死んだ生と若者達。

mimisemi2008-09-27

いやね、ジャンプマンプロが再発されるらしいんだよ。っつーかもうニューカラーの黒と白は出てるんだよね。いやぁー・・・。オリジナルを買って、んで糊が剥がれたのを4000円以上も出してやったのにも関わらず、糊のあとがついているっていうような傷物なんだけども、再発されてないし、自分の大好きなスニーカーの一つであるので愛着があるみたいなね、そんな価値観で買ったっつーか履いてるのに再発されるなんてね・・・知らなかった。まさしくあれよ、傷物のオリジナルのレコードを高い金を出して買ったのにも関わらず再発が出ちゃったみたいな、そんなのだよね。はぁー再発買おうかなぁー。なんか知らないけどジャンプマンプロってすげー好きなんだよね。まぁオーディナリーだけど、あのAJFのスパイクリーのね、AJ5とのコンバインのやつとか、まぁジョーダン5って普通にかっこいいじゃん?あと持ってないけど4とかね、この辺も好きなんだけど、あのジョーダンの12だったかさ、すげーみっともないやつあるじゃない?ごっついやつ。あれ好きなんだよね。俺。ただ形がごっつ過ぎて全然服と合わないっつーかさ、もっとシェイプアップすればいいのになぁー・・・っていうのを上手いことやったのがジャンプマンって気がするんだよね。ジャンプマンとジョーダン12って時期は違うかもしれないけどさ、あの頃のジョーダンとかナイキってやっぱ最高だったよね。今もあの辺の形の再発とかAJFみたいな焼き増しばっかだもんね。Jordan 6 Ringsは買えずじまいだったなぁー。まぁでもあれもごっつい系統なんで、俺みたいな華奢なやつにはあんまり似合わないんだよね。体がデカイ黒人とかが履くとあれはかっこいい。まぁジョーダンが一番似合うのってやっぱ黒人だけどね。ブラザー達にはかなわないよな。やっぱり。


それにしてもまぁ今回書きたかったのは他でもない、こないだ書いた割と評判の良かった少年愛セクシャルマイノリティの話の続きなんだけど、別にアクセス数が稼げたっつーんで話題を焼き増ししようとかっていうんじゃなくて、ちょっとあれから色々考えたことがあって、んでちょっとまとまったんで覚え書きとして書いておきたいのね。まぁウォール伝なんてメモ帳みたいなもんだから、まぁいつものことなんだけど。


まぁまずセクシャルマイノリティでもいいし、猟奇趣味の人たちでもいいんだが、彼らが法を犯してしまうような逸脱行為に出る前にガス抜きが出来るような、所謂、あえてマジョリティの立場から言うところの「健全」な人たちが普通のポルノで抜くように彼らの欲求もまたお手軽に満たせるというのが健全な社会だっていうのは前に書いたよね。ポルノが作り出されたものではなく、様々な人々の性の多様性を表す表出というかシンボルだっつーのも書いた気がするけど、まぁまた繰り返すと、顔射だとかザーメンごっくんだとかっていうのはポルノ業界によって生み出されたものではなく、男達の剥き出しの欲望を満たすために生み出された所謂性の消費物なわけだよね。逆を言えば全く男の欲望に答えていない独創的なAVがあったとしても、それはデマンドに答えているとは言えないよね。ソフトオンデマンドって名前が好きなんだけど、これって男の欲求を満たすモノ達っていう意味じゃない?だからオンデマンドなんだよね。だけどまぁ独創的なAVもここは作っているわけだけど、まぁあれは企画ものだから別としても、基本的にまぁ様々なAVなりなんなりっていうのは、デマンドありきで存在しているというのをまず念頭に置かないといけないね。


