ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

腕を鋼鉄化することにしました。

いやー自分と向き合う時間オンリーだよね。それがゆえに出てくる強烈な虚しさ。だからついつい手が出ちゃうんだよね。ゲームに(笑)そんな感じでアホみたいに高いけどBlack OPS 3買ったんだよねっていうか毎年この時期になるとやってるよね(笑)で、FPSってハマるっていうかゾーンに入るとアドレナリン凄いじゃん?で、FPS的ゲームが露わにしてくれる人生の虚しさね。極端にアドレナリンが出ているからこそその落差を感じるのはわかるけど、なんていうかnothingnessってのが如実に浮き上がるよね。


結局、技術って何なのかな?って思うんだよね。俺は技術という意味でのartが大好きでもちろんマーシャルアーツもそういったartとしての技術という意味でのめりこんでいるんだけど、武術とかで内面の修練とかがことさら強調されるのってやっぱり単体だとただの人殺しの技術だからなんだよね。だから武術を通して人格形成みたいなのをやるっていうようなエクスキューズが生まれるんだけど本来逆なんだよね。virtueがある人がやらないと単純に危ないっていうことだよね。


でもなんか結局さ、まぁやっぱり武術っつっても人殺しの技術っつーよりかはまぁジムなんつってもまぁスポーツとしての格闘技とかってのがメジャーなわけじゃん?別にそれは世界どこでもそうだよね。でも思うのはさ、それ自体では何にもならないって意味だとFPSもスポーツも同じなんだよね。FPSE-Sportsなんであって体を動かさないだけでまぁ凄くスポーツ的であるんだけどでもまぁカウチポテト的なジャンキーさっていうのかな、健全じゃないイメージってのがあるよね。あとあんま推奨されないっていう。でもスポーツはとりあえず体を動かすってことで精神的にも健康にも良いから推奨されるよね。まぁ結局、個々が健康管理ができると医療費がかさばらないみたいなさ、まぁ税金がそんなにかからない的なまぁユーティリティー的っていうのかね。


まぁスポーツとかジムとかってそれ自体で健康に良いからそれだけで意味があるんだけどその一方で30代後半とか40代前半の人たちがある程度人生わかっちゃったり自分がやってることでそこそこ成功したりまぁまぁになってなんかちょっといろいろと見失う時期に体を鍛えるみたいなところにフォーカスして心の健全さを保ってるみたいな危うさってあるよね。何かに打ち込むってなんらかのそういう虚しさへの反動というか虚しさがあるからこそ打ち込むっていうのかね。俺のマーシャルアーツもそうだもんなー結局。まぁ単純に慢性的に運動不足になるから体を動かさないとさらに気分障害がひどくなるってのもあるし体を動かすということはメリットしかないから凄く良いんだけどさ、でもだからなんなの?っていう感じになるよね。まぁいつものパターンですわ。


じゃあもっと追及してフルコンタクトをやってみるとかさ、地下格闘技に出てみるとかそういう路線でやってみれば?とかって思ったりもするんだけど結局何やっても同じだと思うんだよね。それ自体に意味はないからね。意味ってのを自分で見出さないといけない。まぁでも単純にマーシャルアーツ的に強いというのはどういうことか?っていうのは凄く興味があるし、あといろんな国の歴史があるマーシャルアーツとかって文化人類学的な面とかがあったりするじゃない?学術的にも面白いんだよね。まぁもちろん俺がフォーカスしてるのは内家拳だけどでも体を使うという意味でいろいろなものに触れるってのは良いことだよね。内家拳とかだと蹴りがほぼないに等しいのと動画で内家拳とキックボクシングとかで戦ってるやつとかでも大体蹴られて終わってるからやっぱ蹴りだよなとかって思ったりなんかしてムエタイの本とか読んでるけどね今は(笑)


