攻殻機動隊 -Solid State Society-についてのやりとり。

いや、タイトル通りなんだが、namaeさんから良い書き込みを頂いたので、なんつーかアップデートバージョンっつーか攻殻機動隊 -Solid State Society-のエントリーの続編みたいな感じで読んでいただけると良いかと。


http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20090302#c


↑がエントリーで以下がコメント欄のやりとりです。


通りすがり 2010/01/19 18:28


傀儡廻しは並列化を繰り返してきた草薙素子の集合無意識から生まれた新しい意識では?久世は関係ないと思ったんですけど。


mimisemi 2010/01/19 18:52


ご指摘ありがとうございます。もう一回見てみますね。で、またコメント書きます。


mimisemi 2010/01/20 00:37


最初は素子が疑われていましたが、素子がトグサを囮に利用した結果、傀儡回しの正体が判明しますね。それがソリッドステイトに属する老人達の総意、つまりそのままでは虐待されて死ぬような子供達をさらってきては、富裕層の老人達の遺産をその子供達に与えるという経済活動というのが誘拐プログラムの本質です。その老人達の総意の総体がリゾーム状になって電脳に存在していますが、その総体に中心は存在せず、リゾームそのものがそれ自身として振る舞うように見えます。


しかしながらその総意を束ねるハブという存在が素子の捜査により判明します。それが久世の残留意志というわけです。捜査というよりは最終的にソリッドシステムの基本概念を作った官僚への素子による電脳ハックによって判明したということですね。なのでその事実を知っているのは官僚の電脳に入っていった素子と官僚と素子の会話を記録していたタチコマだけです。バトーがその会話を聞いていたのでバトーも知っているはずですが、バトーは意図的にそれを明かしませんね。客観的にはこの官僚が主犯という風に見えますからね。


で、なぜその官僚が利用されたのか?というと完全に電脳化した久世にとっての革命を起こしやすい人物だったからです。この官僚自体は事件の二年前に死んでいますが、この官僚の擬体を利用して計画を進めていたということですね。まぁ実質的にこの官僚の擬体をハッキングした久世による犯行だったというわけです。


素子の「集合的無意識から生まれた新しい意識」というのはある意味正しいのですが、顕在化した意識は久世そのものです。ではなぜ素子の集合的無意識から久世の意識が一人歩きしたのか?というと恐らく素子も久世の革命に共感を持っていたからでしょう。しかしながら素子の立場上、久世とは戦わなければならなかった。本当は久世と一緒に革命を起こしたかったというのが素子の本音なのかもしれませんね。素子が久世に対して持っている感情は非常にアンビバレントなものですね。全面的に同意するわけではないが、シンパシーを持っているところもあるというような、愛やら敵対心やら共感やら様々な感情が渦巻いているという感じだと思います。


仮にこの事件に久世が完全に関係なかったとすればちょっとこれは驚きです。素子からはこんなアイデアは出ないはずですからね。なので素子の集合的無意識から久世の意識が顕在化したという解釈が成り立つと思います。


namae 2010/12/07 04:09


んん?久世は確かに関係あるし傀儡廻を構成した一部ではありますが本質的なものではないでしょう。ハブ電脳という久世が無意識化に残した足跡に無数の人間達の無意識の足跡(それがアオイであったり、利己主義的なゴーダの足跡であったり)が集まったそんなものの総体が傀儡廻の本質です。久世自体は器になるようなものを知らずに残しただけで直接の関係はありません。第一作中で難民問題はまだややこしい問題として残っていますから久世ならそっちに取り掛かるでしょうw仮に久世っぽいものだとしてもあの手の独善性は別に久世特有なものではなく、顕在化した正義感は素子であれ久世であれアオイであれ妙な社会正義に燃える輩に共通だっただけのことと考えるのが普通です。


メタなこと言えば人形使いのオマージュなわけで、人形使いー記憶あるいはデータの下でゴーストは宿るか、が焦点だったのが今回は個人の足跡・・・無意識下の個人の足跡の塊であるネットにゴーストは宿るか、両者共通といえる主題はつまるところ情報の集積体にゴーストは生まれるか・・・なわけですから久世は直接関係ないかと。


