結局はただのビブリオマニア。

最近、一般向けの数学の本を読んでいてもつまらなくなってきたんだよねってのが当然ながら既知のことが多くなるからね。そうなると歴史とかエピソードとかってもう知ってることが多いから必然的に気になるのは理論的なところでさ、でも読み物として面白くてしかも理論も学べるみたいな本って少ないんだよね。まぁ当然だけど専門家は専門書を読むじゃん?


で、一般の人に書かれる本っつったらまぁなるべく数式が少ないやつっつーかまぁせいぜい高校レベルでも理解できるやつっていうさ、そうなると例えば今の俺ってすげー中途半端なんだよね。一般書はもうダメだけどでも理論だけじゃつまらなくて面白い読み物が読みたいっていうさ、んでもそれって単純な読書欲だよね。だから別に面白い読み物を数学に求める必要はないんだけどさ、そうなるとエンタメが無くなるんだよなぁー。だんだん専門的になると大体そうね。哲学入門!とかさ、哲学タームをズバリ解説!みたいなインスタントなやつって大抵面白いじゃん?でもそういうのって本当に初学者の頃だけ楽しめるもんなんであって、もう色々と読んじゃうとダメなんだよね。


哲学入門系のやつもまぁ入門と言いつつ哲学とは何か?みたいなのが語られてるやつは面白いからいいんだけど、本当の意味での入門だと意味無いっつーか意味なくないけどまぁ知ってる事多いじゃん?で、まぁ結局はもうディティールの話になってくるっつーとまぁ当然専門書ばかりになって、そういうのって別に必ずしも読み物として面白いわけじゃないし、むしろ面白い学術書なんて滅多にないじゃん?だからどうすればいいんだろう?って最近思うんだよね。数学も初歩的過ぎると本当につまらなくなってきていてさ、だからもうドーバーとか安いからああいうの片っ端から読もうかなって思ってるんだけどね。やっぱ俺は本という媒体が好きなんで恐らくネットに探せばあったりどっかに書いてあったりするんだろうけど本で読みたいんだよね。


あと電子書籍に関して思うんだけどさ、あれってシステムとしては断然いいんだけどさ、例えば俺とかって何気にネットとか無駄にやっちゃうっつーかさ、中毒者に比べたら全然なんだけどそれでもかなりのネット中毒なんだよね。だからなんつーか所謂、端末的なものから遠ざかる時間が必要っていうかさ、本一冊とかってすげーストイックじゃん?他にも色々入ってるじゃなくてそれしかないということからくるそれを読むしか無い感っつーのかな?そうでもしないと読破できそうにない本とか絶対あるよね。ネットで簡単に買えるとかだと積読が凄くなりそうだよね。ファイルだけやたらあって未読ばっかみたいな。とりあえずかさばらないから買えちゃうじゃん?んでも読まないっつー。


本って物質感があるからどっかに置いておくとまぁいつかは読むようになるんだよね。面白いもんで。これもようはインターフェースってことだもんね。いや、そのうちあれかな、すげー好きなやつはレコードを買うみたいな感じで物質的に本を買うようになるのかな。いや、でも音楽はやっぱなんやかんやでmp3のほうが管理できるよね。そういう機能性があるけど本ってやっぱ違うじゃん?1時間で終わるようなもんじゃないしさ、逆にファイルとしてあるというだけでの存在感ってどんなもんなんだろうな?って思うよね。電子書籍リーダーっつってもなんつーか前のフェティシズムの話になるけど紙の感じとか好きな人絶対いるじゃん?匂いとか。


本ってそういう意味で五感なんだよねぇ。まぁレコードもそうだけどね。でも音を聞いているときは音だけなのに対して本は常に触れるからさ、そういう感覚的なところでどうなんだろうって気がするよね。今のところ俺は絶対紙の本って思うけどね。まぁ音楽の時にそう思っててんでまぁ見事にmp3にアダプトした感じだけど、んでもまぁ今でも頑固にウォークマン用のやつはCDRに焼いて聞いてるけどね。携帯型mp3プレイヤーがどうしても好きになれなくて。


