シニフィアンの整合性。

二つのっつーか何個もあっていいんだけどラクラウが精神分析と政治的分析を異なる領域が重なり合うシニフィアンみたいな感じで言っているインターセクションみたいなのってのが言わば俺の言うリアルとヴァーチャルが重なり合うハイパーリアルってことなんだなって思ったのね。っつっても精神分析と政治的分析の論理の妥当性があるかはともかくとして構造として異なる二つの事象の中で分析されたもののシニフィアンの論理ってのが一致するって場合があってっつーのはまぁとりあえず精神分析と政治的分析の話は別としてこのヴァーチャルとリアルっていうところに話を持っていくとさ、いやね、例のハンティングのゲームやっててまぁ弓引くじゃないですか?


んでまぁ的を得たい!って思う気が強すぎて早気みたいになっちゃう!みたいなのがようは構造的に一緒なんだよねってのがまぁ的を得ようとせずに正しい射をすることにフォーカスせよってことでまぁそのリアルの弓術っつーかまぁ弓道の教えをヴァーチャルでも実践するっていうかヴァーチャルでむしろ生きてくるんだよね。慌てずに確実に射れるときに射るっていうさ、それってまぁターゲットをちゃんと見るってのもあるけどそもそも弓がちゃんとブレてなくて真っすぐ飛ぶような状態で飛ばさないと中らないからその瞬間が訪れるまで射るべきではないし仮に早まって射ちゃった場合、ミスったら音バレして獲物が逃げちゃうしたまたま当たってもそれはたまたまなんであってあくまで正確な射で獲物を得たいわけよね。だからそのためのコンディションを整えるってことですよね。


んでまぁーなるほどなーっつーかまぁようはこれも抽象化ってほどたいそうなもんじゃないけどまぁ基本的にこれって人間の心理じゃん?的を得ようと思うことが逆に正確な射にとって邪魔なものになるから無になって正しい射のみを追求するっていうことが結果的にヴァーチャルのハンティングゲームでも見つけたらすぐ射る!じゃなくてじっくりとターゲットを補足してちゃんとエイムして中てるっていうことに繋がってるってのがまぁ言わばヴァーチャルでもリアルでも扱っているのが心理である場合、目的がヴァーチャルだろうがリアルだろうが同じってことになるよね。


まぁこれはそりゃ単純な話ですよ。ヴァーチャルのシミュレーターの精度が上がれば例えば昔にヴァーチャルフライトシミュレーターをやるのが趣味だった少年がリアルに飛行機の中に忍び込んだかなんだかして飛行機を動かしちゃったみたいな話があったけどメカニズムが同じだったらそれはできるよねっつってもまぁそれはようはヴァーチャルのシミュレーターの精度ってことになるよね。でもまぁこれって訓練とかでヴァーチャルシミュレーターを使って練習したりもするわけでここがまぁ「たかがゲーム」ってのと実用的なシミュレーターの差ってことになるよね。んでまぁ実用的な場合さ、まぁミリタリー系とかでもそうだけどまぁ実際に体がそのように動くか?ってのは別としてタクティクスの論理ってのがあってこういうときはこういう風に動くとかこういう風に展開するみたいなのをシミュレーターでもやるわけじゃん?っつーかそれがリアルとの整合性が無いとそもそもシミュレーターと言えないわけでさ、だからこそこれってまぁ論理の一致ってことじゃないですか?


んでまぁそうなるとシミュレーターの精度が上がれば上がるほどそれってリアルとの整合性が高まるってことだよね。こんな細かいところまでシミュレートできるのか!ってのが楽しい!というゲーム性ではなくリアルの再現度というところに重点が行った場合、それはヴァーチャルで論理の世界でのみリアルのことを実行しているっていうことなだけであってシステム的な論理性の整合性は同じってことになるよね。まぁむしろ同じじゃないとシミュレーターとは言えないということになるわけだってまぁさっきも同じこと言ったか。


