ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

クラウド化について。

新耳蝉シンボルの名前はズバリ「アナルマンコマーク」です。後ろにアナル、前にマンコ、そして俺の名前という抽象構造をしております。これはアナルマンコキャピタリズムのシンボルでもあります。


で、俺が言いたいストリーミングとダウンロードの境界線の無さってのはオートポイエーシス理論みたいな話でさ、外部と内部で言えばすげー分かりやすく内部が個人のPCのデータで外部はネットのデータってことなんだけど、この両者を隔てているものはズバリスピードじゃん?ハードディスクへのアクセスのほうがネット上のデータへのアクセスよりも速いってことなだけで、どんどん速くなっちゃったら差は無くなるわけだ。そうなった時に外部と内部を分けている境界線みたいなのが無くなるって意味で、そこでストリーミングとダウンロードの実質的な差というのが無くなっちゃうんだよね。ネットが統一された構成体と言うつもりはないけど、まぁ極めて形は似てると思うわけね。ようは作用が似てるってことだ。で、こうなるとどこまでがネットの情報でどこまでが生の情報なのかってのもどんどん曖昧になるよね。まぁ仮に生の情報ってのをネットに関わらない文献だとかってことに限ればってことなんだけど、まぁそんな分け方が恣意的だよね。


ただまぁあえて言えばネットが無かった頃にまだそういう有機的な統一体みたいなものへのアクセスが無かった頃に書かれたものとそうじゃないものってのを分けた時に、そうじゃないものはもう統一体と循環っつー運動がもう発生しているものだからネットと生の情報との差を隔てるものがないっていうさ、まぁそれはもう認識ってことになるじゃん?別に生の情報と呼ばれるものもネットにあるわけだし、それこそウィキペディアが学術的に信用できるソースに仮になったとしたらもうあれは電子辞書じゃん?もう外界と内部を分けるものが無くなるよね。まぁネットはそんなレベルにはなってないわけだけど。


ようはクラウド化ってイメージがようはこれなんだよね。クラウド自体がもうcomputationalなマシンになるとも言えるよね。ようはクラウドに繋がったモノ同士が作用して何かを生み出すってことはどこまでが行為者でどこまでが純粋なただの客観的な作用なのかは置いておいて、とりあえずその繋がりの強さから境界線が曖昧になるってことだよね。こういう形での具体的な集合体ってネットしかありえないと思うんだよねっていうか人類史上そうでしょう。で、まぁ今後はそれが当たり前になっていくんだけど今は過渡期で、その俺が言う「近さ」の象徴みたいなのがクラウド化なんだよね。まぁクラウド化に見られるような現象一般ってことか。


いや、スカイリムやっててさ、アップデートもsteamから自動だしセーブもクラウド化してアップロード出来るし、ましてやゲームなんてのをsteam上で買ってそのままインストールでプレイじゃん?だからゲームソフトって呼ばれるようなあの分かりやすい形でのさ、データディスクっていう販売方法の意味が無くなるんだよね。まぁデータディスク=ゲームソフトじゃないんだけどファミコン世代から言うとソフトって言えばカセットじゃん?んでもああいうカセットという感覚から言うとそれこそディスクシステムがデフォでネットにあって、んでネット回線があれば自宅からそれにアクセス出来るってことだよね。


別にそれはゲームに限らずなんでもそうなるわけじゃん?色んなコンテンツね。映画やら音楽やらテレビやら中継やらなんやらって今でもとっくにそうだけど回線が速くなってデータの問題とかもどんどんクリアになっていけばこういうのってどんどん加速するじゃん?そうなった時にもうパソコンっつーもんはネットにアクセスする端末でしかなくなるっていうかさ、それこそネット上のタイピングソフトを使って何かを書くとかさ、別にそれがハードディスクである必要がないんだよね。


今はまだハードディスクのほうがいいに決まってるからなんでわざわざネットにアクセスしてソフトをリアルタイムダウンロードしたりなんかして使わなきゃいけないの?っつってもダウンロード=ハードディスクへのアクセスってことになっちゃったらもう境界線が無いじゃん?その境界線の無さってのがその例のオートポイエーシス理論みたいなのに繋がるんだよね。自分自体もほぼネットをベースにして何かを作ってたり動いてるってことになるともう身体性との差も分からなくなるもんね。主な活動はネットで現実ではただ食べて寝るだけってまぁ別にみんなそうなんだけどね(笑)そのネットでの活動が仕事なだけでまぁそれがようはネット上か仕事場かの差だもんね。


