さぁ数学の話をしようではないか!。

セミョン先生「さぁ数学の話をしようではないか」


耳蝉「まぁ先生が降臨してくれたおかげでまぁそりゃー助かるといいますか、楽ですよね。話を聞くってのはっていうかまぁ数学書読むのって大変ですからねぇ」


セミョン先生「うん。そうだと思う。ということで、今日は初日だから数学論というかね、数学とは何か?というような話をしようと思ってるわけだけど、そこんとこはどう?」


耳蝉「いや、いいと思いますよ。全然。特に断りを入れる必要はないかと。僕は聞いてますから」


セミョン先生「あ、そう。んじゃ始めるけどね、なんつーかこれだけ誤解されてる学問はないなっていうか、相当嫌われてるじゃん?数学っていうかなんていうか」


耳蝉「僕も大嫌いでしたね。あんな役にも立ちそうにないものを永遠にやらされることの苦痛さってナチスだったか旧ソ連シベリアの穴掘りの拷問と同じですよ。午前中に穴を掘って午後に穴を埋めるって作業をやらされるっていう、凄く精神的に来るものですよね。そんなものをなんで学校でやらせてるのか?ってことじゃないですか」


セミョン先生「そこは難しいところなのよ。本当に。でも君も分かってるとは思うけど数学っつーのは算術ではないからね。んでも数学をやるにあたっては算術的なことが必要になるから、まずは算術から入るってのが定石になるのはしょうがないっていうかね、でもそれは数学をやるための計算なんであって計算=数学ってわけじゃないのよ」


耳蝉「ようは文法ですよね。例えば文学を書く事と言語の文法はイコールではないけど、でも文学を書くには言語を使う必要があるから、だから言語を扱える必要があるわけですよね」


セミョン先生「まさにそれね。猫=catというのは英語であり数学とも言えるわけよ」


耳蝉「哲学的な意味で?」


セミョン先生「いや、もっと単純な話よ。んじゃあここは数学っぽくいくけど

命題 ある動物が猫であるための必要十分条件は、それがcatであるということである。


命題 次の各項はすべて同値である。


(a) それは猫である。


(b) それはcatである。


(c) それはchatである。


証明 定義より明らか


・・・って感じね」


耳蝉「犬が犬であるための必要十分条件はそれがdogである・・・っていう一見バカバカしいトートロジーですよね。これが数学か?と言われると実際違和感ありますけど・・・」


セミョン先生「まぁでもそんなもん主観的なもんでしょ?っつーか必要十分条件っつーのは本来そういうもんだよね。一つの概念を別の観点から言い表しているに過ぎないってことよ。同じ事の言い換えね。お洒落に言うとシニフィアンが犬でシニフィエが意味されるそのものってことね」


耳蝉「んーまぁ分かるんですけどね、でもシニフィアンシニフィエって所謂文系っていうかですね、まぁ文系と理系って分け方に問題があるみたいな話は別にして、まぁ便宜的に言うとですね、それって概念の話なんであって数学ではないですよね」


セミョン先生「んじゃあ数でいくけどさ、ある数が6で割り切れる必要十分条件は3で割り切れ、かつ2で割り切れる・・・っていう命題を考えてみよう」


耳蝉「はい」


セミョン先生「3で割り切れ、かつ2で割り切れる数・・・という概念と、6で割り切れる数という概念が同じものの言い換えに過ぎないってことになるでしょ?」


耳蝉「いや、ちょっとよく分かんないです」


セミョン先生「いや、分かるでしょ。そんぐらい。っつーかあれよ、んじゃあ12で言うと12は3で割り切れるでしょ?」


耳蝉「割り切れます」


セミョン先生「同じく12は2で割り切れるよね?」


耳蝉「ゼウスに誓って割り切れます」


セミョン先生「6もまた然り」


耳蝉「はい。6もまた然り」


セミョン先生「なんつーかあれだよね、ロールプレイング的っていうかさ、プラトンのメノンのソクラテスと召使いみたいな役回りをあえて説明を分かりやすくしようとして演じてる感じなんでしょ?」


耳蝉「全くその通りです」


セミョン先生「今後もずーっとそんな感じでやっていくわけ?」


耳蝉「といいますと?」


セミョン先生「いや、この対話をメノン的っつーかプラトン的な感じで進めていくのかってこと」


耳蝉「まぁ気分次第じゃないですかね?メノンっぽいほうがいいかな?ってときはメノンモードでいく感じですよね。まぁあえて僕は召使いになって真実を想起される役回りを演じるっていう」