で、こないだの議論の延長で、んじゃあ非合法なものでしか欲求を満たすことができない人たちはどうしたらいいのか?というのが難しいところなんだけど、仮に児童ポルノが解禁になったことで年少者への性犯罪率が劇的に低下したりしたらこりゃ大変なことだよね。でもそれは全然ありえることだって思えるのが、こないだも書いたように、普通の人は普通のポルノなりそういう店でガス抜きができるんで衝動的なレイプとかをしなくても性欲が満たせているというのがあるし、あとはオタクとかが美少女をオカズにして抜いているのもまぁ普通の人から見れば不健全かもしれないけど、そういうのがあって彼らの欲望が満たされているという社会は極めて健全なわけだ。こういった個々の欲望に対するデマンドに答えれるような媒体があって、それらが性犯罪などの抑止になっているのだとしたら、ポルノというのは物凄く重要な社会的ファクターを占める要素の一つという風に言うことができるよね。痴漢プレイしたいんだけどできない。だからイメクラに行って電車のセットが組まれている場所で痴漢ごっこをするだとか、痴漢系のAVを見て感情移入をしまくって性欲を満たすとか、これも凄く健全なことね。何も普通のセックスを見ながらオナニーすることだけが健全なオナニーじゃないんだよ。欲求を満たせているということが健全なわけだ。で、さっきの児童ポルノに戻るとね、児童ポルノを規制するということが逆説的なのは、それは彼らの欲望を抑圧する要素にもなりかねないってことで、彼らのガス抜きの材料を取り上げてしまうということなんだよね。それによって性欲の発散ができなくなって、マジで子供に手を出してしまうような人たちが増えたとしたら、それは彼らが日常的に彼らの欲求を満たせていないということの結果なわけで、これは極めて彼らにとっては有害なことなんだよね。


なんだっけ?トラックの運転手だかが100件近くの子供への痴漢行為をしていたというのがあったけど、これっていうのはね、まぁ俺のあくまで仮説的な立場で言うことだけども、物凄く性欲のあるペドフィリアが普段からガス抜きをできていないままその彼の欲望を発散するために子供への悪戯をしていたということだとしたらね、それをアイロニカルなタームとしての健常者で考えると物凄く性欲のある人が普段からガス抜きをできていないままその彼の欲望を発散させるために女性に悪戯をしていたということなんだけど、後者はあんまりメジャーじゃないよね?なぜか?なんでペドフィリアだけあんなに異常になるのか?それは繰り返しになるけど、健常者は直接女性に手を出さなくても、例えば吉原に行ってもいいし、AVはいくらでもあるし、言葉が上手いやつならナンパとかしてハメハメすればいいだけの話で、合法的にガス抜きする方法がたくさんあるんだよね。で、まぁあえて言うまでもなくペドフィリアにとってはガス抜きの材料が無い。で、その材料が無いことによって性犯罪ということが起こってしまっている。


では児童ポルノを解禁すればいいのか?というとこれまた道徳的な観点から見てもそれは許されるべきではない。しかしながら仮に児童ポルノ解禁ということが抑圧されたペドフィリア達のガス抜きになって彼らの性犯罪率を下げることができるのであれば、それは検討するべきだと思う。ただ性行為は許されないので、例えばある意味で世界中にショタコンがいるということを露見させてしまったぼくのピコという同人アニメを見ても明らかなように、なんで僕のピコが世界中でカルト的人気を博しているのかというと、それはさっき書いたような、ツリー状に人間の欲望とそれらを排出する性的消費物との相関関係が保たれているという一種の枠組みの中で、例外的に存在しなかった(違法ものは含めないとして)ものというのが僕のピコだったわけだよね。つまりショタ的欲望というか少年愛的欲望を二次元であっても満たせるということで、本来は各国の中での枠組みの中で作用しているツリー状の人間の欲望とそれに対応する消費物というものの関係以外の場所、つまり日本産の僕のピコという同人アニメに世界中のショタ的感性を持った人間の欲望が集まっているわけだよね。例えるなら一つのコンパクトエフェクターに100本ぐらいライン入力が繋がれているようなもんだ。もちろん普通の同人アニメでもなんでも、今はインターネットでいくらでも見れるから、何もセックスインダストリーが各国のみで機能しているとは言えない。ただ僕のピコはかなり例外的な存在といっていいと思う。このカルト的人気は半端じゃない。その人気の秘密は今まで彼らの満たされなかったデマンドが完全な形ではないにしても、彼らの欲望と非常に近い部分で共鳴しているというところにあると思う。世界中に似たような少年愛を扱ったビデオやアニメが偏在していれば、ピコもまたone of themなんだけど、こういったのが無かったからという理由で世界からの注目があるわけだよね。これが表しているのは、飢えた少年愛者達だよね。飲まず食わずの状態でパンを与えられて、それに飢えている人々が食らいついているような感じだよね。


ただ問題はショタアニメやショタコミックがあるということで少年愛者達の欲望が完全には満たされないということなんだよ。つまり二次元にも限界があるという人が少なからずいるはずなんだよね。その辺をどうケアしていくのか?というのが凄く難しい。


