ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ルーツ探りの続編。

ずーっと分限帳乱読してたんだけど分限帳ではないところから祖先発見したんすよね。藝藩輯要というやつからなんだけどくずし字じゃなくてちゃんと活字っつーと変だけど現代表記になってる新しいやつで見つけてまぁうちと遠縁以外ありえない苗字なんで確定したんだけどまぁそりゃ見つけたときはうれしかったですよね!よっしゃ!武士確定!みたいな(笑)

 

なんかんでも全く手がかりが無いところで一応武士だったって言われてるっつーレベルで分限帳とか読んでると実はただの平民で名前なんてあるわけないのに武士だ!って思いたいがために頑張ってる的な惨めな感じにもなりかねなくて(笑)まぁでも見つかって良かったなってことなのとまぁおじいちゃんとかおばあちゃんが言ってたことが100パーじゃないにせよ間違いではなかったってのも分かってまぁ良かったですよね。

 

まぁぶっちゃけ明治以前のやつの過去帳持っていかれちゃった場合、平民の場合探せる可能性がすんげー下がるんだよね。あ、んで明治ぐらいの時は網元だったんだけどまぁおじいちゃんから聞いてたのがそれ以前は水軍にいてんでまぁ今の地に来てまぁ商売やっていいっすよ的な許可を得て網元になったってことだったんだけど住職の話だと似たような話が村上水軍ではないんだけど別の水軍がルーツの人で雨宮さんだったか忘れたけどその人たちのルーツは水軍でんで今の地に来て元々まぁ海関係のことやってたからっつーのもあって網元になったっつーまぁ普通の人が網元になるってのは無理だったからそれなりの地位が無いと無理だったとかそんな話をしてたんだよね。

 

だからまぁうちの場合、エビデンスは無いけど同じような話が雨宮さんのところにはあるからその可能性が無いわけではないって感じだったんだよねっつーかんで雨宮さんって個人名じゃなくて一般的な俺のじいちゃんが育った場所らへんに結構いる雨宮さんってことね。住職が個人情報を教えてくれたとかそういうんじゃなくて一般論としての雨宮さんってことねっつーか雨宮さんだったか忘れたけどね(笑)

 

あ、んでまぁそっからあ、書いてなかったけどルーツは広島藩のかの有名な浅野家の藩士だったってことなんだけどルーツってほどそんな昔の話じゃないんだよね。だからもっとさかのぼりたいじゃん?まぁとりあえず近々図書館行ってオンラインじゃ観覧できないやつとかもあるからそういうの見てくるけどもしかしたらこれってうちじゃね?っていうのが分限帳乱読の中で唯一と言っていいぐらいなんだけどそれがあってまぁそれが松平忠吉分限帳なんだよね。まぁ完全に素人調査だけど(笑)まぁそれをより厳密なものとするためにエビデンスを集めるわけだけどまぁそのための仮説だよね。あ、んでその分限帳の寺西なんたら組っていうところに恐らく祖先かな?っていうかくずし字読めないけど(笑)っていうのがいてまぁその寺西氏ってのが結構有名な人なんだよね。


http://makafu.at.webry.info/200905/article_1.html


まぁこの寺西氏かどうかは分からないんだけど藝藩輯要には寺西左源太組っつーがあってまぁそりゃ藩違うじゃん!って話なんだけど寺西氏の子孫ってのが広島藩に移ってるらしくてまぁ寺西にもいろいろあるんだけど松平忠吉に仕えてた寺西氏ってのは確実にいるからまぁ分限帳との辻褄が合うんだよね。

 

んでまぁなんたら組っつー扱いになってて藝藩輯要にも寺西左源太組ってのがあるとしたまぁなんかそういうちょっとした一族だったんじゃないの?ってことでまぁ実際に上に貼ったURLの寺西氏はそんな感じだから分限帳に載ってる寺西氏が仮にその寺西氏だったとしてんでまぁその寺西組に自分の祖先がいてんで藝藩輯要では寺西組所属にはなってないけどまぁ寺西氏が移動してきてるみたいなんだよね。だからなんかまぁ一緒に来たんじゃない?っつー可能性が無くもないんだよね。ようは広島藩松平忠吉がどう繋がるのか?っていう手がかりがこの寺西氏というわけ。

 

まぁそんだけじゃ弱いだろってことなんだけどまぁそんだけじゃなくてまぁこの牧原さんのブログなんだけどね

 

http://blog.goo.ne.jp/goo3360_february/c/05341e7a5ed2e64a30b1a7dfd091f7c8/1

 

http://blog.goo.ne.jp/goo3360_february/e/d9aba95b17ca2e07d1f74a3a4e40c8bb

 

