エマニュエル・マンコ。

mimisemi2007-11-25

また溜めから。

今日、クラークのあだ名をバキュームさんに決定しました。ところで現場といえば、アーミーとかプリズンでゲイ行為が増えるというのは、女がいないんで穴ならどこにでも入れたくなるっていうことだって前に書いたけど、ロードアイランドの頃の俺はまさしくそうだったのかなという感じだった。ようは俺が住んでいたミッドタウンっていうクズタウンはニューヨークみたいな街じゃないし、シザーハンズのオープニングに出てくるような住宅街を廃れさせたような場所で、人とすれ違うみたいなことすら滅多に無いぐらいの田舎なんだよね。で、通学はバスで、学校の同級生に可愛い子はおらず可愛い子はキューティーだけだったってことで、俺の男色の悪魔が現れたわけだけど、やはり抑圧された環境というものが人間にもたらす影響というのは未知数ですね。で、ニューヨークっつーかニュージャージーに引っ越してきてからは、基本的に街なんですれ違う女の人が綺麗だったり、学校でも可愛い子がいたり、特に姫が夏ぐらいから来てたからもう完全に正常に戻ったよね。ってことで俺は恐らくバイセクシャル気質はあるんだろうが、そこまで本質的ではないってことだ。だって本当に男が好きな人って街歩いてて女の人に眼が行くんじゃなくて、男に眼が行くわけでしょ?で、あの人いい男だとか思うわけじゃん?それはまずないよね。でもなんだったんだろうなぁーあのロードアイランドの頃の自分はゲイだって信じたかったようなあの感じ。まぁあの頃は日本から来たばっかってこともあって、自分を変えたかったのかもしれないし、全ての沸き起こる感情に忠実でいたかったのかもしれないね。学校行っても「あーキューティー来てないかなー」っていうそれだけだったからね。ただ思うにキューティーと仲がよくなければニュージャージーには引っ越せなかったわけで、まぁ実際ニュージャージーの生活がヒドかったのしても、ニュージャージーないしはニューヨークに移ってこれたというのはキューティー一家のおかげでさ、そう思うと偶然かもしれないけど、いんやーよく出来てるなぁーって思っちゃうよね。あれでロードアイランドからニューヨークに移るっていってもさ、もう引越し代が半端じゃなかっただろうし、英語学校の馬鹿高い寮に住むしかなかっただろし、そう思うと実質無理だったわけだけど、キューティーの姉の関係でキューティーがニューヨークに移るっつーのに見事「俺も行くよ」っつってついていったのが大成功だったわけで、ゲイ万歳だね。ホント。あのキューティーがニューヨークに移るっていうことをすげー言いづらそうに俺に言ったときのあの感じは凄かったなぁー。「ビル、大事な話があるの。ちょっと放課後、いい?」みたいな感じで昼休みぐらいに言われてさ、んで放課後「話ってのは何?」みたいな感じで話が始まって、んで「ニューヨークに移ることになったからお別れなのよ」なんて涙目で言われてさ、俺も「ここまで愛されてるのか」とか感動していたわけだけど、その後の俺のパッション溢れる一言が今後の人生を決めたわけだよね。「いや、んじゃあ俺も行くよ!」なんてさ、キューティー狂いしてたからもう凄いよね。で、アパートも見つかってないのにとりあえずもうマンハッタンの英語学校に転入するっていう手続きをしちゃってさ、で、まぁキューティーの姉の計らいでアパートが見つかるまでキューティーと姉と他のルームメイトが住んでいるキングストンの寮に移ったわけだけど、この行動力凄いよな。今のドットになりたい俺からは考えられないな。基本的に日本からこっちにこれて、クソみたいな田舎町だったけど、違う生活によって相当のエナジーを得ていたんだと思うんだよね。よくもまぁ朝の7時に起きて夜の6時に帰ってくるとかいう生活を続けてたよなぁー。学校も8時半から4時までとか狂ったスケジュールだったのにも関わらずほぼ毎日行ってたし、なにより「俺も行くよ!んじゃあ」っつってニューヨークに一緒に行くってその場で決めて、もう書類の処理とかに取り組んじゃう感じが凄いよね。これが東京からニューヨークだったらドラマ化決定でしょ。