別にビブリオマニアでもないんだけどさ、なんかでもクリックしてページ数が戻る感じと手で触るっていうかページをシャッフルする感じとかさ、なんつーか読書家の意見ってどうなんだろうね?読めればいいってだけじゃない人達はどうなんだろうね?どうもダメなんだよな。あとforgotten booksだったかさ、青空文庫みたいなね、版権が切れてるやつをそのまま出してるところがあるんだけどさ、それって元の版権が切れたやつの本のスキャンなんだよね。そのスキャンを本にしてるもんだからさ、なんか線がひいてあったりするんだよね。


汚れとかもそのままモノクロコピーされてるんだけど、あれはまぁ実質的に紙の本だけどあの違和感は凄かったな。手放したけどね。で、ちゃんとした体裁のやつを買いなおしたよね。あと最近驚いたのがウィキペディアとかネットで拾える類のものを編集した本とかがあるのね。電子書籍なんだか本なんだか分からないけどさ、例えばヘルマン・ワイルについてのエッセイとかワイル自身の書いたやつとかのフリーになってるやつを集めてコンパイルしたみたいなやつがあってさ、それはワイルじゃなくてドイツの哲学者のやつだったんだけど、なんかああいうのすげー冷めるよなぁ。


なんかさ、俺ってすげーちくま学芸文庫が好きでさ、本の手触りとか紙の質感が凄くいいのとさ、「よくこんなの出すよな!」ってのを出すからなんか本当に偉いなと思って感心しちゃうっつーかさ、そういう意味でなんかレーベル買いではないけど、なんか好きで買っちゃうんだよねっつーかまぁちくま学芸で欲しいのがあるからってことだけど、でもなんかこれも質感とかあとまぁ「こういうの出すなんて本当に偉いよね」っていう関心とさ、なんか応援する感じだよね。


別に英語とかで読めるからペーパーバックを買えばいいんだけどちくまで出てるとそっちが欲しくなるのね。やっぱこれって結局はレコードと同じようなフェティシズムなのかな?って思うんだけどどうなんだろうね。それでも本っつってもフォレスト出版のやつとかああいうのには全く本を感じないので、ああいうのこそ電子書籍でいいと思うんだけど、そう思うとあんまたいした事無いけど面白そうなものを電子書籍で安く買って、んでガッツリ読むやつは本で買うって感じになると思うんだよね。俺の場合は。あとはまぁ本当に一回読んだら終わりみたいな新書とかさ、ようは消費物としての音楽とか本は非常に電子って形態があってると思うよね。


いや、レコード好きには分かると思うけどマーティン・デニーとかレス・バクスターでもいいんだけど、そういうのをCDで聞くって違和感あるじゃん?でもまだセーフだけどmp3になったらもう気持ち悪くて聞けないよね。イマスマックとかもそうだけどああいうのはやっぱオリジナル版が一番良いよねっつってもこれも所詮はフェティシズムだけどさ、まぁ音のアナログ感ってあるじゃん?やっぱ。その音楽に対してはアナログの音っていうかちょっと古めのアナログの音で聞いたほうがいいってやつがあってそれがまぁ俺の場合、ジャズとかモンドなんだけど、本にしても電子書籍で読むのに抵抗がないやつとあるやつってあると思うんだよねっつーか本で読みたいよねこれはってのはまぁあるわけで。なんだろうね。このなんつーかじっくり読みたいやつは本で欲しいみたいなさ、んでも実際はまぁすげー痛むしボロボロになるんだけどね。数学書は大抵そうだよね。


