数学と阿頼耶識。

mimisemi2010-03-01

数学の公理って阿頼耶識で言う種子で、定理ってのは阿頼耶識で言う種子生現行だね。演習とは公理系に従って演算する正聞薫習だよね。公理っつー種子を阿頼耶識に植えて正聞薫習することでそれが耕されて、結果的にその種子から定理が生まれるわけだ。まぁそれは人によるけど、恐らく数学的プロセスって大体そうだよね。無いものからいきなり何かが来るってよりかは研ぎすまされた感性と耕された種子から出てくる定理だよね。公理から入って定理に至るというプロセスは仏道で言うところの道理から入って真理に至るというのと同じ事だよね。誰にでも涅槃を得ることが出来る種子は阿頼耶識に存在するって唯識では言うけどさ、まぁそれが本当かはともかくとして、まぁ数学に当てはめると分かりやすいよねっつーかまぁ特別な障害とか無い限りそうだろうなって感じだよね。


なんで数学が道理と言えるのか?って誰でも1+1=2ってことに納得がいくことができるわけだからまぁ成立してるわけじゃん?これはなんつーかかなりアプリオリなものでさ、それこそ阿頼耶識で言うなら元々数学という種子が存在してるとしか言いようがないよね。ヴィトケンシュタインは1の次に5万だかが来たっていいじゃん!みたいなことを言ってたけど、1は1で2は2っつー概念は古代からあったわけでさ、ようは人間にとっての既存のソフトウェアみたいなもんなんだよね。ただなんつーか今は数学哲学みたいな本を読んでるんだけど、1+1=2がアプリオリってなんで言えるか?って難しい議論だよね。かといって形而上学的と言うほど定義が出来なさそうなことでもないっていう。数の定義って難しいよね。凄く。


で、数学哲学ってジャンルがあるわけじゃないんだけど、かなりニッチなんだよね。これ。というのはね、数学者で哲学に興味があって哲学の見識も持っているって人と、逆に哲学者で幅広い数学の知識を持ってる人ってあんまいないんだそうで、んだったら俺はもうこの世界の第一人者になるしかねぇーなとか勝手に思ったね。いや、たまたまだけどさ、俺の場合ね、哲学的なバックグラウンドから数学に目覚めたってたまたまだけど、レアな人材になれるんだったら磨くしかねぇーよな。哲学を捨てずに同時並行で数学とやっていけるってのが最高だよな。まぁ何でも別に捨てる必要はなくてさ、政治学だって捨てないけどさ、ただやっぱ1日で読書してられる時間って限られるじゃん?


日によっては凄まじく読書に気が行くときもあるんだけど、日によってはそれが無いっていうさ、まぁ気分次第なんだよね。気が向かない日はネットやったりゲームやったり映画みたりって感じだな。毎日ずーっと読書していられれば超人になれるなって思うんだけど、なかなかこれが難しいんだな。そりゃー最低まぁ2時間ぐらいは読むよ。ただ俺が言う読書ってのは半日ぐらいかけてやる読書なんだよね。それが毎日できればいいのになって思うんだけど、ずーっと本ばっか読んでると、読書ってことに飽きてくるんだよね。だからなんか気分転換が必要になってさ、で、まぁそういう時にゲームやったり映画見たりするといいんだよね。


で、本なんだけどね、最近買って読んでるのがThinking about mathematicsっつー本でね、これはモロに哲学寄りで数式とか全然出てこないんだけど、なんつーかでも敷居が高いなとは思ったね。今ではまぁここ数ヶ月ぐらいの数学へのコミットのおかげで数学系の知識は増えたからさ、それは公式とかじゃなくて、バックグラウンド的な知識だよね。それが増えたから数学系の本とかも読めるようになってきたけど、数学哲学って本当に敷居が高いね。数学マスターしてる人でもカントかどうのとかさ、プラトンがどうのとかって言われても分からないって人いるわけじゃん?逆に哲学プロパーの人がカントールとかクロネッカーとかポアンカレとか言われてもさっぱり分からないっていう。


でもね、今後って学問の統合って必要になってくると思うのね。特に数学で言われてるのは物理学と数学の統合っつーか、物理学でも数学でも両方の知識が必要になるってことで、別個のものとして分けるんじゃなくて同じように勉強するとか、物理学の世界と数学の世界を繋ぐとかさ、そういうのが必要だとは言われてるっつーのもまぁリーマン予想とかペレルマンによって解決したポアンカレ予想なんかがまぁ象徴的だよね。ポアンカレ予想の証明の説明聞いても数学者はさっぱり分からなかったってこれじゃーダメだろーって思うんだよね。なんかさ、数学者ってラッセルとかホワイトヘッドとかは別として、なんか現行でやってる人達って視野狭くない?って気がしてるんだよね。俺としては哲学無しの数学なんてありえないからさ、数学だけやってる人っていうのの気が知れないんだけどさ、でも数学ってかなり蛸壺化的な要素が多い世界なのかもなぁ?とは思ったね。なんとなくだけどね。