でもあんとき決めなかったら今頃どうしてたんだろうな?まだロードアイランドにいたんだろうか?とにかく自力でニューヨークに移るなんてことは事実上不可能だったからね。あの時点では。それをやりのけちゃったわけだ。愛によって。で、今、こうやってクイーンズに住んでるんだよなぁー。これって誰かにやってもらったわけじゃなくて、自分で変えてきたんだもんな。そう思うと俺って悪くないよね。まぁーでもまぁーね、ニュージャージーの生活は地獄だったからね。それは前に散々書いたからいいけど、しかもアパートの契約期間が立ったの一年で、今年の8月にはまた別のところに移らなきゃいけなかったわけで、ホント、今のアパートに引っ越してきて大正解というか、もう最高の選択をしてきたわけだよね。俺。まぁ逆を言えば、ニュージャージーのアパートでの生活が狂っていたからなんとか脱出したいってことで、その脱出したいっていう意志からとんでもないモチベーションが生まれてたんだと思うけど、それはロードアイランドの頃もそうだよなぁー。あんな街からとっとと脱出したいってのが凄くあったし、まぁ愛もあったとは思うんだけど、それにしてもああいう嫌なものから脱出したいというところからくるパワーってのは計り知れないわけだね。今の割と安定した生活の中では考えられないや。ただ今みたいに生活が安定してるんで、こうやってウォール伝みたいなのを更新できるわけだが、まぁでも人生って経験だよね。ホント。ゲイ経験も悪くなかったな。本当に。まぁ最終的にそこでやっぱゲイじゃなかったってのに気がついたし、実際、あまりに女性へのオブセッションが無いんで、親からも「あの子、ゲイじゃないかしら?」なんて思われてたぐらいだからさ、そう思うと自分が改めてストレートだったっていうのに気がつけたのもまぁ凄く良い
経験だったよね。まぁあんな大変なこと二度とゴメンだけど。でもさー今、こうやって生活が安定してくると「毎日同じだなぁー」なんていう一種の退屈感を覚えるわけだけど、それは師匠1じゃないけど、生きてるってこと自体が素晴らしいことなのであれば、それ自体に常に人間はありがたみや満足を覚えて、退屈なんていう感覚は一切持たないはずなのに、持っちゃうのが人間なんだよね。手取り足取りヘドロに巻き込まれながらノビール。はぁーどんどん俺の達観度が上がっていく・・・。日々の生活すらももうただの現象だ。こうやって学校以外では全く誰ともコミュニケーションを取らず、一人でずーっと思索に耽っているとか、読書に耽っているとか、オナニーに耽っているとか、まぁどんどん内省的になっていくわけだけど、俺の生活ってもともとこういうものなんだなって特に最近凄く思ったね。ようは今後も恐らく人との関わり合いというのは必要以外はほとんど無くて、基本的に自分の時間に自分の事だけに自分の機会費用を費やしまくるっていう、そんな感じになるんだろうね。ところで俺の脳ってのは日々膨張していて、だから俺のデコがどんどん広くなっていってさ、それはもうハゲというよりは前頭葉がデカくなりすぎているっていう、そういうことなのかもね。でもホントさ、ハゲかどうかは別としても俺のデコって凄まじく広いんだよね。もう出すのが恥ずかしいぐらい広い。これは生まれつきなんだけど、ファンクショナルな前頭葉が詰まっているって信じたいね。

ところで俺の愛読しているオカルトとか変な事件を扱ったニュースサイトで見た記事なんだけど、金玉っつーかペニスの大きさと脳の大きさの関係性ってので、ようは脳にしても金玉にしても維持するのに凄まじいエネルギーが必要ってことで、動物の歴史ってのはどっちにするのか二者択一を常に迫られてきたらしいんだけど、これがいつも俺が書いてる童貞IQ説に繋がるわけだけど、頭がいい人にヤリチン・ヤリマンが少ないのってこれで説明がつくなとか勝手に思ったわけね。チンチンデカイやつって確かに頭が悪いやつが多いっていうイメージがあるし、凄まじく印象的だったのが、中学の頃の地獄バレー部の時の練習試合で他校に行った時に、まぁいろんな中学のしょーもないバレー部が集まって試合をするわけだけど、その中の一つの中学に凄まじく体がでかくてチンポがデカイやつがいてさ、もう半ズボンからむき出しになってるぐらい金玉とサオがでかいわけ。