我、燃え尽きたり。

完全燃焼過ぎですね。燃え尽きもいいところだよ。で、燃え尽きて思ったのはさ、DJ Spookyなんかが本とか出してたりプレゼンとかやってるようなリミックスカルチャーってあるじゃん?まぁとりあえずアーカイヴは全部リミックス可能であるってことだったりまぁ全ては素材であるっていうさ、まぁ別にこれはスプーキーの特権的な思想でもなんでもなくてポストモダン的な必然性なんだけどさ、んでもそれで残るのは「で?」ってことだよね(笑)何でも素材だの何でもリミックス可能だのっつったところで何も無いんだよな。実際。あれなんだよね、モジュレーションって映画あるじゃん?テクノバブルの絶頂期に作られた勢いのある映画なんだけど、なんか結局あのぐらいが絶頂期であとは衰退っつーかまぁ別にジャンルとしては残ってるんだけど特に何も無いんだよね。まぁこの何も無いってのをどうあらわせばいいのか分からないけどまぁでも分かる人には分かるよね。この「で?」感なんすよ。まぁ逆に謳歌し過ぎてるからそこからの発展が無いと衰退したように見えるっていう落差みたいなのはあるかもしれないけどさ、リミックスカルチャーなんてのもまぁピークが2007年ぐらいなんだよね。レッシグのコモンズみたいな思想も相まって「今はこれでしょ!」的なさ、モジュレーション的なピークがあったけどさっつってもまぁそりゃ定着してるんすよ。今はリミックスの時代だ!なんて謳歌しなくても勝手にマッシュアップとかmadとかリミックス的なものとはか生まれ続けるんだけどさ、まぁそれはなんつーかそれこそ既存のやり方として定着したからこそ特に騒ぐ感じでもなくなってるんだよね。いや、そんな中で勝手に騒いでるのが俺なんだけどね(笑)


まぁそんなの後から言えばなんでもそうですよ。モジュレーション的な異様な盛り上がりっつーかテクノ系のピーク感とかを「あの頃は良かったよねぇー」とか「なんであんなに盛り上がってたんだろうねー」とかって言うっつーのはさ、まぁそんなもん何でもそうじゃん?いや、何が言いたいのか?っていうとさ、まぁリミックス的なことってまぁ別に新しいことじゃないんだけど定着した感が凄いよね。なんかもう当たり前のことっていうかさ、まぁでも思えば時の流れって凄まじいよね。いや、実際にリミックスバブルみたいなのって2007年前後だと思うのよ。いや、もう7年経ってんだよね(笑)だからもう驚きも何も無くなるのもそりゃ当たり前だよなーとか思うわけよ。だからこそ「で?」感が半端じゃないんだよね。


で、まぁあれなのね、結局行き着いた結論ってのはさ、テクノみたいな固有のジャンルにせよリミックスという手法にせよさ、まぁなんつーかピーク時とかには喧伝されたり盛り上がるじゃん?で、そういうのを過ぎると定着するわけじゃん?で、まぁ変な話さ、過剰な期待とかは裏切られるよね。いや、俺なんかめちゃめちゃ書いてたからね。「みんなクリエイターの時代だ!」なんつって。いや、確かにみんな色々と作れるし著作権とか気にしないで二次創作とか作れるしガンガンやればいいんだけどさ、what is next?なんだよね。今って。これってやっぱまぁ定着してから5年ぐらい経つとある意味で飽和するってことなのかもしれないねっつってもそれ自体が陳腐化するとかではなくてさ、一つのものとして定着するってことなわけであとは好みじゃん?まぁ俺はコラージュ的なものって昔から大好きだったからさ、で、今回作った現代音楽のやつって久々に作ったやつなんだよね。まぁんでだいぶまぁ意味合いが違うなってことなんだよね。昔は好みでやってたけど今はやっぱこういう時代の流れ的なことも踏まえた上でやってるよなぁーってのはあって。まぁ自分の中では何の発見も無いし昔やってたことの繰り返しなんだけどさ、なんかある意味で冷めてるっつーかこないだ動画見てたら宣伝が入ってんで清涼飲料水なんかのCMでNYのリミックスもう味わった?みたいなのがあってさ、まぁようは割とアングラっぽいものだったのがメジャー化したってことだよねっつーかこれは意味合いが違うんだよな。この場合のリミックスってネット時代のリミックスなんだよね。みんなが素材をダウンロードして組み換えするみたいな意味でのリミックスでプロがやるリミックスとは違うんだよね。昔のリミックスはプロによるアレンジ的な感じだったけど今はアレンジっつーよりかはコンポーネンツの組み換えとか組み合わせのバリエーションなんだよね。


とかまぁアメリカに居た頃に色々と書いてた気がするわ。んでも恐ろしいもんでアメリカに行ったのってもう7年前なんだよね。いや、これに驚くわけよ。いやさ、最近ねっつーかまぁ前からなんだけど90年代初期のテクノが好きでんでまぁCDとか安いじゃん?あとは当時は高過ぎて買えなかったテクノ専門学校とか買ったりとかさ、まぁ別にトラック名で検索すればどっかで聴けるんだけどまぁノスタルジー的な意味合いとあとはまぁ当時の感覚だよね。どういう感覚で音楽を聴いてたっけな?っていうね、で、まぁ昔俺が作ってたコラージュってまぁそういう昔の感覚だったわけだよね。まぁ昔の自分だから当たり前なんだけど。で、今の自分もまぁ方法論は同じだけどネットだの音源の手に入りやすさだのなんだのっていう環境も変わった上でやってるわけじゃん?で、やってるのが人力で作りたいんだけど作れないものをコラージュで作るっていうさ、なんかこれってまぁシミュレーショニズムですよねっていう。まぁ実際はただ作りたいから作っただけなんだけど結局まぁなんか凄くコンテキストがあるよね。時代とか流行とか別に気にしてないんだけどすげー時代が出てる感じがするのよ。


