サンプリングとコピーの違いっつーかなんつーか。

いや、最近さ、コラージュっつーかまぁ作曲って結局何なのよ?的な話をしてるじゃん?そんな中でまぁネットでも色々と調べるわけよ。で、面白いのがコラージュっつーか盗作系の話ね。J-POPなんてパクりだらけだけど検証動画とかが上がってるんで具体的に分かるんだよね。まぁやっぱりチャンピョンは菅野よう子だよな。で、こいつは呆れたことにインタビューとかでメロディが天から降りてくるからあとはそれを譜面に起こすだけだとか他人の音楽は聴かないだとかなんだとか天才キャラを作ろうと必死なんだよね。で、まぁみんな騙されちゃってる感じか。なんで音楽系って多いんだろうな?こいつも佐村河内と変わらないわけよ。あんだけパクっておいて他人の音楽は聴かないとかメロディが天から降りてくるとかそりゃ無いだろっていう。あと懐かしい名前だけど田口ランディっつー作家のパクリが酷いらしくてパクリ検証本とかが出てたりすんのね。で、まぁあれなんだよね、ネットってこういうキーワードで調べるとさ、またそのキーワード自体が別のキーワードを呼ぶじゃん?で、コラージュについて調べてたっつーかまぁ作曲って結局何なのか?みたいなのを調べてるんだけどいつの間にか盗作の話ばっか調べることになっちゃってまぁそれがなんかさ、コンテンツとして成り立ってるぐらい面白いんだよねっつーか大胆なコラージュとかをする人が人を驚かせなきゃいけないっていうかまぁさ、センセーショナル的なね、方法論としてそういう大胆な手法を取っている人が与えなければいけない衝撃をパクリ作家が与えてるんだよね。


で、呆れたことにNHKの復興ソングまでパクリと来たもんだ。不謹慎さでは佐村河内と変わらないだろってマジで思ったね。あと中田ヤスタカもきゃりーの曲でなんか話題になってたみたいね。でもまぁこの人は元々パクリの人だからね。いつも書くけど。結局元ネタがバレるかバレないかだけで基本的になんかから持ってきてるんだよねっていうかさ、この二人ってすげー似ててさ、中田ヤスタカを追ったテレビの特集がネットにあってそれを見たことがあったんだけどその中で他の人のライブに行くのがあんまり好きじゃないみたいなことを行っててね、で、理由ってのがライブに行って何分か聞くともう分かっちゃってあとは自分でやりたくなるんだそうだ(笑)作曲の定義が凄いよね。いや、それってギターノイズ鳴らしてるライブを見に行って「自分でもできる」って思って家に帰って自分でやりたくなっちゃうってレベルじゃん?これって真似じゃん?それを趣味で真似るならいいけどそれを楽曲として出して飯食ってるって凄い話だよな。


多分彼らにしたらこの何かの組み換え自体が作曲なんだろうね。あとあれだ、名前は出さないけどさ、盗作がバレたとかで自殺したっぽい作曲家とかもいるのね。まぁでも自殺するのはまだ分かるっつーかまぁ盗作は盗作だけど相当悩んでたっていうのが倫理的な意味で情状酌量の余地があるっていうのかな?いや、完全にバレてるのに全く悪いっていう自覚もなく「曲なんてすぐ作れてる」っつって他の曲の組み換えだけで曲作ってるとか感覚がおかしいよね。普通どうしても似ちゃったりとかするもんだからそこでオリジナリティを出そうとしてんでも出せなくて悩んだりするわけじゃん?でもまぁ何本も作曲を受けて仕事するようなタイプはそもそも芸術家タイプじゃないんだよね。ビジネスタイプのやつらはそういう感性が無いんで全然パクリとかそのまま曲を持ってきてちょっと変えて出すみたいなことに後ろめたさがないんだよね。


あとまぁいつも出すけどさ、坂本龍一とか久石譲とかもパクリな人たちってことでいつも名前を出すけどレベルが違うよね。菅野よう子に関してはパクリというよりかはコピーだもんね。曲の構成とかまでそのまま持ってきちゃうんだもん。ありゃ完全なキチガイですわ。あんま興味なかったんだけど面白いなぁーと思って調べてたらだんだん笑えなくなってきたんだよね。もう度合いが違うんだよね。ホントに。で、共通してるのが佐村河内とかも一緒なんだけどメジャーで成功してる人たちなんだよね。つまりは大衆を騙すことに長けている人たちだよね。あと騙すことが道徳的にどうなのか?ってのを一切考えないのね。んでも大衆は騙されてホントにしょうがないのよ。いや、音楽好きが聴くような音楽じゃなくてアニメのサントラとかさ、そういうのじゃん?別にアニメを見てるやつらが音楽レベルが低いとは言わないけどまぁ普通の人が聴く確立が高いじゃん?で、まぁ普通の人だったら聴いてなさそうなやつをコピーされても元が分からないからコピーって分からないんだよね。だから「この人凄い!」ってことになっちゃう。んでも凄いのは当たり前なんだよな。元があるんだから。まぁあとよく言われるようにコピーって劣化する場合があるけど菅野よう子は劣化させずに上手いことそのサントラなりその仕事の音に定着させるってことなんだよね。まぁでもコピーはコピーですよね。


