ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

可能世界の自分に勝つ。

昨日のアメトーク見て思ったんだけどやっぱ何かが死ぬほど好きな人ってのはやっぱり幸せだよね。読書魔の俺から見てもやっぱり「ホンモノ」は又吉だけで群を抜いてたよね。で、なんかすげー見てて羨ましくなったんだよねぇー。俺は昔あのぐらいの感じで音楽が大好きだったけど今はそうでもないし、哲学はもう別に好きとか嫌いみたいな話じゃなくなったし、何より文献研究には興味が無くなったし、数学が今の所は残ってる感じだよね。


そんなに死ぬほど好きかは分からないけど、多分、これぐらいしかないって感じがするんだよね。消極的に見ると。好きだからやってるんだけど、でもやってるだけでは何か嫌でやっぱりまぁ何か作り出したりやりたいんだよね。まぁ文学で言えば文学好きが好き過ぎて本を書いちゃうみたいなさ、タランティーノが映画作るような感じね。でも数学はそうはいかないじゃん?作ろうと思って作れるわけじゃないし、やっぱりやってて「うーん・・・」って思う所が多くて前よりかはマシになったけど、でもやっぱりあれだよね、「やっぱ俺バカなのかなー?」っていうかなんかさ、あれほどバカとか才能が無いやつがやっても意味がないものはあるからまぁ別にrewardのためにやっているわけではないし好きだから読んでるんだけどでも好きであればあるほど野心が湧いてくるんだよね。


んでもなんかここもアレでさ、一流じゃないと嫌なんだよね。おっさんの数学趣味みたいなレベルは一番嫌だし、そういう意味で「趣味で数学やってます」ってのがすげー嫌なのね。いや、他人がそれをやる分にはいいんだけど自分で言えば凄く嫌なんだよね。なんかやっぱそれって背負うってことだと思うんだよね。哲学の場合、大体問題は自分から湧いてくるから別に背負うっていう意識がなくても勝手に背負っちゃう感じだから、だからまぁ向いてるっていうかさ、ある意味で職業じゃないけど天職なんだろうね。マジで。で、俺はより多くのものを求めるって意味で数学もまた天職でありたいんだよね。だからそうじゃないかも?っていうそうじゃなかった時のショックを考えると常に不安でもあるんだよね。楽しくもあり不安でもある・・・みたいな。


まぁようはプロ意識ってことなんですかね?去年というかもう一昨年か。狸さんとやりとりをしたときに狸さんが言っていたプロ意識っていうかまぁプロ意識というよりかはアマチュア的なものに対する嫌悪だよね。俺もそれはすげーあってさ、だからまぁすげーアマチュア数学者って嫌なんだよね。苫米地さん的に言えばコンフォートゾーンがそこにはないし、コンフォートというよりかはdiscomfortなんだよね。もうひたすら嫌なのね。だから今の自分が嫌なわけだ。アマチュアレベルっていうかたいしたレベルの数学やってない俺っていうかまぁレベルじゃないんだろうけどさ、まぁコミットメントの度合いっていうかなんていうか。片手間にやるってほど適当ではないけどでもなんかやっぱ俺的にはコミットメントが浅い気がするんだよね。


明らかに半年前とかよりかは深まっては来たけどまだまだだよね。でも昔はやっぱまだアカデミックで政治哲学をやろうとかって思ってたときは社会性っていう動力があったんだよね。ようは趣味と社会性を両立させるっていうさ、それをやっていれば結果的にまぁ自分が学部でやる勉強とも繋がるし、将来にも繋がるってまぁそれは分からないけど一応まぁ概念装置的に思ってたわけだ。で、今はそれがないからだからまぁ結構宙ぶらりんなんだろうね。すげー大変だよ。マジで。


プロ選手になる!とかさ、何々大学に入る!とかじゃなくてもうそれ自体をやるってこと自体ってことになるともうなんか武道とかの世界だよね。あとはよく漫画とかで出てくる修練をずーっと山ごもりしながらやってる空手家とか。別に大会に出るとかさ、何かで優勝するとかそういうんじゃなくてもうひたすら空手っていうなんかそういう感じっつーのかな?求道的な感じね。別に宗教的な意味はないんだけど、ただまぁ数学が冗談で宗教扱いされるのも分かるよね。外部に目標があるって分かりやすいしやりやすいよね。分かりやすい目標があるんだから。でもそれ自体をやるってことになると目標もクソもないじゃん?


