変わってるか変わってないかなんであんたに分かるのよ!。

mimisemi2008-01-04

薬切れになってから一ヶ月が経ったわけだけど、無気力と不眠が酷いので溜めからいかせてもらうぜ。薬を飲んでいて初めてデフォルトが保てる俺の脳は明らかに異常です。それにしても薬が届くのが楽しみです。では、溜めです。

シェフェールフッサールに影響を受けてたなんて知らなかったな。シュルレアリズムからの影響もあったらしいけど、とにかくあるという認識がある上でそれをいじるって意味では現象学に恐らく立脚しているのだろうし(現象学は入門書程度しか読んでないので言い切れぬ)何よりシュルレアリズムに関してはまさしくその通りだよね。あ、あれねいつもの繰り返しになるけど、あのあれよ、シュルレアリズムのコンセプトの一つである、「ある」もの同士を合わせて異化させるってやつね。そっかー、フランスってのは哲学的な人が多いんだね。しかもドイツ的なものから影響されて何かをはじめる人が多いよね。あの時代のフランスってアートにしても音楽にしても哲学にしても、ムーブメントそのものが何かのまとまった一つの運動体みたいな感じがあったのかもね。なんつーか共通した感覚みたいなのがあったのかもね。ところでシェフェールだけど、ミュージックコンクレートのアイデアを思いついたきっかけってのが、まぁ色々あるんだろうけど、やっぱあれなのよね、ラジオ局みたいなところで働いてて、彼の周りには大量のサウンドエフェクトなりなんなりのレコードっつーかサウンドソースがあったのと、ミキサーがあったりテープがあったりして、環境そのものが「ミックスして」って言ってるような感じだったんだよね。ラジオドラマとかでもさ、相当クオリティの高い効果音作りをしていたらしいし、なんかで賞を取ったんだったかな?忘れた。まぁ基本的にそんな当時としては相当レアなサウンドミュージアムな環境に居たシェフェールがシュルレアリズムやフッサールなんかに影響されて音楽的というよりは哲学的な発想から音をいじりはじめたってのはなんつーか納得だね。彼自身、音楽とミュージックコンクレートは全然関係ないっつーか、音楽を聴くんだったらバッハを聴くほうがいいって言ってたぐらいで、ミュージックコンクレートってのはシェフェールの音楽思想なんだよね。音楽思想っつーか音思想っつーか。物音っつってその音以外に存在する脳内の物音に関するアイコンというのをいじるってのがね、まぁようはでも音ってよく考えてみるとアイコンだもんね。人間が生活の経験から、この音はあそこから発せられている冷蔵庫の音であるとか外の車の音であるとか、そんなのを一個一個定義しているだけで、音そのものがその音であるなんていう普遍的な定義は無いわけだよね。そういう普遍的な定義を与えられているわけではないのに人間は一個一個の音を識別して定義しているわけだよね。例えば今の俺の部屋で喘ぎ声が聞こえるわけがないんで、聞こえたとしたらそれは生の喘ぎ声じゃなくて、パソコンに繋がってるヘッドフォンから漏れてる音だろうとか、音が発せられている場所ですらも例えば同じ喘ぎ声でも喘ぎ声のタイプを頭の中で識別してるわけで、まぁシメントリーなんてクソ食らえだと、上に住んでいるホンコンさんが拡声器を使って喘ぎ声を読み上げているなんてことがあったりするわけで、まぁこれは自由の幻想の世界なわけだけど、そんなことでさ、音を識別している条件ってのは色々あるんだよね。