ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

naoさんへの返信。

nao 2015/04/26 15:31


ドゥルーズ興味深いですね。哲学側の背景全然分からないんですが、微分やら何やら用いて議論展開してるのが、それが胡散臭いというか批判あるんでしょうけど、でもなんというか本当チラっと調べただけでの勝手な予想ですけど数学プロパーじゃないからこそ数学側からというか僕的に斬新というか数学側からの数学哲学とはまた別のアプローチというか、かといって従来の哲学とか論理だけで数学を議論する感じでもなくっていう、まそれはmimisemiさんがおっしゃるように、おそらくこっちが補正をかける必要はあるんでしょうが。


僕はなんか知らないけどイデアとかいうとスキーム論のスキームのような抽象化した空間みたいのをイメージしちゃうんですねといってもイデアは前回mimisemiさんと議論したときに露呈したように曖昧でちゃんと理解できてないですし、もう一方のスキーム論も知らないんですが、いやなんなんでしょう、不思議なんです、ひらめきとかじゃなくてなんか漠然とイデアというとスキームって感じなんです、本当思いつきとかですらなくて、脳の勝手なイメージというか脳が勝手に両者を繋げちゃうんです、なんか不思議なんですよ、知らないからなんか勝手にイメージしちゃみたいな、おそらく田舎の人が勝手に都会を実際以上に凄いというイメージをするというような、それくらい曖昧で根拠がないイメージなんですよね、でスキームは勝手に圏論的な対応関係みたいなものが"要素"となったような"空間"だと勝手に思ってるんですが、僕は事象とか関係性みたいのも存在と思ってるので(これまた当然曖昧ですが)、まあどっちとも事象と関係性の"集合"っていうイメージというか。


まあイメージと妄想、空想がごっちゃに混ざってというか空想とかの積み重ねみたいなもんで、科学的態度、哲学的態度とは真逆なんですが、でもだからこそ科学的、哲学的に検証していくということもしているわけで、根拠のないイメージですが、これはまあでも重要かなと思いますが、でもなんか今回のエントリーで「スキーム論のオントロジー」とか聞いてあながちこの空想も間違ってないかなって思ったりして興奮しました。


根拠があまりにもなさすぎて逆に正しいんじゃないかっていう、負の無限大に行き過ぎて正の無限大にきちゃったみたいな。いや、安心してください、本当に。これで終わりじゃなくていろいろインプットと思索は今後も続くので、なんかでも空想ありきでインプットと思索をするほうが面白いですし。空想ありきだと今後のディレクションがあるわけですし。


なんかでも僕はまだまだ学問と自分が接続されてなくて、mimisemiさんはなんかmimisemiさんと学問が密接で、なんか実践というか、学問の実践がまた学問の動機になって相互作用してる感があってすごいアクティブですよね。今回のドゥルーズもDJ関連のこととが動機になってるのかなって感じですし、そういう相互作用ですよね。これこそが学問の本質だと思います!これがいわゆるエロスなんだろうなとこれまた勝手に思ってます。


イデアのイメージはまさにそれですよ!まさにスキーム的な抽象化された空間です。僕がこのエントリーで書いた「リゾーム的な生成の差異の体系」みたいなものはその抽象化された空間における位相とか微分ってことなんですよね。まぁ位相とか微分ってのはただの観点なので、「それ自体」を見るとそれ自体がオントロジーとして成立しうるものということになるんですよね。で、機能不全の場合の振る舞いなんですが、これはつまりはその「それ自体」というのが機能性に左右されていないということなんですよね。宗教とかが合理性とかヒューマニズム的な意味での倫理に寄り添った形で解釈されがちなのと同じで、「それ自体」も機能があったり他との相関関係により成り立っている要素みたいに考えられてしまうんですが、ここがイデアを出してくるポイントで、それ自体に機能が無かったり機能として見れば機能不全であったり機能という観点からでは存在そのものの実体が無いみたいなものも存在として成り立つのでそれ自体がイデアだって言えるわけなんですよね。ドゥルーズが言うヴァーチャルのオントロジーってこういうことだと思ってるんですよね。まぁあとはそうでなくても僕はそう考えますね。ドゥルーズとか関係無しに自分自体はそう思って例のオワコンシリーズを書いたわけですし。


あ、んでイメージ的には完全にこれなので時間があったら見てみてください。これを数学的に説明するのは大変なのでLurie先生にお任せして(笑)っていうかnaoさんのイメージってこれだと思うんですけどね。



で、そのnaoさんの「脳の勝手なイメージ」ってまさにアナムネーシスそのものなんですよね。でもそれを想起として考えるというのはいわばアナロジーみたいな話で、実際はゲーデルが言うようなプラトニズムの話なんだと思っているんですよね。ようは自分達が暮らしている空間とかそこから生まれる常識とか対象物などへの認識とか記憶みたいな卑近な感覚からかけ離れているのにも関わらず、その属性や性質自体が「真である」と述べることができるということなんですよね。ポアンカレが言っていた数学的直感っていうのもこういうことなんですよね。もちろんこれが科学的に厳密に正しいかはともかくとして、でも恐らく数学者が信奉したいようなタイプの真理を記述できる言語としての数学という意味ではあり方の形として成立すると思うんですね。でもその一方でそういった考えに埋没しきれないという当然の懐疑的態度があるわけですよね。"the typical working mathematician is a Platonist on weekdays and a formalist on Sundays"っていう数学の世界では割と有名なパッセージがあるんですが、これが実際の態度だと思うんですよね。まぁ知的誠実さを考えれば当然なわけですが。


で、最後にエロスの話なんですが、そういっていただけると凄く励みになりますね。自分の脳は死んでないなって思えます(笑)エロスというのは真理への憧れという面もあるけど実際は到達できなかったり語りえないものへの飢餓感と苦しみということでもあるのかなって早速届いたカール・バルト関係の本を読んで思いましたね。そういう意味で神学なのにも関わらずカール・バルトほどエロスと哲学というのをハードコアに実践していた人というのも滅多にいないんじゃないか?って驚きを感じていますね。なんていうんでしょうね、一般的に哲学って言うと恐らく昔からただの評論みたいなものばっかりだったと思うんですが、バルトの場合は本当の哲学っていう感じがするんですよね。


まぁそれを言うとシュトラウスとかもそうですし適当なことばかり書いていたと思っていたラカンとかまぁそこまで適当じゃなくても知的遊戯に埋没している感は否めないと思っていたドゥルーズなんかも物凄く根源的に考えていたんだなということを身にしみて感じるようになりましたね。多分これは自分がそれを感じられるぐらいのレベルになったということだけなのかもしれませんね。それを言い出すと未熟なときに読んでいたものの解釈なんてあてにならないなって思っていてまた最初から色々と全部読み直す必要があるんじゃないか?って思うようになりましたね。これは数学然りなんですが。


そんなわけでなんかまぁ最近また復活してますね。情熱みたいなものが。DJがきっかけで結果的にそんなにDJにフォーカスしなくなったわけですがそれも一興かなと思ってます。