カウンセリングに行ってきました。

mimisemi2008-09-26

相変わらずもう本当に欝というよりか分裂病なんだなって思うんだけど、スピーチのクラスでね、アウトラインっつーのをプレゼンをやる当日に出さなきゃいけなかったんだけど、まぁ用意はしてたんだけど、その日はバスっつーか最近バスの調子が悪いわけよ。詳しく書くと長くなるんでやめるんだけどまぁなんかシステムに変更があったらしく、ちゃんと回ってないんだよね。そんなのに気がつかずに30分ぐらい待ったんだけど、例えばバスを待っている時に10分経ったけど来ないから歩いていこうと思っても、そこで歩き始めてしまったら今まで待ってた10分が無駄になるし、もしかしたらあと5分で来るかもしれないわけでやっぱり待っていよう・・・なんてのの繰り返しで脳内フィードバックが起こりまくってダメになるわけだけど、まぁそんなんでアウトラインをプリントアウトするために早めに家を出たのにバスをキャッチできなくて、挙げ句の果てに遅刻しちゃったんだけど、こういうのってこっちでは日常茶飯事なんだよね。日本みたいにキッチリしてないからね。色々なことが。


で、このスピーチの先生なんだけど、「あなたに話があるから授業後に残ってくれる?」なんて言って俺を心配してくれたって書いたけど、なんかね、この先生、妙に神経質でずーっと不幸せそうな顔をしてるのね。もうずーっと怖い顔をしてプレゼンを監視している。で、今日なんかさ、「シュンイチ、アウトラインは持ってきたの?」なんて凄い剣幕で聞いてくるわけ。当日、ちょっと忘れたっつーかまぁ厳密に言えば忘れてはいないんだが、バスの説明とかしてもしょうがないから忘れたってことにするしかないんだけど、アウトライン渡したらさ、なんかまたフォーマルな書き方と俺の書き方が違うらしくっつーかみんな添削されてたっつーかあれなんだよね、赤ペンだらけでやり直しみたいな、なんかもう異常なんだよね。この先生のフォーマルへのオブセッションが。いや、授業もしょうもないんだよ。長々と黒板にプリントで渡せばいいようなことをずーっと書いて、挙げ句の果てにそれを説明するだけみたいなさ、もうそんなんだから俺は授業中に話を聞かないで寝てたり本を読んでたりしたんだけど、まぁ今回はあれだわ、俺の分裂病と正常な部分がごっちゃになってっつーかまぁ今回だけじゃないのかな?普段もそうかもしれないけど、妄想と現実の境界が曖昧になったシュルレアリスティックな精神状態をお送りしたいわけね。今、実は凄まじく激欝状態なんだよね。体が動かないぐらい。もう銃があったら自殺したいぐらい。そんぐらいヤバいんだけど、あえて書き留めておきたかったから頑張って書いているんだけど。


で、まぁね、アウトラインもスピーチの一部として評価されるんでグレードに影響するっつーんで疎かにはできないわけ。で、俺がアウトラインを先生に渡したらその場で「何が何が何がこうでここが足りない」みたいなのをずいぶんとよそよそしい態度で言ってくるわけ。ちゃんと赤ペンでやってくれないと分からないのに、適当に説明してやり直してこいなんて言うわけ。「なんでそんなにキレてるんだ?」とかって思ったんだけどね、俺がまぁ単独妄想夢芝居の始まりだったんだけど、授業の後にアウトラインがどこが具体的にダメだったのかが完全には把握できなかったから先生に聞いたんだよね。どこが悪かったんでしょうか?って。そしたらさ、声をかけたときにもう凄い剣幕なのよ。なんかもう「何?!」みたいな顔でこっちを見てくる。で、ちょっとどこを直していいか分からなかったから具体的に教えてくださいっつったらさ、呆れたような調子で「私は授業でそういうのは散々説明したでしょ?アウトラインの書き方のサンプルも渡したし、それをちゃんと読んでやってきなさい」とかってすんげーよそよそしい態度でいってくるわけ。どうやらこの先生は俺のことが気に入らないらしいんだよね。それをなんとなく「シュンイチ、アウトラインは!?」って聞かれた時に瞬間的に知覚したんだけど、それが合理的なのか妄想知覚なのか分からないんで、後のためにも具体的に妄想の内容を書き留めておこうってことで書いてみるね。


まず色々とさかのぼるとプレゼン当日に行き着くんだけど、俺が昨日書いた「緊張しているということを隠さずに出すことで逆に緊張を隠す努力をしなくて済むという自己防衛をする」ってことなんだけどね、いや、妄想レベルなんだけどっつーか妄想レベルだからあえて書くわけだけど、プレゼン当時に「いやぁーもう死ぬような気分です。ここにいれて幸せです」みたいなのを掴みでやったって書いたけど、この時先生がさ、「緊張しているのはあなただけじゃないんだから、そんなことをインフォームしなくてもいいのよ!」なんてちょっとキレ気味で俺にいってくるわけ。で、もうプレゼンを始めてる俺としては邪魔するなって感じだから「いや、今、実際こうやって笑ってる人もいるわけで、こういう風なオーディエンスのアテンションを掴むやり方ってのもあるんですよ」みたいな生意気なことを言ったわけ。で、俺はもう舞い上がってるから先生に失礼だろうがなんだろうがね、っつーか失礼も何もオーディエンスのアテンションを掴むというステップも踏まなきゃいけないなんつーわけでさ、それだったら俺はある意味で大成功してるわけだよ。教科書に載っているようなやり方じゃないかもしれないけどね。このやりとりで先生が「心配してやっているのになんだこいつ!」って思った可能性がある。


で、次は昨日書いた椅子のくだりね。そういう風に言われて腹が立ったのか先生が「そんなに歩き回りたかったら椅子をどかせばいいじゃないの?」なんて言ったんだけどね、いやね、教壇の前に椅子があるんだけど、俺がウロウロするもんだから、その椅子をどけたらいいんじゃない?ってこれまたちょっとキレ気味で言ってきたわけよ。で、俺はふざけて「え?こうですか?」なんて座ったりしてボケをやったんだけど、そしたらまぁオオウケだったって書いたけど、先生としてはこれまた心配してやってるのにダシに使われたみたいに思っている可能性があるってことね。


