ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/Rockstaによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

Satouさんへの私信。その2。

Satou 2018-01-07 20:49:51

 

返答ありがとうございます。耳蝉さんの返答を見てアレコレ考えていたんですが、結局考えは纏まらないし、しかし返答なしというのも失礼だと思うので返答したいと思います。

 

今の自分の状況は、世間の人の大部分が城壁の中で暮らしているとするなら、俺は意図せずに街の外に弾き出されたようなものだと思っています。出自や家庭が色々複雑だったというのを抜きにしても、周囲に違和感みたいなものは昔からあったし、だんだん外側に追いやられて行ったような感じで。しかも発狂したわけでもなく、犯罪者になったわけでもなく、自分は正気だと思っているにもかかわらずに気づいたらそうなってた。 で、そうなる過程の中で、俺はネットやらアニメやらオカルトやら色々ハマったもののすぐに幻滅したんですけど、そんな中で最後まで残った趣味というか生き甲斐が幻想文学とか歴史とかだったんですよ。

 

それは社会がどうたらとか今みたいに考える前から好きだった。 幻想・怪奇文学を入り口に古代の宗教とか文化とか、西欧のロマン派とか日本の古典とかにも触手を伸ばして、歴史だと滅んだ国とか失敗した革命とか反乱とかなぜか好きだったんで、そこから思想家とか革命家の本とかも読んだ。俺の日本観(というと大袈裟過ぎるかもしれない)は、折口信夫柳宗悦を通してみた日本だろうし、美学というか美意識は澁澤龍彦とか谷崎潤一郎とかW・モリスとかが根本にあると思うんです。家とか庭とか弄り回してるのも気晴らしってのもあるんですけど、そういうのへの憧れが大きい。

 

歴史を調べて強烈に惹かれるのも、ブランキとかバクーニンとかロシアの革命前夜に活動した文化人とか、日本だと北一輝とか大杉栄とか辻潤とか、あとは一向宗とかキリシタンとか中世の隠者とかなんですよね。 俺は、小説とか映画を入り口に何となく惹かれるものに手当たり次第に手を出して、それを糧に生きてるような所があるんです。あとは、親父がたまにマジモードで語った話とか、父方の親戚の生き様とかも偶に思い出したりして。

 

それで、最近になって考えているのは、自分は日本人の大部分から見て裏切り者というか敵みたいな存在で良いってことと、あと、この堕落腐敗した社会への怒りは頭から離れることはないから、もう現実逃避とか無駄なことはやめて何が出来るか分からないけど睨み続けようと。 30年ちょっと生きて今感じることは、結局、現実に絡め取られたり安易に妥協したりすると、世間的には成功するかもしれないけど、美しくはないし、むしろ無様だなということ。

 

ただ、一切妥協しないで信じた道を突き進んだら突き進んだで、その道の先には多分破滅しかないんだろうけど、そっちの方がかっこいい。上手く言えないけど、右翼であれ左翼であれ宗教家であれ、存命中に権力を手にしてやろうと思ってたことをやり出すと多分上手くいかない。それは現実世界を上手く泳ぎきるようなタイプは、理想とかロマンとかを追い求める潔癖症なタイプの対極にいるからだと思うんですよね。 俺は最近アメコミとかアメリカのノワール小説とかに興味が出てボチボチ読んでるんですけど、そこに出てくるヒーローってスゲえ意志が強くて「お上だの世間だの糞食らえだ。俺は俺の信じる正義を貫くんだ」っつう感じで一歩間違うとテロリストみたいで、そこが良い。ロールシャッハなんか中身はただのオッサンだし指名手配されてるし。

 

なんか返答になってないような気もしないでもないですけど、「強い者には媚び、弱い者はイジメる」みたいな価値観で埋め尽くされたような、一億総ネトウヨ状態のような世界の中で、そんな世界に毒されないで生き延びようと俺が考えたら、臭い言い方だけど孤独なヒーローとか結局どこに行っても孤立して何時も失敗るような革命家とか、そういう方向しか思いつかないし、ぶっちゃけそういうのへの憧れもある。俺の予想だと、こんな有様の国では東京オリンピックの前後とかヤバイ事態になるんじゃないかなとも思う。

 

生きる限り何らかの形で不服従を貫くのは恐ろしく困難な世紀だと思うんですよ。 あと、これは俺の予感というか希望のようなものですけど、近い将来、SF小説とかでも話題になる「万物理論」みたいなものが、思想の世界でも生まれるんじゃないかと思う。現在の左右様々な思想とは根本的に違う、それ以前の全ての価値観とかを超えるようなものが。もうそれは〇〇主義とか〇〇哲学とは呼ばれないかもしれないけど。そうなれば少しは世の中が面白くなると思う。

