ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

レジャーの必要性。その5。

ってことで続きです。


まぁ貯めこむよりマシって意味で別に消費するならなんでもいいんだけどさ、ただインダストリー側がコントロールする消費ってのは資本主義的で最悪だよね。ようはそれって独裁的でもあるわけじゃん?一部の力のある金を使えるところがコントロールできるってことで金あるところが一番力があるってことになっちゃうじゃん?だから昨今のファッションビルにしてもどこも同じようなブランドが入ってるっていうのもそういうところでしょ。まぁ意図的に何かをコントロールするようなところが金を使ってファッションビルにテナント入れてるかどうかはともかくとして資金力があるところに権力が集中するってのは結局それってお金のモノポリーじゃん?そこに消費も集中しちゃうっていうところだからね。で、軸を持つとか価値観を持つってのはそういうのに抗えるわけじゃん?ってのが着倒れ方丈記的なさ、もうそこが好きで買ってますっていうところだよね。ファッションビルとかでよく見かけるから買うとかじゃなくてデザインが好きだから買うっていうところだよね。


まぁすげー好きで買ってるところがめちゃめちゃ売れてて色んなところにも出店してるってのは別にいいのよね。手広くやってる=悪ではないからね。ただやっぱファッションビルのテナントがどこも一緒になっちゃうってのは結局多様性が無いってことなわけだよね。みんな同じようなもんを着てるってことだしこないだ散々ディスったノームコアとかにしてもノームコアが流行ってますなんつーことでどこも無難なもんを出してみんな無難なもんを買う結果、無難なもんをそこそこの品質で出せるところに消費が集中するわけだよね。


で、結果的にどこ見ても同じような服着てる人たちがウロウロしてるっていうね、ファストファッションブームによってそれが世界的にそうなってんのよね。これって怖くない?めちゃめちゃ全体主義的だよね。無難で目立たないとかこういうのが流行ってます!みたいなありもしない流行なんつー幻想とかによって消費者がコントロールされてるわけだからね。まぁファストファッションの病理はそのマスコントロールもさることながら第三国の労働力を買いたたいてるっていう搾取の構造にあるわけだけどまぁこれ言い出すと東アジア反日武装戦線狼みたいな話になってきちゃって話がデカくなっちゃうから置いておいてまぁあくまで俺が今回言いたいことは凝ることで適当な消費を無くす!っていうことだからね。


まぁようは「これが好き!」ってのがあれば最強ってことなんだよね。別にファッションに限らずね。ただでもファッションとかってまぁ世の中的にどうとかってどうでもいいから調べないし気にしないんだけどまた特に日本が・・・って言い方になっちゃうけどなんかさ、日本人って決め方が主体的じゃなくてネガティブなんだよね。何がアウトか?とか何がもう古いか?っていうのでディスられないようなものを無難に着るってのがいつでも主流なんだよね。だから全然主体性がない。それに比べて着倒れ方丈記に出てる人たちなんて主体性しかないからね(笑)まぁあれは本当に素敵だよね。別にアウトプットがおしゃれである必要ってなくてようは何に価値を置いているか?っていうのと何が好きか?っていうことなんだよね。で、そこにお金をつぎ込んでいるか?っていうそこだよね。ファッションとかでさ、何々はもう古いとか一時期流行ったっつって時代遅れなんて言われるものがあるけど例えばじゃあ今流行ってるかどうかはともかくとしてさっき例に出した迷彩柄ってのがあるじゃん?で、これって今は流行りものかもしれないけどでも別に普遍的にデザインとしてあるものだよね。だから古いか流行ってるか?なんて全然関係ないよね。


まぁ流行ったことでちょっと流行りを過ぎても着てたら時代遅れなやつって見られるかもしれないけどでも迷彩が好きで着てたり鉄板コーデとしてそれを着てるかもしれないわけでさ、それが似合ってればいいわけよね。全体のコーデでそれが仕上がってればいいわけでそれが流行ってるかどうか?とか時代遅れかどうか?なんて関係ないよね。そこで結局そういう流行り廃りを気にし過ぎる人たちが勝手に観念的に流行ってるとか時代遅れってことにして例えば迷彩柄にしても流行りが過ぎたらもうアウトだからっつって着なくなるっつって捨てたりさ、それこそまぁファストファッション的な消費ってことになるよね。これは完全に踊らされてるってことだよね。まだ着れる迷彩柄の服をクローゼットに閉まっておくっていう選択を強いられるわけだから。逆にそれがイケてるかどうかはともかくとして自分が好きで買ったら常にコーデのバリエーションに入るわけじゃん?常にそれは使われるっていうことだよね。消費ではなくてそれが洋服として生活の中で機能するっていうことだよね。それが主体性ということでしょう。


ようは主体的に決めているから流行り廃れは関係ないわけよね。逆に廃れてもう着られなくなるってのは元々ダサかったってことだよね。いや、メンズファッションの歴史とか見てて面白いのがさ、1920年代とかのケンブリッジ大学とかのファッションが半ズボンスーツスタイルなんだよね。まぁこれ自体が良いかどうかはともかくとしてまぁ一応コーデの妥当性として普遍性があるってことなわけでしょ?で、まぁ今はハーフパンツだなんだっつってみたくもない男の生足を無理やり見させられたりするわけだけど(笑)スーツにハーフパンツを履くかどうかはともかくとしてまぁ別にハーフパンツって流行りでもなんでもないのよね。それこそスーツにでも合わせられる普遍的なアイテムってことなわけでしょ?


まぁその根拠を1920年代の着こなしに求めるっつーのも還元主義的過ぎるとは思うけどただまぁなんつーか歴史を知れば知るほど一定の法則とかサイクルが世間的に言われるほど法則性があるとは思えないけどただまぁ大体なんらかの組み合わせってのはもうすでに過去にあるんだよね。それこそ大きめに着るとかピチピチで細目に着るだとかそもそもやれる範囲なんて限られてるからそんなもんやり尽くされてるんだよね。


まだ続くんでそんな感じでんじゃまた。