ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ボブ・フラナガンの実存そのものですね。

相変わらず安定しないんだよねぇ。どうしたんだろうか?っつーかまぁ年明けからずーっと何も無かったのが逆におかしかったのか。いや、もうダルい日は完全に終わってて鬱を絵に描いたような症状のオンパレードなんだよね。で、12時間ぐらい寝ちゃう。寝まくった次の日もダルい場合もあるけど回復する場合もある。それはもう起きてすぐに分かるよね。で、またダルくなると過眠になってまた戻るって感じで永遠に安定しないね。で、今日は12時間寝た後なんですよ。だから割と調子がいい。ダルさと眠気が無いっつーだけでもすげーありがたく思えてくるんだよね。


んーでもなんなのかなぁー。頭の使いすぎ?っていうか元々才能無い数学ってのを無理にやってるから脳に負荷がかかりすぎてて凄く消耗してるとか?頭がいい人は使いすぎってことがないからね。自然にやってて常人じゃクソみたいな時間がかかることをあっという間にやってのける!みたいな。まぁ別に時間のみってことではないんだけどさ、いや、仮にゲームだけやってたらどうなるのか?とかってのは思いますよね。まぁでもあるのか。ゲームばっかやってると無性に本が読みたくなるんだよね。数学然り。そう思うとやっぱり本当に好きなことなんだよね。ゲームは好きでやってるからゲームに飽き始めてやろうと思うことは本当に好きなことじゃん?そこで数学が来るのはやっぱり本当に好きだからなんだよね。ちなみに経済学は意識的にやろうと思わないと一切手が伸びませんね。知識欲が満たされるような面白いもんじゃないんであればかりはしょうがない。社会学もそんなもんだろう。んでも一応読むのね。経済学と社会学に無知ってのは何気に致命的なんですよね。いや、仏教とか哲学とかですげー頭の良さそうな本を書いてる人が政治とか語りだすと全然駄目だったりするじゃない?これって頭の良さじゃないんだよねって最近思った。センスなんだよね。頭が良くて何でも学べるような地頭持っててもセンスがなけりゃ全然駄目で、まぁこれって金と一緒だよなって思ったんだよね。金持ってても使い方にセンスが無いやつとかいるじゃん?あとはまぁ使い方がダサいとかね、まぁこれって学問も同じですよね。


いや、俺って音楽とか感性的なものに関しては自負するぐらいのセンスがあるわけですよね。自分が好きなレコードとか音楽とかってのを改めて思い返してみると本当に良いのばっかなんだよね。いや、何が良いのか分からない人っているからね。それは良さがわからないんじゃなくてセンスがないから何も好きになれないから「どのあたりを聞いていけばいいですか?」ってことになる。いやいや、自分が良いと思ったもんに決まってるでしょうっていう。それが無い人って徹底的にないんだよね。だからファッション雑誌然りなんつーかセレクトする方法論を教えてるみたいな教本多いもんね。ハウトゥ本か。学問もようは良いっつーか面白い!って思ったものじゃん?俺なんかそれだけですよね。んでもね、今は哲学を意識的に封印しつつもまだやっぱ読んじゃってるんでちょっと哲学も読みながら数学やってるんだけど、数学書のセレクトだよね。中身サーチで「これはよさそうだ!」って思うものが大体すげー良い本だったりする。数学の本って辞書的なのとかドライなのが多いじゃん?そんな中でエキサイティングなやつを読みたい!っつーんでそういうのを探してると元々のセンスなのか目利きになってきたのか良い本が分かるんだよねっていうかもうそれだけだもんね。選ぶポイントって。


で、定番のやつっていかにも定番っぽくてつまらないから買わないんだよね。まぁこれも経験なんだけど定番って大抵無難でつまらんのよ。やっぱり自分の考え方とか思考法に合ってるようなもんを読むべきなんだよね。そういう意味で決まったテキストなんてありゃしないわけだ。合うものを探して読め!ってことになる。これって結局、音楽も映画も恐らく文学なんかも同じだと思うんですよね。で、好きなものを追求していった結果、結構自分の世界みたいなのがあるんだなってことに気がついたりする。でもこれって元々ある世界を「自分が選んだもの」という形で顕在化させてるから「ある」ように見えるようになるんだよね。具現化するのか。これって例の環境世界の話と同じじゃないですか?なかなかヤヴァい話ですよね。「選んだものが世界を作る」のではなくて「選んだもので世界の形が見えてくる」っていうことだもんね。だから俺が見ている数学の世界は俺の数学の世界なんであって世の中的にどうだとかはもう全く関係ないんだよね。それは世界が見えてきたから言えることなんだよね。分からないときは知ることに必死だけど何かをつかむと一気に世界を引き出せる感じになってくる。でもそのやり方とか考え方は千差万別だよね。これ!っていうのはないだろう。そんな中での平均的なものが定番とかって言われたりするんだよね。


