ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

Ardbeq10さんへの返信3。

Ardbeq10 2017/02/02 16:33


"返信まだ早いかもしれないですけどコメントさせてくださいというかなるべく長くならないようにしますね。"

ここ、耳セミのブログだから笑


耳セミもボチボチやってるみたいで何よりですよ。しかも、村上春樹に取りかかっているなんて何とも嬉しい限りですね。


合いの手みたいな感じでコメント入れてくれて正直ホッとしましたよ。これで、ようやく脱稿しそうな感じになって来ました。それはさておき、三島由紀夫はやっぱり読んでたのね。しかも「憂国」って160kmのど真ん中じゃないですか笑 "全く知性を感じないような文体に落とし込めたらただの垂れ流しブログみたいなものが三島の文体によって文学になるみたいなところとかが好きなんですけど(笑)"的確過ぎて笑えません。少しオブラートに包んで提示した部分も曝け出しちゃいましたね笑 ボンタン飴のオブラート剥かれた感じですよ笑


話が早いので、小説ではないけれども三島由紀夫に関連して紹介する予定だった本を幾つか並べてしまいましょう。


「建築のアポカリプス もう一つの20世紀精神史」
「<ミシマ>から<オウム>へ 三島由紀夫と近代」
「光のドラマトゥルギー 20世紀の建築」
破局論」
飯島洋一


とまあ、4冊ドドーンと並べてみた訳ですが、はい全部同じ著者ですよっと。これ、並べてみると改めてタイトルの重量感凄いよね。もうね、この著者である飯島洋一はスゴいですよ。物事を見る射程の長さと深さが半端じゃない。20世紀というのがどういう世紀だったのかを、このたった4冊で敷衍してるんですね、実際。この、飯島洋一氏は建築領域の人なんですけど、建築って言語と同じようにコードが明確でどう足掻いても重力には逆らえないんですね。だからこそなのかもしれないけれど、建築をベースにして逆照射される時代背景やイデオロギーの変遷、スノッブな知的領域における流行り廃りやらコードからの逸脱も含めて論じる事で、非常に優れた文明論にもなっている訳です。後世に生きる人間からすると、降って湧いたように感じていた一つ一つの事柄が時系列に沿って並べられ適切に調理されると科学や芸術、相対性理論が発表される以前の4次元に関しての領域横断的な侃侃諤諤や発表後の行き場のなさ、タコツボ化して自己解体する様がはっきりと感じられるんですね。


それらの解説と同時進行的な、極上のミステリーのように読み進めるにつれて視界が拓けるような謎解きの要素もあって、よくもまあこれだけ詰め込んで破綻しない上に明瞭で、専門外の人間が読んでも愉しめる本が書けるなと。世の中には、どエライ仕事をする人がいるんだなあという、20世紀に関してのバイブルですね、僕にとっての。


つーか、ここまでもここからも日本人の著した本しか紹介しないつもりなんですけども、これには明確な理由があって。


というのも、20世紀に入ってからの西欧や第2次大戦後の日本で挫折した近代的日本人が、どこで何に躓いたのかを、改めて2017年の今、正しく掴んでおく事が大切な気がしてるのね。んで、この感覚の根拠になってるのが、シャルリーエブド襲撃事件や、欧州の難民問題、イギリスのEU脱退に向けた動きだったりというような、20世紀的な大きい物語、理想主義的な共通のイデオロギーの崩壊を目の当たりにしてるっていう状況な訳です。


もっと言えば、近代の知識人で欧州の土を踏んだ日本の先人達が、その欧州に対して勝手に抱いていた憧憬と劣等感というアンビバレンツな感情の空隙に、2017年現在、欧州が直面している問題の萌芽を読み取る事が出来るんじゃないかと思っているからなんですね。


とりあえず、ここまで!まだ続きます!合いの手も大歓迎です!

では遠慮なく合いの手を!