んでも数学だけしかないっつーのも結構アレなんだよねぇー本当に何か他に息抜きに何か無いかな?って思うんだけど無いんだよね。マジで。まとめサイトを見るとかお笑いの動画を見るとか映画を見るぐらいしかないんだよね。マジで。でも消費のペースが激しいから無くなるのね。あれだけ色々とネットにあっても大体もう見ちゃうんだよね。まぁいいや。んであれなんだわ、昨日書いてたやつがあるんだけどそれを貼ろうと思ってたんだよね。だからまぁそれを貼りますってことで以下は昨日書いたやつで。


いやぁー。思えば帰国してもう1年半なんだよねー。まぁ2年と考えたほうがイメージしやすいんだけどなんでだろうね?1年半って考えると記憶を辿ると色々とややこしいんだよね。2年って考えると納まりがいいんだよね。記憶とかが辿っていきやすくなる。だからまぁもう6月になった気分で考えれば2年なんだよねってまぁそれはともかくさ、可能世界的にまだあっちにいる俺ってのを考えた時にさすがにもう4大は入ってると思うけど、こんだけ計算嫌いなわけでさ、ちゃんとやってるのかなぁー?って思うよね。いやー相当大変だろうね。まぁレベル的にそんなたいしたことないんだけど分量あるからね。宿題とか凄まじいし。ずーっと計算ばっか単位のためにやらなきゃいけないってことを思うと自分の歩幅で自分なりに考えながらじっくりやっている今の俺の数学のほうが全然いいと思えるね。それは「やっぱニューヨークに居たかったぁー」的な心を誤摩化したり今の俺の正当化をするという意味ではなくて実際にそうなんだよね。エグイ計算とかやらなきゃいけないと思うと背筋が凍るわけよ。


あとやっぱもしも・・・的なことを考えた時にさ、今の俺がもしも・・・の俺に負けてたらアウトなんだよね。あのままニューヨークにいたほうが良かったのに今の生活ときたら・・・ってことだと完全に可能世界のニューヨークにいる俺に負けてるわけよ。でも今これを書いてる俺もまぁまぁ色々やってるっつーか特に去年はマッシュアップラッシュが楽しかったし、あんなもんさすがに学校行ってたら無理だもんな。ましてやラッシュの頃って店の手伝いも無かったから丸一日やってたりしたもんね。まぁあんだけやってさすがにもう飽きちゃったと言いつつまだたまに作ってるけどさ、あのYou Tubeの俺のチャンネルってのは結構でかいよね。


あとはやっぱ読書だよなー。前に疑似ステルスで貼ったHao Wangのゲーデルの本とか、まぁあんなの大学の数学科じゃやらないだろうしっていうかあんだけ哲学寄りの数学ってさすがにやらんでしょ。大学院になってからとかなんじゃないかな?分からんけど。時間があるから読める分厚い本ってのを結構読んだ気がするんだよね。んでも話が逸れるけど最近また鬱っぽくてさ、何もやる気が起こらなくて映画ばっか見てたりしたんだけど睡眠時間が多少削られてもそんなに大丈夫なんだよね。一日本を読んでたり考えてた次の日の睡眠時間といったらやっぱり10時間ぐらい最低無いと足りないぐらいなんだよね。で、そんぐらい寝ちゃうと寝過ぎでダルいっていう。やっぱ頭使ってるんだなぁーって思ったね。


頭使ってるっつーか記憶の整理だよね。インプットが多くなると整理が大変になるのは当然じゃん?あ、んで話を戻すとさ、この辺がなんか結構微妙なんだよねぇー。ニューヨークに居る可能世界を考えると色々あるだろうけどやっぱりまぁ毎日充実してるんだろうなって思うんだけどさ、あ、これは別に未練じゃなくて思考実験なのね。んでも数学とか哲学とかって考えるとやっぱり読書時間が明らかに今のほうが多いじゃん?ましてや店に行くときはなるべくラップトップ持って行かないで読書に集中出来るように本だけ持って行ってるからさ、だからまぁ自ずとそれしかやることがなくて結局最低でも5時間ぐらいは読書するんだよね。


