Carchemishさんへの私信。

ではCarchemishさんへの私信を。

Carchemish
2009/11/12 03:00


思わず書き込まずにはいられない。おめでとう! 垂れ下がった蜘蛛の糸を掴んだってわけですね。どうせ昇る資格の無い奴には無用の長物なんだから、精一杯独り占めにして掴み昇って行っちゃってください。今までの耳蝉さんの文章とは明らかに違ったリズムがあって、なんていうか、こう、変わったんだなっていう感じがします。巧く言えないけど。


思えば耳蝉さんの独白にはどうにも曲がったというか曲げられてしまったようなところがあって、そこにいつもちくちく刺すみたいな違和感がありました。だからこそ理屈の上の正しさは明らかなのに、私は耳蝉さんに対して苛立ちというか、怒りというか、そういうネガティブな感情を抱くことが多かった。本音を言ってしまうと実はこの頃では「華やかだけど移り気なあだ花に過ぎないんじゃないか」と思い始めていたんです。足もだいぶん遠のいていた。何度か書き込もうともしたけれど、どのみち相変わらずの精神的な噛み合わなさを感じるだけなのじゃないかって。だけどこのエントリにはそういった私から見てのノイズがまったく見当たらず、明け方前の雲ひとつ無い空みたいにすっきりとしている。そう思います。


もちろんこのエントリみたいな精神病者独特のヒート現象の下に書かれた文章がいくつもあることは知っていますし、私もそれを長らく読ませて貰ってきました。でも、今までとは全然違う。耳蝉さんの魂の響きが、リアルに、ダイレクトに全方位に向かって広がっていくのが感じられる。このエントリを読んだとき始めて私のなかで耳蝉さんという人間がひとつの現象としてちゃんとした形を取ったのじゃないかと思うくらいに。今までの耳蝉さんのすべては、病について語っているときも、異性について語っているときも、音楽について語っているときも、社会について語っているときも、そのすべては、虚像だったのかと思うくらいに! 失礼なことを言っている気がしますが、まあそんなことはどうでもいい。とにかく、おめでとうございます!あなたは今まさしく今生きているっていうわけだ!

 
たぶんこれからも浮き沈みあると思います。打ち込まれるウェッジが馬鹿みたいにデカイのがメンタルでトラブっている人間って奴ですから。だけど生まれた人間が生まれなかったことには出来なやしないし、死を迎えた人間がもういちど彼自身を生きるってこともできないように、もはや朝はやって来、炉に火が灯され、歯車が動き出そうとしているわけなんだから、精一杯正しく踊って貰わなきゃ困りますよ! 今日こうやってウォール伝を開く前には、耳蝉さんが世の中を儚んでもお悔やみを述べるぐらいだったでしょうけど、今となっちゃ、怒り狂うでしょうね。ふざけるな! 幕を揚げろって。


 ……あー、だいぶん私も中てられてヒートしてる。読み返すだに酷い文章だ。でもまあ、このまんま投げます。珍しいな、文章一筆書きだなんて。まあ、とにかく、おめでとう!


Carchemish
2009/11/12 04:25
 

寝れなくなった。なんてこった!


まあアレですね。このとこの耳蝉さんのエントリをざざっと読み返してみたんですけどやっぱり人間ってカードひっくり返すみたいに変わるもんじゃないっていうのは確かみたいですね。というのも、過去から現在へと向かって山なりや伸び上がる感じのカーブを描きながら徐々に徐々にの変貌が起こっているのが何となく感じられたからなんですが。数学は抽象思考の頂点だとかいうセールストークを何処かで聞いたような覚えがありますがあながち間違いってわけじゃあないのかもしれない。とりあえずてっぺんに立って、ぐるりと辺りを見回す。最初は霧がかっていてもだんだんあたりを見通せるようになってくる。するといつしか自分よりもよっぽど高くて荘厳な山が視界に映り、なんて素晴らしいんだ、行ってみよう! と来る。私からすると全体を通してそんな感じのイメージを抱きました。


