iyi3104さんとlatikaさんへの返信。

iyi3104 2014/07/27 21:55


脱帽、感謝、嬉々って感じです。読めていない、それは今の自分のレベルで読めていないという話ですが、つまり見落としはありそうですが、一字一句見つめました。何度かトレースしなおしましたが。耳蝉さん、多言語でもヴログを書き始めるってのはどうですか。もちろん世界が変わるので、(言語世界が占める意識の領域は広いですか?)書く内容も変わると思いますが。


他言語だと英語しかありえないわけですが、僕は英語を書くのは得意ではないし、考えたことをそのまま英語で出力できるほど英語が達者なわけではないので英語で書くというのは無理ですね。あとまぁトピックは大抵日本に関するものなので英語で書くメリットが無いですよね。まぁでも面白い試みだとは思いますけどね。おっしゃりたいことは凄く分かります。提案に感謝します!

latika 2014/07/28 10:18
個人的に、数学は性欲だと思いますw


金融理論は金融の動向をきちんと記述できているのか疑問。数学の親和性があるのか、という意味で。物理学なんかは数学とめっちゃ親和性あるけど、経済学なんかは少なく見積もっても物理学より百年は遅れているという。ぼくは数学との親和性の問題もあるのかなと思う。ましてや金融なんかは、比較的最近のもので実証に適っているのだろうか…。


アメリカで金融が強いのは、応用数学への指向性が高いからな気がします。日本は依然として伝統的な純粋数学が幅を効かせている純粋数学至上主義帝国で旧態依然としている感あり。ぼくもその雰囲気に染まっている狷介の身になるわけですが、、。数理ファイナンスへの大きな寄与をした確率論の伊藤清氏。しかし、彼にとってはファイナンスへの貢献は意図しなかったようです。彼の「ウォール街で働いている数学者を返してほしい」という旨の言葉が端的に日本の金融の有様を表しているように思う。アメリカとの差はそういうところでついたのかもしれない。あと、アメリカといっても金融は実際、ユダヤ系の人たちに牛耳られているわけで(金融とユダヤ人は切り離せない)そういった事情もあるかと考えられる。経済やゲーム理論、金融といったらユダヤ系の縄張りの感が強い。純粋数学では最近ではどうなのだろうか。ロシアのペレルマンユダヤ系だったような…やはり優秀か。


話があちこち飛びましたが、ある意味お金に無頓着(になるよう教育されている)日本人と経済意識のあるアメリカ人の差が金融事情にも反映されているのかもしれない、とぼくは思いました。


確かにアメリカで金融関係の理論が発展してきたのも応用数学の予算が豊富だったからというのは大いにあるでしょうね。それは経済学然りなんですけどね。ただまぁこの辺の関係性は特に銀行との繋がりって意味だと酷いんですよね。ただ応用数学の研究が盛んならいいんですけど、銀行や投資関係の会社に有利な理論みたいなのを金を貰って書いている経済学者とか金融工学者がいるので最悪ですね。これはまぁなんかの薬を売るのにそれが効くという裏づけを無理やり作る医者みたいなもんですね。これって科学じゃないですからね。こういう歪んだ背景にあるものの場合、理論の実証性は当然薄らぎますよね。まぁ日本でも原発の御用学者とかいますけど、まぁああいう感じですよね。利権とアカデミアの繋がりって強いんですよね。


あと伊藤清なんですが、伊藤のレンマは確率過程を積分として計算可能なものにするというもので、これは金融に限らず凄まじく汎用性の高いもので色々な分野で応用されている凄まじいレンマです。数理ファイナンスへの貢献が目立つように思えるのはかの有名なブラック/ショールズ方程式で応用されたからなんですが、そもそも確率過程を積分として計算したり、あと当然逆の計算で微分も計算できるようになるわけですが、これ自体の汎用性は半端じゃありませんよね。これは理論というよりかはベクトル計算とかリーマン積分みたいな感じの計算法とか抽出法の基礎みたいな感じなんですよね。なのでベクトル解析の計算方法などを発案した人間がそれがどういった分野にまで応用可能なのか?というのを知り尽くすことが不可能なように、伊藤のレンマもまた同じような感じなんです。伊藤清が具体的なブラック/ショールズの方程式への応用の方法を聞いたときに「自分はそんなの発明した覚えは無い」とさえ言ったそうですね。そのぐらい汎用性があるレンマだということですね。ちなみに同じような時代に生み出された恐ろしい汎用性を持つレンマとしては他に米田のレンマがありますね。


