Carchemishさんへの返信。その3。

mimisemi2009-11-20

Carchemishさんから返信をいただいたので返事をまたエントリーにしますですっていうかまず最初に書きたいのがっていうかこれは純エントリーなんだけど、こないだのっつーか昨日かな?性衝動の話したじゃん?で、あれから色々と分析してみたらさ、ようはヤリたいっつーよりかは舐めたいんだよね。「うわーヤリてぇー!」って普通なら思うんだけど、俺は変態だから「うわーナメてぇー!」って思うんだよね。ようは挿入じゃなくあくまでマスターベーション的なんだよね。ナメながらオナニーしたいとか手コキしてもらいたいとかそういうレベルだからね。所謂penetrationじゃないんだよね。そうなるとまぁメイクセンスだよな。全然ある意味で今までと変わってない。ただまぁセンズリのオカズにしてるような女の目の前でオナニーしたいみたいな、オナニーのレベルが上がったようなもんだよね。シュラムのあの変態男とほとんど一緒だよね。あいつと俺が似ているってのは前にも書いたよね。


ってことでここからは返信になりまする。

Carchemish
2009/11/20 07:53
あああ、すいません。前々回の発言を見返すと整合性が無茶苦茶だあ。とほほ、これだから熱情に振り回されて書くのは嫌なんだ。


えーと、弁解めいていて申し訳ないのですが、私の公的なスタンスは『>>ドン・キホーテが本当の騎士であるか、それともただの“ごっこ”に過ぎないのかはどうだっていいことです。重要なのはその姿勢であり、語られる言葉であり、一貫性であり、つまり正しさであり美しさなのですから』この部分がすべてです。その他はすべて私の好みの問題になります。耳蝉さんのこういった態度は好みで、こういった態度は性に合わないというだけの話です。ドリームキラーや市井の人や日本や社会システムに憎悪を傾けている姿は好きではない。そういった耳蝉さんは「病症に臥せって〜」のドン・キホーテ。反面、数学者の彼について明け透けに語っていた姿は素晴らしかったと思う。このときの耳蝉さんは「風車に突進する〜」のドン・キホーテです。ドン・キホーテというのが耳蝉さんに通底する信念のシンボルだというのはそうなのですが、そのドン・キホーテに掛かった形容のそれぞれは、「耳蝉さんがどうなのか」という話ではなく、「私から見た場合はどう見えるか」というのを表している……うわああ、なんでこんなシッチャカメッチャカな構図になってるんだろう。


で、にも関わらず、前々回「>>華やかだけど移り気なあだ花に過ぎないんじゃないか」こういうこと書いてる。これじゃ「ドン・キホーテが本当の騎士である=社会的に意味のある存在として認められる」という点を価値として見ていると思われても仕方ないですね。すみません、そういうつもりはなかったんです。……といっても、文章というのは本人が意識的に思っている以上のことを簡単にあからさまにしてしまうものなんだから、これもまた私の本音の一部分なのでしょうけれど。猛省。


それで、改めて思うこととしては、やっぱり私と耳蝉さんでは根本的にタイプが違うんだなあということです。私が前回耳蝉さんのことを「傲慢だ」と言ったのは、耳蝉さんがタイプの違う人間をぞんざいに扱っているように思えたからです。つまり、「誰だってなろうと思えばこういうふうになれるんだ」と面と向かって言うのは、確かに「そのようになれない人間」に対して傲慢かもしれませんが、それ以上に、「それ以外のありようを目指している人間」に対して傲慢なのではないかと思ったのです。耳蝉さんの喩えを借りれば、「金がすべてだ!」という態度は、他のあらゆる価値判断基準を不当に軽視するものではないでしょうか。もちろんこのような態度には良い面もあって、耳蝉さんはその良い面を最大限引き出していると思います。ですが、私の受けた印象は、「傲慢だ」というものでした。


