ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/Rockstaによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

l.w.e.  さんへの返信。

l.w.e.  2018-01-12 23:51:54


何かを言う知的レベルなり教養レベルが無い者の立場としては耳蝉さんみたいな知的・教養的に恵まれている方にはそうではない立場の人にもっと同情心というか、うそでも「いや気持ちはわかるよ。でもね・・・」という態度で発言いただきたいなと思いました。

 

クソクソ言ってくる正しくて教養がある人なんてバカから見たら嫉妬と憎悪の対象にはなっても仲間にはなれないじゃないですか。むしろ糞だと言われれば言われるほど正しさと教養のアンチとして自分のポジションをネトウヨなりブサヨに見つける――というのは私にあった話です。

 

政治や社会の問題は「糞みたいなやつら」のことも身内として扱えるエリートにまかせて、無知は無知として安寧と生活できる世の中だったらいいなーと個人的には思ってます。あまり文章が得意でないのでうまく伝わったかわかりませんが、好意的な気持ちで読んでくれるとありがたいです。

 

おっしゃることは凄く分かるし昔は僕もそういう同情心があったと思うんですが、自分のリアルでの経験からも色々とネットも含めて見聞きしている経験からもう馬鹿には馬鹿というしかないというか、馬鹿は馬鹿だからしょうがないし考えないようになったんですね。なぜかというと色んな意味であまりにも不毛だからです。そもそも知的・教養に恵まれている人たちが憎悪の対象になる理由がさっぱり分かりませんよ。

 

これはおっしゃる通り実際にそれはあるし別にネットだけに限らず自分も本当に経験があります。でも僕はその恵まれている人たちへの憎悪や嫉妬が生まれるような心の卑しさに同情心も変えてやろう!みたいな気もないんですね。変えてやろう!なんてあまりにも傲慢だしモノにもよるんですが根本的に人が変われない部分ってあってそれに関してはもう絶望するしかないし、でも絶望って希望があるから絶望するわけですよね。でも「そういうものなのだ」と客観視すれば希望も絶望もないわけですよね。ただそれがそうであるという客観的な事実ですよね。

 

でもそれが客観的事実だからこそ苦しむ人たちもいるわけなんですよ。最近やり取りをしたSatouさん然りです。知的なことや教養的なことに熱心なのはいいことなのに、もちろんそれだけが理由ではないんですけどもとにかく憎悪の対象になるわけですよね。それが僕は凡庸さの究極的な悪意だと思っているんです。ルサンチマンっていうのは誰でも持っていると思いますがそこに目を向けずにルサンチマンを持ったまま現状に何も疑問を感じず上昇しようともしない精神性というのを僕は凄く卑しく感じるんです。いや、「耳蝉さんには・・・という態度で発言していただきたいなと思いました」って言われるなんて凄く光栄なんです。

 

でも僕は元々教養があったわけじゃないし学歴的にもクソだし学問自体を割とガチで始めたのも相当遅いし言いたいことを論理的に言えるようになったのもかなり遅いんです。それはもう「やってやるぜ!」っていうような意志ですよね。バカのままではいけない!って別にバカを見てそう思ったわけじゃないんですけど、とにかく知的なものを磨きたかったっていう意志があってそれを日々実践しているだけなんです。

 

それに対してこっちから別に「お前教養ゼロだな。クソ人間だな」なんて言うことも無くむしろ攻撃なんてしてないのに攻撃されるというのは本当に意味が分からないんですよね。僕はそういう卑しい人たちと仲間になろうとも思わないし、そうやって弱い自分に負けてクソみたいな知的ポジションを見つけてひたすら誰かを攻撃するとか妬むということばかりをしている人たちなんて絶滅していいと思っているぐらいなんですね。無知は無知として生活できることがあるとすればエリートに完全統治された寡頭制でしかありえないですよ。でも現状は民主主義でみんなが主権者である以上、必然的に国のことを考えなきゃいけないし政治を考えなきゃいけないわけですよね。まぁ実際は色んな意味で無理ですよね。

 

そこで無知を放置するとどうなるか?というのがSatouさんが言っていた怒りに繋がるようなことであるし、バカであることや卑しい人間であることがどれだけ有害なことなのか?というのはSatouさんが色々書いてくれたことも含めて多岐にわたりますよね。差別的なヘイトや思考停止的なクソみたいな左翼運動やそれは思考停止的であれば右翼運動も同じなんですが、基本的にこういうのはバカであるからいけないんですよね。

 

論理の行きつく先での意見の相違はあってしかるべきだしそれは永遠と埋まらないことだと思うんですが、感情に任せてロクに考えもせずに色々とぶちまけたりするのってのはまさにそういうものが世界的に反映されているポストトゥルースの現代そのものですよね。そういうものが政治に動員されたり反映されてヘイト的なものが合法的にまかり通ったりするわけですよね。民主主義の行きつく先というのはこういうポストトゥルースなんですよ。