絶対昔の俺じゃ分量の問題で読まなかったような本とか通読してるからね。こないだ書いたショーペンハウエルの意志と表象としての世界とかもまずまぁ学校とか通ってたりそれこそ買い物行かなきゃいけないとか雑事があったりしたらあんな本読まないもんな。今はそういう意味で自由時間は凄いよね。そこそこやることもあったりして。まぁそれがルーティンになるから鬱っぽくなるんだけどね。店と自宅の往復の毎日だからっつーとまぁ会社勤めなんてそんなもんだって一蹴されそうだけど。


だからなんか分からんのよね。一応さ、思い込まないで色々な可能性はあるって思ってるようにしてるんだよね。将来的にまたアメリカに戻って復学するかもしれないし・・・的なことを。あとは日本の大学でもいいんだけど。でもさ、前にも書いたようにリアルにそれが可能性とは言い切れないっていう現実があるじゃん?埋没してた時はアレだったけど帰国とかがあってちょっと引いた感じで見ると雇用の酷さとかさ、いや、ウォール街占拠とかもそうだけどさ、アメリカなんか本当に酷いんだよね。でもそんなの言っててもしょうがないからやれることをやるしかない!って思ってやってたけど引いた感じで見るとさ、仮に学位とかとれても大量の借金が残るだけ・・・ってそれこそアメリカにゴロゴロしてるような典型的な学生みたいになっちゃうって可能性のほうがむしろ高いじゃん?


いや、ようはコミットすることのリスクが高いってことなんだよね。リターンの確立がすげー下がってるからだからアメリカでもわざわざ高い学費を払ってまで大学に行く必要があるのか?なんて議論があるしさ、日本なんて酷いじゃん?年齢差別はあるしポスドク問題は解決してないし。そこをまぁとにかく突き抜けるしか無い!とかって思ってたけどさ、いや、正直今はそれが良くも悪くもなくなったよね。勢いはなくなったんで結構冷めちゃった。でもまぁ数学は好きな分野だけやってるけどね。


でも結局数学って完全に実力の世界じゃん?ようは論文書ければいいわけでさ、いや、俺が書くとかってことじゃなくてプロになるってのはそういうことなんだからさ、永遠と書けなかったらさ、多分大学行ってても書けないまま中退とかだったと思うんだよね。そもそもTAとかやりながらそんなことが出来るのか?って現実的に考えると今の俺のモチベーションだととても無理だなって思えてきちゃうね。やっぱ勢いがあった頃は凄かったなーって自分でも思うわ。マジで。金銭的なリスクがなければやっぱりあっちにいるべきだったと思うよね。勢いって意味で。でもまぁ金銭的なリスクが無いなんてことはないわけでさ、で、今は実家が火の車だけど本当に無茶なことをしてたなと。このまま何千万単位で借金してたら完全に人生詰んでたと思うよね。


んでもそういうリスクも背負うっていう背水の陣で挑んでたわけじゃん?でも今はそれが無くなったから特に頑張る理由も無くなったんだよね。俺はアメリカ市民になって美人のアメリカ人の奥さんと結婚するんだ!みたいな中二病的な夢があったから頑張れたけど、今は目標がなくなっちゃったもんなぁー。あと自分はやっぱりバリバリやるっていうのが凄く嫌でマイペースでやりたいんだよね。寝ながら気が向いた時に本を読むっていうさ、でもやっぱり好きな分野の本だと哲学書のようにすぐに手が行くんだよね。


数学やるならやっておかなきゃ!的なもんはだからいまだに全然できないよね。物理数学とかも興味あったけどあまりにも計算がエグくなるから興味なくなっちゃって、んで最近はBrian Greenの宇宙の本とか読んでるんだよね。テクニカルな部分はもう無理かなーと。まぁ古典力学なんだけどね。つまらないと感じるのは。量子力学とかはまだやってないから分からないけど本は持ってるんだよね。超立派な本を。あとで貼るけどんでももう計算とかを追うのが嫌ですぐ挫折したよね。(追記。今パラっと読んでみたらそうでもなかったので今度読み始めてみるつもりでせう)



結局俺は頭が哲学ベースなんだよね。概念ベースというか。数式も意味としてしか理解できないんだよね。演算でそうなるので・・・と言われても納得がいかないし、道理とか意味があればいいけど理由が演算によって・・・ってことになると途端についていけなくなるんだよね。だからまぁ概念系の確立とか集合とか位相とか圏とか微積とかが好きなんだと思うよね。数論とかはさっぱりダメなんだよね。離散的なのがダメなんだよね。計算命!みたいな人達から見たらそんなの数学でもなんでもないって言われそうだけど。