で、かなり気になるのがそれはサンプリングだっつーんだけどさ、コピーとサンプリングは違いますからね。馬鹿なやつが一緒くたにして菅野よう子がアウトなら初期のヒップホップなんて全部アウトだみたいなことを言ってるのを見かけるんだけどさっていうかまぁ馬鹿の発言だからどうでもいいんだけど、これもまぁでも馬鹿じゃなくても勘違いしやすいことではあるのかな?って思ったわけよ。ようは確かにそのまま持ってくるって意味では一緒だから概念的に見れば似てるよね。でもサンプリングってのはそれをそのまま持ってきて使うってことなのよ。電気グルーヴのシャングリラはサンプリングなんであってシルヴェッティのパクリじゃないんだよね。で、菅野よう子みたいなやつってのはシャングリラのあのストリングスの部分を自分で打ち込みなおして自分の曲だっつって出すんだよね。で、モチーフをどっかから取ってきたとかって明記もしないしメロディが降ってきたとか嘘つくもんだからそのメロディがあたかも作曲されたかのように思えちゃうんだよね。これってまぁ詐欺師とかの錯覚のトリックと一緒だよね。それをおおっぴらにやってるっつーのがすげーなと思って。


あとまぁサンプリングで言えばあれですよね、JBのファンキードラマーのブレイクをループさせるのはそれはJBのパクリなのか?っていうとパクリじゃなくてサンプリングですよね。パクリってのはドラムパターンとかをそのまま盗んできて自分のものに組み替えて使うことなんですよっつってもこの場合、いや、同じじゃないですかって言われるとなかなか説明が難しいよなー言われてみればってことに気がついたんだよね。全く普段音楽聴かない人が馬鹿なやつがパクリとサンプリングとかを一緒に語ってるのを見たら「そういうもんなんだ」って思っちゃうもんね。なんかこういう間違いの伝達だらけっつーかそういうので世の中って成り立ってるから間違いだらけなんだよね。何を今更って話ではあるんだけど。


あと話は違うんだけどコーネリアスの凄惨ないじめの話とかが出てきたりして完全にコーネリアス終わってんなぁーとかって思ったんだけどさっていうかネットがメジャーじゃなかった時代の雑誌の発言とかがそのままネットに載っちゃうから残っちゃうんだよね。で、内容が強烈なんで「こいつはゲスだ」っていうのが伝達し続けるっていう。まぁこれは間違いじゃない伝達の例なんですけどね、まぁでもホントに本人はこんなになるとは思ってなかっただろうな。あ、んでその渋谷系もパクリだらけだったみたいな話があるわけよっていうかまた勘違いしてそんな風な言い方をしてるやつがいるんだけど渋谷系っつーのはサンプリング文化ですからね。明らかな60年代とかへのオマージュとかサンプリングってのをそのまま出してやってるわけよ。だから自明なんですよ。これは手法としての引用じゃん?まぁリバイバルと言えるか。仮に今いきなりサイケロックが流行ってサイケロックやりだすバンドがいたらそれって引用っつーかリバイバルで過去のスタイルを参照してるわけじゃん?パクリとは違いますよね。


あ、んでもあれなんだよね、そういうサンプリング文化だから何でもありかっていうとそんなことはなくていや、知らなかったんだけどさ、コーネリアスファンタズマっつーアルバムの曲でドイツだかの前衛的なバンドの曲のイントロがそのままみたいなのがあるらしいんだよね。ギターが入って咳が入ってどうのっていうそういう構成が全く同じらしいんだけどこれはパクリですよね。んでも渋谷系っつーコンテキストだとオマージュって言っちゃえばそれまでみたいなところもあるからなかなか難しいんだよね。いや、渋谷系みたいなサンプリング文化が楽なのはさ、基本サンプリングで成り立ってる世界だからベタがいたるところで通用するんだよね。ベッタベタのボサノバとか素でやったら恥ずかしいようなのがオマージュとかリバイバル的な意味で通用しちゃうんだよね。それが一種のキッチュなスタイルになるんだよね。んでもイントロの構成をパクってくるってのはサンプリングじゃなくて構造的なコピーじゃん?