数学もセンスっつーよりかは数学なんてセンスが無いと全然駄目じゃん!って思ったんだよね。だからまぁすげーどうでもいいつまらないことに永遠と取り組むとかそんなことになるじゃん?んでもセンスってのは客観的なものじゃないから何が良いのか?っていう評価基準はあくまで自分だよね。それがまぁようはイニシアチブなんだよね。体系的にやることがあたかも凄く重要なことに思われてるけど元々世界を持てる素質がある人はセンスを軸にやっていったほうが結果的に効率が良いよね。面白いことにセンスを軸にやってても結果的に体系的なものに繋がることになるんだよね。徹底的に知るってことは取りこぼすことが無くなるんだよね。んでも動機としては全部分かってやる!ではなくて好きなことをやる!っていうそれなんだよね。その結果、色々と予想してた以上に世界が広がったっつーそうなるわけね。


で、さっきも書いたようにそのマイルストーンみたいなのってやっぱり「お!これは!」と思う感覚だよね。それだけを頼りにやっていく。逆にそれが無いと膳立てが必要になるだろう。その場合、教科書的に体系的にやるってことが凄く効いてくるよね。まぁ大抵は体系的にやることがいいんだろうけど、まぁでもそれって「お!これは!」って思うことが無いってことだよね。まぁ完全に無いかはともかくとしてんでも仮に「お!」って思ったらもう止められないじゃん?順番的に次はあれをやることになってるけどもう「お!」が指標になってるからそっちに行っちゃう。これが実はめちゃめちゃ大事なんだってことだよね。んでもそれは学べることではなくて感覚的なものだから無い人には無いでしょう。だからそれがある分野を探すしかないよね。俺は本当にそういう意味でめちゃめちゃ恵まれてますよ。まぁ好きなことばかりをやるっつーのをプリンシパルにした結果ですけどね。なんだろうね。感触としてはさ、もっと経済学を勉強したい!って思わないってのがようはまさしく経済学で言うところのpreferenceなんだよね。preference自体がイニシアチブでそればかりをやるという選択をしていったりする中で生き方みたいな世界観が見えてくるんだと思う。


んでもそれはさっきと同じで指標に向かって進んでいった結果、後から見ると最初から必然的だったみたいな大きい世界像が見えるんだよね。その経験そのものがヤヴァいわけだ。これ以上の脳への刺激は無いだろうな。あとはあるとしたら完全に自分好みのプレーで失神するような勢いで射精することだろう。これは別の凄まじい体験としてあるわけだから学問があるからいらないみたいな代替可能なものではないってことだよね。オーガズムってのは色んなジャンルに存在するけどそれによって個々が違うわけで何か一つのオーガズムで全てが代替できるようなものではないわけだ。だから知的刺激が満たされているからそれでもうオッケーってことではなくてやっぱり刺激に貪欲であるべきでだから性的にも貪欲であるべきなんだよね。知的刺激って内部的で性的刺激は外部的じゃん?入力の元が違うだけでオーガズム自体は常に内部で起こるものだっつってもやっぱり音楽のエクスタシーと性愛のエクスタシーと学問のエクスタシーって違うわけじゃん?どれも個別的で代替不可能なものだよね。いや、性愛に関しちゃ分からんがまぁ最高のネタを仕入れてオナニーしたときのイッた感じって凄いもんね。排泄とは違ったものだよね。


こういうことに関して貪欲なのはデフォで日々が気分障害に脅かされていてどうしようもないからなんだろうなって思ったのね。ボブ・フラナガンの身体的苦痛と同じことだと思うんだよね。俺にとっては精神的苦痛なことが多すぎる。それは我侭でそうなってるのではなくて気分障害然り、あとは感度が無駄に高すぎるってところが多すぎて単純な敏感肌みたいなレベルで精神が脅かされやすいんだよね。だからそういう恐れから逃れるような、もしくは相殺するようなエクスタシーが必要になる。何にしても俺にとって一番耐えられないのは日常感覚なんだよね。もうこれは俺にとっては拷問に近いっつーか拷問以上ですよ。だから自分を痛めつけてでもエクスタシーを得るためにエクスタシーが得られることをやるんだよね。だからそういう意味で数学って俺にとってのエクスタシーなのよ。あまりにも分からなくて脳がパンクしそうでも日常に戻らないために無理やり痛めつけるみたいなさ、なんかの研究でこういうことやってると物理的なダメージが脳にいくらしいけどまぁしょうがないよね。それでしか生きられない人というのはいるわけだ。


その結果が現代数学の最前線とか現代物理の最前線に向かうってことになったわけで帰結としては凄く社会的ですよね。完全なるエクスタシーのためだけにやってても結果的に最前線の世界に飛び込むことになってるわけだから。数学をやるんだから最前線にたどり着かなきゃいけない!ではなくてインナートリップの結果、行き着くことが出来たというそのプロセスがめちゃめちゃ価値のあるプロセスだってことなんだよね。いや、何が言いたいのか?っていうといや、そこで統合失調症の人とかわけわからないことを追求してたりするじゃん?宇宙人から身を守るとか自分の神様のために生きるだとかなんだとか。そうじゃなくて結果的に社会でも認められてるような類のしっかりとした研究みたいな世界に自分どっぷりな世界から繋がってるっていうことだよね。そのつながりが俺にとっての希望なんだよね。そういう意味だと才能とか地頭とかどうでもよくてやっぱりつながってるかいないか?なわけで。