結局、合理性ってことになるとムエタイとかキックボクシングってことになるよね。それでもやっぱり俺は中国拳法の発勁に凄く興味があるし、まぁ別に神秘的なロマンとかは別に凄く面白いものだなって思うからやっぱり内家拳ってことにはなるんだけどね、でもマーシャルアーツってなんで国によってあんなに違うのか?ってのは思うよね。例えばなんで韓国ではテコンドーの元になるような蹴り主体の武術ってのが生まれたのか?っていうさ、それでいうと中国拳法もなんであんなにパンチばっかで蹴りが主体のがないのかな?って思うもんね。まぁ少林寺とかの南のやつはまた違うのか。そう思うとまぁ北ばっかじゃなくて南のも研究しようってことになるよな。


まぁでも単純に蹴りって凄いよね。FPSで言うところの強武器みたいなもんでちょっとコツをつかめば単純に殴るより何倍もの衝撃を与えることができるもんね。で、リーチが長いしだからまぁ単純にフランスのsavateとかテコンドーとかってすげー技術だよなって思うんだよね。ああいう蹴りが主体のやつは合理的だよね。何しろずーっと脚でやられたらたまらんもんな。ずーっと脚でやられてイってみたいわー。ただあとさ、K-1とか一時期見てたけど思い出しても武蔵とかさ、そんなに別に強いわけじゃないんだけどひたすらローキックばっかやって粘り勝ちしてたのを思い出したりしてもやっぱり地味にローキックってすごいよね。一発では決まらなくても何回もやられたら痛くなってくるもんね。試合とかでも最初は「全然効いてないぜ」みたいなそぶりを見せるけどだんだん痛くなってきて明らかにローキック嫌がるようになってあんまり近づかなくなってだんだん闘争意欲がなくなっちゃって攻められるみたいなパターン多いもんね。そういう意味だとやっぱりキックボクシングとか空手とかムエタイのキックって凄いよね。


だからこそ余計に中国拳法のファンシーな動きって「は?」って感じになっちゃうよね(笑)でもそうじゃないんだよなー。まぁでも太極拳みたいなやつって柔術っつーかさ、打撃だけじゃなくてつかんで倒すみたいなのも多いから打撃特化って感じじゃないんだよね。まぁそんなの明らかだけどね。でもやっぱりなんつーか合気道的なもんって実用性ってどうなの?っていつも思っちゃうよね。こうやってきたら掴んでこう倒すといっても相手がボクサーですんげー早いジャブ打って来たらつかめないだろうって普通に思っちゃうもんね。だからまぁ結局打撃なんだと思うけどね。やっぱりなんつーのかな?ストリートファイト的なフレーバーがないと説得力ないよね。中国拳法はなんでムエタイみたいな威力むき出しの膝蹴りとかが無いのかな?って思うしさ、あとまぁエルボーにしても明らかに実戦で使えないようなのばっかだし、まぁ型と実戦って違うから型だけ見てどうこうとは言えないんだけどね、でもやっぱり強さって単純にルール無用のストリートファイトをやったときに勝つかどうか?ってことだと思うんだよね。だから泥臭い前蹴りとか膝蹴りってのが単純に有効ってことになる。エルボーにしてもムエタイのエルボーの使い方ヤバいもんね。あんなのテンプルに当てたら下手すりゃ死ぬでしょっていう感じだもんね。


結局そこってやっぱ居合でもさんざん書いたけどただの踊りみたいな部分とそこに隠された奥義の部分ってあるからね。でも結局まぁ当然型だけやっても真剣勝負で強くなるか?っていうとそりゃ強くならないし結局強いのって白刃の勝負を潜り抜けてきた人たちだもんねっつっても居合の開祖にしても白刃の勝負を潜り抜けてきた結果、編み出した方法ってのが居合だったりしてさ、やっぱり元ってのはどの武術もそりゃ当然実戦がベースなんだよね。でもやっぱり伝承ということになってくると実戦をやらずに稽古だけやるってことになっちゃうからだからやっぱり実戦とかけ離れたものになっちゃったりするんだよね。それはどの武術もそうだよね。だからこそやっぱり常にフルコンタクトでやれるやつとかってのは良いんだと思うよね。単純に型がどうのとか突きがどうのじゃなくて実際に殴り合って慣れるっていうさ、あとまぁそこでの痛みに慣れるということとかあとしょっちゅう殴られてることで神経も慣れてくるとかさ、そういう世界だよね。


