現代へのイロニーとしてのロック・パンク。

育毛ギターWeek5ね。

 

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あ、んで育毛の薬の副作用なんだけど立たなくなるってのはあるんだろうけど抗うつ剤でもあるし寝る前の薬でもあるからなんか別に特に凄まじい減退を感じるわけじゃないし他に至っては身体レベルで感じるのは全然ないっすね。あるのかもしれないけど辛いなーこれはってのは無いですね。

 

ってことで今日のエントリーなんだがね。

 

良いなーとすぐ思える音楽っつーのは「いいね!」的なシェアの感覚でマス的感覚の共有でしかないんだよね。だからまぁ数学的な意味じゃなくてまぁ言葉でよく言われる最大公約数的なものに収束するってことなんだけどいやね、なんか所謂成功ってありますよね。音楽で成功するとかなんでもいいんだけどママンはいつも俺の道楽っぷりに呆れかえりつつもいつも俺はメンタル的に成功者だから(笑)

 

「いやーまぁいつかジャンボになるでしょー」なんつって誤魔化してるんだけどっつーか別に誤魔化しじゃないんだけどさ、そこでまぁノイズ親孝行ってのはどうすればできるのか?って思ったんだよね。まぁ無理なんだけどさ、んでまぁここから割と真面目な話になるけどこの分かりやすい親孝行とか世間にもアピールできるような成功の形って本当にただの呪縛だよね。

 

逆にそうじゃないと芽が出ないとか売れないミュージシャンみたいな扱いになるとかね、まぁ自分をミュージシャンだとは微塵も思わないけどそこで親に「ついにやったね!」って思わせることができるようなものって何なの?ってことになるとやっぱメジャーデビューとか大勢の前でライブをするとかってことになるのかな?って思ったんだけど本当にこれってただの商業の世界の話で音楽的な成功って客観的に見ればそういう動員数とか有名になるみたいなことだと思うんだけど本質的にはすさまじくインディビジュアルなことだよね。

 

ようは自分の中でこんな音が出したい!とかこういうのを作りたい!ってのがあってそれを完璧な精度にまで高めてやるってことでしょ。言わば理想を求めるってことだよね。こんな音楽がやりたいんだ!っていうのを達成するということだよね。でもそれはそもそも個人的過ぎるがゆえにマス的感覚の共有なんてのはありえないしでも音楽ってめちゃめちゃパーソナルなものだと思うわけでそもそも音楽が商業化したのなんて近年の話で元々は音楽なんてローカルなものだったりしたわけじゃん?

 

なんつーのかね、聴かせる必要すらないというかさ、それを聴かせるってのは全く別のことなんだよね。そもそもすげー本質的な音楽で超メジャーなものなんてないわけでしょう。それこそ音を求道的に追及してるのなんて商売となんの関係もないわけじゃん?でも大げさに言うと芸術ってそういうもんじゃないの?って思うんだよね。今の俺のギターとかギター周りの周辺機器で出すノイズは芸術の領域じゃないことは明らかだけどそれをアートレベルまで押し上げるとかって個人的な活動だけど有意義ですよね。

 

んでギターノイズとかまぁあとノイズだけじゃなくて割とスタンダードな奏法も含めた基本ノイズっつー演奏とかもやりたいからっつーかただノイズだけやっててもすぐ飽きるから色々とプラスしてやりたいってことがあるんだけどこれにおける成功って例えば高柳みたいな音が出したい!ってまぁまだね、模倣の段階でのコピーにしてもそれが出せたらまず成功だよね。それがまぁ本人が高柳だ!って思ってても客観的に全然違ったりショボかったりしたら問題外だけどまぁそこで妥当な音が出てたら成功してるわけでしょ。でもその成功ってのは商売とは関係ないしそれが商売と繋がるということも無いよね。何しろ超個人的な活動なわけだからね。

 