いや、コラージュとかやり始めた頃ってやっぱカットアップのスピード感とかが好きでさっていうかまぁやってるやついっぱいいたんだよね。でもまぁ今やっても陳腐っつーよりかはあれだよね、例えばエロ動画でもい映画でもなんでも再生バーを適当に動かしてれば高速カットアップみたいになっちゃうじゃん?昔は無理だったからね。でもパソコンでやれることが増えたんで別にカットアップのスピードとかに新鮮さとか無くなってるんだよね。まぁもう古いっつーのもあるけどさ、いや、何が言いたいのか?っていうとまぁ方法論とかってそりゃ変わるしさ、あとはまぁ新しいのが出てきて定着するんだけど結局まぁ最後に残るのはさっきも書いたように「で?」なんだよね。思えばマッシュアップとかリミックスとかもメジャー化したっつーかいや、もう変な話、10年ぐらい経ってるわけじゃん?2000年から見た10年前ってレイヴとかハードコアテクノの時代っすよ。すげー昔じゃん?でもリミックスとかマッシュアップ的なものって音楽的な方法論っつーよりかはインフラが生み出す手法でもあるんだよなってのをすげー感じるわけよね。だからこれってなんつーか方法論とはまた違う話なんじゃないかな?って思えてくるんだよね。っつーかそのね、俺が今回作ったやつも時代から見れば「今っぽいやり方」になるわけじゃん?でも根本的なアイデアっつーか方法論は音をいじり始めた頃と基本変わってないんだよね。ただまぁ今はマシンのスピードとかハードディスクの容量とかあとまぁ知識が増えたみたいなこともあってそりゃ作るものは変わるんだけどさ、そこでコラージュによってコラージュ的なものを作るんじゃなくてコラージュによって普通のもんを作るってことになってるわけじゃん?いや、カットアップっぽさが無いコラージュっつーのかな?


まぁそこまで上手いかはともかくとしてなんつーかまぁ改めてあれだよね、凄く思ったのは人力で再現可能であるってことがすげー重要だなって思って。ようは楽譜に起こしちゃえば結構何の変哲もない現代音楽になるっつーのを現代音楽のパーツを作ってやるって面白いんだよねってことに気がついてっつーかまぁやってる中で気がついたんだけどさ、まぁこれってポスト・サンプリング的になるのかな?なんて思ったりして。個人的にはそんなのどうでもいいんだけどなんかね、特に考えずにやりたいことをやった結果、すげー時代とのリンクが出るって凄いことだよなって思ったわけよ。むしろコラージュなんてアイデアとしては古いし自分としても散々やってきたことだから新しくもなんともないんだけどそれを今やった結果、色んな発見があったっていう。んでもまぁ「で?」感は残るよねっていうかそんな中での「で?」感なのよ。リミックスカルチャーなんつって喧伝されてるけどまぁ喧伝されてる時期にはもうそれって陳腐化っつーよりかは定着してるってことじゃん?別に手法の新奇性とかにこだわる必要はないんだけど、なんかでも本当にエッジだよなって感じてるんだよね。


マッシュアップとかリミックス的なものですらもメジャー化したっていうさ、で、そんな中で俺はこれを手法として利用して自分なりの現代音楽を作ったんだよなってことなんですよね。いや、何がポイントなのか?っていうとこのなんでもリミックス!とかなんでもマッシュアップ!みたいなノリがいい感じが当事者にはなくなってるってことなんだよね。まぁそりゃそうだわ。当事者はやってればそりゃ飽きるよね。でもまぁ結局俺は切り貼りしかできないから「こんなのを作りたいな」って思ったときに「じゃあこういう方法で作ろう」っつって取った方法が切り貼りなんだよねっつってもまぁそれしか方法が無いってことなんだけどさ、いや、ようはね、このやり方自体が「テクノ」とか「ダブステップ」とかと同じぐらい当たり前の方法なんだよねってことなんだよね。何の変哲も無いラディカルさゼロの普通の方法論になってるわけ。


んでもあれなんだよな、これってまたリミックスカルチャーとかとは違うんだよね。リミックスカルチャーってやっぱヒップホップ的なのよ。でもあれなんだよね、やりたい放題できるマッシュアップとかパーツの寄せ集めっつーよりかはそのまま楽曲を使ってるみたいなやつとかも「自分が作りました」っつってドヤ顔でいられるってこととかね、ようはこれって配信なんだよね。ちゃんと作ってる人もフリーで配信してて、んで俺みたいに色々と使いまくってるっつーか自分から発しているものが一切無いってのでもフリー配信ってことで配信には変わりないじゃん?昔の場合、それを流通させるにはアングラな感じでcdrとかにしてブートとして出さなきゃいけなかったけど今って関係ないじゃん?で、聴く側もそれがブートなのかなんなのか?って関係ないんだよね。マッシュアップをリミックスだと勘違いする人もいるし、んでもそんなのどうでもいい話なんだよね。それが出来上がっているっていう現前性のみっていう凄くマテリアリスティックな感覚っつーのかな?


別にそれで商売するわけじゃないんだから素材を使いたい放題しても特に問題ないだろってまぁ法的に問題ないわけじゃないんだけどまぁ問題ないよねっつってやりきるのがまぁフリーカルチャー的な思想じゃん?で、俺のやつはマッシュアップにせよなんにせよ特に時代とか流行とか気にしないでやりたいようにやっただけなんだけど結果的にフリーカルチャー的なコンテキストにぴったりなものになってるっていうなんかこの流れの自然さっつーのかな?そこに驚きを感じるんだよね。すげーマッチしてんじゃん!っていう。でも皮肉なことにマッチしてても逆にそういうフリーカルチャー的な意味合いで言えば定着してて新奇性は無いじゃん?むしろフリーカルチャー的なノリで作ったんだとしたらかなり寒いんだよね(笑)んでも俺的には自分の歴史の中の必然性と音楽の流れの必然性みたいなのが一致してる!っていう感動があるんだけど、んでもアウトプット自体に意味合いはないじゃん?ただまぁそれだけってことだよね。


だからその「で?」っていう感じがあるわけ。でも自分の中では感動してるんだよね。でもそれは伝わらないし私的なことだから伝える必要も無いしそれってまぁ音楽と関係ないことじゃん?そんな中でやっぱりそれはそれ自体として音楽として成り立ってないと意味無いよねって改めて思ったんだよね。なんかね、そこで思ったのがさっき書いたことなんだよね。生で再現可能であるっていうことね。これ自体がある意味での音楽としての独立性を担保するよねって思ったわけ。まぁただの一面ですよ。それは。別に生で再現可能なものが音楽ってわけではないんだけど、でも採譜して生で演奏もできるって観念的にすげー重要だなって思ったんだよね。いや、それがなんつーのかな?凄く作る上でポイントになるのよ。ようは切り貼りだったら際限なくなんでも可能になるけどある程度の人数を集めれば再現可能な音楽にするってことになるとそこに型にハマった意味でのフォーマルな音楽っつー意味合いが出てくるんだよね。いや、ここがすげーポイントなんだよね。カットアップ的ではないコラージュってこれなんだよね。


