ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

今後はDJ路線?。その23。

では続きです。


論理的には自分の世界を作って深めていってそれをいかに深めるか?でいいじゃないかってことになるんだけど、でもそうではない深める中で外界との関わりとか影響とか作用全般ってのがむしろ深める上で必須なんだよっていうさ、まぁようは反省なんだよね。別に何かを極めるなら引き篭もってればいいじゃん!って思ってた自分が大いに間違っていたなっていう。何かを極めるからこそ外との関わりあいは必須になるんだよね。そうじゃないと所詮はジレッタントの趣味で終わっちゃう。これってまぁやっぱ三木清が言う「存在論的中立の定立」なんだよね。

無からの創造の出発点は何よりも新しい倫理の確立でなければならぬ。私が存在論的中心の定立というのはそのことである。そのことは世界へ出て行くことの意味の確立にほかならない。我々はすでに、無自覚に、世界へ出て来てしまっている。エクセントリックになって、地下室の人間として自覚することは、世界へ出て行くことの意味を考え、新たに決意して世界へ出て行くためでなければならぬ。


でも結局、文学的なものに存在論的中立をさせるものっていうのはなくてっていうかようは思想とかって頭の中で終わっちゃってるじゃん?外の世界のダイナミズムと蓋然性に晒されるという作用が無いからなんだよね。で、三木清はそれは技術なんだっつってるんだよね。ようは何を持って外に出るのか?っていうのが技術ってことになるわけ。でもいつものジレンマがあるじゃん?っつーか例えば思想だなんつって考えてても外の世界には繋がらないんだよね。まぁテロとかに繋がる場合はあるけどさ、まぁようは悶々と考えるような俺みたいな感じのって繋がらないじゃん?


でもまぁ大学っつー道があったから良かったんだけどそれがなくなると外の世界に繋がらなくなるんだよね。ようは外界と接触するということでしか実存を定立できない場合、じゃあいかに外界と接するのか?っていう方法論が必要になるよね。もちろんそれは人によってはコミュニケーションだったり恋愛だったり趣味だったりするんだけどでもそれが概念とか思想ってことはないんだよね。ようは実体がないからなんだよね。もちろんそもそもの外界と接することで現れてくる実存という思考自体が哲学的思考の賜物だからそれは思想ってことでもあるんだけど、でも思想とか概念ってのは方法とか行動のメソッドしか与えないんだよね。では何を持って行動するのか?ってことになるんだよね。


で、ヤヴァい場合、それがテロであったりするわけじゃん?宗教なんかの場合だとまぁイスラム過激派なんてまさにこれだよね。イスラム教からは逸脱している邪教だけど世界との闘争っていうような結局は右も左も関係ないよねーっていうようなさ、赤軍とかと同じっつーかテロリストのロジックってこれだよね。思想とかあるべき世界の姿ってのがあって、で、それを実現するにはどうしたらいいのか?って言うことでそれが行動になるんだけどまぁんでなんで空港で銃乱射とか街で自爆テロってことになるわけ?って話なんだけどまぁ彼らにしたらそれが闘争の方法なわけでしょ?ようは思想から行動って意味だと同じなんだよね。まぁ一切支持できないものだけども。


でもこれって別に政治だけじゃないじゃん?俺の場合は本当に実存なのよね。だから考えってことはではどうするべきか?という行動への方法論を与えるんだよね。でも哲学ってのは行動足りえないじゃん?行動原理を与えるだけだから。だからまぁその自分の思考っていう原理を何かを媒介にして外界との接点にして実存を定立させるって話なわけでさ、で、そこでまぁテクネーってことになるんだよねっつってもまぁそれは深い意味合いもあるけど消極的にいえば結局、人間の活動なんつってもまぁインディペンデントで勝手にやるのもいいんだけど、でもまぁ結局は何が成立するのか?っていう話じゃない?何かが成立しないと一方通行だからね。かといっても需要と供給というほどそんなに経済に迎合した話でもなくてさ、まぁようは何かを媒介とするってことなんだよね。だからなんつーのかな?


行動原理が哲学によって構成されてるっていうこと自体がその時点での哲学の成立で実践ということになるんだよね。だからその哲学をもって行為するっていうことだよね。だからまぁその媒介する媒体ってのは何でもいいんだよね。外界に出て行くという行為を与えるものならなんでもいいんだよね。で、まぁ難しいのが政治哲学とかを行為によって実践するってすげー難しいじゃん?もしくはやろうとしても刑務所送りになるようなことだったりさ、あとまぁ実践っつっても現実との乖離があるよね。一人でやれることは限られているし、仮に大雑把に平等な世界を望む!って言ったところでじゃあどうすんの?って話でさ、ようは思想と行動ってことなんだよね。


まぁんで大体まぁこういうところで現実と思想の面とのギャップに苦しんでストイックであればあるほど自滅しやすくなるよねっていうか真摯であればあるほど絶望して自殺するってことになるでしょう。で、まぁ俺ってこういう自殺傾向への対策として社会的なものに帰結できるようなものってのを模索してるわけじゃん?それだけでは繋がらないけど繋がらせようとする方法ってのを模索してきたって気がするんだよねっつーかまぁただあれだけどね、アカデミックなレベルで何かをやればいいっつー考えだったけど、まぁ今はそうじゃなくなって・・・っつーまた繰り返しになるんだけどさ、で、まぁ端的に言ってないんだよね。やることがっつーか自分で好きでやることは腐るほどあるけど社会的なものに繋がるようなものってのが無いんだよね。だからこのままだとマジで隠居っつーか世捨て人みたいになっちゃうなってことでまぁ危機感を感じたと同時に世捨て人になるっつーかリアル社会指向がないと風狂ってのは成立しないんだよねっつーか極められないんだよねってことになってるわけじゃん?


あとまぁ単純に何かが起こるとか起こっているっていう場ってのを自分の世界だけに限定しちゃうとダイナミズムも限られるわけじゃん?自分の世界に篭って極めるのはcultivateするという行為なんであって最終形がそれってわけじゃないんだよね。あくまで最終系に至るプロセスなんだよね。で、風狂を極めるってのはつまりは外の世界のダイナミズムとの蓋然性みたいなものを取り入れることで成立するんだよね。それも含めた行為と外界の蓋然性っていう流れの中で定立し続けるものが実存なんだよね。だからまぁあれなんだよな、その流れがなくなっちゃうとまぁ実存クライシスができちゃうんだよね。だから常に活動と外と関わるっていうことをしていかないといけない。根っこからの引き篭もりである俺がこういう話をしてるんだからまぁ面白いもんだよね。結局は外なんだと。でも俺の場合、技術とか外の場と関わり合いを発生させる媒体ってのが無いからさ、いや、ようはあるのは知識だけなんだよね。では技術は?っていうと一気に飛躍するようだけどDJぐらいしかないんだよね。俺が外に出て何かをするという必然性があるのはそれぐらいしかないよね。あとはまぁノイズか。っつってもノイズはもう飽きてるしな。


ストックあんまないから今日はこの辺で。