まぁ商売と直結するようなものもあるでしょう。技術を高めることでよりお客さんが来るとかね、別に商業を批判したいわけじゃなくてなんでも商業を中心に考えちゃうっていうところだよね。音楽と食うことって関係ないからね。食うことってのは生活費とか食費をなんらかの形で調達するっていう経済活動でまぁ大抵は労働だけど音楽ってのはモノにもよるけど基本芸術活動でしょ。

 

なのになんで成功というのが商業的成功になるのか?って話だよね。仮になんらかの形でリリースして全然売れなくても満足したのができればそれでいいわけじゃん?売れないってのは色々要素があるけどまぁ「いいね!」がつきづらいっていうことだけで音楽の質が低いからとかってことじゃないよね。

 

なんかそのさっき書いたノイズ親孝行なんだけどやっぱりまぁ当然母の世代とかの成功のイメージってそれなんだよね。まぁ別に世代関係なく今でも大体そうなのかな。でもやってることによってはその成功が別に商業的成功とは関係ないものもあるっていうことだよね。で、それで成功してもママンが「ついにやったね!」とは恐らく思わないよね。何しろノイズだったり一般的に意味不明な音なわけだから(笑)

 

でもまぁわけのわからない音楽をやることが親不孝ってことではないよね。むしろ親のことを考えてるからこういうことを考えるわけでさ、そりゃ「ついにやったね!」って思ってくれるようなことができればそりゃいいけどでもまぁそれってようは商業じゃん?だからまぁ端的に言って関係ないですよね。

 

音楽にせよ金にならないけどごく一部の人が金になる場合もある・・・みたいなことをやるのって金にならないし出費ばかりっていうのがデフォでやらないとダメだよね。よく売れたいとかって言うけど相当それはズレてるよね。まぁ売れたい音楽をやるのはいいんだけど別にそれが全てじゃないし売らない音楽だってあっていいわけだしそういうのを求道的に追及してるっていうことにもうちょっとリスペクトがあってもいいんじゃないか?って思うよね。

 

特殊な音楽やってると趣味的とされて金になりそうな音楽やってると成功の道を歩んでるみたいな真っ当なものをやってるみたいに思われるとかさ、まぁロジカルに考えればおかしいですよね。だからなんだろう、なんつーか俺が言いたいのはそういう勝手に音楽をやってるなら勝手に気が済むまでやり続けるべし!ってことなんだよね。かといってもそこで極めるわけでさ、クソみたいに凡庸なものをやるわけにはいかないからそこはやっぱ苦しむことになるよね。

 

まぁただあれですよね、風当たりが強いってやつでしょうね。俗に言う。意味不明の音楽やってて金にならないのに高価な機材を買ってもう人間の屑だみたいなね(笑)まぁでもパチンコに金を使うとかさ、風俗で金を使うとか別に悪いことじゃないんだけどパチンコとか風俗とか酒に比べたら真っ当なお金の使い方だと思うんだよね。

 

んで機材ばっか買って満足してるようなやつはクソだけどそれをフル活用して全身全霊で取り組んでいるっていうのは生き方の在り方の一つなんじゃないですかね?って思うんだよね。まぁただどの道、売れないからやらなくなるみたいなのって所詮はそういう商業的なものが目的でやってたようなやつらなわけでさ、売れようが売れまいがやりたいなら続けるわけでしょ。何しろやりたいこととか作りたいものがあるわけなんだから商業が介在しまいが介在しようが関係ないよね。

 

成功って概念は本当に害悪だわ。成功するに越したことはないし成功っつービジョンがそのまま本質的なものに結実するならいいんだけど関係ないものにも成功なんつー概念を介在させてインディビジュアルな活動を抑制するものになったらもう邪魔でしかないよねそんなの。サルトルで言うところの「まなざし」としての他者ですね。そこで見栄えを選択するのか自分を選択するのかっつーところでどんだけダメ扱いされてもやってる音楽なり芸術活動のアウトプットが良かったらっつーとあれだけど一般的な良いということっつーよりかは本人が求道的に求めて磨き上げたものが昇華されたようなものができてたらもうそれはその時点で成功なんだよね。

 

