続・ダベリング。そのに。

mimisemi2008-12-17

今日はあれなんだよ、エルザの英語が聞きたいがためにフロントミッション4をやってたんだけど、これ本当にイライラするのがさ、命中率の表示の不正確さなんだよね。命中率99パーセントとか出てる割にガンガン外れるっつーのはこの表示がアホなところで、ようは敵の回避率を逆算してないのね。だから敵の回避率なんかを含めると実際は60パーセントぐらいなのかもしれないのに表示されないんでさ、99パーセントっつって外れたりするわけ。こりゃ致命的なミスだね。絶対俺以外にも世界にこれでイライラしていた人がいっぱいいると思う。スパロボみたいに回避率も計算しないと意味ないじゃんね?あーイライラする。ああいう戦略シミュレーションゲームで攻撃が当たらないのって本当にイライラするよね。アクションゲームとかだったら自分の腕が悪いってことでさ、腕を磨けばいいってことになるけど、シミュレーションの場合、もう確率じゃない?で、その確率が適当だと本当にイライラするよね。まぁフロントミッション4は確率が適当なんじゃなくて表示が悪いだけなんだけど。エルザが姫の面影があるんで気に入っていたんだけど、ここまでイライラするとなぁー。さすがになぁー。実はもう最後なんだけどね。最後だからこそ割とミッションがシビアになってくるから命中率ってのが重要になるんだよ。あとあれだよな、エルザ編とダリル編の難易度の違いも酷いよな。ダリル編はなんであんなにみんな貧弱な状態で戦わなきゃいけないんだろう?例えるならメガテンIFのアキラ編みたいなもんなんだよ。そのステージに対応した装備でスデージに挑めればいいんだけど、アキラ編とかってさ、装備のランクがあえて低くなってるんだよね。それで難易度が増しているように感じられるわけ。ようはさそりばちぐらいのランクの敵と初期装備で戦わなきゃいけないみたいな感じね。


まぁいいや。ってことで昨日の続きです。なんかさ、昔だったら面倒なことがあっても「ゲーム上」なら可能な限り手段を尽くして取り組んでいたんだけど、さすがにもうそれだけの情熱が無くなってるね。「所詮はゲーム」みたいな冷めた目がある。まぁいい歳してゲームにハマりすぎるのはどうかと思うんで悪いことではないと思うんだけど、その一方で歳取ったなぁーって感じるよね。


はい。んじゃあ昨日の続き。


今日も靴底にうんこをつけたままWhole Foodsで買い物をしてきたんだけど、この店ってのはニューヨーカーの健康へのオブセッションが具現化したようなものなんだよね。アメリカって中流の上とか上流層みたいなのってヘルスナッツが多いんだよね。アメリカってのは放っておくと体が蝕まれるんで、意識的に体にいいものを取らないと体がやられるっつーのはあるにしても、やっぱでもさ、やり過ぎ感は否めないよね。アメリカって独特の健康オタク的な概念があるんだよね。ベジタリアンとかもそう。あまりに色々気にしすぎるあまりオーガニックの野菜しか食べなくなるとかある意味気違いだよね。そこまでして自分の健康を守りたいのか?って思っちゃう。添加物だらけのものを食べてそこそこ長生きしてる人もいるっつーのにさ。俺もまぁ健康に気は使うけど、それってのはまぁあれなんだよね、金銭的なことなんだよね。ストイックな食生活をしていないと自由になる金が少なくなるっつーのもあるし、食品に凝りすぎると作るのが面倒になったり金がかかったりいろいろと考えなきゃいけなかったりそれに関わることが多くなりすぎるんで味覚は退屈だけど玄米と納豆のみとかさ、そんなのがベストなのね。とりあえずこれ食ってりゃ死なないっつー完全食みたいなのを味を気にせず食ってればいいわけ。作るのが面倒ってのもあるし、まぁ色んな意味でストイックな食生活って俺に取っては良いことだらけなんだけど、でもやっぱジャンクフード世代としてはたまにはコーラとかさ、ハンバーガーとか食いたくなるわけよね。で、その食いたくなるっつー自然な欲望を我慢してまで健康っつーかストイックな食生活を続けようとも思わないのね。ちょっと一食にしては割高だけど、でも食べたいって思うのが食べれればそれが仮に汚染されてようが死なないレベルならいいかなって思っちゃう。ジャンクフードってマジで味最高だよね。汚染っつっても中国野菜みたいな汚染度だったらありえないけどね。