どうでもいい話なんだけど「これは現代音楽です」って言うためにはこれってむしろ必須なんだよね。適当なコラージュじゃなくて生で演奏されることを想定された音楽であるってことが重要なわけ。でも別にそれは再現性の問題で音楽理論に則ったちゃんとした音楽である必要はないのね。ただ再現できるっていうことが凄く大事なわけ。むしろ現代音楽だって言い張るならその条件を満たしてないと話にならんだろうって思ったわけで。いや、コラージュってやりたい放題だから何でもできちゃうんだけど、そんな中で俺が面白かったのはさ、現代音楽を作るってことにこだわることだったのよ。そうなると良い意味で音色とかも決まってくるわけよ。ようは使えるものとか構成要素として組み込めそうなものってのが良い意味で限られてくるんだよね。こういうなんつーか逆の意味でのフォーマライズなんだよね。コラージュ自体にフォーマットも形式も無いわけで何でもやっていいわけじゃん?音なら何でも使えるわけだから。でもそこでテーマを現代音楽ってことにすることで音色とかが決まってくるわけじゃん?そんな中でも使える音は色々あるって中で生で演奏可能であるってことにフォーカスすることでさらに音色とか形が決まってくるんだよね。自由すぎると逆にどうしていいか分からないわけじゃん?今回の場合、すげーこの現代音楽っつー形式によって全体が成り立ったっていう感じがするのよ。まぁ悪く言えばその形式に頼ったってことだよね。音楽を作りたいってのとテクノを作りたいって違うじゃん?後者は明確に形とか形式があるわけだよね。まぁそんな中でもそりゃ自由度は高いんだけどさ、でも完全な自由ではないよね。そこが妙に心地よかったんだよね。逆にやりたい放題しかやってこなかったから妙にこういう形式ってものが自分の中で新鮮なのかもしれない。思えばマッシュアップだって歌モノっつー形式の中であえてやるってのが楽しかったわけじゃん?そういう意味でまぁなんつーか思いつきでやった割には自分史的な意味合いがすげー強いものになったんだよねぇー結果的にってことになったわけよ。


んでこれは「で?」的な帰結に対する自分なりの回答にもなったわけね。サンプルされたものが演奏されるって意味で。まぁあれだよね、生→サンプル→生っていう構造だよね。だから今のバージョンは生→サンプルに留まってるバージョンで本当のバージョンは生で演奏されたものってことになるわけよ。でもまぁそれは無理なんでサンプルで留まっているっていうことだよね。いや、ポイントはさ、アウラが戻るってことなのよ。フランケンシュタインに生が宿る的な意味で。生演奏することでアウラっつー属性が付与される余地があるものってことなんだよね。その状態自体に意味があるっつーのかな。あとこれって元の楽曲をそのままにしておく論理的な整合性も結果的に与えるんだよね。いや、こないだも書いたようにさらに細かく各トラックにエフェクトだのmax/msp的なリアルタイムプロセッシングだのをかませていくっていうやり方もあるんだけどそれをやると結局生→サンプルのままじゃん?まぁよくあるサンプル音楽と一緒だよね。それが何で生で残っているのか?っていうのはようはそれは楽譜だからってことなんだよね。だからピッチをいじったりしないし過剰な切り貼りとかをしないっていうことに関しての整合性が保たれるんだよね。いや、なんでトラックを加工したくなかったのか?ってつまりはこれに尽きるわけなんだよね。


いや、これって俺がマッシュアップにこだわる理由でもあるんだよな。切り貼りしたり加工しちゃうとそれってリミックスになるじゃん?これになると一気に興味が失せるんだよね。なるべくそのまんまであたかも二つの楽曲を同時再生したらこうなりました的な自然で粗野な感じが残ってる風にしたいんだよね。これってマッシュアップが持ってるsavageな感じだと思うわけよ。俺はこれに魅力を感じてるから作ってるんだよね。切り貼りしてトラックを強調したりよりリミックス寄りにするって結局なんか作り手の主張が出すぎててつまらないっつーのかな?そういうのにもう興味ないってことなんだよね。そうじゃなくてもうホントにただの二つの曲のテンポを合わせただけなんですっていうさ、実際は作りこんでたりもするんだけど見た目はそうしておきたいんだよね。そこのsavageな感じだよね。これってマッシュアップの暴力性でもあるわけよ。でも加工して素材にして自分のリミックスの素材になった途端にそれってもうサンプリングじゃん?サンプリングも暴力的だけどマッシュアップってもっと暴力的じゃん?この暴力性なんだよなー。あと結局エゴを出すとさ、自分のリミックスにしたい!ってことでどうしても手を加えたくなっちゃうんだよね。それがまぁ言わばガキの衝動っつーかガキ臭い欲望なんだよね。いや、そうじゃなくてただの組み合わせの所産なんですっていうのを示すだけでいいんだよね。まぁ人々がどう思うかはともかくとして俺はそっちのほうがよっぽど作家性っつーか表現性を感じるんだよね。俺が面白い!って感じるマッシュアップは大抵これだもんね。


素材が素材のまま残ってて間違ってもそいつの表現のための素材にはなってないってことね。それ自体が現前してるってことがすげーポイントなのよ。逆にサンプルっぽい使い方をするなら最初からリミックスをすればいいわけでマッシュアップである必要ないわけじゃん?いや、これって伝わりづらいだろうなとは思うよ。kid606とかgirl talkとかはそれがトラックとして成り立っててもあくまでマッシュアップ的なのよ。リミックス的じゃないのね。マッシュアップ的なものをリミックス寄りに近づけたものってのが俺的にすげーダサいわけよ。かといってもサンプリング音楽がダサいってわけじゃなくてサンプリング的なリミックスをするんだったらそれこそ初期のサンプルだらけのヒップホップとかさ、まりんのファーストとか初期のコールドカットみたいなサンプルを使ったかっこいい音楽ってあるわけじゃん?それをやれよって思っちゃうんだよね。そこをマッシュアップに頼ったらそれってスキルの無さをマッシュアップ的な要素に逃げてるだけじゃんって思っちゃうんだよね。だからそういう意味でリミックスとマッシュアップって全然違うんだよね。手法は似てても。