もう一つはプレゼン中の俺の言動ね。まぁ全てがインフォーマルなのは言うまでもないけど、ただもちろん、本当にやらなきゃいけないスピーチの枠組みという中ではしっかりやっているわけ。イントロダクションをやってボディで要点を説明して帰結でサマライズしたりなんなりっていうね。そういう意味では昨日書いたようにプレゼンは大成功だったわけだけど、今日の先生のキレ気味の態度から、「なんか俺に対して怒ってるな」っつーのを感じた俺は色々まぁ思い直したわけだけど、極めつけはね、このプレゼンの日に先生がプレゼン終わりに俺に言った一言ね。「プレゼンを中断するようなことを言ってしまってゴメンなさいね」って言ってきたんで、「いや、全然大丈夫です」って答えたんだけど、ここで妙に引っかかることがあるんだよね。それはI'm sorry about interrupting your speechって俺は聞いたんだけど、もしかしたらI'm sorry about you dropped your speechだったかもしれないってことね。インタラプトのところが妙にドロップだったような気がするという思い込みというか、実際、昨日も聞いた時にインタラプトのところがドロップに聞こえたんだけど、インタラプトだろうって思ってインタラプトだって解釈してたんだけど、一連の俺の勝手な思い込みから連想すると、先生は俺のことを気遣っていろいろとプレゼン中に助言をしてくれていたのに全部それを俺は笑いのネタにしたっつーね、馬鹿にしやがって!みたいな気分になってたとしたらね、あれなんだよね、スピーチのクラスの日も今日のスピーチはみなさん本当によくできていましたねー。なんてありふれたようなコメントをこの先生が説明してるんだけど、俺のプレゼンについての言及がさっぱり無いのね。相当俺は上手くやったと思うし、俺も上手くできたなっていう手応えがあったんで、先生がなんで俺のプレゼンについて不自然なぐらい言及しないのか不思議に思っていたわけ。


で、まぁさっき書いたプレゼン中のことなんだけどね、プレゼンでリラックスするためにはリハーサルが必要ですみたいなさ、まぁ4つぐらいステップがあって、リラックスだとか準備だとかリハーサルだとか考え方を変えるだとかってのがあるんだけど、そこでまたスタンドアップ癖というか、笑いを作らないと怖いから「リハーサルってのは本当に重要なんですよ。あと準備ですね。まぁもっとも僕はさっぱり準備してなくて今は完全に即興でやっているんだけど、良い子のみんなはマネしないでね!」みたいなアメリカのスタンドアップの王道みたいなボケをかましたんだけど、まぁあんまウケなかったかな。で、これなんだけどね、余計なことを言っちゃったなって思ったのがね、今日、授業後にアウトラインについて聞きにいったときに「プリントも授業中のノートもあるでしょ?それを見てやりなさい」なんてずいぶんとよそよそしい態度で接せられたというのは書いたけど、その後にもさ、すんごい怖い顔をして憎まれ口みたいな言い方で「あとちゃんと準備をしてこないとダメよ。即興なんてアクセプタブルじゃないわ。ちゃんとオーガナイズしてやりなさい」なんて言ってきたわけ。俺は完全に頭に来たわけね。即興でやってるかそうじゃないのかなんて誰に分かるんだ?と。ジャズミュージシャンの即興と思わせているような即興じゃない即興かもしれないじゃないか!と。竹村がSalonっつービデオで皮肉っぽく言ってたように、ジャズ畑の人の即興っつーのは即興という風なスタイルをジャズという枠組みの中でやっているだけで、それはうさんくさいって言ってたんだけど、俺がやったのはまさしくジャズ的な即興だったわけだよ。もちろん何も用意をせずその時々のインスピレーションにまかせて何かをやるというのはね、これをやるから余計に緊張するんだけど、俺って自分の感性は信じてるから、その逆境に追い込まれた中から何かが生まれるんじゃないか?とかって常に思ってるわけ。だからあえて準備をしないんだよ。今までもそれで成功してきているからね。で、今回も大成功だったわけだ。でもね、もちろん大枠は決めてるんだよ。俺は想像オナニーが得意だけど、頭の中でいろいろなことを想像するのは本当に得意だから、頭の中では何回もプレゼンを練習していたりするわけ。練習といってもなんとなくだけどね。イメージしている感じで何を言うかというのは大体のことしか決めてないんだけど。


でも先生は俺のジョークを本当に準備をしてこなかったと思って、これまたカンカンだったわけだね。準備や個別のリサーチなども内容に含まれているから、何も準備してこないで即興でやるなんてのはとんでもない!って話なんだろうけど、まぁ逆にあれを即興でできてたら俺は本当に天才だよ。本当にコメディアンとかね、先生とかになれると思う。でも俺は天才じゃないんだよ。一応最低限の準備はしてきてるんだよ。だからそこから即興が生まれて来るんだよ。そこはジャズというフォーマットがあるから成立している即興みたいなもんで、デレクベイリーみたいな即興は俺にはできないというわけなんだけど、先生にはそれがデレクベイリーに聞こえたらしい。だけどさ、これって観念的なことだよね?俺はまぁジョークにしても口を滑らせたかもしれないけど、実際、前の番にトピックを決めて適当に色々調べてやっつけでぶっつけ本番でやってる人なんて他にもいっぱいいるわけよ。俺もそんなありふれた生徒の一人なわけだけど、先生は俺のこの「ほぼ即興でやってるんだけど」というところのジョークが気に入らなかったのかな?いや、妄想入ってるのは十分承知してるよ。だか現実と妄想の境だと言ってるわけで。