たださー大変だよね。最近なんかすげー大変だなって良い意味で思えるようになってきて。哲学は当然今まで通りやるとして、数学でもさ、数学だけじゃなくて物理学もやるわけじゃん?まぁ数学コースで必須だからやるようにはなるんだけど、なんつーか凄まじい量だよね。政治学と哲学は今まで通りやってさ、んでそれプラス数学と物理学って凄いよね。で、俺が言う数学ってのはロジックとかトポロジーとか全部込みの数学ね。だからやる量が半端じゃない。あとはまぁあれだな、インフォメーションセオリーっつーの?チャイティンを完全に理解するためにはコンピューター系の知識も必要になるしさ、まぁそれはチューリングの本を買ったんで今後やるんだけどね、いや、んで全部繋がってるのね。俺が興味あるのはチャイティンゲーデルヒルベルトカントールチューリングとかなんだけどさ、みんな何かしらの形で不完全性定理に関係ある人達だよね。あとはハイゼンベルクか。あと物理学としてはまずボルツマンとシュレーディンガーをやろうと思っててさ、ただまぁ散漫になり過ぎるとあれだから、まずは手元にある買った本をじっくり精読するしかないなって感じなんだけどさ、学校とか行ってる場合じゃないよね。本当に。


忙しくはないんだけど、でもやることが多過ぎるっていう。幸せだけどね。本当に。哲学読み始めの頃みたいな知識欲の爆発を感じるんだけどね。ただシュトラウスとかプラトンとかマキャベリとかさ、あとはまぁ一気に変わるけどグラムシとかアルチュセールとかムフとかラクラウとかさ、まぁ一通り全部じゃないけど、まぁ色々と読んだけどやっぱ一つ一つ極めないとダメだよね。リファレンスゼロでも全部が頭に入ってるぐらいじゃないとダメなんだけど、これまた時間がかかるわけでさ、数学系に今は手を出してるからこっちのほうはちょっと放置になっちゃってるよね。あとは極めるのとしてはハイデガーフッサールなんだけど、ハイデガーは完全に中途半端なんだよな。文献はあるんだけど読み終えてなくて、しかもあんま集中して読めてないっていう。


あとあれだ、前にも書いたけどスピノザとカントね。ヘーゲルはちょっとヘーゲル関係の本を読んでみたけど、イマイチなんか興味が湧かなかったっつーか俺はあんまヘーゲル好きじゃないかもしれない。あんま興味無い。正直言って。ただスピノザとカントは違うね。この2人も極めたい。だからまぁある意味でマップは出来てるんだよね。やるマップはできてるんだけど、ただやることが膨大過ぎてさ、とにかく読書の時間をくれ!って感じなんだけど、時間があっても気が向かないときとかもあるからね、だからさっき書いたことに戻るんだけどさ、毎日半日ぐらいずーっと読書できてればはかどるのになぁーって思うんだけど無理なんだよねー。


まぁ全部において生涯かけてやっていくしかないよね。ファウスト博士状態だな。本当に。でも俯瞰図が見えてるってのは良いよね。やることが分かるじゃん?あとは読むだけっていう。あ、あとホッブズを忘れてた!極めるものとしてホッブズだよな。ホッブズを忘れちゃいかん!で、あとアメリカのコミュニタリアン系の人達の本とかさ、今はウォルツァーのしか持ってないけど、あとはチャールズ・テイラーとコノリーだね。多元主義系の人達ね。これは前からずーっと読もうと思ってて全然手を出してないんだよなっつーか手元にあるのを読んでいくのに追われちゃってまだ読めない感じ。


あとホワイトヘッドだね。これまた時間がかかりそうなんだけど、こないだ図書館で見つけたさ、800ページぐらいある本なんだけど、ホワイトヘッドの哲学を分かりやすく解説してるような本でね、ホワイトヘッドって文体が読み辛いから読んでてイライラするときがあるんだけど、この本はすげー読みやすくてさ、で、図書館で感動して早速注文したのよね。ハードカバーのやつがいかにも!な哲学書っぽいさ、イギリスの大学の図書館とかにありそうなさ、ハリーポッターとかに出てくるような感じの本なんだけど、ペーパーバックが安かったんでこっちを買ったんだけど、これは読みやすさという意味ではかどりそうだね。手がつけやすい本っていうか。今週には届くかな?