あ、んでさっきの楽譜云々の話に戻るとさ、音楽理論は分からないしまぁ楽譜は読めなくは無いけど書けないけど「これです」って示すことはできるってことなんだよね。でもそれを示すにはアイデアが必要だし「ここにこれが必要です」っていうこの指示自体でいいんだって話なわけなんだよね。俺は音楽を書けないからその指示を既存の楽曲を使うことで示すってことじゃん?それの集合が今回のやつってことだよねっつってももちろんこういうテープ音楽的な手法によって起こる偶発性によるものってのもあるわけで別に全部自分の明示ってことではないんだけどね。切り貼りの魅力はやっぱこれだよな。たまたま混ざっちゃって良い感じになったとか切り忘れてたところをそのままにしてたらそっちのほうが良かったとかさ、まぁこれはあれだよね、シェフェール的な意味でのミュージックコンクレートとシュールレアリズムの表現の関係性だよね。むしろこれってさっき書いたような何でも過剰にコントロールしようとするエゴからの解放じゃないですか?全く意図してなかったことが偶発的にやってる最中に起こるって本当に救いだよね。全部コントロールしました!みたいなのってガチガチさって残るじゃん?だからなんかそういうのは嫌なんだよね。カットアップ的ではないんだけどコラージュが持っている偶発性とか暴力性はそのまま使いたいっていうことだよね。だからそういう意味で音楽理論を勉強して自分で楽譜を打ち込めばいいんだって話ではないんだよね。コラージュで作るから自分が作りたいのが作れるわけで自分で作ったらクソつまらないのが出来上がるのは自分が一番分かってるわけですよ。


あとまぁあれだよね、別に楽譜から作らなきゃ曲として成立しないなんてことはないじゃん?それはリズムが主体のダンスミュージックとかでは明らかなのにクラシックとかになると自明じゃないっつーかまぁこれもただの先入観なんだよね。なんかクラシック系って楽譜っつーイメージが強いんだよね。音楽の授業でやるから楽譜なのかなんなのかとりあえずバッハって言葉だけで連想されるのがあのバロック顔と楽譜とか音符じゃん?ようはただのイメージなんだよな。いや、何が言いたいのか?っていうと伝統的に楽譜から音っつー流れが普通だったわけじゃん?でもダンスミュージックとかの場合、ヒップホップなんかもそうだけどビートのループに何かを乗せる的な即興的なものから生まれたっつーのもあるし譜面のイメージないよね。まぁ差と言えばこれだけなんだよな。だから別にそれがクラシックだろうが現代音楽だろうがサンプルとか音から楽譜みたいな流れでも全然オッケーじゃん!ってことなんだよね。まぁそれで言うとあれか、リュックフェラーリだな。最初にやった人は。やっぱあの人はレジェンドだよなぁー。んでも現代音楽ってリュックフェラーリとかテープ音楽系に限らず発想がサンプリング的だとは思うんだよね。まぁようはこれってモダンの特徴じゃん?あ、でもそれはこないだも書いたように19世紀の人たちってのは18世紀のアーカイヴをサンプリングして使いまくって色々やってたわけだからまぁ基本的に過去のアーカイヴを使いまくるって芸術系での王道なんだよね。そう思うとこれってすげー正当な作曲法ってことになるよね(笑)むしろ音大とかでやるような人工的な音楽プログラムとかって19世紀後半とかだもんな。しかも例によって駄目過ぎてドビュッシーなんかがめちゃめちゃ批判してたっていう。まぁようはサンプリングして盗んで学べってことですよね。


ストラヴィンスキーなんかも「A good composer does not imitate; he steals」っつってるもんね。まぁようはさ、大体の音はもうどっかに録音されてるって考えるんだよね。ありうる音のパターンとか音色の組み合わせとかなんてやり尽くされてるからベストなのをサンプリングすればいいってまぁグレングールドもそんな発想だったからね。で、自分のベストな演奏ってのを一回録音しちゃえばあとはもう別に演奏する必要は無いってまぁホント、その通りですよね。いや、それをグレングールド風に演奏するとかさ、そんなことやると劣化コピーになるじゃん?なんで良いものを劣化させる必要があるのか?ってことだよね。だからベストな音の組み合わせで曲を構築するのが一番ってことになるよね。あ、んでさ、あれなんだよね、これは前から書いてるけど全部ソフトシンセとかでやってるようなダンスミュージックって世界的に流行ってるじゃん?EDMとかって言うらしいけどあれほどつまらないものはないよね。なんかmidiの時代に戻ってるっつーかみんな似たような音色と曲の作りでさ、それこそmidiデータを内蔵音源で鳴らしてますみたいなのばっかだもんね。なんかそういうパターンの配列とか羅列とかっていうそういうことじゃなくて質感じゃない?なんでみんな昔のファンクとかからこぞってサンプルするのか?って音が太かったり質感が独特だったりするからじゃん?だから「これがクール!」ってことになってそれを抜いてきてループさせるってことになるわけだよね。


いや、なんでみんな似たような音色のEDMを作るのか?ってあれなんだよね、ようは環境じゃん?それが一番経済的っつーか金かからないしさ、全部パソコンで済むからなんだよね。っつっても金をかけるわけにはいかないんだけど金がかかった音を取ってくるっつーのは別にいいじゃんね?いや、あとあれじゃん?スタジオミュージシャンに演奏させるなんつってもどっかにありそうなフレーズを弾かせてるだけじゃん?ただそれをオリジナルのものにするために呼んできてやらせてるだけで多分、全部サンプルオッケーになったらわざわざ呼ぶ必要なんて無いんだよね。それでも呼ぶ必要があるのはそれがメインになったりするやつだよね。ブリンブリンのベースがハネまくってるとかさ、それはやっぱすげープレイヤーにそのトラックに合ったものを演奏してもらうのが一番いいですよ。まぁでもこれって金かけられる人以外無理だからね。