そうなった時に個々の繋がりがすげー強くなるじゃん?強くなるっつーかアクセシビリティが高くなるってことね。例えば俺のマッシュアップでもミックスでも本来は自分で楽しむために作ってたのを「あ、そうか。You Tubeに上げればいいんだ」って思ってから上げ始めてもう1年経つけどさ、俺の利用の仕方でもまさしくそれなんだよね。ようは自分のマッシュアップを聞く時にYou Tubeの自分のチャンネルを使ってるんだよね。自分のハードディスクはとにかくデータがごちゃごちゃで何がどこにあるのかさっぱり分からないし、ハードディスクがパンパンになったら分別せずにとりあえず重いやつを外部ハードディスクに移しちゃうんで場所が分からなくなるんだよね。でもYou Tubeには整列されたマッシュアップのデータがあるっていう。だからそこで聞くっていう感じなんだよね。だからもうあそこのチャンネルはもう自分の場所っつーかハードディスクだよね。


で、他の人ともシェアするようになってるから任意で他の人も聞くことができるっていうさ、それがなかなか面白いってのにやってて気がついたんだよね。かといってもプロモーションだとか連絡とかを頻繁にするとかさ、そんなことは全然やってなくて、ただ客観的に挙動を見てる感じだよね。で、増え方も誰かがアクセスしてくれた!とかって感覚じゃなくてって最初はそういう感覚だったけど、アップしたやつが多くなってアクセス数とかもマッシュアップによってあからさまな差が出たりすると何かそれ自体が一つの振る舞いとして見えるじゃん?あーこういうのにアクセス数が来るんだなって客観的に分かる。だからまぁ自分の中ですんげーお気に入りでも全然人気がなかったりするんだよね。まぁでもそれを観察するのが面白いっつーかなんつーか。


で、それ自体もYou Tubeの俺のチャンネルってのが外部と繋がったということで有機的に生まれるのがそこへのコメントだったり評価だったりアクセスだったりするわけじゃん?内部的なデータを外部化しただけでもう色々とそこだけで起きるんだよね。その現象の源泉が言わばデータの外部化ってことだよね。「晒す」ということで生まれてくる現象がある。自分にとってウォール伝はそのプロトタイプだよね。そんなのに気がつかなくて天然でやってただけだけども。だからそのクラウド化ってのがもたらす色々な現象の原因といったらまぁ凄いじゃない?ツイッターなんか典型だけどさ、色々なもんが加速していったら色々なことが変わるよね。でもそれは期待とかではなくて進化なんだけど、まぁとりあえず利点は多いよね。コンテンツなり知識ってのが富とか環境に作用されずネットへのアクセスさえあれば求めようとすればアクセス出来るっていうさ、まぁ古典なんか大体ネットで読めるんでしょ?


まぁこの辺の話はすんげー古典的なインターネット論だけどね。まぁそんなのはだいぶ前に書いてたけど、まぁなんつーかそのあれなんだよね、ストリーミングとダウンロードの境界線の無さってのが凄いなって思ったからまぁただ勝手に感動してたってことなんだけどね。んでも完全にそうなってるからそういう環境に見合ったシステムとか法律を作らなきゃいけないわけで、昔の古い社会でのシステムとか法律がそのまま今の新しい環境で全てワークするわけないってのは当然のことだよね。江戸時代の法律を現代でもそのまま使うのか?って話だからね。


著作権法とかがもう凄まじく古くさい法であるってのはつまりはこういうことだよね。もう本当に時代に合わないものになってるどころか権利を主張するステイクホルダーみたいなのが建設的な進化を拒んだりするじゃん?それが昨日書いたジャスラックとか岸っつー人とかなんだけどさ、ああいうのはもう社会全体から見てもう害悪じゃん?せっかく進化してるのに意味の無い時代遅れな権利を主張してそれを規制しようとしてるってアホだよね。反社会的分子じゃん?そんなの。それこそそういう進化による経済効果とかも期待できるんだったら阻止する理由はないよねっつーか阻止したら経済効果のチャンスを無くすってことなわけで明らかに反社会的な行為でしょう。


今の日本ってのはこういう進化を拒む古い世代とかステイクホルダーと進化を求める人達の闘争の時代って感じがするよね。んでもやっぱ余裕でまだまだ古い世代とかステイクホルダーが強いわけだ。でもそれはシステム的な成長に伴って自ずと変化を余儀なくされるとは思うんだよね。でもやっぱ進化を求めるならそれを進めようとする人達が当然必要でさ、そうなってくるだろうって待ってるんじゃなくてその進化に参加するっつーのかな?進化を促そうとするっつーのかな?