いや、だからさ、そういう意味で最近は純粋数学としてのファイナンス理論っつーか金融工学とかさ、あとは計量社会学とかね、いや、これらの学問の妥当性というか、そういうのは別として、数学が応用されている現実のものとしてようは物理的な意味で楽しくなってきてるんだよね。ようは数学で記述する物理的なものじゃん?で、自分の好きな分野で記述されることが多いんで面白いんだよね。色んなもんの計測によってパターンが出てくるとかさ、そのパターンに当てはめるための数式とかさ、だからまぁ人間原理的で万能じゃないなって思うんだけど、ただまぁ純粋数学に比べてゲテモノ的な扱いで蔑んでるけどね。


純粋数学があくまで純粋で応用数学は下品だってイデオロギーみたいだし数学者の価値観でさ、フランス料理はお洒落っつーか高級とかっていうそういうぐだらないステレオタイプかな?と思いきや数学やってるとそうなるんだよね。卑近なものが何か凄く下品に感じられるようになる。ましてやそれが計量だの金融だのってことになるとなんかかっこわるいんだよね。それはやっぱり現実に即してるからなんだよねー。多分。抽象的な概念がある中でそこから具体性が直感的に数学的な感覚与件として知覚されるみたいなものが凄くイデア的でそれでいて現実的なんだけどベースが金だの社会だのってことになるとやっぱり理論的な魅力って無いんだよね。


言わば学問的な感じが無くなるっつーのかな?人生論とか形而上学とか抽象的な政治哲学とかが極めて学問的で自己啓発とかマーケティング理論とかマネージメント理論だとか現実政治分析だとかさ、後者のほうが現実に即していて価値がありそうに見えるんだけど、なぜか凄くダサいんだよね。学問感が全然無い。やっぱこれは偏見なのかな?数学者が書いた本とか読み過ぎて洗脳されたのかな?いや、でも違うよね。だって昔から政治哲学とかが好きでリアル政治分析とかに全然興味無かったわけでさ、なんかこれと同じなのよね。


なんかそういう意味で自分の事として物事を考えられるのが哲学者なんだとしたらね、いや、それこそ全部背負っちゃって全部考えちゃうみたいなさ、まぁ個人差があるけどようは文献がベースなのではなくて自分でつい考えてしまうというのがベースにあるね、そういうベースに立脚したものが哲学というかまぁそれを日々やり続けるのが哲学者なんだとすれば数学者もまたリサーチとかって意味じゃなくて知りたいことがあってそれが分かってなくてそれを知りたい!っていうさ、それを自分のこととして扱って自分で考えちゃうっていうのが数学者って感じがするよね。


まぁでも数学の場合、結果がそのままキャリアとかに繋がるからだからまぁとりあえず色々書いちゃえばいいみたいなさ、純粋な思索とかに比べて業績とかが社会に組み込まれているっていうか認められやすいからそういう動機が混ざる場合が多そうだけどさ、でもまぁ一気に凄まじい天才を出しちゃうけどようはペレルマンみたいな人なんだよね。数学者って。んでも業績がなんだかんだっつーくだらない世界に嫌気が指して隠居しちゃうっていうさ、でも数学者目線で考えれば理にかなってるわけよ。だって別に実験装置とかいらないわけだし自分で考えればいいんだから誰からも干渉されない場で考え続けるのが一番はかどるわけじゃん?くだらないストレスも無いし。グロタンティークなんかもまぁ同じなんじゃないのかな?まぁ例の手紙の件についてはガッカリだけども。


あとは岡潔とかラマヌジャンとかなんか超一流の系統ってみんな似てるよね。業績云々じゃなくて哲学者が永遠とあーでもないこーでもないっていうようはウィトゲンシュタイン的な感じで執拗に色々と考えてしまうみたいなああいう気質の人達がひたすら数学のことについて考え続けてるっていう孤高の思索者みたいな感じがあるんだよね。だからなんかさワイルズとかああいう系統の人達いるじゃん?数学者っつって割と前に出て来れるタイプって2流なんだなって思うんだよね。まぁあくまで一流ってのをそういうレベルに置いちゃうとだけどね。


