綺麗な湖でうんこをする。

mimisemi2007-04-06

曲をmp3にしてあっぷっぷすることだけど、今、アップしてるような昔作ったトラックもんみたいなやつは全然いいんだけど、かなり真剣に取り組んだやつに関しては、いつも書いてるけどmp3にするのにかなり抵抗があるんだよね。時間かけて色々考えて作ったやつを簡単にmp3にしてアップロードして終わりってのが凄く悲しい。もちろん今ってネットでフリーダウンロードの
音源なんかも多くて、俺程度のやつが作ったやつなんてフリーで置くべきなんだろうけど、なんかダメなのね。45分ぐらいのフィールドを使ったやつなんか一時期アイデアが詰まって
作れなかった時期なんかも含めると2年がかりだし、Funkykinkyもくすぶってた時期をいれると2年半ぐらいになるわけね。そこまで力を入れたやつをMP3にして無料配信ってのが
凄く厭なの。むなしくて。だから今、完成品があるけど、誰もどこもリリースしようとは思わないだろうから、なんか将来的に経済的に余裕が出来て作れるようになったら
自主制作盤で、ちゃんとCDにして出そうと思ってるのね。フィールドのやつは当初、レコードで聞くことを想定に作ったやつなんで、レコードで作れたら最高なわけ。でも金が
ないからまず無理だし、まず売れないだろうから、もう単純に出費として考えるしかないわけで、そんなリスクを今は背負えないわけね。んだからアップしたくないの。過去に作った
やつも一時期アップしてて、んで一旦、FTPサーバーを掃除したんで、今は上がってないんだけど、イマイチ上げる気がしなくなってきたのは、これもちゃんとマスタリングして
一枚のCDとして聞けるようになればいいなって思ってて、これもいつか出したいなーって思ってるのね。まぁこれも金が必要なわけだけども。最近は英語がマシになってきてるので
レーベルにも具体的な話をしたりして、出したいみたいなことを書いたりしたこともあったんだけど、大体返事が来ないのね。大体っつーか2件ぐらいしか送ってないけど。
で、俺が心底出したいって思うレーベルは敷居が高すぎてもうデモなんて募集してないってところが大半なの。で、そこそこ出せそうってところは、かなりしょぼいか、低予算なんで
出したくても出せないってところが多い。これは前にも書いたね。だから今はある程度、メディアにできそうな音源が何個かあるのにも関わらず、配信できないっていう状態に
あるのね。MP3のサイトでMP3を買えるようにすればいいとかありそうだけど、あんま俺としては現実的じゃないんだよね。仮に高音質のMP3でもいろんな周波数を含めて作っている
自分のヤツをMP3なんていうメディアでちゃんと聞けるなんて思わないのね。基本的に圧縮メディアって信じてないから。俺。あーどうすりゃーいいんだろう。100万ぐらい手元に
あれば、そこそこなデザインとかパッケージにして出せたりできるんだろうなー。たぶん。低予算でCDRとかって考えてないのね。もうSMKのしょうもない作品群でそれはもう
分かったことだしね。SMKに関しては内容もよくないし、ジャケが良いやつもあるけど、パッケージングが貧相で商品価値が皆無ってのが大半で、もう絶対低予算のCDRでなんか
出したくないわけね。なんかどうすりゃーいいんだろうなー。明らかに昔と比べれば、そこそこ世に出せそうな音源はあるのに、出せる機会がないっつーかなんつーか・・・。
まぁリリースするってことに重点を置かなくてもいいんだけどね。今は出来ないんだからまずは作ることを最優先するべきなわけで。リリース急いでるのってバカバカしいもんね。
それにしてもいろんなレーベルのサイトを見ても「デモは受け付けていますが、送られてきていても聞いてない音源が何百とあるので、貴方の音源を聞いてコメントできるという
保障は全くありません」なんてのが大半なんだよね。有名なレーベルだったりすると。処理に困って廃棄しているなんて話も聞いたことがあるぐらいで。やっぱとりあえず
作るって事に重点を置くべな。年明けぐらいのかなりの躁状態のときに作ったノイズ系の連作のやつがあるんだけど、それの製作が割と最近まで続いてて、合計16曲ぐらいあって、
CDでいうと2枚分ぐらいあるんだよね。最近はなんだか前の勢いで燃え尽きたのか、全く創作意欲が無いんだけど。とりあえずこの連作もマジでCDにしたいぐらいなんだけどなぁ・・・。
そんな感じでデイザーでアップしてる曲ってのは本業とは関係ないやつばっかなんです。自称本業のこっちとは別に趣味的に作ったやつばっかなんですね。それでもお気に入りの
やつはありますけどね。本業の大半のやつは一度もアップしたことないやつばっかで、はっきりいって自分が創作について色々書いてても、具体的な音源が無いんで読んでいる方も
分からないですよね。言ってるだけでやらない人みたいな感じが自分でもしますから。でもそうじゃないんです。かなりやる人ではあります。ただCDにする金、もしくはどっかから
リリースするきっかけみたいなのが掴めないんで、くすぶってる感じなんです。そんな感じなんで、これを読んでくださってる方は末永く、相当長くお待ちください。いつかは
絶対形になると思うので。