タランティーノの映画って他の映画のパクリで成り立ってるわけじゃなくて映画マニアならではのサンプリングで映画が成り立ってるわけじゃん?パクリってのはあれよ、例えばハリーポッター的な世界観のものが流行ると似たような小説とか映画が必ず出てくるじゃん?これはサンプリングじゃないですよね。いや、俺的にサンプリングとパクリの違いも分からないやつがいるのかってのが相当驚きなんですよね。まぁでもこういう具体例があればすぐ分かると思うんだけどんでもそれでも分からないやつがかなりいるみたいでもうこりゃ駄目だなーって思ってるんだけどね(笑)んでも不味いのはさ、俺みたいに何でも使えばいい!っていうサンプリング的な意味で何でも使えばいい!っていうようなことがパクリもいいんだ!みたいになりかねないってことなんだよね。


サンプリングとパクリの区別がついてないとそういうことにもなりかねない。でも俺はパクリは容認しませんからね。まぁこんだけ人と同じことが嫌なやつがパクリを容認するわけはないんだけどんでもしつこいようだけどサンプリングとパクリが同じってことになっちゃうと本当にこれは困りますよね。フリーカルチャーにしたって意味合いが変わってきちゃうじゃん?あ、あれだ、エロ同人誌が良いサンプリングの例だわ。エヴァでもけいおんでもいいんだけど全く同じキャラで別のエロい話が展開してるってのは二次創作でパクリじゃないよね。パクリは同じような年代の女の子がジャズバンドを組む学園モノみたいなのがあったとしたらそれはパクリってことだよね。まぁキャラとか登場人物とかも似ててただやるのがジャズになっただけだったらまぁそれってけいおんのパクリじゃないですか?サンプリングじゃないわけですよ。


んでもなんかさ、あれだよね、時代を感じるわ。サンプリングカルチャーってのがやっぱ90年代カルチャーだったんだなってのを凄く感じるわけよ。だからパクリもサンプリングも同じだみたいな話になっちゃうんだよね。あと当然ながらアレンジャーとパクリ作家って違いますよね(笑)菅野よう子は優れたアレンジャーなんだっつって擁護する立場があるけどいや、アレンジでやってるならそりゃ誰も文句は言わないけどあれは本人作曲っつって他の人の曲をコピーしてるから問題なわけじゃん?この論理で言えば佐村河内は作曲家じゃなくてプロデューサーなんだってことで存在が正当化されちゃうようなもんじゃん?やってることは同じでもやり方っつーか出し方で全然倫理的な意味合いが違ってきますよね。いや、だからよく優れたアレンジャーなんだっつって擁護する立場があるよなぁーとかって関心しちゃうんだけどね。まぁでもあれだこれ言い出すとまたいつもの馬鹿が多い話になるんでやめるわ。これはあくまでみんながネットを使うようになったんで馬鹿も色んなところで発言するようになったってだけで馬鹿が増えたってことではないんだよね。だから別に嘆く必要はないんだよね。ネットがインフラ化したってだけの話で。


あ、あとさ、蛇足かもしれないけどかなりヘビーな話するとさ、コーネリアスの壮絶ないじめの話なんだけどさ、確かにまぁあんなコンテンツでいじめを自慢するような内容のものを平気で雑誌に載せてたとかまぁ当時の何でもあり感は行き過ぎだよなとか思いつつやっぱりここで出てくるのがクズが作ったら作品は全部クズになるのか?って話だよね。あ、あとちなみにまぁ当時はそんなにリアルタイムに追っていたわけじゃないけど当時のサブカルの流れの中で鬼畜系とかエログロ系みたいなのが流行っててさ、それで言うと中原昌也コーネリアスが自分の鬼畜さを自慢しあってる対談とかそんなのもあったんだよね。「普通猫ってレンジにいれてみようって思わない?」みたいな感じのやつね。ちなみに村崎百郎なんかは鬼畜系の元祖とかって言われてるよね。キャラでああいうことやると大変なことになりますよっていう例になっちゃったわけだけどそれはコーネリアスも同じだよねっていうかまぁキャラだったのか地だったのかは分からないけどああいうことをネタにするなって話だよね。まぁみんな自業自得になってるんでほら見たことか的な感じはあるんだけど。っつっても鬼畜趣味と実際にそれを実行するってのは全然違うじゃん?当時は結構曖昧だったんだろうなって思うね。


ちなみに俺も鬼畜系は大好きなんで凄まじくグロい映画とか鬼畜過ぎるAVとか好きだけどじゃあ実際に人が殺されている悲惨な映像を見て楽しんでいるのか?っていうとそれは違うじゃん?鬼畜ってまぁようはスプラッター映画とかのカルチャーって意味なんだよねっつってもまぁ快楽殺人マニアとかになるとそれは確かにコンテンツではあるけど実際の被害者がいるんだからそれを楽しむのはどうかと思うってのはその通りですよね。まぁでも快楽殺人マニアも別にそのエピソードとかにグロさを感じて魅力を感じるだけで実行するわけじゃないじゃん?で、コーネリアスはガチだったって話だよね。いや、それで言えば過去に酷いことしてきましたよ的な話なんてそれこそ卓球とか当時のサブカル系の流れでは普通にあったじゃん?芸能人とかでもそういうこと言うやつはいたしまぁ今ほど厳しくなかった緩かった時代なんだよね。じゃあなんでコーネリアスだけ槍玉に上がってるのか?っていうと度を越したサイコだからだよね。これに尽きるよね。


