ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

弓について色々と。

本なんだけどね、年末だからなのか届いてないんだよね。まぁいいんだけどっつーかゲーム中毒になってたけど実はそうでもなかったってのが昨日はずーっと弓について調べてたり弓道の映画を見たりなんかして「あれ、ゲーム無しでもやってけるね」って思ったんだよねっていうかまぁようは夢中になれることが無くなっててそれがたまたまゲームに向かってるって感じだよね。まぁもちろんそれだけじゃないんだけどっつーかまぁハイパーリアル路線ではあるんだけど色々やり尽くした感はあるわけでっていつも書くけどね。


まぁんで弓について興味持ったらやっぱまぁいつも通りの感じに戻るんだなっていうかまぁそんぐらいまで回復してきたってことかな。まぁメンタルの話はいいか。んでまぁ調べててようはアーチェリーの場合、競技用っつーかアーチェリー用の弓ってのがあるわけじゃない?で、弓道ってのは竹弓っていうね、で、まぁ別に竹弓って歴史的に色んな弓と比べても別にそんなに性能が良いわけじゃないどころかむしろ悪いほうに入るっぽいっていうかまぁそこはまぁ調べてくれって感じだけどそこでまぁ分かったのが弓道ってのはっていうかまぁもっと本読んでから書いたほうがいいかもしれないけどもう書くわ。まぁあれだよね、竹縛りというね、現代的な精密さと機能ということを言いだしたらモダンなやつが色々あるわけででもまぁ昔は竹でやっていたっていう名残がそのまま武道になったっていう感じだよねっていうかまぁ色々と調べててそんな風に思ったんだよね。


いや、武器と言えば他に色々ある中で日本刀なんてあえて使わんだろうってのはそりゃ誰でも思うんだけどでも剣術だとその名残感っていうのが意外に無いんだよねっていうのが多分日本刀以上のものってのがないっていうか皆無というわけではなくて日本刀が唯一な存在でそれに関わる技術論みたいなのが剣術っていう体系になってるっていうね、そこで弓道の場合は違って現代だとスタビライザーとかサイトとか素材も安定してるようなものってのを使いつつ弓っつープリミティブな形を残したまま弓として受け継がれてるっていうモダンなものがあるっていうことだよね。


結局武道ってすんげー細かいところでさ、まぁ作法とかはどうでもいいしそういうのに一切興味ないのは言うまでもないしましてやなんたら連盟とか段位がどうのとかああいう世界には一切興味ないんだけど弓道弓道たらしめてるのはようはそれが竹だからなんじゃね?って思ったのね。ようは竹だから季節によって質感が変わるとかさ、あとまぁ竹独特の感じとかっていうまぁそういうのと身体性を一致させるっていうところじゃん?で、引けば手がプルプルしちゃうしだからこそプルプルしないための訓練をするのかどうか分からないけど恐らく訓練で必要とされるものってのが当然プリミティヴなものに比べればモダンなやつは楽というとアレだけど相当打ちやすくなってるわけよね。


かといっても楽というわけじゃないしそれは全く別の話なんだろうけど同じ弓でも道具の違いがあるって凄いことだよねって思ったんだよね。だからまぁ多分読めば分かるけど弓道では竹だからこそ必要とされてるようなものが現代的なアーチェリーとかになると必要なかったり技術によって必要が無くなったりっていうところはあるんだろうなっていうかね、そこでもなんで弓道の竹にこだわるのか?っていうとそっちのほうが武道的だったり求道的だったり精神的だったりするって言う武道独特の精神論的なところもあるのかなってことだよね。


まぁもちろんそれも一環として読みつくすけど俺が興味あるのは悪く言えばガラパゴス的な弓道ということじゃなくて弓を使う技術全般ってことだよね。だからそもそもそれが竹である必要もないし性能が良いのがあればそっちを使うに越したことはないんだよね。でも先人が残してきた技術とかそれにまつわる精神の涵養とかっていうまぁそういう思想的な面とかについても時代遅れなんて判断はせずにガチで取り組むんだよね。でも別に合理的理由からっていうか単純に身を守らなきゃいけない状態で命中率が高いモダンな弓と竹弓があったらどっちを使うのか?って話なんですよね。