あ、んでざっくり言うとブラック/ショールズの定理で完全なリスクヘッジが出来ないのは伊藤のレンマで積分可能になる諸変数とは関係ないところでリスクが発生しうるからです。まぁ考えれば当たり前なんですけどね。株価って株という動きだけで決まっているわけじゃないので、限られた範囲においての予測可能な振る舞いを知ることが出来たところでリスクヘッジにはなりませんよね。例えば東電株の暴落なんてのは株だけ見てても一切分からないし予測もできないわけですねっていうかまぁ元が自然災害なので誰も予測できないんですよね。でも暴落の原因は端的に言えば津波なので完全な株価の予想をするならば自然災害全般のリスク計算も出来ていないといけないわけですが、まぁこれは無理ですよね。地震然りなんですが、予測できればこれほど良いことはありませんよね。でも現実的に今の科学ではまだ無理ですよね。あとある程度予測可能になったところで株以外のリスク要素までもヘッジするような理論が生まれるのか?っていうと当分無理だと思いますね。それでもまぁ株という要素内だけを見ればやはりブラック/ショールズの理論ってのは優れたものだとは思うんですけどね。


ところで日本とアメリカの経済意識の違いなんですが、確かに何もかもが金に支配されまくっているアメリカに比べれば日本って比較的お金に関しては無頓着かもしれないですね。そうだとすると最近僕が書いているような金と情報の支配の支配力がそこまで強いものにはならないってことになるので、ある程度の無頓着さがあったほうがいいなぁーって思いましたね。ユダヤ系に関してはよく支配とか金融関係のことが言われますが、これは陰謀論の枠を出ないものだと思いますね。たまたまユダヤ人だったということと、あとはまぁやはりlatikaさんもおっしゃっているようにユダヤ系だとずば抜けて優秀なやつが多いってことですね。なので結果的に何かを牛耳れるような人間がユダヤ系に多くなるのも必然的な気がしますね。ただでもそれはユダヤだから支配しているんではなくて、ずば抜けて優秀な人間にはユダヤ系が多いっていうことですよね。まぁーでもユダヤのめちゃめちゃ優秀な連中は本当にずば抜けてるので唖然としますよね。同じ人間だとは思えない・・・(笑)


あと最後に金融や経済と数学との親和性なんですが、物理と比べて親和性が無いというのは全くおっしゃる通りで、それはなぜか?というとズバリエコノミスト金融工学者の能力不足なんですよ。あと物理と比べてこれらが比較的若い学問だからというのもあるんですが。経済や金融の数学ってそこまで精通していなくても突っ込みどころ満載なんですよね。いや、こんなに簡単にモデル化できるわけねぇーじゃん!ってなものばっかです。なので凄く大雑把な数値や大きなものは記述できますが、細部の考慮が必要なものに関しては単純にモデル化する側からして不都合なので考慮されないということがありますね。まぁようはモデル化できないと論文化できないっていうただの都合ですね。そういう意味で本当に馬鹿げた分野です。


それでも僕がこれらに魅力を感じるのは不完全な理論や未熟な連中が無理やりモデル化した既存の経済学や金融工学に興味があるのではなく、より数学との親和性を高めることが可能であるという事実に拠ります。モデル化が粗雑な場合、当然研究が進めばもっとマシなモデルや古いモデルへの批判や改善ってのが生まれますよね。問題は多くのアカデミシャンが半世紀近く前の経済学や金融工学の理論を今でも定説として使い続けてることですね。これが数学との親和性の無さに繋がってるわけですね。でも僕はそもそも純粋数学主義者なので数学は万能だと思ってます。多くの物理現象が数学で記述できているなら経済や金融も記述できて当たり前なはずなんですよね。結局、抽象化してしまえば経済も金融も物理と同じですからね。ただそこに人間の思惑や本質的に予測不可能なことが含まれるということで記述が難しいというだけで、この「難しい」という事実は人間から見ればそうですが、数学から見れば多分記述可能なんですよ。そのぐらい数学の表現力は強いですからね。