当時のサブカル誌とかを読めば多分荒さがしなんていくらでもできると思うんだよ。過去の発言なんて全部調べてたら絶対いくつか今でも突っ込んで批判できるようなことなんてあるでしょ。でもコーネリアスのやつは度が半端じゃなかったから結果的に伝達力が凄まじくなっちゃったんだよね。結果的に風化せずにネットに永遠と残ってむしろそのゲスさで有名になっちゃってるっていう。そんな人が菅野よう子が主にやっていた攻殻機動隊の音楽をやってるっつーんですげー微妙な感じですよね(笑)んでもさ、違った意味で菅野よう子もゲスじゃん?でも音楽は評価されてるわけじゃん?まぁ知らない人が多いって話だけなんだろうけどさ、佐村河内にしてもやっぱりこの音楽の物語性だよね。誰が作ったのか?とかどんなやつが作ったか?っていうのも音楽の属性になっちゃうんだよね。


んでもそれを言い出すとさ、別にコーネリアスの擁護をするわけじゃなくてさ、コーネリアスの場合、雑誌とかで言いまくってたから発言がネット時代にまで残っちゃったっていうだけでさ、コーネリアスに限らず音楽は聴いてて別に普通か下手すりゃ良いって思えるのがあっても作ってる人間がゲスっつー話はいくらでもあるわけだよね。そもそもゲスさなんておおっぴらに楽曲をパクリまくるとか自分がやってたいじめを武勇伝のように平気で喋るとか全聾のフリをして孤高の天才を気取ってるとかこういう極端な感じで出ない限り分からないじゃん?それで言うとこれも色々と調べてたうちになんかのリンクで行き着いたんだけど黒木瞳の娘が学校で男を二万円で買収して女の子をレイプさせたみたいな話があってさ、んでまぁ金で解決しようとしてたっつーんで黒木瞳ってどうなのよ?ってことになったっつーのを今更知ったんだけどそれで言うと三田佳子の息子なんかの話も思い出したんだけどさ、まぁこれも本人がそこまでゲスかはともかくとして子供のゲスさが半端無い!っていうさ、そんな子供を教育している親としてはどうなのよ?って話になるよね。まぁイメージ的にもうホントに駄目だよね。子供がゲスの親っていうイメージしかなくなっちゃうからましてや芸能界みたいなイメージが全て!みたいな世界じゃもう終わりですよね。


んでもそれだったら音楽もイメージが全てなのかな?っていうさ、あ、んで俳優とか女優とかに話を戻すと良い俳優だったけどプライベートではクズの極みだった人とかいっぱいいるよね。アインシュタインだったっけな?奥さんへのDVが酷かったとか全然子供の面倒を見なかったとか、あとまぁDVで言えばトルストイとかもそうだよね。各作品も素晴らしくて人間的にも素晴らしかったなんて例は滅多にないんじゃない?って思うけどね。あとはまぁ何が言いたいのか?っていうと知られて無いだけで実際はクズって多いじゃん?っつーか世の中そんな人だらけなので古今東西で時代を問わずに「他人を簡単に信用するな」ってことが黄金率なわけでしょ?俺もあの詐欺の件で本当に身にしみましたからね。あ、ちなみにSimon Gannは刑務所から出てきてまた大活躍してるらしいよ。アメリカは人に自由を与えすぎだよね。本当に怖い国だよな。あ、ちなみにアメリカってそういうのだらけの国ですよね。活躍してるけど奥さん殴ったとかホテルで大暴れしたとか酒乱だとかっていうそんなのばっかじゃん?でも俳優として良い演技をしてるんで評価されるんだよねっつってもまぁコーネリアスと一緒にするなよっていう話はあるにせよ、でもまぁ奥さんを殴り倒すっつーだって余裕で倫理的にアウトでしょ。


んだからハリウッドの場合、中の人がクズだからっつって演技がクソってことになるわけじゃないんだよねっつってもまぁゴシップとかの影響は大きいとは思うんだけどね。まぁーだからあれなんですよね、ホントに、分からないじゃん?俺もまぁそんな経験しかしてこなかったけど笑顔で良い人そうに振舞ってるやつが実は超ゲスだったっつー話が腐るほどあるわけよ。で、まぁ俺はそういう人間と接してきて最終的にゲスだって分かったんでゲスだって判断できるわけだけど、ゲスだって判断できるほど付き合いが深くない人たちにとっては「良い人」なわけじゃん?そういう風に振舞ってるから分からないわけじゃん?


でも俺はそいつがクズだってことを知っているっていうただの情報の差だよね。客観的に見ればそいつがクズであるというのは実際にそいつがクズであるという事実によって決まってるわけだけどそれを知ってる人と知らない人がいるし知ることができる人とできない人がいるわけじゃん?そういう情報の差じゃないですか?所詮。悪いうわさを聞かないからっつって別にその人が立派な人間かどうかなんて分からないからね。だからまぁコーネリアスがクズだって分かった時点で「ショック!ファンやめます!」ってのはナイーヴ過ぎるんじゃない?って思うんだよね。普段奥さん殴りながらものを書いてるやつなんて腐るほどいるだろうしそれは俳優とか映画監督とかだってまぁ実際にそういうやつはいるし、そうじゃない人たちでもやってるかもしれないじゃん?そんなの分からないよね。


