ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

久しぶりだわね。

ええ。放置プレイになっておるわけですが、ダークソウルは一通りやり終えたんですよね。DLCの煙の戦士だったかまぁ強かったっすね。ゲーム全般のライト化が進むなかであのハードコアさはさすがフロムって感じで。で、その後にロールプレイって面白いよなぁーとか改めて思って次はスカイリムをまた始めからやり始めちゃってさ、んでまぁ例によってまたずーっとですよ。隠密縛りでやってるんだけどやり方がわかるとある意味隠密が最強かなって思うよね。やっぱアサシンダガーいいよね。あとスニークスキルも上げると視界に入っても気づかれなくなるし。火力不足とか軽装による防御力不足を全て隠密で補えるからコスパが半端じゃないよね。武器もダガーぐらいしかいらないし。


で、スカイリムも一通りやり終えてんで例によって発見したのがさ、エルダースクロールオンラインってあるじゃん?あれがなんとね、課金じゃなくなってるんですよ!「えー!」と思って即買いましたね。で、容量が50ギガ近くあって今ダウンロード中なんてまぁこれを書いているわけですが。で、まぁ本業のほうは疎かになってるのは言うまでもないんだけど前に動画を貼ったManuek Delandaって人の本を読んでるね。で、ヴァーチャルのオントロジーなんだけどさ、オワコンシリーズなんですよね。これ。まぁそりゃ俺の定義とは違うけどでもざっくり言っちゃえば構成要素自体にinteractionが生まれればそれは存在であるっつーかさ、あとは存在と呼べないものとか一連のリゾーム的な差異の体系の中でそれが仮に機能不全になった場合、どう振舞うようになるのか?っていうむしろ振舞い方じゃなくて機能不全になったときの動きが重要なんだっていうようなね、で、まぁこれも勝手な俺の解釈だけどようはリゾーム的な生成とかリゾーム的な差異をオントロジーとして解釈しちゃうとこれってようはプラトニズムなんだよなっていうさ、まぁイデアってことなんだけど、むしろ存在を規定してるのが差異なんであって、それを言い出すとリゾーム的な生成から生まれる差異っていうのは全部存在とか存在に関わる構成要素ってことになるんである意味でスピノザ的な汎神論にもなるんだよね。俺の中で勝手にスピノザプラトンが繋がった感じなのよ。仮にそれが間違っててもまぁでもそれは文献における解釈が間違っているだけであって行き着いた考えとしては別に論理的に整合性はあるわけだから全然問題ないんだよね。


まぁだからドゥルーズが色々と言論してる多様体なんてのもオントロジーのintersectionとかcombinationとかcomputationとかって考えるとまぁスキーム論的なオントロジーってことになるんだよね。だからドゥルーズは言及してるわけじゃないけどぶっちゃけグロタンティークっぽいんだよね。圏論とか特に層だよね。sheafね。だからまぁ俺の中で勝手にドゥルーズって数学の哲学をやってた人みたいな感じになってるんだよね。Fernando Zalameaが「Synthetic Philosophy of Contemporary Mathematics」で述べているような、古臭い分析哲学とか論理系の哲学を数学的にやるとか数学をそういった手法でやるということじゃなくてもっと現代数学的な数学で哲学ができるはずだみたいなね、で、それが何気にドゥルーズなんだなって思ったんだよね。


多分Fernando Zalameaの本の中では言及されてないと思うけど。でもまぁっつってもドゥルーズが厳密な数学的概念を使って哲学をしていたっつーよりかは数学的概念を借りて色々と述べていたってだけでまぁだからソーカルとかに批判されたでたらめさってのはあるのよ。でもナンセンスではないんだよね。数学の概念の使い方は間違っていたりそもそもの概念の理解が間違ってたりしても読む側としては勝手にその間違いをこっちの知識によって補正できるじゃん?ようはこういうことなんだよなってのを理解すればいいわけで。まぁだからむしろでたらめなのはフロイト関係の話なわけで、精神分析関係のくだらない話を除けば結構有用だったりするんだよね。


でも前にも書いたようにラカンみたいなフロイトの概念を使って記号論とかをやるみたいな、概念装置のフロイトっていう意味ではフロイト自体に科学的厳密性が無くても概念装置として捉えればドゥルーズなりラカンフロイトの概念を装置をもって述べようとしているのはつまりはこういうことなんだなっていう理解ができるわけでフロイト自体の理論がナンセンスだから話自体がナンセンスになるってことではないんだよね。まぁ記号論的な分裂病の解釈とかさ、シニフィアンの無限の連鎖と生成なんてのも分裂病的だっつーのもまぁ昔の分裂病のステレオタイプな捉え方なんだけどドゥルーズが使う分裂病って概念は精神医学における分裂病っつーよりかはドゥルーズのタームなんだよね。独特の意味合いも持つもので病気そのものとは関係ないっていう。まぁ病気の諸症状からインスパイアされた諸概念ってだけでまぁこれも分裂病ってのを一種の概念装置として捉えるっていうまぁある種のモデル的な考え方なんだよね。だからまぁそういうのを駆使して書かれたテキストってのはそのテキスト自体が機械として常に動いているものなんだっていうドゥルーズの言い分はごもっともなんだよね。凄く哲学の核心をついてると思うよね。