 

返信を見ていてそこへ至ったプロセスは違えど凄くベクトルが僕と似ているなと思いました。

 

まずそのSatouさんがおっしゃる街の外に弾き出された感じなんですけど、まさに僕はデフォルトがそうだったので本当にそれはよく分かります。で、適応できないからダメなんだとかって思うわけなんですけど結局行きついたのは感覚がまとも過ぎてデフォルトで狂った世界に適応できないっていう開き直りと言えばそれまでですが別に適応できないことが悪いことだとは思わなくなりましたよね。

 

Satouさんが怒りを感じていることとか、僕もそれは社会全般であったりリアルでも滅多にないんですけど滅多にない中でなりにリアルで人と接してたりすると「なんでこうなんだろうな?」って思うことが多々あって、でもそれってしょうがないんですよね。そういうものだからしょうがない。

 

それはなんでしょうね、なんでこうなんだろうな?って思うところを文字で羅列すると確かに変だよねっていうことばっかりなんだけど、でもリアルってそういうのを言語化したり可視化することなく「普通はこういうものだ」みたいな空気が支配してたりしますよね。あとそんな細かいことを言ってたら生存していけないとかなんとか。でもそれを放っておいたりしてるから色々ダメになるし生きづらくもなるじゃないか!って言ったところで変わらないんですよね。というかそういうことを言い過ぎるとそれこそ弾き出されますよね。まぁ自分はそういうことを言いまくれるウォール伝という場があるので救われているんですが、アウトプットできなかったり場がない場合は本当にフラストレーションが溜まると思うんですよね。

 

かといっても別にそれは色々と言える場があればいいのかというとそういうことでもなくて逆に言える場があってここで言えればとりあえず満足するみたいなガス抜きになってもダメだしでも変えようとしても無理だしっていうまぁジレンマがあって根本的なフラストレーションは変わらないと思うんですよね。

 

Satouさんが色々ハマった末に幻想文学と歴史が残ったというのも凄く示唆的ですよね。僕も最近保田与重郎とかロマン主義について調べてたり読んだりしているんですが、まさにこれってSatouさんが言及している中世の隠者なんですよね。基本的に中世の隠者がなんで隠者になったのか?っていうとそれってまさに僕らが今話している弾かれている感じだと思うんですよね。それは適応できないという意味でアウトサイダーなんですが、隠者からしてみると世の中がありえないことが多すぎてやってられないっていう感じなんですよね。

 

で、そこで中世の隠者はとりあえず置いておいて、そのSatouさんがおっしゃる「日本人の大部分から見て裏切者とか敵みたいな存在で良い」っていうことに繋がるんですが、これってまぁちょっと言い方に意義があるんですよね。というか考え方に意義があるんですよね。

 

僕が本質的な右翼ってのを言っているのはまさに大勢から見たらはみ出し者とか敵みたいな役割を受けるってことだと思うんですよね。ようは世の中的にこうだとか一般的にこうだとかみたいな意見って大体まぁクソなわけですよね。で、そういうのにおかしいって言うとこっちがおかしいって言われるんですけどそういうことに対してラディカルにおかしいと言い続ける姿勢だと思うんですよね。んでそんなの許してるからどんどん国がダメになるんだ!っていう必然的にそれは憂国に繋がるというかなんというか。そこで社会が腐敗していて大多数の人がその腐敗の中にいるとしたらその腐敗をにらみ続ける人ってまともな人だと思いませんか?

 

それこそ国士だと思うんですよね。普通スルーすることをスルーしないわけですよね。でも大体歴史を見るとそんな感じですよね。腐敗なり社会のダメっぷりを嘆く人というのはまともなんだけど歴史から見ても異様な存在というか、でもその異様さがあるからこそ社会をにらみ続けることができるっていうか、まぁそれが一般的には変なやつとか敵だとかって思われたりもするわけなんですけど、それって基本的にソクラテス的なもんでソクラテスが間違ってるわけじゃないのにでも永遠とソクラテスVS世の中みたいな構図って永遠と続きますよね。

 

だからこれって結局は比率の問題なんであって多くの人はその腐敗を受け入れたり生存のために適応したりとかとにかくまぁ異を唱えないわけですよね。そんなことしてたら生きていけないという話になるんですよね。でもおかしいもんはおかしいしそれが原因で色々と生きづらくなってたりクソ化が進むようなものってあるわけなんですけどでもそれをクソだと言いつつ変わらないし変えられないから適応するしかなくてんでまぁいつの間にやらその適応するということがデフォになったりその適応した腐敗した場所がホームグラウンドみたいになっちゃってそれに対しておかしい!っていう人に対して敵対心を持つようになるっていうこういうことだと思うんですよ。

