深みの外出。その25。

ってことで続きです。


欲望のスポイルと代替は違うところもあるけど構造的には一緒で分かりやすいたとえで言うと恋愛ゲームで恋愛欲を満たすというようなことだよね。もちろんそれはリアルの恋愛とは違うしリアルの恋愛欲を満たしたことにもならないけどあたかも満たしたかのように機能するんだよね。もちろんそれとは別に目的のキャラと一緒になるためのキャラ育成ゲームとしても捉えられるからまぁメタ的に言えばっつーかまぁゲーム自体をメタ的にやるならそういうことになるけどマジで没入してそこで恋愛したらヤバいよね。でもまぁ没入するってのはそういうことだからね。


二次元オンリーのオタクの意見だとリアルの女子に本当に興味がないって人が本当にいるのはこの恋愛ゲームとか二次元に恋をするみたいなことだけでは語れないし彼らは代替としてそれをやっているのではなくそれが彼らのリアル恋愛なんだよね。でもこれはゲームに支配されているわけではなくて内発的によって主体的に恋愛が行われているという意味でそれはリアルなんだよね。だから良い悪いの問題ではないしそれはそれでいいんだよね。それはもう価値観の問題になるよね。バーチャルな欲望の問題はスポイルってことを言ったけど「なんかないかなー・・・」っつってゲームとかバーチャルの世界に生きがいとかやりがいとか「これだ!」っていう欲望を喚起させるようなものを見出すっていうのがまぁようはスポイルとか代替ってことだよね。


まぁでもなんでそれが代替っていうのか?っていうとあくまで欲望が向かう先はリアルであるべきでバーチャルだから代替なんだって話になるけど逆にリアルに何もないけど欲望自体は存在していて欲望したいから何もないリアルを去ってバーチャルへってのがまぁ今の時代だよね。で、俺の場合もそうだったけど俺の場合なんかもそうなのがそこでリアルを去るのが早すぎるということだよね。何か工夫をしたりリアルに存在する色々なことをやってみたり検討してみたのか?ってことだよね。


例えばバーチャルな世界をただ歩いているだけってのが楽しいっつーのがあったとしてその人が社会恐怖とか外出恐怖とか持ってたらまぁまた別の話になるけど俺の場合、よく外に出ていた頃にいた場所ってのがニューヨークでまぁただ飽きるんだよね。で、戻ってきて色々と街は変わってるだろうけど別に街自体に興味ないからフォーカスが行かないじゃん?でも今回のナンパを軸としたリアルへと軸を切り返すっていうこととして街ってのをゲームで言うところのマップとして捉えるってのがあるんだよね。ようはあそこ攻略したっけ?っていうレコード屋巡りをしているとどこのレコード屋には行ったっけ?っていうレコード屋が軸になって結果的に凄く街を歩くとか散策ということになるんだけどこれを今の俺は洋服屋に軸を置きつつ歩く理由はナンパであるっていうね、で、ある程度そこを歩きつくすとか場所を知るってことがマップ攻略になるんだよね。


でもまぁ場所は限られてるよね。やれそうな場所ってのは限られてるけどでもまぁ結構あるじゃん?次はどこ行ってみようか?っていうところに志向性を置くんだよね。もちろん街歩きなんかをする感性は持ち合わせてないからあくまでナンパと買うものがないから洋服屋を軸にして動いてみようっていう昔レコード屋を軸に動いていたというのをそのままナンパの行動原理に応用するということだよね。もちろんずーっとやれるわけじゃなくていつかは飽きるけどまぁでも飽きるぐらいいろんな場所に行ってナンパをしてみるってのは十分やる価値があるし外出のきっかけになっていいじゃん?


常に任意のマップを移動できるってことだよね(笑)目的がナンパなら街を散策とか散歩するだけでもそれが趣味たりえるようになる。これはまさにリアル世界を俺の持ち合わせているゲーム的感覚で捉えるっていうことだよね。で、スポイルの話で言うとね、知らないマップを歩きつくしたい!っていうその感覚をリアルに向けたら?ってことなんだよね。もちろんそれはゲームだからいいんだよって話にもなるけど知らない場所をとりあえず歩いてみるってのはちょっとワクワクするじゃん?でも目の前にゲーム機があってその一方でいちいち外に出なきゃいけないっつー面倒臭さを考えたらゲームに行っちゃうんだけどそこをちょっと半歩ぐらい出てリアルにもそのゲーム的感覚を向けてみるっていうことなんだよね。


何もないけど欲望はあるから欲望したい!ってのはまさに俺のことなんだけどさ、で、バーチャルも散々やり尽くしちゃってだからリアルしかないってことでもあるんだけどね(笑)ようはバーチャルやりすぎなんだよね。消費し過ぎなわけ。で、もうやりたいと思うもので攻略するものは残ってないわけ。だからこのゲームをリアルに拡張するっていうプロジェクトだよね。で、その仮定で思ったのが今書いたような欲望のスポイルとか代替で済ませてそれで満足したかのように勘違いしている主体の寂しさとかってことなんだけどね。


ってことで続きます。ではまた。