まず俺の立ち位置を言うとだね、大雑把に言うとね、あらゆる趣味を持ったマイノリティっつーか変態趣味でも猟奇趣味でもね、それらを合法的に満たせる環境が社会に備わっているということが健全な社会で、それはつまりはそういったマイノリティへの包括性がある社会ということなんだよね。ただその合法的に満たすための道具が非合法的なメソッドで作られているものだとしたら、それはもう合法じゃなくて非合法だよね。かといって非合法だといった規制をしまくると、ムラムラ来て悪戯してしまう人たちが少なからずいるわけだ。


で、猟奇趣味に関してだけど、これもシリアスなものはともかくとして、そういった悪趣味なものを楽しむ人たちというのは少なからずいるわけでっつーかまぁ少ないだろうけどいるわけで、これもまた規制が無い方が包括性があるということになるよね。だから残酷描写への過剰な規制だとかね、こういうのは抑圧者を生み出す以外のなんでもないわけで、全然建設的じゃない。まぁただ猟期ものっつーのは作り物で本当にできるわけで、この辺ではまぁ児童ポルノよりかはそこまでシリアスな問題ではないかもしれないね。


では彼らがなんで他の人と違うのか?というのを考えた時に、例えばジェフリーダーマーだとかサカキバラみたいな異常殺人者達の欲望を作り出してしまった原因は何なのか?ということに焦点を絞る必要があるよね。というと猟奇殺人者とかっていうのは大抵が家庭に問題があったり、子供の頃に虐待を受けていたりするんだよね。だから彼らへの特効薬は、そういった逸脱者を生み出さないようなちゃんとした教育なり育児過程を与えるということに尽きるわけで、そこはやっぱり家庭であるとか、教育であるとか、発育期に関わるもの全般が極めて重要な要素を占めるといっても過言ではないと思う。


ちょっとラフに進め過ぎだけど許して。ちょっと時間がないので。でね、そこに大きな問題があるわけ。既存の逸脱者というかマイノリティの欲望を満たせるような社会的包括性があるということはどういうことかというと、まぁこないだ書いた多元主義と似ているんだけど、彼らの異常趣味もまた彼らの趣味なわけで、自分たちの普通な観点からで彼らを異常と決めつけることはできないということになるよね。そこはまぁこないだの話に繋げてしまえば「差異に寛大であれ」ということに尽きると思う。その一方で、教育課程なり育児家庭なりで、そういった逸脱者達を作らないような健全な育児環境を彼らに提供するということがどういうことを示すのか?というと、基本的にそこには「普通」という名で規定された「健全」な教育があるわけで、そこに逸脱性という名の他者性は配慮されていないわけだよね。異常にならないように健全に育ちましょうということが意味するのは、異常者、つまりマイノリティへの排他的態度がベースになって行われていることが教育なり育児ということになるわけで、んじゃあ既存の逸脱者はどうなるのか?ということになる。逸脱者に寛大であれだとか、逸脱者の欲望も合法的に満たせるような社会こそが健全といったところで、社会がそういった普通目線からの「我ら」と「彼ら」の線引きをしている以上、そこに包括性は無いんだよね。排他性に基づく包括性というのはありえない。