だからまぁ俺みたいなやつがなんでもサンプルして何かを作るって最高の再分配なんですよ。アーティストから盗むっつっても物理的にそれが盗まれるわけじゃなくてコピーされるだけでアーティストへの損害って無いわけだよね。で、まぁ物理的にアーティストって富も得てるだろうけどさ、いや、それこそ金あるんだから音源提供しろよって話だよね。貧乏な若いやつに金を恵んでやれとは言わないけど音使っていいよってなるだけでそれで金稼げたり仕事できたりするやつ増えるんだったら知的財産って絶対共有したほうがいいよね。いや、アイデアはいいのに打ち込みが下手とかさ、勿体ないじゃん?いや、逆なんだよな。特にアマチュア系だと打ち込みはめちゃめちゃ上手いんだけど音のセンスが全く無いってやつが多いよね。なんかこのバランスって絶対逆だと思ってんのよね(笑)音のセンスがあるやつほど打ち込みとか細かいやつがあんま好きじゃないっていう。だからそういうやつってサンプルベースで音楽作ったり大味なやつとか作るとすげー良いの作ったりするじゃん?やっぱこれだよね。どうせ食えないしそもそもそれで稼ごうとしなけりゃいいんだからさ、あとどうしたってオリジナリティなんて出せないわけだから自分が良いと思う音を使ったほうがいいわけよ。結果的にそれをやりきったほうがオリジナリティ出るよね。まぁやっちゃうやつは勝手にやってるから別に啓蒙するようなことでもないんだけどさ。


いや、ましてや現代音楽なんて生の演奏とかオーケストラに演奏させるとかまず無理じゃん?だったらもうサンプリングとかそのまま部分的に使うとかそれしかないでしょ。まぁ基本的に今の世界の流れみたいに若いやつが勝手に好き勝手やってアップロードしまくるって流れはいいんだけどなんかクラシックとかジャズみたいなハイブローなやつって駄目って感じしない?いや、ジャズはそうでもないのか。まぁやっぱクラシックだよなっつってもクラシックってやたらマッシュアップ系ばっかだよね。あとはトラック打ち込みなおしてトランス風にするとかブレイクビーツと混ぜるとかさ、いや、そうじゃなくて丸ごと綺麗なストリングスとかそのまま使っちゃえばいいんじゃない?って普通に思うんだよね。あんなの普通にしてたらまず誰も弾いてくれないような音なんだし。あとさ、パーカッションとかにしても広いところで録音された激しいやつとか凄いよね。いや、あれほど打ち込みで再現できないものもなかなかないだろうってぐらい生は最高だよね。そういう意味でクラシックマニアとかが音質にこだわるのもちょっと分かるような気がしたんだよね。生音使いまくっててホントに生音の良さに目覚めちゃったね。なんで逆にデジタル臭い同じようなデジタルシンセみたいな音をみんな使ってんだ?って思うぐらい生はヤヴァいですね。っつってもまぁそれでダンスミュージックは作れないだろうってのは確かにあるにしてもまぁようは質感の話なんですよ。だからダンスミュージックっつってもやっぱサンプルベースのやつとかやっぱ質感そのものじゃない?あとはすげージャンキーな音使いしてるやつとかね。なんかとりあえず世界の「打ち込み化」が酷いんだよね。サンプル使えないとかっていう規制とかがあり過ぎてみんなその辺で手に入るようなソフトウェアシンセ使って同じようなソフトで同じようなパターンを打ち込むしかなくなるんだよね。だから世界がフラット化するんだよね。なんでこんなに音が似るのか?ってそりゃそうだよな。使ってる機材とかがみんなPCだからなんだよね。似るのは当然だ。


いや、これが嫌だよね。いや、サンプル使い倒せれば使いたいのはいっぱいあるって人が使えないってのが駄目なんだよね。だから使えないとか使ったら法外な金を請求されるってこと自体が創造性を妨げているって話は本当に道理が通ってるんだよね。しょうがなくて打ち込みやってる人もいるわけで。いやさ、あとまぁそういう質感の話で言うとなんで昔のテクノはいいのか?ってやっぱアナログシンセだからっつーのは大きいよね。ほとんど構造とかは一緒でも良い意味でチープなアナログシンセとかリズムマシンとかさ、やっぱこれなんだよね。あーでもそうとも言えないか。創生期とかからテクノ作ってた人って全部デジタル化してもやっぱ音作り上手いっつーか独特の音作るもんなぁー。まぁそういう意味だと機材云々じゃなくてやっぱセンスなんだよな。あとあれね、昔のテクノっつってもエレクトロリバイバル的なダフトパンクみたいなやつは本当にクソだよね。いつも書くけどダフトパンクってシカゴハウスみたいなのを作ってた初期がいいわけで。電子音っつってもまぁ色々あるからね。一概にアナログがいい!とは言えないってことなんだけどただなんかさ、電子音ベースの音楽って増えたじゃん?まぁそりゃこんだけソフトで作るのが楽になれば増えるよなぁーって思うんだけどなんであんな音使いをするのかな?ってのが本当に多いよね。


人気があるEDM!なんつーと大抵ケバい電子音ばっかだもんな。あれじゃホントの意味でのノイズだよね。なんで世の中で流行るっつーか大衆ウケするのってローなもんばっかなのかな?電子音自体がよく使われてるって良いことだと思うんですよ。あとまぁ90年代の小室サウンドみたいな偽者のすっかすかの似非テクノみたいなのが流行るよりかはよっぽどいいんだよね。まぁそれ言い出したら今のほうが良いよ。あ、そりゃ過去と比べたらそうなるか。そうなると逆にEDMなんつってケバいけどダサいスカスカなテクノみたいなのが流行ってるわけじゃないからまだいいのかな。まぁでもあれだよね、パフュームとかにしてもそうなんだけどさ、あと日本の同人音楽みたいなのもそうなんだけどなんでああいう音なのかね?とは思うよね。なんか同人音楽系の音って独特だよね。ボカロのやつとかもそうなんだけどなんでああいう意味でチープなのかな?っていう。アジアンチープミュージックじゃん?あれって。チージーでキッチュな感じがいい!って意味じゃなくてマジでチープなんだよね。もっとマシな音を選べる余地がある中でなんでああいう音を使うのか全く理解できないよね。だから世界で受けないんだよね。日本だけで終わっちゃってるんだもん。そういう意味で海外のってヒットするのは世界でヒットするじゃん?音は好きじゃなくてもチープじゃないんだよね。


いや、あとさ、ゼロ世代みたいな連中が作る電子音楽に特有なのがクソみたいなドラムセットね。なんであんなmidiのプリセットみたいなドラム音を使うのか全く分からないよね。いや、そう思うと俺ってホントに90年代に良い音楽に接してこられて本当に良かったな!って思うんだよね。今の若い世代の連中ってデフォでクソみたいなチープな電子音楽が氾濫してる中で育つから音の質感とかのセンスが本当に悪いんだよね。で、面白いことにちゃんとしてるのって俺と同じかちょい下ぐらいの世代なんだよね。それより若くなるとみんな一気にセンスないボカロみたいな音使いなんだよね。面白いことにそれは別に日本に限らずってことなんだよね。PCベースの音楽がデフォで育ってきちゃった世代って本当に惨いよなぁーって思うよね。良い音楽を聴いて育ってないんだろうなーって思うよね。まぁそういうやつに昔のテクノのよさとかを語ったところでおっさんの戯言にしか聞こえないだろうからまぁそれはジェネレーションギャップってことですかね。でもまぁ凄い確信があるよね。あいつらは絶対間違った音使いをしてる!っていう確信がある(笑)