もちろんそれは日常生活の中で単純化というかルーティン化されていって、まぁ疑いようのない当たり前のこととして、例えば住み慣れた場所の音なんてのは無意識に識別して音の定義をしているわけだけど、ミュージックコンクレートは残酷にもその聞きなれたアイコン成立済みの音の数々をカットアップしてきてごちゃごちゃにして異化させちゃうんだよね。だからある意味でミュージックコンクレートで使われる音素材ってのはミュージックコンクレートっていう名前にもあるようにコンクレートじゃなきゃいけないわけだよね。具体的じゃないといけないわけで、具体的というのが何を表すかというと、もうすでに大半の人間の頭の中では定義済みの音の数々ってことなわけで、それはまぁ電車の音だったりピアノの演奏という音であったり人の喋り声ってことだったりするわけだけど、異化に必要なものというのは人間の音に対する認識なわけで、まぁそれはミュージックコンクレートが成立する前提といってもいいかもしれない。だから音のアイコンが無いようなマイナーな音を使ったところで、そもそも異化される前の生の音素材にもリスナーは?で異化が成立しなくなるし、普通だと思われている音の数々を聴いたことが無い人達に聞かせても、その人達にとっては電車の音だとかコインの音だとかっていう誰でも聞き覚えのある音の数々に対しての具体的な音の定義なりっていうアイコンが無いわけで、これも音の異化というものが成立しない。って意味でミュージックコンクレートは音を耳で聞くというよりは脳で聴くという感じなんだよね。個々のリスナーが音に対する絶対的な認識の揺らぎというのを感じる音楽というか、まぁ極めて観念的なものってことだよね。ってことでまさしく音で現象学の問いをやっちゃったのがシェフェールのミュージックコンクレートってわけで、まぁだからマトモスの七三が言うように音楽的にクソつまらないのはまぁ必然だよね。ただそれをユニークにして、かなり人間的というか芸術的に昇華させたのがアンリだったってわけだね。だから一般的にはシェフェールよりアンリのほうが音が面白かったりして評価が高いわけだけど、作品を脳で聞くとシェフェールの作品の数々のほうが硬派にミュージックコンクレートしてるんだよね。シェフェールのミュージックコンクレートはシェフェールプリンシパルに則って作られたというよりは配列されて異化された音の数々って感じで極めて生なんだけど、アンリの場合は具体音を使って面白い音を出したりしちゃおうじゃないのっていう、ミュージックコンクレートに対する音楽的なアプローチなわけで、ある意味でアンリの作品の数々ってミュージックコンクレートであってミュージックコンクレートではないんだよね。ミュージックコンクレートがシェフェール的な認識を揺さぶる音楽なのであったら、恐らくほとんどのミュージックコンクレート作品はミュージックコンクレート足りえないわけだけど、具体音をソースとして作られた音楽・音響作品という意味でのミュージックコンクレートだと極端な話、ハーバートとかマトモスなんかもミュージック
コンクレートって言えなくも無いと思う。