他のと違って読む時間が長いから大抵ボロボロになる。まぁそれが味だったりしていいんだけどね。すり切れるほど聞いたみたいな感じで。まぁ自己満足の世界ではあるけどでもなんつーかこれもこないだ書いた質感だよね。どうも俺はさ、集英社新書みたいな読んだら終わりみたいなやつは全然ウェブなり電子書籍でいいと思うんだけど、講談社新書って本で読みたいんだよね。学術系の文庫ならなおさらだよね。今もテーブルに読みかけの本が乱雑に開かれたまま置かれてるけどこのエントロピーの高さっつーかさ、これでムンズ!と掴んでそのとき読みたいやつを読んでまた置いて他のを読むっていつも基本的に俺はこういう読み方をするんだけどこういうのできなさそうだもんね。


んーやっぱあれだね、まぁいいや。なんか別にたいした話題じゃないからそろそろやめるけどさ、結局はまぁ俺はビブリオマニアだね。紙の匂いとか質感が好きとか言ってる時点でかなりのフェチだよね。結局まぁ俺はレコード好きなわけだからそれが本好きでもまぁ同じようなもんってのはまぁそういうことだけどさ、しつこいようだけど集英社新書とかフォレスト出版の本とかは電子書籍で良くてちくま学芸文庫は本で欲しいってこれって分かる人には分かると思うんだよね。ようはレベルの問題なんだよね。そこそこ高いレベルのものはやっぱ本で欲しくて、んでサラッと読めるやつとか時事ネタを軽くサマライズしてあるようなやつとかはある意味でまぁ雑誌のコラムの延長みたいなもんだから別にそれは読めればいいんであって本として手元に無くてもまぁいいやーって感じだよね。


結局それはまぁ消費型の音楽はmp3で良くてじっくり聞くやつはどうしてもメディアで持っておきたいっつーかそれがCDなりレコードなりっていうさ、んーでもなんかまぁ微妙に音楽の場合と違うんだけどねぇー。でも本好きの人ってハリポタのローリングさんとかもそうだけど絶対電子書籍嫌いだよね。俺は別に便利なら使いたいと思ってるけど、でもやっぱ紙の本が主体だよね。さっき書いたドーバーのやつとかさ、紙の質感たまらないんだよね。ペーパーバック系は大抵触り心地がいいんだよな。めくる音とかすげーいいし。


あ、あと全然話が違ってさ、今ね、デリダの声と現象読んでるんだけど、これ結構面白いのね。現象学の解釈が間違ってるらしいけど、なんつーかフッサールの解説とかじゃないじゃん?ここがやっぱ文献学者との違いなんだよなー。文献学みたいなのを書いてる人が哲学者とかって呼ばれたりするけどさ、デリダとかってやっぱ哲学者だよねぇ。前はボロクソ書いたけど。まぁこの頃のやつがまともでいいのかな。あと幾何学の起源のやつもいいね。ドゥルーズにしてもそうだけど彼らの哲学研究の中で育まれていく彼らの哲学っていうさ、まぁシュトラウスもそうなんだけどさ、哲学研究っていうスタイルで書いてるんだけど、結局は自分の哲学なり解釈がかなり入っててそれが独自の世界を形成してるっていうさ、ここだよね。やっぱ。こういうのを読むと本当に面白いよね。




あと面白かったっつーか味わい深い哲学っぷりですっかりファンになってしまった田辺元の死の哲学ね。田辺哲学はなんか俺に合ってるみたいで結構深く読みたいかも!って思ったよね。この人は元々は数学志望だったんだよね。で、数学あんま向いてないってのが分かって哲学に転向したんだけど、んでも数学の比喩を使った表現とかが色々出てきててさ、んでもインチキポストモダンの濫用とは違って、無難な使い方っつーかその概念を説明するのに数学的な説明をしたほうが分かりやすいっつーんで便宜上やってる感じだよね。無駄に晦渋にさせている感じではないけど、でもまぁ難解な感じは廣松渉と良い勝負かな。んでもそう思うと日本って良い哲学者意外といるよね。死んだ人ばっかだけど。