つい何にしても社会性のあるなしってのがアプリオリに求められちゃっててそれが無いとダメみたいな風潮って必ずあるじゃん?なのにも関わらず概念としてはポピュラーカルチャーとしてパンクっつーのは認められてるしただのファッションにしてもパンクファッションなりロックだね!みたいな概念ってのは一般的なレベルで存在してるんだよね。

 

で、俺は別にパンクとかに感化されたことはないけど結局思想的にパンクと一緒だよね。最近パンクについても調べてるけどようはそういう社会的通念みたいなのにファック!と言いつつDIY精神で音楽をやり続けるっていうさ、まぁんでまぁそれは凄く青春っつーか中二っぽい概念なんだけども中二というより中年こそそれだろうって思うのが毎日つまらないじゃん?若い時みたいに女の子を追いかけるとかいつも仲間と飲んでるとか知らないことが色々あって接するたびに感動するみたいなまぁそういうのが慣れによって無くなってくるわけですよね。んで絶望的に生活がつまらなくなる。

 

んでもそれをつまらなくしてるのは自分なんですよね。自分でおもしろくしなくては!って最近の俺は思うようになったって前に書いたけどパンクの本にほぼ同じことが書いてあってあー思想的にパンクなんだなって思ったっつーよりかは基本的にその文化的に規定されたステレオタイプなパンクとかじゃなくて強度を求める姿勢ですよね。あとまぁサステイナビリティ。もちろん永遠と強度が続くというのは難しいんだけど強度が無いと死ぬっつーか生きてけないって人が少なからずいるわけですよね。

 

だからそこで固定概念とか常識にとらわれずにとにかく自分でおもしろくするってことにフォーカスしてもいいと思うんだよね。それが反社会的であっても。まぁここで言う反社会的ってのは他人に迷惑をかけるってことじゃなくて極めて個人的だからこそ脱社会的にもなりうることっていうことだよね。アクティビティ全般にしても仲間とどうだのこうだのっつー社会性みたいなのが求められたりするんだけど関係ないですよね。

 

ただまぁここが難しいところなんだよね。強度を求めて何かやる!っつっても退屈でしょうがないっていうのは受動的に常にデフォルトなんだけどそこでそれをぶち壊すという能動性ってのは退屈だからといって必ず出てくるもんじゃないからね。

 

こないだギターについて技巧をどんだけ極めても本人がスカスカだったら何も出てこないって書いたけどまぁこれってようはロボットがアルゴリズム的にギターを弾けるようになっても上手いかもしれないけどエモーショナルな表現とか人間臭い表現とかが無理なのと同じで人間もまぁそうだよねっていうかそんなエモーショナルな表現なんてできてる人はそんなにいないだろうっていうそこでまぁ技巧とエモーションが両立すると凄くなるんだけどでも救いはエモーションがあれば技巧が無くてもなんとかなるし続けてれば技巧なんてついてくるっていうところですよね。だからそのエモーションなんだよね。

 

それを続けさせるとか録音するにせよ何かを作るにせよやってみよう!って思うことが大変なんだよね。やってみてあまりにありふれ過ぎてると冷めるしそりゃーやり尽くされてるもんな的なポストモダン的状況に絶望したりするしそこでポストモダンっつってもポストモダン的なこともやり尽くされてるからそこでアイロニーをぶちかますなんつーのもありふれたことだからね。ちなみにアイロニーって暗いよね。

 

ヴェイパーウェーヴってあるけどああいうポストモダン的なアイロニーと虚無感をそのまま出しましたみたいなものって凄まじくアパシー的というかさ、そこで退廃的になるんではなくてそういうアパシックな状況に反抗するっていうことがある意味逃避的というかさ、それでも強度を求めるぜ!って現代的な冷めた空気感だと「は?」って感じなんだけどだからこそ!なんだよね。イロニー的ロックというかパンクというかでもそもそもロックにせよパンクにせよそういうもんでしょっていうそもそものダルンダルンの日常へのイロニーなんじゃないの?って思うんだよね。

 