実はこれって耳蝉さんの考えと親和性があんまり「ない」。耳蝉さんと数学者の彼が引き合う。その構図では耳蝉さんそのものが抽象化されたひとつの個体(言い方がマズい気がする。哲学まだやり直しだしたとこなんで適切な表現が見つかんないです)として存在してる。数学者の彼も同じように。引き合ったり離れたりするような力学的な構図っていうのは、それぞれのエレメントに対して究極的には平等。耳蝉さんがこの構図の上から去っても、数学者の彼はそのまま残るし、その逆もまた然り。完成されたマップの上で物事が推移してるっていうのかな。耳蝉さんには手のひらで感じられる冷やっこい世界が存在する。


反面私の捉え方は全部が全部「自分が見ているもの」がすべてで、あらゆるものの中心に私がある。私が仮に耳蝉さんのような出会いを体験したとしても、その私の目の前で「生きているはずの」ヒトは、私にとっては素晴らしい刺激のかたまりに過ぎない。私には確からしい世界は存在しない。たぶんここが私の病理であり、またメジアンな人間から一線を画している部分でもある。精神的に盲目っていうのは、私の重荷だと思っていたけれど、もしかすると私の基礎に位置づけるべき属性なのかもしれない。……何となく思っていたけれど、しっかり言語化できたのは始めてだな。まだまだ言葉の定義も曖昧だし、概念そのものもファジーだけど。


耳蝉さんとの間の大きな違いを認識します。それはたぶん、保守とリベラルとか日本好きだとかアメリカ好きだとかそういった表面上の差異ってだけじゃない。もっと根本的な部分のつくりの違い。平行する線は交わることはないでしょう。少なくとも一番奥深くを貫いている一本の芯は。だけど越えられない空間を隔てた向こう側にいる得体の知れないものを、それなり認め、それどころか素晴らしいものだと賞賛することすらできうるらしい。今までそれはただただ恐ろしいもので、派手に引っぱたいてしまいたいと思う気持ちを理性で必死になって抑えていたっていうのに。なんていうかな、変われば変わるものっていうか。まあヒート状態が終わったらまた疑念が渦巻きはじめるんだろうけど、ここまでキツく打ち立てておけば、そうそう崩れるってことはないんじゃないかな。そうだったらいいな。


あ、そうそう。グレートギャツビーは当時のアメリカ文化ご開陳的な部分はトコトンつまんないんで、キャラクターの心象風景だけツマミ食いしたほうがいいですよ。そうすればそこそこ楽しめるはず。ニックもギャツビーもどうでもいいけど、女性陣にはそこそこ味があります。まあ読んだの相当昔だしことさら印象に残る場面もないってことはそこまでオススメできるもんじゃないってのは明らかだし、それにそんなことしているようなヒマなんて今の耳蝉さんにあるのか果てしなく疑問ですけども。


あと私も異性と接触を持つとあとで物凄い勢いで吐き気が襲ってくるんですが……って、耳蝉さんのほうはそういう純粋に生理的な嫌悪感とはちと違う感じですかね。デートっぽいものの気持ち悪さっていうのは良く分かるんですけど。演じるにしたってそそる台本と点火用の火種にもならない駄本があるわけで、恋愛のための恋愛を描いた奴っていうのは……ってありゃ、これも何か違う気がする。


うーん、何かかみ合わなくなってきたな。書くスピードも落ちてきた。寝ることにします。お休みなさい。


Carchemish
2009/11/12 12:17


 ……ちょっと冷静になりました。あと寝坊しました(苦笑)


最後の2パラグラフがとてつもなく蛇足だなあ、とか思っている時点で、だいぶん「いつもの私」に戻っちゃっています。ほっとしたような、ちょっと寂しいような。でも、今回はわりかし後に引きずらない感じのヒートっぷりだった気はしています。影響を与えた側である耳蝉さんの燃え上がり方が、不純物の少ないグレードの高いものだったからかもしれません。掛け値なくいい文章だったと思います。世の中のあらゆる人々が、こんなふうに混じりっ気のない色合いだけを携えて生きていられればいいのにね。


んでは。また来ます。


いや、僕のエントリーとか考えに苛立を持っていただけるってある意味なんっつーかそこまで僕の文章を熟読してくださってるっていうのが凄まじく嬉しいです。で、「移り気なあだ花」かもしれないというのは実は本人も思っていることです。数学にシフトしたのは哲学とか政治哲学の答えの出なさに嫌気がさしただけじゃないのか?とか、ただ単に飽きたのでは?とか、まぁ僕みたいなタイプにありがちなのはあれいってこれいってっていう興味がポンポン変わる感じですね。なので一つのことを極められずにすぐ飽きて「はい次!」ってのが永遠と続くだけのちょっと普通より頭の良いやつなんじゃないか?とかって思ったりしますよね。それは今後の僕の課題でもあります。まぁ興味次第でやっていけばいい話なんですが、専門分野は絞らないといけませんからね。