セミョン先生「プラトニズム的な?」


耳蝉「いや、そういう意味ではなくて分かりやすさってことですよ。別に数学的な知識とか真実が想起によるものだというのを主張するつもりはないし、別に僕はそう思いませんし。


セミョン先生「あっそ」


耳蝉「まぁ言いたいことは分かりますけどね。凄く教科書的な模範的な対話の進め方だなっていう、まぁ面白みがないというかなんというかそういうことですよね。じゃあ雑談でもしますか?」


セミョン先生「いや、その前にあれだ、そのさっきの数の話を終わらせようよ」


耳蝉「っていうか先生、雑談するんですか?」


セミョン先生「うん。数の話をしてからね」


耳蝉「へぇーそうなんだぁー」


セミョン先生「いや、このちょっとした脱線ですらももはや定型だぜ?」


耳蝉「もうそれで言うとアレですよ、話しながら脱構築していくしかないっていう、シニフィアンシニフィエみたいな話も出てきたことだしここはポストモダン的にいきましょう」


セミョン先生「アナーキーな対話みたいな感じで」


耳蝉「いや、アナーキーすらももはや定型でしょう」


セミョン先生「もはや前衛とは何なのか?っていうさ、むしろ行き着く先はフォーマリズムなのか?という」


耳蝉「さっきから尿道がチクチクするんですよね」


セミョン先生「童貞のくせに性病にでもかかったんじゃね?」


耳蝉「いや、ちん毛が絡まったせいかなぁ・・・」


セミョン先生「シモの毛はお剃りになるタチでいらっしゃる?」


耳蝉「剃るというか切りますね。鼻毛カッターで。家族に鼻毛カッターでいつもちん毛を切ってるって言ったら「いやだー」って言われました。


セミョン先生「でもまぁシモとはいえ毛は毛だからな」


耳蝉「ああ。セミョン先生、所詮は毛さ」


セミョン先生「鼻毛もちん毛もクソもミソも同じさ」


耳蝉「いや、でもうんこ汁はイヤですね。スカトロビデオとかでありそうだけど」


セミョン先生「バクシーシ山下だったっけ?糞尿家族ロビンソンだったと思うけどって違うかな?とりあえず包茎の皮の部分をうんこで煮込んで食べるっていうやつはあったよね」


耳蝉「スカトロ好きなんですか?」


セミョン先生「いや、そんなことはないけどね。別に」


耳蝉「それがうんこであるための必要十分条件はそれがshitであることである・・・というのと本質的に違いはないでしょう」


セミョン先生「役回りのリバース」


耳蝉「うんこ→shit→merde→shit→うんこ・・・と同じようにa+ib→(a,b)→aが横軸でbが虚軸でa+ib→(a,b)→a+ib」


セミョン先生「そして見事な永劫回帰諸行無常。数学も常に回り続ける。(a,b)のbも虚軸のbにもなりうる・・・と、同じものを違った見方で捉えて臨機応変に都合のよいパターンで思考するっていうこの対応の精神!変幻自在の変換のフリーダム!自由の楽園!数学の本質は自由にあり!これが数学的思考の本質なのです!!」


耳蝉「素晴らしいアジテーションですね!アジテーションによる思想のコノテーション!人間とは何なのか?実存とは?人生とは?を問う哲学、生きることの辛さ、現世の無常さなどを表現する芸術や文学も・・・もうそれは表出なんですよ!表現なんです!」


セミョン先生「フリーダムから繰り出される無限の数による表現・・・数学とは芸術である」


耳蝉「なんと美しい世界であることか!」


セミョン先生「耳蝉よぉ!お前もか!」


耳蝉「あぁそうだともぉ!セミョン先生!」


セミョン先生「はい。そんなこんなで数学がただの算術ではないことが証明されました」


耳蝉「まぁ計算はプロセスですよね」


セミョン先生「でも世間の誤解はこれだよね。数学と言えば計算!っていう」


耳蝉「でもそうじゃないんだなぁーこれがっていう」


セミョン先生「でもパン・茶・宿直とはすなわちスムースクリミナルということになるのであろうか?」


耳蝉「それは人によるでしょう。でもまぁ宿直の部分は他に比べて非常に宿直ですよね。もうそのままだもん」


セミョン先生「もはやこれはもうマイケル解釈学を樹立するしかなさそうだ」


耳蝉「無数にある解釈をディグるために」


おわり。




数学の部分はこれが元ネタがこれです。他はリミックスっていうかほぼ創作ですわね。