ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ヴァーチャル系の話。

ヴァーチャルの存在論なんだけどっていうか繰り返しになるけどね、ほぼ今まで書いてきたことと被るとは思うけど改めて言いたくなったので書くけどこないだ昔はヴァーチャルって言われてたカッコつきの「ネットの世界」というのが今はそれをヴァーチャル扱いしたらどんだけ情弱なんだよ!ってことにもなりかねないっていう話をしたよね。まぁようは昔は一部の人だけがやっていて独特の生態系というか場を生み出していたっていうまぁある種のヴァーチャルだったものがインフラ化したことでそれこそ電話とか水道とかと同じレベルになってるってことだよね。んでまぁ電話ってヴァーチャルじゃないじゃん?まぁただネットを何をネットとするのか?って話だしエクリチュールパロールは違うって話でもあるんだけどただまぁなんだろうね、ウォール伝にしても仮にこの一人喋りを動画でやったらそれはまぁパロールになるわけだよね。まぁもちろん喋るっていう形態自体が喋る内容自体に影響を及ぼしたり書かれたものとは違ったものが出てくる可能性はあるけどただまぁ語る主体とか書く主体は変わらないよね。まぁようは俺が書いているわけでヴァーチャルでもなんでもないわけだ。


でもそれをヴァーチャルだと言いたがる人ってのはアプリオリに社会っつー枠組みで書かれたり発話されるっていうものをリアルなものとしたがる古いタイプの人たちってことなんだけどまぁそれも相対化してるじゃん?文春に書かれたものは社会的な言説なのか?って話だし別にその媒体が週刊誌だろうがネットだろうが同じだよね。ネットだから言説のレベルが低いということではないよね。これもまぁ箱ものっつーかメディアにバイアスをかける人にありがちなんだけど出版っつープロセスを経たものはそれなりのプロセスを経てきているから全くそういうのが無いネット的な言説よりかは幾分マシって言い方もあるだろうけどまぁそれってどれでも同じだよね。音楽とかは一昔前はそうだったかもしれないけど別に今はCD化されようがメジャーレーベルから発売されようが別にそれとクオリティはイコールじゃないんだよね。まぁそれはなんだろうね、フリーでネットオンリーで配信されるものでもクオリティがCD化されるようなものとほぼ変わらなくなったってのもあるんだろうけどまぁようはそれって媒体をどう配信するか?っていうことなわけでその媒体にオントロジーは依存しないよね。


CD化しているからちゃんとした音楽でネット配信オンリーだから正規のプロセスを経てないダメなもんなのか?って一昔前はそういうのはあったかもしれないけど今は無いもんね。で、存在についてもそれって全般言えるんだよね。それがネット上のアバターであろうがツイッターであろうがブログであろうがリアルであろうがポケモンGoであろうが存在は存在だし結局はそれってどう感じるか?っつーかどう考えるか?っていう認識論の問題だよね。いや、おれみたいなヴァーチャル思想持ってる人だったらそういうのに作用されずにオントロジーを定義してるんだけど一般的な考え方ってのはようはそれがまさに存在と言えるぐらいのものになると存在として認めざるを得なくなるっていういわばテクノロジーの所産とかインフラ化っていう結果の実感としての存在なんだよね。


まぁだから昔はネットって言えば一部の人が発言したり配信するものだったのが今は誰でも配信っつーかまぁ配信しなくてもいいようなことまで配信してるって意味で環世界になってるわけだよね。でもここが面白いのが環世界だよなーっていう実感の結果そうなってるっていう面が多分にあるってことだよね。抽象思考ができる人はとっくに分かってることをより具体化すると理解できるようになってくるっていう世の中だよね。上目目線だけども(笑)上目目線で言えばエリック・ホッファーなんかも1労働者だったけどある種大衆ってのを対象化してたし自分も労働者の一人として・・・みたいな感じで大衆を見てはいなかったよね。まぁそれでいいんだけど。まぁそれって視点なんであって上目目線とか態度がデカいとか偉そうってことではないよね。そりゃ社会分析しようとしたら大衆ってのをマスとして考えるでしょうよ。それは。


あ、まぁそれはいいや。んでまぁその環世界なんだけどね、半ば恣意的な存在論的転換だよね。過去ではヴァーチャルだろうと言われていたものがインフラ化していくことでそれが存在と呼べるかはともかくとしてヴァーチャルとは言い切れなくなってるっていう意味でさ、まぁ未来会議みたいな小説とかも昔にあるわけだけど哲学的な近未来小説とか攻殻機動隊みたいなので述べられるようなオントロジーの問題がもはや顕在化してるってことだよね。まぁ俺は元々未来に生きてるんで昔からそういう感覚だったけど世界がどんどん俺に追いついてくるわけだよね。ってことはまた10年ぐらいでだいぶ変わるわけでしょう。変わるっつーかまぁリアルになるってことだよね。で、まぁ何回も書いたけどまぁ書くけど存在ってのをとりあえずまぁみんながそれを存在として認めざるを得なくて例えばそこに岩があれば物理的な制約からその例えば身長ぐらいある岩だったとしたらそれを避けて通るようにするよねっつーか向かってる先にそれがあったら避けるよね。まぁそれは物理的な意味合いだけどまぁそれって岩の存在が人にそれを避けるっていう行動を促してるわけじゃん?