これって知らない方が良かったってことを知ることで健康は守れるけど食うのが減るっつーのの良い例だよね。本当のことを知ればジャンクフードとかインスタント食品なんて食えなくなるんだけど、そこまでして健康を守る必要があるのか?っつーのは凄く思うところだよね。繰り返しになるけど。それがさっき書いたさ、本当のことを知ることで嫌な思いをするのか、知らなければ嫌な思いをしなくて済むのがいいのか、どっちがいいのか?ってことなんだよね。で、俺としては知っていてもあえてそれをするってのが最高だなと思ってるわけ。ようはその商品なり食品の原価がクソみたいなもんでも第三国の搾取に加担してしまうようなものであったとしても、自分が好きならそれを買うなり食べるなりするってのが一番なんじゃないかなっていうね、それがジャンクフードだったりしたら、それを食べるのって自己責任じゃない?体に悪いって知っててもあえて食べるのってあえてタバコを吸うのと同じだよね。別に毎日食うわけじゃないからいいじゃん!っつーこの開き直りがポスト健康オタクなんだと思う。「マックー!ゲェー!」とかって言うやつはレベルの低い健康オタクだよね。別にマックを食えとは言わないけどさ、なぁーんか気に食わないんだよね。飲み物は全部水でさ、食うのも全部オーガニック野菜でちょっとお洒落でインテリみたいな女ってニューヨーカーみたいなのの女に多いと思うんだけど、あれって健康というものに盲信的に従属してると思うんだよね。別にちょっと道を逸れてもなんとかなるっつーレベルでも彼らの基準は全て「体にいいか悪いか」っつー二項対立になっちゃってて、まぁある意味でだから単純なんだよね。善か悪かみたいな話でアメリカ的な単純さというかなんというかね。


そういうのを考えていくと結局やっぱ人生って何なの?っていう風になっちゃうよね。健康に気遣って健康に盲従した生活を一生送ることが人生なのかさ、やりたいことをやりまくるのが人生なのかさ、あれなんだよね、最近、2ちゃんの良いスレッドの良い書き込みだけをピックアップしたようなサイトが増えてて、2ちゃんねるは嫌いとかいいつつも、こういうのを見ると余計な書き込みとかくだらない喧嘩を見なくて済むんで結構最近見てるんだけどね、凄く印象的だったのが「ゲームをやめようかなって思う瞬間」みたいなスレッドでさ、そこでまぁ色々笑える書き込みがいっぱいあったんだけど、特に笑ったのが感動的なイベントとかですげーゲームに入り込んでいるときに画面の切り替わりの時に画面が暗くなったときに自分の姿がテレビに反射して冷めるとかさ、すんげー心当たりあるしウケるんだけど、あれなんだよね、やっぱ多いのがやり込みの意味の無さね。隠しアイテムとか隠しボスみたいなのを全部やりきってもこの完全にやりきったデータって何の役にたつの?って思っちゃうとかさ、ゲームプレイ時間が100時間を超えた時に「俺、何してるんだろう?」ってふと我に返ったりとかさ、その100時間があれば何が出来ただろうなぁー?とかって考えちゃうとかさ、全部分からなくもないんだけど、こういうのを考え始めると全部意味意味無いんだよ。人生って。


その100時間で仮にキャリアアップみたいな目標に向かって何かをするっつーのもさ、キャリアアップをなぜするのか?っつーとクソみたいな賃金でクソみたいな仕事をしたくないからやるんだよね?これってフロイト的な快楽原則にぴったりで、ようは苦痛回避の為に早いうちからちょっとした努力をしておくってことなんだろうけど、でも結局さ、それって全部仕事のためじゃない?なんで仕事するのか?っつーと金を稼ぐためだよね。で、どんな仕事がいいのか?っつーと自分にあったやりがいのある仕事とかだよね。でもちょっとまてよと。やりがいのある仕事っつってもさ、仕事自体の意味って無いよね。レジに突っ立ってれば時給をもらえるかもしれないけど、そのレジでやる仕事なんて究極のナンセンスだよね。レジの操作が速くなろうがそんなの他じゃ同じ職種以外全く役に立たないし、まあ時給はもらえているけど、それを抜かせば結局、RPGのやりこみとかとあんまり変わらないよね。それ自体はなんの意味も無い。全部の仕事がレジみたいに意味が無いとは言わないけど、仕事なんてものに意味を求めること自体がもうすでにナンセンスなんだよね。だってこれ自体が意味無いんだもん。まぁむしろ必要なのは意味無いようなことに意味を見いだせるかどうか?ってことなんだろうけど、そうなるとRPGのやり込みとかって意味なくはないよね。だって隠しアイテムを入手するとかさ、その目的や行為自体は意味ないかもしれないけど、やろうと思うってことに意味があるんじゃんね。恐らく仕事も一緒だよね。まぁだからあれなんだけどね、つまらないやりがいの無い仕事って糞ゲーを永遠をやらされるようなもんなんだよね。そういうバイトのナンセンスさを上手く描いたのがピエール瀧監修のグルーヴ地獄ファイヴであるのは言うまでもない。あれは凄いよ。もう哲学的名作だね。あれほどの人生の虚無を描いたゲームってのもなかなか無いよね。バイトで溜めた金で音ネタをがちゃぽんで買うっつーのも最高だよね。DJやプロデューサーの見えない苦労っつーかなんつーか。