問題は今後もドメスティックバイオレンスやら社会の狂った情勢の中で、色々な狂った人が大量生産される可能性は全然あるということね。それは若者のアノミーしかり、職場での異常なストレスしかり、彼らを異常な行為に走らせてしまうような社会的諸要素はたくさんある。だから彼らにそんな狂ったような感情を作らせないようなのが健全な社会だということが言えるとは思うんだけど、ここにもまた「健全な社会」ということを規定している普遍的とも言うべき「普通目線」があるんだよね。だからなんつーかどの辺で道徳を線引きしていいのか分からないんだよね。もちろんアノミーなりストレスによって引き起こされた犯罪というのは明らかに社会的要素によってもたらされた結果なわけであって、取り組まなきゃいけないのは、彼らのアノミーの原因究明であったり、解決であったり、ストレスフルな社会の見直しということなんだけど、その一方で、自分の純粋な欲望として逸脱行為をしてしまう人たちもいるんだよね。アノミーに陥っている若者が、Manhuntみたいなゲームをやってストレスを解消しているのと、元々人殺しみたいなファンタジーが大好きなやつがManhuntを楽しんでいるのとでは、楽しんでいる理由が違うよね。アノミーの場合はストレスの発散で、猟奇趣味のやつは欲望を満たしているわけだよね。後者の場合はそれは変な趣味でも多様性ということに寛大であるべきという観点から、彼らが殺人をファンタジーとして享受しているレベルにおいてはそれらに全く規制は加えられるべきではないんだけど、アノミーに陥ったような若者がManhuntをやったりするとヤバいんだよ。職場の嫌なやつを想像しながらずーっと一日殺している相手を嫌なやつに当てはめてシミュレートしながらストレス発散しているというのは、明らかに精神衛生上良くない。かといってそれらが彼らの職場の嫌なやつなりなんなりへの暴力的衝動を抑制するものになっていたとしたら悪いとは言えないんだよね。ただ場合によってはManhuntのようなものから殺し方を学んだりして、人の殺し方なんかに妙に詳しくなったりしたりするとね、秋葉原ダガーナイフで致命傷を与えることに熟知していたやつみたいになったりもするわけ。ようはManhuntやその他の極端に暴力的な映画が、彼らの後天的に与えられたストレスフルな状況からもたらされた特定の人間への殺意というのを助長する要素にもなりかねないということね。


だから俺みたいな猟奇趣味のあるやつが残酷ゲームを楽しんでいる分にはこれほど健全的なことはないんだけど、精神的にダークなやつがこれをやるとちょっとまずい。ってことで問題は多岐にわたるんだけど、メインポイントとしては、ガス抜きとしてのポルノや様々な映画や表現物を許容するということが多様性への寛容性になるわけだけど、その一方で「色々な人がいてもいいじゃないか。プリミティブな欲望に罪は無いんだよ」とかいいつつ「健全」な観点から健全な育児をしていくことで逸脱者にならないようにするというような教育なり方法論がマイノリティの排除というアイデアに基づいているというパラドキシカルなことね。既存の逸脱者達を逸脱者ではなく、彼らも自分とは違った欲望を持った人間なんだと許容することが多様性なのだとすれば、健全に子供を育てようということはありえなくなるよね。だってそこには「健全」というかれらとの線引きがしてあるわけだから。ジェフリーダーマーのようになってしまう人間を育てないことが健全な社会を作る大前提というか、まぁ様々な犯罪の原因を探ることでそれらを解決していくというのは一見良いことのように思えるけど、その中には異常な環境で育ったことで異常な感性が生まれたのではなく、セクシャルマイノリティのような普通から見れば変わった欲望を持った人たちもいるわけで、彼らを逸脱者から健常者に戻そうとしたり排除したりするのは彼らへの人権侵害だよね。それは学校で「同性愛は異常です」なんて教えることが同性愛差別というアイデアに立脚したものであるのと同じようにね。


で、さっきちょっと置いてけぼりにしちゃった、普通だったんだけど、おかしな状況でヤバい欲望を持つようになっちゃった後天的にヤバくなった人たちへの処置ね。これは一見、セクシャルマイノリティや猟奇趣味といったものと同じカテゴリで語られることが多いような気がするんだけど、全く異質なものなんだよ。彼らの欲望というのは彼らのアノミーやストレスフルな環境から来ているわけで、彼らへの処置というのは例えばその自分がおかしくなってしまうような要素を含んでいるような職場を退職することであったりとか、学校でもいじめられていたりしたらボイコットっつーか登校拒否するとか転入するとか、解決法が全然違うんだよね。これは逆に彼らの欲望を満たすガス抜きツールはこれらのケースでは極めて悪くワークする可能性があるというのがさっき書いたようなManhuntで学ぶ殺人方法みたいなものね。「むしゃくしゃしていたからやった」みたいなのはまぁ簡単に言っちゃえばほぼアノミーでしょう。そのむしゃくしゃをガス抜きでごまかすというのは本当に良くないし、それらのガス抜きツールは本当にヤバく機能する可能性がある。残虐ゲームによって事件が引き起こされたと言われているケースの大半はこの部類だと思うよ。恐らく。