耳蝉さんが耳蝉さんなりの信念に基づいて生きるように、私にも私なりの生き方があります(おそらく他のあらゆる人々も同じように)。あんまりこういうラベリングをするのは好きではないけれど、耳蝉さんをソクラテス的な知の探究者だとするなら、私はたぶん、モラリスト的な人種なのだと思います。


おそらく今回の食い違いは、そもそも私の説明がヘタだというのと、それから以前の書き込みはADHDアスペルガーといったわりとリアルというか、肉体的な話だったのが、今回急に精神性の話に飛んだ(というか私が勝手に飛ばした)ためではないかと推測します。さらに言うなら、私が「アスペルガー症候群かっこADHD傾向」であるというのが話をよりいっそう錯綜させてますね、こりゃ。ADHD的な傾向性で言えば、私は耳蝉さんの言う「普通の人」と耳蝉さんの中間にいるわけで、第五段落の耳蝉さんの分析もその意味では正しいんですよね。


うーん……なんかほんとこれ、ただの弁解だなあ。


お返事ありがとうございます!で、単刀直入に聞きたいんですが、これは全然批判とかではなくて純粋にただ知りたいだけなんですが、ドリームキラーや日本の社会システムに憎悪を向けている僕がなぜ嫌いなのか教えてもらえますか?僕が批判してるものってまぁある意味で盲目的に悪だと信じているものばかりですが、ドリームキラーとか自殺率が無駄に多いちゃんと回ってない日本の社会とかどう考えても悪いものにしか思えないので、なぜそれに憎悪を持つことが嫌に見えてしまうのか教えていただけないでしょうか?


勘違いかもしれませんが、例えば僕がこうやって外から批判をしていると内部にいるものにしてみては薄々気がついてはいるけどそれを行ったらおしまいなんで、なんというか外部からの批判が耳障りとかっていうそういうことなんでしょうか?所謂、好きだろうが嫌いだろうが属しているし属さなきゃいけない場所の悪口ばかり聞かされるのは辛いものがあるっていう、その好き嫌い関わらず一部であるので事実だとしてもあまり批判ばかりされるのは嫌だっていうそういうことなんでしょうか?ようはどうにもこうにも日本でやっていくしかない以上、少しでも日本の利点を探して肯定していかないとやっていけないっていうそういうことはありますか?それはCarchemishさんがそう考えているのだろうという予想ではなく、そういった理由はあったりしますか?っていう質問です。


仮にドリームキラーや日本の社会について批判を続ける僕が「病床に臥せっている」ように見えるのだとしたら、ちょっとお言葉になりますが、凄くそれに関しては警告しておきたいです。実は僕はまともな批判しかしていません。それが病んでいるように見えるのは現状のあり方を肯定していたり「しょうがないから」って思ったりしている現れなのでは?と思ってしまいました。所謂、社会に適応できない駄々っ子に見えてるのだとしたら、それは結構マズいなってことです。仮にそうだとしたら僕がよく使うマルクスの虚偽意識にCarchemishさんの意識がそのまま当てはまるんです。まぁあくまで仮にそうだとしたらの話ですけどね。


こんなグチャグチャな日本とかドリームキラーを肯定する理由なんてゼロだと思いますが、なぜそれを批判するのが病に臥せっているように見えるのかが不思議でしょうがないという気がしました。というよりかは虚偽意識丸出しじゃないか!って思っちゃいました。仮にそうだとしたらですよ、Carchemishさんがそう考えているかはともかくとして、仮にそういう風に考えてる人がいたとしたら、そういう人達によって現状の社会が維持されているわけで、それは所謂、良くない保守の温床ということなんですね。どう考えても肯定できるわけがないものを肯定する人達がいて、そういう人達がなぜか変化を拒んでいるということですね。


で、ドンキホーテモデルはなんとなく分かるんですね。ただ突進しているベクトルはどっちも一緒ですよってことですね。まぁ僕が言いたいのはなぜそう見えるのか?ということが知りたいってことですね。そう見えることに批判を加えたいわけではないし、「違うんだ!」と言いたいわけでもなくて、なぜそう思うのか?という、なぜ違うように見えてしまうのか?というのが知りたいんですね。