そうそう。学校行ってきたよ!一応進級できたんで、違うクラスになったんだけど、一人、コロンビアからの女の子で凄まじく可愛い子がいて、今セッションも行く動機が
出来たなーと確信。こんな俺が無理やり朝というか昼起きて学校に行くモチベーションなんて、例えばこの子ぐらい可愛い子が触媒にならないと無理ね。いやー良かった。可愛くて。
そういえばまたスピーキングの先生が例のインテリ先生で、物凄く感化されるというか、ここ数週間ぐらいほとんど日本語の本ばっか読んでたし、ダラダラしてたんでアレだった
んだけど、この先生の流暢な英語と頭の良い発言を聞いてると感化されるね。凄く。俺もあのぐらい話せるようにならないとこっちでやってけないなってぐらい極端に思うような
傾向を持つようにするっていうかね。で、またこの先生のクラスでこの先生と話したいので色々発言をしてみるんだけど、すげーイマイチ。三週間は全く英語を話す機会が
無かったので、こうもダメになるかねー?って感じ。まぁまた数日で戻ってくるんだろうけど、日常でも英語に接するという機会を持つのは相当難しいわけ。なにしろアメリカ人の
友達を持つなんて簡単なことじゃないし、俺は基本的に一人で考え事をしたりオナニーしているのが好きなので、コミュニケーション力と俺の生活が相反してるのね。なんかなー
ヘコむねー。前の英語学校でもそうだったもんなー。週明けとか週末に全然英語話さないんで調子が出ないのね。あとなんかやっぱ照れみたいなのが発生しているのがよくないなと。
というのも若干話せるようになってきてるので、向上心というと変だけど、こうありたいみたいなビジョンが以前より具体的な形で出てくるわけ。だから下手な発言とか、間違った
文法で喋りたくないとかっていう欲張りな考えが出てきて、喋っているうちにテンパっちゃうっていうか、上手く喋ろうと思って緊張したりね。馬鹿馬鹿しいんだけど。
一番いいのは間違ってても気にせずに自然体で話すことが、より相手に伝わりやすく、上手いようにも見えるんだけど、俺ってのは英語を喋ることに関して今は特に最悪な
思考回路になってるわけ。やっぱ来たばっかのときが凄く頑張ってたよね。喋れないんで喋ろうとする努力をするっていうか。ただ今って下手に喋れるんで言葉を選んじゃって
喋れないみたいなルーティンになっちゃってるわけね。まぁあと新しいクラスで発言するってのも骨が折れるよね。だって知らない人ばっかなんだから。