Process and Realityはホワイトヘッドの全体像を掴んでから読むべき本でさ、まぁ最初から挑戦するやつじゃないねっていう。まぁ前にも書いたけど俺の思考法との親和性は高いんで、絶対共振が起こるだろうなってのはあるんだけどさ、まぁ取っ付き辛いから放置になってるんだよね。


いや、俺が学校いらないって言う意味分かるでしょ?自宅が学校なんだよ。マジで。しかもかなりハードなカリキュラムなんだよ。本当に。とりあえず今日書いたプランって今書いたプランじゃなくて、もう前からのプランではあるんだけど、数学が入ってきてて、数学が大きなウェイトを占めてるから、まずは数学から制覇しないとダメなんだよね。まぁたまにはそりゃー違う本を読むにしてもさ、ホント、今の時間がある時を利用して終わらせないとな。マジで。そういう意味でちょっとずつ単位を取っていくっていいんだよね。学校のことに忙殺されないで自分の研究を進められたほうがいいわけでさ、むしろだから今って学校っつーのはこっちの滞在理由でメインでやってることは読書なんだよね。だからまぁ日本でも出来ることなんだけど、ただこの俺の地下でしかもニューヨークじゃないとダメなんだってのはまぁいつも書いてることだけど。


最近また視力が落ちてきたんだよね。本当に。眼鏡してても学校の黒板とか見えないからね。視力ってどんくらいまで落ちるようになるのかな?まぁそれはともかく中途半端で嫌になっちゃうな。どれもかじった程度で極めて無いのが本当に腹立たしい。イライラするね。だからといって早く消化しようと思って焦りながら本を読んでもさっぱりダメだし、速読できるような内容じゃないのばっかだし、だからもう時間をかけるしかないんだよね。本当に。凄いロングタームで毎日継続していくしかない。学問に王道無しってユークリッドが王様に言ったことだけど、本当にそうだね。ショートカットなんて無い。哲学とかはもうだいぶやってきてるからいいんだけど、数学を体系的にやるって大仕事だよな。本当に。俺の場合1からだからさ、本当に時間がかかりそうだよね。で、それプラスある程度数学が出来たら物理学と来たもんだから、なかなかですな。本当に。やることが多くて幸せだけどっつーか多分俺の人生の中でここ数年が最高だな。多分。知識的には。ピークだとは言いたくないけどね。ただまぁ今までの人生と比較すれば凄まじく高い幸せなところにいると思う。学問が出来るってのはそれだけで幸せだよね。


あ、もう寝るわ。学校は仕事と考えるしかないね。皿洗いみたいなバイトだと考えるしか無い。まぁでも数学あるからいいけどね。



これが本文中でも言及した今俺がちょーハマっている本。こんな本が読みたかった!ってののそのままって感じ。最高過ぎる。勿体ないからすげー精読してるんだよね。こんなに良い本は滅多に無いからね。



これは数学哲学のアンソロジーなんだけど、哲学者からロジシャンから数学者まで幅広い人達のエッセイとか講義の起こしが載ってて面白い。色んな意見があるのね。結構カオスなアンソロジーだね。チャイティンも寄稿してたりする。



これが図書館で読んで感動したっつーホワイトヘッドのやつね。分かりやすさに感動したわけよ。届くのが楽しみでしょうがない。



読み辛いけど情報量が凄い。凄まじく体系的で本当に素晴らしい。ドイツ人って緻密な仕事するよねー。ホントに。あ、んでこれは去年日本に帰ったときに買った本で、んで途中まで読んで放置してて、んで最近読み出して感動してる最中なのね。あとちょっとで読み終わるんだけど。



ハイデガーみたいな分かりづらい哲学は分かりやすい解説書から入るに限るね。これもまだ読み終えてないんだけどすげー良い本ね。ハイデガーが分かりやすく解説されてて、しかも新書程度の情報量じゃなくて、これ一冊読めばあとはもう原著に立ち向かえるぐらいの知識が手に入るのが凄い。ある意味で新書って安物買いの銭失いみたいなところがあって、哲学関係で言えば、こんぐらいの気合いの入った解説書から入ったほうが結果的にコストパフォーマンスが良かったりするんだよね。



かなり気楽にハイデガーを感じられる素晴らしい本だね。こりゃ。そこまで難しくないっつーのが本当にありがたい。読みやすいとは言い難いけど、でもまぁこういう哲学に関する本にしては上出来のaccessibilityだよね。本当に。2年前ぐらいに買って読み終えたけど、また再読しようかなー?とか思ったりしたんで貼ってみた。



ドゥルーズは哲学者としては小粒だと思うけど哲学学者としては超一流ね。ニーチェフーコーのやつもあるんでそれは近々読む予定ね。



これはムズかった。訳者の解説がすげー役に立ったね。テキストだけじゃ分かりづらいところが多過ぎる。



で、これが最近買ったっつーチューリングの本なんだけど、高校数学程度の知識で読めるっつーのがいいね。これまたaccessibility最高な本です。