これってあれなんだよな、子供を労働させてるからナイキは買わない!とかって不買運動してる左翼みたいなのと同じ感じなんだよね。確かに今は分からんけどナイキと言えば第三国における搾取の帝王!って感じがするけどまぁそれ言い出すとスタバとかもそうじゃん?子供を労働させているかどうかはともかく第三国での搾取によって利益を得ていることは間違いないし、子供を労働させてないなんつったってそんなの分からないじゃん?まともな人間が作った作品じゃないと聴けないってことになるともうほとんど無理よ。それはちゃんと労働者に賃金を払っていて酷い搾取をしてない優良な企業のものしか買わないって言うのと同じことだよね。まぁさすがにワタミに行こうとは思わないけど多分アウトな飲食店だらけだろうしその辺で買えるものにしたって生産の過程から倫理的に完全にフェアですっつー条件を満たしてるものなんてそんなにないでしょう。いや、そういうものを普段消費してるんだって思ってたら大間違いなんだよね。


結局はシステム的に資本主義の悪い部分に加担しちゃってるわけよ。それで言うといつも思うんだけど俺ってまぁアマゾンでモノを買いまくるけどあそこって日本に税金払ってないとか労働環境が酷いとかまぁこれまた言い出したらきりが無い会社じゃないですか?それ言い出したらGoogleにしたってビッグブラザーみたいなことをしようとしている会社なわけで最悪だと思いつつも検索はGoogleでやっちゃうじゃん?いつも同じようなロジックだけどこれがまぁ疎外なんですよ。俺はアマゾンでは買わずに地元の書店で本を買うんだ!って一人で頑張ったところで圧倒的な利便性という意味でアマゾンで買う人が多いわけだからどうにもならないことじゃん?エコだ!っつってクーラーつけずに生活して調子悪くなってるようなやつと同じなんだよね(笑)いや、そんなことしても無駄ですよっていう。


嫌な現実だけどこれが現実だからしょうがないよね。んでも俺はコーネリアスが音楽を作り続けるよりも菅野よう子が音楽を作り続けることのほうがよっぽど胸糞悪いけどね。いや、そういうことなんですよ。コーネリアスがアウトだったらアウトなやつもっといるでしょって話になっちゃうわけよ。いじめと盗作は倫理問題が違うっつってもんでもまぁ両者ともに倫理の問題であるということについては一緒だからね。だから取り立ててコーネリアスがゲスだっていうのも何なんだろうな?って思うよね。それってたまたま記録が残っちゃってるだけで人なんて裏で何やってるかわからないし何をやってきたかも分からないわけじゃん?で、そんなこと気にしてたら何もできなくなるからまぁだから言い方がおかしいかもしれないけど社会性みたいな意味でそういうのは無視するんでしょ。かといってもまぁコーネリアスの悪事は悪事自体もそうだしそれを楽しそうに語っていたっていうこととかそれをコンテンツとして出してた雑誌とかまぁ色んな意味で無視できない要素だらけなんだけどさ、んでもこれもまぁ結局は情報の差じゃないですか?俺にしてみれば菅野よう子も同じクズよ。だってあいつはリアルタイムでまたコピーして「メロディが降ってくる」とかって嘯いてるわけでしょ?


だから何もかもこういう情報の差なんですよね。コピーだって分かったらじゃあその音楽の価値は無いのか?っていうとトラックを作るのは上手いから曲は良かったりするわけじゃん?んでもコピーだもんなーってことで嫌になるとは思うんだけど、んでも佐村河内の話にしても音楽はそれとして存在してるからね。だからそれがコピー曲だろうがゲスが作ったものであろうが音楽自体はそれとしてあるからね。だから何を持って評価するのか?ってことになるわけだよね。で、そこで「クズが作ったやつだから嫌い」ってことになるとよく考えると他の自分の好きなアーティストがクズじゃないとは限らないわけで、んでもまぁそんなこと気にしてたら何も聴けないわけじゃん?第三国での搾取を考えると大抵のものを消費できなくなるのと同じことだよね。まぁこれって典型的な知らぬが仏っつー話にもなっちゃうんだけどんでもまぁだから芸能関係とか音楽ってイメージで勝負するとかイメージを大事にするんだよね。まぁ俺はこれ自体がどうかと思うんだけどね。すげー良い人が作ったあんま良くないトラックとクズが作ったすげー良いトラックはどっちのほうが音楽的に価値があるのか?みたいな話になっちゃうじゃん?まぁそんなことを考えて音楽は聴かないよねっつーのを逆に利用してるのがパクリの大家達で音楽を取り巻くイメージを利用して虚構を作ってたのが佐村河内なわけだよね。これってだからなんか元々音楽が持ってる属性なんだよね。音楽を語る上で結局こういう話になっちゃうんだよね。 