牧原という名前になる前に平石と言う苗字で平石彦右衛門という人が例の松平忠頼に仕えてたのね。んでまぁ大味だけどその平石彦右衛門の子孫の牧原さんが広島藩にいてんでまぁなんで牧原さんにたどり着いたのか?っていうと祖先の役職?みたいなのが所々番所詰って書いてあってそれでググったら恐らく同僚であっただろう牧原清次郎に行きついたんだよね。少なくとも牧原清次郎さんとうちの祖先は藝藩輯要にガッツリ載ってるからここは固いんだよね。

 

まぁようは恐らく祖先かな?という人が寺西組にいたってことでんでその寺西氏の動向を見てみると松平忠吉から広島藩っつー流れがあってんであとまぁ例の牧原さんだよね。牧原さんに関してはちゃんとそりゃ調査してるわけだから平石彦右衛門という人が松平忠頼に仕えてたってのは固いよね。んでまぁ子孫が全てではないにせよっつーかそりゃ寺西氏もそうだけどまぁ子孫のいくつかが広島藩にいるようだってことでまぁ例の松平忠吉から広島藩コネクションが一応仮説として成立するっていうような具合なのね。


んでまぁ図書館では松平忠吉分限帳がテキスト化されたものってのがあるらしくて俺が見てるのはくずし字の分限帳だから確定しないわけでテキスト化されてれば一文字違いましたなんてことはないからそれは確定するよね。そうなるとまぁ同じ感じで移動してきたんだなっていう仮説も固くなるよね。仮に違っても(笑)牧原さんと同僚だったっつーのは確定エビデンスなんで惜しい!って感じにはなるのかな。

 

まぁこんだけ色々と仮説をこねくり回せるのも一人確定しているご先祖様がいたからなんだよね。いないと空論もいいところだろうっていうことになるよね(笑)まぁなんつーか藩士が一人いればまぁ他でも祖先やら子孫が藩士である可能性も高いし分限帳を見るということが別にそこまで見当はずれなことでもなくなるよね。

 

んでもまぁ全く村上水軍と結びつかないっつーかまぁそれは自分の歴史の理解が浅いからなんだろうけどっつってもまぁんでもなんのエビデンスも無しにまぁ仮に村上水軍じゃなくても水軍関係だったっていうような言い伝えってのは出てこないわけでっつっても文献ディグれば分かるというわけではないし実際に従事してても例えば分限帳とかそれ以前になるとなんつーのか分からないけどまぁそういう書面に名前が残るか?っつーとそうじゃないわけでまぁそういうの前提だよね。

 

恐らく見つからないだろうっつーのを前提でんでもとりあえず調べられそうな範囲は調べるべし!っていうそういう向き合い方だよね。ただでも住職の話だと明治ぐらいまでは確実にクリアで固いってことだけでもだいぶまだ分かってるほうなんだってね。んでまぁ今回さらに広島藩のことまで分かったわけだからかなり手がかりはあるということだよね。

 

あとまぁロマンを求めてロマンを求めるほうにバイアスがいきがちだけどまぁそこは数学的というか科学的な厳密性だよね。そう思いたいけどエビデンスが固くないから断定できないしあくまで仮説の域にしか過ぎないっていうね、そういう学問的厳密性を無視したらそんなのただの歴史の二次創作みたいなもんだからね。ご先祖様は凄かったのだ!って勝手に思いたいっつーどうしようもない実存的な表出にしか過ぎないよね。まぁ俺はそういうロマンもあるけどあくまで客観的にルーツを知りたいんであってコアはそこにあるわけよね。

 

だからまぁ固いエビデンスを得るためなら膨大な労力は厭わないよねっつってもまぁ労力っつーか楽しいからやってるだけなんだけど(笑)まぁそんな感じっすね。あ、んで今回挙げた牧原氏とか寺田氏だけどまぁ言うまでもないけど学問的な厳密性から言えば当時いくつかの牧原さんとか寺田さんがいたとしても血縁かどうかも分からないし関係性とかも分からないってのが実際のところなんだよね。まぁそこをガッツリ家系図を作ればそれは明らかになるんだけど当然まぁそういうの無しにパッと見で同じ名前ってだけでは別にそれはかなり脈ありでも偶然にしか過ぎない場合もあるわけだからね。

 

まぁそんな感じでハードエビデンスを得るために図書館行ったり文献ディグったりってのは続ける感じでまぁ結構これで当分やってけそうな気がするわ(笑)純粋に楽しいからね。

 

ってことでんじゃまた。