アノミーで何もかもがどうでもよくなってやってしまったレイプと、レイプマニアによるレイプは違うからね。ただ世の中的では両方とも「女性への強姦」として扱われるだけで、一緒になっちゃってるんだよね。レイプマニアにとってのレイプへのパッションは罪ではない。それは純粋な欲望だから、レイプモノのビデオとかレイププレイができるような適切な場でガス抜きをするといい。ただアノミーのやつらに関しては彼らのレイプへのパッションは異常なんだよ。っていうのは本来はレイプをするようなやつじゃないやつが、あまりの異常な八方塞がりのような環境によって感情が爆発した結果行われるレイプなので、こういったケースへの対処は彼らのレイプへの情熱ではなく、レイプに走らせてしまったような社会的原因の究明なんだよね。この辺のことをふまえてないと犯罪ってさっぱり解決できないんだよね。セクシャルマイノリティはただの変態として扱われ、アノミー無職による犯罪は「むしゃくしゃ系」として扱われるだけで、両方ともさっぱり根本的な解決を見いだせないんだよね。で、そういった社会的逸脱行為をしてしまった彼らは「犯罪者」として隔離されるだけで終わってしまう。純粋な悪人も大勢いるけど、それと同じぐらい社会的な要素や抑圧によって生み出されてしまった犯罪というのもあるわけだよ。この辺を一緒に「犯罪者」として扱っても全然意味ないよね。全然建設的じゃない。そういう意味で俺は犯罪を取り締まることに全力を注ぐっていう態度が大嫌いなんだよね。そうじゃなくて犯罪が起こらないような健全な社会を目指すほうが犯罪的要素の根治への道なんだよ。そこには散々書いてきたような様々な人たち、例えばセクシャルマイノリティであるとか、発育段階の致命的な精神ダメージによって形成された異常人格を持った猟奇殺人者だとか、アノミーに陥って猟奇的になってしまっている人たちとか、「われわれ」と「かれら」という線引きがあくまでマジョリティの健常者によって引かれているということで引き起こされるマイノリティへの社会的抑圧だとかね、ちょっと今回は色々書きすぎたけど、もうちょっと色々考えないといけないんだけど、まぁ間違いなく言えるのは、様々な人格を持った人たち、仮にそれが本当におかしい狂ったものであっても包括できる社会的システムが機能しているような社会がベストってことね。


で、最後に幼児への性犯罪に対して、割と権威のあるどっかの偉い先生だかがしょーもないことを言ってたので引用しよう。


幼い児童や園児が狙われる凶悪事件が後を絶たない。千葉県東金市で21日、市内の保育園、成田幸満ちゃんが全裸で倒れ、死亡しているのが見つかった。3日前には福岡市で小1男児が殺害される事件が起こったばかり。なぜ子供が狙われるのか。識者に聞いた。

 
元警視庁捜査1課長の田宮栄一氏(75)は「子供を狙った犯罪は、まず幼児性愛者による可能性がある」と指摘。そのうえで「大人とうまく付きあうことができない若者が、自分の欲望を満たそうと子供に向かうのではないか」と話す。


さらに「複雑な社会にうまく適応できない若者が不満を抱え、自分より弱い者に刃を向けるケースも考えられる」とも述べた。


また、福島章上智大名誉教授(犯罪心理学)は「最近は、社会から疎外された気持ちを強めた若者が自分の存在を誇示する手段として、遊び感覚で、手っ取り早く自分よりも弱い子供を狙う犯罪が多い」と分析。「マスコミで事件が取り上げられることで、自分が有名になり、何か達成感を得たような気持ちになっているのではないか。こうした傾向は30代までの世代に強い」と話している。


田宮栄一って人の話だと関係ない話がごっちゃになっていて、しかもジジ臭い「識者」によく見られるような若者をスケープゴートとするような傾向がバリバリだね。「幼児性愛者である」ということと「大人とうまくつきあうことができない」ということは全く関係が無い。職場の上司と上手くつきあえない幼児性愛者というのがいたとすれば、今日書いたことと照らし合わせるとここにはいろんな抑圧的な要素が含まれていることが伺えるわけだけど、まぁ例えばに「大人とうまくつき合えない」というのが具体的に何を指すのがかが分からないけど、仮にそれがバイト先の上司と上手くいかないなんてことだったらとするんだったらそれは職場における抑圧というかストレスなのであって、これ自体は全然ペドフィリアとは関係が無いわけだよね。仮に大人とうまくつき合えないということが彼らを子供への性的悪戯に導いているのだとすれば、それはその「大人とつき合えない若者」というのが問題なのであって、ペドフィリアということは全く関係が無いわけだ。むしろフランクに対話できないような抑圧的社会を作ってきたのはその「大人達」なわけで、彼らが上手くその大人達とつき合えないというのは、何らかの理由があるんじゃないか?って考えても全然いいと思う。職場の大人とうまくつき合えない。で、自分はペドフィリアで普段から性欲が発散できていない・・・・なんて最悪な抑圧的状況下にいるわけで、彼らがおかしくならないほうがおかしいわけだよ。んじゃあ仮に大人とうまく付きあうことができない若者が自分の欲求を満たそうと女性に向かう可能性もあるわけだよね?でもそれっておかしくない?まぁ職場の上司と上手くいかないんでナンパに明け暮れるだとか出会い系にハマるだとかってのはあるかもしれないけど、直接的な因果関係は無いよね。仮に因果関係があったとするならば、大人との付き合いの不和が彼らの欲望を喚起したということになるよね?