だからね、それを色々な要素から考えても、俺は少なくともあのプレゼンの日に俺のことを心配してくれている先生を侮辱して笑いに変えて、なおかつインプロでやって上手くできちゃったというのがとことん気に食わないのかもしれないってことなんだよね。いやね、それだったらさ、準備してるしないっつーよりかはさ、ジャズの演奏みたいなもんで、準備してないジャムっつーかギグでもさ、演奏が良ければそれはそれでいいわけじゃない?緻密な練習をしてきてこの演奏だということで演奏が評価されるわけじゃないよね?そこは演奏そのもので評価されるわけじゃない?で、うぬぼれるわけじゃないけど、まぁ若干の下準備もあって出来はよかったんだよ。それこそ凄い拍手でみんな笑顔で俺を見てた。珍しいぐらいの大成功だったと思うんだけど、でも先生はそれを「メソッドに沿っていない」ということで評価していないんじゃないか?というよりかは、ちゃんとした授業すらもできない自分というどうしようもない存在がいるのに、変な緊張しまくっているガイジンが専門用語なども使いつつ哲学的な概念でプレゼンの緊張について語っているなんていうのが憎たらしくてしょうがなかったのかな?なんて思ったんだよね。そのぐらい俺のプレゼンは良かったんだよ。だって普段の先生の授業ってチグハグでさ、なんかのノートとかプリントに沿ってやらないと何も出来ないような先生なんだよ。だからネイティブじゃない俺の即興が憎たらしくてしょうがなかったのかもしれないっつーのはまぁ分裂病で言うところの誇大妄想だけどね。


ただ俺としてはまぁプレゼンそのものが大成功だったんだからいいじゃないかってことなんだよね。俺がプレゼンをやった日も先生が生徒達に誰のプレゼンが一番役に立ちましたか?なんてしょーもない質問をしてるんだけど、数人答えたんだけどみんな俺のことを指差してるわけ。「彼のプレゼンが良かった」と。もう先生としては本当に許せないんじゃないかな?言われた通りにやらないのに成功しちゃってるんだから。まぁうぬぼれるのはこれぐらいにしても、まぁ先生が俺に嫉妬しているなんていうのは考え過ぎというか妄想の行き過ぎにしても、先生を侮辱しつつ「準備なんて全然してないんですけどねぇー」なんていうジョークだろうが本音だろうが、そんなことを言う俺が許せないという可能性は十分あるわけだよね。


そんなわけで、I'm sorry about interrupt your speechがdroppedでもありえるんじゃないか?っていう風に思ったわけね。俺ってこういう病的な一個一個の記憶が凄まじいから、だから嫌なことがあると脳が破裂しそうになっちゃうんだよ。普通だったら気にも留めないから忘れちゃうようなことを俺は凄まじく覚えている。だから幼稚園の時に他の友達に言われた嫌なこととか、先生が何気に俺に言った一言だとか、田舎に帰るっつーんで母親が俺を迎えにきたときのこととかね、その時の母親の服装とか仕草まで俺は全部覚えているわけ。こんなことを言うと母も忘れてるし、そりゃ考え過ぎだって言われるんだけど、俺は覚えているんだよね。だからある意味で俺はちょっとサバン的なところがあるんだよ。それが数学だとかね、学問の世界で威力があるものだったらいいんだけど、俺の場合すげーユーズレスなんだよね。嫌なこととかどうでもいいことばっかり覚えている。まぁあと興味のあることを一旦覚えたら忘れないっていう強みはあるかな。だからまぁ好きなことをやっていかないと生きていけないって普段から書いているわけだけど、別に天才とかそういうんじゃなくて、俺は確実に普通とは違った変なところがいっぱいあるわけ。


そんなんで一個一個をパソコンのデータのように覚えているから、そこに今日みたいにちょっと疲れ気味で寝不足気味(っても7時間は寝れている)でセロトニンやらなんやらの脳内伝達が鈍いときに重なってこういうことがあるとネガティブというか、ネガティブになりやすい脳のコンディションから例えば一つの気になる他人の仕草とかちょっとした一言を過剰に受け取ってしまって、それが妄想的に膨らんでいくんだけど、俺の場合、その妄想の材料というのがね、宇宙人が襲ってくるとかそういうんじゃなくて、ある意味で変な記憶力によって蓄えられている様々なデータなりね、そういうのから勝手にネガティブな方に演算しちゃうんだよね。演算というとかっこよすぎるかな?で、今回心配なのは仮に先生が怒っていて、俺のプレゼンをさっぱり評価してなくて、仮にそれこそdroppedしちゃってたらさ、ようはテストで0点取ったようなもんなんだよ。俺のプレゼンが良かろうがなんだろうが、俺は0点だったということになって、んでアメリカのグレードのシステムだと、例えばスピーチのクラスでFつまり落第だとかね、まぁそこまでいかなくてもDとかだと平均のグレード値というのが極端に下がって4大に転入するどころじゃなくなっちゃうわけよ。最低でも2.5から3ぐらいはないと4大には入れないらしいからね、そんなんでなんだかんだで俺は相当普通の学生のようにグレードを気にしなきゃいけないわけ。で、ヘルスとかさ、社会学とかで相当悪い点を取ってるでしょ?だから不安なんだよね。仮に俺のことをさっぱり評価しない先生とかにあたっちゃうと、俺がどんだけ良いプレゼンをやろうがそれは0点なんだったらさ、これまぁあれだよね、先生という権力者が俺のグレードを牛耳っているわけだよね。まぁ教師と生徒というか、学校自体がそういったディシプリンを教養する機関だというのはフーコーとかアルチュセールとかも言ってたようにそれはまさにそうなんだけど、そんな俺のことを嫌っている権力者に俺のグレードが委ねられているかもしれないわけでさ、そう考えるともう大学なんていけないわけだよね。普通よりかは若干頭が切れる俺は馬鹿を見極めるのが本当に早いわけ。逆を言えばこないだ書いた元相方みたいな本当に狂ったように頭が良い人とじゃないと話が合わない。まぁ元相方も変な人だから鳥居みゆき風に言うと馬が合わないところもいっぱいあるんだけど、でも話題のレベルは一緒なんだよね。俺の居心地の良いレベルで話が出来る人なんだよってことはようは俺も頭がそれなりにいいんじゃんってのは前に書いたよね。だからといって俺は「頭がいいんだ」とは思いたくないんだけど、特に今の学校みたいなところだとあまりにも馬鹿が多すぎて、それは生徒はしょうがないとしても教授でもロクでもないやつが多いんで、本当にどうしたもんか?と思っちゃうんだよね。かといって凄まじく優秀な学校に行けるほどの英語力も学力も忍耐力も俺は無いだろうから、だから少なくとも今はここに通うしかないんだけど、そういった打算的な選択によって決められている今の俺の抑圧的な状況というのを考えると本当にいたたまれない気持ちになってきて頭がおかしくなりそうなんだよね。