まぁだから結局なんか純粋に音の響きとか構成とかにフォーカスしてるってのが好きになるってのはあるかもね。あ、俺の場合ね。いや、それで言うとクラシックとかも相当怪しいんだよね。もうあれって教養ってイメージついてるじゃん?詳しかったらかっこいいみたいなさ、あとはまぁ普遍的に良いものだっていう刷り込みがあるよね。そういうのを別にしてただ音だけを聴いてどうなのか?ってことじゃん?でもクラシックってそれ自体が持ってるイメージがでかいからそれと切り離すのが難しいっていう。で、まぁ今の俺はそういうの関係なくクラシックが好きになれたんだけどね。でもまぁいつも書くように圧倒的に好きじゃないやつのほうが多いよね。ホント、歴史的な意味合いしか持ってねぇーなっていう考古学的な価値しか持ってないようなのもいっぱいあるじゃん?でもそれは名曲とされてるんで「つまらない」とかって言えるムードが無いみたいなさ、それで言うと現代音楽なんかもそうなんだよね。


「これが1940年代に作曲されていた!」っていう歴史とか学術的な意味合いで「凄い!」って思える属性とかが音楽自体の評価への影響になるじゃん?まぁ歴史的な評価と音楽自体の評価ってまぁそりゃ別なんだけどさ、んでも思ったんだよねぇーあのヴェニスに死すで使われてるマーラーの曲みたいなのを今の作曲家が作ってサントラにしたらめちゃめちゃ陳腐になるだろうなっていう。じゃあなんでマーラーは陳腐じゃないのか?ってそれはオリジナルだからですよっつってもそれもまぁ情報の差だもんね。マーラーの未発表曲が発見された!なんつってそれが現代の作曲家による捏造だったとしても見抜ける自信なんて無いもんね。じゃあなんでマーラーを良いと思えるのか?ってやっぱマーラーっつ権威であることが強いと思わざるを得ないよね。まぁ一概にマーラーっつっても指揮者によって全然違うから特にクラシックなんかでは音楽=作曲家ではないんだよね。指揮者なり解釈者が入ってのものだから。


いい言葉が出てきたぞ。いや、サンプリングって解釈の一種なのよ。「JBのグルーヴはヤヴァい」って思った黒人の兄ちゃんがJBサンプルリングしてラップ乗っけちゃうってのはファンクの現代的な解釈とも言えるからね。それで言うとデトロイトテクノなんてのもクラフトワーク的なものの黒人的な解釈がデトロイトテクノだったわけだし。こういう有機的な音の繋がりよ。サンプリングってのは。あとはコラージュみたいなのだと前後の流れとか全然関係なくいきなり展開する音!とかね、あとまぁ俺が散々書いたことだと既存の録音物を色々と混ぜることで別のものを作り出すとかさ、そういう有機的な感じなのよ。パクリってのは商業的な金目的の盗用だよね。「こうすれば売れる」とか「これに日本語の歌詞乗っければいける」とか「この曲を真似して今の仕事こなしちゃおう」っていう実務的な感じっていうのかな?基本的にパクリってのは明言されることがないんで「これが元ネタなのか!」っつって元ネタが流行るとかさ、ヒップホップとかだとそういう流れあるじゃん?みんなこぞって過去のファンクとかレアグルーヴを再評価するようになるみたいなさ、音楽自体の作用だよね。パクリはただの盗みなんでこういうことが起こらないよねっつっても逆説的に検証サイトで「菅野よう子のパクリネタ良いじゃん!」っつって色々と知ることができたって人もいるみたいなんで微妙なところではあるけどね。かといっても明言するかしないか?っていう倫理だけの問題じゃないじゃん?明言すればそれはサンプリングで明言しなければそれは盗用なのか?ってそんな話じゃないからね。


あとまぁ意図的に美術用語とかで使われる意味での盗用ってまた違うよね。ポップアートとかのコンテキストだと剽窃とか盗用ってのは一種の方法論みたいな意味合いを帯びるじゃん?あ、この辺が微妙なのが村上隆だよね。そういう美術言語を利用して盗用して世界から評価されたのは分かるんだけど肝心のサブカルチャーという意味で言えば全く接続が無いし、むしろ上辺だけを掬ったような欧米人が漠然と感じている日本のステレオタイプみたいなのを利用してるわけだからマーケティング的にはオッケーなんだけど方法論的に芸術的じゃなくて嫌なんだよねっつってもまぁ村上隆ウォーホールマーケティングの達人でもあったっていうのには説得力があるんで一概に批判はできないんだけどね。ただまぁこれは立派な美術ですよね。ムカつくし俺も納得はいかないけど認めざるを得ない美術だと思うわけよ。ある意味、馬鹿な欧米人を騙すことに成功してるわけだから。それをアートとしてやってるっつーのと素で人を騙してるのって違うじゃん?じゃあ菅野よう子村上隆は同じなのか?っていうと違うじゃん?まぁここが難しいところでプロセスはどうであれ作品は作品としてあるっていう現前性があるからね。それで判断しろと言われるとなかなか難しいところだし逆にそれ言われちゃうと何にも言えなくなっちゃうみたいなところはあるよね。