で、まぁ雑だけどとりあえずオントロジーをそういう風な位相でとらえてヴァーチャルにしてもポケモンGoにしてもそれがあたかもあるかのように人間の行動が規定されるとかそれこそ事故が起こっちゃうとか子供が人のうちの庭に入っちゃうとかさ(笑)もはやそれってヴァーチャルじゃないよね。まぁ乱暴な言い方なんだけどヴァーチャルじゃないよねって言っちゃったほうが早いからそうしたほうがいいのよね。もちろんそれはさっきの身長ぐらいある岩とは全然物理的な意味合いとか存在論的な意味合いが違うだろうってことなんだけど存在ってそもそも物理性に規定されるわけじゃないじゃん?それを言い出すと生命ですらそうなんだよね。


そこがまぁAIとオントロジーとか生命みたいな話になるんだけどこういうパラダイムで言うと面白いのがっていうかまぁオワコンシリーズから特にそうだけど意識が存在を規定するってことだよね。まぁカント的なコペ転って意味でもそうなんだけどそうじゃなくてそりゃ唯物論的に客観的な存在性ってのはあるでしょうっつっても人間が存在について考える限りそれは人間の意識とか思考ってのを経てるわけだからオントロジー自体が人間の意識っつーフィルターを通しちゃってるんだよね。その時点で不可知なものってあるしあとはまぁそれを存在と言えるのかどうか?っていうのが単純にそれを認識できるかどうか?っていう話になるんだよね。


だからそういう意味で物理学を学べば見えるものだけじゃないっつーかまぁ別に物理学なんて大げさなことを言わなくてもいいんだけどまぁでもそういういろんなもんがあんのねってことが分かるわけだよね。でもそれって知覚じゃなくて知識だよね。まぁ言わば観念なんだよね。それがまぁ俺がすんげー昔から言ってる誰もいない山の中の池に石だか枯葉だかなにかが落ちたとしてんでまぁそこでその落ちたっていうことで発生した音ってのはそもそも誰も知覚してないわけで人間的な意味での音とは誰も知覚していないという意味で音ではないんだけどでも想像可能な蓋然性として人間がいないところで何かの拍子になる音はあるだろうってのがようは知識として分かるってことだよね。それは当たり前なんだけどでも理解の次元はあくまで観念なんだよね。


そういう誰も知覚しないっていうか人が入れない場所とか秘境とかなんでもいいんだけどそういう場で起こっていることっつーとアレだけどまぁ分かりやすくそれを例えば一つの要素として音として考えてもまぁその音は鳴ってるじゃん?でも知覚されてないよね。まぁこれって結局そういうことなのよね。その秘境の音って言わば誰も読まないツイートみたいなもんでさ、発生はしてるんだけど知覚されないんだよね。誰も読まないツイートも同じだよね。誰かがなんか呟いてるだろうというのは想像可能だけどそれを全部読むのは不可能だしっつーかまぁアクセスできるかできないか?ということではなくて言いたいのは存在の知覚の恣意性だよね。そんなどうでもいいツイートが自分の生活に影響を及ぼすわけがないしそれは秘境の音でも同じだよね。でもそれが近くで鳴ってたらそれは音として知覚されるしツイートも同じだよねっつってもまぁネットはこっちがアクセスしようとしない限りあっちから来るってことはないからだからまぁそれって知覚そのものだよね。もちろんこういう考えって誤謬があるし色々と論理の問題があるんだけど俺がやりたいのは実験なんだよね。とりあえずそう存在論を考えてみるっていうモードで考えるっていうバージョンを持ってても良くない?ってことだよね。


まぁ今に始まったことではなくてこれ自体はもうそれこそ十年近いと思うんだけどっつーかこの知覚されない山の音ってまぁもっと前だよね。10年以上前だわ。まぁだからその頃にすでに客観的な存在性と人間の主観に依存する意味での環世界としての存在っていうものが作り出す恣意的な存在性だよね。客観的な意味では存在自体が主観に依存するわけはないんだけど人間は色んな意味で主観に依存した存在しか知覚できないっていうことなんだよね。そういう人間の知覚の特有のあり方ってのがあるからこそヴァーチャルもある時点ではヴァーチャルとは言い切れなくなっちゃうんだよね。まぁヴァーチャルヴァーチャル言うけどディズニーランドだってヴァーチャルじゃん?っつーかボードリヤールシミュラークルだよね。