普段もそれは分かっていて通っているんだけど、でもそれはステップだからしょうがないって自分に言い聞かせているし、わざわざフォレストヒルズから一時間以上もかけて通うのはね、電車でシステム的に組み込まれた不可避的な読書が出来るから良いだとかね、外に出て歩くだとか、かわいい子に地下鉄で合うのが楽しみだとか、好きな洋服とかスニーカーを履いて外に出つつ爆音で音楽を聴いてるのが楽しいとかね、もっと他のプラスの部分を見て総合的に学校に通うことの意義というのを自分なりに見いだして通っているわけだけど、今回みたいなことがあると、その普段ごまかしているような感覚が一気に崩れ落ちるんだよね。「これが現実だ!いいか!これが現実なんだ!!!」っていうさ、今の大学に何も求められないっつーのは入った直後に思っていたことだし、ここにも散々書いたし、まぁ自明のことなんだけど、改めて現実にアジられる感じなんだよね。だからもう絶望的な気分になる。そんなしょうもない学校に高い金を出して、ましてや親が血反吐を吐く思いをしてね、母親とかも末期の患者さんの世話をしたりさ、親父も会社で俺なんかとは比べ物にならないぐらいの厭らしい人間関係とか理不尽なことに悩まされ続けている中から出ている金で俺はのーのーと学校に通っているわけだよ。好きな洋服を着て好きなスニーカーを履いて・・・なんてごまかしながらね。でもこれが現実で、しかもそんな尊い親のお金と俺の時間が、くだらないプロフェッサーによって消費されてると思うと死にたくなるんだよね。親にもそれは話してあるんだけど、それはまぁ今の二年生大学のステップなんだからしょうがないじゃないかとは言ってくれているわけ。むしろ最初はついていけるかどうかが心配・・・とかって嘆いていたくせに今は自家薬籠中の物にしているというと言い過ぎだけど、レベル低くてやってられないっていうぐらいまぁある意味で余裕があるんだから、将来大丈夫じゃんっていうね、プラスに考えればそれはまぁいいことなんだが、どうも今日みたいにネガティブになっていると、色々なことが思い上げてきてもう自分の状況がどうしようもないようなものに感じられてくるんだよね。まぁこれが日常的なのが日本のアノミーに陥っている若者とかニートなんだけどさ。


あー病的だなぁーすげー書いちゃったよ。まぁ書くことで楽になるからさ、まぁ自己カウンセリングみたいなものなんだけどね。これ。読んでるほうは気持ち悪くなるかもしれないけど、こういうおかしい人も世の中にはいるんでどうか差別しないであたたかい目で見てやってほしい。こういうタイプは好きなことには異常に集中できて能力を発揮できるからね、能力を引き出せれば使えますよ。まぁ社会的な技術はさっぱり無いかもしれないけど。


ってことが俺の妄想の概要なのでした。まぁある意味で分析的というかね、自分の中ではそれもありうることの一つなんだよね。あ、このスピーチクラスの先生の俺に対する冷たい態度ね。今まではドリアン助川と一緒に本を出していた英語教師のクレイグだとか、あのラガーディアのリンとかさ、あ、インテリ先生ね、俺のテイストっつーか、そういうニュアンスを理解してくれた人たちが俺の逸脱したスピーチを評価してくれていたということはあるんだよ。だから俺はスピーチで例えばインテリ先生のクラスではいつもAプラスだったし、それが自信になっていたのは言うまでもないんだけど、今回みたいなロクでもない先生にかかると、それは「メソッドに沿っていない」という理由だけで切り捨てられてしまうんだよね。それはある意味で狭い英語学校というそこまでフォーマルじゃない場所で、少数の理解ある生徒や先生が俺のおかしいスピーチとか言動を評価してくれてきていたというのがあったかもしれない。それはロードアイランドとかでもそうね。ビルは凄いやつだ!と。それはみんなが言っていたことだよ。でもね、仮に俺が凄くても、それを感じられる、もしくは評価できる人がいないと俺はただの逸脱したダメなやつになるんだよ。ロクにプレゼンの準備もしてこないで、先生を小馬鹿にして適当にプレゼンを終わらしている不真面目な生徒になってしまう。そういったね、あくまで俺を評価する人間というのが第三者である限り、その評価基準が曖昧なのは、精神病全般の診断と一緒で、精神科医によって患者の症状は変わるんだよね。だから俺の評価も所謂、ありふれた優秀な生徒なわけではなく、分かる人には分かるタイプの生徒なんだとすると、俺は分からない人にはさっぱりダメな人に映るわけだよ。んーまぁそれはいいとしよう。普段から俺が書いているように、世の中にいろんな人がいてもいい。それはブッシュとか小泉とかの例えでよく使うけど、ああいう人がいてもいいんだけど、ああいう人が当選してしまうのが問題なわけで、今の俺の場合はフランス語のクラスでもそうだけど、ああいう先生があの先生の基準で俺のグレードを判断するというのがね、しかも好き嫌いっつー実存レベルとかで評価されちゃたまらないわけだよね。で、その権力というのが俺のグレードにひびいてくるのが怖いわけで、こういった状況に俺は疲弊しているわけだよね。で、今回は今までだましだましやってきていたんだけど、改めて現実を知らしめられたっつーかさ、そんな感じがするんだよね。