んまぁでも結果的に自力で取り組んでると勝手に道を作り出すみたいなタイプってことでまぁ結局は向いてるってことになるんだと思うけどんでもまぁお気楽なわけじゃなくてその背後には日常の苦痛というのが存在してるんだよね。多分精神が安定してたらこうはならないよ。そういうわけでなんつーか逆ですよね。一般論と。やり過ぎて狂うんじゃなくて狂ってるからやり過ぎるんだよね。やり過ぎで狂うなんてことは恐らくありえないだろうと思うんだよね。そもそもそれって正常じゃん?だったら狂う前にやめたりほかの事をしたりするでしょう。まず狂うなんつー次元に行けるわけが無い。なんかまぁ結局はチベット密教みたいなもんなんだよね。んでもまぁ密教的な数学とそうじゃない社会的な数学ってあると思う。まぁでもやり方の違いですよね。で、俺は密教的であるというそれだけなんだろうけど。まぁでも仏教的にも合ってるんだよね。基本的には日常の苦痛から逃れるとか向き合うための修行じゃん?普通にしてて普通にしてられるなら修行とか密教なんていらないわけだからね。


で、数学が救いなのはやり方が変わっていても論理は結果的に同じだから最終的には話は通じるってところだよね。精神世界とか思想になるとそうはならないんだよね。変わった人になっちゃう。まず伝わらないよね。あとは伝わりづらい。伝わりづらいし伝達に多大なる努力を払わなきゃいけない。俺にとってはそれは無理な話なんだよな。んでも数学ってそういう努力はいらないからね。いらなくはないのか。ただまぁ思想とか精神世界を伝えるよりかはかなり楽だよね。そういう意味で数学っつー言語は普通の言語以上に感覚に近いものなんだと思ったんだよね。言葉だと全然伝わらないけど数式になると馬鹿でもフォローしていけばそれがどうなってこうなったのか?ってのが明白になる。結果的に全てを分解していけば色んなものの繋がりじゃん?それが分離可能なんだよね。それが凄くなんつーか言語的なスマートさっつーか流動的な通りやすい感じがするよね。言葉は本当に駄目だ。恣意的に歪められるし結局は解釈次第みたいな話になる。20世紀前半に解釈学が生まれたのも必然だったんだよね。


かといってもまぁ言葉が駄目だ!とは言わないんだけどね。ただまぁすんげー難しいことだよね。自分の中では自明でも他人にとっては自明じゃなかったり、思ったことを書いたつもりでも全然伝わらなかったり語弊があったりして色々と変わるからね。数学は楽なんだよな。相手の宗教がなんだろうが右翼だろうが左翼だろうが関係ないからね。突き詰めていっても自分の世界で終わるものってのが俺にとっての言葉の世界なんだよね。まぁそれは俺の伝えることに対する配慮の無さとか努力の欠如があるにしてもまぁ物凄い不可能性を感じるのね。いや、今伝えられないってことではないよ。今はそんなに頑張って伝えるほどのもんは持ってないしまぁなんとかこういう形で書けていますから。俺が言いたいのは凄く伝える価値が物凄くあるものの場合、非常に困ることになるってことなのね。で、数学っつー言語の場合、それ自体で表せるからね。頭の中でこうなったって結果をすぐ出せるじゃん?そこが凄いと思うんだよね。人間の認識とか言語感覚みたいなレベルを超えてより直なレベルでの感覚の共有が可能な世界だと思うんだよね。そこが俺の言う最後の希望である繋がりなんだよね。どんだけインナートリップを極めても同じ言語で考えてるってところに俺が世界で存在しているっていうレーゾンデートルを感じられるわけね。


まぁでもだからウォール伝は唯一の俺の世界ですよね。俺もこうやって書かないと自分が何を考えているのか?ってのを客観視できないわけで。あとはありがたいことに自分の世界観を分かってもらえたり共有できてるってことだよね。この場で。だから俺はこの場で生かしてもらってるって感じがしてるんだよな。最近。思い返せば前からそうだったんだけどね。ここが無けりゃアメリカでやっていけなかっただろうし、それは今も然りなんだが。ようはカタリストだよね。触媒が俺の生を規定してて、それは誰かに触ってもらえないと孤独死するってことなんだよね。なんかだからこうやって書くとか数学をやるってことが即生存ってことなんだよなって凄い感じたんだよね。まぁ完全にあれですよね、隠居とか無理なタイプですよね。実はすげーつながりを求めてるっていう実はかなり社会的な人間なんだよね。社会的な人間と社会性のある人間は違いますからね(笑)俺はただの前者なのであって後者ではないわけですよね。


まぁそんなわけで今日はこの辺で。