素っ裸のサッパー。

mimisemi2007-03-02

ウォール伝からの抜粋。引用ってどっちが正しいの?まぁ使いまわしとか、たらいまわしとか、まわしでぶぶとか、まわしとちょんまげとか
そんな感じでいいのかな。文字の威力ってあるよね。バロウズとかすげーよ。特に英語で読むともっと分からない。俺の英語力の無さもあるけど
カットアップ感が日本語で訳したそれとは全然ちがうのね。あとテープの実験だかについての文章なんかを読んだんだけど、なぜか全部の文字が
繋がってて、なんつーか俺が言いたいのはピリオド無しで全部続いてるってことね。キャピタルなしで全部小文字でみたいな。いやー文字の威力ですねー。
バロウズは凄いですよ。ウォール伝もバロウズに則ってやってます。あのあれね、書き直したらその時点でもう自分の書きたかったことと違ってくるから
絶対書き直さないみたいなアレ。だから文の構成とか一切考えて無いし、あのー喋るときにたまに「あれ」とか「それ」とか表現がおかしかったり
並びとか語順がおかしかったりってのがあるでしょ。でも俺としてはこれがまさしく言いたいことなんであって、書いてるときにちょっとでも構成なり
展開をつけたらそれはもう違う。まぁ即興音楽みたいなもんかな。仮に展開的なのがあったとしても、それはまぐれで書いているときに浮かんでるとか
たまたまそうなったみたいなのが多いわけ。あのね、これを書くときは俺のPCがクラークノヴァになってる感じなのね。俺がもう何かでドロンドロンになってて
PCが勝手にキーを叩いて文章を書いてるイメージ。だからそうじゃないときってのはダメね。もう。例えばこれとかって意味が分からないじゃん?そうじゃないとき
って何?みたいな。そういうロジカルな考え無しなのね。もうさー、なんかね、こっちの大学ってすげーエッセイ好きなんですって。なんでもエッセイフェチの
先生が多いらしく、生徒にひたすらエッセイを書かせるらしい。それはともかくエッセイってイントロダクション、ボディ、コンクリュージョンってなお決まりの
作りがあって、それに沿わないと絶対ダメなんだよね。あと書き方とか文の雰囲気とか、あとエッセイのタイプで、議論系とか比較系とか説明系とか、そんなのも
全部フォーマットがあって、書き方が決まってるのね。もう俺としては昨日のUPSとか郵便局並にストレスフルな作業で、こういう型にハマったようなことを
するのが本当にダメなのね。何回好き勝手書いて悪いグレードをもらったことか。今は英語学校だからいいけど、大学じゃシャレにならないよね。
もうイントロダクションとかホントムカつくんだよね。「僕は音楽が好きで、レコードを集めるのが好きなんですが、この話は、僕がマンハッタンである
レコードを探しているときに起こったエピソードです」って、楳図かずおの漫画かい!みたいな感じなんだよね。んなもんストーリーから汲み取れよって
話なのよ。書いたエッセイはまぁエッセイを書くこと自体がムカつく行為なんで、作り話だったんだけど、マンハッタンであるレコードを探してて、
一日かけて探したんだけど見つからず、最後に立ち寄った店でこのレコードを見つけたんだけど、帰って聞いてみたら自分一番好きな曲のところに傷が
ついていて、レコード針がここで詰まってしまい、このエンドレスループを聞いているときに、今までで経験したことの無かったような絶望感に襲われたみたいな
のを書いたのね。まぁエッセイのトピックが何種類かあったんだけど、今までで一番アンラッキーだったこととか、落ち込んだこと、もしくはハッピーでラッキー
だったこと、みたいなのがあったんで、まぁアンラッキーってのを選んだんだけど、イントロも何も無しに書いたら最低のグレードをもらっちゃってさ。
またこのライティングの先生がめっちゃ保守的で、紳士ぶってる嫌な感じの先生で、みんなからもその不自然な紳士っぷりが大不評なんだけど、こんな先生が