あーもう止まらない。誰か止めてくれ。負のオーラが止まらない。負のアウラは今ここに在る。ザイン。ザイン。で、さっきの親の金の話しだけど、普段からも尊い金だとは思ってるけど、でもその金で俺はジョーダンとか買ってるわけだよね。矛盾してるよね。もちろん俺の小遣いも込みとはいえ、本当にそう考えるなら小遣いなんてゼロであるべきだろう。それこそ全部リテラルに小遣いは将来に関わる学問の勉強に関するものに費やすべきだよね。ここがまた自己矛盾なんだな。フォレストヒルズに引っ越してきてからいつも帰りが遅くなるんで自炊するのが面倒だからサブウェイサンドイッチを食う確立が高くなってるとかさ、なんか自分で自分を許せないよね。まぁ玄米納豆だけだと気が狂うんでたまにはサブウェイとかも必要だからまぁそれはいいんだけどね。無駄遣いじゃなくて食べ物なわけだから。


まだ止まらないな。でもこうやって何かを書いてる時は不安を忘れられるんだよね。これこそまさにスピーチのときにずーっと喋りまくるってことだったりね、カウンセリングとかもそうなんだよね。具体的なアドバイスを受けるのも重要なんだけど、基本的にまぁ患者が普段悩んでいることを吐露することでスッキリするっていうね、そういう効果もデカイんだよっつーか大半がそんな感じだよね、そのスッキリしている時に、ポッっと患者の心が和むようなことを言うと患者は気が楽になるんだよ。俺って昔から分析的だったから、カウンセリングを受けている時も俺が分析されている主体なのに、俺が逆にカウンセラーを分析してたからね。あーカウンセリングってこうやってやるんだなーみたいなね、あと医者にしても医者の特徴とかね、こうこうこう言えば薬が変わるんだなとかさ、これって色々なのに書いてあるけど、欲しい薬を出させるような症状の言い方ってあるんだよね。精神病は他の病気と違って目に見えないから患者のパロールが患者の病状を規定するわけでさ、だから俺は間接的に自分が最良だと思う薬を医者に出させるように操作してきたんだよね。今までずーっと。で、今は最良の薬に落ち着いているんだけど。自分で処方箋書きたいぐらいなんだけどね。あ、でも今の先生はいい先生だからいいんだけどね。全然。


あ、もうやめとくか。二時間ぐらいずーっと書いてるわ。いやね、色々なタイミングが重なって今日から一週間ぐらい休みなんだけどね。休みの前にこういう嫌なことがあると休みの間ずーっとこの嫌な妄想を引きずるんだよね。逆に明日またスピーチのクラスがあって先生のイメージを再構築して調整するなんてこともできるわけでさ、こんな状況だと先生が常に悪のイメージのまま一週間過ごすわけでそれが辛いんだな。学校もそれに影響されて嫌なイメージになるしね。だからどんどん厭世的になっちゃう。休みの間ね。そんなのが目に見えてるんだよね。あー・・・頭が働くというよりかは俺の場合暴走してる感じなんだよね。本当に。これが上手く働くと頭の回転が速いということになるんだけど、負にほうに働くともう妄想一直線だよね。だから俺は完全に分裂病だと思うし、ADD的な症状とか軽いサバン的な症状とか色々なことがおかしいのもね、天才とかじゃなくて、脳のどっかがおかしいんだろうなとは思うんだよね。ドーパミンが過剰に分泌されすぎているんでハイバーアクティブになったり、そのおかげで妄想だとかね、そんなのもついてきちゃうみたいなさ、だから俺はそれが嫌だからエクリチュールに逃げ込むわけよ。エクリチュールを読んでいる間はそこにハイパーアクティブになっているから妄想も生まれてこないんだよね。むしろそれが思想的なものであったら思想という材料で妄想、まぁかっこよく言うと思考実験みたいなのができるわけでさ、それが俺にとって特にアメリカに来てからは音楽とかゲームとかオナニーより面白いことになったんだよね。まぁ昔はそれが音楽を聴いたり作ることだったんだけど、今はそれが読書になっているというのは、こういう防衛的な逃走の賜物なんですね。


こんなことをずーーーーーーーっと俺は小さい頃から喋っていたので、中学の頃に通っていた児童相談所の人にも「本当に自分のことがよく分析できている」とかって言われてたけど本当にそう思うよ。でもそれができているからっつって精神病が治るわけじゃないんだよね。それはもう例えば不整脈がある人が意志とかに関わらずアトランダムに不整脈が起こるように、俺の脳の暴走もまたね、アトランダムに起こるんだけど、まぁそういうことを起こらせないために俺は普段から余裕を持ったスケジュールで生活しているんだけどね。忙しくなりすぎるとメンタル的にダメになったときに回復できなくなるからね。そういった意味での意識的な予防しかできないし、日本に一時帰国したときもね、先生に言われたんだよ。そういう風な症状が出ないような生活をするしかないって。だからそれはどういうことかというと、そういうことが起こりづらいか、コントロールしやすいような仕事するとかね、そういうことでしか俺の原因不明の精神病は回避できないんだよね。そういった意味で俺はまぁ立派というと変だけど完全に障害者なんだよね。障害者がアメリカの大学で割と健闘しているんだけど、今日みたいな内面的な勝手な挫折があると本当に辛いんだよなー。こういったことが前ではルームメイトとの間にあったりしたからさ、また被害妄想がヒドかったからね。だからそういった意味で今はまぁキッチンはシェアだけど、耳栓とイアマフをしてればノイズはあまり聞こえないし、イアマフをしてないときっつったらなんか音楽でも聞いてればいいわけで、今の環境が最高とは言えないけど、でもまぁある程度は脳の暴走を抑えたり冷やすことが出来るような環境にはあるかなという気がするかな。前の家は最悪だったからね。今みたいなメンタルコンディションのときにルームメイトが誰か友達を読んできてリビングで飲み食いしてるとかさ、もう地獄だよね。


