ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ペルソナ5とリアル。

ペルソナ5終わったんだけどリアルで色々あり過ぎてそれどころではなくてしかもペルソナと共通するようなことがあったりしてっていうまぁんで酒の量増えて胃が荒れてるみたいな感じなんだけどPS5からペットロスから現在に至るまでジェットコースター状態で大変だけど虚しさを感じる余地が無いぐらいなんだよね。

 

まぁいいや。そんな感じでっつーかなんかそういう重要な時に重要な映画を見たり本を読んだりっていう偶然が重なったりするけどペルソナ5は色んな意味で生涯忘れないだろう事柄の数々が刻まれた感じだわ。まぁシャドウって怖いですよね。本当に。

 

んでペルソナ5に関して言おうと思うことが色々あり過ぎてんでも書かなくて忘れた感じなんだけど(笑)認知世界と現実世界とかさ、人間の裏表とか心とは?っていうこととかなんかすげーなって思うのが特にペルソナ5はコープの相手にしても個々の話があってんで生々しいじゃない?実際にあるようなものをモデルにしてそれが話になってたりしてリアルとのつながりが半端じゃないどころかこれ自体がリアルなんだよね。んでもリアルに生きてても生きてる感じがしなかったりするものなんだけどペルソナ5に関してはゲームっつーヴァーチャル世界なのにリアル以上のリアルを感じるわけだよね。

 

んでなおかつそれが「リアルあるある」的なことではなくてあんまり考えないようにしてることとかダークなこととか時事問題とかも兼ねてそういうのを考えないようにしたり考えないってことをデフォにしてるような人たちへの凄まじい批判もあったりするよね。

 

現実のブラックなやつらとかがモチーフになったり出来事がモチーフになったりするのはまだ分かるとしてまぁネタバレになっちゃうからやってない人は気を付けてほしいんだけど最終的に我々が認知する世界が世界を形成するっていうような、ちょっと双葉的な言い方をすると「ヤバくね?」って感じのなんかウォール伝元ネタにして作りましたこれ?っていうぐらいここで展開してる話と一致してるんだよねっつってもそれは必然的で自分で言うのもなんだけど俺って結局当たり前のことしか言ってないんだよね。

 

ちょっとそこだけ見るとぶっ飛んでるように見えたりしても実はすげー地道な論理的なものの組み合わせで考えることができてるっていうさ、そこでまぁそれってウォール伝的世界観にせよペルソナ5的世界観にせよ論理的整合性っていうことで一致するってのはある意味客観的に当たり前なんだよね。

 

でもその当たり前を当たり前として言えなくなってる社会ってのがあってんでなおかつ薄っぺらい自己顕示欲だの自分のことしか考えてないような人間とか組織だのってのが跋扈しててんでもそれがデフォになっちゃっててまっとうな人ばかりが苦労をするっていうようなさ、そういう色んなファックな状況に対して怒りと抵抗ってのを見せるっていうさ、それだけだと中二病的な感じなんだけどそこをあえて怪盗みたいな中二病満載のモチーフで他人の心を奪うっていうさ、でもそこのコアの部分はすんげーアダルトっつーかむしろ成熟した人間が憂国して考えるような、まぁゲーム内にも三島って出てくるけど三島的な憂国だよね。

 

んでこの怪盗の活動をリアルにするとそのまま昔の右翼団体の活動になるわけなんだけど(笑)これのコアってやっぱ共通善なんだよね。リアルでも明智的な意見を言う人って絶対いるでしょうっていうかむしろ多いでしょう。他人が他人の心の改心を強制するなんて!っていう違和感があったりするんだけどその違和感こそがむしろ異常なんだっつーね、「それでも人は人」っつって黙認することが結果的にファックな社会を生み出しているわけだしそういうファックな人間がうまくやっていけてまともな人間が思い詰めて自殺しちゃうみたいな最高に病んだ社会を生み出してるわけじゃんね?

