ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

昨日のエントリーの続きみたいなもん。

昨日のエントリーに対してこんなコメントをもらったんだが。

この人に相談してみては 2011/07/18 02:09


http://applo.upper.jp/mind/index.php?id=r1281398805

http://applo.upper.jp/mind/index.php?id=r1200296335

http://twitter.com/#!/Applo_Ink/status/88246258338250752


>Applo_Ink Steven Paul Jacobs
>今の若者達は既に重犯罪を犯すほどの自律性を持ち合わせていないので老人犯罪は徐々に減少するか停滞するでしょう。
>しかし老年期の精神病と自殺率は現在の数倍に膨れ上がることでしょう。精神病理学では
>「離脱困難な抑圧下にあって犯罪ができない者は精神病に罹患して自殺する」とまず考えます。


いや、釣りとかDisりだとは思うし、真剣にそう思ってたら感情をシェアできない感覚に絶望を覚えるけどさ、でもこういうやりとりって例の俺がテーマにした質問者と回答者のやりとりでも見られるよね。俺は質問者がどんな人かは分からないけど文面からは凄く俺と同じような悩みというとアレだけど、感情を持っているなって思えたのね。なかなか見られないぐらいレアだと思ったんで貼ったんだけどさ、質問者があえて煩く言うぐらい回答に対するガイドラインを設けてるのはさ、所謂「そういう類の返信は結構です」っていうさ、グーグルの面接とかで「あー田中さんは結構ですのでー」って笑顔で言われる感じだよね。門前払いというやつか。厳しいけど不毛なやりとりは意味ないどころか不快になったりするから書くのはやめてくれって言ってるのに見当違いなことを書くやつがいるんだよね。


質問者はあの場で今もromり続けてるのかさ、あとはもう「無理だ」って思って諦めてそのまま放置したのかは分からないけど、例えば今回書き込みをくれた@さんやsuckerさんのような恐らくは大枠の感覚を共有できている人達からの書き込みもあれば、今回みたいな「は?」というような書き込みもあるわけだよね。俺の勝手な妄想だと「犯罪率」とかに結びつけるあたり悪意を感じるんだよね。所謂、分からない人達っていうさ、一生鬱病とかにならない人達が「あー君たちはあっちの世界の人達ね」って「精神病」とか「気違い」ってレッテル貼って差別するみたいなさ、こういう人とは色々会って来たし正直「またか」ではあるから全然耐性はあるんだけど、でも必ずいるんだよなぁーって相変わらず思っちゃうね。本当に理解してねぇーなってその理解のしなささ加減とか受け取り方の違いの齟齬がもう言葉とかを尽くしても埋まらないレベルなんだよね。


だからもうそこにコミュニケーションは発生しないし齟齬が元になるコミュニケーションなんて不健全だから俺はやりたくないと思うし、端的に言えば例の質問者の詳しい回答に関するガイドラインもそういうことじゃん?意味ないから最初からシャットアウトさせてくださいって言ってるのにシャットアウトされている側がシャットアウトされてないと勘違いしてズカズカと領域に入り込んで来ちゃうんだよね。まぁネットって場だからしょうがないんだけど、でもネットって場だからこそ細かいガイドラインを設けたわけじゃん?つまりはゾーニングしてんのよ。でもそれはガイドラインってもんが解釈されなきゃいけないから勘違いして書き込みする人がいるんだよね。そういう人との齟齬はもうデカ過ぎて埋まらないからそもそも対話しようと思わないわけじゃん?「ビョーイン行ったほうがいいですヨ」みたいな回答は結構ですってことだからね。


そういうことを言える人が羨ましく思う場合もある人も結構いるわけですよ。その無神経さにね、自分はなんて深い認識の泥沼にハマってしまっているのだろう?っていうさ、彼らのような動物ぐらいの単純さがあればそれはそれで楽だろうなと。でもそこでね、この「悩める」ってことを肯定的に捉えてさ、これも一種の才能だとか考えて考え尽くす場合もあるじゃん?俺がそういうのを考え続けられる環境にいるというのもあるけど、んでもそれは環境関係無しに常についてまわる自分の体の一部みたいなもんだってことで身体化されているって前に書いたんだけどね、でも救われなくてもいいからそれを考え尽くして逃げないってことに自分の存在意義とかさ、主体性みたいなのを見出すこともできるじゃん?俺は動物みたいな生活が嫌だってのがあるけどね。狂ってもいいから真実が知りたいわけで。あと別に考えることとか哲学とかって別に救いを求めるもんじゃないからね。そういうのは前にも書いたように宗教なのよ。俺はそういう単純な宗教に興味はないのね。宗教学になら興味はあるけど。