だからそういう意味で例えばジャスラック批判みたいなのはもう批判ってだけである意味で進化を担ってるとも言えるわけ。だって明らかに害悪な進化を拒むものに対して排除を求めてるわけじゃん?ってことはもうそれは有機的な運動だよね。そういうのがネット上で起こるってのがあってそれがすげーパワーになってるってのが現実じゃん?ネット人口多いし引き蘢りとかニートとかも多いおかげでギリシャ的な公民も割と多いんだろうねっつっても全員がそうじゃないからまぁそんなに期待はできないんだけど、でもまぁみんな高等遊民化するってのはギリシャ的な公民が増えるってことだもんね。


ギリシャの公民まで行かなくてもとりあえず怒りを放つって役割は必要なわけで。でも時間が無いワープアとかは無理だからそういうのを言える立場にあるやつらはどんどん怒っていけ!ってことだよね。それがすんげーパワーになってるのは間違いないわけで。玉石混淆なのは当然だからね。それでいいのよ。なんか結構最近はネットのパワーってのを感じててさ、なんかそれが凄く良い方向に向かってる気がするんだよね。特に妥当な批判が一挙に集中する場所があるとかさ、それってもう凄いパワーだもんね。あと結構棲み分けも出来てる気がするんだよな。Yahoo知恵袋とかがバカの宝庫だったりして、なんかそういう差別化って出来てるじゃん?なんとなくの雰囲気だけど全部いっしょくたに「ネット」ではないよね。


有識者のレベルが高いブログのエントリーもネットに存在するわけだし、それが拡散していって色々と影響を与えたりとかさ、凄いよねぇー。本当に。イデオロギーとかではなくて客観的な事実というのを見定める能力さえあればいいんだから。「計量的な観点から凄まじくおかしなことをこの御用学者は言っている」とかさ、「数字盛り過ぎ」とかさ、有識者のそういう分析ってすぐ拡散するじゃん?で、隠蔽がすぐバレる。これって凄いことだよね。東電とかがタジタジなのもやっぱネットの威力ってのが大きいと思うんだよね。だからもう誰もマスゴミの情報信用しなくなるっていう。まぁでもこれの難しい所はどの有識者を信じるのか?ってことだよね。数字盛ってますっつってもそもそも分からない分野のことは分からないじゃん?まぁそれを言い出すとキリが無いんだけど。


あと一気に話は変わっていじめ事件についてだけど、加害者の個人情報が漏れまくってるっつってそれがネットのでのリンチだ!とかって言われてるみたいだけど、前にも書いたようにこの感情ってのは現象なのよ。あまりに酷いことが起こって法が機能してなかったりしたら一線を越える連中も余裕で出てくるよってことなのよ。「加害者を殺す」って手紙を送った爺さん然り。ようはこうなる前になんとかしなきゃいけなかったわけで、みんなぶち切れるようなことをしてたから結局、加害者の情報が晒されるということになっちゃったっていうさ、それはそれこそそういう風にならないために保護という意味でもちゃんと少年院に送るだとかっつーちゃんとしたプロセスを早くやらなきゃいけなかったわけじゃん?ネットがあればこういう形での天誅は余裕でありえるということを認識しなきゃいけないよね。


あとはいつも俺が暴動について言うことだけど、ここまで来たらもうさすがに怒るしなんでもやっちゃうぜ!っていう恐怖感を与えてないとダメなのよ。それは権力に対してね。で、結果、とんでもない大惨事になるんだってことを体現しないといけない。で、今は別に具体的に特攻を仕掛けるだとかそんなことじゃなくて情報テロとかってのが余裕でありえるわけで、そういうことが起こりうる可能性だよね。で、今回の件は見事にそれが体現されてると言っていいと思う。人間として凄く全うな反応だよね。暴徒化してるとか言うやつはどういうつもりで言ってるのかな?この感情と現実のギャップが問題なわけで、仮に炎上を暴徒の仕業だとするとその暴徒達を批判出来るのか?ってことじゃん?怒るには当然理由があるわけで、なかなかキレない日本人をここまでキレさせたってことの事の大きさだよね。いじめ事件としては異例とかいって異例にしたのは誰だよ?っていう。


人権っつーアタリマエの概念に疑問を持つ人が増えているというのは良い予兆だと思うんだよね。普遍的人権って総合的に見るとマイナスにしか作用しないからね。マジで。生まれてからは持っているものだし、それはいかなる理由においても剥奪されないっていうルソーみたいなアナーキスト系哲学者の理想論じゃん?そんなもんを近代国家に導入してること自体がそもそも間違いなんだよな。


あとそれで言うとベーシックインカムなんだけどさ、いや、俺みたいなのが書くと俺みたいなメンヘラーにとってはそれは理想だろうねーみたいに諭されることがあるんだけど、俺は全く逆で小さい政府なんだよね。クズにも一応権利として金は与えて、ただその中でやりくりしろってことだからパチンコに使っただのブランド品を買っただのっつー理由で散財したらもうダメなのよ。それこそ究極の自己責任ね。このほうがクズは勝手に死んでいくだろうし、生活保護だのの不正受給とかも無くなるじゃん?まぁそんなに単純に無くなるってわけじゃないけど、ようはクズを生かさない思想だよね。クズが国家から金を吸い取るという構造を究極的な自己責任化によって無くすってことね。逆を言えばちゃんとやりくりしたり必要としている人に漏れなく金がいくってことなわけで最高じゃん?