まぁ恐らくこの人が言いたいのは、そういうストレスを抱えた若者が、抵抗のできない子供に向かうということが言いたいんだろうけど、んじゃあ何かい?大人との不和がペドフィリアを規定するわけかい?そりゃーないぜ。先生。田宮って人はアノミーに陥った若者をまるで暴走マシーンのようにあつかって、なおかつ幼児愛者を自己中心的な、弱いものに対する支配欲で自分の欲望を満たそうとするような人間という、些か行き過ぎた定義をしていると思う。でさ、複雑な社会にうまく適当できない若者が増えているんじゃなくて、若者が社会に入りづらいような、例えば老人達が上部階層を牛耳り続けているような保守的体制を続けているだとか、企業がテンポラリーワーカーしか雇わないだとか、こういったような若者達に対してフレンドリーじゃないような社会を維持しているから若者が適応できないんですよ。それは若者が適応できないんじゃなくて、若者が適応できないような社会を大人が維持しているわけですよ。そんな社会に嫌気が指して事件が起こったとしても、それはアノミーによるもので、彼らの責任もあるけど、そんなアノミーを引き起こしている社会にも責任があるわけですよ。だからね、若者ばっかりむやみやたらに責めないでください。


福島章って人の理論も名誉教授とは言えないようなお粗末なもので呆れてしまうね。これも若者を悪者とする老人識者どものスケープゴートの典型的なやり方なんだけど、仮にこの人の言うことが正しかったとしよう。アノミーに陥った若者が手っ取り早く襲いやすい子供を狙うと。これは俺がさっき書いたアノミーに陥った若者が後天的に抱いてしまったヤバい欲望のケースだと思うんだけど、まぁ相手は誰だっていいってことでしょ?子供は狙いやすいから子供を狙うと。んじゃあそんな逸脱行為をさせてしまっている、その若者が抱いている「社会から阻害された気持ち」っていうのがどんなものから生み出されているのか、それを考えなきゃいけないんじゃないの?あ、んでここでよく俺が引き合いに出す死の王のやつね。


大量殺人者は標的をランダムに選ぶ場合がある
殺人行為によって無名性や性的不能を埋め合わせるのだ
20世紀 人間は我慢しないことを覚えた
不幸や災難を じっと堪え忍んだりはしない
誰もが正当な扱いと正義を求めている
それゆえ人生に厭んだ者も静かな退場はしない
死に方によって人生に意味を与えようとする
その欲求不満は復讐の形で現れる
大量殺人者は自分を無視した者を狙って復讐する
初めて自分が歴史を創るのだ
死んだ生から 生きている死へ
少なくとも数日間は世間の注目を集めるのだから
このバカげた希望は 非存在の全人生よりはるかに濃密だ
無動機殺人者はポストモダニズムの殉教者である