で、最近別にシミュレーターとして作られたゲームじゃないにしてもリアルモードっていう名前で言わばハードの上みたいな難易度の設定があったりしてそれってのがようはゾンビに噛まれたら普通死ぬでしょっていう即死要素であったり銃弾にしてもArmaみたいにどんだけ良い動きしてても流れ弾に当たったらそりゃ死ぬってことでゲーム的にどうなのよ?ってことになるんだけどまぁマゾゲーとしては最高だったりシミュレーターとしては良かったりするわけだよね。結果的にそこで例えばArmaみたいなゲームとかってランボーみたいに無双しようと思わないじゃん?一発当たっただけで死ぬからものすごく立ち回りが慎重になったりとにかく隠れながら撃つっていうことになるよね。まぁそりゃ死んだら終わりだからっていうのがまぁリアルでの恐怖を再現というわけではないけどまぁでも結果的に死んだら終わりということが立ち回りの論理の整合性ってのをもたらしてるよね。


言わばまぁゲームだったらそりゃ一発で死んだら終わりじゃあまりにもあれだから耐久値とかをもうけましょうよってことになるわけだけどリアルモードならすぐ死んで終わりっていうマゾなモードですよねっていうまぁその論理をリアルなものにするっていうことで難易度が結果的に上がるんだよね。もちろんまぁあれですよ、シミュレーターなんつってそれで楽しみだけでやっててんで戦場でもやってけるとか実際にハンティングできるようになるとかってことにはならないしそんなもんプロの指導がないと無理だろうってことにはなるんだけどでもそこでまぁいつもの俺のアレで独学でどこまでやれるのか?みたいなところが面白かったりするわけでそこでまぁだいぶ前だけどスナイパーの教本とか買ったりあとまぁスカウトとかリーコンの本とかってのを買って色々と研究したりしたけどまぁ単純に面白いよね。足跡から対象の場所を探るとかさ、どっちに動いたとかなんとかっていうまぁレンジャー的なことだよね。


んでまぁそのね、ハンティングのゲームやっててまぁ実際のハンティングにはそりゃ抵抗ありますよねっつーかまぁ別に俺は動物愛護するわけじゃないしまぁやっぱわんこ至上主義なわけで別に動物全般愛護しなきゃいけない!とは思わないけどただまぁ実際にやろう!っつって食べるとかならまだ理にかなってるけどただハンティングのためだけに殺してあと死体放置とかそりゃありえねーべって思うよね。まぁスポーツハンティングってのはあるにしてもまぁああいうのに批判が多くいくってのは分かるよねっていうか調べると海外のキャスターとか社会的地位がある人がリーガルでもハントした獲物と一緒の写ってる写真をSNSとかにアップして炎上するみたいな事件が結構あるんだよね。まぁリーガルだからいいだろうって話だけどまぁ人道的にどうなのよ?ってのはやっぱあるよね。


だからまぁそことは全然別ですよね。俺は戦争反対だけど戦争というジャンルは好きだしそれは歴史然り兵器然りであとまぁミリタリーサイエンスとか大好きだしでもそれが大好きだからといって戦争したい!ってわけじゃないからね。根っこからのパシフィストだけど戦争シミュレーターとかって考えるとそれはすげー知的で面白いってことになるっつーかトム・クランシーなんか完全にそういう感じだよね。ミリタリー好きが高じ過ぎて実際の軍の人たちが絶賛するような小説書いちゃったっていうのがレッドオクトーバーを追え!だったっけな。ショーン・コネリー主演で映画にもなったやつね。


まぁなんかトム・クランシーブランドのゲームってここ最近ですんげーブレイクしてると思うけどまぁやっぱクランシーのスピリットが継承されてるんだよね。当初はトムクランシー本人が関わってたゲームってシミュレーション性は高かったんだけどそれが故にハード過ぎてあんまりウケなかったんだけど今はそのトム・クランシーブランドでやってるデベロッパーがトムクランシー的シミュレーショニズムの哲学みたいなのを継承しつつゲーム性も同時に担保しているっていう絶妙なバランスになってるよね。レインボーシックスなんかもそうじゃん。あのすぐ死ぬ感じだよね。