そういえば今日は面白い心理テストみたいなのをやったんだけど、無意識を計るためのテストで、例えば「森があります。貴方はこの森を歩いています。どんな気分ですか?
どんな日ですか?」みたいなのを書いていって、一つのストーリーみたいになるってやつなんだけど、ようはライティングやらイントロデュースのきっかけになる導入の部分
ってことでやったんだと思うんだけど、面白かったのがね、まず森ってのはなんとなく予想してた通り、その人の人生に対する見方を表すんだそうで、俺は物凄く綺麗な森で
鳥達が歌っていて、快晴も快晴みたいな天気の中を歩いてるって書いたわけ。まぁ予想してたっつっても、予想しちゃうとある程度分かっちゃうので、無心で書いたけどね。
これだけ見ると俺って凄く楽観的で物凄く良い人生観を持っているということになるね。で、次はその森に鍵が落ちてて、その鍵がどんな鍵で、その鍵に対してどんな
アクションをあなたはしますか?ってので、俺はとりあえずポケットに入れるみたいなことを書いたわけね。これってのがその人の成功に対する見方で、鍵がデカければデカイほど
サクセスっていうアイコンが大きくて、例えば光っている鍵だとか、なんだとか。それをポケットに入れるってことは、栄光を手にするみたいなことの深層心理なんだそうだけど、
俺は一応ポケットには入れておくけど、鍵は玄関の鍵みたいなのをイメージしてたんで、やっぱ成功なんていう概念は俺には無いんだよなって実感。まぁ別にただのゲームだから
あれなんだけど。で、次は木が倒れてるんだけど、それをどうするか?っていうような質問に俺はその木に対して小便をするって書いたんだけど、この木ってのが人生の中での
問題とか、その折れた木に対するアクションは、その人が問題に直面したらどうそれに対応していくか?っていうのを表すんだそうで、それに対して小便をするってのは
本当に俺の深層心理を的確に表してると思ったね。次は水的なエレメントのもの(川とか滝とか湖とか)が目の前にあって、それがどんな水に関するものなのか、それに対して
どうアクションを取るのか?っていうのを書きなさいってので、俺は広い湖が広がっていて、その湖の水は物凄く綺麗で、その湖の近くにある木々には鳥がいっぱいいて、
鳥が歌を歌っているみたいなことを書いたんだけど、アクションは何かっていうと、そこであたりを見回して、人が居ないのを確認してからその湖にうんこをして、その湖の
綺麗な水でケツの穴を洗うっていうのを書いたんだけど、この一連の水に関するものが何を表すのかというと、その人の性生活を表すんだそう。いやーこれもマジであってるでしょう。
誰もいないのを確認してオナニーをする。で、トイレにティッシュを流すんだけど誰も気がつかないみたいな。綺麗な湖の水でケツの穴を洗うってのは、ティッシュで満遍なく
ザーメンを拭くってのを表してると思うね。で、次は熊が現れるんだけど、それに対してどうアクションを取るか?っていう質問に俺は熊に「ハロー」と挨拶をしたら、あっちも
「あ、元気?最近どう?」みたいな回答をしてくるっていうものだったんだけど、これがその人の異性に対する見方を表すんだそうで、これまたあってるね。ハローって言うだけの
仲が一番いいと思っている俺にとってはこれまた大当たり。で、次は目の前に壁が現れるんだけど、その壁がどんな壁で、その壁に対してどういうアクションを取るか?っていう
質問なんだけど、これに俺はその壁ってのがCGみたいな壁で、触ろうと思っても透けちゃって触れない。で、俺はこの森自体がヴァーチャルな世界だということに気がつくっていう
風に書いたんだけど、これってのが何を表すのかっていうと、その人の死に対する見方なんだそうで、これまた大当たりどころか自分でもビックリだよ。俺は常々人生ってのは
ただの人間の主観的な出来事であって、人生っていう概念自体が人間の主観から生まれているもので、そんな意味で特に国家なんてのはある意味の虚構に過ぎないみたいな、
まーアナーキーな考えだとは思うんだけど、ビル・ヒックスというコメディアンの言葉を引用をすると"全ての物は遅い振動に濃縮されたエネルギーであり、我々はみな自分自身を
客観的に体験している一つの意識であり、死という物は存在せず、人生は夢であり、我々は我々自身の想像の産物であることに気付きました"ってことなのよ。このビル・ヒックスの
言葉が身にしみている俺にとって、この最期の壁がヴァーチャルリアリティの壁というのも見事にこれを表しているし、森自体がヴァーチャルだったということに、触れない壁を
目にして気づくというのも、ビル・ヒックスそのものなのよ。もう驚きだったね。100パーセントじゃん!とか思って。もう今日はこれだけで十分ね。この森の話は凄いよ。マジで。
自分で感動だもの。まぁもっとも俺は壁の直前の全然前に気がついたので幸せだとは思うけどね。

んじゃ今日は短いけど俺的には十分なんで、ビル・ヒックスの引用で終わりたいと思います。デイザーはなしで。この引用はあるサイトからの引用なんだけど、このサイトも引用を
使っているので、んじゃ元からの引用でいいかなってことで引用しますわね。

「俺が言いたいこと、俺が言いたいことのポイントは、世界にはいつも沢山の物の見方があるって事だ。何でテレビで学んだ物の見方を選ぶ必要がある?どうせ大抵の場合はそれは正しくないんだぜ。これまでいいドラッグストーリーをニュースで聞いた事があるか? 一度もない。ニュースは客観的であるべきじゃなかったっけ?“ニュース”じゃなきゃ駄目な筈だろ。だけどドラッグに関するニュースはいつもネガティヴだ。ちょっと待て!俺はドラッグで死ぬ程楽しい時間を過ごした事が何回かあるぞ。そのニュースを全部聞いてみようじゃないか。LSDのストーリーなんて全部一緒だ。「アシッドでハイになった男性が、自分は飛べると思いこみビルから飛び降りました…」なんという悲劇。…なんという馬鹿。飛べるって思ったんなら、何でまず地上から飛び立って、チェックしなかったんだ。馬鹿なそいつは死んだ。地上から馬鹿が一人減ったんだ。なんてくそったれた悲劇なんだろうね。ポジティヴなLSDのストーリーはどうだ?
そいつはニュースにする価値があるぜ。そう思わないか?『今日、アシッドでハイになった若者が、全ての物は遅い振動に濃縮されたエネルギーであり、我々はみな自分自身を客観的に体験している一つの意識であり、死という物は存在せず、人生は夢であり、我々は我々自身の想像の産物であることに気付きました。次は気温と天気です…』今日は来てくれてありがとう。Thank you. Good night」
―ビル・ヒックス(スタンダップ・コメディアン)
 1991年モントリオール・コメディ・フェスティヴァルで

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