RPGとかに何も意味を感じなくなるって結局人生に何の意味も感じなくなることと一緒だよね。構造は全く一緒。生きたってそれだからなんなの?って話でしょ。やり込みのデータが何の役にも立たないように、人の命ってのもまた少ない例を除いては何の役にも立たないんだよね。自分の生活に必死になって労働力を死ぬまで売り続けるっつーのが人生じゃない?で、それをやりきったところで誰が褒めてくれるわけでもないし、その人生が誰かの役に立つか?っつーと役に立たないよね。物や資源や食料を労働力で得たお金で消費して排出して老いて死んでいくっつーのが人生で、ようは魅力の無いドラマも何も無いただの永遠の飽和状態が続くようなRPGを何年もやらされるようなのが人生だよね。飽和状態ならまだいいかもしれない。下手すれば一生苦痛が続くかもしれないわけでね、ホント、それを考えると本当に人生って意味が無い。だから何らかの意味を見いだしたり自分の人生の価値みたいなのを見いださないと人生ってくだらないRPGになっちゃう。自分というロールをプレイするゲームってことね。それが100時間に及ぶものでもそのやりこみをしている時の強度っつーかさ、動機っつーかそれがあれば十分だと思うんだよね。それは人生でも同じ。死んだ時に結局まぁ自分の命が何の役に立たなくても、ロールプレイングをしているときに楽しければとりあえずいいでしょってことになると思うんだよね。それを意味ありとするか意味無しとするかはその人次第でさ。


まぁそんな感じなんだけど、でもやっぱゲームにハマり倒した後って虚しさが残るよね。人生の終わりってこんな気分なんだろなぁーって感じるね。「ゲームやってて歳とったなぁと思う瞬間」みたいなスレッドもあったと思うんだけど、本当にあるあるで楽しかったな。


http://himasoku123.blog61.fc2.com/blog-entry-474.html


結構面白いんだよねぇー。これって完全に2ちゃんねるがメディア化したってことだよね。直接行かなくても抽出されたのだけを読めるってなんだかさ、凄いよね。ネタ的な読み物としては超一流だよね。本当に。無駄が無いし、管理人というかスレッドを選んできて特定の書き込みだけをピックアップしている人のセンスが凄いと思うんだよね。だから面白くなる。で、この抽出されてきたやつってなんか日本独特の四畳半文化みたいなのがあるよね。「気がついたら朝だった」みたいな虚しさを面白おかしく笑うみたいなさ、結構シニカルで高度な笑いが多いんだよね。まぁ抽出されたものだけに限って言えばね。俺は2ちゃんねらーじゃないけど、でもこういう抽出されたサイトを見てるってことはもうすでに2ちゃんねらーなのかな?週刊誌の要約だけ読んでるような感じだけど、それ自体はまぁようは週刊誌を読んでるのと変わらないもんね。「芸能ニュースなんてくだらない!」とか言いつつ見始めるとついつい見ちゃうみたいな、そういうのがあるよね。別に俺は高尚ぶりたいわけじゃないし、逆にテレビを見ないとかネットに書き込みをしないみたいなことを自慢してるやつが大嫌いなんで、見てたら見てたで別にいいと思うんだけどね。見過ぎはいけないんだけど。それにしても前に散々いろいろと批判してたくせにねぇー矛盾してるよね。でも2ちゃん的なユーモアって認めざるを得ない面白さがあるよね。日本的な特に関東の笑いの感覚ってのが凄く出てると思う。ユーモアに限って言えばいいのかな。政治とかになるとクソだけどね。アホな右翼が多いから。ようは色んなスレッドがリゾームみたいにあるんで「2ちゃんねる」と一概に言えないんだなってのを痛感したよね。思想とかでもたまにすんげーレベル高いスレッドとかあるから単純化して批判するのは良くないなとかって思っちゃった。あとあれね、オカルトね。沖縄の土着的で門外不出な儀式の話とかさ、なんか民俗学的なのがあったりさ、あと怖い話とか凄いよね。まぁ当たり前っつっちゃー当たり前なんだがっつーのもようは過去に「本当にあった怖い話」とかってネタも含む色んな人の体験談が書かれた本なんかが出てたわけじゃない?まぁ今もあると思うけど、ようは2ちゃんのオカルトスレッドってそれがダイレクトなんだよね。今まさしく祟りとかで困ってるって人がマジで書き込んでたりするんで本当に怖い。あと呪いのやつとか怖かったな。ネタかどうか分からないんだけど、結構ヤバそうだから詳細は書かないけど、掲示板を媒介に読者に呪いをかけるみたいなやつがあってさ、んでそれがまたかなり心理的トリックを使ったものですんげーゾッとしたんだよね。