いやさ、最初にアメリカに行ったときにホームステイだったんだけどさ、あ、ロジャーじゃなくて韓国人のルームメイトっつーかホームステイ先で一緒になってたやつなんだけど、雪が凄いっつーんでマンハッタンに靴を買いに行ったんだよね。で、まぁそんときにナイキの偽物みたいな話になって俺は「フェイクを分かってて履いてるやつの気が知れない」みたいなことを言ったらその韓国人のルームメイトは「フェイクでも見た目が同じだったら別に一緒じゃん。ましてや安かったらそっちのほうがいいじゃん」っていうわけよ。俺は「えー!!」ってなったんだけどさ、いや、だからまぁ韓国とかってフェイクとか真似ることにあんまり抵抗が無いんだなって思ったんだけどまぁ菅野よう子が天才扱いされてたらジャップも一緒よ。ジャップは音楽パクってばっかだなって思われるわけだから。まぁそれはともかくその現前性で言うとさ、まぁ大抵偽物は粗悪だからまず靴として駄目ってのはあるにしてもんじゃあ仮に靴としてほぼナイキと同じような品質があったらどうなのか?ってことになるんだよね。でも俺はそれはコピー品だから絶対かっこ悪いし履きたくないと思うけど、でも見ただけじゃ分からなかったりへたすりゃ履いても分からないかもしれないよね。まぁほぼナイキかジョーダン履いてきたんで分かるとは思うけどすげー良く出来てるやつだったら分からないよね。


んでも俺は本物のナイキを買うっていうその理由がよく考えれば分からないんだよね。それはもう観念的な偽物は嫌だとかかっこ悪い!っていう思い込みだけなんだよね。そもそも見た目で言えばナイキの靴なんだから好きなモデルなんであればそれは形だけで言えば好きなわけじゃん?でも偽物と分かったと単に「なんだよ!」って思うのはなぜなんだろうな?ってことだよね。オリジナルだと思ってたのにコピーだったって話で言えば他にも色々とあると思うのよ。んでもそれは俺の無知でオリジナルではなかったけどコピーでもなくてそれはコピーすることを一種のスタイルとしたバンドの楽曲なんでしたとかってことになるとまた評価は変わるじゃん?靴にしてもナイキのコピーじゃなくてサンプリング品だったとかってなるとなんか妙にヒップになるじゃん?


で、コピーだって訴えられたんでナイキにランセンスされてコラボ品みたいになったとかになったら元がコピーだった靴がその靴のままである意味での本物になるわけじゃん?でも靴そのものは全く変わってなくてそれを取り巻く情報が変わったってだけなんだよね。だからそういう意味において「コピーでも作りが良ければいいんじゃない?」と言われると結構説得力あるよね。まぁ俺はそれでも本物が良いから仮にプレミアついててもそっち買うけどね(笑)まぁでもそれはブランド買いだって言われればそれまでだよね。デザインが好きなら似たようなもっと安いやつでいいじゃん?ってことになるからね。まぁ靴というわけじゃないけどファストファッションなんてこういう感じでしょ?大体のデザインがコピーらしいからね。ああいうのって。あ、業績良いから今は分からないけどね。俺が昔読んだ記事ではコピーばっかで色んなブランドが文句言ってるみたいなことを書いてたけどね。


んーなんか微妙だねー。本当に。マッシュアップマッシュアップだって明言してるからいいのか?って話じゃん?いや、そりゃマッシュアップを俺のリミックスっつって出すなんてとんでもないけどまぁコピーを平気で自分の名前で出す人たちってのまぁようはマッシュアップを自分のリミックスって出すようなもんなんだよね。んでそこで逆説的なのが「いや、音は音なんだからマッシュアップであろうがリミックスであろうが関係ない」なんてことを俺は言ってるわけじゃん?そんな風になるとようは「音そのもの」ってことになるとフェイクだろうが本物だろうがリミックスだろうがそれは聞いた人が判断すればいいし音で判断すればいいってことになるじゃん?っていうかそういうことを言ってることになるよね。俺は。まぁもちろん俺はソースを明示した上で「俺のリミックス」ってあえて言うっていうだけで言うか言わないかで情報が変わるってことではないんだけどさ、でも結局まぁあれっすよね、仮に俺に菅野よう子並の打ち込みのスキルがあったら元はマッシュアップのを打ち込みに置き換えて自分のリミックスとして出しちゃうなんてことが可能になるってことだからね。やっぱそれをやるかやらないかは倫理的な問題ってことになるわな。まぁやっぱそれは詐欺っすよ。元がコピーなのに自分のだって言い張るんだから。