なんだろう、まぁあれだな、高精度なスナイパーライフルがある中で火縄銃における銃の使い方をやるみたいなことにもなりかねないって話だよね。もちろんそういう現代なら科学的技術でなんとかなるってところを昔の人がやっていたようにそういうものに頼らずというか無いものとして考えて技術を磨くってのは価値があることだとは思うけどでも考え方として精度ってのを考えるならそりゃ精度が高い銃を使うに越したことないわけだよね。それにさらに技術が加われば最高でしょうっていうね、そこでまぁ逆に興味があるのが現代的な意味での弓道ってのは合理性から見て技術として価値があるのか?ってことだよね。形而上学的な面に関しては言うまでもなく元々俺がそっち寄りの人間なんでそういう世界が好きなのは自明としてまぁそういうのを抜きにしてどうなのよ?っていうところだよね。


そこでまぁ別にそれは竹弓を使うからそうなんであって・・・っていう話であればまぁ言い方は悪いけど時代遅れなものってことになるよね。まぁかといっても価値がないというわけではないよね。剣術なんてニッチ過ぎてそもそも武器としても戦国時代とかっていう歴史から見てもむしろ近距離用の滅多に使うことがない武器でメインは薙刀とかリーチが長い武器だったとかさ、まぁでもそこで居合みたいに術だけが異様に価値のある体系として受け継がれたりするものってあるじゃん?実際に戦場で戦ってた武者から見ると「いや、そんなところにこだわってそんなに精密にやるかね?」って思われかねないような現代で現代的に実践するからこそ本来の武術とはかけ離れたものになってるんじゃないか?っていう懸念があるっていうかまぁそもそも俺は何に関しても凄く批判的だからそういう観点を持たざるを得ないんだけどね、そういう残酷なパースペクティヴを掻い潜ってそれでも弓道なんですよ!って言えるぐらいの何かがあるに違いない!って勝手に期待してる感じだよね(笑)


でもまぁそれが宗教がかったようなただの思想とかイデオロギー的なものだったらやっぱ価値ないんだよね。だから自分にとって価値があるものってのは仮に何かで弓を使うことになってそれに活かせるようなプラクティカルな技術ってことになるよね。だからそうなるとまぁ自ずとハイブリッドになると思うんだよね。弓道みたいな竹弓の世界で培われてきた技術とか精神論とかも踏まえてそれをベースとして現代の高性能な弓というのを使ったときにその武道としての技術が科学的な技術とシナジーを起こしてより高みに昇華されるみたいなのを勝手に想像してるんだよね。だからまぁなんだろう、まだ分からんけどアーチェリーっつってアーチェリー用の弓から始めたとしたら全く懸念することがない世界ってのが竹弓の世界にあるんだと思うんだよね。そんなもんは別に今はこういう弓があるわけで・・・って話を済ませるのは簡単なんだけどそうじゃないですよね。哲学と同じだよね。


今は科学でこういうことが分かっていてだからまぁ先人の努力は認めるけどそういうのが分からない時代に頑張って考察したり色々と試行錯誤したなっていう努力は認めるよみたいなね、そんなんで済ましてたら完全にそいつって哲学的素養ないやつだよねっていうかセンスがないやつだよね。むしろ色々と今みたいに分かってないことがある中で考察されていたっていうその時代的背景と考察されていた内容ってのを当時の人たちのように考えるってことだよね。それによって得られた考察なりなんなりがどういう必然性でそれが導き出されたか?っていうそのプロセスの内容こそがまさに哲学の内容なわけだよね。だから前提としてこういう科学的知識がある時代とそうじゃない時代っていう線引きが意味無くなるっていうね、まぁそれは客観的には意味無くはないんだけど科学を前提としていないと全く考察の意味がないということで例えば脳科学とかを踏まえてない昔の認識論なんかは意味がないなんつってもそんなもんはまぁ言えてなくもないけど思想的には野暮だよね。


そういう意味での野暮ったい小市民的な合理主義ってのは最悪だからね。だからこそ俺は形而上学を愛するわけなんだけどもただまぁそういう形而上学的であったりスピリチュアル過ぎる世界とかに没頭しやすい人間だからこそ残酷な合理主義的目線を持ってクリティカルに批判するっていうことだよね。あ、批判ってのはクリティークっていうことね。武術とかって狭い世界でヒエラルキーがあって「いや、意味なくないこれ?」とかっていうことすらも憚られるみたいな閉鎖的なものがあるじゃん?だからそういうところは徹底的な合理性によって換骨奪胎しちゃうんだよね。んでもそんなにそういうところにこだわってきたっていう理由は何なのか?っていうところはちゃんと押さえるし考えるってことだよね。