・・・と古いネタにマジレスwww


mimisemi 2010/12/07 16:07


namaeさん


古いネタにマジレスありがとうございます。


namae さんのツッコミって凄く分かるんですよね。特にこのエントリーを書いたときは傀儡廻が無数の人間達の無意識の足跡なんだって分かってなかったんですよね。なのであたかも久世が傀儡廻のような書き方をしてしまっているんですが、ここのコメントにある通りすがりさんの「傀儡廻しは並列化を繰り返してきた草薙素子の集合無意識から生まれた新しい意識では?久世は関係ないと思ったんですけど。」という指摘をもらった後に見返してみたら「ありゃりゃ。勘違いしてたな」って気がついたわけですが、でもその傀儡廻しの本性と成り立ちを理解した上でも僕が元々思っていた久世の意識の顕在化ということに不都合は無いなと思ったんです。


ただ「久世そのもの」みたいな言い方は誤解を招きますので、それは本当にマズかったなって思ってます。僕が僕なりの理解をした上で言いたいのは、その無意識の集合体をリードする存在とか、集合体のウェイトという意味での久世の割合の大きさです。


実際、久世はカリスマ的な指導者であったし、元々そういう素質を兼ね備えている人物であったので、無意識化した久世の意識というものが他の人々の無意識の足跡というある意味での大衆を率いて国家システムを作るとか革命を起こすみたいなことがありえるって思うんですね。無数の人間達の無意識だけではあんなにソフィスティケートされたシステムの構築などを作り出したり実行に移したりというのはできないと思うんです。


なのでその無意識という中でも久世の意識が全体の意識をコントロールして、実質的に支配的なダイナミズムを作り出していたというのが僕の理解です。「妙な社会正義に燃える輩」というのは「共通」と言えるほど多くないですし、最後のほうで素子が名前を忘れましたがオペレーションを実行していた犯人と電脳を繋いだ時に「無意識の足跡」らしき様々な顔が表れますが、久世が素子の顔が出てくる一つ前に出てきていますし、久世の顔が出てくる時間が長いですよね。それは様々な無意識の集合がある中でも、特に久世と素子の繋がりが強いものを表していたのではないかと思うんです。


元々久世の意識はカリスマ的な人物のものなので他の意識を率いる可能性があるというのと、「妙な社会正義」に関する共感というのは実は素子がああいう立場にありながら久世にシンパシーを感じていたみたいなことはテレビシリーズの最後のほうで描かれていましたね。対極的な立場にありながらも「妙な社会正義」に燃えるという意味では彼らは精神的な繋がりがあったということですね。


情報の集積体にゴーストが生まれたということですが、久世の意識の割合が強いとか統率が強いということはありえますよね。僕はSolid State Societyを見ていて犯人が久世の生まれ変わりにしか見えなかったんですよね。烏合の衆の無意識の集合体ではあんな意識は生まれないと思うんです。なのであれは多数の無意識の集合体を率いている久世の統率が強いゴーストの顕在化だと思ってるんです。


まぁこういうのって原作者というか、まぁ作った側がどういう意図で作ったのかって分かってしまえばそれまでなのですが、解釈の余地が残っているストーリーとか映画って面白いですよね。なので僕は映画を見る時にでもストーリーを見る時にでも鑑賞者に解釈の余地が与えられているというものが割と好きですね。


なので「そう考えるのが普通」みたいな感覚は正直好きではありません。namaeさんのご指摘は凄く良かったと思いますが、正直なことを言わせてもらえばここだけちょっとムカつきましたw


まぁでも「ちょっと」ですね。それはnamaeさんに対するムカつきというよりかは「それが普通でしょ」って言われることが何に関しても昔からムカつく傾向にあるので、まぁこれは個人的な脊髄反射みたいなもんなんですけどねw


それは「それが普通です」っていう色んな人の無意識の集積体にムカついているのかもしれません。namaeさんが悪意を持っていたり煽りでそういうことを言っているのではないというのは分かっているので個人攻撃みたいな感じで捉えないでくださいね。