中国拳法とかってフルコンタクトってイメージないもんね。演武的な型ばっかで本当に形骸化してんなって感じがするもんね。でも昔は稽古中に死者が出たりアグレッシヴな達人とかは門下生にも容赦しないでマジで戦って何人も殺しただとかそんなのもあるぐらいでさ、だからやっぱりまぁ規制というかね、政治的なもんだよね。特に中国なんかは昔からしょっちゅう禁武政策ってのをやっててさ、執拗なまでに規制したりそれこそ殺したりしてたんだよね。中国はああいう国だから迫害とは切っても切れない関係にあるっていうかさ、そういう背景があるからこそそれこそ中国共産党が認可してるような武術なんて胡散臭いってことになるんだよね。だから国営っぽい感じでやられてる武術の大会の試合とかもたいしたことないんだと思うよね。ああいうのって全部形骸化した武術だからだよね。だからあれを見て「中国拳法は弱い」とするのは安易だよね。本当にヤバいやつは規制されるかそもそもそんなマジの殺し合いなんて国が許可するわけないからだからヘボい人畜無害なものばっかが映像として出回った結果、中国拳法は弱いってことになっちゃってるんだと思うよね。でも実際は太極拳ですらスパーリング中に死者が出てたりしたわけでさ、だから死者が出るスパーリングってどんなんだよ?って話になるじゃん?だから本当の太極拳って相当アグレッシヴなはずなんだよね。


あと八卦掌なんかにしても舞踏にしか見えないけど実際は布のテーブルみたいなのを平手で叩いて掌自体をめちゃめちゃ硬化させてそれを振り回すみたいな物騒なもんなんだよね。チャンツィーみたいな華奢な女性が八卦掌を使っててもエレガントだけど全然強そうに見えないけど実際は全身を強化して強くしたような殺人マシーンみたいなやつが凄まじい腕力と硬化させた掌で思いっきり相手を打つとか急所を突くみたいなそういうもんなんだよね。でもあまりに物騒だから大っぴらには伝承されないんだよね。石を拳で叩いて拳を強くするって琉球空手なんかでもあるけどまぁこの辺は色々と諸説あるみたいね。拳を壊したら終わりだからそんなことをしないほうがいいっていう意見もありつつまぁやっぱ拳を強くしてるに越したことないっていうさ、まぁそりゃそうだよな。脚とか手を硬化させてる空手家ってだからバットとか平気で割っちゃうんだよね。あれは技術だけじゃなくてやっぱりごり押しの身体の硬化っていうのがあるよね。やっぱり体自体を武器にするってのはキー概念だと思うんだよね。あと空手で指をめちゃめちゃ強くして指の突きで木の板を割るってのがあるけどあれって指自体の強度があると力がフォーカスする場所ってのが拳に比べて狭いから単純にそこにかかる力ってのが凄いんだよね。だからあんなんで喉突かれたら死ぬんだよね。あと腕を硬化させた空手家が打つ小手打ちね。腕をしならせて腕自体で相手の首を思いっきり殴るっつー技なんだけどあれもまぁ殺人技だよね。


でも結局やっぱりそういうリーサルなもんばっか使うってことになると思うんだよね。でもそりゃ組手とかだったら顔殴っちゃいけないとかそんな殺人技使っちゃいけないとかさ、そういう風になるから牙を抜かれたみたいになっちゃうんだよね。でも実際は琉球空手なんかでも恐らく中国拳法からの影響であろう経路みたいな概念があってさ、まぁようは急所だよね。正中線を中心に急所が多く存在するってよく言われるけどああいうのがちゃんと知識としてあるんだよね。だからそういうリーサルな部分を普段鍛えぬいて硬化させた腕や脚を使って最大限のモメンタムを使って打ち抜くっていうさ、ようは金属バットで急所狙うみたいなことなんだよね。物騒だよねー。でもそんなの大会とかでやらないからだからまぁモノとして流通するものってのはスポーツ的なものが多くなるってことなんだよね。


