可能世界とかなんとか。

なんかあんま書く事無いんだよねぇー。繋がってない感もあるけども。部屋でネットが使えれば更新するのか?ってそりゃ分からん。ただやっぱ更新面倒なんだよな。メモリースティックでテキストデータを下のパソコンに持っていって、んでアップロードってさ、しかも下のやつって光ケーブルがダメになっててネットできないことが多いんだよねっつーかやるまでに時間かかり過ぎなんだよね。だからなんか自然と遠のくんだよね。ネットから。


んーまぁ最近はっつーとちょっと最近は集中してることがあってね、それについて考えたりしてるからあんま書く事に気がいってないのかもしれんけどね、でもまぁ相変わらず本は読んでおるよ。三浦俊彦の「可能世界の哲学」ってのを読み終えたけど、やっぱ俺は論理学とかにはあんま興味無いみたいで。いや、数学の厳密性とかに惹かれたわけじゃないんだよね。仮にそれだったら論理学とか好きになるはずじゃん?この本の著者なんかはそのストイックなロジックの世界に学生時代にハイになったらしいけど、俺には全くその感覚が分からん。なんで数学の場合いいのか?って考えるとやっぱ数が浮かんでる感じがするからだろうな。直線を実数として捉えるとかなんか映像的じゃん?だから面白いんだと思うんだよね。ロジックの世界って絵が浮かばないから。まぁ少なくとも俺の場合はね。


あと人間の言葉で記述できるってことがまぁ仮に人間界で真であったとしてもそれは真理で言えば真ではないこともあるわけだよねって具体的に何か?って言われると相変わらずえきざんぽーが無いんだけど、言葉で記述できるということだけが必ずしも真を表すものではないということだよね。そもそも俺はロジックなんかに物事を記述できるとは思ってないから。もっと真かどうかなんて抽象的で捉えどころの無いものだと思うんだよね。だからやっぱ哲学って必要だしまぁ重要なのよね。真か否かで表せない曖昧なものだから適当なのが哲学とかさ、唐人の戯れ言とかさ、そういう批判ってあるけど本当に分かってねぇーなぁーって感じだよね。思い上がるなって感じ。人間の言葉とかロジックなんつーもんで世界が記述できるとでも思ってるのか?っていう。例えば覚りなんて概念を記述化できるかい?


前にある人と話した時、悟りっていうのは悟ったもの同士じゃないと分かりあえない独特のものがあるらしいってことを言ってた人がいたんだけど、いや、そういうことなんだよね。悪く言えばオカルトチックなんだが、それは悟った人にしか分からない感覚だからつまりは文字とかで記述できるとは限らないわけよ。超常現象みたいな要素もあるからね。俺はむしろそういう不可知でメタ的な部分に真理を感じるんだよね。だからそういった不可知なものに言及できないロジックなんてものは人間が扱えるすげー有限的なシステムの体系なわけよ。ただそんだけなんでそっから出力されるものから真理が出てくるみたいなさ、そんな便利な哲学的ブラックボックスみたいな函数にはなってないわけねってまぁ俺は思うね。んだから全然論理学には興味無いなーって思ったね。だからなんかゲーデルとかもそんなに深く研究しようとは思わなくなったな。まぁ研究本があるからまぁそれは読むけどね、いや、すんげー前に買ったやつなんだけど。


で、可能世界なんだけどさ、まぁロジック云々は置いておいてやっぱね、あれなんだよね、刹那刹那ごとにパラレル世界ってのは広がってると思うのね。それを厳密に可能世界といっていいかは分からないけどさ、それこそね、倒れている人を助けるか助けないか?みたいなさ、助けた場合の世界と助けなかった場合の世界みたいなサウンドノベルみたいな感じではないね、もっとすんげーミクロなレベルで可能世界っつーかパラレル世界の放射線みたいなのは無限に発散してると思うのね。それこそ俺の心臓の鼓動の違いとかさ、それこそ細胞みたいなレベルでのね、この細胞が右に動く世界と左に動いた場合の世界ってまぁ実質的に全然違いは無いんだろうけど、でもまぁそんなことはありえるわけで、だから人を助けるか?助けないか?みたいな、そんなデカイレベルではないもっとミクロなレベルでなおかつ刹那みたいな時の最小単位みたいなレベルでの違いってのがあらゆる所に存在していると思うわけね。


その放射線のイメージって前にリーマン予想のやつで書いたときの写像なんだよね。時間軸があって、んで一刹那でもなんでもいいんだけど、時間が過ぎていくってことは素粒子が次の時間軸に写像されているということなんだけど、その写像の時の差異だよね。その素粒子写像の微妙な違いっていう恐ろしいほどのバリエーションがいたるところで存在しているわけ。だから組み合わせで言うと気が狂いそうになるぐらいいっぱいあるわけね。だって俺の細胞のちょっとした動きの違い一つでまた違う世界ができるわけだから。それがまぁ放射状に無限に発散するわけだよね。