んまぁでも別にボードリヤールの定義に忠実である必要はないんだけど逆にネットっつーのは実態があるもんね。ディズニーランドは元が無いファンタジーだけどネットってのは人間っつー元があるからね。そいつがどういうレベルで情報を配信してるか?っていうことにもよるんだけどそもそも匿名じゃなきゃ元々何も言わないってやつが大半だろうしかといってそれが実体無き言説なのか?っていうとまぁ特に日本なんてそれがデフォじゃん?テレビに出て評論とかしてんのに芸名のままで本名非公開とかね(笑)きゃりーぱみゅぱみゅとかもウケるよな。あの頑なな本名公開を伏せる感じ(笑)


まぁまさに虚構がバレるからだよね。ディズニーランドで言えば中の人が出ちゃうみたいな話だもんな。ミッキーの中の人とかね(笑)そういう意味での虚構ですよね。んでもまぁ世の中って少なからずそんなもんばっかじゃないですか?本当はそんなんじゃないのにそういうキャラを作ってたりあとまぁ街に出たりしても本当に面白いよねっていうか原宿とかも色んな人が着飾ってるけどどこまでが本当なのか?っていうさ、まぁそれ言い出すと女なんてメイクしてる時点でファンタジーなんだけどね(笑)まさに実体無き虚構ですよね。


まぁそういう女性への対象a的な感じっつーか享楽的な感じを享楽的な感じ自体が自己生成を続けるようにファンタジーを泳がすってのが虚構のあり方だよね。童貞が女に抱くファンタジーとかってのがまぁそれにあたるからまぁそういうのは生きていくうえで良くないからだから体育会系なんかだと「とりあえず女抱いてこい」っつって筆下しさせたりするわけだよね。まぁ今俺がやってるのもっていうか俺がやってるのがこれなんだけどね。虚構を虚構として享楽し続けるっていう数学で言うところの極限みたいなもんだよね。だからまぁ今みたいな「ナンパを頑張ってみて・・・」とかって言ってるっていうそれで永遠に女を抱けないっつーブニュエルのいつまでも食事にありつけないブルジョワジーの密かな愉しみみたいなのを永遠に繰り返すっていうさ、まぁあれが享楽かはともかくとしてあれが永遠に繰り返されるってのが面白おかしいわけだよね。


なんかあと気がふれたような感じで「は?何言ってるんだこいつ?」ぐらい論理が狂ってたほうが面白いんだよね。まぁ別に俺の言ってることって一見「は?」だけどディティール見れば論理的過ぎるからこうなっちゃってんのねっていう感じだと思うんだけどまぁそっちのほうが面白いじゃないですか?へぇー面白い享楽をお持ちのようで・・・っていうさ、まぁ別にそれを誇るわけでもないんだけどまぁとにかくオリジナルな感覚だからねこれは。


あ、なんか話が逸れたな。あ、んでオントロジーなんですけどね、あ、また今度にしようかな(笑)なんか長くなってるし。っつーかまぁオントロジーとか何を生命とするのか?ってのが恣意的にそれこそテクノロジーとか科学の進歩によってその都度変わっちゃったり議論が出てくるってことは決定的な定義とか線引きってのがないわけだよね。すげー唯物論的にそれはただの線引き問題なんだってことにしちゃったら逆にすげーややこしかったりするしね。まぁややこしくていいんですよ。カオスになるからそれはダメだ!とか矛盾が内在してしまう!とかさ、いや、それって人間の都合じゃないですか?人間がシステマティックに考えられるようにするってのは人間の都合だからね。でもまぁ少なくとも自然とか生態系とかそうはなってないでしょう。人間が知覚不可能なぐらい実際は複雑でしょう。


で、まぁその自然とか生態系を知覚するってのは別な意味でのオントロジーってのもまた複雑だよね。少なくともそれは言語論的な話ではないしそんな簡単なもんじゃないよね。まぁ結局だから形而上学なんだよね。まぁただそういう形而上学を考えるうえで言語論とかが何をやってきたか?とかどう考えられてきたのか?とかってのを知るのは重要だから別に分析哲学にしろ言語論にしろそういうのが意味が無いというわけではないんだよね。ただ何かの特定のフレームで解決できるような簡単な問題ではないってことだよね。


まぁそんな感じで続きはまた今度書くわ。んじゃまた。