ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/Rockstaによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

テイストは合理性じゃ計れないだろっつーね。

格ゲーなんだけどギターとの両立が無理ゲー過ぎてやめることにしたわ(笑)ガチになると神経使うしそもそもすげーフォーカスできるっつー時間とか労力みたいなのって無限じゃないからメインじゃないほうでそれを覚醒させてそれ終わったらギターでも覚醒ってことがあんまりないからギターに全力を注ぐことにしたんだけどそうなるとまぁー日々地味ですわな。まぁ受験勉強みたいなもんだわ。

 

でもまぁやり方間違ってるとは思うけどね。やりたいことやって自然に上手くなるってのが一番いいわけで早く上手くなりたいから多くの時間を注ぐ!っつーのも分かるけどそれで疲れたら意味ないっつーか毎日やれたほうがいいもんね。まぁ毎日やってるけどそもそもなんつーか日々刺激ある生活ってセレブみたいに豪遊でもしない限り無理だよね。まぁ豪遊してもむなしいというのが事実なわけでまぁその虚しさからの逃避がギターというか練習してればとりあえずいいんだけど毎日これだとさすがに参ってくるよねっていうかこの参ってくる感じってのがやっぱり俺の同じことの繰り返しに耐えられないっつーかまぁ例えば通学通勤にしても毎日同じことの繰り返しですよね。そんなの自分も経験してるはずなのに無理なんだよねー。

 

ギターにしても同じ感じの練習すると飽きるから色々変えちゃって色々やっては中途半端に終わってるって感じなんだけどまぁ良く言えば幅広くやれてるってことではあるんだけどね。ただまぁこの練習法だとアンプよりオーディオインターフェースに繋いでアンプシミュとかでロック調のを練習するならディストーション系のプリセットロードするとかって感じでやってると超捗るっていうかフルアコの生音でロックっぽいフレーズ弾いても弾いてる!って感じがないけどロック系のプリセットでパワーコード弾くだけでテンション上がりますよね。ロックはお手軽でいいわ。簡単ってわけじゃないんだけど。

 

なんかでもさ、ハロウィンとかの店構えっつーとアレだけど「え?もう?」ってなるよね。んでもまぁ来月だからクリスマスとかをもう11月あたりからにおわせるのを考えれば早くないんだけど何気にもう一年終わろうとしてない?って思うとこんな感じであんま上達しないままギター歴だけ長くなっていくとかなかなか無理ゲーだなとかって思って焦るんだけどね、まぁホント、スラスラ弾けないですよ。いや、まぁ実際は4月ぐらいからちゃんと練習し始めたとはいえもう5か月経ってるんだよね。いやーもうそんなに経ったかーって思うとんでもまぁ何かに取り組んでるってのはいいことだなとは思うよね。何もしないままなんの進歩も無いまま一年が過ぎた・・・とかだとヤバ過ぎるけど今のところそれはないからね。

 

一万時間の法則って根拠あるなし関わらずそんぐらいやんなきゃ無理よっていうのの良いディレクションだと思っててそう考えると毎日9時間とか練習して3年とかだもんね。そんなの誰が可能なんだ?って話だよね(笑)まぁだからこれって一万時間蓄積させよう!とかみたいなフォーカスでやるもんじゃなくて自然と計算するとそうなるっていうような自然の所作だよね。時間だけ目標にしてもただの時間ノルマみたいになって意味ないしね。ただなんつーかな、毎日練習する!ってのをとりあえず目標にしててまぁ弾けるようになりたい欲は半端じゃないから毎日練習がメインになるんだけどそれが当たり前になるとなんかのプラスアルファが欲しくなるんだよねってのが前に書いたか。

 

ギター買ったから金使えなかったんだけどようやく一区切りになったんで渋谷行ってきたんですよねっつーかまぁいつもの洋服コースで行ってきたんだけど良いのが見つかるとやっぱテンション上がるよね。なんかこういうのがたまにあるといいんだよね。まぁ外出って重要ですよね。基本的に買っても着る機会が無いから洋服着るために外に出るといっても過言ではない感じだけどまぁこれもぶっちゃけ外に出る出ない関係なく大体みんな同じよね。普段は出勤でまぁユニフォーム的なものなわけで着る機会といったら休みの日の外出ぐらいなもんでそもそも外出自体が減ってるわけでね、着る機会無くなってますよね。ファッション離れって単純にそれもあると思うんだよね。外に出なくていいことが増えたから着る機会が無いというね。