なんというか最後に一言でまとめるならば、「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいなことですね。一見すると全く関係無いような事柄が思わぬ所や他の物事に影響を及ぼすということですね。ただ僕はこれは桶屋の論法ほど突飛ではないと思っていますし、むしろ必然的だとすら思っています。久世の意識だったら絶対こういうことをやるだろうなって個人的に凄く思うので。それが僕の最初の誤解を生んだわけですが、無意識をリードしている「妙な正義感」は主に素子と久世のものだと思ってるんですよね。


「完全に久世」ではなくても「ほとんど久世」か「ほとんど久世と素子」みたいな感じですかね。だから映画の最後に素子の動揺というか心地よい心の揺れみたいなのを感じているような描写があると思うんですよね。最後のバトーと素子の二人のシーンですね。素子は自分の妙な正義感が久世のものと似ているとか同じものだとかって感じでいたので久世がいない今でもまだ久世との繋がりを感じているというかなんというか、まぁそこに素子に惚れているバトーがいたりして、これを三角関係と言っていいのか分かりませんが、あの微妙な関係性が最後に凄く描写されていますよね。それは久世というキーフィギュアがいないと成立しないものだと思うんです。


結構長くなってるのでこの辺でやめますね。よろしければまた返信してください。


namae 2010/12/08 02:27


いやまさかこんなに早くレスいただけるとは思いませんでした。てっきりスルーされるもんかと(とか言いつつ、いちいちレスを次の日に確認しに来てる僕もちょっとアレですが笑)真摯にレスしていただいてありがとうございます。


結論からいえば今日のレスである程度納得がいきました。


完全にmimisemiさんの言う通りであるとは思いませんが、ああ、そういった考えもあるよね!といった感じです。実際この手の問題(ある作品に対する解釈という点で)はアポリアですから、神山監督かそれこそ神かに聞かない限り解は出ないわけです。かといって人それぞれとか言いきっちゃうのは消極的な姿勢だし第一面白くありません(笑)


だからとりあえず僕の意見を書いときますね、結局mimisemiさんと僕の意見の相違はどこにあるかといえば、


mimisemiさんは傀儡廻の正義感は久世と酷似しておりこれは過程において久世の正義感が介在し、その結果としても発露していたものであるという点にウェイトを置いています、しかし、その一方で僕はたまたま結果論として情報の集積の結果宿ったゴーストにあった正義感が久世の正義感と酷似していたが、直接関係あるものではなく、ある程度個人個人に共通するものだから久世はハブ電脳を残したに過ぎないという点に重きを置いたわけです。


昨日は素子やアオイ、久世を強調したいがために「妙な正義感を持った輩」と表現しましたが、現実的には皆が持っている対象が「正しいこと」に限った認識は特定の思想が影響を及ぼさない限りにおいて個人によって差はあれ誤差の範囲内であり、そう大きなものではないし、最小公倍数的な部分で一致すると僕は思うのです・・・これを普通といったことに気分を害されたなら申し訳ないです。


しかしながらアオイの義憤にしろ素子の正義感にしろ久世の難民を救いたいという思いにしても皆(視聴者)がある程度、それこそ最小公倍数的にまあ共感できるよね、といった部類でありこの辺の正義感はネット上の個の集合体である傀儡廻が持っていてもおかしくないと感じられます。ただ行動するか否かという点においては久世や素子やアオイが特異なわけですが。


劇中で行動を起こした人間は久世・素子・アオイのみです。(この点でも傀儡廻の大きなウェイトはは久世に限った訳ではないと思います、素子はアオイに関して同族嫌悪的な感情を持っている描写が見られますのである意味久世とアオイも近いものだと思うのですが)


しかしネットは広大です。恐らくは久世や素子、アオイに限らず個人の足跡として誰か「妙な正義感を持った輩・・・知行一致出来る者」がいても不自然ではありません。劇中は電脳化したのちまだ20年足らずの世界ですが、現在ですら世界各国でその種の人物を探せば少なくない数が見つかることでしょう。思えば三島由紀夫なんかもそうかもしれないです。