俺と同じような世代でテクノとかハウス聴いてきて育ったやつだったら満場一致で「この音は無いでしょ」ってのばっかなんだよね。いや、そう感じてるのは俺だけじゃないだろうなって本当に思うんだよね。だからなんか世代間の断絶とかがあるんだよな。俺もなんか嫌だもんね。ああいう音使いをしてる人たちって。そういう意味だとこれまたいつも書くようにYMOからの流れって良いんだよね。YMOチルドレンなんつってまぁ実際に括っていいのか分からないけど電気グルーヴ周辺の人たちとか渋谷系の人たちとかアングラなテクノの人たちでもちゃんと音楽を丁寧に聴いてきてるんだよね。そういうのが音使いに現れてるのよ。で、そっから断絶があるんだよね。俺とかの世代は電気グルーヴとか渋谷系とかのチルドレンなんだけどまぁ特にこれといって活躍してる人が前の世代に比べていないってのがまずあるよね。その結果なのか音の伝達がされてなくてんで下の世代がPCベースの音使いがクソみたいな音楽をネットで聴いて育ってきてるんで結果的にそういうやつが音を作り出すと最悪になるんだよね。それが現状って感じがするわ。まぁあれだよね、ポリシックスだよね。完全に継承してた人たちって。あれ移行無いんだもんな。だからまぁ電子系は全滅だよね。でもまぁそういう若い世代のバンド系は面白いからいいけどね。打ち込み系が全滅ってことですわな。


いや、そんなわけだから電気グルーヴ世代の人たちはなんか作らなきゃ駄目よ。あとはドラムンベースとかでもいいんだけどああいうゴリゴリの感じとかやっぱ伝えていかないと駄目だよね。あーでもゴリゴリなのって特にハードテクノとかってヨーロッパではリバイバルしてるみたいね。その俺が言う駄目な世代がハードなミニマルテクノとか聴いて興奮してるらしいんだよね。まぁそれはめっちゃ良いことだと思いますよね。とりあえずあの初音ミクみたいな宅録ボカロサウンドだらけになったら終わりですよ。ホント。いや、同人の人たちが同人だけでやってるならいいんだよね。そこに文句を言う必要は無い。ただ結構メジャーな仕事をしてる人たちでもああいう同人音楽に近いようなセンスが無い音使いしてるの多いじゃん?ああいうのはマジでマズいと思いますよね。いや、電子音楽で言えば日本なんてジャパニーズテクノとかって言われるぐらい世界的に通用するテクノを作ってたオリジネーターだらけの国なんですよ。まぁもうみんな今はおっさんですけどね、なんかそういうテクノ大国だった日本でクソみたいなデジタルのPCベースの似たような音の電子音ばっかが溢れてるってなんかすげー勿体無いなぁーって思うんだよね。あー受け継がれなかったんだなぁーっていつも思うもんね。


なんかやっぱ俺は愛し続けなきゃいけないなって使命感みたいなのが出てきたよ(笑)自分が好きな90年代のハウスとかテクノとかドラムンベースとかさ、やっぱ最高な時期の音を知っててやっぱり今でもそれが大好き!ってもうそれ自体が価値のあることなんだなって思うんですよね。そうじゃない人もいるわけだから。俺と同じような世代だって音楽聴くのが遅かったりしたらもうデジタル系のつまらない音楽がデフォになってる時代の音楽ばっかなわけじゃん?なんかねーもうホントに90年代を多感な時期に味わったっていう経験はね、一生モンだなって思ってますよね。いや、こないださ、90年代前半のテクノのミックスかなんかがyou tubeで上がっててコメント欄にさ「俺は16歳なんだけどこういう時期に生まれなかったのが本当に悔やまれるよ」なんて書いててさ、ようはLSDとかやりまくってアシッドだのアンビエントだのっつーを浴びるように聴いてたっていうその過去がまぁなんだろうな、ロックで言うところのウッドストックみたいなレジェンドになってるんだよね。だからああいう世代に生まれたかったって思うってことでしょ。凄くセンスのよい16歳だよね。みんなこの子みたいだったらいいんだけどそうじゃないからね。ホント不味い音楽だらけだよね。


んでもあれよ、アイドルの曲とかはいいんだよ。良いって意味じゃなくてどうでもいいってことね。問題は電子音を使った音楽の音色のマズさなんだよね。それが若い世代に顕著だっていうこれが大問題なんだってことなわけで。あとまぁテクノレジェンドだったような人たちも現在ではシンプルな音を作ってたりするから今の音ってあんま参考にならないからね。みんなそういう意味だと静かになったよなー。昔は派手なもんばっか作ってたやつらがすげー地味になってるんだもん。なんかこれが凄くつまらないなって思うよね。だからなんか90年代最高!っていうことになっちゃうんだよね。ホント、多いよ。そういうやつ。テクノの12インチとかyou tubeで聴けるじゃん?「あーこれが最高の時代だったんだよなー」っていうコメントマジで多いんだよね。あーでもあれだね、GTAとかSaint Rowとかまぁああいう類のゲームで使われる曲のチョイスはいいよね。いや、黄金時代の音源で固めてたりするじゃん?いや、作ってるやつらがそういう音楽を経験してきた世代なんだよね。だからああいうチョイスができるんだよな。