こういうことに対してそんなことどうやって証明するんだ?とかエビデンスはあんのか?っつーツッコミってさ、俺は野暮だと思うのね。必ずしも厳密性を保つことが真理に近づくということではないと思うからね、なんとなくの思いつきとかが実は真理に近かったりするかもしれないわけでさ、証明できるできないとかさ、エビデンスどうのっつーのは本当に野暮ったいよね。つまらないよね。それって。俺がイデア界とかを信じてるっつーかイデアっつーパラダイムが好きなのもさ、まぁこれは大きな誤りだって書く数学者とかも結構いるけど、そんなの分かってるんだよね。何しろ証明不可能だしさ、真の三角形はイデアに存在するなんて身も蓋も無い話じゃん?


でもそこはロマンとして信じるっていうかbeliefっつー世界観だよね。まぁそういう意味で宗教に近いのかもしれないけど。そこでまぁ神とかってのが出てくるけどさ、でも神にしてもまぁ現実的に考えるとそんなのいるわけないって思うんだけど、それは従来の神話とか宗教のパラダイムで語られてきたような神なんであってさ、それこそゲーデルが言ってたようなsomething god likeみたいな超越的な存在みたいなのはいるかもしれないよね。そいつが何してるのかは分からないけど、でもまぁそんなの人間には分からないっつーレベルの存在としてあっても別におかしくないよね。そもそも人間原理的に考えるのがおかしいわけで。


人間のロジックとか科学とかで証明できないことが存在しないだとかさ、馬鹿げてるとかってようは人間が自分達を過信し過ぎてるっていうかさ、そもそも人間に全てが分かるなんていう考え方が間違ってるよね。人間なんていう有限の最たるもんみたいな存在に全ての事が分かるわけないよね。んでもね、だからこそ知ろうとするわけだよね。全ては知る事はできないかもしれないけど、んでも多くを知って真理に近づきたいっていうさ、それがまぁフィロソフィーってことでしょ?なんか俺って科学的態度ってすげー嫌いなんだよね。それはrigorという意味では好きだけど、科学では説明不可能なものについて言及しないみたいなところに関しては凄く嫌いだね。形而上学やらないみたいなそういう態度が嫌い。別に科学者が哲学語ったっていいわけだし宗教語ったっていいわけじゃない?そういう意味でシュレーディンガーとかハイゼンベルクとか好きなんだけどね。


なんつーか彼らって哲学者が物理学やってる感じじゃん?それがいいのよね。物理学者なんで哲学的な問題なんて知ったこっちゃぁーないみたいな態度って大嫌いなんだよね。それは数学然りなんだけど。哲学が無くて学問なんて成立しないって。科学にだって哲学は必要だよ。全然分野の違うことではないと思うんだけどね。


で、一気に話は変わって、エレメンタリーな数学の話になるけどね、「聞いてしまえばとっても簡単!」っつー数学のシリーズがあるのよね。旺文社から出てる長岡亮介の本なんだけど、なんで「聞いてしまえば」なのか?っていうとさ、付属っつーかまぁこっちがメインなんだがCDROMに講義のmp3が入っててさ、んでそれがまぁモノによっては時間数は違うんだけど、20時間とか30時間分ぐらいの講義が入ってるんだよねっつーかようはこの薄っぺらい本をテキストとしてっつーか薄っぺらいって内容が薄いって意味じゃなくて物理的に薄いテキストって意味でまぁ薄っぺらい本なんだけど、まぁメインが講義なんだよね。


だから大量のmp3を聞きながら「ページ3の五行目にある式ですが・・・」みたいなところがあったらテキストを見ながらまぁ講義を聞くっていうまぁ次世代っつーと大げさだけどさ、mp3を大量に入れるっていう発想があったかぁーっていうさ、これじゃあ塾とか商売あがったりになっちゃうんじゃない?っていうさ、まぁ進学塾とかはもっと高度なものに関する講義だったり、まぁ受験対策とかだったりするからまぁその価値はあるんだろうけど、でもさ、数学って基礎マスターしちゃえばある程度レベルが上がっても対応できるもんだよね?ってことはこの長岡亮介の講義を聞きながらテキストを読んでさ、高校数学全部マスターしちゃえば基本的に大学進学は問題ないんじゃない?って気がしてくるんだけどね。あーそれにしても陰毛切りてぇーなぁー。


なんかねぇーあのさ、受験のね、難しい問題とかってやる必要あるのかな?って気がするんだよね。基本的に高校数学マスターしてればいいわけでさ、そんな凝ったようなの出さなくてもいいのになぁーって思うんだよね。まぁ最近ではレベルはかなり落ちているから簡単らしいけどね。それでもまぁなんつーか俺的には理科大の赤本とか見るとさ、高校生にやらせるのは酷過ぎるだろー!っていう数学の問題が多い気がするね。あんな凝ったの入学してからやればいいのにって思っちゃう。