前に全てがデジタル化することで神話とか伝説みたいな、アナログなさ、科学的には証明できないみたいなことがどんどんバカバカしくなるみたいになってくるっつー話を書いたけど、いや、逆だなと思ったね。逆にネットを介することで土着的な、むしろ過去だったらその場でしか語られなかったようなことが場所を問わずネットが繋げるところだったらどこからでも書き込めるんで、子供の頃に体験した不思議な話とかさ、そういう不思議な話と土着的な迷信との奇妙な一致とかさ、個々の体験がむしろ語られることで一見、情報化が進むと消滅してしまいそうなオカルト的な要素が逆にエンハンスされるのね。こういう要素に着目したのってあれだね、ペルソナだよね。特に初期のやつね。逆だったんだな。だから。情報化ってのは全てがバイナリになって無機質になるって意味じゃなくて、人々の個人的な経験や観念なんかが情報レベルで表出してくるっていう風に考えないといけないね。いや、何を今更って感じか。まぁブログなんかが最たるもんだよね。特に日本的なブログね。個人のダベリとかプライベートが一応はパブリックな場に出されるわけだからさ、これって凄いことだよね。だからまぁ民度もネットに直結するとは思うんだけどね。昨日の白田さんのエッセイじゃないけど、民度が高ければネットみたいな場こそ民主的なものが立ち上がってくるんだよね。メディアやら規制やらの手の届かないところでグラスルーツ的な何かが生まれたりディスカッションが生まれたりする。でも結局、そういう話をする人達が少数になっちゃうと結局、あんま現実と変わらなくなるんだよね。結局、そういう話だとかそういうのを気にする人達ってのは少数だってことが分かっちゃうだけで、まぁ逆説的なんだよね。ネットっていうツールがあるのにも関わらず民主的な何かが立ち上がってこないように見えるっていうのは根本的な民度の低さを露呈させてるわけよね。そういう意味だとアメリカとかってなんだかんだで凄いなぁーとは思うんだけどね。そういうのを気にする人達がいつの時代も少数なのか、それともいるのにも関わらずそういう場が無いことで見えなくなっているのか、気になるところだけど、いるとすればネットってすげーツールなんだよね。俺も今よりもっと酷いマルクス主義者だったころはネットってのは弱者にとっての武器だみたいなことを真剣に考えてたからね。いや、あながち間違ってはいないと思うんだけどなぁ。