 

なんかいつも同じような話してる気がするんでそれはもういいや。まぁあんま書くことないんですけどね。ただまぁなんつーかディレクションみたいなのってこれだ!っつー直感しかないと思うんだよね。まぁなんか説明しづらいんだけど一気に格ゲーはむしろ辞めたほうがいいって思った瞬間があってんでまたそっから辞めるっつー方向になってそっからまた流れができてきてんでそれが良い感じになっていくっていうあんでやっぱやめて正解だったなって別に辞めたのが直接なトリガーじゃないんだけどなんか一個一個キャッチしてるっていう感じっつーのかな。やっぱりギターってところに戻ってくると確固たるものがあるよね。

 

なんかそれってギターが向いてるとかやればいい方向に行くんじゃないか?とかじゃなくてその場でとりあえずそれが合ってるっていうそういう感じだよね。それを上手いこと選択してなるべくあんまりなぁーって思うようなものはやらないようにすると上手く行きやすいっつーか自ずとツキみたいなスピ的なもんも回ってくるっつーかね、これだ!っていうことにコミットするっていうまぁそれに尽きるよね。なんか結果がどうとかアウトプットがどうとかってことじゃなくて生き方って意味でもうそれは絶対的なもんだと思うんだよね。逆にまぁすげー才能あってもあんまり好きじゃなかったりこれだ!って思ってなかったらダメだからね。

 

多分そのこれだ!への情熱の方が才能とかより大事なんだと思うわ。才能とマッチすればまぁそりゃ最強だけどもね。あ、まぁでも前にも書いたように楽器の才能あっても音楽のセンスってまた別だから超絶的なテクを使ったりすさまじい演奏技術があるんだけど組んでるバンドの音源がクソだったりやってることがクソダサかったりってのはよくあることなんであれですね、必要なのは情熱とセンスですね。この二つが組み合わさると最強だと思うんですよね。

 

まぁ端的に言えば主意主義主知主義のところの主意主義ですよ。今ってそれが失われてるっつーか失われてはいないだろうけどちょっと陰っぽくなってるところはあるよね。前から言ってるけどなんか妙に自己プロデュースが上手いとか理性的なところが上手くて売り出し方みたいなのとか見せ方が上手いとかブログとかSNSにしても戦略的にやってるとかね、なんかそれってまぁ所謂デキる人ではあるけど重要なのってそこじゃないよね。不器用でも必死になんかやってるっていうほうがなんか良くない?(笑)だからまぁ俺って上手いものが好きじゃないんだよね昔から。シカゴハウスとかが好きだったのもそういう下手くそさっていうか上手さを絶対的な基準にしてないグルーヴ感とかなんだよね。

 

かといってもアマチュア臭くて良いというわけではなくてある意味プロフェッショナルなんだけど上手い下手で言えばどっちかと言えば下手だよねっていうテイストのところっていうかね、上手くなるだけならある意味誰でもできるんだけどテイストってなかなか磨けないからね。それが内在されているのか外部からの影響で磨かれるのかまぁ色々あるとは思うけどそういう部分を見つけてそこにテイストなり粋を感じるっつー感覚こそがまぁ俺の言いたいセンスなんだよね。合理性とは真逆ですよ。戦略性も何もないそれこそ合理性から見たら無駄ばかりみたいなものだよね。

 

今情報が並列化してるのってまぁ合理的なものが大体まぁ合理性を基準にしたらそりゃそうなるわなっていう必然性で並列化してるからまぁどれも同じみたいな感じになってるんだけどまぁその陰でそうじゃないものってのがあるんだけどそれは顕在化していなかったり可視化されてなかったりっていうまぁ埋もれてるって言い方はアレだけどまぁあれなんですよね、今の音楽はつまらないとかってまぁ一般的に言われるのも結局はその相対化したときに見える昔のもののRawさ加減とか人間臭さだったりするわけだよね。今はAIが出力したのか?みたいなのばっかなんだけど昔のやつは手作り感覚があったりとかよくこんなのやろうと思ったよなっていうのを平気でやってたりっていうまぁヒューマニズムですよね。