 

これって完全にクソですよね。クソとしか言いようがありませんよね。そういうのに全力で抗う方法の一つがまぁ方法というか僕が行きついたのはここで書いている真正右翼であるということなんですよね。浜ちゃんの黒塗りの話で話題になってたようなのも思考停止的なコスモポリタニズムで民主主義の父とも言えるような存在のルソーがそれを批判してたりするんですよ。全く民族性や文化性やネイションを構成するようなものを無視して理念だけを押し通してそれを世界の一つの基準にするだなんてとんでもない話です。でもそれが正しいことだって思いこんでる人は多いですよね。

 

凄くそういう意味でネイションって重要なものなんですよね。そういうのも考えずに思考停止的な批判で「だから日本はダメなんだ!」みたいなのに乗じてどんどん量産されるような似たような意見って害以外のなんでもないですよね。これに関してはまだルサンチマンから自分の立場をブサヨとかネトウヨに帰属させて永遠とクソみたいなことをぶちまけている連中のほうがマシで、「だから日本はダメなんだ!」みたいな意見を例の浜ちゃんの黒塗りの件で量産しているような人たちはその批判を良かれと思ってやっているんですよね。

 

日本は近代化しなきゃいけない!という意見でしょう。でもその意見自体が色々な概念エラーと思考停止的コスモポリタニズムに立脚していてそれが正しいと思い込んでいるからこそよりタチが悪いということからも見られるようにちゃんと考えるということは凄く大事なことであるし今後も民主主義でやっていくならそれは市民の義務のようなものですよ。

 

無知が無知としてそこそこ生活できる世の中を作るには現状のポストトゥルースがデフォルトみたいになってしまっているものをなんとかしない限り無理ですよね。まともな人がまともなことを言えなくなると変な意見や体制側に都合が良いような統治の論理みたいな意見がまかり通って民主主義の基本である権力の監視というものが機能しなくなりますよね。だから無知ほど怖いものは無いし、無知であってもそれだったら無知なままでいてほしいって思いますよね。問題はそこでルサンチマンを吹き上げるクソみたいな人間が大量にいるっていうことなんですよ。リアルに真剣に日本のことを考えている人たちから見ればあんなの同胞でもなんでもなくただの国賊ですよ。

 

l.w.e. さんの言いたいことは凄く分かるし伝わっています。だからこそ無知ではダメだしルサンチマンを抱えたままではダメだ!っていうことが言いたいんですね。l.w.e. さんはそういう無知な段階やルサンチマンの段階をもう経ているわけですから「何かを言う知的レベルなり教養レベルが無い者の立場としては」と勝手に自己規定しているだけで、そもそもそうやって客観的に見れている時点ですでに知的レベルや教養レベルが無いなんて言えないわけです。そこでもちろん自分でそういう風に言ってそういう立場に安住するのも一つだとは思いますけど、気になるのはそういう風に自己規定することで逃げているように思えるところです。それを言うことでエクスキューズとしてしまっているわけですよね。

 

「クソみたいなやつら」をエリートは身内だとは考えませんよ。ただの票の頭数とか統治しなければいけない厄介なモブぐらいの意識ですよ。だからこそエリートではない僕らに一番ある意味ツケが来るわけですよね。クソみたいなやつらの攻撃を真っ向から受ける立場になってしまう。

 

でもそこでそういうのに抗わないといけない!って思いませんか?ましてやl.w.e. さんのようにブサヨとかネトウヨルサンチマンの問題で自分のポジションをそういうところに見出すみたいなモブ的メンタリティや実際にそうであったという経験からもそれは本当にヤバいことだって分かっているはずですよね。だったらそれに抗うべきですよ。別に僕はl.w.e. さんと喧嘩がしたいわけじゃなくて好意的な気持ちで読んでいるからこそ「同志になってくれ!」って思うんです。せっかくこうやって交流の縁もあったわけですしそれは別にどれだけ本を読んでいるか?とかではなくて意識の問題なんですよね。

 

無知であるかはともかくとして安心して生活できる世の中になってほしいですよね。そう思うなら必然的に毒をまき散らしてるような連中は放っておけないと思いませんか?平和ってアナーキストが思うような、自然に戻れば全部解決するみたいなことではなくて凄く能動性を必要とするものですよね。文化然りですよね。放っておくと低俗なものに支配されて文化は無くなるんですよね。そういう意味での文化的なものへの渇望感というのも国を考えるうえで凄く重要なことであるし、ネイションそのものを考えるというようなことに繋がることだと思っています。