なので久世に似ている点では意見の一致がmimisemiさんと可能ですが久世そのものの正義感を体現したものとも言えるという点で賛成できないわけです。久世「にも」似ているといった感じでしょうか。


そして顔がくるくる変わったシーンでわかるのは久世が素子に大きな影響を与えた点のみで傀儡廻し自身の話ではないと思います・・・あれは素子だったから久世であっただけで、バトーが同じ立場ならタチコマが出て最後に素子が出てくるでしょうし、タチコマなら最後にバトーが出てくるんじゃないかなーと笑


以上が僕の意見です。


長々とお目汚し申し訳ないです。今回のことでこのブログに興味をもったので今後ぜひ拝見させていただこうと思います。


またよろしければレスください。


namae 2010/12/08 02:44


すみません、追記です。


つまるところ僕が言いたいのは傀儡廻の正義感は個の集積下にある無意識の正義感の最小公倍数的なものからの派生である、という点であり、行為を行うという点ではバックグラウンドを加味した結果、久世「にも」似ているということです。


三行で済むじゃん(笑)失礼しました・・・


mimisemi 2010/12/09 04:32


namaeさん


いや、ホントに素晴らしい論点で言葉も無い感じです。つまりはウェイトの置き方なんですよね。僕は久世に個人的な思い入れが強過ぎて判断とか解釈がちょっとおかしくなってるかもしれないなぁーって思いました。確かに客観的に見てみると「久世そのもの」などと言い切れるようなものはないですよね。本当にまさしくnamaeさんがおっしゃるように久世「にも」似ているということだと思いました。「三島由紀夫なんかもそうかもしれないです」って本当にその通りですよね!「傀儡廻の正義感は個の集積下にある無意識の正義感の最小公倍数的なものからの派生である」という要約は見事だと思います。


なんか張り合いがない感じですみません(笑)


で、今回のやりとりというかnamaeさんのご指摘が素晴らしいものであったので、1エントリーとしてこのエントリーの続編みたいな感じでアップさせてもらいます。今後もなんか「ん?」ってところがあったらなんかご指摘ください。


・・・・という感じがやりとりでした。まぁ書き込みにも書いたように俺の久世への思い入れが判断を鈍らせてるっていうか「きっとそうなんだよ!」みたいに勝手な俺の主観的な思い込みというか物語を解釈に介在させてしまったということでまぁ結構反省してるのでありますよ。仮にそれがウェイトの問題であっても「久世のものである」とは断定できないわけでさ、そういう曖昧なところを言い切ってるのがマズかったなぁーと思って。久世「にも」似ているということだよね。それはなんつーか幾何学で言うところの相似と一緒なわけで両者は同一のものではないじゃん?


でもホントにいいよね。ブログってアーカイヴとして残っているんでこういうやりとりがいきなり生まれるってのがすげー感動的だなぁ。ブログは流れる情報という印象もあるけど、んでもウェブにアーカイブとして残っているという意味だと「残っているもの」でもあるよね。なのでそれが過去の記事だろうがなんだろうが検索とかで引っかかったりして、そこから俺のエントリーを見てくれた人が今回のnamaeさんみたいに良い指摘をしてくれてアップデートバージョンが生まれるみたいなさ、データとして残るって凄いことだよね。なんつーかホントに攻殻機動隊的な世界観だなと。例えば10年後とかにまた俺の政治思想とかがすげー変わってたりすればさ、俺の10年前っていう記録がすげー鮮明に残ってるってことだもんね。


ただまぁニューヨークの話とか民主主義の話とかすぐに考えが変わるみたいな印象を与えるようなものがあったりするけどさ、まぁこんなところで言うのもなんだけど、過去に「やっぱ民主主義だよね」って言ってたことはあっても、民主主義にだんだん疑問を持ち始めてから例えば疑問を持っているみたいなエントリーを書いた後とかに「んーやっぱ民主主義だね」とかって日和見的にまぁ波のように変わったりはしてないよってことね。まぁ仮に変わるとしてもその変化がエントリーとかに表れてるはずなんだよな。まぁニューヨークとかは一気に変わったけどね。それでも当然まぁ日本の今感じる良さとかを考慮してもまぁやっぱあっちの生活のほうが好きだったけどね。それはまぁ揺るぎないですよね。