なんかまぁそういう意味でここ数年っつーかまぁVRとかも含めてだけどゲームの大きな転換期というかさ、完全に次世代に入った感あるよね。そんな中で俺はより高度なシミュレーターってのが次々と発売されるようになって結果的にそれがリアルへの需要ももたらすようになるぐらいになるって思ってるんだよね。ようはすんげー高度なシミュレーター型のゲームやって例えば実際にサバイバル生活してみたくなっちゃったりフィッシングしたくなっちゃったりとかこれってまさに俺の言いたいハイパーリアルの次元なんだよね。入口がヴァーチャルで結果的にリアルにも参入するんだけどでも別にヴァーチャルがリアルの代替品というわけではなくてリアルもヴァーチャルも同じエンタメとして独立して存在してるんだけどシニフィアンの論理が一致するという意味での両者の互換性ですよね。それがどんなもんなのか?ってのを実験的に色々とやってみたくなってとりあえずハンティングの本買ったんだよね。まぁ実際の狩り方からまぁこれはスナイパーの本でも散々読んだけどライフルの使い方とかあとハンティングボウの使い方とかあとまぁ動物を釣ったり近づいたりまぁステルスな動きをするっていう作戦から狩った後に解体して食べるまでってのがマニュアルになってるやつがあって「これだ!」って感じでしたよね。


まぁんで俺の人生って楽しいことばっかやってきちゃってて半ば詰んでるんですよね。ようは今後のエンタメの持続性はどうなの?っていうとゲームだけじゃすぐ終わるしなかなかつらいよね。で、まぁ恋愛はもう魅力感じないしまぁローラを目指す!ってのはもちろんあるんだけどなんかもっと他にないかな?って思ったときにまぁその実際に無理だろうっていうことを取っ払って色々とやってみたいことを考えてみようってことになってまぁやっぱハンティングになったよねっつってもまぁ日本だと弓使うのがダメだからさっつーかさっきハンティングに抵抗あるっつってたのはなんだったんだ?って話なんだけどでもまぁ俺の場合、食べるんですよ。さばけるようになったりまぁあと肉屋さんにもっていって捌いてもらったりとかさ、酒飲みつつ獲物を食すってすげー強度だなって思うんだよね。まぁ弓は使えないにしてもまぁ仮に海外みたいに弓使ったとしてその射の技術とその結果によって得られた獲物で腹を満たすっていうさ、まぁ狩猟ってこと自体に俺はオブセッションがあるんだけど獲物をつまみに酒をやるなんて最高だな!って思ったんだよね。


まぁでも長期的に家を空けるなんて無理だしまぁ日々のデューティーがありますから現実的に無理だしあとまぁ恐らく車とかも持ってないと無理だろうから恐らく無理にしてもまぁそこの実際性は関係ないんだよね。ただもうハンティングについて知り尽くしているっていうことだけでとりあえずオッケーなんですわ。そのまぁハイパーリアル感だよね。まぁそのハイパーリアル感が伴う知的刺激だよね。それとまぁそういうことに関する知識を渇望するという姿勢ね。あとなんつーのかな、仮にんじゃあやるとしてどんなもんが必要になるのか?とかやっぱ道具運ぶのに車必須ですよねっていうところとかもまぁ本に書いてあるわけよね。それを自分に置き換えると車持ってないし猟の免許とかはなんか取れそうだけど車の免許はありえねーなとかって思うんですよね。ぼーっと考え事しちゃうから事故るでしょう。完全に(笑)


まぁでももしやれそうなことがあったらやってみよう!っていう行動力ですよね。まぁハンティングのゲームやっててまぁ俺の凝り性ですよね。すげー詳しく知りたくなってしまうっていう。まぁそこがやっぱハイパーリアルを知識と同時に求めてるってことでもあると思うんだよね。


まぁ今日はそんな感じでんじゃまたっつーか本届いたらまたなんか書くかもっつーか早く弓届かないなぁー。