いやね、んで考えてさ、色々とね、で、自分なりに解決策はないけど感覚の分析はできてるとかさ、それってのが突き詰めれば三木清が言うような主体的真実性に繋がると思うのね。ようはさ、「こうすればいいんですよ!」みたいな他人の感情だけを弄ぶようなさ、一時に高揚感を与えたり饒舌になるような評論ネタを与えたりするっていう表面的でどうでもいいものではなくて、その感覚が分かるものにだけ理解できる真実性のあることってのが自分なりに書ければそれに超したことはないじゃん?書けるかどうかは分からないけどね、でもまぁ今も書いてるし。で、suckerさんからああいう質問を受けてもこれといったことが返せない俺もいるわけだしさ、もどかしいんだよね。とにかく。重くてもどかしいのね。


で、まぁその主体的真実性だけどさ、それは真理的な真実性ではなくて、あくまでその主体が主体として真実性を得られるような意味で真実性ってのを理解できるってことなのね。俺がいつも言っているただ読む哲学なのではなくて全身全霊で受け止めるみたいなさ、それをシンクロ率とかって書いてたりしたけど、まぁそういうことだよね。で、全ての哲学からそういうのが得られるのか?っていうと得られないよね。9割ぐらいスカだよね。それでも教養としての哲学という面もあるからさ、文献は読もうと思ってたんだけど文献バカになるのが嫌だからとりあえず読むだけっていう類の読書を一切やめようと思ったってのは前にも書いたよね。


そのようはカントがどうだのヘーゲルがどうだのってただの史実としての哲学ね。そんな主体化されてないような哲学なんて本当にどうでもいいなと思って。別に哲学研究はいいとは思うけど俺はもう完全に興味無くなったし今後も一切やるつもりはないんだよね。かといっても別にカントとかヘーゲルを読まないのか?というとそういうことではなくて、少なくとも哲学と言われているような哲学書というのは大抵がその主体的真実性において書かれているね、ソフィストが書いたようなどうでもいい評論とかではない意味での思想の塊じゃん?だから自分がそれに合うかどうか?だよね。


あまりにも合わないものを教養として学ぶってのはあんまりもうどうでもよくてさ、やっぱり自分が主体でね、で、その主体性から哲学なりに働きかけることができるような意味での能動的な読書と思索がしたいなと思っていて、それで言うと数学も最近はそう思ってるんだよねっつーのはさ、なんかね、進学とかってのが前提にあったから所謂お勉強的なのも含めてとりあえずはやらなきゃいけないみたいなものは全部マスターしようと思ってたんだけど向き不向きというとアレだけど、数学っつっても色々あるし、今の所興味持てないようなもんが少なくないんだよね。特に高校数学系の本はもう良書でも無理だね。あまりにつまらなくて。いや、俺は恐らく最良の部類に入るであろう高校数学の本をいくつか持っているけど、まぁそれでもダメってことはもうダメってことなんだよね。著者が悪いのではなくて俺が合わないってことなんだよね。


だからもうね、興味があって読んでてウキウキするようなもんばっか読んでてとりあえずそれでいいんじゃないかな?って思ってるのね。今は群環体と解析と確率論と位相だけどね。あとはまぁ幾何はちゃんとやりたいなぁーとは思ってはいるけどね、ただ数学って時間がかかるから、あんま急ぎすぎても身に付かないしさ、だからじっくりやっていこうと思っているんだけどね。