 

もちろん現実で実力行使!とまではいかないけどでも俺がここで何回もどんだけリアルがクソでも善くあることっていうことを忘れたらその時点でそのファックを形成してるシェットの一部になっちゃうんだぜ?っていうことなんだよね。んでそういう善くあることを貫いている人はすげーまっとうな感覚を持ってるがゆえにクソみたいな社会だとアウェーな存在でそれこそ怪盗団とかそれに協力する人たちみたいなマージナルな人たちになっちゃったりしてるかもしれないけどんでも間違えてないんだよね。

 

現実ではマイノリティだったりむしろそんなことを行使すること自体が大変でそんなことを言ってられない!みたいな人たちが大半の中ででもやるんだよね。んでそれを自分が行使できなくなったらもう死ぬしかないっていうさ、んでもだからこそ死ぬしかないような状況を作り出さないためにもリアルがどんだけクソでもリアルに生きてるわけだからリアルを見限らないんだよね。

 

むしろ人間はその認知を通して世界を見ているわけだからってそれはペルソナ5にも出てくるわけだけどその認知さえ変えれば世界も変わるわけだよね。でもまぁ実際は歪みまくってて改心の余地すらもないような連中ばっかりが多いっつーところでリアルはよりクソなわけなんだけどでも自分が「こうあるべきだ」と思う世界ってのをそんな歪みまくった人たちの認知と圧力で変える必要はないんだよね。

 

そこはもう善を突き通すしかない。んでそれをやってると独りよがりだみたいな明智的な批判もあったりもするんだけどそこが昔から書いている相対主義に徹底的に抗えるものってのがまぁ善であり正義なんだっつーね、んでペルソナ5って世界を統率しようとしてそれがクソまみれだろうがなんだろうが統率できればそれでいいって考えるような権力に対してそれが悪魔だと言われようがようはルシファーってそういう全体主義に対して最初にファックだ!っつって堕天使にさせられたわけじゃん?そういう堕天使達が世界を飲み込もうとしてる神に抗おうとするってまさに俺が言うサタニズムだよね。善の行使としてのサタニズムね。

 

もちろん形容的には悪魔みたいな連中が世の中に大勢いるんだけどんでも本当の悪魔ってのは見かけだけの善とか統制みたいなのにあくまで個として抗う存在なんだよね。だからこそ権力者とかマジョリティからするとうるさいやつで悪魔扱いされるんだけどあくまでそれって見方なんであって実は徳の戦士なんだよね。でも語られる世界ってのは常にマジョリティの世界だからなんかうるさいことを言ってるやつらはダメなやつらだ!みたいにレッテル貼って悪魔に仕立てようとするんだけどんでもどっちが悪魔なんですか?ってことなんだよね。

 

んでもましてや俺みたいな人間がそれをリアルでやろうとすると衝突ばっかなんだよね。でも俺には信念があるしやっぱり悪は許せないわけ。悪といっても裁けるような法的な意味ではなくてヴァーチュー的な意味での悪だよね。人間としてそんなことをやったり言ったりしたらヒューマニティが壊れるでしょうっていうようなことはそんなに大声で言えない場合でも言うんだよね。

 

むしろそれを言わないことで維持されるそういうヒューマニティが壊れるような現状を事なかれ主義で黙認するようなものを放置するなんてことはリアルの崩壊を黙認するっていうことなんだよね。そんなのがまかり通るリアルははっきり言ってクソでしょう?だからどんだけ批判されようがあーだこーだ言われようが徳の戦士達は戦わなきゃいけないんだよね。リアルはクソだらけですよ。でもそこから逃げるのは簡単だし黙認してりゃ事なかれで済むかもしれないけどそれを済ませちゃダメだよね。

 

かといっても啓蒙活動をしたり任侠団体を作ったりっていうことではなくて自分の世界だけでもそれは行使して貫き続けるんだよね。そういうファックでシェットなものに抗うためにね。そういうファックでシェットなふるまいをすることで普段は善意で行動してる人たちが悲しむようなさ、ましてやそういうのを間近に見ると本当に許せなくなるよね。

 

んでも抗おうとすると衝突は避けられないんだけどそこでの善に対するアグレッシヴさだよね。それはその悪党が許せない!っていうのもあるけど善への究極的な憧れってのがあるわけだよね。んでもまぁ何もかもが良いなんてことはありえなくてそりゃ細かいレベルではダメなことって色々あるけど根本的な悪ってのはやっぱ許しちゃダメだよね。

 

でもその悪ってのは自分で判断して悪だ!ってことじゃなくて実際に人をめちゃめちゃ傷つけてたり平気で裏切ったりっていう自分っつーよりかはむしろ他者目線だよね。そこで倫理と善の崩壊みたいなテロ行為をするやつらがいるわけだよね。そんなやつらは法がどうこう以前に許せないしそういうのを許せないという感覚が無くなったらもうそれはただのモブと化すよね。ペルソナ5の聖杯にエネルギーを注ぐようなマトリックスの養分みたいなシェットの一部になっちゃう。

 