 

まぁヒューマニズムですよねっていう言い方多い気がするわ(笑)まぁでも行き過ぎた合理性の結果ですよ。マジで。それで色々つまらなくなってるわけで。セックスしないとかってのもまぁある種の合理性の結果だよね。そんなに頑張ってやるほどのもんじゃないし何よりオナニー素材が色々あり過ぎて性欲なんていくらでもなんとかなるってことだからまぁオナニー化が進むのは当然なんだよね。でもまぁそうじゃないだろうってところにセックスの良さがあると思うんですよね。例えばハロウィンとかで盛り上がっちゃってそのままヤッちゃったみたいな後になればなんてことをしてしまったんだ!
ってことになるんだけどまぁそれでいいんだよね。いいというかいいはずなんだよね。

 

理性ってのがあり過ぎたり今みたいな情報化で理性的なものが並列化されてそのままプリセットみたいになっちゃうみたいな感じだとAI的っつーとアレだけど合理性から言ったらこっちだよねっていう選択肢かしなくなって凄く居心地の悪いものになるんだよね。なんかまぁ楽しいのってやっぱり酔っぱらって前頭葉とか麻痺して性欲とかがむき出しになるみたいな動物性じゃないですか?でもまぁ合理性とかみんなが普通はするであろう判断とかってのがまぁ本当に重要なことならともかくテイストのレベルまで浸食するとマジでなんかAIがドミネートするような感じになっちゃうんだよね。

 

今のただの思い付きだけどAIが世界を支配するってまぁこういうことなんだと思うんだよね。そういうまぁ合理性っつー選択ってのが予期できるからAIがいくらでも先取りできるっていうまぁその合理性の権化みたいなもんなんだよね。だからまぁ実際にAIが支配してなくてもAI的なものに支配されてるような社会になっちゃうんだよね。そうじゃなくてやっぱりまぁあーダメだと思ってたのにヤッちゃった!酔ってたからすげー魅力的に見えた!とかまぁそれでいいんだよね。AIはそこでヤルということを選択しないでしょう。「今後の建設的な発展性ゼロ」とかって判断してやらないわけでね、まぁそこでやるんだよね。人間は。まぁ全部の人間がそうじゃないんだけど。

 

一般的にミスとか間違いとされることも実際そうなのか?っていう検証は必要だよね。明らかにそうなのはともかく人間性っていう観点から見ると必然というか必要なミスとか間違いもあるわけでね、音楽の良さとかってそうじゃんね?精確性とか求めればそりゃ機械が演奏するのが一番なんだけどそこにテイストは無いわけでしょう。間違いを恐れてはいけないってことだよね。これは失敗を恐れてはいけないとはまた違う概念なんだけど。まぁなんかコンプラの嵐なんてのも間違いとかを一切許さないっつーAI的な監視だよね。

 

まぁそれによってブラック企業とか今までは表に出ることがなかったような組織的な隠ぺい体質みたいなのがあからさまになったりして良いこともあるんだけど行き過ぎると良くないこともあるよねっていうかそこにそこまでのコンプラいらないだろうってところがあるわけでまぁそこが微妙なところだけどまぁあれだよね、ハロウィンでヤッちゃったっていうのを許すか許さないか?だよね(笑)まぁそれも状況によるじゃん?婚約者がいるのに・・・とかの前提だったらアウトだけど冷めきったほぼ終わった付き合いの関係とかだったらまぁ付き合ってるのにヤルのかって話で良くないんだけどコンプラに晒される案件ではないよね。

 

ヤバそうだからやらないみたいな体質ってできちゃうと本当にマズいよね。どんだけそれによって創造性が失われるか?ってところだよね。言わばルールの厳守ってのはAI的思考なんだよね。もちろん守ることがデフォだけどそうじゃないところもあるでしょっていうところだよね。全部が正しさに支配されたらそれは良いようで何気に終わってる社会ですよね。人間が死ぬ社会ですよね。それって。まぁなんかあれなんだよね、例えばAVとかってのは普段禁止されてたり抑圧されてるものがオープンになったりする世界でまぁあれがようは人間のやりたいことなんだよね。

 

っつーか思ったより長くなったのと終わりそうにないからまたなんか適当に書くわ。んじゃまた。