タイプが違う人間をぞんざいに扱ってるつもりはありませんが、これもまぁそう見えてしまうっていうことの一つなんでしょうね。「抽象思考ができないやつはゴミ」って2ちゃんねるのスレッドのタイトル並にレベルが低いと思いますが、まぁそういう風に僕が思ってないのは明らかだとは思うんですね。抽象思考ができるゴミもいっぱいいるし、抽象思考と人間性とは全く関係が無いですからね。抽象度が低くても人間性が高ければそれはただ抽象思考ができるやつよりもよっぽど人間的に価値があると思いますというか、まぁあえてそんなことは書く必要が無いぐらい明らかなことですけどね。いや、これと同じことを例のドリームキラーにも言われたことがあるので、そういう風に見えてしまうんだなっていうのはある程度しょうがないのかな?って気はしますね。ドリームキラーは僕のことを僕が一番だと思っている人間でそれ以外はみんなクズだって思ってるって言ってました。大間違いでポイントを外しまくってますが、そう見えているというのは事実なんですよね。そればかりは事実なんで僕にもどうしようもないです。


ただ抽象思考って意外と人間性にも直結してるんですよ。アスペルガーなんかが典型的ですが、アスペルガーの人達は抽象思考ができないっていいますよね。実際そうかは分かりませんが、まぁそれは文献を読んでみるとして、僕が何が言いたいのか?っていうと他人の立場になってものを考えるとか、他人へのシンパシーとか他人がどう考えるであろうか?って考えるのは抽象思考なんですよね。それ自体はもちろん具体性がある思考で、虚数とかについて考えるのとはわけが違いますが、でも他人の頭や立場や視点というのを想像して、その人が考えるとか感じるということを全て想像してそれに則って物事を考えるってシャーロックホームズが犯人の身になって物事を考えながら「犯人ならどう動くであろうか?」と想像しながら推理するのと同じプロセスなんですよね。アスペルガーの人達はまぁ僕の勝手な解釈ですが、こういったことができないのは所謂、抽象思考的なプロセスのimpairmentだからなんだと思ってますね。だから他人の感情が理解できなかったり行間読みやボディーランゲージやフィギュアティヴなジョークが理解できなかったりするわけです。


かといってまぁ抽象思考ができるから良い人だとは限らないのですが、思いやりとはある程度の抽象度を必要とするものだということですね。思いやってる自分に満足しているという思いやりもあったりするので、本当の思いやりとは抽象思考の賜物だと思うんですね。抽象思考の利点は色々あると思いますが、それは苫米地さんとかが書いてることと一緒で普段から抽象度を高める訓練をすれば抽象度が高い頭になるという事実を言いたかっただけです。まぁ苫米地さん自体が間違っている可能性はありますけどね。まぁやってもできない人はいるわけで。ただまぁ訓練すればできなくもないものだということが言いたかっただけです。誰にでもこういう風になれるんだというのはその敷居の低さを表したかっただけですね。別にそこまで特別な能力でもないんだよっていうことですね。いや、それが実は特別な能力だとしたらそれが「傲慢」になるので、そういった意味でこれが仮に特別な能力なのであったとしたら、Carchemishさんが感じた「傲慢さ」は確かなものだと思います。だから逆に僕は気をつけないといけないわけですね。こんなこと誰にでもできるって簡単に言うことが仮に他人には難しいことだとしたら?そのときは本人にはそういう意図が無くても何か他人を見下してるような感じを受けるというのは自然なことですよね。