基礎がしっかり入っているかっていうのを見るだけで十分だと思うんだよね。入学試験って。受験対策って本当におかしいよねぇ。出題傾向とかを予測して準備するとかおかしいよね。それこそ数学なんてSATぐらいのレベルでいいんじゃないかと思うけどね。大学入試なんて。まぁSATのレベルって知らんけど、そこそこの大学入試を経験した人から見るとすげー簡単に見えるらしいんだけど、それは日本の大学入試が難し過ぎるんじゃない?ってことだよね。でも入ったらさ、仮に大学数学ってことに限定して話を進めるけどさ、いつも言うように差は無いわけだよね?大学のカリキュラムでやる数学ってまぁFラン大学とかならともかくとして、まぁそこそこの大学だったらまぁどこも似たようなことやるわけだからさ、だからまぁあの受験の難しさは何だったの?ってことになるんだよねってこれって前にも散々書いた気がするんだけどまぁいっか。


あ、んでこの長岡亮介の「聞いてしまえばとっても簡単!」シリーズなんだけど、なぜか数三とCが無いんだけどね、一冊1200円とかなのよね。凄くない?コストパフォーマンス高過ぎ!だよね。何十時間もの講義が入っててこれって安いよねぇー。いやぁーもう数学インフラって感じだよね。これあれば高校の数学の授業とかいらないだろーって感じがするもんね。まぁ入ってる講義は各ページに対応した短いものなんだけどね。部分部分をテキストに沿って解説してる感じね。でもまぁこっちがメインなのよ。テキストだけ読んでてもなんか全然詳しい説明がされてないっつー印象を受けるんだけど、それは講義を聞きながらテキストを見るっていう仕様になってるからなんだよね。でも聞くってことで大量の活字を読む必要も無いし、まぁ聞くって行為は読むって行為に比べて楽だよね。だからまぁこれは凄いなって思うのね。


本の表紙が可愛くてさ、i-podらしきものを持った女の子だか男の子がヘッドフォンで講義を聞きながらニコニコしてるっていうやつなんだけど、でもこれって恐らくテキストが無いと分かり辛いところばっかりだから、例えば電車の中でこれだけ聞くとかって成立しない気はするんだよね。「テキスト14ページの五行目の図にもあるように・・・」とかってテキスト無しで言われても分からんからね。あと何カッコ何かける何カッコなんたらってまぁ数式を聞くって辛いものがあるよね。数式に関しては当然視覚的に見たほうが分かりやすいから、だからまぁ聞くだけじゃなんのこっちゃ分からないところもまぁ俺的には多い気がしたから、だからまぁ俺はテキストを見ながら聞くことにしてるんだけどね。講義はまぁ大体2.5倍速ぐらいで聞いてるかな。


ところで虚数の情緒は放置になっちゃってるんだよね。まぁ一通りこの長岡亮介のやつが終わったら戻ってくるつもりだけど。まぁ数学の本なんて何冊もいらないんだけど、長岡亮介のやつに関してはアマゾンでたまたま見つけてさ、「どんなもんかな?」っていうただの好奇心で買ったんだけど、結構面白いんだよねっつーかこの数学インフラ感が好きなのね。ホント、授業の意味が無くなるよなっていう。いや、基本的にどれにしてもさ、まぁ政治学とか社会科学とかだと需要が無さそうだから成立しなさそうだけどさ、講義のmp3入りのCDROMとテキストがあれば基本的にどんなもんでも自己完結しちゃうよね。部分的に分からないところがあればネットで調べればいいわけだし。まぁ実技みたいなのがあるのは別としてもね。


だからまぁこの聞いてしまえばシリーズは本当に凄いなぁーって思ったわけね。やる気がある人にとってはすんげー勉強するってことが楽になってるっつーかさ、便利なものがいっぱいあるって感じだよね。面白いもんでさ、やっぱテキスト読んでるだけじゃなくて講義聞きながら読んだほうが分かりやすいのねって当たり前なんだけど。ある意味でこれって高校数学の決定版なんじゃない?とかって思ったよね。高校数学が丸ごと分かる!みたいな本とかっていっぱいあるけど、大体まぁ説明が雑なのが多かったり味気ない本が多いんだけど、これはしつこいようだけどすげー細かい説明をしている各ページに対応したレクチャーが大量に入ってるからさ、そんなに頑張ろうとしなくても分かっちゃうんだよね。まぁこういうところは講師の手腕なんだろうけどね。こういうのができると学校とかの存在意義って無くなっちゃうよなぁー。まぁ少なくとも講義という意味においてはね。まぁ学校ってそれだけじゃないからまぁいいんだけどって何がいいのか分からんけど、まぁとりあえずもう眠いから寝るね。


で、まぁこれをメモリースティックに入れて明日の昼間とかに更新するわけだなって今がまぁ夜中で更新されている時には明日の昼になってるから文章的におかしなことになるんだけどもってことで今日はこの辺で。