だからこそ個であることが重要なんだよね。攻殻機動隊だとそれが個別の11人ってことになってるけどモブにならない「個別」っていうことのインディヴィジュアルであるっていうことの重要性だよね。それは衝突ばかりを生むかもしれないけどモブと悪にそれで立ち向かえるなら絶対それはやるべきなんだよね。んで普段もそういう英気を養っていくべきだし流れに負けちゃだめだよね。流れに負けたらもうそれはただのクソになるわけだからね。

 

でもまぁリアルでは別に改心させる必要なんてないからね。そんなもんそもそもサイコパスレベルのやつらになんて無理な話だしそこまでのことをしなくてもとりあえず抗うだけでいいんだよね。抗える方法ってのはいくらでもあるでしょ。パワーがいるってのが問題だけどだからこそ普段からそういう英気を養えるようなマインドセットと生活をしていないといけないんだよね。そうじゃないとすぐにモブに飲み込まれるからね。

 

悪は許さん!ってナイーヴに見えるでしょ?でもその内発性でしか善は担保されないんだよね。で、それは社会から見たら悪だったりダメなやつっつーレッテルを張られたりして社会的認証みたいなのには結びつかないにしてもんでもどんだけアウトロー扱いされようが確固たる善の感覚ってのは持ち続けないといけないんだよね。まぁもちろんその善の感覚自体が歪んでたら大問題だけどまぁそこはさ、怪盗団の正義と同じであのぐらいの分かりやすい明確なレベルでいいんだよね。

 

んでまぁもっと深く行ける人は深いところで善を行使するんだよね。んでそういうのって結果的に素敵な出会いに結びついたり結局はダークなもんを退ける神聖なパワーを持つということになるわけで保証はできないけど結局まぁ良いことに繋がると思うんですよね。そのプロセスでは色んな戦いがあって傷つくこともあるだろうけどでもそれはしょうがないよね。善の行使ってのは戦いだからね。

 

なんかね、本当に色々あって大変だけどさ、んでも絶対善は忘れちゃダメ。悪は許しちゃダメよ。んで結果的にその行使によって自分が悪人みたいに思われても善を信じないとダメだよね。まさにペルソナ5の主人公だよね。だから個が善と正義のトリックスターであれ!っていうのがペルソナ5のコアでしょ。

 

具体的に何をやるとかじゃなくてそうあるということが世直しに繋がるのよ。んでもそれはすぐに変化が現れるようなものじゃないにしてもんでもその行使をすることで近い人を守れるかもしれないし自分の環境を守るとかさ、悪に侵略させないっていうことだったりさ、悪の跋扈を許さないっていうそういうのは先陣切って進んで斬りに行くわけですよ。

 

でも絶対いるんだよね。そういうのに共感できる人ってのは。ただ普段は自分を殺して生きていかないと社会で生きていけないんだけどんでもそういうトリックスターを求めているって人たちは潜在的にいっぱいいると思うんだよね。それはなによりも善が結局はイデアだからなんですよね。イデアへの感覚を持っている人たちは絶対そういう形而上学的とも言えるような感覚を持ってるはずなんだよね。

 

そういう意味で俺は永遠に個でありたいわ。どんだけナイーヴだろうが悪を憎んで善を愛してあこがれ続けるっていう態度は一生持ち続けたいよね。そのあらゆる意味でリアルのファックさに抗おうとする人たちにはそれ相応のペルソナを授かってるはずなんだよね。もちろんリアルの煩雑なやり取りでそういうパワーが薄れる場合もあるけど基本的にファックに抗おうとするならその抗おうとする意志がペルソナを呼び寄せるよね。

 

んだからまぁなんつーか神社へお参りするとか墓参りするとかそういうのって大事なのよね。んでもまぁお参りして賽銭投げれば霊験が得られるというわけじゃなくてそういう清い魂を持ってる人たちにのみ霊験が顕在化するんだよね。ファックに抗おうとすればそういう味方って絶対ついてくるわけよ。現実ではそんなの感じられなくてもそういうマインドセットで善を行使してればそういうのが感じられるときってのが来るんだよね。で、最初は半信半疑でんでも何回か確定的な出来事があってそれが確信に変わるっていうね、んでもそれは本当に心次第だし認知次第なんだよね。

 

善に加護はありますよ。それは善を行使すれば得られる加護みたいなエゴイスティックなものではなくてちゃんとした善を行使しようとすればそこに加護は必ず介在するんですよ。

 

色々大変だけどさ、まぁやっていこうぜ。マジで。それしかないよ。本当に。

 

ってことでんじゃまたね。