で、まぁ早速飯島洋一の四冊はポチりました。読むのがめちゃめちゃ楽しみです!というか僕のドストライクみたいな感じの本ばかりで本当に驚いてますね。まだ知らない著者の本がいっぱいあるんだなーって改めて思いました。


建築という観点は僕には全くないし分からないのでそういう意味で凄く楽しみなパースペクティヴが得られそうだなって思いますね。でもやはりまぁ当然ながら生き着くのはその自己解体と行き場の無さなんですよね。でもそれが自分の領域というかまぁ哲学ばっかですが、そういうところからの自己解体と行き場のなさと建築をベースに行き場のなさに行きつくっていうのは同じようで全然違うと思うし、コードと同じで重力に逆らえないという意味では音楽にも通ずるものがあるんだろうなって思いましたね。とにかくすぐ読みたい感じです。


>というのも、20世紀に入ってからの西欧や第2次大戦後の日本で挫折した近代的日本人が、どこで何に躓いたのかを、改めて2017年の今、正しく掴んでおく事が大切な気がしてるのね。


これって主に戦後とかにヒッピームーヴメントとかがあったような時代とかにあった閉塞感とは違う2000年代移行の躓きということですよね。という意味で理解して勝手に話を進めますけども、もちろん僕は昔に生きていたわけではないので60年代とかあと時代の節目の躓きと閉塞感ってそこまで切実に感じられるわけではないんですけど、例えばナチスが台頭する前というかナチスが支持を集めていた頃みたいな感じのドイツとか戦後の空虚さとかってまぁところどころに躓いて行き場がないっていう時代ってポイントポイントであると思うんですけど、これはまぁ僕が生きている時代だから強調したくなっちゃうのかもしれないけどこの2000年代以降の躓きと行き詰まりってぶっちゃけ過去のもとは比べ物がないぐらいのクライシスだと思うんですよね。


Ardbeq10さんもそれを前提に書いているんだと思いますけども、まずおっしゃるように大きい物語の解体とそれを象徴するかのような世界の出来事ってことだと思うんですけど、歴史家ではないので一般論的な感じでしか言えませんけど昔あった躓きとか閉塞感ってなんとかなってた感じがするんですよねっていうかまず今の時代みたいな大きな物語がぶっ壊れるっていうのが無かったと思うんですよ。小さいものだったらどんどんぶっ壊れて行ったかもしれないけど今みたいに例えばRPGで言えばラスボスみたいなレベルの宗教とか人々が当然「これはこうだよね」と思えてとりあえずそれに向かうことは立場がどうであれ変わりないというようなディレクションを示すようなものとか制度ってのが完全に解体されちゃったってのがあって、そういう意味で例えば60年代とかも閉塞感とかどうすればいいのか?とかってのがありつつも結局資本主義が末期ではなくて発展途上であったり上がり続けるのが当たり前だったんでとりあえず経済に救われてるみたいなところはありますよね。


実際に元ヒッピーが小金持ちのヤッピーになったり日本でも学生運動してたような人たちが一気にそういうのやめて大企業とかに入って安泰してるみたいなそういう意味でああいう年代の人たちって勝ったまま老後になってるんで勝ち抜けてますよね。で、彼らのリアリティってのがとりあえずなんでも成長するみたいなのがデフォなんで実存的な危機感とかないですよね。それに比べて今の若い人たちの絶望感って半端なくてまず右肩上がりの経済成長がありえないどころかどんどんパイが縮小するみたいなところで職も無くてその辺にある仕事といったら別に無くてもいいようなものを無理やりマネタイズして利益を生み出してるみたいな資本主義の残りかすみたいな仕事ばっかでもちろんまぁ仕事っていつの時代もそんなものではあるとは思うんですけどそういう残りかすすらも無くなってたり残りかすを奪い合うみたいな状況になってますよね。