滝の前とか海とかで「エイエイ!」とか言いながら正拳突きをしている空手って形骸化してんだろうなーって思うけど琉球空手で岩を殴ったり少林寺みたいに体を硬くするために木の棒で体を殴ったりとかっていうああいうのってやっぱ説得力あるよね。あとああいう粗さってのが古代を感じるっていうか現代ってああいうバイオレンスの毒抜きをするじゃないですか?あとまぁ下手するとやりすぎとかいってバカにする傾向があったりとかさ、でもマジな武術ってああいうもんだと思うんですよ。ただそこで問題なのは俺はどうするのか?ってことね。じゃあマジで掌を固くするのか?ってことですよね(笑)でも結局、リスクをとるかは別としても徐々に打つ場所を硬化させていくってのは必須だと思うんだよね。


腕にしても相手の攻撃を腕で受けるっつー前提になってたりする場合、ちょっと打たれただけで痛くなっちゃうようじゃ全然意味がなくてさ、だからやっぱりなんだろうね、外功だよね。それは筋トレというよりかは単純に硬くするってことだよね。まぁ組手とかやってれば勝手にそうなっていくんだろうけど俺の場合は一人でやるわけだから一人でやる方法を考えなきゃいけないんだよね。ただまぁ外功ってのをガチでやるならそりゃまた色々と方法があるだろうからそりゃいくらでもやり方はあると思うんだけどね、ただまぁもう後に引き返せないよね(笑)一生硬化させた体で生きていくことになるわけだけどまぁそれでいいんじゃない?って気がしてきたわ。俺はハードコアであればあるほど燃えるし身体を武器とするって大きなコミットメントでもあるからね。そこはやっぱり座学とシャドーボクシング的なものだけではないプラクティカルなものとして外功ってのは取り入れたいね。


思うに中国拳法って奥義がここなんだよね。内功と外功を極めつくして最大の力を入れてその型に隠されている打撃というのを急所めがけて思いっきり振るうってことなんだよね。都市伝説的に太極拳とか中国拳法って実は暗殺拳なの?みたいなのがあるけどまぁそういう意味では暗殺拳なんだと思うけどそれ言い出すとなんでもそうですよ。空手だってさっき書いたようにリーサル過ぎる危ない技がいっぱいあるしムエタイにしたってちょっと加減してやらないと普通に死ぬような技いっぱいあるしさ、そういう意味で神秘的なものとは程遠いある種泥臭いというか血なまぐさいものだよね。腕とか指とか脚とか拳ってのを鋼鉄化してそれを思いっきり振るうってことなわけだからようは金属バット振り回すようなもんなんだよね。そういう風に身体を改造していって金属バットで殴ったような打撃を与えられるような体の使い方をするってことだよね。本当にこれってきれいごとがないただの殺人術だよね。結局、行き着く先って究極的に合理的な殺人法なんであって結局は軍とかで採用されてるマーシャルアーツみたいになるよね。腕へし折った後に首も折っちゃうみたいな身もふたもないものになる(笑)


あと蟷螂拳なんかも指の硬化ってのが大前提で目をつぶしたり急所を突くっていうようなこれまた身もふたもないものなんだと思うんだよね。でも実際に中国で今も教えられている蟷螂拳の使い手とか門下生が指を硬化させているか?っていうと全然話は別で本場ですらも形骸化されたただ型みたいなのを練習してるだけっていうようなものに成り下がっているっていうは簡単に想像がつくよね。結局まぁなんか代数的に考えるとさっていうかコンポーネントとして考えるとボクシングの世界チャンピョンが指を硬化させてその動きと手の速さで相手の目を突いたらそりゃ失明するよねっていう話なんだよね。