まぁーでもさ、そういう意味だとやっぱり俺って引きこもるしかないんだよね。ちゃんとした人とか俺のことを受容してくれる人ならともかくとして、馬鹿とかだと本当に嫌な思いをするだけだから、俺はもうそういう人たちとは付き合いたくないんだよね。でも今はそういった一方的な関係をプロフェッサーと生徒という関係の中でやっていかなきゃいけないわけで、それが本当に辛いわけだよね。まぁでも世の中のさ、もっと職場だとかさ、そんな単位で人付き合いで苦しんでいる人に比べたら全然マシなんだけど、まぁでも萱野さんだか雨宮が言ってたんだか忘れたけど、「他にもっと苦労している人がいるんだ」っていうような負の比較を下に押し込めて自分をマシだと考えるっていう、そういう相対的な見方って本当に良くないんだよね。部落の人たちに比べたら俺はマシな生活をしているということで自尊心を保つみたいなのは本当にマズい。それは社会的にも個人の実存的にも悪い。ってことで俺は俺なりの苦しみがあるから、やっぱそこは俺がコントロールしないとダメなんだよな。経済的な自立は無理にしても、精神的な自律はしないと本当にダメだなと思う。精神的自律があって、そっから経済的自立だなっていう気がするよね。そんな意味で俺は全然自立した存在じゃないんだよ。親に食わせてもらわないとまともに生きていけない。バイトとかやってもまた妄想とかでダメになってやめちゃうわけでさ、まぁ甘えてるって思われるかもしれないけど、いや結構これって大変なんだよ。楽してるように見えるかもしれないけどね、結果的にまぁ状況は楽なんだけど、そうしないとホメオスタシスが保たれないんだよね。すんげーナイーブなんだよ。それはポジティブな意味でもなんでもなくてね。


まだまだ書けそうだな。書けそうっつってもさ、例えばその自分の病的な部分を作品として出力するみたいなさ、太宰みたいなことが出来たら最高だなって思うんだよね。今、仮に俺が小説なり論文なりエッセイを書いているんだとしたら、それはもう物凄い量だよね。2時間ノンストップで書き続けているわけだから。でもまぁ結果はただの駄文なんだよね。それこそ頭で思っていることをそのまま書き綴っているだけでさ、文学的なエッセンスも詩的なエッセンスも何も無いんだよね。まぁそんな文学を目指すつもりはないんだけど、またこうやってウォール伝を書いている時も、この書いていることの虚しさというのを感じるわけよね。これが何らかの生産的な活動だったらいいんだけど、何の役にも立たないもんね。まぁ覚え書きだからいいんだけどさ。俺ってオーガナイズされているものを作ったり書くのって無理だからね、だからもうそれは完全に何かにならないんだよね。オーガナイズさせようと思うと書きたいことが書けなくなっちゃう。だから暴走した状態を続けながら何かを書くしか無い。で、たまにそれが世の中の思想とか時事とかハルヒのやつみたいに上手いこと世の中のバイブレーションと合うと読んでくれる人っつーか評価してくれる人が割と増えるんだよね。でも普段の自分の実存丸出しのものなんて駄文だから本当に非生産的だよね。いや、いつもいろんな人からブックマークされるような文を書こうなんて思ってないんだよ。それはいつも言うようにアマゾンのやつとかハルヒのやつとかはまぐれなんであってね、まぁ最近だと少年愛のやつとかね、たまたまその特読んでた本とかマイブーム的に感化されていた思想とかから影響があったり、モロに読んでいる本の文体からの影響とかがあって、たまにそれらしい文章がまぐれに書けたりするんだよ。でもね、普段の俺のレベルは今書いているこのレベルに過ぎないんだよね。だからああいうのはまぐれなんだよ。たまたまいろんな思想とかを援用したりして、それらしいのが書けたりしているだけでね、だからさ、
そういうのをちゃんとした文体でまとまった形でかける人って凄いなって思っちゃうんだよね。俺には本当に無理な行為だなと思っちゃう。ガーッ!っと書くので凄いのだとジジェクとかサルトルとかニーチェみたいなレベルになるわけで、それこそ一気に敷居が高くなるんだよね。俺みたいな書き方でちゃんとしたのを書こうと思うとそれこそ天才的なスキルが必要になる。パンピーはそれが出来ないから、エッセイのフォーマットなり論文のフォーマットなりを使って書いて他者に伝えやすい形で書くわけだよね。だからそういう意味でフォームを身につけるとそれだけで威力になるんだよね。それを示したのがソーカルだと思うんだけど。それらしい文体とか引用とかでポストモダンチックな晦渋で意味が無い文章を書いたのがなんかの権威ある雑誌に載っちゃったっていうね、あれの根本的コンセプトは、ラカンやらなんやらの間違った数学の使用だとかね、あとはチョムスキーデリダとかを批判するような、もしくは昔、ハイデガーがデューイだったかラッセルみたいなのに「言葉のお遊びだ」と批判されていたようなね、そういう晦渋な文章と巧みなレトリックで既存のものや、意味が無いもの、もしくはたいしたことが無いようなことをそれっぽく見せるということの衒学性というのを暴くことだったんだよね。だからデリダとかラカンの思想は無意味だということを言っていたのではなくて、書き方や数学やレトリックが衒学的だということを言いたかったわけね。それは言えると思うなー。


いやね、恐れ多いことだけど、あえて言っちゃうと、ウォール伝の要点をまとめろってことなんだよね。こんな長ったらしいことをずーっと書いてないで、言葉とかをもっと短くしたりなんなりして、もっとちゃんと分かりやすいように書きなさいってことなんだよね。だから俺のウォール伝ってデリダとかサルトルとかニーチェがガーッツ!!っと書きなぐっていたようなもののちょー低級バージョンなんだよね。だからこういう書き方の敷居は高いんだよ。デリダとかニーチェぐらいの頭脳が無いとこの書き方で凄いのは書けない。それだったら要点をまとめてパンピーがそれらしく見せるために苦心するようなエッセイの書き方とか論文の書き方ってのをやらなきゃいけない。まぁ学校でそういうのはやらなきゃいけないにしても、俺の言いたいことをそういう形で出力できるとは思えないから、だからそういう意味で俺は敷居の高過ぎる書き方でチョウ低俗なことを書いているわけだよねっつーかことえりチョウって変換が出ない・・・。緒鵜とかになっちゃう。「キャバ嬢のことえりでぇーす!よろしくお願いしまぁーす!」って感じだね。そんぐらいことえりは馬鹿だな。