で、IT化と一概に言えるかは分かりませんけど、僕も普段ここで書いてるんですけども、例えばね、昔に「こうこうこうやって週末はこうだよね」みたいなライフスタイルというのが無くなってますよね。それは任意で自由になっていると言えばそうなんだけど人々が盲目的に信じられる週末はショッピングモールで買い物みたいなそういうものの価値というのが無くなっているんですよね。あとまぁネットで手に入っちゃうからショッピングモールに行って週末の時間を過ごすという物理レベルでの動きが無くなってダイレクトに例えばハンガーだったらハンガーって注文すれば届きますよね。わざわざ外出なくなるんですよね。あといかに節約するか?みたいなのが経済的に縮小してるからそれがサヴァイヴ術みたいになっていていかに買わないか?みたいなのが技みたいになってますよね。節約って悪いことじゃないけどなんつーか小さいところに留まり続けるような小市民的な感じっていうんですかね、金が得られる保証が無いから行動自体が委縮しちゃうんですよね。で、いかに使わないか?ばかりを考えるようになるという。


ただいい面もありますよね。消費をしたところで自己実現なんてできないってのが明確になってるわけだし車買えばモテるとかまぁそもそも脱恋愛化しているからモテる必要もないみたいなね、モテなければ幸せになれないみたいな言説もありますけどそういうのも相対化されて別にそうじゃないよねっていうのが明らかになっているんで幻想という意味でもリアルという意味でも恋愛が持っていたような物語ってぶっ壊れてますよね。で、みんなドライになってる。まぁでも一種の自己防衛でもあるんですけどね。


宗教的なものの解体とかっていうのは宗教の負の面ばかりが目についてナムジュンパイクが言っていたように「いや、宗教って戦争しか生み出さないよね」みたいな感じってのがあったりあとまぁ科学化が進んで宗教ってのがなんかあえてやるアナログチックなアナクロニズムになってますよね。最後の地と言われる南米とかですらもそうなわけでまぁ別に宗教的なものが大きな物語を提供し続けるということが良いことだとは思わないのでwake upしてるとは思うんですけどそれと同時にfucked upしてるっていうんですかね。fuckしても幸せにはなれないしじゃあ消費は?make moneyは?といってもまぁ金があれば金がかかる趣味と金がかからない趣味と同時に楽しめるようになるので選択肢が増えたりあと金銭的な制約というのが無くなればだいぶ楽しくはなりますけどもただ救いにはならないんですよね。ゴールにもならない。昔はそれがゴールでしたよね。お金が入ってくるのが当たり前だったし。


当たり前に大きな産業と言われていたものがどんどんダメになっていってといってもその一方で無料化とか商品を買うというよりかは月額サービス化して結果的に大手がコンテンツを独占するみたいな感じになっていてといっても最適化と言われればそれまでででもそれによって解体されているものってのも大きいんだけどでもそこでんじゃあそういうのに抗えばいいのか?っていうと時代の流れだしある意味で進化なんでこうならざるを得ないんですよね。


陽気なヨーロピアンとかアメリカンですらも陰気になりかねないような閉塞感ってのがあってでも「これ!」といったものはないし自分探しという時代でもないしっていうかそんなのあるわけないってのも分かったし逃げ場としての別の場としての海外みたいな海の外みたいな幻想を抱ける余地もIT化によって可視化されて情報のレベルでは生活圏になってますよね。そういう意味で幻想とか物語が無くなったというよりかは良い意味で間違った幻想とかを抱けるような例えば花の都パリみたいな、そういうのが完全にすべてがリアリティに集約していって幻想が無くなっている結果こうなっているというところでもありますよね。