ところでニューヨーク繋がりでアートリンゼイの音に近づけようプロジェクトだけどさ、マックをSnowにしてIlife'11入れてね、んでGarageband'11入れたんだけどまぁ全体としてみれば基本性能はあのままなんだけど前にも書いたようにギターって観点から見ると凄いんだよね。すげー一気にギターに特化するようになったなぁー!っつーかなんつーか。また次のアップデートとかでエフェクトの種類が増えたりとかアンプの種類が増えたら面白いよね。まぁ基本は大体もう入ってる感じだけど。


いや、なんか攻殻機動隊のエントリーと混ざっててアレなんだけどさ、んでまぁやってみたんだけどさ、結構大変なのよ。正直「ありゃりゃ?」って感じで思ったようにいかないんだよね。多分アンプとオーバードライブかファズかディストーションの種類の違いだろうとかって思ってたんだけどそうじゃないのよね。で、まぁ色々とまた例によって試行錯誤していい感じのは作れたけど、なんかこんだけ苦労してっつーとあれだけど色々やってできたセッティングだからアルゴリズミックに「こうですよ」って簡単に書けない感じがあるな。それこそ秘密のレシピ的な感じ?まぁアートのパクりだけど、んでも完全に再現できてないし、確実に俺の音の好みが入ってるからまぁ俺セッティングではあるんだけどね。それでもまぁ俺セッティングだけじゃなくてやっぱ完全再現バージョンって欲しいよねっていう。


んでもさ、初期のDNA時代のやつとAmbitious Loversとか坂本龍一エスペラントとかの80年代中盤から後半からとかさ、変わってるんだよね。音が。まずまぁ初期はスカスカだよね。それこそ三味線掻きむしりみたいなさ、色々と調べたら1thと2thの弦をほぼ全域に張って、んで6thだけそのままで6thの片方は外すみたいな感じなんだよね。で、全部Eにチューニングするらしいけどチューニングできないから分からんね。あとはまぁ他情報だとまずはそれらしくチューニングして、んで全部において不協和音が出るようになるまでデチューンするっていうまぁ王道なんだけど、なんつーか「アートリンゼイ再現してみました!』みたいなページとか無いんだよね。いや、意外とさ、色んなギタリストのギターサウンドのセッティングを再現してるページとかギターマニアのページであるだろうって思ってたんだけど意外と無いんだよね。それこそまぁノイズの機材みたいなもんか。そういう意味だと俺はノイズで言えばすぐ出せたっつーかミキサーとか持ってたからさ、とりあえずゲイン高くするみたいなまぁ歪ませる感じで色々な音を出せたよね。そういう意味でまぁ機材っつーよりかは歪みなんだよね。


それで言えばギターだってまぁそうなんだけどノイズより当然ギターのほうが奥が深いよね。まぁ当然というほど自明じゃないかもしれないけど、ただ歪ませればいいってわけでもないしさ、弦の雰囲気とかがディストーションとかかけすぎると分け分からなくなるじゃん?それこそソースはなんでもいいみたいなただのディストーションの音になるからさ、この辺のギターの弦の感じとかを残しつつノイジーに味がある感じに仕立て上げるって結構細かい作業でやり甲斐があるんだよね。


ところでさ、割とまぁ最近のリンゼイのギターのほうがまだ再現しやすいんだよね。いや、すんげー進化してるんだよな。前に貼ったジョンゾーンの50歳の誕生日のLocus Solusとかすげーかっこいいし。Arto Lindsay Trioのやつはちょうど中間ぐらいなんだよね。ナイナイの最悪最強バンド計画とかに出てたのってこの辺かな。