だからなんつーのかな?ラカンにしてもアルチュセールにしても過去のオーセンティックなドグマみたいなテキストを独自に解釈して自分の哲学にしてしまうっていう解釈学的な方法ってのもさ、まぁそれ言い出すとシュトラウスもそうだしっつーかそれ言い出すとニーチェとかにしたってショーペンハウエルが元ネタだったりするわけでまぁ哲学ってそもそもそういう感じじゃないですか?そういう多角的な見方によってテキストの解釈が色々と変わってきたり色んな哲学がそこから生成されるっていうプロセスが面白くてさ、まぁある意味でサンプリング的なのかな。サンプリングで作って出来上がってきたらサンプルの比率を下げていって自分達が作った音をメインにシェイプしていくっていうまぁ初期のオウテカとかがやってた方法だよね。


で、そんな感じでカール・バルトっているじゃん?神学の人ね。で、あの人の場合は聖書でそれをやってるんだよね。で、キルケゴールみたいな絶望系の哲学の知識をベースにっつーか主題にあまりの救われなさってのがある中で聖書を有用に解釈していくっていうような方法で自分の哲学をやっていたって意味ですげーマイブームなんだよね。まぁ早速注文して明日には届くと思うんだけど。マタイのやつとあとcambridge companionを買ったんだけどね。とりあえずなんか読み始める場合、cambridge companionなんだよね。ドゥルーズのもだいぶ前に買って読んだんだけど。まぁ別にだからドゥルーズって今勝手にマイブームになってるだけで別にまぁ色々と読んではいたんだけどね。まぁそういうのがベースにあるから色々と読めるわけだよね。まぁ地道な積み重ねの所産というやつか。


まぁそんなわけでカール・バルトをみっちりと読もうかと思って楽しみにしてるんですよ。まだ分からんけど当時の時代背景もあってすげー切実に絶望ってのを自分のオリジンとか知的ソースっていうのをベースに取り組んでいた人なんだろうなって勝手に思ってんのね。その知的ソースっつーかベースってのが神学だっただけで取り組んでいるのは基本実存と絶望なんだろうなって思ってたりまぁそうなんだって思って読むつもりなんだけどね。


まぁあんま更新してないけど色々とやってますよ。まぁほぼゲームだけど(笑)ゲームやって一通り飽きてきたら読書って感じだわね。でもやっぱゲームやってても思うけど空虚さって何やってても凄いよね。まぁゲーム自体はやって楽しむこと自体が目的だからいいんだけど「だからどうなのよ?」っていうあんまり考えないほうがいいようなことがたまに頭をよぎるよね。それ言い出すとなんでもそうなんだけどね。今これを書いてるのもエルダースクロールオンラインが楽しみでテンションが上がって書いてるだけでさ(笑)なんかまぁすげー色々と安定はしてるけど虚無ってのはどんどん深くなるばかりだよね。これを知的方法と経験で超越したり克服したりしない限りいつかは自殺すると思うんだよな。むしろ生きるということを肯定できるのは何なのか?ってことじゃん?いつものディオニュソス抜きで(笑)ディオニュソスはex-machinaみたいなもんで基本これ出してくれば何でも解決しちゃうからね。もうここ数年ディオニュソス禁止してるよね。


まぁそんな感じですわ。ただまぁさ、数学の話とか出てくるわけじゃん?っつーかまぁ色々とそういえば途中になってる本が数学書も山ほどあるなーとか思いつつ色々とちょっと読んで見るとやっぱ圏論とか群論系のやつって面白いよねっつーかシンプルでエレガントでやっぱ好きだなって思うわ。長らく見てなかった好きなタレントとか女優とか女子アナの顔を久々に見てやっぱ好きだわーって思うのと同じ感じだよね。やっぱ数学は好きなんだなって思うよね。ただのめり込むと読むことしかできない自分の無能さに絶望するから諸刃の剣なんだよね。自分でなんかやっぱ作ったり考えたりしたんだけどできないんだよねぇっつーかどういう手順で作り始めればいいのかがわからなくて。一応考えてることはあったりするんだけど具現化させる方法が無いっつーかね。こういう場合やっぱ学校で先生とかいるといいなぁーとは思うよね。


「こういうことを考えてるんですが何からはじめればいいですか?」みたいなまぁ論文のアドバイザーなわけじゃん?そういうのができるのはいいよね。まぁ何を今更って感じではあるんだけど。まぁでも学校にいないからできないなんてのはただの言い訳ですよ。やろうと思えば何かしらの方法があるのにやろうとしないってことはまぁそんなに実際は興味が無いかあとは自分の無能さが露呈するのが嫌だから「考えていることはあるんだよねー」って言うにとどまってるほうがロマンを持ち続けられるみたいな負け犬丸出しの腐った根性がそうさせてるんだと思うんだよね。数学ほど自分の自信を失うものは無いよね。俺は馬鹿なんじゃないか病が始まると本当に精神的にキツくなるよね。数学ってその辛さがあるんだよね。ちょっと趣味程度にやればいいのかもしれないけどそういうライトなやり方は嫌なんでね。常にやっぱハードコアでドープじゃないと嫌なんだよね。まぁ哲学とか純粋数学ってハードコア中のハードコアだよね。ハードコア好きの俺にはぴったりの分野だとは思うんだけど。まぁこうやってやりたいことがあるだけまぁ幸せなんだろうなーとは思うよね。カール・バルト読むの楽しみだしドゥルーズとかラカンもちょびちょび読んでるのが地味に楽しいし。


そんなわけでじゃまた。