いや、居合とかで言えばさ、歴史で見ると微妙なところがあってっていうか流派によるけど基本的に太平の世になって剣術みたいな物騒な技術が必要とされなくなったって中でんでもまぁそれだと食いっぱぐれるっていう元武士みたいな人が金儲けのために野菜切りをしたりなんかしてっていうか居合抜きってのはそういう意味で卑しい意味があるんだよね。抜刀術は武道だけど居合抜きってのは「おー!」っつってオーディエンスから生ハムと焼うどん的「チャリーン!」を狙うものだったっていうさ、まぁだからこそ武道をそんな金儲けの方法とか食いっぱぐれた武士の所産みたいなものに貶めちゃいけないっていうところなんだよね。


んでまぁなんかその実際の剣を使うっていう場が無くなってでもまぁ技術だけってのが残っててそこで競われるのがようはフォームの綺麗さとかさ、それこそオーディエンスを意識したような見せ方とかに比重が行くようになるというようなね、武術としてはあってはならないようなことが実際はあるわけよね。だからまぁ居合なんかも流派によってはただの日本刀を使う舞みたいなもんでただの見世物なんだよね。全然武術じゃないわけ。明治神宮とかでやってるような居合とか剣術とかって全部これだよね(笑)すんげースローで爺とかもやれるからそりゃ世の中的にはいいかもしれないけど武術的には完全に死んでてあんなもんむしろ先人の技術を侮辱するようなものだろうっていうぐらいスローだったりするじゃん?(笑)見てるとイライラするからそういうのは見ないけどね。だからまぁ居合道場を昔辞めたってのはこないだ書いたけどね。


まぁんで武道って特に現代に伝わっているものに関してはそういう元々の技術論からしたら異様としかいいようがない実際に野武士視点から見てもそんなに作法に時間をかけるなんて!ってぐらい意味がないものだったり合理性に欠けるものだったりね、あとまぁ昨日だかにマーシャルアーツ関係のことでも書いたことだけど型として残ってるからその流派ならそれはすげー練習するっていうでもストリートファイトという観点から見たら全く意味がないものってのがあるわけじゃん?そういうのを完全に意味無いとは言い切らないけどやっぱりそれがマーシャルアーツなら実際にストリートファイトしてそれが強いわけ?っていうそういうところになるんだよね。


そういう意味での弓道ってどうなの?ってところなんだよね。勝手になんか日本独特の世界を形成してすんげーたこつぼ的になってない?ってのはすんげー思うっつーかまぁ俺がやるわけだからそういう観点が入るのは当然なんだけどんでもそこでロマンとしては結局弓道的なものを分かっていないと極められない世界があるっていう現代から見ても有用な技術論とか精神論だよね。まぁそれ言い出すとそれに結実してるのが弓と禅だと思うんだけどでもあれもまぁ一つのパースペクティヴで全部じゃないからね。あとまぁそもそも戦場とかに出てない世代なんだったらそれはどういう時代であれ術ってのが実利から乖離してどんどん観念的になっていくってのは必然的じゃん?そういうただの観念体系だとまぁようはただのイデオロギーだからね。


イデオロギーもワークすればそれっていいじゃないですか?むしろシンプルだからイデオロギーとして流布させたほうが楽ってのがある。でも精密に考えると所詮はイデオロギーとか観念的なものだよねっていうところになっちゃうと残念なところがあるよね。そういうんじゃなくて観念的な奥義みたいなのが実際の実利とか合理性にもつながっているというか相反しない形でそれが生き残っているみたいなところに深みがあるんだよね。だからまぁ逆にあれなんだよね、それが分かってると多分こんなの後知恵で道場の師範とかが晦渋にするために付け加えたような話とか思想とかテクニックなんだろうなっていうものに関してはそんなもんにフォーカスする必要もなければ実際の戦場で使えるものじゃなきゃ意味がないっていうところでの実践性を重視するっていうことだよね。