あ、んで書き忘れたんだけどさ、話は戻るんだけどまぁね、いや、全部の音はもうどっかに録音されてるって仮定するとってさっき書いたじゃん?これってまぁあれなんだよね、アーカイヴ化された音っつーかまぁ録音された音っていうのが言わばサウンドスケープなんだよね。川のせせらぎの音に著作権無いじゃん?それを録音して楽曲に使っても何の問題も無いよね。まぁようは世界で鳴ってる音の一つなんだよね。音楽っつーか録音された音って。いや、サウンドスケープって言えるぐらい音を聴くのが容易じゃないですか?accessibilityだよね。んでもあれなんだ、実際の自然のサウンドスケープにしてもそうなんだけど良い録音機材で録音されたものが良いに決まってるじゃん?まぁ一概にそうとは言えなくてまぁそれは価値の問題なんだけどようはさ、サウンドスケープも別に自分で録ってこなくてもいいんだよね。サウンドスケープ系の録音物をディグって良いやつを使っちゃえばいいわけで。なんかすげーコストフリーじゃない?どうせ金にならない音楽をやるにはこれがベターって気がするんだよね。何でもかんでもフリー化してるっつーのを自然の流れとして捉えたら作るやり方もまたなんでもフリーっつー流れが必然な気がするんだよね。別にフリー化を謳歌するわけじゃなくてそういう流れになってるじゃん?異を唱えてもしょうがないぐらい当たり前の流れになってる。だからまぁそんな中ならではの音の作り方ってあるのが普通って気がするし、んだからまぁそんな中でマッシュアップとかマッシュアップ的なリミックスとかがデフォルト化するのも自然な流れだよなーって思うわけね。あとまぁ使う音自体がさ、昔はレアなやつから取ってきたとかね、普段からディグしまくってるDJとか音楽マニアの特権だった気がするんだけどさ、今って誰でも取ってこれるじゃん?っつーか音のレアさが無いじゃん?違法ダウンロードも含めれば実質的に音源なんてフリーみたいなもんなんだからさ、いや、そんな中で色々と作られてるんだよね。法がどうっつーよりそうなってるってなんか不可避な流れって気がするよね。コントロールしようとしても自然現象って起こっちゃうじゃん?それと同じなんだよね。これって。


いや、これって「今はフリーカルチャーの時代だ!」とか「リミックスせよ!」みたいなマニフェスト的なことじゃなくてそういうマニフェスト的なものがあってからもうすでに8年ぐらい経過してるってことなんだよね。で、改めて考えるともう本当にデフォ化してるっつーか一つの手法になってるじゃん?特に斬新でもなんでもなく当たり前のことになってるんだよね。だから次は何なのか?ってのがすげー気になると同時に今回の俺のやつってまぐれで自分なりの「次」っつーか自分なりのポストサンプリングみたいなことができちゃったなぁーって思ってるんだよね。まぁそれがサンプルで生のものを作るってことなんだけど。んでもまぁこれって今色々と思いつきで書いててさ(笑)まぁそりゃいつも通りなんでも思いつきなんだけど、なんかもっとその演奏可能性ってのを意識的にやってみるのは面白いかもなぁーって思ったんだよね。現代音楽をもっとガチでやるみたいな意味でね。


んでもまぁ今回のやつって使ったやつの大半が現代音楽とかだからさ、複雑なデジタルプロセスとかによって生み出された音じゃないからほとんどアナログなんだよね。だから生で演奏可能になってるんだよね。結果的に。まぁもちろん生でやる場合はもっとやりやすいような編曲にするべきなんだろうけど前提として生でやるやつってのがあるってのが俺的にすげー意味があることなんだよね。それによって俺じゃできないことが可能になってるわけじゃん?オーケストラとかを使うような曲なんて書けないけどサンプルで作っちゃうっていう。まぁこれがさっきも書いたような楽譜から音じゃなくて音から楽譜ってことなんだよね。そもそもコンセプションっつーか概念があればあとはそれをどうリアライゼーションするか?って話なわけでさ、だから方法がサンプルを使うってことでも別に実現できてれば何の問題もないんだよね。かといってもだから音楽理論なんていらない!ってことじゃなくてサンプルで作るからこそオーケストラの知識とか作曲の知識とかってすげー必要になるんだよね。逆説的な意味で。まぁ別に今回のやつはそんなの意識しないで作ったけどやっぱ面白いんだよね。結果的に音楽理論が必要になるっていうことがすげー面白い。やってるのは切り貼りなのにより良く実践するには音楽理論の知識とかがあったほうがいいっていう。っつってもまぁ別に理論に則ったカッチリしたやつを作るって意味じゃなくて相変わらず伝統的な意味ではめちゃめちゃで理論も何もあったようなものじゃないんだけど、でも音楽理論も踏まえてそういうのをやってるってことが大事なんだよね。そこは感覚だけじゃなくて理性も使うっていうような意味で。っつってもまぁあれですよ、年寄りが老婆心で「音楽理論も知っておいたほうがいいよ」程度のものですけどね。いや、そんなにフォーマルなものに固執するつもりは無いわけで単純にああいう音楽が好きなんで自分なりの亜流がやりたいってことだけだからね。いや、それに尽きるね。


なんか長くなったからもういいや。あ、んでさ、若い世代の駄目な音使いってあれなんだよね、逆説的にそれは俺がおっさん化したからで若い世代の感覚についていけないだけなんだみたいな言い方ができると思うけどそれは絶対違う!って断言できる自信があるってことがさっき言いたかったことね。それはまぁゲームとかの話でも同じだよね。生粋のゲーマー世代って俺より一つ上のバカリズムとかの世代なんだけどまぁ俺の世代もゲーマー世代なんすよね。クソゲーも多かった中で特に和ゲーの黄金期に浴びるようにゲームをやってきたわけだから何が良ゲーなのか?ってのが判断できるじゃん?っていうかやっぱそういう黄金期にいたからこそ育まれた感性ってのがあるわけだよね。だからこそ最近のゲームと言えないようなくだらないゲームとかに対して絶対的に「あれはクソだ」って言えるわけよ。んでやっぱスカイリムとかダークソウルとかは圧倒的な良ゲーなわけよ。この判断に絶対的な自信があるっていうことなんだよね。それが俺の世代はデフォでそれ以降はそうじゃない人も増えてきたってことが言いたいわけね。さっき全滅とかって書いたけど別にみんな駄目ってことじゃないんで。なんつーかね、共通概念っつーかコモンセンス的に最低限のラインってのが暗黙地であってさ、「これは無いよね」って暗黙の了解で「そうだよねー」っていうようなのがあるってのが崩壊してるってのが俺より下の世代ってことなんだよね。で、それは音楽にせよゲームにせよ黄金期以降の氷河期世代に多いってことでそりゃ氷河期に育ってきたんだからまぁしょうがないかーってことなわけよ。