俺のエッセイに良いグレードをくれるわけないよね。前にも宿題でエッセイを書くってのがあって、前のクソロードアイランドにいたときの、最低のホストファミリーに
ついて前に書いたやつに適当に色々付け加えて提出したやつがあるんだけど、この先生の赤ペンぷりっつったら凄くてね。「バカ」とか「おろか」とか「間抜け」
みたいなタームは一切使うなだとか、もっと家族の良い面を書けだとか、クソみたいなコメント書きやがるの。だって俺が感じたのはこのホストファミリーは
クズで愚かでブッシュを支持してるようなクソアメリカンなんで、田舎のアメリカ人はロクでもないみたいな感じで書いたんだけど、これの何が悪いんだか。
だって俺が感じたことをディティールと共に説明するっていうのは満たしてるのに、なんでちゃんとしたグレードをくれないんだか。まぁやっぱ俺って基本的に
アカデミックな世界ではやってけないだろうね。絶対。そんな性格じゃないから。それにしても書くときに悪い面を書くにしても、良い面も出さなきゃいけないだとか
だいたひかるが言いそうな「・・・みたいなアメリカのエッセイの書き方のきれい事。どうでもいいですよ」みたいな感じなのよね。良い面って良い面がないのに
なんで良い面も書かなきゃいけないんだか。ようは物事を主観的じゃなく客観的に捉えるということがエッセイの中で重要なんだろうけど、書くことってのは
基本的に主観的なことだと思ってる俺にとって、客観的な文章なんてありえないんだよね。ありえたとしても、リズムがあってベースラインがあって、メロディが
あって、ウワモノがあるトラックモノを作ってくださいって言われてるようなもんで、作りたくもないし、作る卓越した技術もない。いやー困ったね。エッセイ。
あと俺って前置詞系が全滅で、未だに「The」だの「a」だのをつけるニュアンスってのをつかめてなくて、このまたライティングクラスの先生ってのも厳しくて
仮に内容が問題なくても、グラマーに問題があると、もう自動的にグレードが最低になるんだよね。だから俺なんて絶対良い点を取ることが無理なの。
はっきりいって前の学校では、まぁある意味で先生の採点が甘かったのと、内容に関しても「オリジナリティ」ってことで良い点数をくれる先生が多かったんだよね。
だからはっきりいってエッセイのグレードは良かったりしたわけ。なんつーか先生次第なんだろうけどね。ただある先生は「文法云々よりも内容が重要」ということを
力説していたりで、前のマンハッタンの英語学校でのこの先生のクラスではそんなに悪い点は取らなかったんだよね。エッセイでは。まず書くことが重要で
グラマーはその後についてくればいいっていう考え方だったんだけど、まぁそうだよね。逆に今の先生みたいな点のつけ方じゃ、俺らみたいなガイジンが良い点数を
取るのは不可能に近いね。聞くところによると4年大学に通ってても、例えば卒論なんかで前置詞がおかしいってな指摘をうけるぐらい、まぁ前置詞だけじゃなく
文法的なものってのを完璧にするってのは難しいわけで、まぁ採点が甘くてもアレだけど、厳しすぎるのもどうかと思うね。だって俺らはアメリカンじゃないんだから。
ただ前にも書いたように、すげー皮肉なことに、正直、喋ると何言ってるのかさっぱり分からない韓国人の女の人なんかがエッセイでは「Good Job!」とか
この先生に言われてたりで、アジアンな英語教育恐るべしって感じなんだけどね。あれだけ面白いぐらい喋れないのに、バリバリ書けるなんてなんつー矛盾なんだか。
ただ俺は見てて喋れるほうがよっぽどいいなって思うね。南米系の連中もこういうのが多い。喋れるけど書くのは苦手みたいな。まぁそれでいいと思うけどね。
不気味なぐらい書けるのに喋れないっておかしいもんね。まぁ学校では有利だけどね。

あーもうダメだ。今日も郵便局がらみで色々あったのと、例のインテレクチュアルな先生の授業でナイスな議論があったんだけど、書きすぎたからまた
明日ね。

Live Salvage 1997-2000

Live Salvage 1997-2000