で、んでまぁ数学の話はいいんだけどあれだよね、もう寝るからアレなんだけど、最後に鬱について書きたいんだけどね、ガチで鬱の人は理性的に分析的に考えて死ぬしかないみたいなことは考えられませんよ。そんな分析的な死なんて鬱にはありえないわけで、鬱の時はただひたすら気持ちが落ち込んで自分が何の為に生きているか分からなくて、それで異様に死にたくなるとかね、なんでも死に繋がっちゃうとかさ、んでも俺はまぁ鬱病の薬を飲んでいるし通院もしてるけど鬱状態じゃないじゃん?鬱状態でこんな長文書けると思う?鬱状態でずーっと読書なんてまず無理でしょ。俺は気分障害的なものは持っているけど、別に極度に鬱で死のう思ったりしてるわけじゃないんだよね。


そんなのあえて書くまでもないと思うんだけど。鬱状態が無くなればこういうむなしさは消えるのか?って消えないから問題なんだし、あとは質問者や俺が問題にしているむなしさの恐ろしさは仮にリア充であってもついてくるようなものなんであって根が深いわけよ。病院行ってどうこうとかカウンセリングでどうこうで解決できたら問題ないでしょ。カウンセラーなんてたいしたことないやつばっかだし、哲学的なことを言った所でお茶を濁されるだけだと思うんだよね。そういう意味でこれは病理なのではなく意識の志向性なんだよね。


やっぱそれはある程度頭が回る人じゃないと感じられない感覚ではあると思うんだけどね。で、それはむなしいという部分にフォーカスが行き過ぎているという意味での志向性なのではなくてメタ的なむなしさに対する志向性なのね。リア充生活送っていれば介在しないはずのところにメタ的志向性からむなしさというのが見えてくるって意味で認識のレベルは高いと思うんだよね。動物レベルじゃまず無理な話なわけで。


まぁ色々と一般化はできないんだけどさ、なんかやっぱ誤解されてるよねー。鬱が原因の悩みとそうではない悩みと。分からない人にとっては欧米人にとってアジア人がみんな一緒みたいな感覚なんだろうね。前にある人に俺がパニック発作を煩ってるとかってのが噓だと絶対思ってるって面と向かって言われた事があったな。見た目に自信があるように見えるんで絶対噓でしょって思ってるらしいんだけど本当におめでたいやつだなぁーと呆れてしまったね。むなしさ然り精神病ですら色々な社会的な認識が遅れている日本では無理解やら偏見ってのが凄いよね。


そういう精神的なことに関する世間の理解とかさ、ケアにしてもそうだけど、そういうのが全然ダメだから自殺率が一向に減らないってのもあるよね。それは減らない要素だと思うよね。異常な数の後天的なストレスなどによる精神病の人がいるのにこれといった対策が成されてない感じがするよね。せいぜい世間はもっと理解してほしいって思うけど、やっぱそこは日本やなぁーって思っちゃうよね。話を戻すけど、俺の感じているむなしさがカウンセリングとか薬で治るはら俺は治ってるだろっていう。とっくに治ってるはずだよね。だから原因は鬱とかじゃないわけよ。


そこを俺を引き合いに出すと気分障害なんじゃね?ってところがなきにしもあらずだから世俗的な成功を修めていると思われる人のね、あ、あの例の質問者ね。そんなパーフェクトみたいな環境を持っている人がむなしさを感じているわけでさ、この人は明らかに鬱病じゃないじゃん?意識ってのを分析してみて常にむなしさってのがあるっていう理性と分析によってそのむなしさが明確になってるんだよね。まぁさっき書いたメタ的な志向性って意味なんだけどね。


うん。ってことでまぁーなんつーか鬱の人はこんなエネルギッシュに心的葛藤について書けませんよってことだよね。そもそも体が動かなくなるし布団に寝てるだけでも辛いぐらいになるわけで。実存的な葛藤って鬱からは来ないよね。だって鬱になったらまともに考えられなくなるんだから。まぁその実存的な悩みを考え続けることで鬱になることはあってもさ、鬱が原因でってのはただの脳機能障害なわけで、通院するなりカウンセリングに通えば治るわけよ。まぁ俺は治ってないけどね。カウンセリングなんて受けてないし。


っつーかもう寝ますね。一応明日もご出勤なので。