んでもそれで俺は黄金期を味わえて良かった!的なことじゃなくてそれを懐古的な意味じゃなくて本当の良さを知ってる人として何らかの形で伝えていかないといけないよねって思うんだよね。別に押し付けてもしょうがないし「良い音楽ってのはこういうもんなんだ!」なんて言ったところで結局は趣味の問題だから伝達もクソもないだろって言われればそれまでなんだけどね、いや、だから逆に気になるのがなんで90年代までは伝達が途切れること無かったのかな?ってことなんだよね。それこそ戦後の音楽からディスコからテクノからジャーマンロックからエレクトロニカから音響まで途切れてないじゃん?この辺がようは最後なんだよね。俺ぐらいの年代が最後の世代でそれ以降になぜか断絶があってありえないぐらい悪いセンスの音を平気で使ってそれを平気で聴く人たちが増えたってことなんだよね。で、やっぱこれはネットによるものが大きいよなーって思うわけなんだよね。レコード屋とかCD屋とかに行って買う音楽じゃなくてその辺に転がってる音楽をそれが同人音楽だろうがCDのリッピングだろうが雑多に聴いているってことで何もかもが相対化されたことで画一的な流れみたいなのがなくなったのかなって気がしてんのね。あとはまぁ最後の世代も音作ってたけど儲からなくてやめちゃったとかさ、実際に色んなジャンルで2007年ぐらいを機に全然リリースしてないっていうアーティスト多いもんね。いや、明らかに音楽不況の影響を受けてるなっていう。


そんな中での不可避的なフリーカルチャーなんすよね。金をかけてCD作るって時代じゃなくて金をかけずに超ローコストのトラックを作るってことだよね。別にCDとかっていう媒体にはこだわらないっていう。そんな中での伝承された世代の活躍よりもセンスの悪い新世代の活躍が目立つってことなんだよね。ようはネットがデフォの世界で音楽を雑多に聴いてきた連中のセンスが無い音使いのものが溢れてるってことなんだよね。まぁでも別にみんなが勝手にやるってことだから別にそういうのが多いことの弊害って無いんだけどね。それで他のアーティストの活躍の場を邪魔してるとかじゃないじゃん?基本タダなんだから。んでもなんかさ、俺とかの世代って人によっては考え方がやっぱ古い人っていてさ、良いのを作るんだけどリリースにこだわる人多いよね。CD出してナンボだからフリーのリリースなんてしたくない!っつーまぁ抵抗ある人が多いんだよね。そこをネット世代はタダが当たり前なんで古いCDみたいな媒体にこだわる理由がむしろ分からないっていう。だからあれなんだよな、CD出したらプロとかってことじゃなくてとりあえず良いのとか面白いのを作ればいいってことなんだよね。


で、配信の形態は明らかにフリー化してるからそれはもうその流れしかないでしょって思うわけよね。いやさ、それでもCDにしたい!って分かるんだけど売れるはずのものすらも売れてないっつー世界なわけだからそれはあきらめないと駄目だよねって言うかただのノスタルジーなんだよってことを認めないといけないよね。あとまぁあれだろうな、フリーってことになるとさ、金がかかってようがアマチュアだろうが同じような場所で聞けるってことになってさ、いや、俺のやつはブランドのセレクトショップみたいなお洒落な場所で売ってほしいんだ!とかっつーのも分かるんだけどそれもまぁノスタルジーじゃないですか?ネットでフリー配信ってのがある種下品なのは分かるけどそれは流れだからしょうがないよねって話なんだよね。あとあれなんだよな、ここで面白いのがさ、散々CDとか出してきた人のトラックとかが全然人気無くてアマチュアのやつのほうがよっぽど人気あったりアクセス数あったりする場合もあるじゃん?なんかそういう場に出したくないっていう抵抗もあるんだと思うんだよね。いや、アマチュアに負けるってのが眼に見えちゃうわけだから怖いんだろうなっていう。


あ、そろそろさすがにやめるけどさ、それでもやっぱ人気あるやつって関係ないのよ。それが過去のCDからのリッピングだろうが同人音楽だろうが基本的に人気あるやつってのは何かしらの普遍的な良さってのを持ってるんだよね。それはまぁ大衆的なものも含めてなんだけど。むしろメディアがどうのとかタイアップがどうのとかってのが機能してないから直に音で判断されるってことでむしろ配信とか評価の方法としては何気によっぽど今のほうが健全なんだよね。んまぁだからAKBとかじゃないにしてもさ、CDのアートワークとかさ、ブックレットとかでパッケージの価値で出してきた人たちのやり方ってのが通用しなくなってるんだよね。直に音っつー世界だからね。いや、それでいいんじゃないかと思うわけよ。豪華パックで出せるなんて結局は資本があるやつ勝ちの世界だけどフリー配信の世界だと配信力みたいなのが資本に依存しないんだよね。で、さっきも書いたけどもう稼ぎまくってるアーティストとかは貧乏な若いやつらに音源を提供するっていう意味での富の再分配をすればいいししたほうがいいじゃん?ってことになるわけよ。そうなるともうさ、基本的にインフラ整うからね。資本なり機材が充実していることによる特権で出せるクオリティみたいなのに音が左右されなくなるじゃん?これって何気に理想的な世界なんだよね。古い世界でやってきた人にはすげー抵抗があることなんだけど何気に今のほうが本当の意味での音楽の流通としては理想的なんだよね。


ただまぁその反面さ、生音を使うようなダンスミュージックとかがなかなか作れないっていう難点はあるよね。CDでコストが回収できないから作れないっていう難点はあるけどこれはもうどうしようもないよね。音楽の金銭的な意味での価値は下がっちゃったわけだから。だからこそあれじゃん?帰結になるけど生音はサンプルしまくるべし!ってことになるわけよ。経済的に厳しすぎるし音楽を出したところで儲からないんだから元手はかけられないんだからだからサンプルしかないでしょ!ってことだよね。そういうサンプルをもうリッチになったミュージシャンとかは今後のために提供していけよ!って話なんだよね。全部サンプルフリーになったら作られる音楽って絶対増えるじゃん?実際に今回俺は作ったわけで(笑)まぁフリーじゃないんだけどフリーって想定でやれば作れるものが増えるってことだよね。そういう意味でのシミュレーションでもあったわけよ。で、まぁ俺的に相当手ごたえがあったんで今後もこれでやっていこうかなって思ったわけですね。


ということなんでした。んじゃまた。


あとあれ、念押しなんだけど若い世代っつってもバンド系はなぜか面白いのが多いんだよ。で、バンド系の人たちのほうがちゃんと音楽を聴いてるって感じがするんだよね。



ホワン・アトキンスとデリック・メイが逆になってる(笑)