そもそも世間と折り合いをつけてやってる時点でもう2流だよな。まぁこれ言い出すと変人主義になっちゃうけど、でもそもそも教えるなんてことと両立することがおかしいよね。病的なまでにそれに没頭してるわけだから採点だとか教授会だとかなんだとかそんなのやってられないだろっていう。ゲーデルはそういう意味で「凄い人」としてプリンストンに扶養されてた感じだよね。んでもまぁ思うように研究が進まなくて晩年には給料もらってるだけの仕事してないとかすんげー落ち込んでたみたいだけど。あと誰も自分を特別な人として扱わなくなったとかさ、あーそういうの一応気にしてるんだなっていうかすげーエリート意識がある人なんだなって思ったけどね。まぁーあの経歴じゃそうかな。


そう思うとやっぱノイマンは怪物なんだよな。あれは例外過ぎる。あれは違ったタイプの変人で賢人的な感じじゃなくて俗人的な感じなんだけど能力が凄まじいっていう破天荒タイプだけど所謂天才系の類型には入ってるよね。あの破天荒さといったらねぇー。チューリングなんかもかなりアレだよね、引きこもりタイプだよね。これぞfirst class mathematician!って感じがするけど。まぁでもはき違えちゃいけないのね。引き蘢り系だから天才なんじゃなくてすげー仕事を残してる人達に引き蘢り気質とか鬱気質の人達が多かったってことね。それで言うとフレーゲも鬱だったし人付き合いなかったしリーマンもそうだったしカントールもそうじゃん?


カントールは人付き合いは割とあったかもしれないけどでもまぁなんか印象的にデデキントとかの理解者との文通オンリーって感じがするよね。あとはまぁラムゼイとかも軽く鬱だったらしいし、あとはボルツマンとかもまぁカントールみたいに認められないというところから来るものが多かったとは思うけど鬱で自殺したみたいなもんだし、あとはツェルメロとかも鬱を煩ってたらしいし、ハーディはまぁ衰えだけど晩年に自殺未遂してるし、あとは自殺と言えば谷山豊だよね。あとはまぁゲーデルとかエミール・ポストとかシェーフィンケルとかも鬱だったし、あとはあまり知られてない人達でも数学研究者の自殺者って結構な業績を残している人達でいるんだよね。あ、んで全部鬱って書いてるけどまぁ色々ね。双極性とかもあるし。


ようはこれは単純でさ、よくまぁ数学と狂気みたいなことで語られがちだけどようはあんな緻密で繊細な事を考えられる人達は鬱になりやすいっていうだけだよね。作家に自殺が多いのと同じ原理だよね。ようは。考え過ぎて狂うんじゃないんだよね。考え過ぎちゃう脳を持っているから病んじゃうと言ったほうが正しいわけ。でもそれは狂気ではなくて頭が回り過ぎるが故の心労みたいなもんなのよ。だから単純な人のほうがそりゃー幸せなんだよ。んでも頭の良さとはまた違うんだよなー。それで言えば単純にIQ高い人が精神病になっちゃうってことになるんだけど、こういう知能指数とかとは違ったレベルでのファクターがあるんだよね。


芸術家・作家・数学者とかって並べられるような独特の感性的な繊細さとメランコリー気質ね。アリストテレスが「哲学、政治、 詩作、そして芸術に秀でた人々はみな、憂うつ症だった」とかって言ってたのとまぁようは同じ事よ。これを必ずしもネガティブなものじゃなくて贈物であると言ってたわけでしょ?アリストテレスは。で、ギフテッドの定義ってやっぱここだと思うんだよなー。IQとかで計られがちだけどIQが高いだけじゃギフテッドじゃなくてやっぱり特有のOEっていう感情障害とかこういった憂鬱症みたいなのによってこそ規定されると思うんだよね。だからドンブロフスキが「悲劇的なギフト」と呼んだわけじゃない?端から見ると分からないけど本人の中では嵐のような葛藤が常に心の中で起こっていて生涯永遠と大変な思いをするっていうか少なくとも楽なものではないって言ってたけどここだと思うよね。ようは秀でているというところではなくて障害的な面ね。