ただこれだけ書くことが止まらないというのはね、少なからずガーッ!!っと書きまくっていたような人たちの気持ちだけはよく分かるんだよね。過去の凄かった変な哲学者達はこういうペースで凄まじい高度なことを書き綴っていたんだなとかって思うと本当に凄いなって思っちゃう。今はもう2時間半経ったかな。相変わらず非生産的な低俗エクリチュールは続くわけだけど、本当にこれってノンストップなんだよね。それこそ考えて書いてないっつーか、考えていることが書くことに追いついていないという状態になると、これっつーか今のこれみたいな感じになるからね、だからまぁ俺の頭の中ってこんな感じなんだよね。だからたぶん俺ってダメ思想家タイプなんだと思うんだよね。ダメ芸術家タイプっつーかさ、これで凄いと凄いことが書けたり凄い音楽が作れたりするんだけど、俺の場合、書くものも音楽も並なんだよね。手法は超人的というか変人的というかある意味では天才的なメソッドを使っているんだけど、内容が全然ダメっつーね、だからそういう意味でまぁこれは敷居の高い書き方だって言っているわけだけど、例えばあのさ、ウォール伝をはてなに移動するきっかけを作ってくれたyoko naitoさんはね、idのリンクのやり方忘れたんでやらないけども、彼女はそういった意味で俺と似たような奇人肌というか紙一重な天才肌なんだけど、本当に天才なんだよね。だから憎らしくもあるね。あんだけ出力が上手くいっている例を見ると悔しくなる。日本に帰った時に一回会って、んでまたブックオフでも行くかなんつってんで連絡しないままこっち帰ってきちゃったけど、別に無視してたわけじゃないからね。いや、全然。私信になってるな。


まぁそういう意味で俺はなんとなく自分の逸脱性において天才が気違いとは紙一重だというのが本当によく分かるんだよね。だからそれは天才の尺度をどこに置くかなんだよね。変なことをやり続けているというか、普段の行動とか生活とか考え方の逸脱性で天才を計るなら俺は天才だよ。でももちろん俺は天才じゃなくて、過去に天才と呼ばれていた人たちと似たような脳の形態を持った劣化タイプなんだよね。そういう意味で天才肌にもランクがあるんだなっていうことが本当に分かる。だから誤解を恐れずに言えば、過去の狂っていた哲学者とか科学者の話を聞くたび俺はそこに自分の実存を投影して安心しようとするわけよ。彼らも本当にどうしようもなかったんだけど、頭だけは良かったっつーか思索だけはしていたんだなっていうね。で、俺はああいうレベルじゃないけど、同じタイプとしてまぁ劣化レベルでもいいから劣化レベル並の人生というのもあるわけだから、俺もまたずーっとそうやって過ごすしかないのかな?って気がしているんだよね。それは最近ではなく結構前から。それが音楽であったり何かを書くことであったりするのかは分からないけどっつーかまぁ両方だけどね、でも両方とも中途半端だからダメなんだよね。だから今は少なくとも思索するという段階においては普通の学問をするということで理論武装をしてごまかそうとしているようなところがあるよね。ゼロから何かが出てくるような天才タイプじゃないから、既存の何かの寄せ集めで考えるしかない。その素材の寄せ集めを今オブセッシヴにやっている感じね。そういう意味でソクラテスのね、人生は生きている人間が一度、前世で失った記憶を取り戻すための旅なんだみたいに言ってたのと凄く似てるんだけどね、無い頭を活用するためにサンプリングネタを掘っている感じだね。だからサンプリングしないと音楽が作れないようなやつなんだよね。俺。だから天才じゃないってはっきり言える。メソッドや傾向性は天才に似ているが、そこに天才との凄まじい境界線があるんだよね。そこで理論武装なりなんなりをすれば若干マシになるのかな?っていうのはね、自分が何かを考える上での材料になればいいなって思って学問をやりたいんだよね。そういう意味だと本当に動機としては、あの俺の食えないノイズとかドローンとかフィールド系の音楽みたいなのと同じような感じなんだよね。ああいうしょーもないのをやるために学問をやろうとしてるんだもん。だからまぁ親に申し訳ないんだけどね。これで弁護士とかになってさ、金を稼ぐようになればいいんだけど、飢え死にしなくて済むかな?ぐらいが御の字だからね。俺の場合。


ただ俺が凄く自分に自信があるのは逆にこの逸脱性と過去の狂った偉人達に似ているような精神構造なんだよね。それは精神病も含めて。そういう意味で俺は秀才ではないから、秀才ではないというところに自分への信頼がある。ある意味でコントロール不可能のわけの分からないものがあるので、そこに素材を放り投げて生成を待ってみようみたいな、そういう期待があるんだよね。そういうことをやる自信はある。だから俺は今はエクリチュールに行っているわけよ。だからまぁーあれなんじゃないかな、俺さ、話を戻すとね、あの先生は凡人中の凡人だから、俺の天才的なプレゼンが理解できなかったとでも思ってこの場をしのげばいいんじゃないかな?もちろん本当はそうじゃないんだということは当然あるにしても、俺は天才じゃないにしても、変わった人がやるような逸脱したフォーマットを許容できない凡人というのはいるわけで、あの先生はそういう先生なんだから仕方がないでしょっていうね。そこでね、先生の褒められるようなプレゼンを次回はやろう!って思わないことが俺なんだってことを凄く俺は理解できているわけじゃない?それがまぁ悪いグレードに繋がって将来への不安になるんだけど、背に腹は代えられないじゃない?あんな人間が納得するようなものに俺が無理矢理フォーマットを合わせる必要は無いんだよね。だってみんなは俺のプレゼンを褒めてくれたし、拍手も凄かったじゃない?だからいいのよ。これで。ね?ってことで今日は納得して寝ようね。よく寝たらまた気分が良くなるって。よく普段から言ってるでしょ?その時の脳の働きによって恣意的に意志が規定されてるって。ってことで君は今、考えすぎて疲れているんだよ。ちょっと休みなさい。