 

だからこそ!なんですよね。理想を追い続けなきゃいけないし理想を持ってなきゃいけないんですよね。それはただのロマン主義だって言われてもそれを貫くわけだし敵がどんだけ増えようともそれをやり続けるっていうのが僕は真正右翼だと思っているので、この意味での右翼というのは政治的な意味というよりかはロマン主義的な人間的な情動や意志を一番大事なものとして考えるっていう立場のことなんですよね。だからこれは権力闘争とは関係ないんですよね。まぁもちろんそういう立場がヘゲモニー的なものになればいいと思うしロマン主義者ってのは強いて言えば権力的な意味ではそれを求めてるんですよね。でも権力にならなくてもそれは個人のイズムの話なのでヘゲモニーにならなくても個人の生き方として貫徹するわけですよね。

 

僕もそういう意味で無様になってまで成功しようと思わないし、そもそも成功って基本的に近代的な概念で言うと基本的に金の話ですよね。すげーくだらないことで金稼いでても成功すればそれは成功なんだけどやってることはクソみたいなことだったり日々の生活がクソみたいなもんだったりすればそんなの成功してるって言えないですよね。そういう意味で僕はこういう近代的な「成功」という概念に凄く懐疑的で言葉のマジックだと思うんですよね。お金というのは一つの要素ではあるけど全てではないのにドミナントなものになり過ぎていて、例えば僕の概念で言えば日々文化的で粋な生活をしてそれを一生貫いたらその人は成功者なんですよね。

 

あと考え方として人生というのを瞬間の持続って考えるとこの瞬間瞬間に成功してるか?っていうことになりますよね。そこで自分が望むような知的で文化的な生活ができていたら瞬間瞬間において成功しているわけでそれが続くということが即成功ってことになりますよね。それはお金云々ではなくそういう生活ができる地盤とかあとそれって時間とお金があるだけじゃ無理ですよね。文化的なものを愛することができる素養とか没頭できることって才能なわけで、そういうのをcultivateしてgrindingしていく感じっていうか、ようは何にフォーカスするか?っていうことですよね。

 

で、Satouさんがヒーローに言及してますけどまさにそれって僕が最近書いているロボアニメのそれと同じですよね。「お上だの世間だの糞食らえだ。俺は俺の信じる正義を貫くんだ」っていう感じはまさにテロリストと表裏一体なんですけど、それって僕的に言うと凄く右翼的な感覚なんですよね。理屈じゃない情動なんだっていうそれは危険であると同時に魅力というかロマンでもありますよね。任侠映画なんてまさにこれですよね。法律的にはアウトでも信じる正義なり仁義を貫くっていうね、これって任侠って感覚なんですけどこれは凄く本質的に右翼的だと思うんですよね。

 

「強い者には媚び、弱い者はイジメるみたいな価値観で埋め尽くされたような、一億総ネトウヨ状態のような世界」の真逆を行くのがリアル右翼であり任侠ですよね。まさに文字通り任侠ってのは強気を挫いて弱気を助けるわけですからね。一億総ネトウヨ的メンタリティってニーチェが言うThe Last Manそのものだと思うしニーチェ的に言えばその対極にあるのが超人なんですけど、そこで超人までいかなくてもそういうクソみたいなメンタリティに一生抗いつつ力への意志を絶やさない人たちというのがSatouさんがおっしゃる「万物理論」に近いものを生み出す潜在性を持つ人達だと思うんですよね。

 

でも僕は最近思うのは世の中がどうであれ本当にそれって関係ないって言い方するとニヒリストっぽくなりますけど、確立するべきなのってやっぱりまず自分のスタイルだしどんだけ世の中がクズでも突き通せるスタイルとかメンタリティを鍛えるっていうことだと思うんですよね。結局それが一番クソなものに抗える確固たる基盤を確立するということでもあるわけで本当にそれは即日々の生活とか考え方っていう実践的なことになりますよね。その実践の積み重ねだと思うんですよね。

 

ところで今回のSatouさんの返信に関してもコメントは反映しないほうがいいでしょうか?凄く熱さが伝わってきて「これだよね!」と凄く僕も刺激を受けたので反映させたいなと思うんですがどうでしょうか?(前回のではなく今回のものです)