FF15について。

ちょっと続きをいったん休憩してFF15について思ったことがあるんで書くね。


ってことでFF15なんだけどさ、何をとち狂ったのかと思ってたけどだいぶ振り切っててあれってようはネタ路線というか4次元路線なんだよね。ヴァーチャルとリアルの融合みたいなものではないもっと身近でオントロジー的なリアルの変容ってのがあるわけだけどっていうかそれがまぁずーっと今書いてることだけどさ、それの逆バージョンだよね。FF15って。ファンタジーっていうイマジナリーなものがリアルを模倣してリアルからファンタジーになってるっていうその目線は素晴らしいと思うよね。あの痛さも狂ったとしか思えなかったんだけどようは象徴的な意味合いとしての過剰なリアルなんだよね。


だからあんなホストの集いみたいになってるんだと思うんだけどそのリアルの模倣というか切り取り方にしてもその辺にいる大学生みたいなのを主人公とかキャラにしてもファンタジーが成立しないから逆にリアルじゃありえないような行き過ぎたホストとかイタイことばっか言ってるやつらっていう意図的にずらしたリアルのイミテーションがあるんだよね。ジジェク的に言えばパララックスビュー的ってことでもあるかもね。


常にリアルは変容しつつあるから絶対的なものはないっていう相対主義を取らざるを得ないって意味でのアイロニストにならざるを得ないっていう意味での観念論的な延長上としての現象としてのリアルの捉え方ってのがあってFF15はそれのお手本なんでしょう。というかまぁそれだったらまさに俺が言ってることのマニフェステーションなわけで「よくやってくれた!」とでも言いたいぐらいなんだよね(笑)


あとさっきまとめサイトで見たんだけどあの電車の広告の痛さにしても俺みたいな元のFFを愛する人間としてはもうとっくの昔にFFなんてオワコンになってんのよね。だから見向きもしないんだけど「お!」って思わせる行き過ぎた過剰なものってのがあるよね。だから逆に往年のファンが振り返る可能性があるという意味でもなかなかのマーケティングだよね。逆にFF10とかを名作だと思ってるようなやつらは「痛い!」ってネタに対してマジなリアクションをすると思うんだけどね。ライト層はそういうリアクションなんだろうね。へヴィー層には「もしや!」と言う期待がある。ぶっちゃけ俺の中ではペルソナ5以上に今すぐやりたいゲームなんだよねっつってもPS4買う気が起こらないからFF15はだいぶ先に恐らくPC版が出るとしてもペルソナ5はなんとかしなきゃいけないから購入を検討しなきゃいけないんだけどまぁともかく凄い4次元路線ですよね。


俺が今外出してるのってリアルに立脚した上での4次元としての外部じゃん?その次元で図書館に行ったり買い物をしたりナンパをしようとしたりしてるんだよね。で、FF15はファンタジーに立脚した上でのリアルなんだよね。でもそれはファンタジーの世界がリアルに侵食してくる!みたいなものではなくてあくまでオントロジカルな視点のずらしなんだよね。それが凄く絶妙だということだよね。まぁもうファンタジーの世界なんて飽和してるしリアル路線しかないだろうとか実際はもっと短絡的な動機だったりあとまぁ龍が如くとかが大ヒットしたのを前例にしてリアルを再現するってのはありだな!みたいなもんかもしれないんだけど製作者の意図は別にしてもうこの現象自体が俺みたいな解釈もできるっていう多義性を持ってるんだよね。


だからそう解釈すればどんだけクソゲーでも痛くてもっていうか痛ければ痛いほど良いってことになるわけだし無駄なまでにリアルのディティールの再現にこだわるってのもそのリアルのイミテーションと4次元的なアプローチの結果として考えれば必然的だしディティールにこだわればこだわるほど思想性が高まるわけだよね。痛ければ痛いほど過剰なリアルでこれぞまさにメタファンタジー!というか4次元ファンタジーだね!って言えるってことなんだよね。


ペルソナ5は誰でもやるでしょう。4が神ゲー過ぎたからね。でもFFはさすがにもうやらんってユーザーは世界レベルでも大勢いると思うんだよね。海外でもピークは7って意見が多いからこそ余計にグダグダなただモチーフだけ踏襲したようなクソゲーを連発するよりかは心機一転したほうがいいっていうところもあるわけじゃん?そんな中でこれは凄いことだよね。挑戦というよりかはもうオワコンだから窮鼠猫を噛む的な感じで背水の陣だから何でもやっちゃう!みたいなanything goesになってるわけだよね。でもそこには4次元という思想がある。そこが凄いわけだ。


なんか俺としてはリアルでFF15と遭遇したような認識的な感覚があるんだよね(笑)両方ともオントロジー自体の次元ではなくて視点という意味での認識論の話だからそこで繋がるってのは本当のファンタジーだよね。かといってもそれはもしかしたら我々のリアルもあんな風になるのかな!みたいな夢があるファンタジーじゃなくて完全なファンタジーとしてのファンタジーなんだよね。だからこそリアルなディティールに異様にこだわったおにぎりとかが出てくるわけじゃん?いや、本当に凄いよ。ブレーンは誰なんだろうな。相当哲学とか認識論に詳しい人なんだろうって思うよね。あとまぁ最新の哲学の議論とかもフォローしてる感じだよね。それこそ思弁的実在論とかも内包してる感じだよねっつっても4次元=思弁的実在論ではないんだけどまぁ思想的に内包しているということだよね。