で、顔はもうはっきりいって朴訥以下みたいな、もう恐らくモロンレベルだと思うんだけど、絶対あいつ絶倫だなって思ったわけだけど、男でも女でも前に書いたように、ようは欲を抑制するというような、前頭葉の能力が欠けたやつが見境無しにヤリまくるので、馬鹿が増えるってことなんだけど、逆にいえば、頭がいい人は欲を抑制するのと、それこそ前の話みたいな、この世は地獄だということがわかっているので、そんな苦痛を子供に背負わせたくないという人道的理由から子供は作らないっていう家庭もあるわけで、優秀な遺伝子はそこで終わりがちっていう話なわけだけど、別にまぁ優秀な人が子供を生めばそれはそれでいいんだが、馬鹿が馬鹿を生むほど社会にダメージがあることはないってことなんだよね。そこでアホの子供でもちゃんとした環境で育てばいいんだけど、それこそ亀田みたいなあんな環境で育っちゃうと、あの3兄弟みたいなロクでなしが育っちゃう。それってのが最強に社会にとっての害悪だよね。亀田親父みたいな暴力的な遺伝子を受け継いだ子供でも環境さえ良ければまともな人間になるとは思うんだけど、あんな遺伝子を受け継いじゃって、しかもあんな環境で育てられてるんだから、3兄弟にとっちゃーたまったもんじゃないよねっていうさ、だからあんまあの3兄弟を批判するってのはお門違いなんじゃないかな?って思うんだよね。あんな環境で育ってきちゃったら社会性が無いのは当然なわけで、それだったら周りが矯正してあげなきゃいけないよね。まぁあの謝罪会見とか良かったんじゃないかなって思うんだけど。ようはああいうことがまだできる人間性が残ってるんだから、否定し倒すのはちょっと酷なんじゃないかなって思うんだよね。後の環境によってはいくらでも変われるぐらいの素質はあると思うわけ。ただメディアがああいう風な感じで持ち上げて、んで叩き下ろしたりするっていう、あの環境が亀田ファミリーの環境並みに良くない。なんでいきなり亀田の話になったんだっけ?まぁいいや。だからあんま遺伝子そのものの否定は良くない。暴力的な人でも環境によっては変われるんだし、ましてや子供だったら当然でしょう。だから俺のメインポイントとしては、馬鹿が無責任に子供を生んじゃうのはいいんだけど、ちゃんと責任持って育てろよなってことなんだよね。そうじゃないと社会に害のある人間が育っちゃって、それこそ民主主義の邪魔になるからね。民主主義の民の部分が、無責任な中出しの結果生まれた頓馬だったら、頓馬主義ってことになるでしょ?愚民主義社会。それってのがさっきのプラトンの話なわけだけど、それじゃーエリート主義のほうがマシだよなって思うわけね。オリガーキーっつーんだっけな。ただその権力を持った少数は究極のエリートじゃないといけないわけだけどね。ソ連とかの共産国の権力者達みたいに自分の家代わりに宮殿とか建ててるような権力者じゃダメなわけね。あーやべーな。またファシズム傾向になってきてる。民主主義に戻ろうっと。人のことを白痴だとかいって差別するのは良くないけど、こないだ書いたみたいな建前の人権とか差別廃止ってのはいらないと思うな。マジで。本音でいていいと思う。本音は本質的には言葉狩りやモラルを教えたところで、アングロサクソン系のレイシストが支配しているアメリカを見れば分かるように、無くならないからね。一番たちが悪いのは、差別はいけませんっていうコモンセンスを撒き散らして、世の中は平等主義・反差別主義・民主主義ですよっていう建前の中で臭いものに蓋をされちゃって、実際、見えないところで差別がガンガン行われていたり、格差がガンガン広がるっていうことなわけで、それだったらまだ差別主義者が露骨に差別主義者である世の中のほうが健全だと思うんだよね。差別主義者が社会の規範に沿って建前でリベラリストを気取ったりしているのが、本物のリベラリストとしては本当に許せないんだなこれが。だから建前のリベラリズムとか平等主義とか人権主義ってのはいらないと思うのよね。