DNAの頃はさ、まぁ完全な初期は違うんだけど、ラウンジリザーズとかジョンルーリーの弦楽器のやつのアルバムとかのやつはさ、それこそ三味線系なんだよね。でも微妙になんかペロっとしたコーラスっつーかエコーみたいなのがかかっててさ、生のギター音に近いんだけど、すんげー枯れてる音でさ、いや、ホントよくできてるんだよね。ギターを変えればああいう音が出るもんだなんて思ってたけどまぁ全然違うわなっつーか12弦買ってからまだこんなに道のりが長いとは思わなかったね。12弦買った時はもうなんつーかほとんどゴールみたいな気分だったからなぁ。でもこれで6弦とか触ったら物足りなく感じるんだろうなぁー。もう時間の総数で言えば12弦触ってる時間のほうが長いからね。


あ、んで中期はさっきも書いたように坂本龍一のやつとかさ、Ambitious Loversとかなんだけど、この辺もまた味があるんだよねぇ。ペロペロ三味線系じゃなくて結構ディストーションかオーバードライブがかかってる感じなんだけどリズミカルになってるんだよね。それこそパーカッシヴな感じっつーの?ビリンバウ的な感じやね。


で、恐らくまぁ90年代中盤ぐらいから今に至るまでは明らかに音が太くなってるんだよね。っつーかズンズン言う感じの低音を意図的にリズミカルに使ってるっていう奏法を編み出してる感じで、これがまたかっこいいんだな。ずーっとノンチューニングギターっつー彼のオリジナル奏法とカスタマイズ楽器を使ってるんだけどその中にも変化があるんだよね。まぁあれだけ長くやってれば当然か。逆にあれで変わってなかったら凄いよね。


ただまぁとにかく難しいですよ。初期のペラペラ三味線系はとにかく音が細かいし奏法もあれはあれで全然別ものなんで適当に弾いてればああなるか?っつったらならないんだよね。まぁアートリンゼイ風とかなら誰でもできるけど凄く近いものっていうかそれこそモノマネって言えるぐらいのレベルになるにはまずそこそこギターが弾けてないとダメっつーかまぁリズム感とか無いとダメだね。完全なギター初心者が適当に掻きむしればああなるか?ってならないですよねっていう。リズムに合わせて弾くってこと自体が例えば俺は慣れてないからさ、だからまぁポリシックスにノイズギターで加入した気分で音を小さめにして曲流しながらバックでノイズギター担当してたりさ、Ambitious Loversにしてもエスペラントにしてもリンゼイ絡みのやつでは大抵まぁ一通り流してバックでやってるよね。でも何通りかあるからさ、それこそ練習しないとマスターできない感じなんだよね。まぁそこがまぁ楽しいからやるからいいんだけどね。コード間違っちゃいけないとか細かい話が無くてまぁ本当に感覚的なものだからやるのに苦痛が無くていいんだけどね。普通にゲームやるぐらいの娯楽感覚でギター弾いてるからね。


まぁでも本当に思うのが散々書いたように音作りが奥深いし思ったように作れないし、あとはリズムに合わせて弾くことの大変さだよね。ノイズギターっつって適当に弾いてればそうなるか?ってならなくてさ、4拍子の曲なら4拍子っぽく弾きつつたまに外したり裏に入れてみたりとかさ、それこそリズム感と手が融合してないとダメな感じで結構スクラッチに似てるところがあるね。あれはレコードを前後にキュキュッってやるだけでああいうことができるか?っていうと違うんだよね。それこそリズミカルにフェーダー切ってレコードも擦ってっていう、まぁそれこそギターで言う右手と左手の役割と似たような両者のリズミカルな対応関係が必要とされるからさ、思ったより難しいんだよね。それこそベーシックなレベルからでも難しい。見た目が楽そうじゃん?そうでもないんだよね。Q-BertとかDJ Kentaroレベルになれば誰でもできるって思わないだろうけど、基本的なやつぐらいはなんかできそうな気がするじゃん?やってみるとそうでもないんだよねぇー。


いや、でも特にリンゼイの近年のリズミカルなギターとQ-Bertみたいなキレのあるリズミカルなスクラッチとは凄く類似点があるね。音の入れ方とかタイミングとかビートに対して似てる部分があるね。まぁなんつーかパーカッション的なんだよね。


まぁそんな感じです。なんかまた面白いのできたらアップするわ。