それはまぁ剣術も同じなんだよね。観念的に色々考えるのはいいけど実際に戦場ってことになったらそんなの考えてる暇もなくなんかしなきゃいけない!っていう状況に追い込まれるわけだよね。そういう極限状態で体のテキストとしてそれが刀を持った時に自然と出てくるようはものじゃないと武術と言えないんだよね。だからまぁそういう意味で宮本武蔵みたいな人のテキストってのはすげー貴重だよね。大半は道場だけでやっている人たちのが残ってる中で実際に戦ったことがあるっていうか相当戦ったことがある人が経験から踏まえて言っているっていうところがね、まぁそれが結果的に禅の境地みたいなところであったとしてもそれは最初から観念的に禅とかを意識してやる武道と所詮は人殺しの方法として武術を始めた人間が何人も斬ってきて禅的な境地に至ったっていうそれとは全然違うじゃん?プロセスが違うよね。だから宮本武蔵って剣術は人殺しの方法なんだよ所詮はとかって言いつつも禅的境地に至った認識論ってのがあるんだよね。


まぁ俺はそれが居合とか剣術を色々と調べたり実際やってみて分かったから弓に関しても奥義をつかむのは早いと思うんだよね。まぁそれは別な言い方をすれば全く戦場というコンテキストを無視したようなただの道場でやる弓の観念論みたいな無駄を一切取り除いてっていうかようはそういう形で形骸化された意味がないものに関しては一切スルーするっていうリテラシー能力だよね。武術ってまぁ洗脳みたいなもんだからね。あ、武術っつーか武道ね。だから中学生ぐらいで武術っつって絶対的師範みたいなのがいてこれがルールなんです!っていうと現代的合理性とかは関係なくそれが武道なんだ!っていうことなりがちじゃん?で、そこは武道っていうコンテキストのハイコンテキストさもあって無駄に見えて重要なんだみたいな意味が分からない崇高さみたいなのっていうようは大層なものにすることに全力を注ぐみたいなところだよね。まぁそれは見世物としてのアクロバティックな中国拳法とかも同じだよね。雑技団的に見せるのはいいかもしれないけど全く意味無いジャンプとか曲芸的な動きとかまぁそれは一瞬の動きが生き死にに関わる武術の世界では完全に死に体ですよね。


いや、でも剣術なんてそれこそ幕末四大人斬りじゃないけどすんげー血なまぐさいものなわけよ。岡田以蔵とかなんて脳筋でいかに人を殺すか?ってところだけにフォーカスして剣を振り回していたっていうような感じもあるぐらいなわけでさ、武術は礼に始まり礼に終わるなんて欺瞞も良いところだよね。まぁそういう世界はあってもいいけど本来の「武」というところからはかけ離れてるよねって話だよね。そもそもその武術にまつわる弓でも剣術でもそれを使うという状況になったときにdeadlyじゃないと意味ないんだよね。現代はそういう実際の戦いとは縁がないとはいってもそもそも武術なわけで実際の殺し合いの場所なり戦場っていうコンテキストを無くしたらもうそれはダメだと思うんだよね。ただの武器という道具を使った観念的なゲームになっちゃう。そういう意味でのプラグマティズムは必須なんだよね。


まぁそんな感じなんだけどっつーかやる前に色々書きすぎだろうって感じもあるけど(笑)まぁそんだけ自分的に盛り上がってるんだけどまぁあれだね、アーチェリー用の弓をメインにしつつ弓道的なコンテキストも踏まえた竹弓もやるっていう感じになると思うよね。まぁアーチェリー用の弓をメインにするからそっちに予算をかけて弓道的なものはカーボンのやつとかでちょっと試してみる程度だけどまぁ仮に味を占めたら竹のも買うかもしれないけどっつってもだいぶ先の話だけどまぁ色々とビジョンはできてるんだよね。


まぁ分からんホントに「よしやろう」と思ったらもっと早くに道具買ってやるかも。ただその場合、アーチェリー用の弓を買うよりも初心者用の弓道のカーボンのやつを買ったほうが安いから逆にそっちを最初に買うかもって思ったけどんでもまぁアーチェリー用の弓が欲しくてたまらなくてね(笑)といってもリカーシブとコンポジットと・・・ってあってさ、まぁより技術的精度みたいなのが必要とされるものを極めたいから素の弓に近いものがいいだろうなとは思いつつもコンポジットのエゲつない威力と精度になかなか惹かれるものがあってどうしようかなーって迷ってる感じだよね。まぁ別にコンポジットだから楽ってことでもなさそうだしまぁ技術はそりゃ必要とされるからね。まぁそれ言い出すと一通り全部そろえたほうがいいってことにもなりかねなくてまぁそれは財布と相談って感じですね(笑)まぁそんなすぐ買う話じゃないから今決めなくてもいいんだけどね。おそらく色々読んでいけば自分がやりたい道ってのが見つかるはずだと思うので。


まぁそんな感じですわ。んじゃまた。