俺は。本質的なクオリティが保証されない限り、簡単に言葉を乱用するべきではないよね。だったら生身でいろと。馬鹿が子供を生んじゃいけないって思ってるなら言っちゃったほうがいいわけ。「そんなの差別だ」って建前で言っておいて、実は腹の中で生んじゃいけないって思ってるほうがよっぽどたちが悪いんだから。そこでそういう建前の世界で単純に「ダメですよ」っていうレッテル貼りが横行すると、本質的な問題ってのが見えてこなくなっちゃうんだよね。それが前に書いたタブーとかで終わっちゃって本質的な議論とか問題意識がなくなっちゃう。それが一番マズイ。それはこっちでもポスターでさ、Kill The Wordsだか複数だったか忘れたんだけど、オカマとかさビッチとかモロンとかさ、そういう言葉を抹殺しましょう!みたいなポスターがあるんだよね。でもそれって極めて表面的なことにしか過ぎないでしょ。そういう言葉をなくしたって差別意識があり続けるなら、それは表面的に臭いものに蓋をするってだけで、より問題が深くなっちゃうと思うんだよね。もっと本質的になぜそういう言葉を使うのがいけないことなのか?っていう問題提起をして、そういった言葉を民衆によって無くさせていかなきゃ根本的な解決にはならないのに、ただ言葉だけを狩るんじゃー全然意味無い。モロンってモロンに言うほうが、心で「モロンだ、タブーだから無視だ」って存在そのものを無視するよりかは全然マシだと思うわけ。まだモロン側とそうじゃない側の議論が生まれる余地があるというか、差別的ながらもコミュニケーションがあるだけマシっていうかね。ただタブー視されて隔離されちゃったらもう終わりでしょ?言葉狩りにはそういう隔離的な意味を感じるんだよなぁー。俺。提起側は人権派なのかもしれないけど、モロに逆に働いちゃってるような気がするんだよなー。建前だけの人権活動なんてマジでいらないからね。例のあいつの死刑判決問題じゃないけど、ああいうクソ弁護士達ってのは、その自分の人権派だっていう立場を表明したいというか、突き通したいからああいうことやってるわけでしょ?それって根本的な人権問題と全然乖離してるよね。俺がいつも書くような、デモをするという行為が目的になっちゃってるような馬鹿なプロテスターどもと同じことよ。だから言葉狩りにもそういう言葉を使ってはいけません的な、PTA的な動機そのものが目的になってしまっていて、本質的な差別の排除には何も貢献していないっていうね。例えば俺のゲイの扱いがいい例で、ラッセルハズウェルはゲイ臭いとか、ゲイを馬鹿にするようなことを平気で書きつつも、それって本音ではゲイを差別して無いから言えることでもあるわけで、それって別に俺がラッセルハズェルを馬鹿にすることとゲイの差別とは全然関係ないってことなわけじゃん?むしろそこを敏感になってゲイという言葉を差別的に使わないという規制のほうがよっぽど息苦しいというか、問題の表面的な回避にしか感じないわけね。オカマっぽいなーあいつって馬鹿にしつつも、自分もオカマっぽいところがあるから、別にそもそもオカマっぽいということ自体の否定ではないっていうね。それってアイツ足短いよなーって指摘しつつも、自分も短足っていうね。たんそくって変換が出てこないのを見るとこれも言葉狩りかな?分裂病というタームがネガティブだったので、総合失調症というようにするなんてのも、ホント、分裂病は別にキチガイの病気じゃないんだっていうことを広めるのにはなんも貢献してないでしょ?ホント、言葉のニュアンスだけ。チンチンというと下世話なのでペニスと言いましょうレベル。マンコというと下品なので女性器っていいましょうみたいなレベル。だったら別にエマニュエル・マンコって言ったっていいじゃんね?意味分からんけど、プッシー的って俺用語では形而上学的っていう意味だからね。ということで言葉ってのは極めてメタフィジカルなんです。

Lock & Roll: A Drum & Bass DJ Mix

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