まぁもちろんあれですよ、完全に全てが記述可能なのだ!というのは数学から見た場合なんであって人間から見た場合、それが可能だっていうことは数学を完全に使いこなして記述するということになるので恐らく無理ですよね。なのでまぁ全ては記述可能だとは人間側から見れば当然そう思いますが、実際は潜在的には記述可能なところがいっぱいあるんだろうなっていうそういうところに魅力を感じるんですよね。まぁつまりは数学の万能性に魅力を感じているっていうそれに尽きるわけなんですけどね。まぁんで下手な数学を使い方をすると大変なことになるっていうのが今の世の中に現れてますよね。明らかに間違った仮定をそのまま信じた結果、何もかもがめちゃめちゃになってるって話ですから。そういう意味で従来の経済学とか金融工学の理論って危ないわけですよ。間違った仮定でそのまま話を進めたりしていて、そんなものが大学とかで教えられているわけですから、また大惨事が起こるような原因をそれ自体が作ってるようなもんなんですよね。だから改正が必要なんですよね。でもまぁリアルタイムで間違った理論が教え続けられているわけで、それを止めることは無理なんですが、少なくとも自分はもっとマシな考え方が出来るようになりますよね。そういう感じのを僕は目指してますよね。そういう意味で古い理論は古い哲学や古い社会科学を歴史として読むような感じで「こういう風に考えられてきた」という読み方しかしていないんですよね。そもそもそこに興味があるわけではないので。


あと面白いのが事象を数学的に記述するといったこととは別にその記述をするにあたって独特の経済感覚や社会を見る感覚ってのが必要とされることですね。ダメな経済学者とか金融工学者ってのは本当にこういう感覚が無いですね。数理モデル化は得意なんだろうけど経済や金融や社会といった事象を読む能力が全然無いわけですね。だから結果的に机上の空論みたいなのが出来上がったり現実に応用できないようなモデルばっかが生み出されるわけですね。多分ケインズだったと思うんですが、経済学をやるのに必要なのは数理的な感覚と社会を見る感覚の両方が必要だって言ってたんですが、まさにこれなんですよね。ざっくり言えばこの社会を見る感覚っていうのは文型な感覚ですね。政治哲学や社会科学や心理学というような全てが完全に数理的に記述されているわけではない、それ自体を見たり分析して記述する感性ですよね。僕は人文系のものも数理系のも両方やってきたのでそういう感覚が凄く養われたっていう感じがしてますよね。だから今になって経済や金融が面白いと感じられるようになったんだと思います。数学的要素や数学的厳密性が無い哲学が意味無いように、哲学や社会科学的な感覚が無い経済学や金融工学もまた意味が無いんですよね。特に金融工学に至っては数学とか物理だけやってきたようなやつらがやってたりするんで、だから社会的感覚というのが凄まじく欠けたものになってるんですよね。これが実際に恐慌を引き起こした要素の一つでもあるので実は凄く重要なことだと思っています。


あ、んでこれが本当の最後になるんですが、クルーグマンスティグリッツといったような優れた人たちはまさしくケインズが言うような優れた数理的な感覚と社会的感覚を持ち合わせた人たちだと思います。あとヤバい経済学のレヴィットもそうですね。社会的な感覚があるからこそああいった優れた分析が出来るわけです。ただ数理的な技術や知識だけ持ってても社会に関わるような学問の場合、それだけじゃどうにもならないどころか、それだけでやろうとすると変な仮定でそのまま進めてしまうような馬鹿げたものが出来上がっちゃうんですよね。