それは学校のクラスとかでも気をつけてることですね。口癖で「こんなもんイージーだ」って言っちゃうことが多いっていうかまぁ本音なんですが、仮に他の生徒が僕がイージーだと感じることに必死で取り組んでいたとしたら、僕が言う「イージーだ」って言い方は努力してる人達に失礼になりかねませんよね。僕はイージーだからイージーだと言っているだけなんですが、それは僕がイージーだと思うだけで、他の生徒の大半はそう感じていないのだとしたら、僕は態度を改めないといけないわけですね。「こんな簡単なものに時間をかけるなんで馬鹿げている」ってウォール伝ならいくらでもいいますが、リアル世界では禁句だなって最近感じています。それがまるで他人を見下しているように見える可能性もあるわけで、僕にはそういうつもりがなくてもそう思われてしまうということはあるので、だから気をつけないといけないんですよね。


ただまぁソクラテス的な知の探求者のあり方は確かにまぁ凄く排除的ですよね。「The unexamined life is not worth living」というのはそれだったらソクラテスの生き方をしないやつはみんな価値が無い人生を送っているのか?ってことですからね。マイケル・ウォルツァーだったと思いますが「これは言い過ぎだ。極端だ」みたいなツッコミを何かのエッセイでしてました。それは本当に言えてると思いますね。Socratic extremismというかなんというか、ハードコアな人生ですよね。ソクラテス的人生って。ただハードコア以外はクソだっていうのはなんか極端なハードコアバンドの挑発的な態度とあまり変わりませんよね。もっとも僕のソクラテスが言う言葉の解釈はハードコアバンドのレベルとは違うものですが、ただまぁどの道ちょっと言い過ぎな感じは否めませんよね。


僕が最近一番読んで気に入った本はハーディーの数学者の弁明ですが、これはある意味でハードコアプラトニズム宣言なんですよね。観念世界に没入して何が悪い?っていうようなことで、その一つにまぁユーズレスなものに没頭する人達に批判的な人達がいたという当時の歴史的な背景もありますが、所謂、僕が言いたいのはintellectual freedomですね。これ以外はクズだとは言いませんが、そういう生き方があったっていいし、批判される覚えはないってことですよね。それはCarchemishさんが僕のことを批判しているという意味ではなく、一般的な意味合いにおいてです。別にそういう生き方があってもいいでしょ?何が悪いの?っていうそういうことですね。それは排除とは違うどころかそういった生き方を排除しようとするものに抗う態度ということですね。だからむしろまぁ世の中で言えばソクラテス的な生き方をするなんてどこでもまぁそんなにウェルカムなことではないでしょうから、むしろ僕みたいなのはそれ以外はダメだって排除する側ではなく排除される側なんですよね。だから排除しないでくれよってことが言いたいっていうそういうことですが、こういう態度が場合によってはそれ以外はクズだっていう風に見える場合もまぁありますよね。というのはそういった生き方が排除され過ぎなので、排除する側をクズ共め!と思う憎悪から来ている可能性もありますね。


まぁそれはともかくまたよろしければお返事ください。


PS


いや、これは返信じゃないんだけどさ、Deadliest Warriorっていうね、忍者とスパルタンをシミュレーションで戦わせてみたりっていうさ、忍者の武器とかを科学的に検証して、んでどっちが勝つのか?っつーのをやるテレビ番組なんだけど面白いんだよね。ヤクザ vs マフィアとかもあるんだけど、サムライもそうだけど、日本系になると一気におかしくなるのね。サムライが金棒を使ってたり、ヤクザがマーシャルアーツトレーニングを受けてるって設定になってたり、自称スペシャリストが「そうなんだ」って言ってたりするんで、相変わらずマシオカみたいな海外に間違った形で形成されてしまう日本のイメージってのは衰えないよね。他は大体あってるんだけどなんで日本だけあんなにディティールがおかしいのかな?ラーメンガールズとかでも日本のディティールおかしいじゃん?何なんだろうね?特になんで日本があんなにおかしいのかよく分からんね。オリエンタリズムなのは明らかだけど、それにしてもおかしさが特出してるよね。まぁ番組自体はすげー面白いんで見てみて。IRA vs タリバンとかもあって面白いよ。最後のシミュレーションがマトリックスのアレにそっくりですんげー面白いっつーかワクワクするね。


http://www.spike.com/full-episode/spartan-vs-ninja/31578