あと流れの現象として面白いよね。リアル・ヴァーチャルの二項対立的なものではないって意味でのリアルなヴァーチャルって意味でのポケモンGo的なものからVRってのがあってんでヴァーチャルとかファンタジーの世界ってのも我々がヴァーチャルを見るかの如くもしくは再現するかの如くリアルを模倣していてんで同じくこれもファンタジーがリアルの世界に進出!的なものではなくて極めて現在形の認識論的な立ち位置にいるっていう現代っていう現象そのものなんだよね。で、これが良いのは製作者にそんな意図は無くてもすでに変容しているリアルを体験している身からすればそういう解釈が可能なんであってそういう次元でFF15の世界を見るっていうことになるんだよね。


見られる対象にそういう意図は無くても見る側の認識によって対象自体の属性が変わるんだよね。まぁそれはデリダとかが散種とかで散々書いていたことでもあるけどやっぱりドラマティックと言わざるを得ないのがVR元年と呼ばれる年(おそらく)にFF15がヴァーチャル側からのリアルへの返答としてその存在を曝け出すっていうところにあるんだよね。そこで本当にVRとFF15的な4次元的なアプローチってのが繋がるじゃん?凄いよね。FF15をそういう風に解釈する場合、製作者がそういう意図をもってしてたらまぁそれはそれでいいんだけどそういう意図が無くてもそう解釈する場合、最近俺が書いている違う軸のリアルっていうリアルっつー視点を介さないとそういう解釈はできないわけじゃん?まぁ不可能かはともかくとしてそれを必要とするよね。逆にそれが無いとさっき書いた単に「ライト層」って切り捨てた層のような表層的な解釈しかないわけでその次元だとただのイタイゲームなんだよね。


でもまぁそれは明らかでしょう。何しろ痛さが過剰じゃないですか?(笑)あそこまでのことを地でやるなんて無理だよね。ましてやあんなホスト風のキャラクターとかを「かっこいい!」って思う人なんていないでしょう。だから明らかにリアルの切り取り方とかイミテーションってのがカリカチュアライズされてるわけだよね。で、現実であたかもRPGのキャラクターの如く「でも僕らは戦い続けなきゃいけない!諦めてはいけないんだ!」的な佐々木中を地で行くような臭いセリフを言うってのがようは現実であんな恰好してあんな雰囲気の連中が永遠と臭いセリフを吐き続けているんだけどでもそのセリフはコンテキストを変えれば凄くベタな王道のRPGの主人公やキャラが言うかもしれないようなセリフなんだよね。


だからまぁ結果的に見た目は超イタイやつらが超イタイ恰好をしてイタイことを言ってるっていう狂ったRPGってことになるんだけど極めて論理は通ってるんだよね。あと別にネタとして捉えなくてもそれはそれで成立するようになってるわけだよね。でもそこでネタとして捉えられないってのはマトリックスをただのハリウッドSF映画として捉えるぐらい勿体ないことなんだよね。


そんな意味でまぁ本当に死ぬほど楽しみになってきましたよね。それもまた機会が象徴的なんだよね。あんなエクストリームな電車の広告を打つもんだから分かる人には完全にあれで伝わってるわけじゃないですか?それは凄いよね。「わかる人にはわかる」ってゴダールかよっていうぐらいの話だよね。黒い背景に白い文字とか余計にね(笑)少なくとも完全にFFから離れてた俺が死ぬほどやりたい!って思ってるわけだからすでにマーケティングは成功してるのよね。いやー楽しみだね。マジで。FF7の頃を思い出すぐらいの楽しみ!って感じがあって感動してるぐらいだよね。


ってことでんじゃそんな感じでんじゃまた。


PS


あれだわ、ゴールデンボンバーと一緒だよね。ヴィジュアル系とか歌謡曲ってのを過剰に模倣したバンドがゴールデンボンバーなんだけどでもそこで「エアバンド」っていう要素が入ることでビジュアル系とか過剰なまでの歌謡曲ってのがネタ化するわけじゃん?で、そのヴァーチャルなコンセプトってのが何気にヒカシューポストモダン感覚とかポリシックスニューウェーヴ感覚とかと通じてるんだよね。まぁポリシックスは好きでやっちゃいました系だけどまぁこれでもか!ってぐらい模倣してるしそういう意味である意味ヴァーチャルだよね。そういう意味で「対象化されている」ってところがポイントなのよね。誰もゴールデンボンバーを見て「痛いやつらだ」って思わないでしょう?エアバンドなんだから「めちゃめちゃ賢いな」って思うわけじゃん?FF15も同じだと思うんですよってことです。