だから取り立ててロック的アティチュードとかパンク的!とかって言わなくても冷める理由は分かるけどそれが時代だといってそれに埋没するとかそれが時代だって思う精神みたいなのにそんなのはクソだ!っていうことだよね。そういう意味でこないだも書いたけどノームコアっつー勢力が最悪の勢力なんであってね、なんでも金セーブでコスパ優先で強度よりは安定とか何も起こらないっていう物質的なミニマリズムもさることながら事象的なミニマリズムっていうまぁそれで同じ勢力ではないかもしれないけどまぁノームコアの勢力の一派としてこないだギターのことについて調べてたらNMB48山本彩が40万円のホワイトファルコンっつーギターを買って批判が出たみたいなことなんだけどこういう消費っていうか高価なものを買うとかさ、身分相応のものを買え!みたいなルサンチマンたっぷりの僻みだよね。

 

最低のThe Last Man勢って気がするんだけどそこで委縮すると別にアイドルじゃなくてもなんか高いのを買ったってのを言えなくなるみたいなさ、今はコスパの時代だみたいな流れだよねっつってもまぁコスパ思想は否定はしないっつーのは音楽もコスパいいからねっつーかライブとかCD作ったりしなけりゃ機材さえ買っちゃえばあと作るだけでモノによるだろうけど常に必要になるものとかあんまりない感じがするしなにより湯水の如く時間を使うから暇することが無いですよね。

 

もう永遠とそれに没頭できるって意味だと他に金使わないっつーか気持ちが散漫だと散在しがちだけど目的がしっかりしてると無駄遣いしないからねっつーかまぁ俺は一切無駄遣いしないですけどね。金を全力自分のために使いますから。

 

あ、んでまぁロックとかパンクはイロニーだって書いたけど脱力時代の熱血というアンチテーゼだよね。別にパンクやロックが掲げてる例えば動物愛護だの人によっては反原発だの色々あるんだろうけど反抗するものってまぁ色々あるわけだし俺は何より時代だと思うしここでも昔から一貫してますよね。クソみたいな世間と社会と時代っていうね、その時代なりのクソさってのが各時代にあるんだろうけど今は今で本当にクソな部分が多くてみんな保守化しているっつーか尖った人とかが滅多にいないっていうね、あと世間的に尖ってるって言われる人が実は全然尖ってないとかっていうところも含めてですよね。

 

過剰なものとかエクストリームなものに感化される人間ってのはどの時代にもいるわけだからやっぱミメーシスを生むような人がいないとダメだよね。だからまぁそんなのも含めて成功とかじゃないんだぜってことが言いたいってなところですね。だからまぁ音楽っつーよりアティチュードとしてのロックとかパンク原理主義ってことだね。なんか俺的に見事に保田師匠的なものとロック・パンク的なものが繋がった感じなんだよね。

 

でもなんだろうね、本筋の世界レベルのアングラ音楽やってる日本人って凡庸な日本人じゃないから特別でまぁようは普通の日本人だよね。そういうやつらの無駄な真面目さっていうかギターっつったらパンクスみたいにとりあえずかき鳴らす!みたいな適当さでやればいいのに真面目だからちゃんとやろうとしちゃうんだよね。

 

まぁ俺もちゃんとやろうとはしてるけどやってることは半分以上は適当にかき鳴らすってことだしでもまぁ実際にそこそこ扱いはマシにはなってると思うしだからなんかパンクに学ぶことって多いと思うんだよね。楽器できるできないじゃなくてできなくてもやりたいパートあったらやっちゃうっていうね、そんぐらいの向こう見ずさと純粋なバカさ加減って必要だと思うんだよね。イノベーションってそういうところから生まれたりもするわけだし。

 

っつーかまぁまだ書くことあるんだけど今日はこの辺でいいや。また書くからねっつーか高柳と阿部の解体的のLP復刻版のCD版がいよいよ出ましたね!っていうか全然音が違うらしいけどどんくらい違うのかが楽しみだわ。高柳ギターコピーのより良い教材になればいいと思いますね。

 

ってことでんじゃまた。