ってことでカウンセリング終了!いやーこれって「痛いブログ」の典型だよね。でもそんなの気にしない気にしない。俺みたいなやつにはその逸脱性を生かすことでしか自分を発揮できないわけだから、普通性にアダプトしたらそれは普通以下のしょーもない人間になるってのが分かってるわけよね。だから世の中的に痛かろうがなんだろうが関係ないんだよ。そんなの。それが俺の普段から批判している「普通性」についてのことなわけでさ、それにしてもあれでしょ、凄いよね。昨日は凄まじくハイというかポジティブで、今日は死ぬ寸前まで来ているわけだから。まぁ今は来ていたと言えるかな。書いてスッキリしたからね。すんげー自己満足的。でもこれってその辺のカウンセリングに行くよりよっぽど効果があるんだよね。そうやって俺みたいな精神的にダメな人は自分自身が自分を自治する精神科医でなければいけないわけね。そういう意味でまぁ合計3時間かかったけど、まぁ今回のカウンセリングは良かったんじゃないの?自分でやってるからタダだしね。


ってことで今日はこの辺で。これをアップする意味が分からん。マジで。自分のカルテをアップするようなもんだもんなぁー。痛い痛いブログ病ですね。これは。リア二千思い出した。マジで。あの単独妄想大恋愛も本当に辛かったな。短期間だったけど、まぁ一つのことが様々なことと繋がってアンプリファイされて頭がおかしくなりそうになるっていう枠組みとして考えるとまぁ構造は同じですね。分裂病ですね。俺は統合失調症という言葉のほうがよっぽど良くないと思うんだよ。これってもう完治出来ないって意味が含まれてるからね。分裂してるなら、その分裂した裂かれた主体を戻せばいい。でも主体が主体の統合に失敗しているということを表す言葉というのは分裂病という言葉以上に絶望的だよね。まぁでもいいんだけどね、症状は一緒なんだから。ライ病だとイメージ悪いからハンセン病にするとかっていう表面的なレベルでしょ?俺ってこういう表面的なモラリズム大嫌いなんだよね。タブーのイメージを簡略化なり形骸化なり過去に定義されていた悪いイメージを一新するみたいなので行われるタブーへのタブー以上のタブー行為ね。こういうことを進めると世の中とタブーの境目ってのはね、裂け目っつーのかな、どんどん増えるんだよね。名前を一新するんじゃなくて、人々がそれを理解することが必要なんであってさ、名前なんてどうだっていいんだよ。それを名前を変えるということで、モラル的な行為をしたのでそれはもうオッケーとするような道徳的放置プレイが俺は好きではない。あ、終わるっつってまだ続きそうだからもうさすがにやめるわ。


PS


今、この病的なエントリーを大急ぎで読み直したんだけど、ようは先生が怒っていようがinterruptingって言ってたんだったらまぁ全ては済むわけだね。そんなに単純なことじゃないんだけど、droppedだったらどうしよう?っつーのがね、一番不湾なわけだよね。みんなが拍手している中で「残念だったわね。あなた0点よ」なんてのを笑顔で言うほどあの先生のパーソナリティーは歪んでいるんだろうか?あーもっとあの先生に会いたくなってきた!!徹底的に分析したくなってきたよ。あの裏表の凄さを支えている根底の部分はなんなんだろうな?絶対離婚とかしてそうだし、頭もあんまり回らない感じだし、そのくせにオバマは理想的なことばっか言って無知な若者の気を惹いているとか変な例え話をし始めるし、本当に個人的に許せないタイプだからこそ分析したいんだよね。観察したい。なんで俺の感情をここまでかき乱すことが出来るのか?その理由が知りたい。それを知ればまたアメリカ人の嫌なタイプというジャンル分けが出来て、今後の傾向と対策みたいなのの役に立つもんね。敵を知るということは重要。ちなみにうちの親父はこういうダメな人間というか自分と合わない人間の区別の判断をするのが遅いから失敗ばっかしてるのね。俺はそうなっちゃいけないな。親父の血筋ってみんなそんなので失敗してきてるからな。俺も同じ血をひいているが、同じミスは犯さないぞと。あ、また長くなりそうだからやめるわ。日本人の嫌なやつのタイプっていくらでも言えるけど、アメリカ人って分からないところが多いからね。そういう意味だとまぁ敵を知るって意味だといいのかな。あと俺に気がありそうな割と可愛い感じのゲイっぽいやつが俺のことをチラチラ見てきているんで、またゲイにコミットしてみようかなっていうのも考えているね。だって今セメスター全滅なんだもの。だから恋愛対象をこのゲイっぽい台湾人だか中国人だか韓国人にすると。そうすればスピーチクラスも少しは楽しみになるだろうな。欲望する主体という状態を維持しないと俺はダメなんだよ。まぁ半分ぐらいジョークで半分ぐらいマジだけどね。やっぱり俺はかなりバイっぽいところがあるな。女の子がいないっていう風になると、んじゃあ男でもいいかっていう選択が出来なくもないんだよね。逆にリア二千とか姫とか社会学の奇麗な人とかコステンコみたいなのがいればまぁそこにはいかないけどね。基本的にプライオリティはヘテロだから。まぁでもあれだけどね、ゲイっつっても少年愛の延長上なんだけどね。こないだゲイじゃないとは書いたけど、可愛い子は好きだね。基本的に。まぁフェミニンな子って意味で。だからキューティーとかいけるわけよ。
まぁゲイトークはこの辺でいいや。ジェンダーで物事を考えるのはやめようね。とりあえず。ペイトマンって人のThe Disorder of Womenってのが最近ちょっと気になる。まぁいいや。もう本当に終わりだ。寝よう。


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アシッドジャンキーズってまだやってんのね。昔からハードフロアなんかよりこいつらのほうが好きだったな。両方ともおっさんだけど。