だからなんか天才児とかとは違うと思うんだよなぁー。大人になればただの人になるのが天才児なんであってさ、それはまぁただIQが高いだけなんだけどOEは永遠と続くからね。大人になれば治るとかそんなんじゃなくてましてやOEの定義から見れば分かるように極めて神経症的なものをトリガーするような要素ばっかなんだよね。だから世に出ない人とか自殺者とかが相当いると思うんだけど、とにかく憧れるようなものじゃないよね。ギフテッドというのもあまりにも不遇なもんだから凄いところがある的なアリストテレス的な意味での肯定としてのギフトなんだよね。で、それを授かったんだから活かしなさい的なことね。


ようはまぁ知能面というよりかは感情面だよね。過剰な感性というかなんというか。知能指数があっても感性ゼロの人もいるからね。そういう人が世間的には成功しやすい気がするね。横暴でいられるし自信過剰でいられるしだから強気に出られるっていうようなそういう性格が資本主義的なものとマッチするから成功している元天才児みたいなのはこういうタイプが多いような気がするね。どっちが良い悪いではなくて系統が明らかに違うってことが言いたいわけね。世に出やすいのがこっちで感性タイプはなかなか前に出てこないような気がするから目立たないんだと思うんだよね。凄く卓越してても何かが欠落しているから一般的に言われる世に出やすい天才児とかと比べて凄く環境的にも不遇な場合が多いような気がするな。


元天才児とかでまぁ普通の人になった人達も周りに神童だとかって言われながら育ったりして、んで求められるものが多過ぎたりしてっていう葛藤があるにしても結局まぁ根本が普通の人だから周りの期待には答えられなかった・・・っつっても結局まぁ地頭は良いままだからそれを活かしてそれなりの仕事をして家庭とかも持ってたりするんだよね。ようは人としてのバランスがあるのね。で、知能指数が高いっていうだけでギフテッドとはだいぶ違うんだよね。どっちが凄いとかじゃなくて。


ただ結局やっぱりギフテッドが活躍出来る世の中じゃないんだよね。ましてや今の世の中はバランスがある人のほうが求められている感じがしてさ、ようは均一化してるじゃん?昔のほうが破天荒な人達もそこそこやってきた気がするんだけど今はもうマージナルな人達になっちゃうんだよね。変人ってまぁ大抵はただの変人だろうけど1000人に1人ぐらいは凄いのがいるかもしれないわけでさ、なんかもっとそういう人達を活かせたほうがいいよねぇーって気がするよね。


ってことでもうこの辺でいいんだけど、あれなんだよね、最初の話に戻るけどさ、「もしもなぁ・・・」っていうもしもを考えるならさ、いや、もっと勉強をしておけばよかった・・・とかさ、若いくせにそんなこと言うやついるじゃん?んじゃあ考えてみればいいんだよね。子供の頃から勉強をしていて出世街道まっしぐらになったかもしれない自分ってのを可能世界的に思い描いて、んでそれよりも今の自分が今の自分だからこそ出来る事っていうかさ、その可能世界の自分を追い越すことができるっていうか追い越すことなんだよね。もしも・・・がある場合、そんなことは考えるな!とかって自己啓発本とかには書いてそうだけど、もしも・・・を考えてしまうなら考え尽くしてんでもしも・・・のケースで上手くいっている自分に勝てばいいんだよね。だってもうそれしかないじゃん?何もやらないでグズグズいってるってのが本当に最悪だよね。元々そういう人間の場合、もしも・・・も無いと思うね。可能世界のそいつもなんかで躓いてグズグズしてると思うわけよ。


ってことでまぁあれなんだよね、それは今の自分の肯定とかを抜きにしてもしも・・・に勝ててるんだよね。地味な毎日だけどコツコツやっていてそれで勝ててるわけだ。学校行きながら生活全般も自分でやってあとは通学とか・・・ってのを考えた時にそういう時間が無いじゃん?今は。時間が豊富にあってそれを活用できてるんだから負けてるわけないよね。まぁ計算では可能世界の俺が勝ってると思うけどね。だってもう無理矢理やらされるわけだから。事態が変わってもこういう考え方は本当に前向きだよね。俺はあんまり後悔はないけど仮にあったとしても全然今の自分のほうがいいっていうさ、それは新しい環境っていうかディレクションになったときに臨機応変にアダプトしてんでどんどん前に進むことだよね。そうじゃないともしも・・・の俺に追い越されるだけだからね。それじゃあダメなんだよね。本当に。


まぁそんな感じですかね。んじゃまた。