ところでCarchemishさんのお考えに異論を挟むつもりはありませんが、今までの自分は虚構ではないし、ずーっと地続きです。多分、今までが虚構と思えるぐらいに!と見えるのは僕が興奮して書いたエントリーの勢いのせいですね。よくよく考えてみればあのエントリーには反省するところが多くありました。彼を純粋な友人として見ていない部分があって、例えばカジノに言ってリアルラスベガスをぶっ潰せを見られる!だとかウォールストリートの彼の会社に行ける!とか、彼と知り合いになったことで付随してくる本来はオプショナルなものであるものが結構ドミナントになっていた気がするんですね。これは友人関係としては最低だと思うんですね。じゃあ彼が金持ちじゃ無かったらどうなのか?ってまぁあの知性だけで十分ですが、「数学を教わることができる!」というのもまぁある意味で計算的ですよね。利害関係で友人関係を見ているというかなんというか。それはもちろん彼が凄過ぎることから来るものではありますが、ただこんな考えを続けていたらいつか彼との関係は崩壊すると思いますし、凄く反省してるんですね。その僕へのベネフィットではしゃぐというのがアウトですね。友人関係って損得ではないですからね。


そういう意味でCarchemishさんがおっしゃる幕はすでに揚がっていたんです。ただそこに彼が現れたというそれだけです。彼に出会えたから人生が変わった!というのはあまりに自分の軸が無さ過ぎというか、そこはまぁ色々とここ数日考えたことなんですが、彼が軸じゃダメなんですね。彼によって幕が揚がったのではダメなんです。自分で挙げた幕の中に素晴らしい人達を呼び込まないといけないんですね。僕は彼がその中の一人だと勝手に思っています。ここで舞い上がるということは彼が開いた幕に僕が入るという感じになりますね。まぁ話だけ見ればバラ色の人生が待っているように思えます。でもやっぱり軸は自分なのでこれは解決でもなんでもないんです。


そういう意味で過去の僕と地続きだということが言いたかったんです。ただ別に僕はCarhemishさんのご意見を批判だとは思っていません。なぜならこれは一つのオピニオンとして正当性がありますし、それは凄く理解できました。これはそれに対する僕なりの返答です。


Carchemishさんがおっしゃる抽象化された一つの個体の話は見事です。これこそまさしく量子論的な世界観ですね。恐らく全ては抽象化されるか、抽象化されうる個体だと思います。それと「自分で見えいるものが全て」というのには両立性がありますというか両立していないと成立しない概念です。客観的な世界像のあり方としてCarchemishさんの言葉を借りるならば、「抽象化されたひとつの個体」があります。しかしながらその「抽象化されたひとつの個体」たちは「自分が見ているものがすべて」という世界観で生きています。もちろん思考の抽象度を高めることによって抽象化された世界像をイデアルなレベルで見ることは可能ですが、基本的には全ての人はその人を中心に生きています。そんな独我論的世界観の中でいかに抽象的思考を高めつつ、「起こっていること」や「あるもの」をただそれだけのものとして捉えることで終わらせないことが抽象思考の核なんだと思います。僕が感じられる手のひらに存在する冷やっこい世界も、抽象思考や物事を理解することによって得られた世界です。なぜこれが冷やっこいのか?というと世界が基本的に冷やっこいからですね。真実というのは大抵残酷なものばかりです。そういったものを誤摩化さずに見通しながら付き合っていくと世界は自ずと冷やっこいものだと知覚されるようになりますね。


確からしい世界は存在しないのではなくイデアに作るものだと思います。これは数学から得た知識ですが、現実のものをIdealizationすることによってReal ObjectがIdeal Objectになります。Carchemishさんのおっしゃることと同じかは分かりませんが、個体の抽象化というのはつまりはこういうことだと僕は思います。その抽象化されたオブジェクトに数学的なプロセスや吟味が加わることでそれがReal Objectを示唆するものとなります。簡単に言ってしまえば抽象化のプロセスの後にそれがリアルなものとして立証されるということですね。数学の場合、これは確実に立証されますが、概念や哲学の場合、抽象化されたものが吟味されるとは言え、その吟味や熟考というプロセスは人の考え方によりますし、真実性の立証は不可能なのですが、そこにいかにドクサを介在させないかが抽象思考の重要なポイントだと思います。