だから結局は誰がどう使うのか?っていうのが問題なんであって、だから恐らく中国拳法とかがダメなところってのは実戦の需要もないしあとまぁ規制されてたり伝承自体がデフォで伝わりづらいという文化的背景がある上でさらに政府公認みたいな人畜無害な拳法ばかりが横行することになって牙を抜かれちゃったってことだと思うんだよね。まぁでも前にも書いたけどじゃあリアルな拳法を追及っつって栗を敷き詰めた袋を思いっきり指で突くみたいな訓練を永遠とやってるみたいなのは如何なものか?ってことになるよね(笑)個人でやる分にはいいけど道場でそれやってたらさすがに問題だよね。でも結局はそのヤバさなんだよね。そんなこと教えて悪用されたら責任とれるんですか?っていうヤバいもんが武術だと思うんだよね。宮本武蔵も言ってたけど色々と剣術についてあーだこうだいうやつがいるけど結局は人殺しの方法なんだってことなんだよね。


だからまぁ武術って型から色々と自分なりの思いを巡らせてみて型とか伝承ではこうなってるけど相手に何をやってもいいっていう何の規制もないって中でそれをやるってことになったらどうするだろうか?ってのを考えるってことなんだよね。で、結果的にそれは人前で言えるようなものじゃなくなるからだからまぁあんまそんなことについて喋らないし書かないってことになるんだよね。そういう意味でヤバい技の伝承が途絶えがちになるってのは大いにありえるよね。そういうのをシステム的にちゃんと教えて技術として機密情報として管理してるってのが結局は軍のマーシャルアーツってことになるよね。軍のマーシャルアーツって実戦的過ぎてロマンないじゃん?でも実戦的な武術って大体そんなもんだと思うんだよね。ロマンがないただの人殺しの方法っていうね、だからこそそこに人格の形成とか徳みたいな概念持ってこないと殺伐とし過ぎるというかね、あとまぁエクスキューズだよね。メインは人殺しの方法を教えるんではなくて徳の涵養なんだみたいなことを一応言えるっていう体裁を保っているというだけだよね。実際にやるのは人殺しの技術なんだから。


技術がdeadlyだからこそ教える人を選ばないといけないってことになった結果、そういう内面的な修練というのを重要視してるんだと思うんだよね。もしくはもともとそういうのが理解できたり育める土壌を持っている人じゃないと教えないみたいなね、だからサイコパスみたいな悪党には教えないってことになるわけだよね。あとまぁあれだ、80年代とかになんちゃって中国拳法の本が大量に出版されててそういうのを真に受けた人が大勢いた結果、中国拳法のイメージってのがそれになっちゃったみたいなのは日本ではあるのかもしれないなって思ったね。情報が限られていた昔の場合はそういった限られた本とかメディアの情報ってのが凄い威力を持つじゃん?今の場合、youtubeとかで検索するとガチなやつが出てきたり情報も簡単に手に入るからこそ「よくこんな本出てたな」とかって相対的に思えるけどそれしか情報がなかった時代にはそれがソースだったわけでさ、だからそういったものがベースになってイメージが出来上がっちゃうってのはあるよね。


まぁなんかあれだなー結果的に身体改造みたいになるんだなーって思いましたねー。動きとか型をちゃんとやればちゃんとした力の入れ方とかの科学的な動きはできるようにはなるだろうけど腕自体の強度ってのは実際にやらないとどうにもならないからね。同じ動きでも金属バットで殴るのとゴムのバットで殴るのとじゃ全然威力が違うわけでさ、そういう意味での外の練功なんだなって思いましたね。ということで俺は腕を鋼にすることにしました(笑)


まぁそんな感じですね。耳蝉aka鋼の腕とかって呼ばれるようになりたいわーっつーか色々あり過ぎてまたすげー変なベクトルに傾いている自分ってのが嫌いじゃないわー(笑)ではまた。


PS


そんな感じで早速石ゲット!それにしても俺は一体どこへ向かっているのか・・・。