んじゃあこの「死んだ生」に若者を陥れている社会状況っていうのはどうなんだろうね?若者のアノミーが増えればポストモダニズムの殉教者は増えるばかりだね。


俺がいつも思うのは、なんでここで若者が必ず悪者になってしまうのか?ってことね。なんでもっと「なんで若者がそんな風になってしまうのか?」ということについて語らないんだろう?ましてや権威のある先生方だったらさ、まぁ月並みな言い方になるけど、マスコミへの影響力も高いわけじゃない?こんな記事がYahooで出ちゃうってことで「若者が悪者」っていう間違ったコモンセンスがばらまかれているわけよ。死の王のタームでの「ポストモダニズムの殉教者」になるために人間は生まれてくるわけじゃないわけよ。問題はなんで「ポストモダニズムの殉教者」になっちゃったの?ってところでしょうに。もうホント、若者を悪者にするようなことは百害あって一理無しだからやめてくださいよ。無能な先生方!あなた達がそういう無責任なことを言うことでまた「大人」と「若者」との断絶が生まれてコミュニケーションが上手くいかなくなるわけです。そんな若者のアノミーを作るような状況に一役買っているのが、こういった先生方の言説なんだってなんで本人達は気がつかないんだろうね?信じられない。マジで。ちょっと本当に頭に来たから珍しいけど俗っぽいニュース記事なんかにツッコミをいれてみました。いやね、分からないよ。この先生方がもっと多岐にわたる説明でこの事件のことを語っていたのにも関わらず、若者を悪者にしたいような記事を作りたい編集者が都合の良い発言だけピックアップして並べただけなのかもしれない。まぁどの道、こういう若者スケープゴートっつーのはもうアホどもの常套手段なんで無視しましょうね。ちゃんとした自分たちの頭で考えないとダメよ。ホント。


ってことで今日はこの辺で。まぁペドフィリアに限らず、表出したものを悪と見なすのではなく、表出したプロセスを悪と見なすことが必要ということね。あ、んで今日のエントリーは一昨日書いたやつなんだけどね、昨日は例の分裂病が来たんで昨日はあれだったわけね。で、なんか改めて読み返してみるとまぁ相変わらずごちゃごちゃしてるんで要点をまとめると、一部の「違う」人たちの一連の犯罪が例えば彼らの欲望によるものだとしたら、前にも書いたように欲望を持っているということ自体は普通の人と変わらないということね。ただその欲望の質が違うから、ふつーの人たちがその欲望を合法的に満たせているようなもので彼らの欲望が満たされないという抑圧的な状況が彼らにはあるので、そこは欲望の異常性ばかりに目を向けるのではなく、彼らの欲望が満たされていないというところから考えることも必要だということね。で、おかしな人というのは後天的なものや先天的なものを含めても、どの時代にも一定の量がいるわけだから、彼らを異質な他者として扱う限りは根本的な解決は出来ないということね。あと珍しく記事を引用したりなんかして批判をしたけど、いろんなものを勝手に若者に結びつけて話を片付けようとする安易な考え方というのも凄く嫌いなので、ちょっと面倒だったけど、まぁあえて色々書いたわけね。若者をスケープゴートにするやり方ってペドフィリアに限らず至る所に見られるよね。そこに解決が無いんだよなぁー。いつも。「なぜ?」「はい、こういう理由です」「なるほどー」で終わっちゃう。取り組み方がただの不可解な現象自体をそれらしく定義して、括弧付きにすることで「いつものアレ」に済ませることで思考停止になってるってのが本当に顕著だよね。自殺とかもそうなんだけどさ。学者にしても俗ものみたいなのが本当に多いから、メディアリテラシーが無いと本当にヤバいよね。メディアそれ自体もまた人々を服従というか抑圧させるものとして、学校とかなんだとかっていうなやつ以上に凄まじく機能してるんだよね。「あー抑圧されてるなぁー」って感じているうちはいいけど、抑圧や操作されているということすらも感じなくなるというのが本当にヤバいんだよね。そこに「抵抗」がなくなっちゃうからね。それは意図的なメディアによる印象操作だけではなくて、そんな「洗脳」なんて大それた理由じゃないようなものまでもがある意味での洗脳的な機能を担うことが多いということね。そういう意味だと露骨なやつはまだマシなんだよ。知らないうちに頭に入り込んでしまう思考のパラダイムだのやり方だのってのがね、これが一番ヤバいんだよね。そういう意味で俗もの学者とかのダメ言説とかも十分その洗脳の機能を担う可能性があるということね。まぁ特に日本の保守的なメディアで発言したりできるって時点ですでにもうそこに排除が生まれてるんだけどね。あまりに本当のことを言い過ぎる人ってのはテレビっつーかマスメディアに出られないからね。だからなんつーかね、俺が思うに日本ももっとアメリカみたいに、完全に政府だの体制だの党派制みたいなのから独立したメディアがあればいいのになって思うんだよね。あ、んでまたいつものヘゲモニー論になるから今日はやめとこう。今日はこの辺でって書いてからまた長いのが最近の癖だな。マジで。んじゃあまたね。


Yahoo記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080921-00000931-san-soci


SHIBUYA FLAVAS

SHIBUYA FLAVAS