でもこういうのが経済が良くなれば良いのか?というとそういうところでもないし経済が良くなるということはありえないし良くなったところでもう不可逆なんですよね。すでにプロセスでぶっ壊れたものってのが多くあるんですよね。あとあれですね、スノーデンとかも言ってますけどネットが良かった時代ってのがもう完全に終わっててネットの世界もすでに終わってるんですよね。Big Brotherが居るのがデフォで色々な右肩上がりだったSNSなんかもそのうち沈静化っていうかまぁ恒常化というか飛びつくようなものでもなくなってまぁフラット化しますよね。ネットとか電子世界とかって古い意味では幻想が抱ける世界だったと思うし僕がそれは抱いていたのでよくわかるんですけどこれもまぁリアリティに見事に飲まれましたよね。


まぁだからこそハイパーリアルなものってのが重要になるわけでまぁ僕とかArdbeq10さんはその最中にいつつリアリティに飲まれそうになって酒飲み過ぎたり(笑)してたりもするみたいなところですよね。春樹のハードボイルドだったと思いますけど「なんでそんなにお酒を飲むの?」って女に聞かれるシーンありますよね。で、確か「特に理由はない」みたいな感じで返していたと思うんですが、まぁこれがリアリティですよね。春樹の話はエントリーでまた色々書くので今はやめますけどもまさに「アフターダーク」ですよね。あれってラブホの名前がアルファヴィルじゃなかったらまた雰囲気違うと思うんですけど名前がアルファヴィルだからこそ見えてくるモノクロの中で部分的にネオンとか夜の薄暗い青みたいなのだけがカラーとして見えるみたいな、そういう霞んだリアリズムですよね。別にそれを美化することもなく賛美することもなくかといって絶望をすることもなくそれがただそこにあるという感じですよね。その中でどうしていくのか?ってまぁはっきりいって僕も分からないわけですよ。


だから春樹の本を読んだ後になんかあんま後味が良くないとか不安になる人とかってのがいるんでしょうね。そんだけ春樹の小説にあるリアリティの質感というのが読者のリアリティと実存みたいなものに透かし絵みたいな感じで浸透してくるっていうんでしょうかね。だからこそ春樹的なものに嫌悪感を持つ人は「そういうリアリティで辛いのにお前はいいよな。趣味も豊富で頭も良くてモテるし何より金があって何も不自由してないじゃないか!」っていう小説というよりかは春樹自身への嫉妬と妬みみたいになってると思うんですよね(笑)そういうルサンチマンとリアリティのアンビバレントの中で生きているという感じですよね。だからそこで僕とかArdbeq10さんは特にArdbeq10さんは素敵な奥様とお子さんがいらっしゃるし、僕も好きなことだらけで憂鬱だけど春樹にルサンチマンを感じるほど死んだリアリティを生きているわけではないんですけどもね。当然ながら。


だから愛だよねってことにもなるし張り詰めた実存を鈍化させることなく危うい状態にするということが生きるということのドライヴになるというようなある種のリビドーの昇華ですよね。カタルシスを得られるほど精神レベルは高くないけどそういう意味でリアリティを止揚しようとする乗り越えるという意味ではなく「そこにいる」という世界内存在的な実存の中で自己生成と修練を続けるという感じですよね。でもArdbeq10さんがいうようにあまりにそれがインナートリップ的になり過ぎると独りよがりにもなりかねなくてそういうダメな意味での危うさはありますよね。そういうところには自分は凄く気を付けたいと思いますね。自己陶酔になったら終わりですからね。ナルシシズムにある果てってのは老いはてて何も無くなった死にかけの自分ですからね。そんな自分の存在を危うくするようなものにトリップはしないし、そういう意味で実存へのホスピタリティってのは常に担保し続けたいと思いますよね。まぁその結果、やっぱまぁおしゃれするとか自分を磨く!とかモテる!とかってやっぱ重要になりますよね。そこでやはり着地点がリアルとヴァーチャルの合間のハイパーリアルみたいなところにあるので今はまさにその実践中という感じではあるんですけどもね。


思ったより長くなってしまいましたがそんな感じで合いの手を入れさせていただきました。ではまた近いうちに!