抽象化が進めば些細な塊ですら意味性を帯びてくる可能性があります。行き過ぎると精神的に病みますけどね。僕が良い例です。狂ってるのか抽象度が高過ぎるだけなのか分からないのですが、まぁ僕はこれでいいと思っていますけどね。狂気の近くに真実があるなら狂気にも近づく必要があるわけですね。恐らくこれは知性云々の話ではなく概念や思考の属性の違いだと思いますね。なので一概に抽象思考が得意な人間が頭が良いとは言えないわけですね。で、この属性の違いはある程度は変わるものだと思います。もしくは変えようとすればいくらでも変わるものだと思いますね。


あ、んでいきなり話は変わってギャツビーですが、多分、個人的に読めばまぁここまで苦痛じゃないんでしょうけど学校で読まされるというのがなかなか苦痛なわけですね。気が向かない時にも「このチャプターを読んできて。テストがあるから」とか言われながら読むのが苦痛ですね。あとなんといいますか、学校全般そうなのですが、「クラシック」もいいとは思いますが、もっと若い先生が現代の文学を教えるとかっていうのを一般教養課程でやればいいのに!て思いますね。日本で言えば別に扱う小説が戦前のものであったりする必要は無いんですよね。若い作家の作品をそのまま授業で扱うとか、そういったフレキシビリティが必要ですよね。アメリカで言えば別に今ギャツビーをやる必要は無いわけですよね。他にも代わるものはいくらでもありますし、もっと面白いものはいっぱいあるでしょう。読むのがかったるいので、ロバート・レッドフォードミア・ファロー主演のギャツビーの映画を見たんですが、確か監督はコッポラだったと思いますが、昼ドラ以上につまらなくて唖然としましたね。でもまぁ今っていいですよね。読まなきゃいけないっていう小説の映画とかをネットとかで見れたりするんで本当にいいですね。


異性との接触はなんでしょうね?例えば可愛い子と喋ってるときは楽しいし、ここはまぁ普通の男が感じる喜びだと思うんですが、恋愛的な匂いがしてくると生理的に嫌になるんですね。気分が悪くなるというかなんというか。相手は完全にセックスに興味が無いプラトニストであるという前提でもあれば違うんでしょうが、まぁそんな人滅多にいないでしょうからね。恋愛の匂いがしてくるということがセックスに繋がっているから気持ち悪いのか分からないんですが、とにかくまぁ違和感を覚えますよね。そういう意味で僕は本当の恋愛はさっぱり経験していない気がします。まぁ姫は別ですが、それ以外だとまぁリア二千ぐらいですかね。でもそれを考えるとただの面食いだという気がしてくるような気もするんですけどね・・・・。所謂、ただの可愛い子ではなく、何らかの条件を満たした子じゃないと違和感を感じるっていう、まぁそれも贅沢な話ですけどね。まぁとにかくまぁリアルセックスは嫌ですね。本当に。


ところでそこまでエントリーを褒めていただいたのにも関わらず削除してしまって本当に申し訳ないと思っています。ただこれは彼があまりにも良い意味で特異な存在であるが故にへたなことを書きすぎると個人を特定できる可能性が出てきてしまったので、だから削除しました。とりあえずまぁ今は渦中のまっただ中なので落ち着いたことが書けないのですが、あまり返信が遅くなり過ぎるのも嫌だったので先走ってしまいましたが返事を書かせていただきました。本当は全てが解決してから書く予定だったんですけどね。

shockingPINK
2009/11/11 21:42
この本、面白いですよ
http://www.amazon.co.jp/Fortunes-Formula-Scientific-Betting-Casinos/dp/0809045990/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=english-books&qid=1257943179&sr=1-1


今度読んでみます。最強の教師と出会ったので僕に理解できないものはこの世に存在しません。とかって言ってみるのもまぁ必要ですねってことですね。自分の知性を信じられなければ何も信じられませんからね。