まぁネグリ的なマルチチュードの不可能性ってのをネットがさらけ出してるのかな。ああいう有機的なグローバル単位での連帯とかが可能だったらさ、ネットのインフラが世界に出来ればそれでもう世界革命が起こるってことだよね。でもこんなの絵空事だよね。逆にネットが市民なり国民の無力さをさらけ出してくれたら政治はやりやすくなるとは思うんだけどね。民度が高ければ自ずとネットがメディアに勝る存在になるだろうしさ、でもまだメディアが強い日本ってどうなんだろう?って思っちゃうけどね。まぁマスゴミみたいな言葉が割と頻繁に使われるようになったけど凄く良いことだと思うね。ああいう人を馬鹿にしたような媒体に嫌気がさしている人が多くなってるっていうのは本当に良いことだと思う。でもこれってのも分からないのはさ、ずーっと嫌気が指していた人がネットでそういう言葉を使ってるのか、最近のメディアの体たらくっぷりに嫌気が指して使ってる人が増えてきたのか、ただの流行に乗ってるのか、ネットって人間と全く同じでそれを読んだだけだと判断材料にはならないんだよね。知ったかぶって理由も分からずメディアは記者クラブ制度が悪いみたいなことを言っていたりさ、それだけ見て「気がついている人が多いんだな」とはなかなか言えないんだよね。まぁクリティカルな観点を持ったデマゴーグが増えることは別にそれはそれでかまわないと思うんだけど、こういう現象ってようは人間の主体性とかに直結するよね。そもそも意見って何なの?っていうさ、前の音楽の話みたいになっちゃうけど、自分が知ったように何かを言う時っつーのも元は何らかの見聞きした情報を元に言ってるんだもんね。本当にその人がそう思ったりそう考えているかはすげーびみょー。まぁ事柄だったらただの情報だから考えもクソも無いんだけど、ようは情報を受け取って自分で吸収なり咀嚼をしてるのかな?ってことなんだよね。そういう意味でようはね、批判的な意見が多くなるとそれに追従するフォロワーが増えるわけじゃない?そういうフォロワーの意見を見て「批判的な意見が多いな」とは考えられないんだよね。これって本当にネットの落とし穴なんだよな。自分が見てるのって本当に全体の一部でしかないから、なかなか判断ができないんだよね。だからこそ考えてものを言っているレベルとそうじゃないレベルっつーのを見分けるリテラシーってのが重要になってくるんだよなぁー。メディアに対するリテラシーは同然っつーかもう小学校の必須科目ぐらい当然のこととしても、それ以外に人の意見なり、それがメディア外のものであってもそれを判断する能力って必要なんだよね。それはネットでも実生活でも同じなんだけど。


あーダメだ。まとまりが無くなってきた。っつーか抜きたいんだよね。今。まぁいいや。抜いて寝るわ。なんつーかさ、言ってることが全部雑誌とか雑多な情報のコピペみたいなやつって多いじゃない?それはインテリに見える人でも文献からのコピペみたいなのが多いのと一緒でさ、ただそれって見分けるのって結構大変だよね。「物知りだなぁー」とかって最初は関心しちゃうんだよね。で、接しているうちに化けの皮が剥がれてきて「なんだコピペじゃん」って思っちゃう。でもその頃にはそいつとの人間関係が生まれているんで縁を切るに切れないみたいな微妙な関係ってあるじゃない?そういうのを最初から見分けるのって至難の業だよね。それは人柄とか人間性についても同じなんだけど。うちの親父っつーか親父の親父の俺の爺さんからこういうので失敗してきてるんでさ、前にも書いたと思うんだけど俺は失敗したくないんだよねぇー。人を見分ける能力ってのもようは自分の能力でさ、それは相手の知ったかぶりとかダメっぷりを批判は出来ないんだよね。それで良くて付き合ってたのが自分なんだったらそれは自分の責任なわけでさ、あームズいな。人生って。俺は俺だけだったらいくらでもやってける自信があるけど、怖いのは他人なんだよなぁー。人間ほど恐ろしいものは無いからね。本当に。これだけが心配。だから俺は人に頼らなくてもいいようなスペシャリティを獲得したいんだけどね。ホント、俺の生き方って全部快楽原則に沿ってるのね。基本的にやることが全部苦痛から逃れる方法なんだもん。それが直接的であれ間接的であれね。


追加が無駄に長くなったからこの辺でやめるわ。もうムラムラしてきちゃってしょうがないのよ。マジで。


PS


http://himasoku123.blog61.fc2.com/blog-entry-480.html


こういうのね。日本の四畳半カルチャー。まぁ世界共通かもしれないけど。心当たりがありすぎて困っちゃうね。お湯を沸かすのも面倒になって何も食べなくなるっつーのが凄くよく分かる。あと動くのが面倒なんで一回に多めの量を食べて腹膨らませてあとはずーっと明け方まで何も食べないとかね。おかげでアメリカに住んでいながらガリガリのままだけどね。日本にいたときより痩せてる。


燃えよウータン

燃えよウータン

↑この年代の録音って音圧が無かったりするでしょ?だからこういうのってさ、まぁ特に90年代前半から中盤ぐらいのやつって一旦ハードディスクに落としてリマスタリングするのね。そうすると全然印象が変わるんだよ。だから俺が聞いてるウータンのファーストって自主マスタリングなんで音が太いわけよ。

よいこっちって俺の原点っつーか全てなんだけど、本当に俺ってこの世界(よいこっち系)の住人なんだなって思うよね。