなるというものではありません。にもかかわらず誰もが信じて疑わない。いや、疑っていないふりをしている。それが「神話」たる由縁です。


その現代的な「神話」に対して本当の意味で疑いを持ってしまったとき(自発的な場合だけではなく、失敗などによって神話が打ち砕かれる場合も含めて)、現代的な私たちにはむなしさがやってくるのでしょう。


その時私達ができることはあきらめるか、さもなければ自分自身で新たなる「神話」―「今ここに自分がこのような境遇でこのような感情を持って存在してもいい」ことの理由―を構築するほかは無いでしょう。よほど幸運の星のもとに生まれた人間でなければ、手作りの「神話」は大なり小なりみんな持っているはずです(そのことに気がついているかどうかは別問題ですが)。質問者さんが反発する「そもそも論」や、「じゃあ死ねば」、そして「フランス語の勉強はじめたら」―それらもすべて彼ら自身が生きようとするうえで勝ち取った「神話」なのですから。


文字数の制限によりかなり削ってしまいました。乱文・長文申し訳ありません。


この回答へのお礼


すみませんが、なんだかよくわかりません。


「本当は意味が無い!」という根源的な大問題に気付いてしまってもなお、手作りの「神話」などで自分を欺けるものでしょうか。「神話」クオリティの高さ、というか、どれだけ壮大な「神話」に没入できるかどうか、ということですか?


それは、目隠しをして崖に歩いていくようなことではないですか?私は常に、目は開いていたいです。


その神話とやらが俺がニューヨークで持っていたものだよね。どうなるか分からんけどでもやってみる価値はあるしやってみたい!っていうさ、そこで見えてくる目標とそれに向かう生活ね。だからパワーが湧いてきたりするわけどさ、でもやっぱ神話は所詮神話でさ、結局は誤摩化しがかなり含まれてるよね。どうなるか分からないけどでも先に進むってことでとりあえずは日々生活できているっていうさ、まぁそれでいいとは思うんだけど、ただまぁプラン通りに行くとは限らないし、あとプラン通りにやり続けるということにも最近疑問を持ってるんだよね。まぁやりたいことをやるためのプランだったらいいんだけどさ、んーでもまぁニューヨークで頑張ってる人達ってまぁみんなそうだよね。どうなるか分からんけど可能性がある道を選んで努力するっていうさ、まぁ学生で言えば明らかにアメリカの学生のほうが努力してるわけなんだけどさ、でもその頑張りとやらも結局は構造化されるということであったりさ、つまりは構造化へ向かう頑張りなんだよね。


それは自分の生を生きるというよりかは社会的に組み込まれて安定するということを求める為の努力だったりするわけで、まぁそれはむなしいよね。俺はそれは凄くむなしいと思うんだよね。だからまぁ学問やりたいって理由で大学行ってもいいと思うっつーか本来はそういう目的なんだろうけど、まぁアメリカの大学もキャリア作りって感じだよね。良い成績とか良い学歴とかが就職に有利だからっつーんで必死にやるっていうさ、まぁ端的に言えば奴隷だよね。


進んで奴隷になるためにリベラルアーツ学ぶなんて凄まじい倒錯だ!ってだいぶ前に書いたけどさ、だからなんつーかやっぱ新しい世代の人達って必ずしも古いタイプの社会へのコミットメントってのを型通りにやる必要はなくてさ、新しい世代なりの生き方とか社会との接し方ってあると思うんだよね。そこを模索していかないといけないと思うんだよね。そうじゃないと永遠とロボット人間は増えるしさ、まぁ進んでロボットになりたいやつはそれでいいんだけどさ、なりたくないやつまで「これしか選択肢はありません」的な脅迫みたいなのを受けて怖くなってロボットの道を選んじゃったりするんだよね。


恐らく相当長くなってるだろうから今日はここでやめにするわ。で、まぁそのgoo探してもいいけどさ、全部見ちゃうとつまらないからウォール伝通じてみてほしいわけよ。だからまぁ次の更新を待っておくれ。いや、明日気が向かないかもしれないけどね、まぁでも近々続きやるですよ。


ってことで今日はこの辺で。