そういう意味だと俺は音の響きも重要なんだか、もっと個人的で観念的なコンセプトに囚われているという意味で無意識的にシェフェール原理主義者なんだよね。そんなつもりはないんだけど、自分がやりたい音の一つが、それこそいつも散々書いてるようなシェフェールを聞く前から囚われ続けていた音の異化・音に対する認識の変化っていうコンセプトに立脚したものであるので、抜け出しようが無いというか、シェフェールを聞く前からシェフェール原理主義的なコンセプトを抱えていたんで、誤解を恐れずに言えば、自分のコンセプトがシェフェールのそれを似ているっていうだけで、自分は別にミュージックコンクレート原理主義者でもなんでもないんだよってことなんだけどね。ただ自分の場合、特にフィールドに凝り始めてからは、音そのものの異化というよりかは、音の状況の異化という風になっているんだよね。ようはフォーカスするパラダイムが大きくなったというか、変わったというか、個々の音から音を取り巻く状況そのものを異化させてしまおうという風になったんだよね。んだからいつも書いてるあの完成してないフィールドのやつは違ったマイクの指向性なり状況でとられた様々な音を混ぜ合わせて、音そのものなり音の状況そのものすらを消してしまって新しいものとして出力させてしまおうという試みなんだよね。例えば蝉が鳴いているんだけど大雨が降っているとか、広そうな場所でとられたような公園っぽい環境音が鳴っているのに、同時にチャーハンを焼く音が凄く近いところで鳴っているとかね、そんな感じなのよ。やりたいことは。ただまぁある意味で凄まじい完成形をジムオルークが作ってしまっていて、それはscendっていう作品なんだけど、まぁーね、そこまで具体音の嵐じゃないんだけど、あの空気感と音の配列はまさしく完成形なのよね。だからあんな天才相手にしてもしょうがないんだけど、なんつーかすげー悔しいんだわ。んだから例のフィールドのやつはジムオルークのrules of reductionだかっていうメタムキンだかから出てた耳映画シリーズだったか、耳のための映画だかっていうまぁそんなんがあるんだけど、それを解体してアンプリファイしたりなんかして死んだ音素材として使っているのね。意味分からないでしょ?いやね、まぁその使ってる理由の一つとして、自分が音を作る中で自分の使う各音素材そのものに固有の記憶があり過ぎてはつまらないものになるってことで、あえてわざとらしいような効果音チックな音素材を使ってみたり、自分ではない誰かが録音した音素材を死んだ素材として使ったりしているんだけど、まぁこれらの音ってのは自分にとっては音に対して固有の記憶が無いものなのね。だから自分の記憶がある音の数々と混ぜ合わせることで、もう自分の記憶が作品の中で死んでいくんだよね。そういったプロセスが凄く重要なわけ。これに関してはね。まぁ別にそのプロセスがダイレクトに音として現れるわけではないんだけど、作る過程の中で作者に影響を及ぼすものって音そのものでしょ?だから自分も意識的に単純に音を加工して並べるということに終始するべきではなくて、加工する以前の音に対してもっと注意深くなることが必要なのね。それは音の選別であったり使い方であったりするんだけど、この場合、音の選別という部分で音そのもののキャラクターではなく、分類のやり方の一つとして音に対する固有の記憶があるか無いかというのも凄く重要なファクターとして認識しておくわけね。俺が言っている音に対する記憶ってのは、個々の音がどういった状況でとられたか?みたいな個人的な記憶ってことね。だから自分にとって例えばガラスが割れる音でも自分でとったガラスの割れる音は録音するために自分が意図的に割ったガラスの音であるわけだけど、誰かがとったガラスの割れる音ってのはそのガラスがコップなのか花瓶なのかとか、誰が割ってどういったマイクでどういった状況でとられたか?なんてのは全く分からないし予想もつかないわけで、そこで俺がさっき書いた「死んだ音ネタ」としての認識上での価値が生まれるわけね。もちろんそれは俺が録音した音素材の数々があってのことね。全部、効果音CDからとってきた音で音を作ろうなんてのは俺個人的には絶対思わないってーのはあくまで死んだ音ネタたちは俺の音素材を異化させるためのものなんであってメインじゃないのね。だからその音ネタのソースが安っぽいサンプリングCDだろうがなんだろうがかまわないわけだけど、ジムオルークに関しては個人的な嫉妬があるんで、んじゃあジムの音も取り込んじゃって異化しちゃおうなんてのがあるわけだけど、まぁこれは本当の個人的なことなんで、作品全体にで考えると別に重要なファクターじゃないっつーか、どうでもいいことなわけだけどね。

そんな感じで今日もまた寝たきり生活に戻ります。

●人格異常とはどんなもの?

大きく3つに分類されます。
1. 奇妙で風変わりなライフスタイルの人
2. 感情面が安定していない、いわゆる情緒不安定な人
3. 不安や恐怖を強く感じる人といった具合です。

全部当てはまる俺はどうしたらいいんですか?

人格障害は一般に、一生を通じて安定しているので、治療して治すというわけにもいきません。

そうですか、なら諦めます。

http://allabout.co.jp/health/mentalillness/closeup/CU20021212B/index.htm

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