社会主義が問題なのはそれを左翼的思想に法ってやるからなのよ。所謂、保守的といっていいのか分からないけどまぁようは資本主義的な理念で社会主義的政策を方法論的に取るってことね。だからそれは弱者救済なんじゃなくて全部を自己責任化するってことなのよ。で、弱肉強食の社会は変わらないわけ。ただ弱者はなんとかやっていけるんでとりあえず死ななくてよくなるっていうそれだけね。ノージックまで極端じゃなくてもいいんだけど、まぁこれもアナーキズムの一つですよね。アナルコ・キャピタリズムに近い。競争原理や能力原理としての格差ね。それはやっぱなくしちゃダメだわ。


それを支援とかで埋めようとするから社会主義はダメなんだ。全ての人に平等に機会はあるけど結果は保証しないし結局は競争原理や能力格差によって格差が生まれるんだけど、とりあえず生きていられるってのが理想だよね。まぁ理想と言うほど理想的ではないけど現実的だよね。そういうのを負け犬とはせずにリタイア組というかさ、競争をしないで生きていくって生き方も出来るっていうやり方ね。今はもうみんな少なからず競争に参加しなきゃいけなくて脱落するともうダメじゃん?それはやっぱ最悪なんだよね。とりあえず人が餓えるとかどうしようもなくなる社会ってのは当然ダメだわな。でも能力差なりなんなりってのは絶対認めなきゃいけない。


社会主義は能力差は後天的に経済格差とかによって出来るとかって思いがちじゃん?ようは全ての人は平等に生まれてくるし生得的な差なんて無いって考えるイデオロギーだからね。それが社会をダメにするわけだ。だからそういう意味で左翼思想ってのは最悪と言えるよね。これほど悪いものは無いなと最近は本当に思うわ。まぁ人権思想が最たるもんだけどねってことなんだけど。俺が書く事って多分相当な弱者の理論だなぁーとかって思われてるんだろうなぁーとかって思うんだけどね、俺はリアリストですからね、そりゃー自然の原理に従いますよ。そういう自然の流れに抗うと大抵はロクなことにならないわけで。


就職っつったってもう能力が無い平民を雇える時代は終わったってことだよね。昔は経済が成長したから可能だったけど今は無理だし、そのおかげで凄まじい能力主義とか面接という意味での学歴社会とか年齢差別ってのが横行してるわけじゃん?でもこれはある程度はしょうがないんだよね。そんだけ社会に余裕が無くなってるってことだから、ようは能力が無いやつとか一見能力があるように見えないやつはそれだけで切られるってのはもうしょうがないと思う。そもそもみんな食えてるってのがおかしいわけだよっつーか異常だったわけよ。日本は世界にでも稀に見るほどの経済の急成長をした国だからさ、そういう過去の例外的とも言える社会の流れみたいなのを基本モデルにしてやってたらそりゃー現状とは見合わないですよね。


だから現状に見合うようにやっていくしかない。だからなんか企業がもっと人を雇えとかさ、就職難になってるとかこんなの解決は無理じゃん?でも就職出来なけりゃ死ぬしかないみたいな世界観だから自殺が多いわけでしょ?だったら就職しなくても食えるようにすればいいだけのことだよね。すげー冷酷な意味でのベーシックインカム制度はリアルにアリだと思うね。理想的なBIじゃなくて現実的なBIね。最低限の生存権というのを自己責任で保証するっていうことね。こういう理念なら橋下知事とか石原知事とか好きだろうから現実性があるよな。絶対あの人達弱者嫌いだからね(笑)


国家が色々と世話をするってのはもう無理でしょう。財政的に完全に無理だもんね。だから生存権だけ与えてあとはもうなるべく放置でいいと思うよって完全にこれって自由主義の考え方じゃん(笑)いやー人間の考え方って変わるもんだね。本当に。しかも今のアメリカってこういう考え方になってる人達が多いらしいんだよね。オバマ的などちらかと言えば社会主義的な政策に凄く反感を持ってる人達が増えてるんだとか。まぁ時代精神ですね。これも。


ってことで今日はこのへんで。