それはコピーとかマッシュアップだってことを明言した上ででもそれをやったのは俺だってことを言うのとマッシュアップで作ったのを打ち込みバージョンにして出すっつーのとでは根本的に違うよね。んーでも音は同じってところが微妙だよね。いや、実際にマッシュアップをリミックスだって勘違いする人が多いのを見てもさ、んなこと聴く側は気にしてないんだなってのがよく分かるわけで。まぁでもリミックスだって勘違いしてくれれば俺のやりたかったことは大成功なんだけどさ、まぁ良い意味でリミックスだって勘違いさせることができたってことじゃん?でもマッシュアップなんですってことは書いてあるからねっつってもまぁ結局それってそれをマッシュアップだって明記するかしないか?っていうそれだけのことになるんだよねっていうかいや、それだけのことが大違いなんですよ!ってことなんだよな。俺がやってるようなことはそれこそ悪用すればいくらでも悪用できるわけだよね。まぁ今は無理だと思うけど一昔前ならブート盤なんつって出せたかもしれないじゃん?あーでもあれだわな、ブート盤って実際はマッシュアップだったり違法リミックスだったりしてもクレジットしないホワイト盤として出すことで誰が作ったかそれが何なのかっていうことよりとりあえず音を聴けよっていうやり方が実行できてたんだよね。意図的だったかはともかくとしてそういう方法論的なやり方が成功してたわけだよね。


うん。あれだわ。違いは明確だけどあとはやっぱ世代ですね。俺の世代は実際にマッシュアップとかブート臭いリミックスとか作ってるやつが多い世代じゃん?で、菅野よう子とかはパクリ作曲家が多い世代なんだけど違いと言えばやっぱネットだろうな。もちろん根本的な倫理の欠如ってのが前者にはあるんだけどさ、菅野よう子世代とかはネットとか無いときにあんま流通しないような輸入盤を元ネタにした曲を作ったりしてそれで通用してたっていう世代なんだと思うんだよね。で、当時は誰も知る由が無かったからバレなかったけどネット時代になって大量の音源がアーカイヴ化されていたり埋もれていたようなのも全部表に出るようになったことでバレちゃってるんだよね。俺の世代とかってのはそれを利用してマッシュアップとかを作ってるんだけど菅野よう子とかはそれで作曲っつってバレなかったからそういうのが日常化してそれがそのまま作曲になっちゃったっつースタイルが今での続いてるってことだと思うんだよね。


そういう意味だと今の感覚と全然違うんだよね。今はまぁ普通のやつなら何やったってネット時代なんだからバレるに決まってるからやらないんだけど上の世代だとバレなかった時期が長かったから今もその感覚のままやっちゃってるんじゃないかとは思うよね。いや、バレなかったらいいのか?って俺はそれは嫌だよ。そんなの詐欺だもん。だからそういう意味でただの世代の差なんだってことが言いたいわけじゃないんだけどね、ただまぁ上の世代は今の世代と比べてバレないで上手くいってたっていうことが多かったからそれが日常化したっつーやつらは多いと思うんだよね。ネット時代になって検証されまくってバレてるやつらのって過去の作品とか
も多いからね。すぎやまこういちなんて最たるもんじゃん?あとクロノトリガーの音楽とかさ、あとはまぁこれは今知ったけど踊る大捜査線のテーマ曲とかね(笑)確かに1999年ぐらいだったらバレなかったかもねって気はするよね。あとまぁ別な意味で何でもネットに上がっちゃって色々バレるっつーんで昔、外タレが本国に秘密で日本でしか放送されないっつーんで出てたCMとかがYoutubeとかにアップされちゃってバレまくって笑いものになってるっつーのはyoutubeがインフラ化してきたときに盛り上がってたよね。情報化によって後になってバレるって話が色々あるわけだ。


んでもそんな中でやっぱ本当に面白いやつって逆にまたネット世代で人気出たりするよね。80年代のやつとかがyoutubeに上がってて結構な人気動画になってたり。まぁこういうのを見て言えるのはちゃんとした面白いことをやってるに越したこと無いってことだよね。後になって化けの皮が剥がれるようなやつよりも後になっても永遠とどっかで鑑賞されるようなものを作ったほうがそれこそロングテールじゃないけど実際の鑑賞者の数は増えるよね。だからまぁ金とか抜きに考えればそれが一番ってことになるよね。いや、マジでさ、コーネリアスじゃないけどさ、今って何でも残っちゃうのよ。だからむしろパクリだなんだって言われまくるようなのを作るってリスクしかないんだよね。絶対バレるし永遠にパクリ扱いされるわけじゃん?だったらそんなの最初からやらないほうがいいじゃん?まぁ昔パクリばっかやってたやつらがバレまくりなのを見ると本当に天晴れな感じがするよね。作曲家先生方の神話崩壊って本当に痛快だよね。俺が本当にリスペクトする作曲家ってのは変なところをコピーでごまかしたり騙したりしないで結局作曲なんつったってどれもこれも似たようなものになっちゃうっていうポストモダン的な悪夢に自明でなおかつそれに立ち向かって創作をし続ける人たちだよね。現代音楽の作曲家ってのはそういう意味で尊敬できる作曲家だらけなんだよね。ストックハウゼンは人間的に完全なクズだけどやっぱ作曲家としては凄いなって改めて思いましたよね。


まぁそういう意味でポップスなんてのは大衆音楽だからコピーが多くなるのはうなづけるんだけどでもやっぱ強烈なオリジネーターっているからね。どのフィールドでも。だからポップスがクズで現代音楽が純音楽的なんだってことにはならないんだよね。それはホントに作曲家次第だから。


もういいや。終わる。んじゃまた。